創刊40周年特別企画~後世に語り継ぎたい我が社の魂~

「丸くない球」からミクロン単位の精度へ 82年の歴史を経て見えない感性領域に突入

 「丸くない球」からミクロン単位の精度へ 82年の歴史を経て見えない感性領域に突入

中山 滋 ブリヂストンスポーツ株式会社 取締役常務執行役員 ゴルフ企画管掌 海外事業管掌

ジャンボ尾崎の黄金期、ブリヂストンスポーツが発売した『J's メタル』 は国内外合わせて年間18万本を販売した。また、宮里藍とのプロ契約を早業で決め、『V-iQ』 のロケットスタートを演出している。諸事、派手な動きに彩られるが、 実は同社の最大の強みはサイエンスに関わる膨大な知見でもある。

「我々の魂はサイエンス」―。中山滋常務はそう断言した。その実力と執着を、ボールの発展史を中心に回顧する。


開発者は、沈思黙考のヒトが多い。ブリヂストンスポーツでボールの商品企画担当課長を務める宮川直之もそのタイプだが、この話になると止まらなくなる。

「感性が鋭いプロの弾道テストでは、彼らの気づきの細かさに驚かされます。ディンプルの深さを数ミクロン変えて試打すると、弾道の頂点が数十㎝変わる。あるいは、最高点付近でメクレ具合が微妙に変わる。ぼくらの目では追えませんが、彼らにはわかるのです。その声を商品開発に活かすのが我々の仕事」

弾道の頂点を数十㎝の幅で見分けるプロも凄いが、わずか数ミクロンの違いを製品化できる技術も凄い。プロゴルファーと技術者の勝負事は常人を超えたレベルで競われる。そのことを語るとき、宮川の饒舌は止まらない。

親会社であるブリヂストンの創業は1931年に溯るが、実はその3年後に久留米工場(福岡県)でゴルフボール製造に乗り出している。1935年に国産1号ボールの『ブリヂストン スーパー』を1個1円で発売した。創業者・石橋正二郎の号令によるものだ。

日本の第一次ゴルフブームは1957年、カナダカップ(現ワールドカップ)で中村寅吉、小野光一組が個人・団体優勝を遂げて幕を開けるが、その22年前にゴルフの市場化を確信して、「何がなんでもやろう!」

現場の尻を叩いたという。

1936年に「ブリヂストントーナメント」(川崎ゴルフコース)を開催し、陳清水が優勝賞金1000円を手に入れた。日本がカナダカップを制した同年にはブリヂストンCCを佐賀県鳥栖市に開場するなど、同社とゴルフの付き合いは長い。今、ブリヂストンスポーツでゴルフ事業の全権を担う常務執行役員の中山滋は、創業者のこんな悔しさを披露する。

「創業者は往時、ゴルフ仲間に『お前が作ったボールは丸くない!』と言われたそうです。よほど悔しかったのでしょう。この話は今でも社内に伝承されています」

世界の三大タイヤメーカーにのしあがったブリヂストン。タイヤは人命を運ぶだけに「品質」は絶対条件だ。丸くないボールはそれだけに許し難い「鬼子」だったのだろう。中山がつづける。

「ブリヂストングループには創業者が著した企業理念があり、全社員がこれを暗唱できます。我々の使命は、最高の品質で社会に貢献すること。その心構えとして、誠実協調、進取独創、現物現場、熟慮断行があります」

ことほど左様に、創業者の精神が叩き込まれている。

ブリヂストン企業理念

「ニューイング」の挫折

ブリヂストンスポーツの原型が誕生したのは45年前に溯る。

1971年、ブリヂストンは「脱タイヤ」の長期戦略を掲げ、①住宅産業、②海洋産業、③スポーツ・レジャー産業、④自動車関連部品産業への進出を宣言した。スポーツ産業分野では翌年10月、スポルディングを傘下に収める米クエスター社に業務提携を申し入れ、両社の折半出資によるブリヂストン・スポルディングが資本金3億円で設立された。「原型」というのはその意味だ。

しかし、この提携はほどなく齟齬を来たし、ブリヂストンがクエスターの全持ち株を買い取ることで合弁を解消。新生ブリヂストンスポーツが誕生した。1977年6月のことである。

この決断は、当時の時流からすれば当然だったろう。70年代は異業種参入が花盛りでマルマン、ダイワ精工(現グローブライド)、流通では菓子問屋から二木ゴルフ、産業資材メーカーの藤倉ゴム工業などが陸続と来た。80年代半ばにはバブル景気の扉が開き、ゴルフ産業は一気に膨張していく。その波に、ブリヂストンスポーツも軽快に乗った。

この間、いくつかのエポックがある。ボールの分野では1982年に「脱糸巻」を掲げたソリッド2ピースの『アルタス』を発売。当時、糸巻ボールでは住友ゴム工業の『ロイヤルマックスフライ』が圧勝中で、この状況を覆すべく横浜工場の糸巻設備を一新した。今風の言葉を使えば「ゲームチェンジャー」を目指したもので、競争の「軸」を根こそぎ変えるダイナミックな試みだった。中山が企業理念の言葉を再度持ち出す。

「まさに『進取独創』の精神です」これが売れた。

そして少々、勢いに乗りすぎた。

『アルタス』の成功をさらに確実にするため、1988年に初代『ニューイング』を発売。ボール市場を2ピースで染め抜く勢いをみせたのだが、ゴルフ規則の初速制限を超えてしまい「違反球」の烙印を押される。このとき中山は入社7年目だった。

「よく覚えています。あのときは会社に衝撃が走りましたから。『最高の品質』を社是に掲げる当社にすれば、これ以上の恥はない。世間を騒がせ、即座に回収を決めました」

しかし、あまりの人気で返品するゴルファーは少なかった。

むろん、捲土重来を誓った。

『ニューイング』の新規性は「棒球」で飛ばす弾道設計にあり、従来の吹け上がる糸巻ボールの弾道とは明らかに異なる弧を描いた。この点に開発の照点を当て、違反から6年の歳月を経て「二重カバー」を謳う3ピース構造の『アルタスニューイング』を投入。多層構造の採用でボールの設計自由度は飛躍的に高まり、ゴルファーの支持を取りつけた。社内で「国民球になった」と自賛するほどの驚異的な売上を記録する。

ALTUS NewingALTUS Newing

1997年。同社はボール市場でシェア40%を獲得し、その半分に迫る18%を『ニューイング』単独で売り上げている。この製品のデビューは1994年で、表舞台から姿を消すまでの18年間に累計1500万ダース、1億8000万個がゴルファーの手にわたった計算だから、「国民球」を自負するのも当然だろう。

「マゼラン星雲」

実は、「国民球」がデビューした1994年には、もうひとつのエポックが訪れている。埼玉県に立ち上げた「秩父M&Dセンター」がそれだ。最新の研究設備や計測器を備え、2006年には国内最大級のテストセンターを設立した。

これを実現したのは当時社長だった山中幸博(故人)で、同時期に親会社のスポーツ本部を子会社に組み込む荒業もみせている。ブリヂストングループにとって、子会社が親会社のセクションを取り込むのは前代未聞のことでもあった。

これによりブリヂストンスポーツは、開発力を飛躍的に高めていく。前出の常務・中山がこう話す。

「当社の『魂』が何かといえば、サイエンスの力だと思うんですね。秩父のM&Dセンターもそうですが、親会社の中央研究所にはポリマーサイエンス(高分子化学)の研究者が多数在籍している。我々との人材・技術交流が頻繁にあって、共有する知見も膨大なものです」

その知見のひとつが、計測技術に関わるものだ。時速300㎞で走行するF1カーのタイヤ接地状況は、1万分の3秒というインパクトの瞬間と「近い現象」であり、共通点が多いという。

そのような背景から80年代に弾道計測器の『サイエンスアイ』を製品化し、専門店に供給している。今では常識となっている「計測販売」は、ブリヂストンスポーツが道を開いた。

「という流れで、米国では2007年にボールフィッティングをはじめました。累計30万人を超えるゴルファーが受けており、約80%が平均10ヤードも飛距離を伸ばしている。ボール、クラブ、人間のマッチング‥‥。その重要性を表すデータです」

中山によれば、飛びの3要素(初速、打出し角、スピン量)をベースに30万人をマッピングすると「マゼラン星雲」のような姿を描くという。その星雲をターゲット別に切り分けると①ディスタンス系、②スピン系、③ディスタンス&スピン系となり、それぞれ硬軟を加えて6タイプに集約される。その諸条件を見極めて次の商品企画に活かしており、最近では『PHYZ』の販促施策に取り入れた「3球診断」にまで簡略化している。ブリヂストンスポーツの「魂」はサイエンス――。そのことを如実に物語る一連の歩みだ。

次の課題は感性領域

この間、社業は順風満帆だったわけではない。近年、ボール市場ではタイトリストの攻勢を許している。

ただし、ここに来て反転攻勢の兆しがある。2014年に世界統一ブランドの『ブリヂストンゴルフ』を立ち上げ、昨年12月にはタイガー・ウッズとのボール使用契約を発表。社内が久々に沸き返った瞬間だった。

実は、ナイキがボール市場へ参入した当初、ブリヂストンスポーツがOEM供給をしていたとされる。これをウッズが使い、衝撃的なデビューを遂げて、タイトリストが得意の糸巻ボールからの撤退を決意、ソリッドの『プロV1』誕生につながっている。その意味で、今回のウッズとの契約は因縁めく。

大きな潮目でゲームチェンジャーの役割を果たしてきたブリヂストンスポーツは、次の変革をどこに定めているのだろうか。中山はこう明言する。

「今後の製品開発は、機能とデザインの融合、特に感性領域へのアプローチが不可欠になります。大事なのは、遊びの部分をどのように落とし込むかですね。これをやるには、遊びを受け入れる社内の空気や土壌作りが肝心ですが、これがなかなか難しい(笑)」

ゴルファーの息遣いに耳を傾け、サイエンスとの融合を図る。そのような方向に進むと考えている。「当社の試打会には年間1万人が訪れますが、ここでユーザーの声に耳を傾けます。3月発売の四代目『PHYZ』は『つかまるボール』がキャッチフレーズですが、実は一般ゴルファーの声から拾った言葉なんです。どんな囁きも聞き逃さず、真摯に向き合いたいですね」――。

感性を、科学の目で探求する。壮大な挑戦といえるだろう。(文中・敬称略)

Technological Innovation Timeline

1935年 GB発売開始


1977年 全表面ディンプル「ADレクスター」

全表面ディンプル「ADレクスター」


1982年 ツーピースソリッドゴルフボール「ALTUS」

ツーピースソリッドゴルフボール「ALTUS」


1984年 世界初二重ディンプル「ALTUS PRO318」

世界初二重ディンプル「ALTUS PRO318」


1986年 世界最多ディンプル「ALTUS PRO500」

世界最多ディンプル「ALTUS PRO500」


1993年 プロが使用する2ピース「Reygrande WF432」

プロが使用する2ピース「Reygrande WF432」


1994年 アルタスニューイングがベストセラーに。やわらかくて、誰にでも飛ばせるスリーピース構造

アルタスニューイングがベストセラーに。やわらかくて、誰にでも飛ばせるスリーピース構造


1996年 世界初糸巻二重カバー「Reygrande Two by Two」

世界初糸巻二重カバー「Reygrande Two by Two」


1999年 世界初シームレスディンプル「TOURSTAGE MF452」

世界初シームレスディンプル「TOURSTAGE MF452」


2000年 世界初ウレタンカバーソリッドボール「TOURSTAGE ダブル U-SPIN」

世界初ウレタンカバーソリッドボール「TOURSTAGE ダブル U-SPIN」


2003年 「PRECEPT MC Lady」米国で爆発的ヒット。女性向け2ピースボールでプロが優勝

「PRECEPT MC Lady」米国で爆発的ヒット。女性向け2ピースボールでプロが優勝

ウレタンブレンドカバー「super NEWING」

ウレタンブレンドカバー「super NEWING」


2004年 「TOURSTAGE X01」発売、宮里藍プロ初優勝

「TOURSTAGE X01」発売、宮里藍プロ初優勝


2005年 B330シリーズ米国発売

B330シリーズ米国発売


2008年 WEBディンプル搭載「V10」

WEBディンプル搭載「V10」


2011年 新開発4ピース「3+1 構造」PHYZ発売

新開発4ピース「3+1 構造」PHYZ発売


2014年 「BRIDGESTONE GOLF」国内本格立ち上げ

関連記事