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ミス・ユニバース2017に選ばれた阿部桃子の母はプロゴルファー

 2017/07/19 遠藤淳子の「女子プロ列伝」
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月刊ゴルフ用品界2017年6月号掲載
なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。


「ゴルフのいいところは人をけなさずほめるところ。ジュニアのレッスンでも、相手を認め、自分も認めるように教えています」。そう微笑むのは阿部まさ子。

旧姓の礒村まさ子で臨んだ1979年秋のプロテストは、3ラウンドをパープレーで回ってブッちぎりのトップ合格。当時、放映されていたNHK朝ドラから“マー姉ちゃん”のニックネームをつけられ、スポーツ紙の見出しを飾った。

注目を集めてのプロ入りだった。ツアーでは、シード権まであと一歩のところにこぎつけたことも何度かあったが、惜しくも及ばず。1991年の豪州女子ツアー。大京オーストラリアオープンを最後にツアーからフェードアウトした。

「トーナメントは10年できれば」と考えていたこともあり、3年前に結婚し「そろそろ子供が欲しい」と思ってのことだった。

鬼嫁?主人は話がうまいから

ツアーから離れて久しいが、近ごろはテレビレポーターの夫、阿部祐二氏の“鬼嫁”としての知名度もある。

「家庭は奥さんが主導権を持ったほうがうまくいくでしょう?」と、苦笑した。携帯電話がない新婚時代。

離島に出張中の夫のホテルに何度も電話をし、いるはずの居酒屋をつきとめ、電話口に呼び出したこともある。それをテレビで夫の阿部氏が楽しく話し鬼嫁像ができあがったようだ。

初ラウンドでハーフ50台

千葉県市川市で旅行社を営む父、一雄さん、母、登志子さんの第3子として誕生。家族揃ってゴルフを楽しむ家庭で育った。

スポーツ好きで身長も高く、中学ではバレーボール部に入ったが「個人競技のほうが向いているような気がして」と退部。

ゴルフに夢中になった。その頃から毎日、自宅から自転車で30分の中山ゴルフセンターに通うのが日課になった。

「ゴルフの難しいところが面白かった。奥が深いなぁ、と思うようになって。なぜ? って追及していくのが楽しくて仕方なかった」と、練習場のアシスタントプロからアドバイスを受けて1年間、ひたすらスイングを固め、3年の夏休みに日光CCでコースデビューした。

いきなりハーフ50台で回り、さらにゴルフに熱中。ダイエットのために40代後半でゴルフを始めた父を越えるのに時間はかからなかった。

師匠との出会いは文通が縁

ゴルフを最優先に決めた進学先は、昭和学院高校。自宅と練習場のちょうど中間に学校があり、それぞれ自転車で15分しかかからないのが魅力だった。

早朝、営業前に練習場を開けておいてもらい、日の出と共に”ひとり朝練“に励む。一度、帰宅してシャワーを浴びて登校。放課後も練習場に直行して再び球を打つという生活を続けた。

「ジュニア選手権というのがあると聞いて」関東ゴルフ連盟(KGA)に問い合わせ、試合に出始めた。高校1年の初出場は、浮間Gでの予選で敗退したが、2年、3年は霞が関CCの全国大会にコマを進めた。著しい上達の裏には、熊本の友人が結んでくれた縁がある。

試合でできた同世代の友人たちの中でも特に友情をはぐくんだのは熊本の子だった。携帯電話もメールもない時代のこと。文通を続けるうち、その子のお父さんの縁で柏在住の関水利晃プロを紹介してもらい、師事した。

「修学旅行の週が日本女子アマだったから『そんなとこに行ってる場合じゃない』と、旅行のほうを休んだこともあります」と、ゴルフ漬けでいながら、勉強もする。そんな高校生活だった。

自信満々で臨んだプロテスト

高校卒業後、半年間は関水の下に通ったり、実戦を重ねて秋のプロテストに臨んだ。「ここに来ている人の誰よりも練習している自信がありました」と、不安もなく臨んだ結果がトップ合格だった。

師匠の縁で大先輩の中村悦子を紹介してもらい、そのつてで大迫とも親しくなった。合宿に何度も参加させてもらい、教えを乞うこともあった。当時はまだ珍しいジュニア出身プロ。

主催者推薦での出場も多く、風当たりも強かったはずだが「たぶん、中村さんやその後ろにいる二瓶(綾子=当時のLPGA理事長)さんが守ってくださったんだと思います。今思えば、ですけど。私はずっとそういう縁に恵まれていた」と、ゴルフに集中できた。

それでも、プロの生活は厳しい。転戦するだけでいっぱいいっぱいの日々が続いた。

夫との出会いはジム

そんな中で、後に夫となる阿部氏と出会った。26歳の時、同じスポーツジムに通っていて紹介された。ゴルフに夢中でテレビも見ないから俳優だったことも知らない。

東京よみうりCCのワールドレディスに応援に来てくれたとき、大勢のギャラリーの中で阿部氏の顔だけが浮き出て見えた時、運命を感じた。185㎝の身長のせいだけではなく「ゴルフより大切な人になっちゃうかも知れない」と。

それなのに、プレー後、クラブハウスで食事をして「今度いつ会えますか?」と言われて返した言葉は「シーズンオフね」というつれないもの。今でも夫婦の間で笑い話になるエピソードだ。本人には振ったつもりなどさらさらなかったが、それほど、ゴルフに熱中していた。

それでも阿部氏は猛アタック。礒村家の家族にも気に入られ、28歳で結婚した。その後も5年は試合に出るという話になっていたが「私の中で優先順位が変わっていたのかも」と、レッスンに軸足を移す心の準備をし、ツアーを離れた。

子連れで福井に出張も

長女、桃子さん出産後も、所属先だった福井の丹生CCでのレッスンの仕事は継続。赤ちゃんと一緒に飛行機に乗り、現地で保育所に預けて仕事をした。桃子さんが小学生になるタイミングで福井の仕事は離れ、千葉に住んで子育てと仕事に熱中した。

母のジュニア教室などからゴルフを始めた桃子さんは、大学卒業後、プロテストの1次を受けたがうまくいかずに断念しており、現在はミス・ユニバース・ジャパンに挑戦中。千葉県代表に選ばれ活動中だ。

それを見守りつつ、現在はLPGAゴルフスクールでレッスンをしたりする落ち着いた日々。「ゴルフは自分を客観視できる」と言う落ち着いた口調こそ、阿部の身上なのかも知れない。

淳子目線

近頃はボイストレーニングに通っている阿部。テレビ番組で家族揃って歌ったのがきっかけだった。持ち歌は3曲。テレビで披露した”糸“の他に”Story”“ハナミズキ”といずれも歌唱力が要求されるものばかりだ。

実は、子供の頃「歌手になりたい」と“スター誕生”予選に出場し、朱里エイコの“恋の衝撃”を歌ったこともあるだけに、子育てが一段落した今、人生を謳歌していることが伝わって来る。

一方でジュニアゴルファー時代、修学旅行より試合を優先させたりしたことを反省。「ゴルフ以外の経験も大事」と、ジュニアゴルファーだった桃子さんには勉強も含めて様々なことを経験させて育てた。

だから、プロテスト受験も「何でも自分でやってみないとわからないから」と反対しなかった。同じように、ミス・ユニバースへの挑戦も応援している。

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ライター紹介 ライター一覧

遠藤 淳子

遠藤 淳子

フリーライター。都立三鷹高校→日本大学文理学部社会学科卒。東京スポーツで10年間、ゴルフ担当記者としてメジャーを始め日米欧男女各のトーナメントを取材。1999年4月よりフリーランスとして執筆を続けている。

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