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    東京都江東区大島にある大島ゴルフセンターは、地下鉄都営新宿線の大島駅から徒歩3分の至便なところにある屋外ゴルフ練習場である。3階48打席で100ヤード。駐車場は52台収容と十分な広さがあり、 「ゆとりがあるため、駐車場が満車になったことはありません」 大島ゴルフセンター 受付 同練習場を経営する株式会社スガエンタープライズの菅登志夫社長は笑みを浮かべる。同氏は昨年10月に社長へ就任、ちょうど1年が経ったところである。 菅家のルーツは四国とのこと。菅という苗字は、菅原道真が由来だという。菅原道真が船で大宰府に向かっている途中、暴風雨に遭い立ち寄った土地が、愛媛県越智郡小西村星之浦。その時、菅家の先祖は大破した船の修理を行い、その功績により「菅」姓を賜ったという。 「ですから当家の家紋は『丸に梅鉢』で、天神様・道真に由来していると聞いています」 菅社長の祖父・菅金助氏は、その四国愛媛の出身で、広島の造船所に勤め、その後、三重県鳥羽の造船所で重量物設置などの技術を習得・考案し、1920年に鳥羽で「菅組」を創業した。創業1年後、台風で根元から折れた伊勢の二見浦夫婦岩の40t以上ある女岩の修復工事を請負い、会社の基礎を築いた。 その後1923年の関東大震災の復興に「菅組」の技術を役立てたいとの思いから、現在ゴルフ練習場のある江東区で「東京菅組」を立ち上げた。1986年に社名変更して株式会社スガテックとし、大手製鉄メーカーなどのプラント設備の設計・製作・建設・整備など、幅広い分野で活動している。その「菅組」の倉庫があった場所が、現在の大島ゴルフセンターである。 菅氏の伯父で金助氏の長男・光孝氏がゴルフ好きで、社長時代、会社の資材置き場などの倉庫があった現在の江東区大島に、1976年「大島ゴルフセンター」を創業した。この練習場の名称は地名の「大島」からとり、創業時から現在まで変っていない。もとは「菅倉庫」という別会社を、株式会社スガエンタープライズにし、ゴルフ練習場の運営を始めている。 菅氏は大学卒業後スガテックに入社、その後外資系金融機関で働き、昨年7月にスガエンタープライズに入社、10月から社長という経緯である。練習場の運営会社は代々親族が社長を務め、現在の菅社長で4代目。同氏は社会人になってからゴルフを始め、20年ほど前にカレドニアンGC(千葉県)のメンバーに。スコア90前後のゴルフを楽しむ。 「自宅が大島ゴルフセンターの近くなので、この練習場には以前から一人のゴルファーとして通っていました。従兄の現会長が70歳を超えたので、自分が社長をやることになりましたが、前社長はゴルフをしなかったので、自分はゴルファー目線で練習場の経営に取り組みます」 と、顧客目線を大事にする。 有意義な待ち時間を提供 大島ゴルフセンター打席 大島ゴルフセンターの創業当時は2階建て32打席だったが、開業10年後に3階48打席に改修。それ以降大きな改修はないという。社長就任後、同施設の周辺人口や年齢構成などを調査会社に依頼した結果、 「この地域は特に高齢化が進み、現状のままでは先行き不透明であることがわかりました。より広いエリアの若い世代や、違う客層を取り込む必要があると思っています」 そこで、社長就任直後の昨年11月にトラックマンレンジを導入。100ヤードの屋外練習場では飛球がすぐにネットに当たるため、 「弾道や飛距離が判ることが必要だと考えたのです。この商圏にはほかに大型の練習場があり、その顧客を取り込めるチャンスが増える。計測器やシミュレーションを備えた屋内練習場も増えているので、屋内よりも打音や球の打ち出しが良くわかる屋外のメリットを訴求することもトラックマンレンジ導入の理由です」 3階に『トラックマン4』を使ったシミュレーションルームを設置して、スピンやクラブの入射角など高度なショット分析で、上級志向のゴルファーを満足させるレッスンも可能。また、今年10月にフロント周辺の内装を中心にリニューアルした。 特に来場者に喜ばれるのが1階にオープンした「コスタコーヒー・カフェ」だという。ヨーロッパでナンバー1のコーヒーブランドだそうで、練習場利用者だけでなく、近隣住民が気楽に利用できるようカフェ用の入り口も用意した。 「練習場利用者には割引価格で提供し、混雑時の打席待ちや練習後の休憩に利用されています。スタバなどで30分ほど、ゆっくりコーヒータイムを過ごすことは普通ですし、フリーWi-Fiも用意してあるので待ち時間を楽しく有意義に過ごせます」 10月のリニューアルに合わせてスクールも一新、データに基づいた練習メニューをインストラクターが提供し、スクール生400人を目標に施策を打つ。ICカードの導入で来場者の年齢構成も明確になり、 「20代が一番多くICカードを作っています。若者は車離れをしているので、駅近のロケーションが効いているんでしょうね」 と分析している。 同施設の東側には荒川が流れ、千葉に近く、東側在住のゴルファーは千葉側の低価格な練習場に行く傾向が強いため、商圏は西側10km圏内。ポスティングやSNSでの発信もこの地域が中心だ。年間来場者は9万人前後で、今回のリニューアルにより幅広い 地域からの来場を期待している。 菅社長のポリシーは、 「地元に愛され続けるゴルフ練習場であり、カジュアルで若い世代にも気軽に来場頂ける雰囲気づくりを目指しています」 東京23区内の屋外ゴルフ練習場は、承継問題や業態転換で減少傾向が続いている。その中で安定経営の「大島ゴルフセンター」は、貴重な存在になることは間違いない。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年12月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら
    (公開)2024年02月18日
    関越道の所沢ICから15分、所沢と狭山を結ぶ広々とした2車線の所沢掘兼狭山線に面した、交通至便な埼玉県所沢市下富に「新富ゴルフプラザ」はある。所沢の緑に囲まれ、解放感を感じる、2階62打席250ヤードの屋外練習場だ。同施設の成り立ちやコンセプトについて、有限会社新富ゴルフプラザ・坂東枝美子専務に取材した。 「新富ゴルフプラザ」の敷地面積は約3万㎡。これまで訪れた多くの練習場と同様、元々地主で、自分の農地や牧場などを活用した練習場だと思っていた。ところが、事情はかなり違うらしい。坂東専務いわく、 「この練習場は34年前、1990年に父(故・実氏)が創業したのです。父は北海道出身で、大学卒業後、兄と不動産業を千葉で起業。その後独立して埼玉の清瀬、入間で不動産事業を営んでいました」 実氏は、事業を始めた後30歳ぐらいでゴルフにハマり、競技ゴルファーの道を歩む。スコアも60台で回る腕前になっていた。坂東専務が母親に聞いた話では、 「父がある日突然、ゴルフ練習場を始めたいと。それで現在の土地を一緒に見に行ったそうです」実氏は事前に家族には相談せず、練習場開業の準備をしていたそう。 一部は借地だが、練習場用地を買収し、4年の歳月を費やした。住まいも所沢に転居している。「母親に相談もせず、よく始めたと思います(苦笑)」 この、所沢市下富の地を選んだのは、田園の中で隠れ家的な練習場をつくりたかったことと、まとまった土地を手配できたからだという。不動産業をしていたので、この地域に道路を通す計画があることを逸早く察知したことも、思い切って買収できた一因である。 ただ、道路はもう少し早く開通する計画だったが、開業から20年以上過ぎた10年前にやっと開通した。開業前、よく練習に通っていた入間の金子ゴルフセンターのオーナーと親しくなり、そこからの情報が役立ったとのこと。開業当時、一人娘の坂東専務は中学生であった。 「新富ゴルフプラザ」の名称を最初に聞いた時、筆者はこの地区の地名かと思ったが、「新富」という地名はない。現住所の「下富」の「富」と、新しいゴルフ施設をつくるとの想いで「新」をつけて「新富ゴルフプラザ」とした。プラザは人が集まる「広場」の意。練習場のキャッチコピーは「楽しいゴルフをクリエイトとする緑のゴルフ&ウエルネスパーク」で、「新富ゴルフプラザ」の名称は父・実氏が命名した。 「あとで父親の友人に聞いた話では『坂東ゴルフ』や『東武ゴルフ』などの名前も候補だったそうです」 父親の急逝で決断した 開業時は2階45打席250ヤードの規模であった。この地区にはゴルフ練習場がなく、また実氏が様々なゴルフ大会・競技で優勝し、ゴルフを通じて知り合った仲間にPR。経営は順調に推移していった。100名規模のコンペを開催すると、すぐに定員が埋まった。実氏はいつも2番打席で練習していたという。 その父親が4年前、急逝した。「当日の午前中まで仕事をしていて、電話で話もしていたので、本当に驚きました・・・」 と、坂東専務は言葉少なに振り返る。一人娘であり、その日から仕事を引き継いだというが、それ以前は週2回のアルバイトで、フロントの手伝いはしていたものの経営にはノータッチだった。 「父はあと20年ぐらい頑張るだろうと思っていたので、突然のことで、誰も私が継ぐとは思っていなかったですし、母も継ぐことを薦めませんでした。でも、父が苦労してつくった練習場を、自分の代では潰せないと思ったのです」 ただ、事業承継の可能性を見越し、10年前からゴルフ練習場の勉強会に顔を出して業界関係者とのつながりは持っていた。 「父は時々、『ゴルフは3世代で楽しめるスポーツだ』と、ゴルフの素晴らしさを話していたので、継がせたい思いはあったかもしれません。母は経理を担当していたので当社の代表を務めていますが、実質的な経営は私が担っています」 経営を引き継いで最初の3年は、練習場事業の把握に努め、リスク回避のための防球ネット整備などに力を注いできたが、これから自分の色を出したいと意欲を示す。今年は60ヤードのアプローチエリアを整備。 「力の弱い女性やシニアがスコアアップするためには、アプローチが重要なので、その点を改善しました」 同施設の特徴のひとつは、開業時からコースボールを使用していることで、このことがアプローチ練習にもプラスに働いている。インスタグラムにも力を入れており、フォロワー数も3000を超えた。練習場業界の中では多い方で、SNSでの情報発信が若者ゴルファーの来場を促進しているという。 また、スクールも「新富らしさ」を打ち出す構え。スクール用のオリジナルノートや、スイング動画を共有できるソフト等を整備してきた。可視化やプロとのコミュニケーションが重要と考え、「新富ゴルフアカデミー」のカラーを鮮明にしていく。現在、年間10万人以上の来場者があるという。 父・実氏の立てたコンセプトに加え、一人娘の専務の野望は、 「男性ゴルファーが女性を連れてきやすいNO.1のゴルフ練習場を目指します」 と、新たな旗を立てている。女性がゴルフを始めるときには、男性の存在が大事。このあたり、女性経営者ならではの視点と言えるかもしれない。 「女性が入りやすい、快適な練習場をつくりたいですね。それと、女性でも練習場経営を承継できる好例になりたいと思っています」 ジェンダーフリーの時代だが、ゴルフ界はまだまだ女性経営者が少ない。筆者は、新風を吹き込んでほしいと願っている。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年11月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら
    (公開)2024年01月25日
    「よみうりゴルフガーデン」は、東京都稲城市と神奈川県川崎市にまたがる広大な敷地の遊園地「よみうりランド」内に位置する練習場。今回の取材は車で訪問した。よみうりランドのゲートから中に入った、よみうりランド大駐車場の横に位置している。住所は神奈川県川崎市多摩区である。取材したのは8月で、よみうりランドの駐車場からアクアエリアのプールに向かう家族連れが多くみられた。同練習場の成り立ちやコンセプトについて、株式会社よみうりランド・よみうりゴルフガーデンの山田孝治支配人を取材した。 練習場の事業主体は株式会社よみうりランド。同社は読売新聞グループ本社の基幹7社の一つで、総合レジャー事業、不動産事業、ボールパーク事業、サポートサービス業を担っている。レジャー事業の中には遊園地部門、ゴルフ場経営のゴルフ部門、競馬・オートレース・競輪等施設運営の公営競技部門、ゴルフ練習場・温浴施設・親子向け屋内遊戯施設等を経営する健康関連部門、食堂・売店経営の販売部門と広範だ。 よみうりゴルフガーデン受付 よみうりランドは「大衆へ奉仕する」という創始者・故正力松太郎の言葉から始まっている。会社設立は1949年で公営競技事業に始まる。ゴルフは昭和30年代「一部の上流階級のスポーツでしかなかったゴルフを一般大衆へ開放しよう」という創始者の思いから、1961年(昭和36年)に東京よみうりパブリックコース(現:よみうりゴルフ倶楽部)をオープンしている。 1964年東京よみうりカントリークラブ、1978年千葉よみうり、1985年静岡よみうりをオープン。1993年3月21日に練習場の「よみうりゴルフガーデン」を開業した。今年で開業30年を迎え、ラウンジには30年記念のディスプレーが施されていた。練習場は2階建て1、2階各40打席、計80打席で、距離180ヤードは創業時と同じ。 実は同じ場所で、1974~92年までテニスコート「よみうりテニスガーデン」を経営していたが、市場規模が大きいゴルフ練習場に業態変更。ただし、ゴルフ場に併設される練習場を除けば、練習場単体として経営するのはよみうりゴルフガーデンのみ。山田支配人いわく、 「少子高齢化でゴルフ市場の拡大が望めない中では、練習場事業の拡大も厳しいのではないか」 と、現状を冷静に見る。 フロントの女性は制服を着ていて、雰囲気はゴルフ場の受付けのよう。よみうりランドは東京2場、千葉1場、静岡1場と計4コースを運営しており、その雰囲気が色濃くある。ラウンジから外をみると650㎡の天然芝のパッティング練習場があり、ゴルフ場のような雰囲気を漂わせている。 よみうりゴルフガーデングリーンスピード 「このパッティンググリーンは東京よみうりCC、よみうりGCと同じグリーンキーパーが管理しているので、ゴルフ場と同じクオリティーを保っています」 練習場のパッティンググリーンとしては最高水準と思われ、グリーンスピード、刈り高が表示されていた。その奥には5打席のバンカー練習場があり、専用のターゲットグリーンを併設。コース仕様の質の高い砂を使用して、実践的な練習ができるという。 練習場を複眼的に見る よみうりゴルフガーデン・バンカー 「ゴルフ場で培ったノウハウを存分に活かした本格的なレベルのパッティンググリーンと、練習用バンカーを備えることが当練習場の特徴のひとつです。また、フレンドリーで親切な接客を通じて、地元のゴルフ愛好者に末永く愛される練習環境の提供を基本としています。スクール運営にもこだわっており、ゴルフを楽しく続けてもらうことを念頭に置き、専属のプロが一人ひとりの技術レベルに合わせて最適なレッスンを心掛け、継続的に練習場に足を向けていただけるようにしています」 練習場の各打席はフルオートティーアップ、冷暖房完備で、この暑い夏でもダクトから冷風が送られ快適に練習できる配慮が行き届いていた。商圏は半径10㎞圏内で、川崎市多摩区、麻生区、稲城市が中心とのことである。来場者の年齢は60~70歳代が中心で、男女比は8:2とのことである。 「来場者の多くが地元地域の居住者で、ゴルフを通じて健康促進と充実した時間を提供しています」 フロントで事前清算してから打席を指定。ボール貸し、打ち放題ともに両立できるシステムだ。 よみうりランドの社員である山田支配人は1997年入社で、同練習場の支配人になって1年半、その前はよみうりランド内にあるフラワーパーク「HANA・BIYORI」の支配人を務めていた。以前はよみうりGCのキャディーマスターも経験しており、 「ゴルフ場を経験してから練習場の支配人になって思うのは、同じゴルフでも双方の雰囲気はぜんぜん違って、練習場では心からフランクになれるんですよ(笑)」 よみうりゴルフガーデン・グリーン ゴルフ場に比べると、練習場は気楽にゴルフに接することが出来る雰囲気があり、敷居の低さを実感したとのことである。また、現在は練習場の支配人と兼務で、全国に4か所あるフランチャイズの全天候型屋内キッズ施設「KID‒O‒KID(キドキド)」のキッズ施設運営課の支配人も務める。多様な部署を経験した上で練習場の支配人をしている中で、練習場の課題を山田支配人は、 「全体として高齢化が進んでおり、次世代、若年層、女性ゴルファーの掘り起こしが喫緊の課題です」 子供施設の運営に携わり、よみうりランドという、家族連れや子供が多く集まる施設に位置する練習場だけに、練習場事業を複眼的に見られることが同氏の強み。若年層や女性ゴルファーを取り込むための新しいイベントや発想、他の事業との連動性を含め、練習場業界に新風を吹き込むことを期待したい。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年10月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら
    (公開)2023年11月12日
    WOWCA蕨(わらび)ゴルフクラブは埼玉県のJR蕨駅から徒歩10分、蕨駅と西川口駅の間の県道110号線沿いにある。周りにはドラッグストア、スーパー、スポーツクラブ、飲食店があり、便利な商業地の中にある。 入り口には、この練習場の象徴である大きな枝垂れ桜がある。取材時には桜の季節は過ぎて、青々と葉が茂っていた。この練習場の成り立ちについて、WOWCA蕨ゴルフクラブの貫井(ぬくい)俊男支配人にレクチャールームで話を聞いた。部屋の壁紙は、図書館のように本が並べられたデザインで、他の練習場とはちょっと違う雰囲気を感じた。 同施設の設立は1974年と、半世紀になる。貫井氏の父・紀男氏が開業したもので、同氏は現在82歳で健在である。 貫井家は、墓誌の残された記録から、少なくとも300年以上前の享保年間からこの蕨の地で広く農業を営んでいた。紀男氏の父親は太平洋戦争で戦死され、一家の大黒柱を失った中、残された家族は農業や土地の賃料などで生活を営んでいた。紀男氏は大学を卒業してすぐ、残された土地の活用を考えて1年ほどガソリンスタンドで修行し、1964年にガソリンスタンド事業「貫井石油」を始めた。当時、都市化が進み、今後の土地活用を進める中での決断であった。 幸い、曽祖父の時代に蕨と西川口の間に道路を作る計画があり、曽祖父が自分の土地に道路を通すことを了承。県道が通る交通至便な土地となり、ガソリンスタンドの営業に好立地であった。ガソリンスタンドを続ける中で、貫井家の土地をゴルフ練習場用に貸してくれないかとの話が持ち込まれた。父親の紀男氏は、先祖伝来の土地を貸すつもりはなく断ったが、税金対策を含めて農地や遊休地の活用を思案、自らゴルフ練習場を経営する決断をした。練習場が1㎞圏内にないことも理由の一つだったという。 「当初は、ゴルフの練習をしている間に、ガソリンスタンドで洗車してもらうことも考え、ガソリンスタンドと練習場を両立できるはず」 と考えたが、準備を進める中で両方の経営は難しいと考え、土地を広く使えるゴルフ練習場に経営資源を絞ることにしたという。 紀男氏は大学時代を含めて、ゴルフは未経験だったが、人づてを頼りながら2年かけて準備を進め、1974年に開業。2階建て、32打席70ヤードで、現在と同じ規模である。9ホールのショートコースも併設した紀男氏は、ガソリンスタンド経営時代から、モノを販売することが好きで、ベンホーガンの特約店となりクラブ販売にも注力した。 練習場の創業時の名称は「蕨ゴルフクラブ」で紀男氏が命名。近隣に「蕨ゴルフ練習場」が在り、ショートコースも併設したので「蕨ゴルフクラブ」とした。貫井支配人が当時の記憶をこう話す。 「ゴルフブームもあり、昭和から平成に向かう時代でお客様がどんどん増えました。午前中は練習場、午後はショートコースで『一日遊べる』と好評だったようです。私が子供の頃、待合室には人が溢れ、たばこの煙で白かったことを覚えています。お客様は店屋物で味噌ラーメンを注文して、休憩の合間に食べてショートコースへ行ってました」 地域の憩いの場となった。しかし父親の紀男氏は、現在に至るまでゴルフを一切しないという。 「桜花」と「謳歌」 そのショートコースは、1996年から段階的に縮小していった。コース管理の大変さと越球問題があったからで、売上も含めて土地効率が悪かった。最初にショートコースの3ホールを廃止して、スポーツクラブとした。その後、1998年に4ホールをスーパーにして、土地活用を推進した。貫井氏は1995年に大学へ入学、理学部であったが、卒業後経済学部に学士入学して、「街づくり」をテーマに学んでいた。 父親の紀男氏が、蕨駅前再開発の役員をしており、父親との会話のなかで街づくりに興味を持ったことがきっかけであった。2002年に会社に入り、他の練習場経営者との交流や情報収集して、ゴルフ練習場を改革していく。最初に取り組んだのは営業時間の拡大で、営業開始を朝9時→6時に変更。その後、打席の塗り直し、ボール、マットの更新などを進めていった。 また、ショートコースの残り2ホールをアプローチエリアや試打イベントに活用していたが、2010年にドラッグストアに変えて経営効率を図る。現在は貫井氏が実質的に経営をして、父・紀男氏に報告する体制となっている。ただ、開場当初から、打席間は天井までの仕切りネットがあり、お客様安全第一主義は変わっていない。 貫井支配人がポリシーを語る。 「練習場経営では、日々の『生活の場』を意識しています。誰でもゴルフを始められるよう、レッスン、レンタルクラブ、二木ゴルフの中古クラブを販売したり。仲間ができる仕組みづくりとして、スクールやコンペなどを用意。また、練習場はどうしても敷居が高いので、スポーツクラブ的な雰囲気を心掛けているんですね。『楽しさふくらむ』の想いを表現したロゴマークやキャラクターなどで、親しみやすい雰囲気づくりを目指しています」 現在の名称「WOWCA蕨ゴルフクラブ」は、2010年に貫井支配人が考えた。 「WOWCAは『おうか(桜花)』と呼びます。練習場の入り口にある枝垂れ桜であり、蕨のWを意識し、人生を『謳歌』してもらいたいとの想いを込めました」 正直読みづらいが、そこに込めている同氏の想いが伝わってくる。事業継続については、 「練習場は設備産業なので、クラブハウスは1997年に建替え、打席は自分の代の責任として2016年に建替えました。鉄塔は安全調査を実施していますが、創業当時のままなんですね。ただ、鉄塔の建替えは次の代にかかわるので慎重に考えています。生涯スポーツとしてのゴルフは、街づくりを考える上で大切な役割を担っていくと思います」 WOWCA蕨ゴルフクラブは、年間入場者7万人を超え、地域の生活の場として根付き、街づくりの中に溶け込んでいる。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年9月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら
    (公開)2023年10月15日
    都心から車で20分、東急多摩川線の沼部駅から徒歩6分。多摩川に架かる新幹線の橋の下流側に、東京多摩川ゴルフ練習場はある。場所は東京都大田区田園調布南で、河川敷なので番地はない。開場は1951年11月。 翌52年には東京ゴルフ練習場連盟が発足しているが、当時加盟した9ゴルフ練習場の1つで、現在まで残っているのは東京多摩川ゴルフ練習場のみ。都内で最も古いゴルフ練習場で、36打席250ヤードの屋外練習場である。 その成り立ちについて、同練習場の2代目田中誠氏と、田中氏の孫にあたる株式会社東京多摩川ゴルフ練習場の取締役・池田陽太氏に話を聞いた。田中氏の娘・成美さんの子供が陽太氏である。田中氏は1936年生まれで今年84歳、1960年の日本アマチャンピオンで、世界アマに出場し、ジャック・ニクラウスと戦った経験もある。 この練習場を創業したのは、田中誠氏の父・光義氏である。光義氏は渋谷で指物師(家具職人。箱、机、椅子、たんすなどを、板材をさし合わせて組み立てる職人)をしていた。ゴルフクラブの修理ができないかとの相談を受けて、修理をはじめたという。そんな折り、田園調布在住のゴルフ愛好者から、練習場をつくりたいとの話が持ち上がった。戦後すぐの時代とあって、近隣に練習場はない。現在の多摩川河川敷の場所は畑だったが、前述のゴルフ愛好者に銀行関係者や企業のトップなど富裕層がおり、出資して、光義氏が管理をまかされた。東京多摩川ゴルフ練習場の誕生である。 距離は現在と同じで250ヤード。その後、堤防が拡張されて左側の打席はなくなったが、当時は今より多く50打席程度だった。場所は現在より100mほど上流側で、公共のグラウンドができて現在の場所へ移動した。田中氏は、 「開場当時はボールがなく、ゴルフ場のキャディさんから1個50円前後で買い上げたり、当時代々木にあったワシントンハイツに行ってボールをもらって運営していました」 と振り返る。田中氏の父・光義氏は、明治38年(1905年)生まれで創業時は41歳であった。「東京多摩川ゴルフ練習場」の名称は、創業時からのもので光義氏が命名した。田園調布にあるため、今であればその名称を使ったら良いと思うが、当時は何の迷いもなくこの名称に決まったという。 創業時は近隣の田園調布在住のゴルファーが徒歩で訪れたり、中村寅吉プロが練習に来たりして、経営は順調であった。創業から10年ほど経過して、出資金を返却し、株式会社東京多摩川ゴルフ練習場となった。 対岸にはショートコースの多摩川ゴルフ倶楽部があるが、練習場が出来て10年後ぐらいに親族が開場した。当時は、川を渡ってショートコースに行ったとのことである。気楽にゴルフを楽しめる環境で、多摩川にあるゴルフ天国の様相であった。現在、ショートコースの経営は変っているが存続している。 無人インドアも新たに開設した 東京多摩川ゴルフ練習場は河川敷に位置するため、河川法の対象となる。設立された1951年当時は旧河川法が適用され、河川敷の利用に関しては緩やかな時代であった。1964年の法改正により、新河川法の適用となっている。 多摩川は一級河川で国交省の管轄だから、同省に占用料を支払って運営している状況だ。河川敷なので、建築物を建てられず、受付も簡易な小屋である。防球ネットの柱は木製で、簡単に取り外しができるとのこと。打席は創業から土を使用しており、打撃部分にはショットマットを置いている。以前は土から打つこともできたが、現在は整備の関係からショットマットを使用する。 フィールドは天然芝で、バンカーやアプローチエリア、天然芝のパッティンググリーンも備わっている。また、池田氏が経営にかかわるようになってから、ボールの綺麗さにこだわっており、 「3か月に一度、ボールの塗装を塗り直しています」 池田氏は、河川敷にあるゴルフ練習場ならではの苦労、特に水害についてこう話す。 「2019年10月の台風19号の時は、ゴルフ場横の堤防ギリギリまで水位が上がり、練習場にあった全ての設備や藤の木が流されて、1か月近く閉鎖しました。ブルドーザーで流れ込んだ土砂をどけるなど、本当に大変な作業でした」 ただ、この洪水を機に、アナログで受付していたものを、デジタルの会員証にして、LINEで会員にリアルタイムで情報を流せるなどのシステムに変えた。 河川敷練習場特有の制約から、屋根を付けることが出来ないので、雨天の場合はクローズとなる。 「今までは、雨が止んだら数時間後に再開していましたが、LINEで再開時間などを知らせて利便性を高めています。ただ、台風や大雨のときは常に水没の危険があります」 もう一つの難題は、河川敷の占用について3年ごとに更新があり、国交省に使用許可の書類を提出する必要があること。池田氏は、 「書類は細かく、内容も厳しくなっていますが、前職でメディア関係の会社にいたので、慣れている分、対応できています」 一方、河川敷ならではのメリットもある。およそ2万3000m2の土地を国交省から借りて営業しているが、田園調布の私有地であれば相続税は莫大となって、事業継承は厳しくなる。占用許可が継続できれば、都市部で課題となっている事業継承問題はクリアできる。国がこの河川敷を水防や公共目的など、別の用途を考えた場合は問題だ。 「最近、近隣の屋外練習場4~5か所が閉場したため、開放的な広い場所で打てる屋外練習場は貴重です。自分の代で開業100年を迎えることが可能なので、この仕事を続けていきたい。そのためには、現在年間4万人以上の来場者をさらに増やすこと。スクール事業を伸ばしていきたいですね」 そのため、同練習場の近隣にある事務所の1階に、新しく無人インドア練習場とパーソナルジムを併設した施設をつくった。 「時代のニーズに合わせ、若くて新しい顧客を取り込んでいきたい」 と、次代を見据えている。 東京の田園調布にある250ヤードの屋外練習場が継承され、100周年を迎えることを期待したい。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年8月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら
    (公開)2023年09月24日
    JR蒲田駅の西口から徒歩15分、東京大田区新蒲田の住宅街に囲まれて「加藤農園ゴルフリンクス」はある。1966年開場、今年で57年の歴史がある。 「農園」の名称から田園地帯の練習場をイメージするが、実際には住宅地に位置している。このゴルフ練習場の成り立ちについて、事業会社である有限会社NOUENの代表取締役加藤賢治氏、夫人の亜弓取締役に話を聞いた。 加藤家は、この地で400年以上前から農業を中心に営んでいた。歴史的にはそれ以前から居住していたというが、近隣の菩提寺「大楽寺」の過去帳が焼失して不明とのこと。代々農業を営んでいたが、途中、籠生産や畳屋などをしていた時期もあったようだ。 明治以降も農業を続け、戦前戦後も、大消費地に近接していることから、桃、梨、ぶどうなどの果実、野菜、コメなどを栽培していた。昭和に入り宅地化が進み、1960年頃には近隣で農業を営むのは加藤家だけとなってしまった。 加藤農園ゴルフリンクス 創業時栄一会長・打席 ちょうどこの時期、東京電力の変電所をこの地域につくるとの話があり、土地の一部の売却を迫られた。加藤社長の父・栄一氏(現会長)が農業からの転換を考え、親族の官僚のアドバイスも得て当時流行っていたバッティングセンターやゴルフ練習場などが候補にあがった。 バッティングセンターは使用する土地の面積が少なく、また、親族が横浜の日吉でゴルフ練習場を始めており「風呂屋の番台に座っているのと同じで、現金収入で楽な商売」との話を聞いた。それで農業をやめてゴルフを選んだが、栄一氏はゴルフ経験が全くなかったという。 開業にあたり、クラブハウスは地元の工務店に建ててもらい、1階11打席40ヤードの土の打席で、スタンスマットとアイアンマットを土の上に置いた。フェアウェイは天然芝。ボールは人が手作業で拾い、回収したボールはイモ洗い機を使って洗浄、乾燥させて箱に入れ、来場者に提供していたという。 開業時から天然芝の練習用グリーンを備えていた。さらに地元の来場者から「バンカーを造ったら」との発案を受け、開業1年足らずで練習用バンカーも設置した。当時3歳だった加藤社長は、 「バンカーで砂遊びをした記憶があるんですよ」 と振り返る。 加藤農園ゴルフリンクスバンカー ネットの高さは15mで、当時は建築許可がいらない構造物で、ネット柱も知り合いから建設業者を紹介してもらった。開業から比較的順調なスタートを切った。 蒲田地域には町工場の経営者でゴルファーが多く、この練習場に仲間とともに集まってくれるようになった。当時はまだ、栄一氏もゴルフを知らない中で、顧客が練習場を支えてくれたという。開場は10月、その翌月の11月には顧客が役員会をつくって月例コンペ「栄会」が発足した。現在は解散したというが、400回以上の回数を重ねた。 栄一氏は当時、ゴルフ場にコンペを予約する方法がわからず、顧客が主体となって予約、開催してくれたという。栄一氏は、 「設備に不具合があると、蒲田の工場の常連さんが直してくれたり、あれよあれよという間にスムーズに立ち上がった。地域に支えられ、賑わいのある練習場となりました」 と、当時を振り返られているとのことである。 地元を愛し愛され 「加藤農園ゴルフリンクス」の名称は創業時から変わらないが、そこには2つの想いが込められている。親戚が、自分たちのルーツを忘れてはならないと「加藤農園」を提案。また「リンクス」は、知人からのアドバイスで人と人のつながりを大事にする「輪・和」から取った。 筆者は、名前の由来を知る前にこう考えていた。「リンクス」はゴルフ発祥のセントアンドリュース・オールドコースに代表される「ゴルフリンクス」から取ったもので、「農園」との組み合わせも、現在のSDGsの考えに近く、モダンな名前だなと。しかし、今回改めて由来を聞いて、ルーツや「輪・和」を大事にする意図を知った。地域のゴルファーが栄一氏を支えてきたことを含めて、色褪せない本質の価値を再認識した次第。 1983年、加藤社長が大学3年の時に、事業継承を前提に現在の2階打席にリニューアル。1997年には、やはり「地元の工務店」に依頼してクラブハウスを全面改修。2003年に今後の事業継続・継承を考え、事業を会社組織とした。 都市型の屋外練習場が継承できない最大の問題は相続である。事業を継承するためには、法人化も含めて長期的な対策が必要だ。東京の環状八号線に近い大田区にある「加藤農園ゴルフリンクス」では、20年前からその準備をしていたことになる。 社長夫人の亜弓取締役も、 「法人化の目的を明確にすることが大切です。事業を次の世代につなぐことを含めて考えています」 現在、他社で社会経験を積んだ2人の子息が入社して、3世代の経営体制が整っている。 経営ポリシーは「若者からシニアまで、みんなが楽しんでもらえる練習場」だが、実際、そのとおりの来場比率になっている。20代:21%、30代:15%、40代:15%、50代:28%、60代:12%、70代:9%と、各世代が満遍なく訪れる。 特に若い世代の来場比率が、他の練習場に比べて明らかに高い。この点について加藤社長は、 「息子達が経営に加わって、携帯アプリなどSNSの活用で若い世代を取り込めました。その一方、シニア世代が弱いので、自分たちがその課題を解決する必要があります」 2018年、新たな取り組みを始めている。近隣の蓮沼駅近くの商業ビル2Fに、4打席の屋内練習場「インドアスクール Choccoto」を開業。ちょこっと練習できる利便性を重視したもので、不動産会社からの提案を形にした。 「将来のゴルフ練習場はどうあるべきか。課題を常に考えて、トライしています」(加藤社長) 地元のゴルファーに支えられ、地元に仕事を発注し、地元の声を形にする。「加藤農園ゴルフリンクス」の名称と思想は、栄一会長から脈々と受け継がれている。 加藤農園ゴルフリンクス 開業時ハウス入口 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年7月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら
    (公開)2023年08月27日
    山手線田町駅の芝浦口から徒歩7分の第三東運ビル屋上にMINATOGOLF田町がある。ゴルフレッスンと打ち放題で13打席の規模。東京タワーが打席から見え、そこに向かって打てる絶好のロケーションだ。都心の屋外型練習場としては、数少ない施設の一つである。 この練習場を取材していた時、ゴルフメディアの編集者がネットでこの施設を見つけてクラブ試打のため来場していた。事務所から近くで、田町駅から歩いてすぐの屋外ゴルフ練習場はどんな感じなのか、興味もあって来場したと話していた。 この練習場の成り立ちについて当ビルを運営・管理していた東京レジャー株式会社、東京リクリエーション株式会社、東京倉庫株式会社の代表取締役会長の池田朝彦氏、MINATOGOLFを運営する株式会社JGS取締役会長の高橋純一氏に取材した。 同施設がある芝浦地域は、もともと池田氏の父・新一氏が池袋で倉庫事業を立ち上げ、その後芝浦に移ってきた。コメをはしけで運搬して平屋倉庫に保管するなどの倉庫事業を始めている。 戦前から「ヤナセ」の自動車工場があり、自動車や家電倉庫としての付き合いもあったという。 2020年に東京倉庫運輸は創業100年を迎えている。今から50年ほど前にボウリングブームがあり、ボウリング場をやらないかとの話もあったとか。ちょうど平屋倉庫が古くなり、1000坪の土地にボウリング場と倉庫、オフィスが一体となった現在のビルを1973年に建てた。 池田会長によれば、 「芝浦地域を賑わいのある街にしたいとの思いもあり、その一環としてレジャー施設のボウリング場をつくることになったのです。当初、私の兄がボウリング場経営などで社長を務めていましたが、3年後から私がこの事業を任されて、以来40年間代表をしておりました」 空きスペースの有効活用を考えて、ビル完成の10年後、屋上にテニスコート1面をつくった。しかしテニスコート事業は採算が悪く、次の展開を思案していると、良縁があった。テニスコート施設のネット工事会社社長が、慶応大学ゴルフ部出身で、同じ慶応のゴルフ部出身の高橋氏を紹介されて、「ゴルフ練習場が良いのでは」と、なった次第。 池田会長も慶応大学の出身である。ここからの話を、高橋会長が次のように引き取る。「実は、私の妻の実家がゴルフ場会員権事業の『住地ゴルフ』でして、事業の一環としてイメージアップを含め、ゴルフスクールの運営を頼まれたのです。 そこで1984年、渋谷を皮切りに『住地ゴルフスクール』を始めました」同氏にスクール運営の依頼が来たのには理由がある。高橋会長はハワイ・ワイアラエ・ゴルフクラブで本格的なゴルフ修行を始め、1971年にPGAofAMERICA(米国プロゴルフ協会)のプロテストに合格。日本、米国、アジアのトーナメントに参戦し、1983年のアジアサーキット・インドオープンで優勝した経歴の持ち主だ。ゴルフスクールの運営には適任であり、1989年に開業した第三東運ビルの練習場は「住地ゴルフスクール」田町の名称で始動した。 あのディスコがあった場所 池田会長は地域活動にも積極的に参加しており、現在港区体育協会役員、東京商工会議所港支部顧問・名誉会長を務め、また2018年から実施している「MINATOシティーハーフマラソン」の港区マラソン実行委員会委員長も歴任。 一方の高橋会長は、港区ゴルフ連盟の会長を務めている。「港区ゴルフ連盟」は区民ゴルフ大会(年2回)開催や、一部東京の競技大会への参加に加え、ゴルフ人口拡大に向けてゴルフスクールの開講やジュニア育成に取り組んでいる。 港区体育協会の一員として、港区体育祭など区民の親睦の場を提供すると共に、老若男女問わず一緒に楽しくプレーできるスポーツとしてゴルフ競技の発展を目指す。 4年前、「住地ゴルフスクール」の名称を現在の「MINATOGOLF」に変更したが、地域連携を考えれば頷ける話だ。他に新橋、笹塚、西新宿、市ヶ谷などの6校も住地ゴルフスクールから「MINATOGOLF」に改称している。 「ゴルフを始める人 ゴルフが好きな人 すべてのゴルファーが集まれるゴルフの『港』を目指して」という想いを込めた名称でもある。 高橋会長のレッスン方針は「少しでも長くゴルフを楽しんでもらう」ことだという。田町の会員数は累計で5000名を数え、会員向けにゴルフ場でのレッスンやコンペも頻繁に開催。海外でのコンペも実施している。主要客層は50~60代で、女性比率は5割弱。通い放題のコースもあるが、基本のスクールレッスンは4回1万6500円。練習場も1時間1500円の打ち放題で、港区民は1200円で練習できる。 余談だが、同施設がある第三東運ビルはかつて、バブルの象徴と言われた「ジュリアナ東京」が1階に入っていた。1991年5月から1994年8月までの約3年、一世を風靡したディスコである。田町駅でボディコンに着替えた若い女性が列をなしていたのは有名な話。 「当社は今も『ジュリアナ東京』の商標を持ってるんですよ(笑)。あの頃、練習場は開場していましたが『ジュリアナ』の客層とは全く違っていて、ゴルフ練習場があることも知らなかったでしょうね。でも今は『ジュリアナ』で踊っていた方が練習に来てるんですよ。それはともかく、スポーツビジネスは地域貢献、ジュニア、人々の健康を重視しないと続けられません」 池田会長は口元を引き締める。 行政を含めて地域と一体化する。地域に不可欠な存在になることが、このビジネスの要諦ということだろう。「MINATOGOLF」田町は、都市ビルの屋上をゴルフで有効活用できる事例も示しているが、屋外練習場が減少する中、新たな可能性を感じさせる。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年6月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら
    (公開)2023年07月02日
    埼玉県鴻巣市関新田に鴻巣ジャンボゴルフセンターはある。関東平野の外周を回る圏央自動車道の桶川加納ICから車で20分、広大な関東平野に広がる水田の一角に練習場のネットが見えてくる。300ヤード、88打席。グループ企業の鴻巣カントリークラブが隣接している。 両社を経営するのは関東文化開発グループの三宝開発(株)。関文グループは東京八王子のGMG八王子ゴルフ場と埼玉県寄居町の長瀞カントリークラブも経営するが、練習場は鴻巣ジャンボゴルフセンターだけである。この練習場の成り立ちについて、関文グループ総本社の森川幸三副社長と、鴻巣CC・鴻巣ジャンボゴルフセンターの森川宗介支配人に話を聞いた。 3ゴルフ場、1練習場を経営する関文グループは森川幸吉氏(故人)が創業した。現在は三代目が経営に携わっており、今回取材した幸三副社長は幸吉氏の長男の息子で、宗介支配人は長女の息子。二人はいとこの間柄にある。幸三氏は次男で、長兄の英幸氏がグループ総本社の社長を務めている。 その英幸社長は、日本ゴルフ場経営者協会の筆頭副理事長を務めている。「ゴルフ」は家業であるだけにゴルフ界全体を盛り上げる意識が強い。ゴルフ未経験の大学生にコース体験を促す「Gちゃれ」に、GMG八王子と鴻巣CCは意欲的に取り組んでいる。 鴻巣ジャンボゴルフセンターは1991年12月に44打席、160ヤードでオープンした。それ以前、隣接の鴻巣CCには鳥かごのような練習スペースしかなかったが、シニアトーナメント(ミサワリゾート)を開催することになり、練習場が必要となってゴルフ場隣接の現在の場所に造成したという経緯である。 開場してみると、この地区の練習場需要が想像以上にあり、その要望に応えるため1995年に設備投資。距離を300ヤードに伸ばし、2階建て88打席に改修。同時に6ホールのショートコースも造成してゴルフのアミューズメントパークを標榜した。名称も開業時の「鴻巣ゴルフ練習場」を、300ヤードの大型施設にふさわしく「鴻巣ジャンボゴルフセンター」に改称している。 鴻巣ジャンボゴルフセンター 300ヤード 地域密着で地域貢献 森川家はなぜ、ゴルフ業界に入ったのか? 創業者の幸吉氏は、旧制開成中学の出身で、その人脈を生かし戦後大倉財閥関連で働き、伊豆や八ヶ岳、多摩カントリーのゴルフ場開発にかかわった。という経緯の中で、幸吉氏は、昔の東京よみうりカントリークラブの特徴的なドーム型クラブハウスを見て、ゴルフ場経営に強い関心を抱いたという。 1967年にGMG八王子ゴルフ場、1968年に長瀞CC、そして1976年に鴻巣CCを開業している。同コースの所在地区は当時、川里村と呼ばれ、東京の新空港候補地となっていたが、その話が流れ、代わりにゴルフ場開発が浮上した。そもそも沼地だったため、近隣の山を購入し、その土を使って沼地を干拓、ゴルフ場を造成した。 練習場を開業したのは2代目の森川幸美氏で、前述のとおり現在は三代目の経営。練習場経営のポリシーについて森川支配人は、 「近隣の練習場にはない300ヤードの広さがあり、ショートコースも完備しているため天然芝からのショットも練習できます。アプローチ、バンカー専用練習場も当施設の特徴です。鴻巣CCを割安で利用できる会員制度もあり、900名強の会員が在籍しています。ポリシーは、お客様が気持ちよく練習できる環境作りが一番大事ということ。建物やサービスも大事ですが、一番はボールや人工芝が奇麗であること。私が支配人になってから、特にこの点に注力しています」 アイアンで摩耗した打席マットはボールが沈んだら即交換。ボールも年間4万球を入れ替えている。 年間来場者は13万人を超え、売上も2億円超。従業員はパートを含め15名で、鴻巣市と近隣市町を商圏とする。コロナ禍も含めて女性比率が2割から3割に高まったが、女性が嫌う「教え魔」の排除や「喫煙BOXの設置」、ショートコースを活用したコンペでは女性が喜ぶ賞品のチョイスにも気を配る。 5名のインストラクターが約460名のスクール生に対応する。12回コースのスクールでは、特典として鴻巣CCのハーフラウンドレッスンを付けるなど、練習場とコースが隣接する強みを生かしている。 地域貢献にも前向きだ。鴻巣市ゴルフ協会と連携し、年1回の鴻巣市初級ゴルフ教室(全7回)や、市役所勤務者を対象としたクラス毎のゴルフスクールを開催。また、自社主催で今年3回目となる鴻巣シニアオープン開催時には、練習場の駐車場で鴻巣グリーン夏祭りも開催する。 「地元企業の協賛もあるため、できるだけ長く続けたい。シニアプロは夏祭の会場で表彰式をするので、有名プロが地元住民と一緒に屋台を楽しんでいるんですよ。弊社は関東では珍しく、ゴルフ場、ショートコース、練習場が三位一体となっており、この環境を上手く活かして『ゴルフパーク』を築きたい。今後は家族で楽しめるゴルフを考えていきたいですね」(森川支配人) 同氏が掲げる地域貢献の在り方を巨視感で捉えると、森川副社長のこんなイメージになる。 「鴻巣市は首都圏から50km圏内で、かつ圏央道が通るため将来のスーパーシティになる可能性があるんですよ。日本のテクノロジーを用いて、地域住民の暮らしをより便利に快適にすることを目指す中で、ゴルフがウエルネスに組み込まれることも考えられる。例えばこのゴルフ施設が自動運転のステーションになれば、レストランを含めて地域にもっと貢献できると思います」 と、大きく位置付ける。 練習場、ショートコース、ゴルフ場が同じ経営で同じ場所にあることは、ゴルフのこれからの可能性を試す絶好の条件が揃っている。地域貢献・地域密着の事業展開で将来像をクリアに描く。三代目経営の手腕を含めて、今後に期待したいゴルフ施設である。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年5月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら
    (公開)2023年06月04日
    BOXGOLFは新宿三丁目駅のE7出口から、歩いて1分もかからない便利な場所にある。住所は東京都新宿区新宿4―3‐15レイフラットB館2F。だが、筆者は取材で訪れた時に迷ってしまった。入り口が、ビルの裏側の非常階段のようなところを上がった2階にあるので、ここが練習場の入り口かと、入ることに躊躇したのである。 BOXGOLFは7打席のインドアゴルフ練習場だ。これまでの経緯やコンセプトについて、代表取締役の日向敏之氏と業務統括の上野美和氏に話を聞いた。 創業は2007年、日向社長が40歳で創業した。それまでネイルサロン、エステなどの美容業界で活動し、今もそのビジネスは継続中。 「高校卒業後、一度旅行会社に入社したんですが、その後大学に入り直して経営学部で学びました。当時から独立志向があったのでこの学部を選んだのです。卒業後は食品流通の会社に入って29歳で独立・起業。ネイルサロン事業を始め、その後エステサロンも含めて店舗展開をしてきました。ただ、30代の半ばから自分の好きなことを事業化したいと思ったんですね。それがゴルフでした。ゴルフ好きの父親の影響で、学生時代にゴルフを始めました」 BOXGOLFでレッスンをしている秋原博史プロとは小学生時代からの友人で、学生時代には父親と3人で一緒にゴルフを楽しんでいたという。そんなわけで、日向社長はシングルの腕前だ。 とはいえ、ゴルフ市場参入にはきちんと商機を窺っている。 「この会社の創業当時は、東新宿の日テレゴルフガーデン、都心の芝ゴルフ練習場が姿を消したタイミングなので、インドアゴルフでも需要があると考えたのです」 ゴルフバーなどにシミュレーションゴルフが入り始めた頃でもあり、当時は設備費が2000万円以上したが、練習には有効だと思っていた。毎年1月に米フロリダ州で開催されるPGAショーで格安のセンサーを見つけ、米国のメーカーと直接交渉。50台の購入を条件に、日本で販売する契約も取り付けた。 ゴルフ練習場ビジネスを始めるにあたり、このセンサーを活用した事業企画を考えたが、そのイメージが面白い。まず、出店場所は「コインパーキングの上」を発想した。通常のコインパーキングは地面だけを活用するから、その上には「空気」しかない。そこで、駐車スペースの上にプレハブやコンテナでゴルフ練習施設をつくれば行けるだろう、と考えた。コインパーキングの運営会社に足を運び、提案した。 「1階はコインパーキング、2階はゴルフ練習場。双方の収益にシナジーが出ますという企画でしたが、先方にイメージが伝わらなくて」 実現には至らなかった。いずれにせよ、社名のBOXGOLFは「箱の中のゴルフ、箱の中で行うセンサー付きゴルフ練習場」というコンセプトから来ている。 練習場からコースへ送客会社を立ち上げた 次に、センサー付きのゴルフ練習場というコンセプトを明確にするため、自ら練習場をつくった。それが現在の場所のBOXGOLFだ。場所の選定は、エステ・ネイルサロンの経験から、リピート率を高めるには利便性が大事であり、特に駅が近いことが必須と考えた。何より「駅チカ」を優先し、表通りなどに面する必要はないとの判断だ。 「ゴルフ練習場は来場者の目的意識が明確なので、最初は探してでも来てもらえます。一度場所を覚えてもらえば問題ないと考えて、現在の場所に決めました」 表通りに面していない物件で、わかりにくいことから賃料が安い。筆者がBOXGOLFを訪れた時に感じた第一印象は、そのような背景によるものだ。わかりにくいが、近隣には一日350万人以上の乗降客数を誇る新宿駅がデンと構える。そこへの期待が大きかった。 2年間は赤字が続いて、事業を軌道に乗せることはできなかった。日向社長が来場客に「なぜうちに来ているのか?」と質問したところ「車がなく、駅の近くだから」という返事が多かった。車がなくて、どうやってゴルフ場へ行くのかと尋ねたら「あまりゴルフには行けない」と聞いた。そこで、練習場からゴルフ場へ連れて行くことをビジネスの柱に据えたという。 ゴルフ練習場でコンペを主催する施設は多いが、BOXGOLFは徹底している。わざわざ別会社を立ち上げて、練習場からゴルフ場への送客ビジネスを立ち上げたのだ。社名は「株式会社ボックスツアー」で、旅行業登録などを完了、ゴルフ場へ送客する認可を得ている。ボックスツアーで業務統括を担当する上野氏がこう話す。 「当社を立ち上げたのは2017年です。『GOLFPAQ』の名称で『日帰りバスゴルフツアー』を365日運営中。関東40か所のゴルフ場と提携しています。BOXGOLFのすぐ横からバスが発着。前日21時まで予約可能で、ツアーは最大16名まで。1名でも行います」 と、細かいサービスが持ち味だ。参加者の98%がおひとりさまで、女性比率は4割。上野氏は、 「おひとりさま、車を持たないゴルファーや、50代から始めた女性の参加も多く、女性ゴルファーの増加を実感しています」 BOXGOLFは会員制で3万人を突破した。ゴルフツアーに参加するためには会員になる必要がある。施設は7打席で、スカイトラック、フライトスコープmevo+、トラックマンなど装備は充実。練習だけや、ゴルフスクール、ツアーへの参加など、ゴルファーの多様な要望に応えている。練習だけの会員も、平日の15~17時はレッスンプロによるアドバイスが無料で受けられるので、この時間帯が人気だとか。 また、BOXGOLFの隣のビルに工房もつくり、クラフトマンを常駐させて、グリップ・シャフト交換も行っている。 コロナ禍でゴルファーが増えているが、練習場からゴルフ場へのつながりは相変わらず未解決で、大きな課題となっている。BOXGOLFの取り組みは、特に車を持たない若い世代や女性にとって、一つの解決策を提案している。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年4月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら
    (公開)2023年05月07日
    静岡駅から、車で12分の静岡市葵区千代に千代(せんだい)ゴルフガーデンがある。県道から折れて坂道を上がり、静岡市を一望できる小高い丘の上に位置していた。これまでの成り立ちやポリシーについて、株式会社千代ゴルフガーデンの代表取締役、千代和年氏に取材した。 同施設は、駐車場を含めて1万5000坪の敷地に、山に向かって250ヤードネットなしの開放感あふれる練習場。昭和50年10月10日の開場で、今年48年を迎える。 千代家は、和年社長の父・紀(おさむ)氏で19代目の家柄という。ルーツは山梨県。祖先は甲斐の武士で「秋山」という苗字であった。 今でも城跡が山梨に残る。戦国時代、戦いに敗れた秋山一族の残党が静岡に逃れ、この地に根付いた。その後同地で農業を営んでいたが、武士の家柄で地域のとりまとめ役となり、200年以上前に駿府城主から「千代」を名乗るように言われたとか。地域には千近くの田があり、「代」は田を表す。それが由来で年貢の取りまとめをする代官の役割を担ってきたとのことである。 千代家は長男が代々土地・家を受け継ぎ、明治以降もその伝統をつないできた。和年社長は次男でゴルフ練習場の代表を務め、長兄は農業法人を経営している。父親は市会議員も務め、ミカン栽培を中心に農業を営んでいた。 ある時、父・紀氏は他の地区を視察する機会があり、機械化が進んだ農業を目のあたりにした。そこで昭和32年頃、現在ゴルフ練習場がある山を削り、農業の機械化を目指しはじめる。ところが、思うように工事が進まず、紀氏は自ら土建会社を設立し、土木機械も購入して工事を進めていったという。 丁度、最初の東京五輪を控え、世の中は建設ブーム。削った山土の需要もあり、事業は順調に推移した。土地の改良も進み、さらに隣接の山も削る計画だったが、その土地の所有者から同意が得られず、オイルショックも重なって、土建会社の営業を中止した。そこで、すでに削ってしまった土地の活用をどうするかが問題となり、親族が集まって話し合う。牧場やクレー射撃場などいくつかの案が出されたが、親族の一人がゴルフ練習場を発案した。和年社長がこう話す。 「それ以前、父を含めてゴルフの経験はなかったのですが、親族に連れられて練習場の見学やゴルフも経験し、面白さを理解できたそうです。最初は事業者に土地を貸して練習施設を整備する話もありましたが、土地を貸すことに躊躇いがあり、自ら設備投資を行った。市街化調整区域で開発許可がなかなか下りなかったことも影響し、2年をかけて2階建て56打席、250ヤードの今の練習場をつくりあげたのです」 社長業は、父親の方針で、最初から和年氏に任された。 「千代ゴルフガーデン」の名前は創業当初から変わらず、今風だが、名付け親はゴルフ練習場の話を持ってきた親戚で、当時練習場を「ゴルフガーデン」と命名するところが多かったからだという。 「カフェ」の構想も 経営ポリシーは、 「ゴルファーの立場にたったゴルフ練習場を目指します」 ということで、コースボールを採用している。練習場のボールは、ボールの飛び出し問題があり、弾道を低く飛距離を抑えたものが多いのだが、同施設は山に囲まれるためボールの飛び出し問題がなく、コースボールを採用している。当初はコースボールの供給が間に合わず、練習ボールを混ぜた時代もあったが、現在は全てゴルフ場で使うものと同じボールだから、コースと同じ球筋で練習できると好評である。 もう一つは「土打席」を残していることだ。現在、静岡県で土打席が残っているのはここだけである。土打席はクラブの入り方が明確にわかり、ミスをミスとして認識できるので練習には優れている。 「だけど管理が大変なんですよ。明日の天気を気にしながら、夜に水を撒く加減を調整する。翌日が雨であれば少なく、風が予想されれば乾いてしまうので多くする。土を叩いて転圧をかける必要もあります」 管理の問題もあり、徐々にマット打席を増やしてきたが、土打席を2打席残しているのがこだわりだ。 千代ゴルフガーデン 土打席 これらのことがコアゴルファー層に支持されている。来場者の9割以上が男性で、来場者は年間8万人。年商は1億円を超えるとか。 個人レッスンの要望も多い。コロナ禍が始まる1~2年前から、松山英樹や若手ゴルファーの活躍が目立ち、その影響でプラスに転じてきたという。これにコロナ禍による特需が重なって2桁アップが続いているが、昨年4月、静岡市内で年間12万人以上来場者があった練習場が閉鎖したこともプラスに働いた。 商圏は静岡市の北側で、夜の11時15分まで営業している。 「静岡市内の商店街は夜9時までの営業が多く、その後、練習したいとの要望があったのです。閉場時間はそれに応えて決めました。コロナ禍の影響で、最近は若い世代のグループや女性の来場も増えています」 千代社長は静岡県ゴルフ練習場協会の会長も務め、子供たちがゴルフに触れる機会の提供にも意欲的。 「市内のイベントにこちらから出向き、プロのレッスンやスナッグゴルフなどの体験機会を設けています」 また、静岡県ゴルフ場協会が学校の授業や部活動で「ゴルフ」の魅力を伝えるスクールゴルフプロジェクトを実施。それに関連して近隣の高校生の来場もある。 「そのほか、子供たちがゴルフに触れる遊びのスクールやジュニアゴルフスクールも行っていますが、ゴルフ界の課題は、ゴルフに触れたことがない人に、いかにゴルフに触れてもらうかです。一案ですが 『ゴルフ場で野鳥を見る会』なども面白いと思います」 ゴルフへの強い想いを感じる。 「千代ゴルフガーデン」はミカンやブルーベリー狩りなども楽しめる場所で、静岡市内が一望できる高台にある。今後、カフェなどをつくり家族で楽しめる場所にしたいとの構想もある。地域に密着し、未経験者がゴルフに触れられる「ガーデン」になることを期待したい。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年3月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら
    (公開)2023年04月23日
    「湘南衣笠ゴルフ」は神奈川県横須賀市にある。横浜横須賀道路の衣笠インターから2分とアクセスが良く、少し高台にある。練習場は1969年創業、昨年53年を迎えた横須賀地区で一番古い練習場だ。 取材で訪れたのは昨年12月であったが、翌週に開業53年のコンペを開催するということで入り口に賞品が展示してあった。この練習場の成り立ちやコンセプトについて株式会社湘南衣笠ゴルフ・代表取締役社長の 岩﨑聖秀氏に話を伺った。 岩﨑社長は現在46歳、社長になって12年経つ。以前は飲食業に勤めていたが、24歳で家族から頼まれ練習場に入った。訪れた際、岩﨑社長が来場客と楽し気に会話をしていて、アットホームな雰囲気であった。 「湘南衣笠ゴルフ」の創業者は岩﨑社長の父・聖金氏である。 「現在の練習場は東京湾の埋め立て用の砕石場跡で、砕石の役割が終わり約1万坪の敷地が売りに出たのです。何かの開発がらみで使えるのではないかということで、父親を含め3名共同で取得しました。当初は住宅等にすることを考えたそうですが、開発許可の関係で難しく、しばらく寝かせなければならず、遊休地の活用としてゴルフ練習場を始めたのです。父親は当時ゴルフをしておらず、ゴルフ好きだからという理由ではありませんでした」 当初は、現在の練習場がある山の下に受付があり、バッグを担いで上まで登ってもらったそう。創業当時は土の打席で、来場客自身がローラーをかけて平らにしていた。そこにゴルフブームが到来し、 「本格的に再投資して練習場をやっていこうと父親が決意。他の2名から土地の権利を買い取ったのです。父は昭和11年生まれで、18歳でガソリンスタンドを創業、マイカーブームが訪れて軌道に乗った」 というから、機を見るに敏なビジネスマンだったのだろう。その後、同地区を大手ゼネコンが開発するとのことで、ガソリンスタンドを売却して30歳で水道工事事業を始めた。最初に砕石場跡地を3名で買い取る時は自己資金だったが、 「他の2名から買い取る時は借り入れをして、77歳の母によれば『大きな借り入れをするのが怖かった』そうです」 父親は次々と事業を始め、育った事業を社員や後輩等に会社譲渡する志向の事業家で、今でも資本関係のある会社とはグループとして交流を深めている。 年中無休の「居場所」 岩﨑社長は3男だが、長男は早世し、父親も岩﨑社長が高校生の時に他界したため、現在は家族で父親が残した事業を継承発展させている。兄弟仲は良いそうで、月に1回役員会として、母親と兄弟で昼食を共にするファミリー企業である。 ゴルフ練習場では岩﨑社長の姉も働いている。大神グループとして建設事業、不動産事業、飲食事業等を展開し、ゴルフ練習場もグループ法人の1つという位置づけだ。 「このような事業体制なので、ゴルフ練習場の継承についてもスムーズにできると考えています」 近年、ゴルフ練習場は単に球を打つだけの場所ではなく、様々な事業方針を掲げる施設が目立つ。同社の場合、どのような事業ポリシーを描いているのだろうか? 「当社は、地域に開かれた情報発信の場と考えています。サービス業として『楽しい』をフックに、地域が抱えている高齢化、空き家、子供の教育といった社会課題を、自分の事業を通じて少しでも解決できればと思っています」 と、明快に答える。ゴルフが貢献できることについては、 「東日本大震災の後、長期休業後に開業したとき、お客様の何気ない一言『いい気晴らしになったよ』が忘れられないんです。テーマパークのように夢を与えることはできないかもしれませんが、⽇常のちょっとした幸せを、自分たちの力でお客様や地域に提供したい」―。 「湘南衣笠ゴルフ」は地域密着であるが、商圏は意外と広く、三浦半島全域だとか。1973年に建て替えて、現在の設備になっているが、設備投資を抑えるため、以前導入したティーアップ機もメンテナンス費用の削減で全て撤去。ボールは籠売りに変更している。 毎日気楽に来場できるよう、安い時間帯は1球5・5円、計1000円ちょっとで楽しめる。打席は2階110打席の230ヤード。営業時間は朝5時~夜10時。年間来場者は15万人を数える。 「高齢者に一日でも長くゴルフを楽しんでもらいたいのです。ここに来れば誰かと会話ができ、毎日ルーティンのように来場してくれるお客様もいらっしゃる。『居場所』として365日開場しています」 特筆すべきは「プロジェクト90」だ。90歳になってもゴルフを楽しもう、を掲げており、地域の看護士の団体が月一度、血圧測定、健康相談等を行う「町の保健室」を実施中。またヨガ教室や、自動車学校の先生に来てもらい交通安全教室にも取り組んでいる。月例コンペには4つの同好会があり、岩﨑社長も4か月に一度、各コンペに参加してコミュニケーションを深めている。 ジュニアの取り組みは、横須賀地区の4つの練習場が共同で小学生にゴルフ体験を促す「すかゴル」に参加。また、所属の岩室智章プロがジュニアスクールを続けている。同プロはここを拠点に、ゴルフを通じて子供の健全な教育を図るだけではなく、逆に子供を通して大人にもゴルフの楽しさを伝え、ゴルフを家族や地域のコミュニケーションツールとして機能させるべく「横須賀ジュニアゴルフ推進協会」を立ち上げた。18歳未満の子供は年間3万円で打ち放題だ。 コロナ禍で増えた若い世代にゴルフを継続してもらうためにも、岩﨑社長は月に一度ゴルフ練習会をして交流を深めている。気楽にゴルフを楽しんでもらえるイベントとして評判は上々……。 「ゴルフの魅力は世代間の交流です。それができる場となっていくことが大事だと思っています」 最後に将来ビジョンを聞いた。 「土地が広いので、複合化を目指したいんですよ。例えばメディカルやジムなどの施設も揃え、ここに来ればゴルフを中心に健康を維持できるワンストップ機能をつくりたい。それが今後のビジョンです」 練習場が持つ、地域コミュニティとしての役割を実践する。このコンセプトの広がりを期待したい。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年2月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら
    (公開)2023年04月09日
    千葉県八千代市大和田新田にある「明治ゴルフセンター」を訪ねた。駐車場に車を停めて歩を進めると、入り口横の天然芝のパッティンググリーンの美しさに目を奪われる。今回は、2016年3月にリニューアルオープンした「明治ゴルフセンター」の経営会社・サンカジロの上代修大専務に話を聞いた。 上代(かじろ)という苗字は千葉県の大網白里町北今泉付近にルーツがあり、更に遡れば、島根あたりが発祥で、和歌山を経て千葉に来たのではないかとのことである。 曽祖父が明治時代の後期に、現在の江東区亀戸の大島団地付近で酪農を始め、「上代牧場」として乳牛を飼育していた。明治、大正と時代が進み、都市化の影響で現在の八千代市に昭和11(1936)年に移転した。八千代地域では酪農のパイオニアだったという。 「乳牛の交配センターを近隣5つの牧場と共同で創設するなど、地域発展のために尽くしてきた。八千代市の小学校の教材にも取り上げられているんです」 祖父の代も酪農は続き、上代専務の父・修二氏は次男だったので、長男が牧場を継ぎ、次男は新しいことを始める必要があった。1970年代はボウリングブーム。銀行や知人の紹介でボウリング場を始めようとの話もあったが、父親がオーストラリアを2か月旅行したときに、現地のボウリング場は米国の中古品を使ってのビジネスとなっており、先がないのではと考えて、ゴルフ練習場事業に踏み切った。 1972年7月、牧場の飼料畑の跡に2階100打席の練習場をオープンする。当時父親は東京農大の学生で、社長は祖父であったが、専務としての学生起業であった。開業1年後には9ホールのショートコースもオープン。開業時の名称は「明治ゴルフセンター」で、ショートコースがオープンしてからは「明治総合ゴルフセンター」となった。 「明治ゴルフセンター」の名前の由来は酪農経営に由来する。上代専務の説明を聞いてみよう。 「上代牧場の取引先に明治乳業がありまして、当時明治乳業の社長だった国生義夫さんから『練習場をするなら明治乳業の名前とロゴを使ったらどうか』との話があって、『明治ゴルフセンター』としたそうです。上代牧場はピーク時、乳牛を100頭飼育しており、明治乳業にとっても重要な取引先でしたから」 牧歌的な時代だった。というのは2016年のリニューアルを機に、コンプライアンスの観点から明治ホールディングスと話し合い、明治の名称は残すが「ロゴは使わない」となったからだ。 地域貢献の構想 1989年、練習場の敷地を東葉高速線が通ることとなり、練習場建屋を建て替え、2階120打席、3階スクール打席、アプローチエリアも併設した。その後、鉄道近隣の練習場は事故が起こる可能性もあるため、車で約5分の現在の場所に土地を購入、移転することになる。 新施設の開場は2016年3月で、約2万3000坪の敷地に250ヤード、2階98打席のドライビングレンジと、5面の天然芝パッティング・アプローチグリーンにゴルフショップも併設している。 「明治ゴルフセンター」で目立つのは、入り口付近にある3000坪を超す天然芝のアプローチエリアと、400坪を超すパッティング専用のベントグリーンだ。練習場のホームページには「本芝のアプローチ練習場を備えた、アスリートのための練習場」と誇らしげに謳ってある。 西郷真央などプロゴルファーも練習に訪れ、ナショナルチームのジュニアには無料で開放している。アプローチ、パッティングエリアは、クラブハウスからICカードで自動扉を出入りできる。料金は30分700円だ。400坪のグリーンはオーガスタの18番ホールを模して非常にハイクオリティだ。 「明治ゴルフセンター」を経営するサンカジロのグループには本千葉CCも入っており、週に一度、同コースのサブキーパーが来て、芝を管理しているという。 打席は250ヤードで、1階は自動ティーアップ機の44打席、2階はカゴで提供する44打席で、練習ボールはウレタン2ピース。「アスリートのための練習場」にふさわしく、球の落ち際や弾道を確認できる。上代専務がこう話す。 「施設のハード面は充実していますが、大事なのはソフト面です。特に接客は重要で、細かい配慮をしています。フロント担当がお客様の顔と名前を憶えるのは当たり前。グループでの来場者には必ず打席を並べるようにしています。バラバラに空いている打席をご案内した方が効率は良いのですが、お二人できたときに楽しく練習してもらえるようにしています。ご案内する順番が前後することも含めて、お客様が気持ちよく練習してもらえるように、フロントは気を張っていると思います」 競合練習場は半径5㎞圏内に12施設あり、屋外も6施設あるのだが、「明治ゴルフセンター」が一番の賑わいをみせているとか。また、練習場「友の会コンペ」も充実しており、毎月15~18組で近隣の中山CC、総武CC、船橋CCなど名門コースで実施している。 上代専務の父親で社長の修二氏は八千代商工会議所の会頭を15年間勤め、トップアマであったことを含めて人脈が広い。これも集客の武器になっていることは間違いない。 年間来場者は昨年実績で約18万人とのことである。この付近は東京のベッドタウンであり、来場者は40代20%、50代25%、60代10%。女性比率も17%前後と比較的高い。 「来場者は千葉が中心なんですが、20%弱は都内からが占めます。充実した練習環境を目当てに来場されるのだと思います」 その充実した施設の継承については、ホールディングス化を含めて検討しているそうだ。相続税問題で廃業する練習場が増える中、事業としての盤石を目指している。 「地域貢献の一環としてバッティングセンター、ドローン練習場、フットサル施設を立ち上げて、スポーツ・モビリティ・パークとします。今後もいろんな複合施設をつくっていきたいですね」 練習場が地域貢献の重要な役割を果たすことを期待したい。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年1月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら
    (公開)2023年03月12日
    横須賀市にある「横須賀グリーンゴルフ」はネットまで230ヤードの距離があり、緑の山に向かって打てる、自然あふれる練習場だ。今回は同施設を経営する株式会社グリーンスポーツの代表取締役・古敷谷(こしきや)敬二氏に取材した。身長が180cm以上、学生時代はサッカーをやっていたスポーツマン。最初の質問は「古敷谷」という珍しい苗字の由来である。 「横須賀には親戚が4~5軒あるんですが、もともとは現在の千葉県市原市(下総)に『古敷谷』という地名があって、そこの出身ではないかと思います」 千葉の古敷谷にはゴルフ場が3つある。巡り巡って横須賀の地にゴルフ練習場を構えるところに、筆者は何かの縁を感じる。 「横須賀グリーンゴルフ」のオープンは1990年11月で、90年代にゴルフ練習場の建設がブームとなった頃。他の練習場に比べて開場は少し遅い。現在の場所は以前、牧場で、そこを練習場に変えたのである。 横須賀グリーンゴルフ全景 「私の父は、この地で畜産業をしていました。戦後、父親が祖母と一緒に肉屋を始め、最初は群馬や埼玉などで牛・豚を仕入れて肉を販売していたのですが、その後、この地で牛や豚を育て、販売までする畜産精肉事業を『古敷谷畜産』という名称で行っていました。今は横須賀市内でおじが精肉業を続けていて、いとこの代になっています。都市化も進み畜産業の餌やし尿処理等の問題があり、牧場の継続が厳しくなった。また、この地域には採石場があり、三菱鉱業セメントが建築資材をつくるプラントもありましたが、80年代後半に閉鎖して、テニスコートの事業を始めたのです」 それも一つのきっかけとなり、父親がゴルフ好きだったこともあり、ゴルフ練習場への事業転換を決意したという。 開業時は、現状とほぼ同じ建屋・スペースで、2階各100打席の練習場としてスタートした。1年後に3階打席を増築し、全部で150打席230ヤードの練習場となった。 「当時父親は55歳で、銀行からの融資を含めて十数億円の投資を決意したのです。私は現在58歳で、当時の父親とほぼ同年。だけど、父親がした決断は自分ではできません。凄いなぁと思いますね」 と笑顔で振り返る。 古敷谷氏は大学卒業後、衣料系のジーンズ会社(リーバイス)に入り営業職を務めていたが、家業として練習場を開業するにあたり、開業の半年前に練習場の責任者として戻ってきた。開業から30年以上、責任者として同施設を育ててきた。 「最初は右も左も分からず大変だったですね」 前職でデパートなどの販売も経験していたので、接客しながら顧客ニーズを探ることに役立った。開業してしばらくは、認知が広まらなかったが、バブルの余波もあり、平日もほぼ満員の来場者でにぎわった幸運もある。特に休日は順番待ちの来場者がフロントにあふれる活況で、年間20万人以上来場した。 横須賀地区を盛り上げる 様子が大きく変わったのは2011年、東日本大震災の影響で来場者が大きく落ち込んだ。ゴルフなんかしてる場合じゃない、という暗雲が全国を覆っていた。そこで、 「当時はいろんなセミナーに参加したり、船井総研のコンサルティングを受けて練習場経営を見つめ直したのです。それで現在の『地域に愛される練習場』という経営理念を作り上げました」 また、顧客に対しては「スポーツを通じて心と体の健康を育むコミュニティを創造する」。地域に向けては「地元に根ざす企業として地域社会との繋がりを創造・貢献する」、従業員に対しては「スポーツ・地域との繋がりを通じて、従業員の成長と生きがいの場を提供する」などの方針を確立している。 地域への貢献は、横須賀地区は三浦半島の比較的限られたエリアを商圏としているが、横須賀の4ゴルフ練習場がタッグを組んで「すかゴル推進委員会」を立ち上げ、横須賀のゴルフを盛り上げている。 現在はコロナ禍で活動をセーブしているが、コロナ前は「冬休み!小学生ゴルフ無料券プレゼント!」として横須賀市内の小学生を対象に2万部を配布。各練習場1回ずつ、最大4回分練習ができる無料券を配布した。近隣の湘南学院高等学校のゴルフ部には、土日を含めて格安で練習場を開放しており、高校生が放課後練習に来ている。同校出身のプロには原英莉花、鶴岡果恋がおり、原は今も時々来場するとか。 顧客は地元企業のOB(日産、東芝、自衛隊など)が多く、コンペ等の活動を中心に「横須賀グリーンゴルフ」のオフィシャル倶楽部として公認サークルも多い。連絡用の専用BOXを練習場内に設置してコミュニケーションを深め、HPにもコンペの結果などを載せている。YGG(横須賀グリーンゴルフ)地縁店として、横須賀を中心に地域店舗の情報をHPやパンフレットを作って積極的にPR。この活動もスタッフが積極的に広げている。 もう一つの特色は24時間営業だ。 「24時間営業は2001年7月から始めました。山に向かって打つロケーションで、音や照明の問題もない。夜の9時からフリー打席で、お客様が直接打席に行き、ICカードを使い練習してもらうシステムです。練習場に来ることが日課になっているお客様も多く、日常の健康に役立っていることは間違いないでしょうね。現在、10万人以上が来場されています」 古敷谷氏の父親は現在88歳で健在とのこと。ゴルフ練習場の継承について、「横須賀グリーンゴルフ」は会社組織であり、父親も個人財産は持たず、練習場の継続は問題ない。今後について古敷谷氏は、 「継続することが大事だと思っています。練習場は地域の方にとって必要な存在であり、休場すると『居場所がない』という常連さんからの声もありますが、若い方にゴルフの良さを知ってもらう練習場になりたいですね。ゴルフ練習場はまだまだ閉鎖的で、他の業種との交流も少ないように思います。地域との交流をもっと進めなければ」 と語気を強める。古敷谷氏の子息も入社して、三代目への承継も視野に入れる。地域に愛される練習場として、末永く地元に根差してもらいたいと願う。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年12月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら
    (公開)2023年02月19日
    神奈川県伊勢原市にある伊勢原ゴルフセンターは、大規模な改修をして2022年4月1日、リニューアルオープンした。78打席、250ヤードの施設である。 この練習場はかつて、中村寅吉プロが練習拠点としていた。中村プロは1957年、霞ヶ関カンツリー倶楽部(埼玉県川越市)で開催された国別対抗戦・カナダカップ(現ワールドカップ)で小野光一プロと組み優勝。個人としても優勝したことがきっかけで、日本にゴルフブームが起こっている。この伊勢原ゴルフセンターについて、取締役支配人の濱田翔太氏に話を伺った。 同センターの親会社は濱田精麦株式会社で、濱田支配人も親会社の営業部長を兼務している。なぜ精麦会社がゴルフ練習場を経営するようになったのか。濱田精麦は1913年に静岡県田方郡戸田村井田( 現在の沼津市)で、濱田氏の曽祖父が創業した。精麦は米の精米と同じように、大麦を精麦する事業で、あまり聞きなれない業種だが、当時は家畜用の飼料を生産していた。 1923年の関東大震災時に沼津工場が倒壊し、神奈川県足柄上郡吉田島村(現在の松田町)に転居。さらに1936年に神奈川県中郡伊勢原町(現在の伊勢原市)へ移転した。戦後の食糧難時代に家畜用の飼料から、麦ごはんの精麦業にも力を入れ会社が成長した。 「スポーツに理解があり野球が好きな経営陣で、1960年に都市対抗野球大会を目指す社会人野球チームを結成しました。野球チームをつくることで全国から人材を集めることも出来ましたが、1961年に本社工場が火災で全焼、会社を復興するために野球チームは休部となったのです」(濱田支配人) その専用グラウンドが、現在の伊勢原ゴルフセンターの場所である。2代目社長、その弟で濱田氏の祖父に当たる3代目社長が、ともにゴルフが好きで鷹の台CC他のメンバーであった。2代目社長が中村プロと縁があり、当時砧に居を構えていた中村プロに練習場のプロデュースを依頼、1969年に練習場が開業した。そんな経緯で中村プロも伊勢原に引っ越し、ここを拠点として樋口久子、岡田美智子、丸山智弘らプロを育てた。中村プロは2008年に他界したが、晩年まで伊勢原ゴルフセンターでプロ・アマを問わず交流を深めていた。 1969年の開場当時の写真では、中村プロのショットを大勢の来場者が見つめている。当時は平屋で土の25打席だったが、30年前にクラブハウスのある2階建ての練習場に改装した。 地域住民に喜びを 濱田支配人が練習場にかかわったのは今から10年前。子供の頃にこの練習場に父親と遊びに来ており、高校時代はここでアルバイトをしていたことで、伊勢原ゴルフセンターへの愛着は強い。練習場にかかわった当時は、練習場は別会社の組織で、本社・濱田精麦の一部門という位置づけのため、現場と本社の連携が取れず来客数が徐々に減少していた。施設も老朽化し、ティーアップ機も5機種が混在していた。 「そのような状況で、私は練習場をグループの中でも輝く存在にしたかったのです。そこでまず、外部に委託していたスクールを直営化。スクールと打席は連携しないと上手く機能しないと考え、フロント、フィールド、スクールと、個別にチームリーダーをたて、スピーディーな組織を目指しました」 同時にプリペイドカードのIC化やボール回収の改善を進め、ショップは2016年からゴルフパートナーを入れた。年間来場者は現在13万人だが、濱田氏が事業に参加した10年前は8万人であった。 さらに今回、リニューアルを手掛けている。その意図は、 「“ゴルフのボールパーク”をつくりたいとの思いがゴルフ練習場にかかわった当時からありました。メジャーリーグのボールパークのイメージで、飲食を含め様々なゴルフの楽しみを提供したいと思っています」 もともとボールの飛び出しの問題もあり、今回のリニューアルでネット用鉄柱も新しく14本立てた。また従来ショートコースであったエリアを、ティーを使用できる青空ガーデンを5打席、アプローチ練習場も距離表示がわかる白線が引かれているエリア、フェアウェイ、ラフから練習できるエリア、バンカーエリアなど、様々な状況から練習ができる施設に整備した。 シュミュレーションゴルフの屋内施設も設置し、デジタルへのニーズにも対応。スクール用の部屋にもシミュレーション設備を入れ、打席後方のカフェ設置で“ゴルフのボールパーク”が一歩実現した形である。総工費は2億円以上、次の50年を視野に入れる。 青空ガーデン 「ゴルフが好きだった父、祖父の思いを残したい。地域貢献としても、この伊勢原の地にゴルフ練習場があることで、この地域に住んでもらってよかったと思えるような施設にしていきたい」(濱田支配人) 伊勢原ゴルフセンターの来場者の年齢構成は、ICカードの所有は40代が一番多いものの、実際の来場者は50代以上が半数以上を占め、また女性は10数%である。コロナ禍で若い世代の来場者も増えているとのこと。練習場単体の売上は3億円に迫り、以前に比べて倍増している。今後については、 「人材の育成も重要な課題だと考えています。ただのフロントやただの打席係だけでなく、例えばIC会員を増やす活動でお客様に積極的に声がけをするなど、従業員の育成・活性化に取り組んでいます。次の目標は、ゴルフの楽しさを提供する“練習場を究める”ことで、ゴルフ練習場として成長し、発展できる事業であることを示していきたい。練習場を拠点として、スクールを含めて来場者を増やしていきたいですね」 と、練習場ビジネスを広げる積極的な意思を示している。 「お客様の為にではなく、お客様の立場に立って物事を考えたい」 と話す濱田支配人は現在35歳。これからのゴルフ界を担う存在となることを期待したい。 企業が運営するゴルフ練習場も、経営者のゴルフへの思いがあるからこそ継続できる。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年11月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら
    (公開)2023年01月10日
    千葉県若葉区北谷津町にあるゴルフ練習場、北谷津ゴルフガーデンを訪れたときに、社長の土屋大陸氏は来場者と楽しげに雑談をしながら、受付横の軽食を出すカウンターの奥に入り、自ら注文のあったソーメンをつくっていた。お客も家にいるように、そばのテーブルに座り、新聞を読みながらカウンター越しに会話を楽しむ。家にいるようなリラックスした雰囲気が流れていた。筆者にも「ちょっと待っていて」と、自らコーヒーをいれてくれた。 北谷津ゴルフガーデンは2021年の賞金女王・稲見萌寧、シニアツアー賞金王・篠崎紀夫の練習拠点として、その名を馳せている。稲見は東京五輪で銀メダルを取った翌日にもここで練習。同施設で育ったプロは稲見、池田勇太のほかに30名以上おり、ジュニア育成も30年近く続けている。今でこそ、多くのゴルフ施設でジュニアを受け入れているが、この施設は先駆けだ。 土屋家は、この北谷津の地で200年以上農業を営んできた。実際はそれ以上古くからこの地に根付いているが、古い過去帳が焼けてしまいわからなくなっている。この地域はコメ・野菜をつくり山林も多い。その土屋家がゴルフ練習場を始めたのは今から50年以上前、この地域に千葉市から清掃工場建設の話が持ちあがったことに端を発する。 先代の父親の時代で、清掃工場には否定的な声があがり、紆余曲折の末に清掃工場建設を受け入れて、土屋家も大きな土地を提供した。誘致が決まり、道路が整備され、今まで車が通らなかったこの地区が交通至便になった。そこで、親戚筋の発展家が「山林を生かしてゴルフをやらないか」と発案した。近隣では1959年に京葉カントリー倶楽部、1960年に袖ケ浦カンツリークラブが開場している。ゴルフを全くやらない先代の父親は悩んだが、親戚の説得で1万坪の山林を9ホールのショートコースにすることを決めた。 「開場は1970年9月10日、ちょうど私の誕生日でした。当時は高校2年生で、開場の2年ほど前から家に造園業者、親戚などが出入りしてショートコースの造成が進んでいったことを覚えています」 現在のショートコースの西コースである。ゴルフブームの波が押し寄せ、業績は順調に推移した。 9ホールのショートコースだけでは物足りないと、1972年、現在の練習場と同じ場所に平屋の38打席の打ちっぱなし(220ヤード)を建設、同時に追加のショート6ホールの造成に着手し、更に3ホールを追加して、現在の形がつくられたのは1973年のことである。 「北谷津ゴルフガーデン」の名称は開場時からで、地名と庭のイメージから命名したということだ。 「うちでゴルフを始めた人が多かった。当時はすぐにゴルフ場へ行くのではなく、まずは練習場、ショートコースで実践を積んで、本コースに行く流れでした。当施設はこの間、間違いなくゴルフ振興に貢献してきたと思います」 現在の2階建て1、2階各40打席となったのは1987年。実は、土屋氏が同施設に関わったのは1986年、34歳の時からで、それまでは東京で舞踏の第一人者であった麿赤兒に師従して表現・創作活動に専念。家には年に一度帰るか帰らないかだったという。1986年に戻った当時はバブルで賑わっていた。 「練習場には1日千数百人が来場して、ショートコースには最大440人が入った記憶があります」 ジュニア育成のメッカ 北谷津ゴルフガーデンは今でこそジュニア育成で有名だが、その立ち上げについて土屋氏は、 「家業に戻って2年後に、共通の友人から千葉晃プロを紹介してもらったのです。実家が練習場をやっているなら、ジュニアの練習場として何かできるのではないかとの話になった。実際、千葉プロはジュニア育成に取り組んでいて、北谷津の全体像を見た時に『ここしかない』と思ったそうです。ショートコースと練習場が併設され、スペースも広く、スタートアップには申し分ないと感じたのでしょう」 その後時が流れ、1993年頃から本格的にジュニア育成に取り組んだ。その理由について、 「当時は日々忙しかったが、このような状態がずっと続くとは思わなかったことと、90年代に入って近隣に練習場が4つできた。北谷津として特色を出さなければならないと考えて、ジュニア構想が現実味を増したのです。もともと、おじが近隣の県立泉高校に赴任した時、ゴルフ部を立ち上げ、練習施設としてこの練習場を使っていました。そんなわけでジュニアと言えば高校生のイメージがあり、千葉プロから小学生が対象と言われた時にはピンとこなかったんですよ。父親からも『採算を含めて厳しい』と言われましたが、千葉プロと何度も話し合い、1994年に『千葉晃のジュニアゴルフミーティング』を立ち上げました」 最初は場所の提供だけで、千葉プロが「校長」として始めるイメージだったが、検討を重ね、同施設の主宰となった。次なる課題はプロやスタッフのコスト負担で、採算ベースを考えなければならない。 「千葉プロの考え方は『子供は遊びの天才、自分で考える能力があるため生き生きノビノビやらせたい』というもので、その基本姿勢は今も変わりません。『楽しくなければゴルフじゃない』を子供が自覚し、自ら行動することを待つ。個性を生かし、画一化することもありません」 その理念が広く浸透し、当初プロの育成は念頭になかったが、結果的に多くのプロゴルファーを輩出している。ジュニア育成を続けることで、北谷津ゴルフガーデンのブランド化にも成功したようだ。 現在、同施設にはショートコースを含め年間10万人が来場する。ピーク時の20万人に比べれば半減だが、ボトム期に8万人だったことを考えれば回復傾向にあるといえる。来場者は60歳以上が6割を占め、女性も3割弱。コロナ禍で若い女性が増えてきた。その前はジュニアで賑わっていた。週末の土曜日曜は都内を含めて、市川、浦安など地元以外から3割が訪れ、ショートコース目当ての来場が増えている。 女子プロの活躍で100ヤード以内のショートゲームの重要性が意識されるようになった。JGAのナショナルチームコーチ、ガレス・ジョーンズ氏はショートゲームに練習の6割以上を費やしている。これらが後押しとなり、土屋氏は北谷津の現状を「ショートコースに生かされている」と話している。 地域への想い 肝心の収支についてはこう話す。 「2012年に先代の父親が亡くなり、母親への一次相続で施設は継続できていますが、今後は継承問題もある。コロナ禍やウクライナ問題など先が見えない中で『北谷津ゴルフガーデン』を残したい。収支はやっとトントンで、固定資産などの税金は払えてますが、大きな利益があるわけではない。練習場は装置産業だから、長くやると1000万円単位の修繕が入る。これだけの面積、人員を使っている割に、練習場ビジネスは投資効率が悪いんです。続けるにはゴルフへの情熱が必要です。建て替えを視野に入れれば億単位の費用がかかるでしょう」 それでも継続を望むもうひとつの想いは、地域コミュニティにおける役割である。毎年夏まつりを開催して、練習場の常連だけでなく、地域住民とのバーベキューなどで交流を深める役割を担っている。 「都内で繁盛している練習場を時々見に行きますが、病院の待合室のようにお客がロビーで黙って雑誌を見ている。そんな光景を見るにつけ、ウチとの違いを感じます。北谷津に来れば誰かと会話でき、楽しい時間を過ごせる。そんな場所を提供することが一番大事だと思うんですよ。ジュニアもスタートから28年経ちますが、子供だけではなく、家族も含め何千人もの方とここで過ごしてきた。それが大事な財産です」 ご多聞に漏れず、少子高齢化で過疎化が進んでいる。地域活性化への想いから過去、何度も自治会長を務め、行政との交渉や、千葉市との交流会も行っている。先述の清掃工場は50年経ち廃炉になっていたが、再設置の話が持ち上がってきた。 「煙突の町」を敬遠する住民感情は当然あるが、清掃工場跡地の活用は難しいため、今後50年、最新の清掃工場を再度受け入れることを地域が認めた。令和8年に130mの煙突を持つ新しい清掃工場が稼働する。 この地区に練習場をつくり、テニスコートをつくり、乗馬設備もつくり、賑わいをつくって年間35万人が訪れる地域になった。更に、今後50年間の地域活性化事業案も提出して行政と話し合ってきた。清掃工場の余熱を活用した温水プール、温浴施設、わんぱくの森、オートキャンプのほか、既存のゴルフ練習場、テニスコート、乗馬施設等を含めて「北谷津スポーツメッカ」として、年間80万人が訪れる構想を描く。 「人が集まれば、地域バスなどの交通インフラも整い、この地域に住みたいと思う街づくりで過疎化を防げます。行政にとっても、清掃工場の余熱を利用した新しい街づくりができる。人が集まれば地域が活性化し、当社も一緒に浮上できます」 50年前の清掃工場建設がきっかけで北谷津ゴルフガーデンは始まり、再び清掃工場のリニューアルで地域コミュニティの活性化を描く。ゴルフ業界の視点では、プロの輩出とジュニア育成が注目されがちだが、そのような表層ではなく、もっと深いところに「北谷津」への想いと構想は根ざしている。 土屋社長、今日も何気なく、軽食をつくり、コーヒーをだす。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年10月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら
    (公開)2022年12月22日
    東京都大田区にあるゴルフ練習場「馬込ゴルフガーデン」の主要ターゲットは、33歳の女性だという。これを23年前の1999年に提唱したというから、異彩を放つ。運営ソフト、屋内外の設備などもこのターゲットを意識して構築した。   現在のゴルフ界で言えば、まさに喉から手が出るほどほしい顧客層だが、当時、この層をターゲットにすると従業員に話したら、 「鼻で笑われました」 大竹章裕社長はそう振り返る。そのコンセプト通り、入り口は木製の外壁で、植栽が美しく施され緑があふれる。入り口横には自転車が30台以上停められる屋根付きの駐輪スペースがある。 町家風の受付回りは雰囲気があり、その奥のラウンジは古材を活用した「和」を感じさせる内装で、照明も昔の器具を使ったエコロジーでお洒落なこだわりを感じさせる。 ネット外周には木道が整備され、緑の植え込みが施されている。 大竹社長には、都心のゴルフ練習場のトレンドをつくり続けた自負がある。2003年に打席を塗装し、2005年に前述の玄関前を駐輪場にした。 近隣の女性が自転車で乗りつける時代を予測して、中年男性がセドリックやグロリアで来場する光景が当たり前だった当時の「常識」を大きく変えた。商圏は半径1・5kmを想定、広告・宣伝も地域密着を重視している。 「創業は昭和48年ですが、当時から地域住民のお庭がわりに使って頂きたいとの思いを込めて『馬込ゴルフガーデン』と命名しました。これを企業理念に掲げ、大人からお子さんまで、広く地域社会の憩いの場としてご利用頂けるよう、様々な工夫を取り入れてきたのです」 だが、先月の本誌で速報したように、来年1月に閉場する。東京都大田区北馬込1丁目の住宅街の好立地にあって、なぜなのか。その理由を同氏は努めて淡々と話す。 「相続にからんで、土地を手放すことになってしまい、泣く泣く心血を注いだ施設も手放すことになったのです。1000坪の土地に、駐車場を含めて2階建28打席、40ヤードで800坪です。 この打席数で年商は1億8000万円前後だから、小規模の屋外練習場としては打席当たり売上は国内トップクラスだと思っています。 それでも坪当たりの売上を考えると、10坪の喫茶店に換算したら1日5000円程度しかなく、土地効率が悪いビジネスになっている。これが根本問題です」 東京の城南地域で、かつ環状7号線の内側には特殊要因があるため、土地を使ったビジネスは、 「割に合わないと思いますね。うちのケースは特殊でしょう。全てのゴルフ練習場に共通する事情ではないと考えています」―。 2020年10月に父親が他界、相続税対策の検討を重ねてきたが、最終的に土地を手放さざるを得なかったのが実情だろう。 この地域の路線価格は36万~40万円/㎡で、約1000坪の相続税は数億円となることが推定できる。 城南地域で環状7号線の内側にあり、土地を活用したゴルフ練習場ビジネスを継承することの難しさを表す事例なのだ。都内の練習場が現在、あるいはこれから直面していく問題であることは間違いない。 元は言語研究者だった 馬込ゴルフガーデンラウンジ内装 大竹社長の家は370年、東京の久が原で代々農業を営んできたが、祖父が昭和37年に現在の馬込の土地と等価交換。野菜を中心に畑を耕し近隣住民に安く販売などしていたという。 昭和48年に祖父が高齢で農業をやめ、ほかに何かできないかと考えて閃いたのがゴルフ練習場だった。ゴルフブームの台頭期だ。 「その祖父は生涯ゴルフをやりませんでしたが、家訓は『地元の人に貢献する』で、練習に来たお客さんに奥座敷でお酒をふるまうなど、近隣住民が集まる場所でした」 昭和56年に祖父が亡くなり、父親が継承した。 「父はもともとゴルフをしていましたが、私は1993年に入社して家業に加わりました。それまでは言語研究者で、言語の普遍的な法則を研究していたんですよ」 というから、面白い経歴である。20年間ゴルフをやったが、あまり面白くなくなってきて、8年前にやめてしまったという。 名刺には、会社の代表取締役とは別に、肩書として伝統文化・芸能研究家。裏側には小唄伊吹派伊吹清太郎の名前も記されていた。このような話を聞くにつけ、施設の植栽や内装の妙にも頷ける。 ゴルフ練習場経営にも独自の視点を入れている。 例えば、1997年スタートのゴルフスクールは「練習方法を習う場所」をコンセプトにしており、座学とスクールは生徒が2人1組で、お互いのスイングをチェックしながら進めていく。 効率の良さだけではなく、「仲間づくり」を意識してのことである。 繰り返すが、来年1月に閉場する。業界にとっても大きな損失と言えるだろう。ただし、大竹社長は、 「30年間心血を注いできましたが、いったんお休みさせてもらいます」 との表現で、培ったノウハウがゴルファーに役立つならば、協力したいとの意思を口にする。 馬込ゴルフガーデン入り口 「ゴルフ界に欠けているのはコンセプトだと思うんです。ピークで2兆円以上の産業になったのは、ゴルフのキーワードが『アダルト』『ビジネス』『ステータス』で、高度経済成長に合わせて伸びました」 中年男性が、仕事に使えるツールとして、豪華なクラブハウスに代表されるゴルフ場の「機能」を利用してきた。いわゆる接待需要を中心にゴルフビジネスは大きく伸びた。 「でも、若い世代には当然響きません。じゃあ何が響くのか? コロナ禍で若者の注目がゴルフに集まる中、私はこれまでやってきた経験から次の仮説を立てました。『ファッション』『レジャー』『エコロジー』がこれからのキーワードになる。そう実感しています」 今後「馬込ゴルフガーデン」は取り壊わされ、大手デベロッパーが再開発する。しかし、地域の庭として愛されてきた「馬込の精神」が、何らかの形で継承されることを筆者は期待したい。 大竹家の家訓である「地域貢献」は筋金入りで、余談だが、社長の弟は地元・徳持神社の神主でもある。地域に根差し、祭司を執り行う。そんな家柄が、練習場ビジネスとどこかで重なっていたのかもしれない。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年9月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら
    (公開)2022年11月16日
    東京の立川市柏町にある「カシワゴルフ」は、10打席全てに最新のトラックマン4を設置した先進的な屋内ゴルフ練習場である。5月に新規オープンしたが、その取り組みで、デンマークにあるトラックマン本社からCOOが施設を見学に来たほどだ。 この「カシワゴルフ」を運営する豊泉興産株式会社の豊泉幸夫代表取締役に「カシワゴルフ」の取り組みについて話を聞いた。 豊泉家は立川で300年以上続く農家で、豊泉代表の父親の代まで農業を営んでいた。父親は、立川でウド栽培の先駆者であった。立川市のホームページでも、ウドは「東京うど」として紹介される名産だ。 武蔵野で行われていた室(むろ)での栽培方式が、立川の地質に適していたため盛んになり、生産量は立川市が東京で1位となっている。 立川は新宿から中央線で46分と利便性の高い場所にある。これがある意味災いし、農業の継続が難しくなった。 それは、1972年の市街化区域農地の宅地並み課税である。この法律施行により、300年続けた農業から事業転換して、父親の代でゴルフ練習場を始めた。1972年6月20日のオープンだったが、なぜゴルフ練習場に事業転換したのか? 豊泉代表の説明を聞こう。 「農業を継ぐつもりで、都立農林高校に通っていましたが、この法律が施行されると農業が継続できるのかと考え、大学は日大の農獣医学部に進んで様子を見ていたのです。大学に入学したのが1970年で、宅地並み課税されると、この近郊で農業をするのが厳しいこともわかってきた。また、父親がウド出荷のため築地に向かう際、高速道路から芝のゴルフ練習場を目にしていたんです。事業転換には何の業種がよいのか。自分もゴルフに興味があり、学部のゴルフ部に入りました」 そんな状況下、当時流行していたボウリング場などの案もあったが、 「自分がゴルフを始めていて、東京都心でもゴルフ練習場が成り立っているなどで、練習場への事業転換を決めたのです」 新事業の立ち上げに際しては、地域でゴルフに詳しい知人を含めて多くの協力やアドバイスをもらったという。練習場は2階建て48打席で170ヤード。ネット用の鉄塔は高さ35m、最大震度7、風速60mに耐えられる構造にした。 「カシワゴルフ」という命名は、 「立川市と合併する前、この地区は北多摩郡砂川町で、合併して立川市砂川町になり、さらに地名変更で1972年4月に砂川町がいくつかに分かれ、この地区は柏町になったのです。 それが練習場オープンの直前だったので、新しい町名を入れ『立川カシワゴルフセンター』としました。現在は『立川』と『センター』を取って『カシワゴルフ』です」 地元密着の想いがわかる。 総投資額20億円 1970年に尾崎将司がプロデビュー、ゴルフブームに火をつけて、男子ツアーの試合数も1971年の34試合から1972年には47試合に急増している。この年の「日本オープン」をNHKが初めてテレビ中継した中で、「カシワゴルフ」がオープンした。 豊泉代表が振り返る。 「当時、お客様の半分ほどが『カシワゴルフが出来たのでゴルフを始めよう』と来場され、1階は土の打席だったので、アイアン用のマットをダフって飛ばすお客様も多かった。ゴルフブームのおかげで事業は順調に推移しました」 その屋外ゴルフ練習場が「屋内」に業容変更した理由は、冒頭に触れた相続税が関係している。 「父親が2012年に亡くなりました。カシワゴルフの土地に将来住宅を建てられる『広大地指定』で相続税が減免される制度があり、相続税を支払うことが出来ましたが、2018年に広大地指定の相続税減免制度がなくなってしまい、二次相続について相続税が数億円になることが判明したのです。そこで金融機関や税理士、コンサルタントを交えたプロジェクトチームを立ち上げ、4年かけて資産売却も含め相続対策を検討しました。ゴルフ練習場の土地3600坪の内、2500坪を売却して、残りの土地で1階をテナント(スーパー)、2階を屋内練習場にする計画ができたのです」 練習場をやめる選択もあったが、 「ゴルファーが集まれる場所を残して、従業員の雇用も確保したい」 との想いであった。 そのころタイミング良くトラックマンの売り込みがあり、他の機器も検討したが、最終的にトラックマンを導入した屋内練習場の構想が固まった。資産売却、建屋建設、テナント探し等、再開発事業を手掛ける大和ハウス工業と組んで進めた。 2021年5月9日に50年続いた屋外練習場を一旦閉店。事前に近隣住民や顧客に閉店の旨を告げ、スムーズに新しい屋内ゴルフ練習場の建設へと移行。 2022年5月20日に新生「カシワゴルフ」が誕生した。資産売却、建屋建設、トラックマン導入、システム構築を含め、総額20億円のプロジェクトであった。 屋内練習場として建屋を建設したので、天井も高く、打席もボールが跳ね返らないように設計され、練習グリーンや工房も備えている。 「トラックマン4の導入で、300ヤード先の球の転がりまでわかります。今までの練習場より打球の行方が確認できるので、お客様からの評価も上がっています」 新生「カシワゴルフ」は会員制。10打席を効率よく活用するため、1コマ50分で、基本は予約日から起算して1カ月先まで6コマ限度で予約できるシステムだ。全日会員で月額2万5000円である。 「この予約システム、集金システム、レジ回りキャッシュレス等を構築するにあたり、トータルコーディネートを大塚商会にお願いしました。当初、スーパーの2階で気楽に屋内練習場を始めようと思いましたが、従来のノウハウでは対応できなかった。システム構築には数千万円を投じましたが、多店舗展開や24時間対応まで可能な、将来の広がりも考えたシステムです」 都市近郊の農家が法律の改正に柔軟に対応し、ゴルフに事業転換しながら更に事業継続している。 豊泉代表は関東ゴルフ連盟の競技委員会副委員長の経験もあり、ゴルフへの強い想いがあったからこそ、ゴルフ練習場を次の世代へ継承できる道筋をつくることが出来た。 都市部の練習場が閉鎖傾向にある中で、同社の新しいシステムがゴルフ練習場に新風を吹き込むことを期待したい。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年8月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら
    (公開)2022年08月27日
    東急大井町線「荏原町駅」と地下鉄浅草線「馬込駅」から徒歩7分。環状7号線内側の城南地区である都内大田区北馬込1丁目の住宅街に「馬込ゴルフガーデン」はある。 その同社のHPに先頃、次の一文が掲示された。 「この度諸般の事情により、令和5年1月9日(月)をもって営業を終了し、閉場することになりました。併せてゴルフスクールも令和4年12月末にて閉校いたします。長きにわたりご愛顧いただきましたこと、厚く御礼申し上げます。」 現在、東京にある屋外ゴルフ練習場は157(全日本ゴルフ練習場連盟=JGRA=調べ)。またひとつ、都内の屋外練習場が姿を消すことになった。 施設の入り口は木製の外壁で、植栽が美しくほどこされ緑があふれる。入り口横には、自転車が30台以上停められる屋根付きの駐輪スペースが整備されている。 町家風の受付周りは雰囲気があり、その奥のラウンジは古い木材を活用した和を感じさせる内装で、照明も昔の器具を使ったエコロジーなこだわりがある。閉場するのは「もったいない」が、記者の第一印象だった。 2階建て28打席、40ヤードの距離はコンパクト。記者は浅草線沿いに住んでいるが、この練習場の存在を知らなかった。 大竹章裕社長は、 「この練習場の商圏は半径1・5kmで、その範囲の住民にしか積極的にPRしていません。知らない人も多いかもしれませんね」 と前置きして、施設のコンセプトを次のように説明する。 「創業当時から『地域のお庭づくり』を企業理念に掲げ、大人からお子さんまで、広く地域の方々の憩いの場としてご利用いただけるように様々な工夫をしてきました」 前述した入口の雰囲気を含め、地域密着の想いが伺えるのだ。地元に愛された練習場が、なぜ閉場してしまうのか? そこには相続税の問題が根深く絡んでいる。 「2020年10月に父が他界し、相続に絡んで土地を手放すことになったのです。心血を注いだ施設も手放すことになりました」 大竹社長は詳細について多くを語らないが、閉鎖を決める前にはいくつもの延命策を検討したようだ。 ところが、この地域の路線価格は1m2当たり36万~40万円で、約1000坪の同施設の相続税は数億円になると推定される。城南地域で、環状7号線の内側という好立地。その土地を活かして練習場事業を継承する難しさを表す事例といえる。 1973年に祖父の代でゴルフ練習場を始めてから半世紀、その歴史に幕を閉じる。都市部では今後、同様のケースが相次ぐとの懸念もあり、打開策が急がれる。 JGRAの横山雅也会長は以前、こんな危惧を漏らしていた。 「当社も都内の世田谷区に屋外練習場を構えますが、相続税問題で閉鎖を余儀なくされる練習場は今後も増えるはず。住宅地に近接する練習場は、新しいゴルファーの創造拠点になっています。近年、コロナ禍で練習場への来場者が増えたことにも明らかですが、相続には多くの難題があるのです」 本号で、同じく相続税問題に苦しんだ「カシワゴルフ」(都下立川市)の事例を取り上げたが、事業を継続するためにはいくつもの障害が存在する。業界全体で知恵を絞り、打開策を講じる必要がある。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年8月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら
    (公開)2022年08月08日
    男子ツアー新規大会の「ASO飯塚チャレンジドゴルフ」(6月9日~12日)が福岡県飯塚市の麻生飯塚GCで開催、「プロアマ」の新たな試みが注目を集めた。 ゴルフツアーは男女とも、大会前日に参加プロと主催企業の取引先やVIPが一緒にプレーするプロアマ大会が行われる。 昨年まで開催された男子のブリヂストンオープンは「選手には試合に集中してほしい」とプロアマを開催しなかったが、他の大会は主催企業の事業メリットを期待してプロアマは必須。ところが今大会は様子が違っていた。 大会前日の8日、参加プロと障がい者がベストボールを選んでチーム戦を競うスクランブル方式のプロアマを開催。また、市内の小中学校7校の特別支援学級の生徒112名を招き、プラスチック製のクラブで基礎を学ぶスナッグゴルフ大会も開催。誰もが等しくスポーツを楽しめるSDGsの主旨にも沿っている。 その考え方は大会名にも表れている。「チャレンジド」は「障がいを持つ人」の「thechallenged」に由来しており、「挑戦するチャンスや使命を神様から与えられた人」が語源だとか。障がいを「与えられた使命」と前向きに捉え、「何事にも挑戦する人」と気高く位置付ける。 主催者の株式会社麻生は麻生グループの中核企業で、1872年に創業者・麻生太吉が目しゃかのお尾御用炭山を採掘、石炭産業を興したのが発祥だ。石炭からセメント事業に転換しつつ、グループ企業として健康・医療・福祉関連、教育人材関連、人材派遣関連など幅広く展開。グループ102社、関連従業員1万4548人となる。 その同社が今年、新規大会を主催したことについて、麻生グループの麻生塾・麻生健理事長は、「今年で麻生グループは創業150周年を迎えました。これを機に創業の地・飯塚で社会貢献活動をしたいと考え、大会開催を決めました。当グループは飯塚で開催する車いすテニス大会を40年間応援しており、これは世界6大ツアーにも入っています。また、飯塚のタクシーは車いすの対応が整っています」と、障がい者に対して手厚い環境の土地柄だという。 「今回のプロアマにつきましては、日本障害者ゴルフ協会から『一緒にやりたい』との話があり、プロと障がい者の触れ合いで、互いによい刺激が受けられると考えました」その狙いは的中した。 障がい者ゴルフの世界ランクで日本人1位、交通事故で右大腿切断の吉田隼人さんと一緒に回った時松隆光は、 「吉田さんは本当に上手で驚きました。飛距離も負けるし、私のほうがパワーをもらったほど」 比嘉一貴は右手だけでプレーする有坂隆志さんと回り、 「隻腕でも凄く飛ぶ。向上心もあり凄くポジティブで楽しそう。この気持ちを忘れてはいけませんね」 逆に、力をもらったという。市内の特別支援学級の生徒とスナッグゴルフを楽しんだのは石川遼、宮里優作、小田孔明、桂川有人ら8名のプロ。 石川は、「パワーをもらえて楽しかった。このような機会がもっと増えれば、僕らとしてもありがたいです」子供たちから「頑張って」と声を掛けられ笑顔を返した。やってあげる、ではなく共に楽しむ。このような活動の連続が、男子ツアー復興につながると期待したい。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年7月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら
    (公開)2022年08月04日
    ハンズゴルフクラブは横浜市保土ヶ谷にある200ヤード、3階建て、138打席の大型練習場で、今年25周年を迎える。株式会社ハンズゴルフの鞍橋義則総支配人に話を伺った。同氏は大手製薬会社の営業一筋で、子供に手がかからなくなったことから早期退職。好きなゴルフができる環境のハンズゴルフにアルバイトで入り、その後見込まれて支配人に抜擢された。第2の社会人生活をユニークな形で再スタートし、3年半という経歴である。 「人生にとって居心地の良い場所を提供することが、ハンズゴルフクラブの基本コンセプトです」 と、同氏は話す。 ドライビングレンジだけではなく、800本以上の樹林が茂る敷地の中に、ショップ、工房、レストラン、鍼灸院、会員専用のアプローチショットが打てる「ハンズバレー」、グランピングやバーベキューを楽しめる「ハンズパオ」など、多様な施設がそろっている。 株式会社ハンズコーポレーションの韓社長も、 「横浜一、関東一、日本一の練習場を目指すのではなく、ここで過ごすことがゴルファーにとって一番幸せになる環境を目指して施設をつくっていきたいのです」 と、想いを口にした。取材したのは水曜日の午後だったが、駐車場もほぼ満員で賑わっていた。 上達できる練習場を目指すハンズゴルフは、トラックマンレンジを2019年10月、日本で2番目に導入した。その理由を鞍橋総支配人は、 「トラックマンレンジは、あくまでも練習器具の一つとして導入しました。ゴルファーが一番気にすることは『このホールは何ヤード?』『何ヤード飛ばせばどこにいくの?』『2打目はグリーンまで何ヤード?』と、全て距離です。距離をしっかり把握して打つのがゴルフというスポーツの本質です。そこで、これまで感覚に頼って打っていた距離を、しっかり把握できるトラックマンレンジを導入することで、体得できると考えました。ボールの種類によって飛ぶ・飛ばないもありますので、それに合わせて距離表示をしていましたが、トラックマンレンジは経営モデルの中でも大事な役割を果たす機材だと考えています」 ハンズゴルフはトラックマンレンジとメンバー制度を紐づけている。「メンバーが増えれば、来店頻度が高まり、定着すると考えました」 トラックマンレンジを無料で使用できるのはメンバーのみで、メンバー数はトラックマンレンジの導入前は950名、事前告知で導入オープン時1500名になり、現在は4500名になっている。1階の一番良い打席にトラックマンレンジの無料試打席を用意し、体験しやすい環境を整えた。 メンバーになるには入会費1万1000円、次年度からは事務手数料のみの2200円にして、 「お客様の負担を少しでも軽くして楽しんでいただいけるようにしています。現在は月平均2万人の来場があり、導入以前は月平均で1万5000人でしたから、かなりの増加がみられます」 とのことで、トラックマンレンジとメンバー制を紐づけた効果が出ているといえる。更に、来場平均年齢も60歳から47歳に若返えった。 「シニアが減ったのではなく、感覚的な練習から数値に基づいた練習をすることが出来るようになって、ボリュームゾーンが変わったのです」 この変化は劇的であり、ゴルフ界が若い世代を取り込むことの一つのヒントになるかもしれない。 一日19時間営業 現在、来場者のメンバー比率は6割とのこと。当初、トラックマン使用率は45%程度だったが、その比率も高まっており、メンバー制で導入コストも吸収できている。 「打席にはゆったりした椅子も用意して、ゆっくりと時間を過ごせます。基本は1球ずつの料金設定で、曜日、階によって変えています」 ボール料金はB1(グランド)と1F、2Fで、順に平日15・4円、13・2円、11円。土日祝は17・6円、15・4円、13・2円。 「コロナ禍によるゴルフブームの影響もあり、土日祝は1~2時間待ちになることも多く、駐車場待ちの車が道路にあふれてしまうため、土日祝は時間貸しもしています。また、コロナ禍以前の営業時間は平日7時~23時でしたが、少しでも密を避けられるように6時~24時まで広げました。4月から土日祝は5時開業に変えましたが、朝4時半から並んで待っているお客様もいるほどです」 また、夜は勤め帰りの来場者が24時までの営業にして増えている。21時からは「施設利用料」が全員無料になるため、夜間来場者の増加に寄与。これまで10%以下だった女性の来場率も上昇傾向だとか。 「もともと昼間のスクールは女性が多かったが、夜はカップルの来場も増えています」 基本は地元密着だが、3割は東京(主に港区、品川区、世田谷区)からで、世田谷の第三京浜入り口近くに、大きな回転看板を掲示して認知度アップに余念がない。 スクールにも力を入れており、12名のハンズ公認インストラクターを含め、契約プロ・インストラクターは20名以上在籍しているという。グループレッスン、プライベートレッスン、トラックマンレッスンなど、レッスン形態を細かく分けて、ニーズの細分化に対応している。 「スクールが集中しているときは40打席がスクールになることもあるんですよ。通常利用のお客様と、やりくりが大変なこともあります」 と、嬉しい悩みを口にする。 併設のレストランも賑わっていたが、自家製のスイーツも好評で、昨年のクリスマスにはクリスマス用ケーキが300の注文があったとのことである。 ハンズゴルフの従業員は60名で、2交代、3交代で運営している。 「経費は掛かりますが、おもてなしを基本として、その分お客様に支持いただいています。ハンズゴルフはまだまだ改善の余地があります。例えばハンズのおもてなしで、シニアゴルファーのゴルフ寿命の延伸にもつなげていきたいですね」 鞍橋総支配人はシングルの腕前だったが、ハンズゴルフクラブに入ってから、思うように練習はできてないと苦笑する。言葉の端々に、ゴルフへの愛情・熱を感じた。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年7月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら
    (公開)2022年07月23日