• TOP
  • GEWとは
  • ライター一覧
  • GEW 購読申し込み
  • GEW 見本誌申し込み
  • 広告掲載について
  • 運営会社
  • 事業内容
  • 企業理念・ミッション
  • CEOメッセージ
  • 会社沿革
  • プライバシーポリシー
  • サイトポリシー
  • お問い合わせ
  • ゴルフ業界求人
  • PGA会員専用求人
  • 月刊GEW5月号 「酷暑が迫るゴルフ界の夏対策」

    ライター個別情報

    記事一覧

    「PALM SPRINGS Family restaurant &amp;Golf range」(パームスプリングス)のクラブハウス外観は、米国西海岸のお洒落なレストランを思わせる。横浜市港北区日吉にある2階36打席115ヤードのゴルフ練習場である。東急東横線日吉駅よりバス5分、徒歩18分のアクセスで、筆者は都心から車で40分弱であった。 当日は木曜日11時頃の到着だったが駐車場は満車に近かった。入り口の左側にあるレストランは女性客中心で賑わっており、練習場も女性が多いと感じた。このパームスプリングスを経営する株式会社グリーンクロス・代表取締役相原裕太氏、サービス事業部部長兼ゴルフレンジ支配人の前田裕史氏に取材した。 パームスプリングスは昨年11月、創業58周年を迎えている。開場は1967年、創業者は相原氏の祖父・章氏である。相原家は代々この地区の地主で、昔は日吉駅まで自分の土地があったとされる。章氏は大学卒業後、東急に入社し都市開発を担当していた。田園都市線の開発にも関わったという。東急は、東急田園都市線沿線のスポーツ施設やゴルフ練習場も開発していた。 章氏は東急の経験を生かす形で、自分の土地活用に、 「これから流行るだろう」 と、ゴルフ練習場の経営を決意。東急時代の人脈を生かして、現在の地に40打席115ヤードの「日吉グリーンクロスゴルフ練習場」を作った。翌年運営会社の「株式会社グリーンクロス」を設立している。また、1970年には現在のレストランの前身となる「レストラン グリーンクロス」を開業。その他、ガソリンスタンド、ホームセンター、賃貸マンションなど、土地を活用して事業を拡大した。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/03/2503shimasaki3.jpg" alt="" width="788" height="591" class="aligncenter size-full wp-image-86809" /> 章氏は東急とのダブルワークで、家業の事業は章氏の妻で専務だった茂子さんの力を借りた。最初の練習場の名称「グリーンクロス」も、茂子さんが「グリーン上で球がクロスするのを見て、グリーンクロスと思いついたらしい」という。 レストランは1988年に改築・増設され、現在の名称「パームスプリングス」になった。カリフォルニアをイメージし、非日常的な雰囲気を作りたいとの思いから茂子さんが命名した。茂子さんはリタイアしたが、練習場の近隣に住んでおり「練習場の電気つけっぱなしですよ」とお目付け役を果たしている。 現代表の相原氏は、祖父の後を継いだ2代目である。相原氏の母親の由美子さんは相原家が実家で、結婚して柏村姓になった。由美子さんには男兄弟がなく、章氏の「事業は男に継がせる」との主義から、長男が柏村家の製造業を継承し、次男の相原氏が養子として母親の実家に入った。そのため小学生時代に相原姓に変わり、将来は相原家の事業を引き継ぐ路線に入った。 相原氏は中高まで野球に打ち込み、大学卒業後スポーツクラブに入社、2014年29歳で家業に入り、32歳で社長就任、現在39歳だ。 「私が練習場に入った当時は、お客さんはガラガラで、ボールやマットも汚かった。常連さんが朝から同じ打席で練習し、コーヒーを飲んで1日過ごしている状況で、売上も厳しかったですね」 そのような状況下、祖父の章氏は練習場をやめ、その跡地にスーパーを建設する案を示したが、 「ゴルフ練習場としてもっと出来ることがあると思い、続けることを進言。そこから経営を任されました。祖父は元気でしたが、『お前がやりたいようにやれ』と言ってくれ、プレッシャーを感じながら改善策を考えたのです。手始めにボールとマットをきれいにし、その後どんどん改善を加えて、練習場の骨格以外は全て変革しました」 その努力が実を結び、年間来場者は10万人超、女性比率4割という驚異的な数値になっている。取材した木曜日はレディースDAYで、「60分打ち放題&パスタorデザートで1500円」「60分打ち放題&ドリンク付き1000円」を実施中。レストランを上手に活用している。 5月5日はPALM祭り <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/03/2503shimasaki2.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-86810" /> 筆者は多くの練習場を取材しており、他の施設も女性客対策をしているが「女性比率4割」は初めて。相原氏はその理由について、 「レディースDAYを始めたのは2017年から。近隣練習場のレディースDAYと被らないように木曜日に設定しました。また、2018年から“PALM祭り”を始めています。入場無料でフェアウエイを開放し、子供のお祭りを開催。屋台や縁日、夜は映画を上映して地域の家族連れが来場されます。5月5日の子供の日に開催することが地元の女性に読まれている“日吉新聞”に掲載されたことも、女性来場者が多い理由の一つでしょう。2019年にトップトレーサーを導入、内装をリニューアルするなどして女性の評価は高まっています」 2019年に「PALM SPRINGS Family restaurant &amp;Golf range」と名称変更。家族や女性目線を意識した。前田支配人は商圏について、 「地元の港北区が中心で7割以上ですが、都内からのアクセスも良いので世田谷からも来場されます。自社運営のスクールは生徒が150名以上、女性中心に増えています」 相原社長がポリシーを語る。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/03/2503shimasaki4.jpg" alt="" width="788" height="591" class="size-full wp-image-86811" /> パームスプリングス レストラン 「経営方針は“全員参加の手作り感動経営!”で、社員は家族と同じ。目標を達成する喜びを一緒に味わってもらいたいですね。練習場事業はサービス業ではなく、ホスピタリティ業だと思ってます。お客さんの立場で考え、女性、子供に優しい練習場。“PALM祭り”のように、子供がゴルフに触れるきっかけの場を提供したい。課題は、近隣に大型練習場があるので、当社の認知度をもっと上げることと、駐車場が不足していることです」 ゴルフ業界の課題の一つは女性ゴルファーを増やすことだが、パームスプリングスの成功事例には多くのヒントと可能性が詰まっている。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2025年3月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2025年04月04日
    埼玉県新座市にある「ウィンズゴルフステーション新座」は、関越自動車道の新座料金所を川越方面に向かってすぐの右側にあり、大きなネットとウィンズの看板が目印だ。3階161打席300ヤード、首都圏最大級の練習場である。 新座料金所の横に高速の出口はなく、練馬IC、和光IC、所沢ICからが便利。筆者は都心から車で訪れたが、練馬谷原交差点から15分のアクセスであった。 入り口からロビーに入ると天井が高く、開放的で明るい雰囲気。この練習場の成り立ちやコンセプトについて、同施設を経営する株式会社武蔵野・スポーツレジャー事業部の小棚木克之事業部長(ゴルフ練習場・ゴルフ場支配人)と、スポーツレジャー事業部ウィンズゴルフステーション新座の中村浩通副支配人に話を聞いた。取材場所は2階のロビー。以前は喫茶やレストランだったが、2017年からはベーカリーとして営業しており、練習場の利用者以外もパンを買いに足を運ぶ。 株式会社武蔵野は1967年12月に現取締役会長の安田定明氏が創業した。弁当・おにぎり・寿司・調理パン・調理麺等の製造販売と、スポーツレジャー施設の運営・管理が主業務の会社。全国に17工場、グループ企業5社を持ち、従業員1万938名(2023年3月現在)、売上高1671億9798万円(2023年3月期)の大手企業だ。 ゴルフ関連では練習場のウィンズゴルフステーション新座、ゴルフ場はロイヤルメドウゴルフ倶楽部(栃木)とオーシャンリンクス宮古島(沖縄)を経営している。 練習場の開業は1992年10月だが、ゴルフ練習場を開業した理由について小棚木氏は、 「創業者は、充実した人生を送るためには“食”と”癒し“が必要だと考えています。これを実現するために”癒し“の部分ではスパやゴルフレンジ、ホテルなどを運営。健康作りも視野に入れた施設やサービスの提供を行っているのです」 と説明する。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/03/2502shimasaki2.jpg" alt="" width="788" height="525" class="size-full wp-image-86820" /> ウィンズ 1階からの風景 株式会社武蔵野の社史には、安田興産(株)(現・武蔵野スポーツ事業部)が新座市に首都圏最大級規模のゴルフ練習場・ウィンズゴルフステーション新座を開業、と書かれてある。小棚木氏は、 「この辺りは畑だったと聞いていますが、私が入社する前だったので、当時の詳細は分かりません」 その後、1999年に一部のネットの鉄塔高さを45mから60mに伸ばし、翌年には全体を60mまで高くした。来場者にストレスなくボールを打ってもらうための投資だった。同氏は事業のポリシーについて、 「会社の経営哲学として、全スタッフが武蔵野イズムを共有しています。ウィンズでは、打席、フロント、スクール、インドアゴルフ、ベーカリーと、それぞれのチームが一丸となってベクトルを合わせて、一人ひとりが解決に向けて考え、行動する『全員経営』を標榜。目的を達成するためにみんなで協力しています。“至誠通天”誠を尽くせば願いは天に通じる、その心構えでお客様に接しています」 従業員は24名で、そのうち社員は8名。ボール回収などはシルバー人材を活用している。 インドアは女性比率3割 練習場のコンセプトは「ゴルフ村」を意識しているという。 「あそこに行けば何でもある、と思って頂けたら嬉しいですね。アウトドア、インドア、工房、ベーカリーも備えるゴルフ村のイメージです。練習場名は開業当時から変わらず『ゴルフステーション』としており、そのあたりに経営に対する考え方が表れています」 インドアの開業は比較的新しく2023年11月、別棟に8打席でオープンした。責任者の中村氏は、 「インドアは暑さ寒さに関係なく快適にプレーでき、若い方や女性の来場比率が屋外施設よりも高い。女性比率は30%です」 当初、インドア施設は駅前の出店が検討されたが、まずは練習場内での成功を目標に掲げた。300ヤードのアウトドアと、8打席のインドアを併設することで相乗効果が期待できる。インドアは同じ敷地で内部は木造、自然を感じさせる構造だ。こちらの施設名は「ウィンズファミリーゴルフ」となっており、3世代でゴルフを楽しんでもらいたいとの想いを込めている。 小棚木氏は、練習場経営のこだわりをこう話す。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/03/2502shimasaki3.jpg" alt="" width="788" height="591" class="size-full wp-image-86822" /> ウィンズ フロン・ロビー 「練習ボールは年1回、夏にダンロップの2ピースを25万球全部入れ替えています。同時にフェアウェイの整備、ネットやワイヤーの点検等を行いますが、お客様に迷惑をかけないよう、営業終了後にボールの入れ替えや点検をして、夕方には再オープンできる段取りです。接客にも力を入れており、チェックインは自動精算機を活用。空いた時間にお客様への挨拶だけではなく一言声かけるようにしています。グループでホテル経営をしているので、比較して練習場のDX化は遅れているように感じます。その点も、今後の課題だと思っています」 年間30万人以上が来場する大型練習場なため、商圏は半径10㎞と広い。地元の新座からが中心だが、都内からは近隣の練馬だけではなく杉並、世田谷からの来場もある。中心世代は50代で30%。前述のようにインドアの女性比率は高いのだが、全体としては15%である。 最後に、今後の課題をこう語る。 「若いうちにゴルフに触れられる環境をつくり、国民的なスポーツになってほしいですね。一部の人しかやっていないのが残念で、もったいないと思います。当施設では親子3世代の来場を促し、おじいちゃんやお父さんが子供に教える場を提供したい。インドアは初心者が入りやすいので、チャンスがあると思っています。将来のビジョンは、ゴルフと健康を結びつけること。ストレッチの大切さを提唱するなど、普段から健康を意識してもらえる施設を目指したいですね。健康が事業として成り立つよう、事業計画をつくっていきたいと考えています」 株式会社武蔵野は“癒し”が人生に不可欠な要素だとしている。ゴルフ事業を通じて「自分らしく・健康に過ごせる社会」の実現を目指す同社の今後に期待したい。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2025年2月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2025年03月23日
    「武里ゴルフセンター」は埼玉県春日部市大枝にある2階38打席120ヤードの練習場である。東武スカイツリーライン・伊勢崎線「せんげん台」駅から歩いて10分、練習場の名前になっている「武里」駅から12分の距離にある。筆者は都内から電車で向かったが、スカイツリーのある「押上」駅から「せんげん台」まで35分で、駅から練習場のネットが見えるため、迷うことなく練習場にアクセスできた。 練習場は線路のすぐ横に位置している。同施設の歴史やコンセプトについて、練習場に併設された昭和の香りが漂う「喫茶しんまち」で、ワイ・エム・スポーツ株式会社・武里ゴルフセンター取締役山内善正氏、次男の副支配人山内帝法氏に取材した。社長は母親で、長男が支配人の家族経営である。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/02/2501shima2.jpg" alt="" width="788" height="591" class="size-full wp-image-86546" /> 武里ゴルフセンター打席 開場は昭和44年(1969年)11月11日。当時、この付近は田んぼや畑に囲まれる農業地帯で、山内家もこの地で300年以上農業を営んでいた。練習場を開業した理由について善正氏は、 「昭和41年、線路を挟んだ向こう側に武里団地ができ、東洋一の団地と呼ばれました。ピーク時には2万人以上が居住。せんげん台駅は団地の完成に合わせて昭和42年に開業しています。当時は比較的生活に余裕のある若い世代の入居が多く、団地にゴルフ会ができ、練習場を近隣に作ってほしいとの要望が多かった」 その要望に応える形で、善正氏の父親が現在の土地を活用してゴルフ練習場を開業した。 昭和38年の団地建設に合わせて土地を売却し、タクシー事業も始めたため、資金は比較的潤沢だった。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/02/2501shima3.jpg" alt="" width="788" height="591" class="size-full wp-image-86547" /> 武里ゴルフセンター喫茶しんまち 「練習場建設には3000万~4000万円かかりましたが、銀行との付き合いもあり、資金面での苦労はさほどありませんでした」 という。タクシー事業はバブル時代に多忙を極めたが、人員不足もあり、他社に売却している。善正氏の父親はタクシー事業や、ロータリークラブの関係でゴルフをする機会が多く、練習場事業への参入障壁は低かったとか。現在2代目の善正氏もゴルフに親しんでいた。 そんな家庭環境から、善正氏は一時プロを目指し、大学を中退して2年間栃木CCで研修したが、22歳で身体を壊してプロを諦め、家業のゴルフ練習場に専念した。プレーはアマチュアとして続け、輝かしい戦歴の持ち主でもある。スポーツニッポンの内閣総理大臣杯争奪第28回日本社会人ゴルフ選手権に優勝(1997年)、その翌年には日本アマチュア選手権の決勝にも進出。鴻巣CCのクラブチャンピオンに6回、他のゴルフ場でもクラチャンに。 若き日の中嶋常幸プロもアマチュア時代にこの練習場へ足を運んだ。中嶋プロは、当時日刊スポーツが開催していた練習場対抗のゴルフ大会に「武里ゴルフセンター」からエントリーしていたという。 「武里ゴルフセンター」の名前は、「武里」は武里団地が出来てその名前に親しみがあり、また昔は武里村だったことから地名を取った。ゴルフ練習場よりも「かっこいい」と考えて「ゴルフセンター」に命名している。同施設の特色やポリシーについて、善正氏と帝法氏は異口同音にこう説明する。 「楽しくゴルフをやってもらうことに徹しています。特にプレー料金は平日、土日祝日も同一料金で、2時間打ち放題1400円(税別)等で提供しています」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/02/2501shima4.jpg" alt="" width="788" height="525" class="size-full wp-image-86548" /> 武里ゴルフセンター大枝公園サマーフェスタチラシ 商圏について帝法氏は、 「武里団地も含めて半径3~5kmぐらいの範囲ですね。足立区からも車でバイパスを利用したアクセスが良いので、日曜日などに来場されています。顧客年齢は、団地の住人が老齢化していますが、若い世代も増えて50代が中心です」 酷暑対策も課題 「武里ゴルフセンター」は開業から55年が経過しており、地元での知名度も高く、近隣の武里南小学校の職場体験の場になっている。昨年、次男の帝法氏と支配人の長男が話し合い、地元を盛り上げようと「大枝公園2024サマーフェスタ」を地元有志、自治体と連携して開催した。地元企業の協賛を得、屋台やスナッグゴルフでゲームを体験してもらうなど、地元を盛り上げた。 今後の課題は、開場55年が経過して施設(鉄塔)等の老朽化が進んでいること。塗装等のメンテナンスは逐一行っているが、建替えを含めて検討中。異常気象の影響で竜巻のような突風が吹くこともあり、風速12mになると自動でネットが下がるが、急激に吹き始めることがあり、 「怪しいと思ったら、その前にネットを下げる必要があります」 取材時も、関東の空っ風が強く、ネットを少し下げて営業していた。また、酷暑対策も大きな課題で、 「35度を超えると来場者が極端に減ります。気温は記録していますが、猛暑日も増えて尋常ではなく、このままでは営業形態を変えるなどの工夫が必要かもしれません。将来のどこかで建替えが必要になると思うので、単に建替えるだけではなく、例えば屋内型の練習場も含め、楽しんでゴルフを続けてもらう施策が必要でしょう。ゴルフ界全体としても、ゴルフの魅力をもっとアピールして、新規ゴルファーを育てなければと思っています」 と、頼もしい。大掛かりな設備改修は、コストの償却に長い時間を必要とする。屋外練習場の閉鎖が続く昨今だけに、この事業に対する情熱と覚悟が伺える。 「武里ゴルフセンター」は、開場後すぐに会社組織とし、先代から相続対策を含めて周到に準備。55年の歴史を後世につなぐ構えである。 武里団地も、老朽化対策としてMUJIとコラボ、リノベーションするなど、若い世代を積極的に取り込もうとしている。地元に根付くこの練習場と団地の連携も、遠からず実現するかもしれない。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2025年1月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2025年02月23日
    「ザ・ゴルファン」は千葉県印旛郡酒々井町にある2階64打席220ヤードの練習場だ。東関東自動車道・富里ICから車で5分、京成本線・公津の杜駅から徒歩10分と交通至便な場所にある。筆者が取材に訪れた時は夕方で、練習場フィールドの奥には森が広がり豊かな自然を感じられた。この練習場の成り立ちやコンセプトについて、エムエヌケー株式会社ゴルフ事業部ザ・ゴルファン支配人の及川嗣彦氏に取材した。 「ザ・ゴルファン」の開場は1995年6月である。練習場を創業したのは不動産及び地域開発、環境リサイクル事業などを営むエムエヌケー社の先代・神谷一雄氏だった。現在も94歳で会長を務め、ゴルフが大好きで、この地域でも事業展開していたことから練習場ビジネスに参入した。神谷会長は今もゴルフを楽しんでおり、及川支配人によると、 「90歳ぐらいまでは、もっと飛ぶように教えろ」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/01/2412shimasaki2.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-84739" /> ゴルファン 入り口 と、常に向上心をもっているとのこと。練習場の名前「ゴルファン」も神谷氏が考案。「GOLF+FUN」でゴルフのファンを増やそうとの思いが込められている。 開業当時は、国道51号線に隣接していることから「ゴルファン51」という名称だったが、2000年に現在の「ザ・ゴルファン」に改称。2018年4月からゴルフパートナーのFCとなり、ゴルフ用品の販売店として、練習場内に「ゴルフパートナー成田酒々井ザ・ゴルファン店」を開業している。 また、1995年6月に石川県でも、ゴルファン開場と同じ時期にザ・カントリークラブ・能登も開場するなど 、ゴルフ事業への熱い想いが伝わってくる。 及川氏が支配人に就任したのは2019年だが、それ以前からこの練習場に関わっており、今年で19年目。同氏はPGAティーチングプロA級の資格も持っている。 「私は高校で野球部でしたが、部活卒業の時に同学年の部員たちと、ゴルフをしてみようとホームベースから球を打ってみたんです。当時の4番バッターは空振りでしたが、自分が一番飛ばすことができて、ゴルフに興味をもちました。自宅の傍の四街道GCに飛び込みでバイトのキャディーから始め、その後社員となりプロを目指しましたが25歳で断念。ゴルフギアに興味があったので、クラブヘッドなどを扱うジオテックゴルフコンポーネントに就職。練習場内に出店する工房の1号店となったのがゴルファンで、そこでクラフトマンとして働き始めたのがゴルファンに関わった最初です」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/01/2412shimasaki3.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-84740" /> ゴルファン 打席 その後当時の支配人から誘われゴルファンに入社。工房のクラフトマンとして技術を磨き、支配人からティーチングプロの資格取得を勧められて42歳でPGAの資格をとった。 現在は支配人、スクールのティーチングプロ、クラフトマンという3足の草鞋を履いて、ギアとレッスンの両面からゴルファーをサポートしている。また、最近YouTubeを始めて、シャフトの試打インプレッションなどの情報を発信している。 地域貢献にも参加 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/01/2412shimasaki4.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-84741" /> ゴルファン 工房 同施設の商圏は、成田市・酒々井町及び近隣市町村で半径10㎞圏内だが、YouTubeを見た工房目当ての来場者も多く、都内や茨城からも足を運ぶ。その工房やショップの月商は500万円ほど。ゴルフパートナーでの商品販売とゴルファン工房でのシャフト、グリップ交換などでゴルファーの要望に対応している。 施設の特色やポリシーについて、及川支配人はこう話す。 「練習場、スクール、ショップ、工房が併設されているので、クラブの調整を含めて、ゴルフライフの全てをサポートできるのが特色です。ゴルフの敷居は高いので、入り口を下げたいと考えています。そうしないとゴルフは広まっていかない」 現在、年間の来場者数は約7万人で、60歳以上が45%、40~50歳代は33%、30歳代以下19%で、課題は来場者の高齢化だという。 「若年層が少ないのが課題ですね。私が練習場に入った時は30歳になる前でしたが、当時の中心顧客は働き盛りの50代で、今は70代になっている。なので、ゴルフの最初の一歩をサポートして、生涯の趣味として楽しんでもらえるよう、若い世代のゴルファーを育てたい」 ゴルフの普及を目的として、地域貢献にも取り組んでいる。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/01/2412shimasaki5.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-84742" /> ゴルファン 受付 「去年、近隣の公津の杜商店会に入り、10月に開催された公津フェスタに出店。パターのレッスンとゲームで子供がカップインするとお菓子をあげたり、ゴルフに触れてもらっています。また、近隣の国際医療福祉大学のゴルフ部の学生に練習場所を提供し、練習後にボール回収を手伝ってもらっています。今後の計画として、ゴルフ練習場の周りは桜がきれいなので、桜の花見会を開催し、ゴルフをやるやらないに関係なく、来場者に無料の練習券を配って、少しでもゴルフに親しんでもらうことを考えています」 スクールは及川支配人を含む4名のPGAティーチングプロが、ステップに合わせて様々なレッスンを行っている。通常は1クラス5名前後だが、ゴルフデビュー編や上達編、仲間づくり、キレイな体づくりなど多様な「課題」に合わせたカリキュラムを用意、ゴルフライフをサポートしている。初心者から上級者、女性やジュニアと細かなクラス分けが特徴だ。これに工房が連携して、クラブの面からも答えを導いている。 及川支配人が考える次の施策は、 「屋外練習場での酷暑対策として、空きスペースを活用したインドアでの練習や、屋内型のゴルフスクールも考えています」 近年の練習場経営は、打席、スクール、ショップの三位一体型が重視されているが、同社の場合は工房も含めて「四位一体」。そんなザ・ゴルファンの今後に注目である。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年12月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2025年01月19日
    昭和ゴルフは千葉県富里市御料にある。周囲には畑や牧場が広がる地域密着のゴルフ練習場だ。東関東自動車道の富里ICから車で10分、周辺にはゴルフ場もありゴルファーにとってはアクセスがよい。防球ネットがないフラットな350ヤードの打ち放しで、1階115打席の天然芝が広がる開放的な空間に年間13万人が来場する。敷地は駐車場や周辺の土地を含めて7万5000坪超。 打席からフェアウェイを初めて見た時、マスターズの舞台であるオーガスタナショナル・ゴルフクラブの練習場を彷彿させる広さと解放感が心地よかった。同施設の成り立ちやコンセプトについて川島哲也支配人に取材した。同氏は勤続25年、支配人になって13年目。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/12/2411shimasaki2.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="aligncenter size-full wp-image-84421" /> 昭和ゴルフの開場は1984年、元は馬の牧場跡地であった。成田空港にも近い富里は、馬の飼育で有名な地域。ここに練習場を造ったのは栃木県で運送会社を経営していた河上一吉氏(故人)であった。ゴルフ好きで、自分の楽しみのためにこの土地を1982年頃に購入し、自ら重機を運転して土地を開墾した。その造成中、知人達から、 「これだけ広い練習場ならビジネスとして成り立つのではないか」 と言われ、練習場経営を決めた。究極の道楽が、ビジネスになった。 当初は85打席でスタートしたが、折からのゴルフブームで打席待ちが出る盛況ぶりに、すぐ115打席に増設している。初代の河上社長はシングルの腕前で、鷹之台やカレドニアンのメンバーだっただけに練習場の向きも含めて設計に携わった。 経営は順風満帆で、朝から1時間待ちの行列はざら。営業は9時から深夜零時、1時まで延長することもあったとか。「昭和ゴルフ」の名称は、開業した昭和59年の年号から取ったのでは、との話である。 川島支配人の入社は1999年で、初代経営者・河上社長の時代だった。「雲の上の存在」だった河上社長は、しかし、本業の経営が厳しくなり、2002年に仕事の関係先だった古谷建設株式会社の古谷務社長に経営を委譲。河上氏のゴルフへの想いは強く、従業員を含めて練習場を残す形でのバトンタッチだったという。バトンを受けた古谷氏もゴルフへの造詣が深く、 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/12/2411shimasaki4.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="aligncenter size-full wp-image-84423" /> 「ゴルフ練習場を良くすることに熱心で、ほぼ毎日顔を出され、2010年にクラブハウスを増設、2019年には照明をLED化しています。打席から先は天然芝が350ヤード広がっており、芝の手入れは近隣のゴルフ場を管理している会社に委託。そのため、ゴルフ場のフェアウェイと同等の緑を確保しています」(川島支配人) 経営母体の古谷建設は、経営理念として「優れた施工とサービスで顧客を創造する」を掲げている。1967年に運送業を立ち上げ、現在千葉県を中心に総合建設会社として発展中。その発展を後押ししたのは、手間がかかっても、とにかく綺麗なものに仕上げようという意識であった。その方針が練習場経営にも生かされており、川島支配人は、 「とにかく練習場をきれいにすることと、分け隔てのない接客を心掛けることが、2代目の経営者から引き継がれています」 とのことで、練習場の導入路から綺麗に清掃されているのが印象に残った。2代目社長の古谷務氏は昨年他界され、3代目の古谷秀一氏が経営を担っている。 <h2>ドラコンプロお断り</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/12/2411shimasaki3.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="aligncenter size-full wp-image-84422" /> その昭和ゴルフの特長は、 「言うまでもなく、ゴルフ場と変わらない350ヤードのフェアウェイです。ゴルフ場と同じ環境で打てることが当社の魅力ですが、創業時からゴルファー目線も大事にしてるんですね。例えば、自動ティーアップ機は導入していません。創業者の河上社長のこだわりで、実際のプレーではゴルファー自身がティーアップするので、より実践に近い形で練習できるようにとの配慮です」 価格を抑えて練習に打ち込めるよう、入場料300円、貸しボール200円/50球で、打席料、照明料、貸しクラブは無料。 「1コインから練習ができる環境を提供しています」 現在はICカードだが、5年前まではプリペイドカード式で、さらにそれ以前はコインで球貸しする方式であった。 ただ、素晴らしい環境ゆえの悩みもある。入り口に表示されている「ドラコンプロお断り」の張り紙である。この練習場環境を知って、ドラコンプロが来場し、350ヤードを超える打球が場外へ飛び出す事例が多発してしまったのだ。 「使用ボールは1ピースなので、試合球ほど飛びませんが、それでも350ヤードを超える球が打たれてしまいました。現在、ドラコンプロは来場していませんが、それでも腕自慢が来場して、350ヤード先の畑に行ってしまうことがあります」 と、川島支配人は苦言を呈する。LED照明に照らされた美しい緑のフェアウェイを、幻想的に飛んでいくボール。飛ばし自慢には最高の環境が徒になった格好ではある。 スクールは実施しておらず、プロが個人で場所を借りてレッスンする方式だという。練習場の課題について、川島支配人は、 「昭和ゴルフの来場者は上級者が多く、敷居が高いと思われています。初心者や女性が来やすい環境をどう整えるかが今後の課題。また、練習ボールは18万球で運営してますが、他の練習場と同じで入れ替え用ボールの納期に時間がかかり、交換のタイミングが延びていることも悩みのひとつですね」  設備的には、アプローチ、バンカー、パッティンググリーンがないので、将来的には敷地の広さを生かして設けたいという。これ以上望めないほどの広いスペースがあるだけに、ゴルフ界としても今後様々な活用法が期待できそうだ。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年11月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年12月20日
    桜宮ゴルフクラブは、大阪市都島区にあるゴルフ練習場である。アクセス抜群で、JR環状線・京阪・地下鉄の「京橋駅」、JR東西線「大阪城北詰駅」、JR環状線「桜ノ宮駅」からそれぞれ徒歩10分、大阪梅田からも約4Kmの場所にある。 クラブハウスは天井が高く明るく、受付スタッフが笑顔で迎えてくれた。120ヤード3階94打席で、年間13万人以上が訪れる。正三角形の独自の形をした敷地にある同施設の成り立ちやコンセプトについて、桜宮ゴルフクラブ株式会社・取締役会長・川﨑益彦氏、代表取締役社長・川﨑博之氏に話を聞いた。取材場所は練習場横の川﨑益彦氏が代表取締役を務める大阪冷蔵株式会社の事務所。この会社名に同練習場の成り立ちの歴史が刻まれている。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/11/2410shimasaki2.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-83897" /> 桜宮ゴルフクラブ 大阪冷蔵定款 桜宮ゴルフクラブが開場したのは1992年である。この事業の始まりは、1898年に鳥取で日本初の冷蔵倉庫を開業した日本冷蔵商会に始まる。1905年に会社・工場を神戸に移し、更に1906年現在の練習場がある大阪に日本冷蔵倉庫合資会社として移転。冷凍設備を利用した「凍り豆腐(高野豆腐)」の製造を主力事業とし、冷蔵倉庫、製氷も行っていた。会社は1909年に大日本冷蔵株式会社として登記されている。川﨑家は代々この会社の経営には携わっておらず、堺で乾物・海産物卸を生業としてきた。川﨑会長の祖父・徳次郎氏が、同社の「凍り豆腐」を大口で取り扱っていたことから経営に参画し、その後同社の株式を取得したという経緯。 戦前は軍需用の凍り豆腐を製造しており、戦後1950年に大阪冷蔵株式会社に社名変更。主力の「凍り豆腐」は競合が増え、過当競争による価格暴落もあり、徳次郎氏は大阪冷蔵の再建を考えて1951年に凍り豆腐事業から撤退を決めた。 徳次郎氏の息子で、川﨑会長の父の益男氏が1952年大学を卒業、大阪冷蔵に入社した。益男氏は学生時代から新しい事業に挑戦する夢を持ち、アイススケートが流行ると考え徳次郎氏に提案した。凍り豆腐事業から撤退したタイミングで、工場跡地の活用、新規事業を考えていたため、アイススケートリンク事業への進出を決めた。大阪冷蔵の製氷技術をそのまま生かせ、京橋駅から近い地の利も幸いした。1953年3月別会社として、桜宮スケートリンク株式会社を設立、10月に現在の練習場と同じ場所に開場。大阪で5番目のスケートリンクであった。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/11/2410shimasaki3.jpg" alt="" width="898" height="973" class="size-full wp-image-83898" /> 桜宮ゴルフクラブ スケートリンクの歴史 開業から2年間は赤字だったが、1955年には予想通りブームとなり、入場待ちの行列ができる盛況ぶり。ところが、開場して20年が経過し、70年代後半になるとレジャーの多様化や競合でスケート事業は不振に陥る。1982年に川﨑会長が大学卒業、三洋電機に勤務後大阪冷蔵へ入社、会社全体の改革に着手。 当時、冷蔵倉庫やスケートリンク事業など会社全体として赤字体質に苦しんでいた。さらにバブル経済の中、1990年土地基本法の施行、税制改正があり、固定資産税が3・5倍になる。事業を整理して土地活用を考え、1992年桜宮スケートリンクは39年の歴史に幕を閉じ、ゴルフ練習場事業へ転換した。 川﨑会長が理由を話す。 「三角形の2500坪の土地は一筆で価値があり、更に練習場として打席が広くとれ、フェアウエイは三角形なのでボールが集めやすいメリットもあります。また、ゴルフ練習場を賃貸する場合、フェアウエイが主体で駐車場と同じ扱いだから借地権が発生しない。いつでも次の事業に活用できるメリットもある」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/11/2410shimasaki5.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-83899" /> 桜宮ゴルフクラブ 三角形のフェアウエイ そこでまず、ゼネコンから練習場運営会社を紹介され、練習場設備を大阪冷蔵が建設して大家となり、練習場運営会社から家賃収入を得るモデルで1992年11月に開業。運営会社が設計した練習場は、鉄塔の間隔が8mの贅沢な仕様で、既存の事業整理を含めて10億円以上の投資だったが、運営会社からの家賃収入は投資回収するのに十分な金額だったという。が、その後経営不振で家賃の支払いが滞り、1998年から直接経営を始めている。 ゴルフウエアの古着を寄付 桜宮ゴルフクラブの名称は、近隣に桜宮神社があり、桜宮スケートリンクの名前をそのまま引き継いでいる。直接経営を始めてから改革に取り組んだのがスクールだった。 「スクールは、新規で毎月30人入るけど30人やめる状況でした。そこでプロが独自で開講していたスクールを桜宮ゴルフスクールに統一し″お好きな時間に、お好きなプロに”のコピーで、生徒がプロを自由に選べるようにしたのです。その結果ゴルフスクールの定着率と売上が順調に伸び、経営改善に貢献しました。また、従業員の提案でISO9001を取得。一貫した従業員教育でサービスの質を向上させ、お客様に喜んでもらえるゴルフ練習場を目指しています」(川﨑会長) その中で、顧客サービス基本方針を定めた。全文は割愛するが、 《当社はお客様が元気に楽しくゴルフを練習できるサービスおよび環境を提供します。そのために、スタッフ全員が笑顔で誠実におもてなしをいたします》 を掲げている。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/11/2410shimasaki4.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-83900" /> 桜宮ゴルフクラブ 受付 2010年にクラブハウスをリニューアル、2019年には健康増進のための低酸素・高酸素ジムAORもオープンした。社会貢献として、ゴルフウエアの古着を集め、釜ヶ崎の労働者に寄付する活動を10年前から始め、関西ゴルフ練習場連盟も巻き込んで実施している。 今後の課題について川﨑社長は、「若い世代のリピート率を上げ、スクールの定着率を上げていくこと」 と回答した。次代を担う同氏は「ゴルフと健康」にも学術的に取り組んでいるという。川﨑会長、川﨑社長とも大学は理科系だけに、合理的かつ新しい切り口で練習場業界に新風を吹き込んでいる。「元気に楽しく」という言葉が、練習場活性化のキーワードになると感じた。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年10月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年11月17日
    ニッケゴルフ倶楽部コルトンセンターは、千葉県市川市鬼高にある200ヤード、2階80打席の練習場である。京成鬼越駅より徒歩6分、JR本八幡駅・下総中山駅より徒歩12分、車でも京葉道路の市川ICから2㎞とアクセス抜群な場所にある。ショッピングモールのニッケコルトンプラザに隣接しており、賑わいのある街に位置している。その成り立ちやコンセプトについて、同施設を運営する株式会社ニッケウエルネス・執行役員・ゴルフ事業部部長の小林ひとみ氏に取材した。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/10/2409shimazaki2.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-83587" /> ニッケゴルフ倶楽部コルトンセンター入り口 ニッケゴルフ倶楽部コルトンセンターは1988年に開場している。「ニッケ」は日本毛織株式会社の通称で、1896年創業の100年企業だ。現在、ニッケグループは祖業である毛織物業から「みらい生活創造企業」を目指して多様な事業を展開中。ニッケウエルネスは「人とみらい開発事業本部」に所属するニッケのグループ企業である。 ニッケがゴルフ練習場事業に参入したのは1971年のこと。ニッケグループが保有していた兵庫県明石にあった土山牧場(5・5万坪)の土地を有効活用して、収益性の高い事業を模索する中で、ゴルフの大衆化という時代の要請もあり、9ホールのショートコース・土山ゴルフ場と、50打席の練習場・ニッケ土山ゴルフセンターを開設したのが始まりだ。その後工場跡地、遊休地を活用して、1972年ニッケ京口ゴルフセンター、1983年ニッケ加古川ゴルフセンター、1986年ニッケ弥富ゴルフコース、1987年ニッケ岐阜ゴルフセンター、1988年ニッケコルトンゴルフセンター(現ニッケゴルフ倶楽部コルトンセンター)を開場。合計8拠点のゴルフ施設を運営している。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/10/2409shimazaki3.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-83589" /> ニッケゴルフ倶楽部コルトンセンター受付 今回取り上げるニッケゴルフ倶楽部コルトンセンターは、ニッケの中山工場跡地(5・1万坪)である千葉県市川市の中心帯の土地活用から生まれた。この地域でニッケの50年以上にわたる地元とのつながりを踏まえ、市の発展につながる商業施設と地域コミュニティの中心としての役割、レジャー・スポーツ・憩いの広場を提供し、地元との一体感を醸成するなど、多様な開発計画の一環としてゴルフ練習場が組み込まれた。1988年に商業施設のニッケコルトンプラザが誕生し、その付帯施設という位置づけである。 開業当初は「ニッケコルトンゴルフセンター」の名称だったが、2020年にスポーツ事業をニッケウエルネスにまとめ、それ以前の2018年に練習場をニッケゴルフ倶楽部に統一、現在の名称になっている。 練習場や商業施設に付記される「コルトン」は、米国カリフォルニア州ロサンゼルス郊外のサンベルナルディーノ市内のリゾート地・コルトン地区に由来している。東京都心と市川市の位置関係が、コルトン地区の所在地と似ていることが命名の理由。また、「COLT」は英語で子馬の意味で、「緑」「水」「生活」のバランスがとれ、シティーリゾートとして成長・発展したいとの願いが込められている。 シニアと若者を大切に <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/10/2409shimazaki4.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-83590" /> ニッケゴルフ倶楽部コルトンセンター・打席 「ニッケ全体として、天然芝のフィールドを特色にしています。ここも150ヤードまでは天然芝。解放感を楽しみながら、ゴルフ場に近い環境で練習でき、アプローチ練習にも有効だと思っています」 と、小林部長は強調する。 ニッケウエルネスのコーポレートミッションとして“人びとの健康とスポーツの未来に貢献できる「スポーツのチカラ」を創造する”があり、“地域に根差した企業として、子供からお年寄りまでの体作りをサポートしていく”との方針がある。 「長くゴルフを続けて頂くために、2019年から練習場内でコンディショニングスクールを運営。ケガをしない体をつくって、長く健康でゴルフを楽しんで頂きたい」 コンディショニングスクールはインストラクターが指導するが、会員はスクール時間外も自由に可動域と柔軟性を高めるストレッチ機器等を使用できる。この考え方は練習場の営業方針にも反映されており、基本的に通常営業は球貸しのみで打ち放題はやっていないが、 「若い世代にはゴルフを始めてもらい、シニア世代にはゴルフを続けてもらいたいとの思いから、75歳以上と、18歳~29歳の世代には90分打ち放題を実施しています」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/10/2409shimazaki5.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-83591" /> ニッケゴルフ倶楽部コルトンセンター・案内板 年代別の来場者は、50代:28%、60代:20%、40代:17%、30代:13%の順で、18歳~29歳の打ち放題利用者が徐々に増えているとか。女性比率は15%となっている。 商圏は練習場を中心に5㎞圏内をカバー。市川市を中心に江戸川より東側で、商業施設のコルトンプラザに家族で買い物に来た時に、練習場へ立ち寄るパターンもある。 スクールはブリヂストンゴルフアカデミーを導入し、生徒数は500名以上。ゴルフ用品の販売にも貢献している。また、全店共通の「ニッケスコアアップシステム」を独自に開発。レベル1~9までをスコアで分け、レベル1がコース未経験者、レベル9が74以下のスコアが対象。ステップアップを実感することで、モチベーションの維持やスクール継続に役立てている。 小林部長は今後の課題について、 「ゴルフ人口減少の中で、まずは現状維持が大切です。そのためにはシニアを大事にすること、若い方にもスポットを当てることです。ゴルファーを生み出し、継続してもらうためには、ゴルフスクールの活性化が大事だと考えています。また、開場から年数が経っているので、事業継続のためにも施設老朽化が課題となっています」 近年、企業系の練習場は閉鎖傾向が目立っている。そんな中、ニッケグループが掲げる“人びとの健康とスポーツの未来に貢献”は、ゴルフ界にとって光明であり、確立された収益モデルは他施設の参考になるだろう。この事業の発展を願う。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年9月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年10月20日
    ベストゴルフ水戸は、那珂川沿いの茨城県水戸市水府町にある、180ヤード160打席のゴルフ練習場。那珂川に向かって打つ打席配置で、県内最大級のフィールドが持ち味だ。筆者は都内から車で取材に行ったが、都心から2時間の距離であった。水戸駅からも2㎞圏内だから、車で5分のロケーションである。 商圏は北側のひたちなか市、日立市、南側は水戸市内、西は笠間市と車社会ならではの広さである。そのため駐車場は打席数と同じ160台分用意されている。同練習場の成り立ちやコンセプトなどについて、株式会社ベストゴルフ水戸の大内智充支配人に取材した。 ベストゴルフ水戸の親会社は、茨城トヨタ自動車株式会社である。茨城トヨタグループ18社の中の一つで、茨城トヨタ100%出資の関連会社だ。練習場の代表者は、茨城トヨタの幡谷浩史会長である。 茨城トヨタは1943年、茨城県自動車配給株式会社として設立され、1948年に茨城トヨタ自動車株式会社に社名変更、現在に至る。1955年、経営不振に陥っていた同社を先々代の幡谷仙三郎氏に経営委譲している。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/09/2408shimasaki2.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-82925" /> ベストゴルフ水戸 外観 幡谷仙三郎氏は1893年、現在の東茨城郡小川町幡谷に生まれた。幡谷家は当時、醤油醸造などの事業で財をなし、仙三郎氏は早稲田大学卒業後、家業を継ぎ、様々な事業を興したという。茨城県商工信用組合(現茨城県信用組合)の設立や、地元の小川町町長、茨城県議会議員も務めている。 自動車産業の将来を早くから見抜き、茨城トヨタの経営に乗り出した。1981年に他界、2代目の浩史社長(現会長)が継承し、2004年に3代目の史朗社長となった。ベストゴルフ水戸は茨城トヨタグループの一員であり、関連会社の全体会議(月1回)に大内支配人も出席している。その茨城トヨタグループの基本は自動車関連事業だが、ゴルフ練習場と他1社だけが異業種となる。なぜ、自動車ディーラーが練習場事業に乗り出したのか? ベストゴルフ水戸の前身は、同じ場所で営業していた練習場・水府ゴルフであった。およそ60年前の開業だが、経営不振に陥っていた。その立て直しを前オーナーから頼まれたのが、当時茨城トヨタの社長だった浩史氏である。同氏が練習場の経営を引き受けたのは、ゴルフ好きだったことも理由の一つで、近隣のゴルフ場の役員なども務めていた。 練習場経営に本腰を入れるため、1987年2月に株式会社ベストゴルフ水戸を設立。以前の水府ゴルフは、那珂川と平行に打つ打席配置であったが、フィールド、打席、クラブハウスを新築し、1988年7月に新規開業した。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/09/2408shimasaki3.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-82927" /> ベストゴルフ水戸 打席間隔3m 大内支配人は、茨城トヨタで県内の店長などを歴任。4年前に現職に就いたが、歴代の支配人も同様であった。同氏は自動車営業で培ったのか、物腰のやわらかい紳士的な雰囲気で、ゴルフ業界人とはどことなく違う。同氏の話。 「以前は、営業の一環としてゴルフに親しむ程度でしたが、自動車ディーラーが経営する練習場ならではの使い方として、駐車場で自動車の展示・販売会などもしています。ゴルフと自動車は親和性が高いので、このあたりはグループの強みを生かしています」 練習場が開催するコンペには、練習場のスクール生だけではなく、グループ関連の顧客も参加するため、ゴルフ場を借り切って、自動車を展示することもある。 ふれあい第一主義 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/09/2408shimasaki6.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-82929" /> ベストゴルフ水戸 創業当時の航空写真 ベストゴルフ水戸の名前の由来は、NHK教育テレビのスポーツ講座で「ベストスキー」「ベストゴルフ」などの番組があり、初心者も含めて親しみやすい名前であること。事業を引き継ぎ、ベストを目指そうとの思いで浩史会長が命名した。 調べてみると、「ベストゴルフ」は教育番組の「趣味講座」で1982~1996年まで10期にわたって放送されていた。杉本英世、杉原輝雄、倉本昌弘、岡本綾子ら錚々たるプロが講師となり、ゴルフの楽しさやスイングの基本、コース攻略法まで、初心者がゴルフを学べる内容であった。 ベストゴルフ水戸の特長について、大内支配人がこう話す。 「特長は、アナログなことです。人と人のつながりを大事にしているので、自動チェックインは考えていません。打席の案内は、必ずフロントでカートリッジを手渡します。『いらっしゃいませ』で始まり『ありがとうございます』で終わる。心のこもった挨拶を大切にしています」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/09/2408shimasaki4.jpg" alt="" width="1000" height="667" class="size-full wp-image-82928" /> ベストゴルフ水戸 打席球貸し 筆者が取材で訪れた時も、フロントの挨拶が心地よかった。ベストゴルフ水戸のポリシーとして、挨拶を含めたコミュニケーションを大事にする。顧客一人ひとりを大切にする自動車ディーラーならではの経営理念かもしれない。 「特に初心者は、初めての練習場で緊張するそうです。そこのシステムがわからないことも多く、スタッフがいなければ悩んでしまう。フロントで『いらっしゃいませ』と声をかければ、わからないことも訊ねやすい。安心できると思います」 施設の特長は広々とした練習環境で、浩史会長は開業時から、クラブの長尺化を予測して打席間隔を3mにした。2階建て各階80打席の180ヤードで、フィールドは天然芝。ゆったりとした開放的な雰囲気が持ち味である。ただし、今後に課題はあるという。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/09/2408shimasaki7.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-82931" /> ベストゴルフ水戸 バンカー 「人の確保です。年々難しくなっており、インストラクターも高齢化しています。施設も徐々に経年劣化しており、保守・修繕が引き続き必要です。練習場業界全体の課題としましては、団塊の世代のリタイアが見えており、幅広い裾野と次世代の育成が急務だと思っています」 企業が経営する練習場も、経営環境の変化から近年は閉鎖が目立ちはじめた。茨城トヨタが経営する同施設には「顧客目線」の精神が息づいており、地域に愛される練習場として末永い継続を期待したい。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年8月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年09月15日
    「ジャック・ニクラスゴルフセンターつくば」は、1985年に「科学万博つくば」が開催された跡地に建設された科学万博記念公園に隣接、茨城県つくば市水堀大塚に位置している。つくばエクスプレスの万博記念公園駅から徒歩15分、つくば中央インターから車で5分の便利な場所にある。建屋入り口の外観はお洒落な別荘風で高級感があり、ジャック・ニクラスの名前に相応しい雰囲気を漂わせている。 その成り立ちについて田辺正博支配人に取材した。 同練習場はその名が示す通り、ゴルフの帝王・ジャック・ニクラスが監修、1992年に開場した。ニクラスのメジャー大会18勝は、タイガー・ウッズ(15勝)も破れなかった金字塔だ。設立時は三菱商事とサントリーが出資した会社が運営し、社長は三菱商事から、支配人はサントリーからという体制であった。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/08/2407shimasaki2.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-82452" /> 2_ジャック・ニクラスゴルフセンターつくば 開業ニクラス来場 なぜ、ニクラスの名前を冠したゴルフ練習場が出来たのか? 実は、サントリーは1984年にマグレガージャパンの株式を75%取得しているが、ニクラスは『ターニー』などマグレガーのクラブを愛用し、米国マグレガーの経営にも関わっていた。当時サントリーの副社長だった鳥井道夫氏はゴルフ事業に関心があり、ニクラスとは個人的にも親しかった。その関係で、米国のジャック・ニクラスゴルフアカデミーのノウハウを導入。そのような流れが練習場開業の背景にある。 当時マグレガージャパンはサントリーのゴルフ事業部門といった位置づけで、男子ツアー「サントリーオープン」の運営にも関わっていた。田辺支配人は大学を卒業後マグレガーに入社してすぐ、研修を兼ねてこの練習場に1年間出向していた。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/08/2407shimasaki3.jpg" alt="" width="1000" height="707" class="size-full wp-image-82454" /> ジャック・ニクラスゴルフセンターつくば 初期パンフレット 「ジャック・ニクラスゴルフセンターつくば」が1号店で、東京の大森に2号店もできたが、バブル崩壊の影響もありそれ以上の展開は見送られた。その後、三菱商事、サントリーは撤退し、もともとこの施設を所有していた地元のつくばゴルフガーデン株式会社が運営している。 田辺支配人は10年前にこの練習場に再就職、5年前から支配人を務めている。同社はジャック・ニクラスの商標を、米国のゴールデンベア・インターナショナル・インクからライセンスの許諾を受けている。大森店は別の経営になり、練習場の名前も変わっている。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/08/2407shimasaki4.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-82455" /> ジャック・ニクラスゴゴルフセンターつくば ミスト設備 打席は2階84打席240ヤード。ニクラスのコンセプトで、コース同様のアンジュレーションを持つフェアウェイ、ターゲットグリーン、バンカーが巧みに配置され、打席ごとに景観が変わり、「狙い」「アドレス」の戦略的な練習ができるように設計。打席から見るとゴルフ場で打っているのと同じような感覚だ。 現在、日本でジャック・ニクラスの名前が付いたゴルフ練習場はここだけである。スタッフウエアの胸には、ニクラスがパターを入れた瞬間の刺繍があしらわれている。1992年10月の開所式には、ニクラスが来場し始球式を行った。その写真がフロントに飾られ、クラブハウスのそこかしこにニクラス関係の写真が見られる。田辺支配人は、 「ニクラスは年配の皆さんはご存じですが、若い20代では知らない方が増えてきています」 と、時代の流れを感じている。 バンカーの砂にもこだわる 随所にこだわりが感じられる。 「お客様にゆったりと過ごしていただきたいので、打席幅は2.7mと広く、椅子も木製で、2人掛け用も一定間隔で配置しています。ボールのオートセッターは、この地域では少ないですね。レストランやヨガスタジオ、カイロプラクティックの併設も特徴で、ゴルフに関係なく来場される女性の方も多いんですよ」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/08/2407shimasaki5.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-82456" /> ジャック・ニクラスゴルフセンターつくば 野菜販売 レストランでは地元の野菜や和菓子なども販売され、クラブ工房も併設されている。 「エリアでナンバーワンの練習場を目指しています。建屋などの設備に負けないよう、スタッフの接客などソフト面も充実させたい。マットとボールを常に綺麗にすることを心掛けており、ボールは毎年少なくとも3万球は交換しています」 打席の横には屋根付きのバンカーも備えており、 「こだわっているのは茨木県高萩産の砂で、近隣の茨城ゴルフ倶楽部や東筑波カントリークラブで使われているのと同じ砂で練習できます」 また、夏でも快適に練習できるよう、10年以上前から全打席にミスト設備を設置。井戸水の使用でコストも抑えられるとか。冬の寒さ対策として遠赤外線の暖房を天井に設置。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/08/2407shimasaki6.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-82457" /> ジャック・ニクラスゴルフセンターつくば ジュニアスクール そもそも練習場の始まりはスクールで、現在3名のJPGAティーチングプロが、ジャック・ニクラスゴルフアカデミーの認定プロとして教えている。スクール生専用のアプローチエリア、バンカー、パター練習場など充実した設備を備え、実技前の座学用の教室もある。スクールは8回がワンクールで年に6期あり、開業から190期を数える。女性ビギナーのための基本レッスン、より高いレベルの安定したスコアを目指すレッスンやジュニアコースなど、多様な6コースで対応する。 新規の来場者が多いのも特徴で、学園都市に位置するため来場者の中心は40~50歳。この練習場事業を健康産業の一環として地元つくばに貢献したいとの思いが強く、60歳以上のシニアには価格を低く設定している。課題について田辺支配人は、 「開場から30年以上経過して、設備の維持・メンテナンスをきちんとしなければなりません。ゴルフ人口の減少をどうやって食い止めるかも課題です。一練習場としてやれることは限られますが、接客で敷居を低くして若い人が来やすくする、コミュニティ誌に練習場の情報を掲載してゴルフに興味を持ってもらえるよう努力しています」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/08/2407shimasaki7.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-82458" /> ジャック・ニクラスゴルフセンターつくば 外観 ゴルフ振興のためにも、若い世代が集う筑波学園都市の「ジャック・ニクラスゴルフセンターつくば」が賑わうことを期待したい。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年7月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年08月18日
    都内から約1時間、常磐自動車道の柏インターから約20km、国道16号線から少し入った千葉県柏市増尾に「美里ゴルフセンター」はある。近隣は学校、公園、城跡などがあり、車でのアクセスがよい。2階54打席230ヤードのメインレンジとは別に、フィールドを直角に共有する1階19打席180ヤードのノースレンジがあり、主にスクールやアプローチ、バンカー練習で使用する。同施設の成り立ちやコンセプトについて、美里ゴルフ株式会社の代表取締役会長・伊能一郎氏、支配人・金田二郎氏に取材した。金田支配人は伊能氏の二女と結婚している。 開業は1969年4月で、創業者は伊能会長。伊能家は代々この地で農業を営み、伊能会長で20代目。同氏が練習場経営のきっかけを話す。 「父親の代まで農業を営み、私も農業を継ぎましたが、若い頃に家を離れ、横浜で社長の運転手をしていた時期があったんです。そのとき、ゴルフ練習場にも行きましてね、『面白そうだな』と思ったことが、家業に戻ってからも頭に残っていた。もともとスポーツ好きで、ボクシングなどの経験もあったので、農業以外の事業も考えていました」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/07/misato2.jpg" alt="" width="788" height="591" class="size-full wp-image-82153" /> 美里ゴルフセンター 打席 転機は1967年、伊能家の土地の一部をニッカウ井スキー株式会社が買収したいとの話があり、売却した。現在もニッカウ井スキーの柏工場が近隣にあるが、売却のタイミングで父親を説得し、売却資金を元にゴルフ練習場経営を決断した。他の練習場を調べ、土浦で練習場を始めたばかりの施設にも日参して、 「柏なら場所柄いいんじゃないか」 と太鼓判を押され、確信した。 ただ、当時は伊能会長も父親もゴルフの経験は全くなかったという。 1969年4月、伊能会長が24歳のときに1階30打席230ヤードで開業。開場式には茨城ゴルフ倶楽部の関水利晃プロが来場し、 「プロの打球の凄さに驚きました。自分も開業式で振ったんですが、3回も空振りしてしまった」 と苦笑いを浮かべる。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/07/misato3.jpg" alt="" width="788" height="591" class="size-full wp-image-82154" /> 美里ゴルフセンター 外観 当初は農家をやりながらの「兼業練習場」だったが、以後、ゴルフブームの到来で来場者が増え、開場から2年後には農業を止めてゴルフ練習場を専業とした。 この間、伊能会長はゴルフの魅力にハマっていき、25歳のときに、 「プロになりたい」 と一念発起。ゴルフと無縁だった素人が練習場経営を機にプロを目指すという、異例の経営者と言えるだろう。全日本ゴルフ練習場連盟の研修会などで腕を磨き、プロテストを受けるも、9回落ちた。 「それで名前を『一郎』から『伊知郎』に変えましてね、そのせいかどうか、10回目のテストで念願が叶った。1980年、35歳の時です」 プロになるまで10年間、本気度が伺える話である。 ツアーでは未勝利だが、何試合かは上位に食い込み、注目を浴びた。1996年にはシニアツアー「第一生命カップ」で4位に入った。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/07/misato7.jpg" alt="" width="788" height="591" class="size-full wp-image-82157" /> 美里ゴルフセンター フィールド 「自分は遅くしてゴルフを始めたから、この成績で終わったのかもしれない。もっと早く始めたら、もっと上にいけたかも……」 との思いがあり、若い人にゴルフ練習場に来てほしいとジュニアスクールも開校。この練習場から多くのプロゴルファーを輩出している。 「その結果、近隣の練習場よりも、来場者は多いと思いますよ」 ツアープロが経営する練習場は、ひと味違うのだろう。多くの上級者が集い、金田支配人も日大ゴルフ部出身で、この練習場に足繫く通う一人だった。それが縁で伊能会長の二女と結婚し、息子の金田直之氏もプロゴルファーとなっている。 孫はショップの店長 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/07/misato4.jpg" alt="" width="788" height="591" class="size-full wp-image-82155" /> 美里ゴルフセンター ジュニアレッスン 美里ゴルフセンターの名称は、伊能会長が命名した。元々、この界隈の地名は柏市増尾字本郷だから「増尾ゴルフ」にしたかったが、ほかに同業で「増尾ゴルフ」があり、本郷の「郷」と「美」を合わせて「美郷ゴルフセンター」とした。ただ、オープン直後に父・健喜氏が「字数が良くない」と主張。同じ発音で「美里」に変えた経緯がある。最初、ゴルフ練習場に反対した父親だったが、息子の事業に成功してもらいたいとの思いが伝わってくる。 経営は順調で、開業から5年後に打席を増設。営業しながら、打席の後方に2階建ての打席を新設し、クラブハウスも改修。1997年にはノースレンジを増設した。直近ではネットの自動昇降機も取り付け、安全にも配慮している。 美里ゴルフセンターの特色・ポリシーについて、伊能会長は、 「ゴルフを通じて人を育てたい。ゴルフは英国発祥の歴史の長い素晴らしいスポーツなので、この練習場を起点にして広げていきたい」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/07/misato6.jpg" alt="" width="788" height="591" class="size-full wp-image-82156" /> 美里ゴルフセンター ショップ 練習場事業の基本的な考え方は、 「ゴルファーが研鑽する場であるとともに、新たにゴルフを始める人の上達の場でもあるので、事業の継続が何よりも大事だと考えています」 また、金田支配人は、 「お客様に来て頂けることへの感謝の気持ちと、初心者のお客様にはきちんと対応して不安を解消することがモットーです。練習場は打席、スクール、ショップの三位一体が大事で、ゴルファーを育てるためにもそれが必要だと思ってます」 と強調する。スクールは伊能プロの弟子のティーチングプロ6名が美里ゴルフジュニアアカデミーを展開中。また、ショップについては2011年からゴルフパートーナーのフランチャイズとして自社で経営しており、伊能会長の孫の伊能智規氏が店長 を務めている。 商圏は柏市、流山市、我孫子市を中心に年間11万人以上の来場者がある。10年を費やしてプロになった伊能会長の人柄が慕われ、地域に根差した練習場だ。次世代のプロやティーチングプロを輩出し続けるこの場所が、末永く地域に愛されることを筆者は願う。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年6月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年07月21日
    イトーゴルフガーデンは、東京都武蔵野市関前にある2階建て57打席150ヤードの練習場だ。井の頭通りに面しており、道を挟んで東京都水道局と境浄水場がある緑豊かな環境である。取材は平日の午前中だったが、1階打席は満員で、朝から賑わいを見せていた。 筆者は都内から車で訪問したが、交通のアクセスも良く、また、三鷹駅北口からバスで10分程度の立地。ちなみに境浄水場は1924年に通水した、日本で最大規模の緩速濾過方式の浄水場で、沈殿・濾過・殺菌処理された水は、千代田・渋谷・世田谷区などに給配水されている。この練習場の成り立ちやコンセプトについて、株式会社イトーゴルフガーデンの伊藤博通社長に取材した。 イトーゴルフガーデンが竣工したのは1972年10月。創業者は博通社長の父・平司氏で、同氏は現在会長を務める。伊藤家は代々この武蔵野の地で農業を営んでいた。練習場の横には樹齢300年を超える武蔵野市登録文化財の市登録天然記念物である「伊藤家の大ツバキ」が植えられている。伊藤家は長く、この地で生活を営んできた。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/06/202405shima2.jpg" alt="" width="1000" height="854" class="size-full wp-image-81819" /> イトーゴルフガーデン大椿 練習場の創業は、平司会長が40歳の時だった。伊藤家は、都市近郊にある利点を生かし様々な作物を栽培していた。特に平司氏は、それまで栽培されていなかったカリフラワーやブロッコリー、セロリなどの西洋野菜に果敢に挑戦するなど、農業経営は順調であった。 ところが、1964年の東京オリンピックを機に首都高速道路が各地に伸び、1967年に中央自動車道が開通すると、流通革命が起き、東京近郊の農家にも大きな影響がでてきた。長野県などの品質の良い高原野菜が即日市場に出回ることで、競争力が衰えてきた。また、高度成長期の都市化が進み、土地の価格が上昇。農業の継続が厳しくなる。 「そこで、当時38歳だった父は農業から土地を有効活用して、新事業を決意しました。近隣に小規模のゴルフ練習場があった。父はゴルフ経験がなかったものの、そこを訪ねたらたいへん賑わっていた。伊藤家の土地を使って大きな練習場を経営しよう、と閃いたそうです」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/06/202405shima3.jpg" alt="" width="1000" height="672" class="size-full wp-image-81820" /> イトーゴルフガーデン開所式 アクションは早かった。取引銀行に都内の練習場の収支を調査してもらい、経営の数値を把握する。近隣の三鷹の友人がゴルフ練習場を経営していたので、話を聞いて「ゴルフというスポーツはもっと流行るにちがいない」と確信。ゴルフ練習場のための事業資金1億7000万円を銀行から借り入れたという。 1971年に農業を止め、練習場の設計など準備を進め、1972年5月に着工、10月に完成。高度成長期で建築資材が高騰する中、即断即決が奏功して、完成後すぐ価格が3倍に上がったのを避けられた。 イトーゴルフガーデンは開業時に「有限会社イトーゴルフセンター」だった。平司氏がシンプルな社名を好み苗字から取ったが、苗字の「イトウ」を「イトー」としたのは、当時イトーヨーカドー、ダイエーなど音引きの企業名が増えたことにちなんでいる。ゴルフブームもあり、経営は順調に推移していった。 バッティングセンターも 1975年に空き地を利用して7ホールのショートコースを併設。1980年に、敷地内に緑を多く植えたことから「ガーデン」の文字を加え、現在の「株式会社イトーゴルフガーデン」に社名変更。現在、ショートコースはアプローチ練習場と5打席のバッティングセンターになっており、野球の練習もできる。周辺には少年野球チームが多く、親子や子供たちに喜ばれているが、運営にはシルバーセンターの人材を活用している。息子の博通氏は2012年10月に代表取締役社長に就任し、現在60歳で経営を担っている。 「学生時代はゴルフに興味がなく、自動車の草レースやエンジンの分解などが趣味でした。24歳で、自然な流れで家業に入りました。練習場やバッティングセンターの設備の修理は、部品さえあれば私ができる。趣味が生きてますね(笑)」 イトーゴルフガーデンの特色は、 70ヤードまで天然芝で、アプローチの球の転がりやスピンコントロールが体験できる。芝から打てるアプローチ練習場もあり、 「お客様のスコア向上、健康維持、コミュニケーションの場を目指しています。お客様が気持ちよく練習できるよう、ボールとショットマットは早めに交換しています」 このような配慮がウケて、平日の午前中でも1階打席は待ちがでることもある。平日は8時30分開場なのだが、7時過ぎから、 「お客様がバッグを置いて、楽し気に会話しながら待っている。コミュニケーションの場になってます」 特に平日の午前中が人気なのは、博通社長が提案した工夫による。バブル崩壊後、客数が減少した時に、平日の午前中に入場すると3カゴ以上打った場合1カゴサービスの割引を始めた。これを20年以上続けているが、火曜日のレディースデイも、女性客は終日1カゴサービスが受けられる。 来場者は年間10万人で、商圏は武蔵野市内が中心だが、アクセスの良さで都内からも来場する。女性の来場比率は2割。ゴルフスクールは2階打席を活用し、フリーのプロ、インストラクターのレッスンには施設使用料を課していない。練習場には来場者の打席・ボール使用料が入るだけでOKと太っ腹だ。練習場のコンペIGG会は426回を数える。 地域貢献にも前向きだ。消防団、防犯協会、武蔵野法人会などに積極的に参加して、会長・団長などの役職を親子2代にわたり引き受けている。練習場の課題として「人材確保と相続税による事業継続の難しさ」があるそうで、次世代へ如何に残していけるかを思案する日々だとか。地域密着の練習場・イトーゴルフガーデンの賑わいが、次世代も続くことを期待したい。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年5月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年06月23日
    横浜市港北区日吉に、梅里カントリークラブはある。160ヤード3階75打席で、都内から車で40分前後、東急東横線の日吉駅から徒歩約12分の便利な立地だ。来場者の3割以上が大田区や品川区などの都内から。取材は2月中旬だったが、ネットの周囲に梅の木があり、かすかに梅の香りがして、ゴルフ練習場の名前に相応しい感じがした。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/05/2404shimasaki2.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-81481" /> 梅里カントリークラブ 外観 入場口はマンションと一体になっており、全体に打ち上げのフィールドで、フロント回り、ミーティングルームには清潔感が漂う。日吉には慶応義塾大学があり、近隣に慶応のグラウンドもある。この練習場の成り立ちやコンセプトについて、運営する有限会社いたがきの代表取締役・板垣庄治氏に取材した。 梅里カントリークラブの開業は1974年1月、開業51年目に入ったところである。創業者は板垣氏の父親で現会長の守寿氏。板垣家はこの地で代々農業を営んできて、板垣氏で十代目だ。元々は日吉村と呼ばれていた地域で、現在は横浜市と川崎市に分かれている。 守寿氏は園芸学校をでて、農業を継ぎ、野菜や花の栽培をしていた。練習場のフロントには守寿氏が趣味で栽培しているホウレンソウなどが販売されている。守寿氏が35歳の頃、隣の敷地に小学校が出来ることになり、1973年に矢上小学校が開校した。更に、この地域に中学校も出来ると予想され、行政収用で先祖代々の土地を失うのではないかとの危機感から、農業からの事業転換を決意。その頃ちょうど板垣氏が生まれ、後継ぎができたことも後押しした。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/05/2404simasaki2.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-81480" /> 梅里カントリークラブ野菜販売 「父はいろいろな方に話を聞く中でゴルフは伝統あるスポーツで、これから伸びるとアドバイスされたそうです。他の練習場も見学して練習場経営を決断しましたが、父はゴルフをまったく知らなかったので、その決断はすごいと思います」開業準備の時期がオイルショックと重なり、セメントなど建設資材の入手に苦労したが、開業後は経済成長でゴルフブームに。 「1972年生まれの私が物心ついた頃には、週末は常に多くの『待ち』がありました。家族経営みたいなものですから、両親は朝から晩まで練習場で働いていました」―。 開業当時の名称は、練習場用地に梅林があったため「日吉梅里カントリー」だった。1993年のリニューアル時に、ゴルフ場の施設環境に近づけたいとの思いもあり「梅里カントリークラブ」に改称。リニューアルで1年半休業して、創業時の2階50打席を現在の3階75打席に大改修した。以来30年経過したが、施設は今も綺麗に保たれている。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/05/2404shimasaki4.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-81482" /> 梅里カントリークラブ打席 「昔の打席は天井がむき出しの鉄骨で、クモの巣がどうしても張り、錆が浮いて汚くなってくる。それが父の中では嫌だったらしく、打席に天井を張り、できるだけきれいにしたいと現在の施設になりました」相続も考えての改修で、敷地に賃貸マンションを建てた。駐車場スペースは、フィールド部分の地下4階に設けた。掘った土砂の廃棄の規制から、ほぼ平面だったフィールドに土を盛り打ち上げにした。板垣氏は当時大学生。経営を実質的にみていたのは板垣氏の姉で、社長だった父・守寿氏はライオンズクラブなど対外的な活動に注力していた。 タイトリスト工房も <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/05/2404shimasaki5.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-81483" /> 梅里カントリークラブタイトリストフィッテンングスタジオ 板垣氏は大学を卒業後、5年間別の企業で働き、長男として家業を継ぐという既定路線で、2000年を境に姉から業務を引き継いだ。先祖伝来の土地を守る10代目の役割を負い、20年以上経営に携わっている。「学生時代はゴルフに興味がなくてラクロスに打ち込んでいたんです。社会人でもクラブチームに入り、日本一になりました(笑)」 長身痩躯のスポーツマンだ。ゴルフは姉から事業を引き継いだ後、練習場のコンペを年2~3回行うようになり、自身も始めた。今ではゴルフが大好きだとか。 「自分が練習場を引き継いだ2000年頃は景気も悪く、ゴルフもどん底で、平日の来場者が100人に満たないこともありました。リニューアルで銀行からの借り入れもあり、事業を盛り上げなければと、いろんなアイデアを検討しました」 事業改革の取り組みとして「時間貸し」を始め、カードシステムの導入、立地的に照明の影響が少ない場所だったので「24時間営業」にもトライ。現在は金・土・祝日前日は24時間営業をしている。 2004年から宮里藍の女子プロブームやその後石川遼の登場もあり事業は上向いてきた。2008年にICシステム、1、2階にオートティーアップ、2020年2月には全打席にトップトレーサー・レンジを導入している。若い世代の来場が多く、この客層に必要であると判断した導入であった。2022年1月にはゴルファー個々にベストなクラブを選ぶタイトリストフィッティングスタジオを、メーカー直営でない施設としては日本で初めてオープンした。スクールも1か月間何度でも受講できるフリー受講制の梅里ゴルフアカデミーや、楽しくゴルフを学びながら英語も勉強できるマイケルコーチのアカデミーなど、ジュニアスクールも充実している。 多くの改革に取り組み、現在来場者は年間15万人超。「当社のポリシーは、お客様が気持ちよくゴルフを練習できる環境を提供すること。スタッフ、施設の充実、清潔感を大切にしています」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/05/2404shimasaki7.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-81484" /> 梅里カントリークラブ地下駐車場 24時間営業を含め、幅広い時間帯で、ライフスタイルにあったサービスを提供している。新たな事業展開として、インドアゴルフスクールを2月から3か所で展開するなど、事業欲も旺盛だ。練習場が減少している中でインドアの需要はまだ高く、ゴルファーの要望に応えられると考えた。練習場経営の意義を、「ゴルフ業界にとって練習場施設が減ることはマイナスなので、如何に維持できるかが重要です」 と語気を強める。創業半世紀を終えて、次の50年に向けた継続と改革に期待したい。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年4月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年05月26日
    常磐自動車道を経由して柏ICから35分、国道16号線から少し入った千葉県柏市藤ヶ谷新田にガーデン藤ヶ谷ゴルフレンジはある。近隣に藤ヶ谷カントリークラブもあり、ゴルフには恵まれた環境だ。2階建て、全96打席、220ヤード、天然芝のアプローチ、パッティンググリーンもあり、広々と解放感が溢れている。訪れた際、受付スタッフの明るく丁寧な挨拶が強く印象に残った。ガーデン藤ヶ谷ゴルフレンジを運営する株式会社アラキ企画の荒木知太朗社長に取材した。 同レンジが開業したのは1994年2月で、今年でちょうど30年。荒木氏の父親で取締役会長の賢治氏が創業した。現在は長男の知太朗社長と2人の兄弟が経営に携わる。 荒木家はこの地で400年以上農業を営んでいた。ゴルフ練習場の敷地は1万2000坪だが、農業をやめた当時は土地の活用法を思案したという。賢治会長は婿養子で、 「相続問題を含めて大事な土地をどうするかを検討した中で、父の兄(石山和彦氏)が東京のアメ横でマグロ屋を営んでおり、大のゴルフ好きで『この土地はゴルフ練習場に丁度よいのでは?』とアドバイスされたそうです。その人脈で、ゴルフメーカーやアメ横のゴルフショップなどからの情報集め、他の練習場も視察して、システムや接客、設備、経営方法を学んでいきました」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/04/fujigaya2.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-81156" /> ガーデン藤ヶ谷ゴルフレンジ フィールド 開業の4年前、賢治会長が50歳手前の1990年8月に法人を設立して練習場を建設。当時、重視したコンセプトは「清潔でゆったりした空間」だったが、それは他の練習場を視察して、汚れが目立ち、接客が良くない練習場が多く、そのようなイメージの払拭を優先した。結果「女性に優しいゴルフ練習場」を掲げ、その精神は今も引き継がれている。 「ガーデン藤ヶ谷ゴルフレンジ」の命名者は賢治会長で、 「地域のお庭のような感じで、皆さんに使ってもらいたい」 と、「ガーデン」にこだわった。 「今は枯れてなくなりましたが、フェンス沿に花桃の木が植えられ、フェンスにはバラがあり、本当に庭のような雰囲気でした。現在もガーデンの思想は残っています」 練習場の開業時、知太朗社長は大学生で、3~4年時にここでアルバイトをしていたが、当時はバスケットボールに夢中でゴルフに興味はなかったという。卒業後、信用金庫に入社、経営の勉強も兼ねて10年間勤めた。営業の必要上、26歳でゴルフを始めたごく普通のゴルファーである。2007年に家業に戻り、その約3年後に父親の後を継ぎ実質的な経営のかじ取りを行っている。 2018年に全面リニューアルで内装、打席、ティーアップ機、フェアウェイなどを改修。システムもプリペイドカードからICカードに変更して、更に「きれいで心地よい空間」の提供を続けている。 「特にこだわっているのが接客と清潔感。接客では特に挨拶や礼儀の所作に気をつけており、清掃も、お客様が常に気持ち良く使えるよう心がけています」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/04/fujigaya3.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-81158" /> ガーデン藤ヶ谷ゴルフレンジ トイレ 女性社員が7割 このような姿勢を支えているのは正社員比率の高さだ。正社員14名、パート18名、インストラクター4名と、社員の多さが特徴的で、 「接客レベルを標準化するには、社員じゃないと難しいのです。教育も社員の方がしやすいし、人材不足にならないよう極力正社員化していこうと、6~7年前から取り組んできました。地域貢献の意味もあり、地元雇用を進めています。地域のお母さん方の中には埋もれた才能がたくさんあり、接客レベルや事務レベルが高い方を活用していきたい」 その結果、社員の女性比率は7割を超え、正社員14名のうち男性は4名だけとのこと。「女性に優しいゴルフ練習場」の推進にも役立っている。また、地域の中学生の職場体験を受け入れた時、一番印象に残った点について聞いたところ、全員「トイレの清潔さ」と答えたそうで、日頃の思いが結実している。 地域貢献で特筆すべきは、近隣の県立沼南高等学校の2~3年の体育授業に「ゴルフ」の選択肢があり、週1~2回、15打席を利用して授業を受けに来るという。この活動を20年近く続けており、新規ゴルファー創出に間違いなく貢献している。 「ずっと実施しているので、普通のことだと思っていました」 と笑うが、高校の体育でゴルフ授業は珍しく、知見が溜まれば、他の練習場での水平展開も期待される。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/04/fujigaya6.jpg" alt="" width="916" height="1279" class="size-full wp-image-81160" /> ガーデン藤ヶ谷ゴルフレンジ 入門漫画 ガーデン藤ヶ谷ゴルフレンジではスクールにも力を入れており、特に「はじめてのゴルフスクール」は10年前から実施、累計1500名以上が受講している。たった5分でゴルフデビューがスグわかるという、女性向け漫画小冊子も自社で発行。 「友人たちに声をかけて、地域のお店に配りまくりました。女性の取り込みに効果があると思います」 ゴルフスクールには400名以上在籍しており、女性比率は45%。ジュニアスクールにも190名が在籍し、ゴルフを始める4歳児からプロを目指すジュニアまで、技術に偏らず、マナーや「心を育てる」ゴルフスクールをコンセプトとしている。また、スクール運営の経験から身体のケアも大事だと考え、トレーニングジムを1年前から施設内に設置している。 「ゴルフスクールは自社運営ですが、将来的にはインストラクターに事業譲渡して、彼らのセカンドライフをサポートしたい。そんなことも考えています」 年間来場者は15万人を超える。2022年8月にはトップトレーサーレンジを導入し、他の練習場よりも1~2割高い価格設定だが、取材訪問時も打席待ちの人気ぶり。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/04/fujigaya4.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-81159" /> ガーデン藤ヶ谷ゴルフレンジ トップトレーサー 「心地よい時間と空間を提供し、地域の人々が心も身体も【元気】になってもらうことを目指します」 明確なミッションを掲げ、サービス業としての質を高める。地域に愛される施設となった所以であろう。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年3月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年05月05日
    神奈川県横浜市鶴見区獅子ヶ谷に「ニューツルミゴルフ練習場」はある。道路を挟んで広々とした「二つ池」があり、練習場の裏側には森も見え、都会にありながら緑を感じられる、環境抜群の練習場だ。最寄りのJR鶴見駅、東急綱島駅からのバス停が目の前で、運行は5分間隔、JR鶴見駅からはバスで約12分の好アクセス。同施設の成り立ちやコンセプトについて、運営する晝間産業有限会社・取締役支配人・晝間(ひるま)泰久氏に取材した。 ニューツルミゴルフ練習場の開場は1970年11月である。開場当時は2階建ての全40打席125ヤードの規模。晝間支配人の父・宏一氏が創業した。1985年3月には打席や鉄塔も含めて全面リニューアル、3階建て88打席と、大幅にスケールアップしている。 晝間家は代々、この地域で農業などを営んでいた。苗字の「晝」は昼の旧字ということで、 「読みづらいですよね。ゴルフ場のバッグ置き場で『は』行のところに置いてもらえません(笑)」 晝間姓はこの地域に十数軒あるという。祖父の代までは農業をしていて、練習場の前の「二つ池」は江戸時代から農業用水だった。 「父は日本郵船に勤務する会社員でしたが、27歳の時に先祖代々の土地を活用するため練習場を起業しました。2011年に亡くなったので、創業時の詳しい状況はわかりませんが、ゴルフ練習場を始める前に結婚して、母の父親がレインボーカントリー倶楽部のメンバーだったので、父も結婚後入会している。その影響があったのでは・・・・」 1985年の全面リニューアル時に晝間氏は中学1年生で、打席待ちが常に出るほど賑わっていて、練習場の仕事を手伝った記憶があるという。また、父親がゴルフ場の関係で松井功プロと親しくなり、リニューアル時には来場していた記憶もある。時代は、バブルへ向かうゴルフブームで、経営は順調だった。 晝間氏は大学卒業後10年ほど会社員をし、2005年に晝間産業へ入社。当時は父・宏一氏が社長で、晝間氏は取締役だったが、父親の他界を機に晝間氏が責任者として運営にあたっている。社長は晝間氏の兄だが、大手企業に勤めている。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/04/202402shimasaki2.jpg" alt="" width="788" height="432" class="size-full wp-image-80946" /> ニューツルミゴルフ練習場 ゴルフキッズ 練習場のコンセプトは、 「敷居を低く、誰でもいつでも気楽に利用できるゴルフ練習場です。全てが叶う、地域ゴルフのハブ施設を目指しています」 同氏の経営参画後、そのコンセプトを実践すべく、いくつかの改革を実施。その一つが、2010年に中古ゴルフショップのゴルフキッズを練習場内の売店に誘致したことで、それ以前はグローブなど消耗品を少量置く程度だった。2018年にはゴルフキッズを「自社運営」にしている。今でこそ、ゴルフパートナーなど練習場に中古ショップが入ることは珍しくないが、すぐに試打できる練習場と中古ショップとの相性は良く、その先駆けと言える取り組みであった。自社運営にあたり古物商の資格も取得している。 ##トラックマン無料 敷居を低くするためにリーズナブルな価格設定をしている。現在、入場料300円、平日1000円/90球で、100円9球も可。 「練習場のコンセプトとして『打席貸し』ではなく、じっくり考えながら練習するには『1球貸し』が良いと考えたのです。また、会員制にせず、いつでも誰でも同じ値段の安心感を提供してきました」 プリペイドカードやICカードを導入せず、シンプルに現金決済で入場料+ボール代でやってきたが、来場者から「買い物や交通機関で使っている電子マネーを使えないか」との声もあり、ゴルフ練習場総合プランニングの喜和産業に相談。2020年10月からSuicaやnanacoなどの電子マネーを、球貸しに使えるシステムを導入した。電子マネーの利用率は、 「開始半年で25%でしたが、現在は50%まで高まっています。利便性の向上と、若い世代との親和性も高いですね。また、電子マネーの決済額が直接銀行に入金されることで、現金の取り扱いが少なくなり、安全性も高まりました」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/04/202402shimasaki3.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-80947" /> ニューツルミゴルフ練習場 トラックマン 若い世代への取り込みとして、2018年9月よりSNS(LINE、インスタグラム、X)でのPRも始めている。場内のあらゆる場所にQRコードを掲示するなど積極的に取り組んだ結果、LINE会員は7000人を超え、 「LINEの分析で年齢層や男女比率もわかるようになりました。男女比は78:22で、50歳以上が45%、40~50歳が22.5%、30~40歳が9.1%、20~30歳は14.5%と、細かく状況が把握できます。若い世代の増加を実感しています」 また、2018年12月からはゴルフ未経験者専門の「はじめてゴルフスクール」を開始した。 「未経験者の掘り起こしが目的で、2023年11月末で受講者が642名になっています」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/04/202402shimasaki4.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-80948" /> ニューツルミゴルフ練習場 打席 料金は4回で4000円(入場料、ボール代、レッスン料込)と格安。若い世代を中心に、ゴルフ未経験者が最初にゴルフに触れる機会を創出している。 昨年10月には神奈川県の練習場として4番目にトラックマンレンジを導入したという。面白いのは導入後、トラックマンの使用料を取っておらず、値上げもしていないことだ。その理由について、 「トラックマンの導入効果で入場者が増えると考えており、使用料を取らなくても、集客増で採算が取れると見込んでいます。たしかに初期投資にはお金がかかりますが、コロナ禍で収益が増加した分、お客様に還元したかった」 と、利用者にとっては嬉しい話。 ニューツルミゴルフ練習場は、少し離れたところに天然芝で1000m2のアプローチ専用練習場もある。ゴルファー創出の拠点として、今後の活動にも期待が高まる。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年2月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年04月07日
    横浜駅から徒歩15分の三ッ沢公園の近隣に、三ッ沢ゴルフセンターがある。周りは緑に囲まれた閑静な住宅街。車で取材に訪れたが、このような住宅街の中に広い練習場があることが、驚きであった。住所は横浜市西区北軽井沢である。 1階12打席、2階10打席、70ヤードの練習場。その成り立ちやコンセプトについて、株式会社三ッ沢ゴルフセンターの酒匂光秋社長とチーフインストラクターの永島新太郎氏に取材した。 三ッ沢ゴルフセンターは1974年の開業である。酒匂社長の父・辰蔵氏が創業した。辰蔵氏は羽田で株式会社酒匂製作所を経営していた。同社は1946年の創業で、エレベーター用ガイドレールおよび各種部品の製造加工を中心に、現在も高精度・高効率に向けた技術革新と多様化に対応中。酒匂社長の長兄が会長を務め、その子息で甥が社長として経営を続けている。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/02/mitsu2.jpg" alt="" width="1000" height="770" class="size-full wp-image-80508" /> 三ッ沢ゴルフセンター 正面 辰蔵氏はゴルフが大好きで、横浜にある戸塚カントリー倶楽部の設立からのメンバーだった。1970年頃、羽田地区で貸していた工場が閉鎖になり、その跡地利用で、大好きなゴルフの練習場を始めたいと思ったが、練習場にするには少し手狭で、ゴルフ仲間の不動産企業から1000坪の土地を紹介された。 「それが現在の練習場の敷地です」 と前置きして酒匂社長が続ける。 「当時は、今も隣接するマンションだけがある空き地でしたから『こんな土地を買って失敗するのではないか』と周囲が止めたそうですが、父は『横浜駅から歩けて便利』と決断しました。横浜駅から徒歩15分なので、建売住宅を建てればすぐに売れてしまうでしょうね(笑)」 練習場は開業の2年前から準備、造成を始めたそうだが、酒匂社長は当時大学生であまり関わらなかった。開業してからは辰蔵氏の三男である酒匂社長が経営・運営をほぼ任されて現在に至っている。 開業時の社長は父親だったが、本業の酒匂製作所の仕事が中心で、週に1回、日曜日などゴルフ帰りに顔を出す程度であった。酒匂社長はほぼ50年、練習場経営に携わっている。スタート時は酒匂製作所が運営する形態だったが、1998年に株式会社三ッ沢ゴルフセンターとして独立。練習場の名称は、土地の名前を取った「北軽井沢ゴルフガーデン」と「三ッ沢ゴルフセンター」の2案があったが、近隣に三ッ沢公園があるので、場所がわかりやすいだろうと後者に決めた。 「開業当時、この北軽井沢には電話線が通っていなかったんですよ。そこで私が電電公社に行って頼みましたが、若かったせいか、『電話線は引けません』と相手にされなかった。父親のツテを頼って何とか電話線が引かれ、北軽井沢の番号が出来たのです」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/02/mitsu3.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-80512" /> 三ッ沢ゴルフセンター 打席 北軽井沢の地名は、長野県の軽井沢を連想させる。 「タクシーに乗って北軽井沢というと、軽井沢ですかッ?と驚かれることもあります(笑)」 横浜市による町名由来を調べてみると、こうある。 《昭和7年の町界町名地番整理事業の施行にともない、青木町の字西軽井沢と南三ツ沢の一部から新設した町。昭和19年4月1日の西区新設にともない、中区から編入。同時期に新設した南軽井沢を考慮し、町名は字名の「西」を「北」に改めて町名とした。軽井沢の由来は、最近の地名研究では水の枯れたサワの「カレイ沢」説が有力という》 長野の軽井沢とは無縁のようだ。 固定資産税の負担大 現在の70ヤードのフィールドは開業当時のままで、ネット用の鉄塔も創業時のままである。酒匂社長は、「最近、強度について調査を実施して問題なかった」 とのことで、当面は建替え等の予定はない。打席数は創業当時、28打席あったが、1988年にクラブの長尺化に伴い打席幅を広げ、2Fの2打席を潰してハウスを広げ、現在の22打席に改装している。 「1974年開業直後にオイルショックがあり、オープン直後は運営が厳しかったが、父親のゴルフ仲間がゴルフの帰りに立ち寄ってくれたりして軌道に乗りました」 とはいえ、苦境もあった。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/02/mitsu4.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-80513" /> 三ッ沢ゴルフセンター フィールド 「1990年、近隣に大手企業が三ッ沢パークサイドという80打席150ヤードの練習場を開業、その影響で経営危機になりましたが、常連客が来場されたり、ゴルフバブルでその練習場が満員になって、弊社に流れて乗り越えられました」 その競合練習場は閉場してマンションになり、現在は近隣に競合施設がなくなっている。酒匂社長は自社の強みを、 「横浜駅から歩ける練習場で、アウトドアで解放感があり四季折々の風が感じられ、日々の都会の喧騒からのリフレッシュや、自然の中でスポーツをする醍醐味の片鱗を感じられる。また、天然芝で、本物の弾みや感覚を大事にする上級者は元より、初心者にも好評です。地域に密着したオアシス的な練習場を目指し、快適な練習環境をはじめ、ゴルフ用品やゴルフスクール、会員権売買のお手伝いなど、ゴルフライフをサポートしています」 地域貢献として、中学生の職場体験も受け入れており、交通系電子マネーで支払い出来るシステムも導入している。スクールについて永島チーフインストラクターは、 「初心者を含めてゴルフを楽しんでもらえるよう、個人レッスンとグループレッスンがあります。将来の継承・種まきの思いもあり、ジュニアスクールにも力を入れています」 好立地だけに固定資産税の負担が大きく、気候変動を含めて未曽有の災害への備えも必要など、練習場の経営環境は楽ではない。しかし酒匂社長の親族はゴルフ好きで、事業を続ける意思が強い。横浜駅近でアクセスが良く、車を利用しない世代が増える中で、地元のオアシスとしての継続を期待したい。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年1月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年03月10日
    東京都江東区大島にある大島ゴルフセンターは、地下鉄都営新宿線の大島駅から徒歩3分の至便なところにある屋外ゴルフ練習場である。3階48打席で100ヤード。駐車場は52台収容と十分な広さがあり、 「ゆとりがあるため、駐車場が満車になったことはありません」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/02/oojima2.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-80365" /> 大島ゴルフセンター 受付 同練習場を経営する株式会社スガエンタープライズの菅登志夫社長は笑みを浮かべる。同氏は昨年10月に社長へ就任、ちょうど1年が経ったところである。 菅家のルーツは四国とのこと。菅という苗字は、菅原道真が由来だという。菅原道真が船で大宰府に向かっている途中、暴風雨に遭い立ち寄った土地が、愛媛県越智郡小西村星之浦。その時、菅家の先祖は大破した船の修理を行い、その功績により「菅」姓を賜ったという。 「ですから当家の家紋は『丸に梅鉢』で、天神様・道真に由来していると聞いています」 菅社長の祖父・菅金助氏は、その四国愛媛の出身で、広島の造船所に勤め、その後、三重県鳥羽の造船所で重量物設置などの技術を習得・考案し、1920年に鳥羽で「菅組」を創業した。創業1年後、台風で根元から折れた伊勢の二見浦夫婦岩の40t以上ある女岩の修復工事を請負い、会社の基礎を築いた。 その後1923年の関東大震災の復興に「菅組」の技術を役立てたいとの思いから、現在ゴルフ練習場のある江東区で「東京菅組」を立ち上げた。1986年に社名変更して株式会社スガテックとし、大手製鉄メーカーなどのプラント設備の設計・製作・建設・整備など、幅広い分野で活動している。その「菅組」の倉庫があった場所が、現在の大島ゴルフセンターである。 菅氏の伯父で金助氏の長男・光孝氏がゴルフ好きで、社長時代、会社の資材置き場などの倉庫があった現在の台東区大島に、1976年「大島ゴルフセンター」を創業した。この練習場の名称は地名の「大島」からとり、創業時から現在まで変っていない。もとは「菅倉庫」という別会社を、株式会社スガエンタープライズにし、ゴルフ練習場の運営を始めている。 菅氏は大学卒業後スガテックに入社、その後外資系金融機関で働き、昨年7月にスガエンタープライズに入社、10月から社長という経緯である。練習場の運営会社は代々親族が社長を務め、現在の菅社長で4代目。同氏は社会人になってからゴルフを始め、20年ほど前にカレドニアンGC(千葉県)のメンバーに。スコア90前後のゴルフを楽しむ。 「自宅が大島ゴルフセンターの近くなので、この練習場には以前から一人のゴルファーとして通っていました。従兄の現会長が70歳を超えたので、自分が社長をやることになりましたが、前社長はゴルフをしなかったので、自分はゴルファー目線で練習場の経営に取り組みます」 と、顧客目線を大事にする。 有意義な待ち時間を提供 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/02/oojima3.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-80368" /> 大島ゴルフセンター打席 大島ゴルフセンターの創業当時は2階建て32打席だったが、開業10年後に3階48打席に改修。それ以降大きな改修はないという。社長就任後、同施設の周辺人口や年齢構成などを調査会社に依頼した結果、 「この地域は特に高齢化が進み、現状のままでは先行き不透明であることがわかりました。より広いエリアの若い世代や、違う客層を取り込む必要があると思っています」 そこで、社長就任直後の昨年11月にトラックマンレンジを導入。100ヤードの屋外練習場では飛球がすぐにネットに当たるため、 「弾道や飛距離が判ることが必要だと考えたのです。この商圏にはほかに大型の練習場があり、その顧客を取り込めるチャンスが増える。計測器やシミュレーションを備えた屋内練習場も増えているので、屋内よりも打音や球の打ち出しが良くわかる屋外のメリットを訴求することもトラックマンレンジ導入の理由です」 3階に『トラックマン4』を使ったシミュレーションルームを設置して、スピンやクラブの入射角など高度なショット分析で、上級志向のゴルファーを満足させるレッスンも可能。また、今年10月にフロント周辺の内装を中心にリニューアルした。 特に来場者に喜ばれるのが1階にオープンした「コスタコーヒー・カフェ」だという。ヨーロッパでナンバー1のコーヒーブランドだそうで、練習場利用者だけでなく、近隣住民が気楽に利用できるようカフェ用の入り口も用意した。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/02/oojima5.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="aligncenter size-full wp-image-80369" /> 「練習場利用者には割引価格で提供し、混雑時の打席待ちや練習後の休憩に利用されています。スタバなどで30分ほど、ゆっくりコーヒータイムを過ごすことは普通ですし、フリーWi-Fiも用意してあるので待ち時間を楽しく有意義に過ごせます」 10月のリニューアルに合わせてスクールも一新、データに基づいた練習メニューをインストラクターが提供し、スクール生400人を目標に施策を打つ。ICカードの導入で来場者の年齢構成も明確になり、 「20代が一番多くICカードを作っています。若者は車離れをしているので、駅近のロケーションが効いているんでしょうね」 と分析している。 同施設の東側には荒川が流れ、千葉に近く、東側在住のゴルファーは千葉側の低価格な練習場に行く傾向が強いため、商圏は西側10km圏内。ポスティングやSNSでの発信もこの地域が中心だ。年間来場者は9万人前後で、今回のリニューアルにより幅広い 地域からの来場を期待している。 菅社長のポリシーは、 「地元に愛され続けるゴルフ練習場であり、カジュアルで若い世代にも気軽に来場頂ける雰囲気づくりを目指しています」 東京23区内の屋外ゴルフ練習場は、承継問題や業態転換で減少傾向が続いている。その中で安定経営の「大島ゴルフセンター」は、貴重な存在になることは間違いない。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年12月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年02月18日
    関越道の所沢ICから15分、所沢と狭山を結ぶ広々とした2車線の所沢掘兼狭山線に面した、交通至便な埼玉県所沢市下富に「新富ゴルフプラザ」はある。所沢の緑に囲まれ、解放感を感じる、2階62打席250ヤードの屋外練習場だ。同施設の成り立ちやコンセプトについて、有限会社新富ゴルフプラザ・坂東枝美子専務に取材した。 「新富ゴルフプラザ」の敷地面積は約3万㎡。これまで訪れた多くの練習場と同様、元々地主で、自分の農地や牧場などを活用した練習場だと思っていた。ところが、事情はかなり違うらしい。坂東専務いわく、 「この練習場は34年前、1990年に父(故・実氏)が創業したのです。父は北海道出身で、大学卒業後、兄と不動産業を千葉で起業。その後独立して埼玉の清瀬、入間で不動産事業を営んでいました」 実氏は、事業を始めた後30歳ぐらいでゴルフにハマり、競技ゴルファーの道を歩む。スコアも60台で回る腕前になっていた。坂東専務が母親に聞いた話では、 「父がある日突然、ゴルフ練習場を始めたいと。それで現在の土地を一緒に見に行ったそうです」実氏は事前に家族には相談せず、練習場開業の準備をしていたそう。 一部は借地だが、練習場用地を買収し、4年の歳月を費やした。住まいも所沢に転居している。「母親に相談もせず、よく始めたと思います(苦笑)」 この、所沢市下富の地を選んだのは、田園の中で隠れ家的な練習場をつくりたかったことと、まとまった土地を手配できたからだという。不動産業をしていたので、この地域に道路を通す計画があることを逸早く察知したことも、思い切って買収できた一因である。 ただ、道路はもう少し早く開通する計画だったが、開業から20年以上過ぎた10年前にやっと開通した。開業前、よく練習に通っていた入間の金子ゴルフセンターのオーナーと親しくなり、そこからの情報が役立ったとのこと。開業当時、一人娘の坂東専務は中学生であった。 「新富ゴルフプラザ」の名称を最初に聞いた時、筆者はこの地区の地名かと思ったが、「新富」という地名はない。現住所の「下富」の「富」と、新しいゴルフ施設をつくるとの想いで「新」をつけて「新富ゴルフプラザ」とした。プラザは人が集まる「広場」の意。練習場のキャッチコピーは「楽しいゴルフをクリエイトとする緑のゴルフ&ウエルネスパーク」で、「新富ゴルフプラザ」の名称は父・実氏が命名した。 「あとで父親の友人に聞いた話では『坂東ゴルフ』や『東武ゴルフ』などの名前も候補だったそうです」 <h2>父親の急逝で決断した</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/01/shintomi.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="aligncenter size-full wp-image-80081" /> 開業時は2階45打席250ヤードの規模であった。この地区にはゴルフ練習場がなく、また実氏が様々なゴルフ大会・競技で優勝し、ゴルフを通じて知り合った仲間にPR。経営は順調に推移していった。100名規模のコンペを開催すると、すぐに定員が埋まった。実氏はいつも2番打席で練習していたという。 その父親が4年前、急逝した。「当日の午前中まで仕事をしていて、電話で話もしていたので、本当に驚きました・・・」 と、坂東専務は言葉少なに振り返る。一人娘であり、その日から仕事を引き継いだというが、それ以前は週2回のアルバイトで、フロントの手伝いはしていたものの経営にはノータッチだった。 「父はあと20年ぐらい頑張るだろうと思っていたので、突然のことで、誰も私が継ぐとは思っていなかったですし、母も継ぐことを薦めませんでした。でも、父が苦労してつくった練習場を、自分の代では潰せないと思ったのです」 ただ、事業承継の可能性を見越し、10年前からゴルフ練習場の勉強会に顔を出して業界関係者とのつながりは持っていた。 「父は時々、『ゴルフは3世代で楽しめるスポーツだ』と、ゴルフの素晴らしさを話していたので、継がせたい思いはあったかもしれません。母は経理を担当していたので当社の代表を務めていますが、実質的な経営は私が担っています」 経営を引き継いで最初の3年は、練習場事業の把握に努め、リスク回避のための防球ネット整備などに力を注いできたが、これから自分の色を出したいと意欲を示す。今年は60ヤードのアプローチエリアを整備。 「力の弱い女性やシニアがスコアアップするためには、アプローチが重要なので、その点を改善しました」 同施設の特徴のひとつは、開業時からコースボールを使用していることで、このことがアプローチ練習にもプラスに働いている。インスタグラムにも力を入れており、フォロワー数も3000を超えた。練習場業界の中では多い方で、SNSでの情報発信が若者ゴルファーの来場を促進しているという。 また、スクールも「新富らしさ」を打ち出す構え。スクール用のオリジナルノートや、スイング動画を共有できるソフト等を整備してきた。可視化やプロとのコミュニケーションが重要と考え、「新富ゴルフアカデミー」のカラーを鮮明にしていく。現在、年間10万人以上の来場者があるという。 父・実氏の立てたコンセプトに加え、一人娘の専務の野望は、 「男性ゴルファーが女性を連れてきやすいNO.1のゴルフ練習場を目指します」 と、新たな旗を立てている。女性がゴルフを始めるときには、男性の存在が大事。このあたり、女性経営者ならではの視点と言えるかもしれない。 「女性が入りやすい、快適な練習場をつくりたいですね。それと、女性でも練習場経営を承継できる好例になりたいと思っています」 ジェンダーフリーの時代だが、ゴルフ界はまだまだ女性経営者が少ない。筆者は、新風を吹き込んでほしいと願っている。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/01/shintomi3.jpg" alt="" width="816" height="612" class="aligncenter size-full wp-image-80082" /> <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年11月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年01月25日
    「よみうりゴルフガーデン」は、東京都稲城市と神奈川県川崎市にまたがる広大な敷地の遊園地「よみうりランド」内に位置する練習場。今回の取材は車で訪問した。よみうりランドのゲートから中に入った、よみうりランド大駐車場の横に位置している。住所は神奈川県川崎市多摩区である。取材したのは8月で、よみうりランドの駐車場からアクアエリアのプールに向かう家族連れが多くみられた。同練習場の成り立ちやコンセプトについて、株式会社よみうりランド・よみうりゴルフガーデンの山田孝治支配人を取材した。 練習場の事業主体は株式会社よみうりランド。同社は読売新聞グループ本社の基幹7社の一つで、総合レジャー事業、不動産事業、ボールパーク事業、サポートサービス業を担っている。レジャー事業の中には遊園地部門、ゴルフ場経営のゴルフ部門、競馬・オートレース・競輪等施設運営の公営競技部門、ゴルフ練習場・温浴施設・親子向け屋内遊戯施設等を経営する健康関連部門、食堂・売店経営の販売部門と広範だ。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/11/yyomiuri2.jpg" alt="" width="1000" height="678" class="size-full wp-image-79389" /> よみうりゴルフガーデン受付 よみうりランドは「大衆へ奉仕する」という創始者・故正力松太郎の言葉から始まっている。会社設立は1949年で公営競技事業に始まる。ゴルフは昭和30年代「一部の上流階級のスポーツでしかなかったゴルフを一般大衆へ開放しよう」という創始者の思いから、1961年(昭和36年)に東京よみうりパブリックコース(現:よみうりゴルフ倶楽部)をオープンしている。 1964年東京よみうりカントリークラブ、1978年千葉よみうり、1985年静岡よみうりをオープン。1993年3月21日に練習場の「よみうりゴルフガーデン」を開業した。今年で開業30年を迎え、ラウンジには30年記念のディスプレーが施されていた。練習場は2階建て1、2階各40打席、計80打席で、距離180ヤードは創業時と同じ。 実は同じ場所で、1974~92年までテニスコート「よみうりテニスガーデン」を経営していたが、市場規模が大きいゴルフ練習場に業態変更。ただし、ゴルフ場に併設される練習場を除けば、練習場単体として経営するのはよみうりゴルフガーデンのみ。山田支配人いわく、 「少子高齢化でゴルフ市場の拡大が望めない中では、練習場事業の拡大も厳しいのではないか」 と、現状を冷静に見る。 フロントの女性は制服を着ていて、雰囲気はゴルフ場の受付けのよう。よみうりランドは東京2場、千葉1場、静岡1場と計4コースを運営しており、その雰囲気が色濃くある。ラウンジから外をみると650㎡の天然芝のパッティング練習場があり、ゴルフ場のような雰囲気を漂わせている。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/11/yomiuri5.jpg" alt="" width="1000" height="692" class="size-full wp-image-79392" /> よみうりゴルフガーデングリーンスピード 「このパッティンググリーンは東京よみうりCC、よみうりGCと同じグリーンキーパーが管理しているので、ゴルフ場と同じクオリティーを保っています」 練習場のパッティンググリーンとしては最高水準と思われ、グリーンスピード、刈り高が表示されていた。その奥には5打席のバンカー練習場があり、専用のターゲットグリーンを併設。コース仕様の質の高い砂を使用して、実践的な練習ができるという。 練習場を複眼的に見る <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/11/yomiuri4.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-79391" /> よみうりゴルフガーデン・バンカー 「ゴルフ場で培ったノウハウを存分に活かした本格的なレベルのパッティンググリーンと、練習用バンカーを備えることが当練習場の特徴のひとつです。また、フレンドリーで親切な接客を通じて、地元のゴルフ愛好者に末永く愛される練習環境の提供を基本としています。スクール運営にもこだわっており、ゴルフを楽しく続けてもらうことを念頭に置き、専属のプロが一人ひとりの技術レベルに合わせて最適なレッスンを心掛け、継続的に練習場に足を向けていただけるようにしています」 練習場の各打席はフルオートティーアップ、冷暖房完備で、この暑い夏でもダクトから冷風が送られ快適に練習できる配慮が行き届いていた。商圏は半径10㎞圏内で、川崎市多摩区、麻生区、稲城市が中心とのことである。来場者の年齢は60~70歳代が中心で、男女比は8:2とのことである。 「来場者の多くが地元地域の居住者で、ゴルフを通じて健康促進と充実した時間を提供しています」 フロントで事前清算してから打席を指定。ボール貸し、打ち放題ともに両立できるシステムだ。 よみうりランドの社員である山田支配人は1997年入社で、同練習場の支配人になって1年半、その前はよみうりランド内にあるフラワーパーク「HANA・BIYORI」の支配人を務めていた。以前はよみうりGCのキャディーマスターも経験しており、 「ゴルフ場を経験してから練習場の支配人になって思うのは、同じゴルフでも双方の雰囲気はぜんぜん違って、練習場では心からフランクになれるんですよ(笑)」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/11/yomiuri3.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-79390" /> よみうりゴルフガーデン・グリーン ゴルフ場に比べると、練習場は気楽にゴルフに接することが出来る雰囲気があり、敷居の低さを実感したとのことである。また、現在は練習場の支配人と兼務で、全国に4か所あるフランチャイズの全天候型屋内キッズ施設「KID‒O‒KID(キドキド)」のキッズ施設運営課の支配人も務める。多様な部署を経験した上で練習場の支配人をしている中で、練習場の課題を山田支配人は、 「全体として高齢化が進んでおり、次世代、若年層、女性ゴルファーの掘り起こしが喫緊の課題です」 子供施設の運営に携わり、よみうりランドという、家族連れや子供が多く集まる施設に位置する練習場だけに、練習場事業を複眼的に見られることが同氏の強み。若年層や女性ゴルファーを取り込むための新しいイベントや発想、他の事業との連動性を含め、練習場業界に新風を吹き込むことを期待したい。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年10月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2023年11月12日
    WOWCA蕨(わらび)ゴルフクラブは埼玉県のJR蕨駅から徒歩10分、蕨駅と西川口駅の間の県道110号線沿いにある。周りにはドラッグストア、スーパー、スポーツクラブ、飲食店があり、便利な商業地の中にある。 入り口には、この練習場の象徴である大きな枝垂れ桜がある。取材時には桜の季節は過ぎて、青々と葉が茂っていた。この練習場の成り立ちについて、WOWCA蕨ゴルフクラブの貫井(ぬくい)俊男支配人にレクチャールームで話を聞いた。部屋の壁紙は、図書館のように本が並べられたデザインで、他の練習場とはちょっと違う雰囲気を感じた。 同施設の設立は1974年と、半世紀になる。貫井氏の父・紀男氏が開業したもので、同氏は現在82歳で健在である。 貫井家は、墓誌の残された記録から、少なくとも300年以上前の享保年間からこの蕨の地で広く農業を営んでいた。紀男氏の父親は太平洋戦争で戦死され、一家の大黒柱を失った中、残された家族は農業や土地の賃料などで生活を営んでいた。紀男氏は大学を卒業してすぐ、残された土地の活用を考えて1年ほどガソリンスタンドで修行し、1964年にガソリンスタンド事業「貫井石油」を始めた。当時、都市化が進み、今後の土地活用を進める中での決断であった。 幸い、曽祖父の時代に蕨と西川口の間に道路を作る計画があり、曽祖父が自分の土地に道路を通すことを了承。県道が通る交通至便な土地となり、ガソリンスタンドの営業に好立地であった。ガソリンスタンドを続ける中で、貫井家の土地をゴルフ練習場用に貸してくれないかとの話が持ち込まれた。父親の紀男氏は、先祖伝来の土地を貸すつもりはなく断ったが、税金対策を含めて農地や遊休地の活用を思案、自らゴルフ練習場を経営する決断をした。練習場が1㎞圏内にないことも理由の一つだったという。 「当初は、ゴルフの練習をしている間に、ガソリンスタンドで洗車してもらうことも考え、ガソリンスタンドと練習場を両立できるはず」 と考えたが、準備を進める中で両方の経営は難しいと考え、土地を広く使えるゴルフ練習場に経営資源を絞ることにしたという。 紀男氏は大学時代を含めて、ゴルフは未経験だったが、人づてを頼りながら2年かけて準備を進め、1974年に開業。2階建て、32打席70ヤードで、現在と同じ規模である。9ホールのショートコースも併設した紀男氏は、ガソリンスタンド経営時代から、モノを販売することが好きで、ベンホーガンの特約店となりクラブ販売にも注力した。 練習場の創業時の名称は「蕨ゴルフクラブ」で紀男氏が命名。近隣に「蕨ゴルフ練習場」が在り、ショートコースも併設したので「蕨ゴルフクラブ」とした。貫井支配人が当時の記憶をこう話す。 「ゴルフブームもあり、昭和から平成に向かう時代でお客様がどんどん増えました。午前中は練習場、午後はショートコースで『一日遊べる』と好評だったようです。私が子供の頃、待合室には人が溢れ、たばこの煙で白かったことを覚えています。お客様は店屋物で味噌ラーメンを注文して、休憩の合間に食べてショートコースへ行ってました」 地域の憩いの場となった。しかし父親の紀男氏は、現在に至るまでゴルフを一切しないという。 <h2>「桜花」と「謳歌」</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/10/warabi2.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-79146" /> そのショートコースは、1996年から段階的に縮小していった。コース管理の大変さと越球問題があったからで、売上も含めて土地効率が悪かった。最初にショートコースの3ホールを廃止して、スポーツクラブとした。その後、1998年に4ホールをスーパーにして、土地活用を推進した。貫井氏は1995年に大学へ入学、理学部であったが、卒業後経済学部に学士入学して、「街づくり」をテーマに学んでいた。 父親の紀男氏が、蕨駅前再開発の役員をしており、父親との会話のなかで街づくりに興味を持ったことがきっかけであった。2002年に会社に入り、他の練習場経営者との交流や情報収集して、ゴルフ練習場を改革していく。最初に取り組んだのは営業時間の拡大で、営業開始を朝9時→6時に変更。その後、打席の塗り直し、ボール、マットの更新などを進めていった。 また、ショートコースの残り2ホールをアプローチエリアや試打イベントに活用していたが、2010年にドラッグストアに変えて経営効率を図る。現在は貫井氏が実質的に経営をして、父・紀男氏に報告する体制となっている。ただ、開場当初から、打席間は天井までの仕切りネットがあり、お客様安全第一主義は変わっていない。 貫井支配人がポリシーを語る。 「練習場経営では、日々の『生活の場』を意識しています。誰でもゴルフを始められるよう、レッスン、レンタルクラブ、二木ゴルフの中古クラブを販売したり。仲間ができる仕組みづくりとして、スクールやコンペなどを用意。また、練習場はどうしても敷居が高いので、スポーツクラブ的な雰囲気を心掛けているんですね。『楽しさふくらむ』の想いを表現したロゴマークやキャラクターなどで、親しみやすい雰囲気づくりを目指しています」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/10/warabi3.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-79148" /> 現在の名称「WOWCA蕨ゴルフクラブ」は、2010年に貫井支配人が考えた。 「WOWCAは『おうか(桜花)』と呼びます。練習場の入り口にある枝垂れ桜であり、蕨のWを意識し、人生を『謳歌』してもらいたいとの想いを込めました」 正直読みづらいが、そこに込めている同氏の想いが伝わってくる。事業継続については、 「練習場は設備産業なので、クラブハウスは1997年に建替え、打席は自分の代の責任として2016年に建替えました。鉄塔は安全調査を実施していますが、創業当時のままなんですね。ただ、鉄塔の建替えは次の代にかかわるので慎重に考えています。生涯スポーツとしてのゴルフは、街づくりを考える上で大切な役割を担っていくと思います」 WOWCA蕨ゴルフクラブは、年間入場者7万人を超え、地域の生活の場として根付き、街づくりの中に溶け込んでいる。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年9月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2023年10月15日
    都心から車で20分、東急多摩川線の沼部駅から徒歩6分。多摩川に架かる新幹線の橋の下流側に、東京多摩川ゴルフ練習場はある。場所は東京都大田区田園調布南で、河川敷なので番地はない。開場は1951年11月。 翌52年には東京ゴルフ練習場連盟が発足しているが、当時加盟した9ゴルフ練習場の1つで、現在まで残っているのは東京多摩川ゴルフ練習場のみ。都内で最も古いゴルフ練習場で、36打席250ヤードの屋外練習場である。 その成り立ちについて、同練習場の2代目田中誠氏と、田中氏の孫にあたる株式会社東京多摩川ゴルフ練習場の取締役・池田陽太氏に話を聞いた。田中氏の娘・成美さんの子供が陽太氏である。田中氏は1936年生まれで今年84歳、1960年の日本アマチャンピオンで、世界アマに出場し、ジャック・ニクラウスと戦った経験もある。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/09/2023092202.jpg" alt="" width="1000" height="666" class="aligncenter size-full wp-image-78831" /> この練習場を創業したのは、田中誠氏の父・光義氏である。光義氏は渋谷で指物師(家具職人。箱、机、椅子、たんすなどを、板材をさし合わせて組み立てる職人)をしていた。ゴルフクラブの修理ができないかとの相談を受けて、修理をはじめたという。そんな折り、田園調布在住のゴルフ愛好者から、練習場をつくりたいとの話が持ち上がった。戦後すぐの時代とあって、近隣に練習場はない。現在の多摩川河川敷の場所は畑だったが、前述のゴルフ愛好者に銀行関係者や企業のトップなど富裕層がおり、出資して、光義氏が管理をまかされた。東京多摩川ゴルフ練習場の誕生である。 距離は現在と同じで250ヤード。その後、堤防が拡張されて左側の打席はなくなったが、当時は今より多く50打席程度だった。場所は現在より100mほど上流側で、公共のグラウンドができて現在の場所へ移動した。田中氏は、 「開場当時はボールがなく、ゴルフ場のキャディさんから1個50円前後で買い上げたり、当時代々木にあったワシントンハイツに行ってボールをもらって運営していました」 と振り返る。田中氏の父・光義氏は、明治38年(1905年)生まれで創業時は41歳であった。「東京多摩川ゴルフ練習場」の名称は、創業時からのもので光義氏が命名した。田園調布にあるため、今であればその名称を使ったら良いと思うが、当時は何の迷いもなくこの名称に決まったという。 創業時は近隣の田園調布在住のゴルファーが徒歩で訪れたり、中村寅吉プロが練習に来たりして、経営は順調であった。創業から10年ほど経過して、出資金を返却し、株式会社東京多摩川ゴルフ練習場となった。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/09/2023092203.jpg" alt="" width="1000" height="666" class="aligncenter size-full wp-image-78833" /> 対岸にはショートコースの多摩川ゴルフ倶楽部があるが、練習場が出来て10年後ぐらいに親族が開場した。当時は、川を渡ってショートコースに行ったとのことである。気楽にゴルフを楽しめる環境で、多摩川にあるゴルフ天国の様相であった。現在、ショートコースの経営は変っているが存続している。 <h2>無人インドアも新たに開設した</h2> 東京多摩川ゴルフ練習場は河川敷に位置するため、河川法の対象となる。設立された1951年当時は旧河川法が適用され、河川敷の利用に関しては緩やかな時代であった。1964年の法改正により、新河川法の適用となっている。 多摩川は一級河川で国交省の管轄だから、同省に占用料を支払って運営している状況だ。河川敷なので、建築物を建てられず、受付も簡易な小屋である。防球ネットの柱は木製で、簡単に取り外しができるとのこと。打席は創業から土を使用しており、打撃部分にはショットマットを置いている。以前は土から打つこともできたが、現在は整備の関係からショットマットを使用する。 フィールドは天然芝で、バンカーやアプローチエリア、天然芝のパッティンググリーンも備わっている。また、池田氏が経営にかかわるようになってから、ボールの綺麗さにこだわっており、 「3か月に一度、ボールの塗装を塗り直しています」 池田氏は、河川敷にあるゴルフ練習場ならではの苦労、特に水害についてこう話す。 「2019年10月の台風19号の時は、ゴルフ場横の堤防ギリギリまで水位が上がり、練習場にあった全ての設備や藤の木が流されて、1か月近く閉鎖しました。ブルドーザーで流れ込んだ土砂をどけるなど、本当に大変な作業でした」 ただ、この洪水を機に、アナログで受付していたものを、デジタルの会員証にして、LINEで会員にリアルタイムで情報を流せるなどのシステムに変えた。 河川敷練習場特有の制約から、屋根を付けることが出来ないので、雨天の場合はクローズとなる。 「今までは、雨が止んだら数時間後に再開していましたが、LINEで再開時間などを知らせて利便性を高めています。ただ、台風や大雨のときは常に水没の危険があります」 もう一つの難題は、河川敷の占用について3年ごとに更新があり、国交省に使用許可の書類を提出する必要があること。池田氏は、 「書類は細かく、内容も厳しくなっていますが、前職でメディア関係の会社にいたので、慣れている分、対応できています」 一方、河川敷ならではのメリットもある。およそ2万3000m2の土地を国交省から借りて営業しているが、田園調布の私有地であれば相続税は莫大となって、事業継承は厳しくなる。占用許可が継続できれば、都市部で課題となっている事業継承問題はクリアできる。国がこの河川敷を水防や公共目的など、別の用途を考えた場合は問題だ。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/09/2023092204.jpg" alt="" width="1000" height="666" class="aligncenter size-full wp-image-78834" /> 「最近、近隣の屋外練習場4~5か所が閉場したため、開放的な広い場所で打てる屋外練習場は貴重です。自分の代で開業100年を迎えることが可能なので、この仕事を続けていきたい。そのためには、現在年間4万人以上の来場者をさらに増やすこと。スクール事業を伸ばしていきたいですね」 そのため、同練習場の近隣にある事務所の1階に、新しく無人インドア練習場とパーソナルジムを併設した施設をつくった。 「時代のニーズに合わせ、若くて新しい顧客を取り込んでいきたい」 と、次代を見据えている。 東京の田園調布にある250ヤードの屋外練習場が継承され、100周年を迎えることを期待したい。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年8月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2023年09月24日