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    建設ラッシュに沸いたバブル期のゴルフ場は、なんといっても豪華絢爛なクラブハウスが特徴だ。内装の壁材には大理石をふんだんに使い、宮殿風のスロープ階段と天井が高い吹き抜け構造。見上げれば豪華なシャンデリアが光り輝き、オーダー家具で統一された装飾は、まるで西洋のお城を思わせた。 コンペルームも大小様々だ。200名も収容できる大コンペルームから、3~5組程度でパーティや表彰式が行える部屋。高級料亭風の個室や迎賓館のような洋風個室に運転手の控室、秘書の書斎まであった。 従業員向けの社員寮や託児所を完備するところも珍しくなかった。託児所はキャディの雇用促進が目的だったが、「働き方改革」という言葉もなかったあの時代、ゴルフ場業界の従業員待遇は手厚かった。 往時のゴルフ場には、時代の最先端が取り揃えられていた。今でこそ、街中の温浴施設の洗い場は個々にパーテーションで仕切られているが、ゴルフ場の浴場は当時からそうだった。蛇口も特注品で、湯水のように金を使い細部にこだわった。 筆者が新卒で入ったSTTグループの高級コース・冨岡カントリークラブ(現PGM富岡カントリークラブ サウスコース、群馬)や、ヤシロカントリークラブ(兵庫)は、クラブハウスの建設費だけで約70億円もの巨費を投じていた。 更地に億単位のコスト 日本経済の黄金期に建設されたこれらのクラブハウスは今、維持管理費が高額なことから「負の遺産」となっているケースが多い。しかし筆者は、黄金期のレガシーとして未来に引き継ぐべきだと思っている。高額な会員権が売れた時代だからこそ、豪華なクラブハウスもソロバン勘定が合ったわけだが、今日の環境下では到底、これほどのものは造れない。 館内容積が大きいクラブハウスは電気を食う。2000年3月から2016年4月まで、電力の自由化が段階的に進み、相次ぐ第二電力への切り替えで大幅なコスト削減ができたものの、コロナ過を挟みロシア・ウクライナ戦争や中東の不安定な動きが重なりエネルギー問題は頭が痛い。多くのゴルフ場は電力料金の軽減策として、電力の形態を分割して元に戻す見直しや、場所ごとに節電ができるようにセントラル空調を廃止したり、デマンド管理やLED化への切り替えなど、経費削減のための投資を行っている。 しかし、これらの投資は客単価アップに繋がらない「修繕投資」であるため、もどかしさを感じるゴルフ場は多いはずだ。加えて、クラブハウスの耐用年数は50年ほどとされ、70年代の開場ラッシュにできたところは補修か建て直しの決断に迫られている。実は、大規模施設は更地にするにも億単位の費用がかかるため、どの道大金が必要なことに変わりはない。 そこで筆者は、急場凌ぎの復旧修繕を重ねるのではなく、クラブハウスの雰囲気やデザイン性を融合したトーンで修繕を行い、現代にマッチする機能を持たせて需要を創造する「プチリノベーション」が有効だと考えている。 繰り返すが、狂乱のバブル時代でしかできなかった「文化遺産」は、個々のゴルフ場の特徴としてビジネス的な強みを発揮できる。重荷から武器へ! 発想次第でクラブハウスは、有効なコンテンツに変身する。 <h2>クラブハウスの新しい価値</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/04/2503iijima2.jpg" alt="" width="788" height="557" class="size-full wp-image-87031" /> コンペRoom_before 筆者は、建築業界誌「商店建築」(2017年12月号)のインタビューを受けたことがある。お題は「変化するゴルフ場のニーズ いまクラブハウスに求められるコンテンツとは?」であった。見開き2頁で掲載された筆者のコメントは、贅を尽くしたコンペルームの惨状を憂うもので、今や物置部屋となってホコリ臭く、不要な備品が放置されている。ツワモノどもが夢のあと……。その惨状を救う策として、以下のコンペルームの活用術を取材で話した。 1)エアポートラウンジのようにWi‐Fi無線LANや電源を自由に使え、仕事や読書ができるスペースとして活用する。 2)雨天でもTee Off前に打感を確かめる練習ができるよう「インドアのシミュレーター(スクリーンゴルフ設備)ルーム」として活用する。 3)ウォーミングアップやクールダウンの場所として、ストレッチスペースにジム機材などを設置する。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/04/2503iijima3.jpg" alt="" width="788" height="557" class="size-full wp-image-87032" /> コンペRoom_after ほかにも沢山の活用術があるはずだ。オーソドックスなところで言えば「会員専用」の差別化されたラグジュアリーなラウンジ(コンシェルジュ付)や、多目的なレンタルスペース(時間貸し・シェアリング)も需要があるかもしれない。 いずれにせよ、コロナ禍でゴルフ界に特需が生まれ、リモートワークの普及からクラブハウス内にワーキングスペースを設けるゴルフ場も現れた。コロナ前からこのような環境整備の必要性を主張してきた筆者にすれば、コロナの有無に関わらず必然性を伴う発想だと手応えを感じている。それだけに、コロナ特需の一過性で終わらせず、定着させる努力が不可欠だ。 周知のことではあるが、来場者のゴルフ場での「行動」を時系列で並べてみよう。 1)ゴルフ場へ到着 2)ロッカーで着替える 3)練習場でウォーミングアップ 4)前半9ホールをラウンド 5)昼食と共にビールで喉を潤す 6)後半の9ホールをラウンド 7)カラスの行水が如く入浴 8)着替えて渋滞を気にしながら逃げるように帰路へ 1)→8)の流れを見ると、クラブハウスで〝くつろぐ〟場面がないことに気づかされる。 <h2>多様性を軸に考える</h2> クラブハウスは本来、メンバー同士の交流を深めたり、いわゆる「19番ホール」として、仲間と酒を酌み交わし、ゴルフ談義に華を咲かせる場所であった。むろん、飲酒運転に鈍感だったバブル時代と、幾多の悲劇を経て飲酒運転厳禁に至った現代を、同列に論じることはできないだろう。 だが、現代のゴルファーはあまりにも慌ただしく、①→⑧をこなすのみ。ゴルフ場のコースレイアウトには興味があっても、クラブハウスは成金趣味の残滓として嘲笑されているのが現状だ。しかし、そうではない。クラブハウス内のコンテンツを充実し、仕掛ければ、多様な魅力を創出できるはず。 例えば、各種スポーツ観戦をパブリックビューイングでメンバーや家族、ゲストを招いて盛り上がる。一人でふらっと訪れて、午前中はリモート会議や溜まった書類をPCで処理し、食後はドライビングレンジで爽快感を味わいながら練習する。気分が乗れば3ホールから9ホールをサクッとまわる。 クラブハウスに仕事やアクティビティの要素を入れればゴルフ場で過ごす時間が多様性を帯びる。多様性を「軸」に考えれば、クラブハウスも大事な武器になってくるのだ。 メンバーが自由な使い方を楽しみ、メンバーベネフィットが高まれば、価値が希薄な「メンバー制ゴルフ場」の意義を、再構できると筆者は考えている。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2025年3月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2025年05月05日
    前回まで、ゴルフ場の隆盛と凋落の推移を見てきたが、本稿では、なぜリコンセプト(Re-concept)が大事なのか、その前提となる筆者の考えを述べる。 日本最古のゴルフ場、神戸ゴルフ倶楽部(一般社団法人)が六甲山頂に開場したのは1903年。最初の4ホールが開場した1901年を日本の「ゴルフ元年」とする説もあるが、英国人貿易商アーサー・グルームが故郷を想い、山頂に開いた。 以後、多くのゴルフ場が誕生し、近年は開場百年を迎える老舗コースが現れている。そして70~80年代の開発ブームに乗ったゴルフ場群は、歴史ある名門クラブを絶えず真似て、続々と誕生した。その弊害を、筆者は強く感じている。 古い社団法人のクラブ(一部、任意団体及び株主会員制の営利目的外クラブを含む)と、日本で約90%を占める営利目的の株式会社による預託金制クラブでは、理事会や各文化委員会の在り方が同じである必要はない。なぜなら、社団法人のクラブは営利目的ではないからだ。 ちなみに、いわゆる名門と言われる代表例に「関東七倶楽部」や「九大ゴルフ倶楽部」(重複コースあり)があり、これら歴史あるクラブの目的は、持続可能な運営のもとで会員同士が楽しむクラブライフを重要視するソサエティだ。 <h2>【関東七倶楽部】(社団法人、株主会員制)</h2> 小金井カントリー倶楽部(東京)、相模カンツリー倶楽部(神奈川)、程ヶ谷カントリー倶楽部(神奈川)、霞ヶ関カンツリー倶楽部(埼玉)、東京ゴルフ倶楽部(埼玉)、我孫子ゴルフ倶楽部(千葉)、鷹之台カンツリー倶楽部(千葉) <h2>【九大ゴルフ倶楽部】(社団法人、株主会員制、任意団体)</h2> 相模カンツリー倶楽部(神奈川)、程ヶ谷カントリー倶楽部(神奈川)、霞ヶ関カンツリー倶楽部(埼玉)、東京ゴルフ倶楽部(埼玉)、軽井沢ゴルフ倶楽部(長野)、神戸ゴルフ倶楽部(兵庫)、廣野ゴルフ倶楽部(兵庫)、鳴尾ゴルフ倶楽部(兵庫)、茨木カンツリー倶楽部(大阪) 同好の士が出資して運営する倶楽部は、性格上、排他性を伴う。その一方で接待需要が普及し、会員同士でクラブライフを楽しむ目的ではなく、Guest=接待先や、ゴルフ仲間を連れて楽しむスタイルとなったのだが、にも関わらず、多くは名門と呼ばれる社団法人系のクラブ運営を真似てきた。そこに、ボタンの掛け違いがある。 たとえば後発組のゴルフ場は、自ゴルフ場の物差しを決める際に「名門の〇〇倶楽部がそうしているから」とエクスキューズできるよう、模倣的に会則・細則・利用約款などを決めてきた歴史がある。水戸黄門の葵の御紋と同じで、名門の権威に盲従する情けない姿だ。 このような歴史が根深く残る盲従体質を改善するには、リコンセプトが唯一無二の方法だと筆者は考えている。 <h2>「預託金」の負い目</h2> 「なぜこうなっているのか?」について、本来は一つひとつ意味があって然るべきだが、先達からのバトンを受け継いできたゴルフ場の社員たちは、それが自社のコンセプトに合っているか否かが判断できず、問題意識なく過ごしていることが多い。日々の業務に追われる中で思考停止状態に陥っている。 筆者がゴルフ場をコンサルする際、現場からは「前任者がこのやり方だったから」「メンバーさんから言われたから」というフレーズをよく耳にする。逆に「当クラブのポリシーはこうだから、こうしたい!」との主張を聞くことは少ない。 なぜか? 多くのゴルフ場は預託金返還請求に困窮し、再生手続きなどを経て預託金債権を棒引きにしてもらった負い目があるから、と筆者は見る。バブル絶頂期の強気が一転、弱腰になり、主体性を失った印象が否めないのだ。 <h2>具体的な例をあげよう。</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/04/2502iijima2.jpg" alt="" width="788" height="591" class="aligncenter size-full wp-image-87026" /> ゴルフ場の玄関先に、不似合いな装飾の置き物等をよく目にする。これらはステークホルダーなどからの寄贈品が多く、忖度して目立つところに置いている。ゴルフ場に支払う料金の中には「居心地の良い空間の利用料」も含まれる、と考えれば、その空間に不似合いな物は来場者に違和感を与える。サービスを提供するエリア用か、バックヤードに設置すべき物なのかの判断基準が歪んでおり、忖度優先の一例と言える。 また、ラウンジの雰囲気をぶち壊しにする「SALE」の張り紙や、業者から持ち込まれた不揃いの什器による景観の乱れもこれに該当する。 ホールインワン植樹も例外ではない。そもそもコースと樹木は密接な関係にあり、コース築造の際にはコースレイアウトのデザインと同時に植栽計画が織り込まれているため、ティーイングエリア付近に乱雑に植えるものではない。脈略なく植栽した樹木は、根が芝生の中に入り込み、水分を吸収し、芝生の生育を妨げたり、グラウンド上の不陸(地面の凸凹)が生じたりと様々な弊害を生む。そんな光景をしばしば目にする。 記念植樹の代わりに、クラブハウスにホールインワンのプレートボードを設置して敬意を払う。あるいは達成者が記念品の寄贈を申し出たら、ゴルフ場が木製の3人掛けベンチを用意して、寄贈プレートを背面に設置する。これはスコットランドの風習で、筆者のお勧めだ。 <h2>客観的な実態把握</h2> リコンセプトの第一歩は、実態把握を徹底的に行うことから始まる。この実態把握は、あくまで〝客観的〟に行うことが重要だが、当然、このプロセスには外部の力を借りることをお勧めする。内部でやろうとすると現体制への批判と取られかねず、忖度した結論が生まれやすいからだ。 筆者がレポートをまとめる際には、その会社の強みや弱みなどを洗い出すSWAT分析から始める。そして、そこからリコンセプトとして目指すゴルフ場(なりたいゴルフ場)=新たなコンセプトを提案する。 リコンセプトの着眼点は、己を知り、己のポテンシャルをどこまで追求できるか、が重要。「己」は、自社のゴルフ場であり、その着眼点から見える光景よりも、アップサイドの提言、すなわちやるべき事項が浮き彫りとなってくる。また、リコンセプトが網羅すべき範囲は、全てに及ぶ。全ての細部において「当ゴルフ場はこのようなクラブにするべく運営しております!」という強いメッセージを発信できれば「Re-concept」は全ての指針となるはずだ。 基準が明確になれば「これはOK」「これはNG」という判断基準が理路整然と共有され、ひとつの法則が見えてくる。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2025年2月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2025年04月13日
    前回はゴルフ場の開場ラッシュについて、「預託金」制度に焦点を当てて説明したが、今回はゴルフ場ビジネスが瓦解した過程を深掘りして考えよう。 言うまでもなく、1991年2月のバブル経済崩壊が発火点となった。急激な地価の高騰を冷やすために、政府は1990年、「総量規制」(不動産融資の伸び率を金融機関の総貸出の伸び率以下に抑える指導)に踏み切ったが、これがハードランディングの原因となる。「バブル三悪」と呼ばれた土地・株・ゴルフ会員権が一気に暴落してバブル崩壊につながった。 これにより、ゴルフ本来の目的(ゴルフコミュニティを通してクラブライフを楽しむ)ではなく、投機目的で会員権を購入した人々は大いに慌て、資産を失う危機感に支配された。 預託金に運用金利はつかないが、「元本は保証される」というゴルフ場との共通認識があっただけに、これを主張して返還請求に走る取り付け騒ぎが全国で起きたのだ。 会員には中小企業の経営者も多く、バブル経済の崩壊で会社の経営も危うくなった。返還された預託金を事業資金に充てる目論見もあったろう。その意味で返還請求は、皆、死に物狂いの形相だったのだ。 返還を求められたゴルフ場側は蒼白となる。会員権価格は将来にわたり上がり続けるという根拠なき「神話」を前提としたビジネスモデルは、弁済をまったく想定していない。本来、ゴルフ場の手元にあるはずの預託金は、すでに土地・建物等のゴルフ場資産に形を変えている。唯一の手段は、これらを処分して返還することだが、安値で処分しても預託金の額には到底及ばない。バブル経済の崩壊はゴルフ場の会員権制度にとって、まさに青天の霹靂であった。 ゴルフ場破綻と再生手続き 1991年、破産手続きの和議法に代わり「民事再生法」が施行された。この法律を簡単に言えば、再建計画(再生計画)の可決要件のもとで行う再建型倒産法の制度、となる。 裁判所から選任された監督委員のもと、再生計画案の策定並びに再生計画案の確定後に再生計画を遂行(リストラクチャリング)するという建付けで、この「新法」ができた背景には預託金の取り付け騒ぎが社会問題化したこともあった。民事再生法の申請を通し、預託金弁済を「帳消し」にして、身軽になって再生しようというものだ。 全国の破産コースでは債権者集会が連日開かれ、経営者は容赦ない罵声を浴びつづけた。結果、会員権として購入した権利の裏付け(預託)である保証金は90%以上カット(放棄)され、プレーの「利用権」のみ保護されることになった。 ゴルフライフは続けられますと、一見、綺麗事に聞こえるかもしれないが、要はゴルフ場が無くなるか、それとも債権棒引きでゴルフ場を残して利用権の保護を選ぶのか? 二者択一を迫られた多くの会員は、泣く泣く後者を選ぶしかなかった。 民事再生の適用で、潰れるはずのゴルフ場が命脈を保った。だが、その後もゴルフ場は静かに減り続けており、2002年のピークから約20年間で、約300のゴルフ場が姿を消している。そしてこれは、バブル崩壊という外的要因とは別に、ゴルフ場業界が抱える内的要因が影響していると筆者は考える。そこで、ゴルフ場が苦戦している理由を10項目にまとめてみた。 <h2>ゴルフ場が減った10の理由</h2> 1)民事再生法の初期段階では債権カット率が低く、二次破綻となって会員離れが起きた。 2)殆どのゴルフ場が会員の同伴や紹介なしに予約が取れる。 3)かつての開発ラッシュで地方にも多くのゴルフ場ができたが、現在は遠方に行かなくても近場のゴルフ場で手軽にプレーでき、特に関東商圏に需要が集中している。 4)メンバーとゲストとの料金格差が無くなっている。 5)預託金の殆どがカットされているので、会員権としての価値がないにも関わらず、年会費を払う義務とのバランスを欠いた歪な構造となっている。 6)接待ゴルフが極端に減少し、一部では復活しているが、接待需要は近場に限られている。 7)ゴルフ場施設の老朽化及びコース荒廃による客足の減少のスパイラルに陥っている。 8)ハゲタカファンドのゴルフ場再生には功罪あるが、プレー料金の破壊で低価格競争(大衆化)が起こり、特に地方では大打撃を受けている。 9)メンバーの高齢化と自動車離れ(免許返納等)で休会会員が増えた結果、年会費の減少による経営悪化が起きている。 10)築30~40年経過した施設(特にバックヤード設備:ボイラー、空調、水廻り、散水設備等)が想像以上に老朽化し、その修復資金が捻出できない。 以上の10項目に集約できるだろう。預託金返還の嵐は過ぎ去ったが、それでコトは治まらなかった。ゴルフ場は徐々に存続意義を失ってしまい、会員の猛反発を受けることもなく、自然死のように廃業している。 むろん、2003年3月の電力自由化で、太陽光パネル事業者が激増し、その矛先がゴルフ場に向いたことや、自然災害の影響も大きいが、ゴルフ場業界の「内的要因」も見逃せない。 この窮地を脱するにはコンセプトの練り直しが必須だと筆者は考える。かつての接待需要を意識した金太郎飴的な経営ではなく、個性を活かした多様な経営にシフトすることだ。名門の真似をしたドレスコードの押し付けをやめ、自社に合った顧客ニーズを丁寧に汲み取り、地方のゴルフ場なら地元密着を打ち出すなど「リコンセプト」の方法は沢山ある。 そこで次回以降、筆者が手掛けたリコンセプトの事例を紹介しよう。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2025年1月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2025年03月11日
    前回は、バブル時代にゴルフ場の開発ラッシュが起きた背景を説明した。バブル崩壊から30年以上経った今、日本のゴルフ場はピークから約300コース消えてしまい、2100コース台に減少している。なぜ、そのような事態に陥ったのかを2回に分けて考察しよう。 表層的には、バブル経済の崩壊が引き金をひいた。これにより「預託金」の償還に耐えられず、次々と白旗を挙げ、法的整理に陥ったゴルフ場を外資系ファンドが傘下に収めた。そのことは誰でも知っているが、ゴルフビジネスに携わる者としては、より深く当時の経緯を知っておく必要があるだろう。 まず、ゴルフ場が減った理由を理解するには、会員権制度の仕組みを知る必要があると筆者は考える。そこで、日本で主流となった「預託金制会員権」について説明しよう。 そもそもゴルフ倶楽部は同好の士が集まる「仲良しクラブ」であり、営利目的ではないという性格をもっていた。そのため草創期は「社団法人」または「任意団体」として次々と誕生した経緯がある。 社団法人制は、ゴルフ倶楽部が社会的にみても法的にみても、一個の独立した団体として組織化されなければならなかった。その法形成に添う形として社団制を採用したのだが、1966年(昭和41)以降、ゴルフ場会社は社団法人として認可されなくなった。 その理由は、本来、民法上の社団法人は公益性と非営利性が設立許可の条件であり、主務官庁である文部省(現・文部科学省)は、一部の会員だけがゴルフを通じて親睦を楽しむことを目的とするゴルフ倶楽部の公益性に疑問を抱いたからである。以後、新しく開業するゴルフ場は「株主会員制」に移行するケースとなり、一方でその手続きよりも簡素でゴルフ場側の裁量権の強い「預託金制」会員権が主流となって今日に至る。 そのためゴルフ会員権を購入するときは「入会金」とは別に、ゴルフ場会社に期限付きで預ける「預託金」を合わせて払うことになった。この預かり金を開発コストに充てる形で、ゴルフ場会社は次々とゴルフ場を造っていったわけだ。 もう少し細部に踏み込もう。会員権を発行するゴルフ場側の事情についてである。 <h2>完成までの筋書き</h2> ゴルフ場開発は、ゴルフ場になりそうな場所(田んぼ・畑・山林等)を探して事前立地承認許可を取り付ける。その上で国土法(当時の申請手続き)に則り土地を取りまとめ、森林法など段階に応じた個別法をクリアしていく。最終的に大規模開発の許可を取得してゴルフ場を造成するが、長ければ7~8年を要するケースもあった。複数の地権者が絡む場合、それぞれ複雑な思惑が介在する。農業を続けたい家と断念する家。あるいは隣家の土地よりも高く買ってもらいたいなど、人間の欲も当然ある。それらを取りまとめる作業にも時間が費やされる。 土地がまとまり許可が下りると、田んぼや畑などの土地が初めて価値を生み、ゴルフ場としての評価を得る。ところが途中で頓挫すると、集めた土地は田んぼや畑などのほかに転用できず(開発行為が認められない)虫食いの土地を得ただけで終わってしまう。そんな土地に価値があるはずもなく、ゴルフ場会社が考えたくもない最悪のシナリオになるわけだ。 このようなリスクが付きまとう用地買収(地上げ)の資金を銀行が貸してくれるはずはない。したがって、ゴルフ場開発には①自己資金、②不動産等を担保にする、③ゼネコンからの債務保証で〝ノンバンク〟などからの資金調達……。以上を併用するなどして、用地買収を進めるのが一般的だ。 晴れて大規模開発の許可が下り、ゴルフ場ができる段階で、初めて銀行からの融資が受けられる。銀行によるノンバンク資金の肩代わりで、この「肩代わり資金」を会員募集によって集めた預託金で弁済する。これが一連の筋書きである。 まとめると、ゴルフ場の開発資金は、最初は手ガネとノンバンクからの融資で調達し、その後銀行からの資金に入れ替えて、最後に預託金で銀行からの借り入れを弁済する。このプロセスからわかるように、土地・建物を含むゴルフ場開発資金は最終的に、全て会員からの預託金で賄う形となるわけだ。 <h2>会員権神話</h2> 日本経済は1986年からバブルに沸き返り、それと同一歩調で第三次ゴルフブームが起きた。ちなみに第一次ゴルフブームは1957年、「カナダカップ」(現ワールドカップ、於・霞ヶ関CC)で中村寅吉・小野光一組が優勝したことに始まっている。第二次ブームはその9年後。ジャック・ニクラウス、アーノルド・パーマー、ゲーリー・プレーヤーのビッグ3が来日した1966年以後である。日本では「和製ビッグ3」と呼ばれた杉本英世、河野高明、安田春雄が人気を博した。 1980年代の第三次ブームはA・O・N(青木功、尾崎将司、中嶋常幸)が、それぞれ違う個性と強さで注目を浴びた。前回触れたプラザ合意による急激な円高とバブル経済の台頭で、企業の接待交際費が潤沢となりゴルフ市場が潤った。 この時期、ゴルフの熱気と土地神話、さらに狭い日本の国土におけるゴルフ場の希少性から「会員権神話」が生まれた。ゴルフ会員権の価値は上がる一方で、絶対に下がらない!という神話である。 この神話にゴルフ場開発会社も麻痺していき、極端な施策としては、預託金に据え置き期間を設けず、会員の退会と引き換えに返還することを会則に定めるところも増えていった。本来預託金は、償還時期を迎えるまでゴルフ場会社の手元に置いておくはずの資金だが、預託金を返して欲しいのであれば、 「どうぞ退会してください。いつでもお返しいたします!」 と、一転して強気の態度に変わったのだ。なぜなら、退会した会員の数だけ「枠」が空けば、それを高値に付け替えて、新たに募集できるからだ。横暴な根拠、すなわち会員権神話に基づく預託金の返還だった。 が、間もなくシッペ返しが襲ってくる。バブル崩壊で押し寄せたのは、ゴルフ場の経営難を懸念する会員から起こされた預託金返還請求の嵐であった。 「いつでも返します」の強気が一転、日本中のゴルフ場が預託金返還の波に呑まれ、ゴルフ場業界の崩壊を招く。好況時には誰も想像できなかった……。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年12月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2025年01月21日
    前回は、私がゴルフ界を歩んできた道程と、千代田カントリークラブ(茨城)の「リコンセプト」について簡単に触れた。本稿はその続き。 1982年、財界の6大グループ(前号参照)が会員となって、「選ばれし者」のみが集う高級ゴルフ場の千代田CCが開場した。千代田CCの会員権は当初、県内の平均的な価格(300万円)で発売されたが、高級ゴルフ場にリコンセプトするには会員を少数に抑える必要があった。そこで、すでに会員権を買っていた人に全額返還し、少数会員制として新価格を発表した。初回の募集は2500万円からであった。 この価格は、用地買収に関わる金利込みの費用と、造成・建築費などの総額を法人会員の総数550社で割ったもので、リコンセプト前の価格の8倍強に高騰している。 なぜ、このようなことが成功に結びついたのか? 事情を理解するためには、時代背景を見る必要があるだろう。 当時、プラザ合意(1985年)があった。ニューヨークのプラザホテルで行われた先進5か国蔵相会議で、ドル高を是正し、米国の貿易赤字を軽減するのが目的だった。これにより1㌦235円が、翌年には150円台まで円の価値が急騰する。同時に金融緩和や、行き場を失った資金が土地や株式投資、会員権市場に流れ込む。千代田CCの新価格による会員募集は当初苦戦したものの、6大系列企業の入会が進むにつれて勢いを増し、高級路線は成功した。 その後、当時筆者が勤めていたSTTは、前回触れた旧・梓カントリークラブ(現・プレステージカントリークラブ)を189億円で落札(1986年)するという、今思えばとんでもない落札劇を演じたわけだが、その伏線には千代田CCの成功があったと言える。 旧・梓CCの落札額を「189億円」に決めた根拠はこうだ。まず、千代田CC(18ホール、16万坪)の用地買収に約10年の歳月を費やした。その結果坪当たりの買取額は約3万円となり、この3万円を旧・梓CC(36ホール、60万坪)にもそのまま当てはめた。「60万坪×3万円=180億円」。これに、絶対に落札できるプラス9億円を乗せて189億円。そのような理屈だったと聞いている。 その後、許認可を取得し、さらに造成・建築費が掛かる。それだけの大金を投じても、千代田CCの成功例から「必ず売れる」と経営陣は踏んだのだろう。事実、旧・梓CC改め「プレステージCC」の会員権は、順調に売れた。 千代田CCとプレステージCCの成功は、社会的にも大きな注目を集めた。ゴルフ場を媒介にして、会員権という「紙切れ」を刷れば、未完成のゴルフ場でも青田売りでき、莫大な投下資金を短期で回収できる。デベロッパーが大挙してゴルフ場開発に乗り出し、日本全国で造成ラッシュの夜明けを迎えた。 高額会員権購入のカラクリ <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/01/2411iijima2.jpg" alt="" width="1000" height="665" class="size-full wp-image-84659" /> 千代田CC ゴルフ場開発ラッシュの背景には、金融機関の存在が大きかった。プラザ合意後、日本の金融機関は貸付先の獲得に苦慮していたが、そこに会員権の販売と、その購入資金を一体化して融資する手法が編み出されて野火のように燃え広がった。 日本の狭い国土を考えればゴルフ場の数には限界があり、希少性の高いゴルフ会員権は株よりも確実に儲けられる投資対象と考えられた。80年代半ばからバブルへと向かう道程で、人々は争うようにゴルフ会員権を購入したのだ。 そのカラクリはこうだった。 まず、銀行とゴルフ場開発会社が提携ローンを締結する。その上で銀行は、会員権購入者を顧客から探し出し、金を貸して購入させる。借金の担保は、購入する会員権の「預託金」に質権を設定する。つまり、銀行は会員権を担保に金を貸し、その会員権は株式同様値上がりするから、銀行としてはノーリスクで新規融資先を獲得できる。まさに夢のような連鎖だった。 一方で、借入をして会員権を買う者にもメリットがあった。少ない入会金を自己資金(取得会員権の20%前後)で用意できれば、残りの資金は実質無担保(持ち込み担保)で融資を受けられるため、中には2口申し込み、会員権の値上がりを見計らって1口を売却。その売却益で2口分の借金を完済できた。 <h2>1口はタダで手元に残った! </h2> 濡れ手に泡、とはこのことである。ゴルフ場会社、金融機関、購入者の三者が潤う「三方良し」の構造だ。 銀行が、簡単に会員権の購入資金を貸してくれる。むしろ、貸し付けるネタとしてゴルフ場は便利な存在だったから、2000万円、3000万円、4000万円、5000万円…と、会員権価格は高騰した。ゴルフ場開発会社はその金額に見合う設備の豪華さを競い合った。 <h2>豪華絢爛なクラブハウス</h2> 一番わかりやすいのはクラブハウスである。「バブル仕様」のクラブハウスは大きな空間に豪華なシャンデリアなど、今となれば空調費やクリーニングコストも大変だが、当時はお構いなしにひたすら豪奢を競っていた。第二はメンバーの数を少なくすること。第三は接待用に向いた交通至便なロケーションの確保。以上がバブルコースの3要件だった。 プレー料金は接待交際費で落とせるため、高額会員権のバブルコースは「接待用」として、企業が購入する法人会員権も多かった。社用ゴルフの全盛期は、プレーも食事もお土産も豪華であるほど喜ばれた。 1986年、国内ゴルフ場数は1538コース。それが5年後の1991年には1926コースに激増している。この間、デベロッパーやゴルフ場開発会社は、都心から近くて平坦な地形を必死に探した。土地の買収コストが跳ね上がり、都心近郊に土地がなくなると、買収範囲を地方へ広げていった。 同時に、ゴルフ場開発は乱開発・自然破壊だと糾弾される。それも一因となって首都圏近郊の開発許認可は次々凍結されてゆく。東京、神奈川、埼玉、千葉、茨城、栃木、群馬、山梨と新規開発が禁じられた。 ちなみに、今年になって山梨県は開発凍結の解除を発表したが、その理由はリニア建設を見据え、民間による適切な投資・開発を促し、県土の強靱化と高付加価値な複合施設の建設で、県の財政力を高めるためと説明している。いずれにせよ、様々な利害関係者が金儲けとゴルフを結びつけて開発に邁進、ピークの2002年には2460コースを記録している。 その後バブル経済の崩壊や自然災害等で減少し、2023年度は2123コース。ピークから300コース以上減っている。とはいえ、最多のアメリカに次ぎ、カナダやイギリスと肩を並べる数のゴルフ場が日本の狭い国土で運営されている。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年11月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2025年01月10日
    連載を始めるにあたり、私のゴルフ業界におけるバックグラウンドを紹介する。 特段ゴルフが好きでも、興味があったわけでもなく、税理士の次男として生まれた筆者は将来、 税理士になるものと思っていた。そのため高校卒業後の2年間、大原簿記学校の税理士本科へ進学した。 1年が経った頃、兄が税理士になることを決めたため、自分は兄とは別のビジネスの世界に入ることを決意したのだが、専門学校卒ゆえ学歴の壁は高く「学歴不問、能力主義、幹部候補生募集」の3要素を備えるベンチャー企業を探すことにした。その企業が、たまたまゴルフを生業とする千成グループ(後のSTTグループ)だった。入社は1983年。以後41年間、ゴルフ業界に携わっている。 <h2>幹部候補生研修</h2> オーナー社長のポリシーは「幹部候補生たるものは現場を知らずして幹部になれるか!」であった。そのため入社式直後の合同研修を終えるとすぐ、現場であるゴルフ場へ配属された。同社は当時、千成ゴルフクラブ(栃木)と千代田カントリークラブ(茨城)の2コースを保有・運営しており、同期は2班に別れて各コースで研修に入った。 筆者の配属先は千代田CC(18ホール)だった。当時13番ホール横の林の奥にプレハブ小屋があり、3DKの間取りに同期4人の生活が始まる。2人は各1人部屋、残りの2人は相部屋となるが、毎週くじ引きで部屋変えをして、プライベート空間を楽しんだ。 まず、コース管理課に配属され、地下足袋にヘルメット姿で来る日も来る日も芝草刈り……。誰でもできる手押しモアによるラフ刈りから始まり、グリーン刈りや3連モアを乗りこなす技術を、約5か月掛けて習得。次にハウス内に配置されてポーター、ハウスメンテナンス、ウエーター、フロント、事務所等、あらゆる部署を体験した。今思えばありがたい経験ではあった。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/12/tiyoda.jpg" alt="" width="1000" height="795" class="aligncenter size-full wp-image-84284" /> 筆者は生まれも育ちも東京である。本社が「六本木」だったことも入社動機のひとつで、夜の街をビシッとスーツを決めて闊歩する、そんな淡い期待もあったのだが、実際は芝刈りの毎日で「俺はこんなところで何をしてるのか?」と悩んだ一時期もあった。しかし、とにかく忙しく、幹部候補生として同期に負けたくない!との想いが支えとなってやりきった。同期はいつの間にか去ってしまい、3DKを一人で過ごす。 約1年後、本社配属の辞令が下り、経理部に入る。経歴書に簿記1級・珠算2級・販売士3級等の記載があったからだろう。 <h2>プレステージCCの誕生</h2> 入社3年後の1986年7月。倒産した旧・梓ゴルフ倶楽部(36ホール)を189億円で落札した。この落札を機に財務部が設立され、筆者はそこに抜擢される。資金繰りの専門部署が必要だったからだ。 今も鮮明に覚えているのは、決済の場に小切手を用意したときの光景である。チェックライターで小切手をタイピングする際、当時のチェックライターは99憶台の桁しかなく、手書きで「金壱佰八拾九億圓也」と書き込んだ。それを三井信託銀行丸の内支店の応接室に持参・決済したときは、さすがに緊張した。 この旧・梓GCの敷地は約60万坪の規模であった。オリジナルのゴルフ場の姿は山岳コースで、パー3ホールでは、パターで転がして崖から落とした方がグリーンに乗る確率が高いほど、無理のある地形とコースレイアウトだった。 敷地内には3つの山があり、その山をすべてダイナマイトで粉砕。大量の土砂を谷に埋め、まったく新しいコースに造り変えた。名称も「プレステージカントリークラブ」に変更して、1988年7月に再オープン。グループとしては千成GC、千代田CC、グランドスラムCCに次ぐ4番目のコースとなった。 プレステージCCが会員を募集した80年代後半は「青田売り」ができた時代である。青田売りとは、未完成のゴルフ場の会員権を売ることで、バブル時代、ゴルフ場の乱立につながった一因と言える。 プレステージCCの初回販売価格は特別縁故募集で1口2500万円であった。コンセプトは、法人接待用の高級ゴルフ場で、上場企業又はそれに準ずる企業の役員以上が「記名人」になれる、という高飛車な姿勢で販売した。 振り返れば、隔世の感がある。 落札に際し、三井信託銀行を幹事行として、他ノンバンク7社から合計189億円の資金調達をしたのだが、この時(1985年)の長期プライムレートは7.5%で、これにスプレッドレート(上乗せ金利)で約9%という高金利での資金調達。ゼロ金利時代では考えられない利率の借入で落札したことになる。 <h2>リコンセプトの実体験</h2> このプレステージCCを落札する前に、自社で千代田CCを完成していた。千代田CCのコンセプトは「法人向けの財界サロン」で、入会制限が厳しく、一部上場企業の役員以上しか記名人になれなかった。 千代田CCの初代理事長には三井物産の現役社長が就かれた。そのため二木会(三井グループ)系列はもちろん、白水会(住友グループ)、三菱金曜会(三菱グループ)、芙蓉会(芙蓉グループ)、三水会・みどり会(三和グループ)、三金会(第一勧銀グループ)という6大グループが選ばれて入会したのである。 日本を動かす錚々たる顔ぶれが集ったが、このコンセプトメイクの背景には、三井物産会長が当時話した、 「これからは大衆の芋を洗うような混みあったゴルフ場ではなく、人数を絞り、選ばれし者のみが入場を許されるコースが必要だ」 とのアドバイスがあったからだと聞いている。アドバイス前、千代田CCの会員権は茨城県の平均相場に近い300万円で売り出していたが、アドバイス後に会員権の購入者に全額返還をして、一旦リセットした経緯がある。コンセプトを作り直すことで、異なるゴルフ場に生まれ変わる。筆者が「リコンセプト」に関わる原体験であった。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年10月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年12月03日