月刊ゴルフ用品界(GEW)2005年1月号~2006年3月号に掲載していた大西久光氏の「シリーズ温故知新」をウェブ用に再編集したものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。
前回までは、大西久光氏が「トーナメント産業」を軌道に乗せてから男子ツアーが低迷するまでの物語を聞いた。
8話目となる今回は、「本業」のゴルフ用品ビジネスに関わるストーリーに移る。同氏は1986年に住友ゴム工業のスポーツ用品副事業部長として本線に復帰。すぐに直面したのはクラブ事業の弱さだった。ボールメーカーとしては勢いがあるが、クラブは「難しいブランド」として認識され、売れ行きは停滞していた。
そんな折、当時は無名だったキャロウェイゴルフとの出会いがあった。大西氏は新興の米国ブランドを日本に輸入する決断を下す。その経緯を詳細に振り返る。
毎週火曜日掲載・写真提供大西久光氏
CIAの人間じゃないか?
前回までは、トーナメント界の黎明期やそこで私が果たした役割について話しました。今回からは話題を変えて、ダンロップスポーツエンタープライズから住友ゴム工業に復帰して以降、主にキャロウェイとの関わりについて振り返ってみたいと思います。
私が住友ゴムにスポーツ用品副事業部長として戻ったのは1986年のことでした。『ツアースペシャル』が爆発的に売れる前でしたが、ボールメーカーとしては勢いがあった。その反面、「ダンロップのクラブはプロモデルだから難しい」という雰囲気が消費者や販売店、何より住友ゴムの社内にもそんな思いが色濃くあって、クラブをプロデュースするのは難しい‥‥。そんな課題に直面していた時期でした。
ちょうどその頃、住友商事の方がリチャード・ヘルムステッターさんを連れてきたんです。今でこそ彼はキャロウェイの開発責任者として著名ですし、流暢な日本語を操るため日本のゴルファーにも知られてますが、当時は上手すぎる日本語がむしろ不自然で、CIAとかの人間じゃないか‥‥(笑)。冗談でそんなことを言ったものです。
その彼が持参したのは1本のサンドウエッジで、住友ゴムを通じて日本へ販売してもらいたいという主旨でした。
当時は誰も知らないメーカーだけど、商品の理屈が面白かった。特徴はネックがないことで、ネック部分に使われる30gの重量をほかに振り向ければ、大型ヘッドができると確信しました。それだけではなく、ダンロップにはないキャロウェイの斬新なアイデアを取り込めば、我々のクラブにも相乗効果が生まれるはず。そんな期待感を瞬時に覚えました。
でもね、社内には反対意見が多かったですよ。メーカーであるダンロップが、なぜ無名メーカーの販売代理店をやらなければならないのか。それが反対派の意見で、普通に考えれば頷けます。
でも、私は押し切りました。クラブ事業に起爆剤が見つからない以上、新たな活路を求めるのは当然のこと。ある種のショック療法といえるものです。
GEの融資を取り付けたエリーの才覚
翌87年、私はスポーツ事業部の人間を数名連れて、ロサンゼルスへ飛びました。初めてキャロウェイを訪れたときの印象は、「やけに小さい会社だなあ」と(笑)。狭い事務所で6人が電話セールスをやっている。商品はスチールシャフトをヒッコリー風にプリントしたクラシックタイプのパターやウエッジ‥‥。
創業者のエリー・キャロウェイさんは、繊維会社やワイナリーの経営を経て個人的には裕福でしたが、キャロウェイゴルフには資金がありません。そんなわけでかなり迷いましたけど、結局はサインに踏み切ったのです。
契約書にサインした次の瞬間、私はエリーさんが抜け目ないビジネスマンであることを思い知らされました。彼は離席して隣の部屋に消えてしまい、しばし待つと、満面の笑みをたたえましてね、「ミスター・オオニシ」と隣室へ招くのです。
そこにはGEキャピタルの重役がいて、たった今、キャロウェイの最大株主になったというのです。エリーさんは再三、GEに投資するよう依頼していましたが、特に実績もないわけだからGEは躊躇していたわけですよ。そこで、エリーさんは賭けに出た。当日の契約がそれで、「日本のSUМITOМОがバックについた。必ず成長するから投資してくれ」と迫ったのでしょう。
キャロウェイゴルフの元社員でゴルフライターの松尾俊介氏は、著書「ストーリー」の中で、このときのGEの投資額は「400万ドルだった」と明かしている。
GEの融資を取り付けたキャロウェイは、以後、大きく飛躍するわけですが、その原点が我々との契約だったと私は確信しています。
実はそれ以前、エリーさんはキャロウェイ株の50%を米国住商と住友ゴムに7億円で売りたいと申し入れてきたんです。資金調達をするために、いろんな策を練っていたんでしょう。創業時の苦労が偲ばれます。
でもね、住友ゴムは「そんな会社には投資できない」と蹴ってしまった。あのときもし買っていれば、7億が数百億に化けたはず‥‥。もったいないことをしましたなあ(苦笑)。
きっかけは「S2H2」
1988年9月16日、住友ゴム工業はキャロウェイゴルフのアイアン『S2H2』を発売した。同社はその前年を「クラブ元年」と位置付けて、米プログループ社の『アクシャム』を輸入販売するなど外部の知恵を積極的に導入している。これはアーノルド・パーマーの監修というお墨付きだったが、さしたる成果は残せなかった。
時代はバブル景気の上昇局面で、様々なチャレンジが可能だった。
88年に発売した『S2H2』は、『アクシャム』に続く輸入品第2弾の位置づけだった。『S2H2』のキャッチコピーは「正確な高弾道」で、これを実現するためホーゼル部を極端に短く、なおかつシャフトをソールまで貫通させた設計が特徴。
商品名は「Short・Straight・Hollow・Hosel」の頭文字をとったもので、アルディラのボロンシャフト「RCH60」を装着した最高級モデルは43万2000円(9本セット)。このあたりにも、バブルが色濃く漂っている。
住友ゴムはこの年、カーボンヘッドの自社ドライバー『ブラック540』を発売し、新たに投入した『SP‐4』でアベレージ向け市場の開拓を図るなど、一気に攻勢へ転じている。『S2H2』は拡大路線のフラッグシップという役割を担っていた。
キャロウェイは当初ウッドがなく、アイアンに限った展開でした。だけど私の興味はウッドにあって、「S2H2理論」を採用すれば大型ヘッドが実現できる。そのことをエリーさんに強く主張したことを覚えています。
住友ゴムとキャロウェイは、販売代理店という枠を超えて様々なアドバイスを行うなど、蜜月関係を深めていきます。
忘れられないのが品質基準に関する相違ですね。宮崎工場でキャロウェイの検品をした際に、不良率が11%もあった。これを突き返したらエリーさんは怒りましてね、「アメリカではクレームが発生してから対応する。検品段階で11%もハネるとは何事だ!」というわけですよ。だけど、日本の消費者には通用しません。そのことを懇々と説明して、QC(品質管理)の見直しを迫りました。
商品開発にも我々の声が反映されたはずですよ。ダンロップには当時540CCの大型カーボンウッドがあったので、これを見せて「大型ヘッドを作ってくれ」と申し入れた。先ほどの話ですね。「S2H2理論」を採用すれば、他社にない大型ヘッドが実現できますから。
でも、エリーさんの返事は「アメリカではテーラーメイドのメタル(小型ヘッド)が絶好調だから、大型には興味がない」と。まったくの無関心で、こちらの意見に取り合わない。
面白いのはその後ですよ。半年後、エリーさんから連絡が入りましてね、「大型ヘッドを作ったから見てくれ」と‥‥。それが『ビッグバーサ』だったわけです。
彼はまず、こちらの申し入れを否定する、あるいはまったく関心がないフリをする。だけど実際には違っていて、非常に注意深く聞いてるわけですね。生き馬の目を抜くビジネスマン。このときもまた、そんな印象を強めました。
住友ゴムとキャロウェイで日米合作といった商品は多かったし、日本の繊細なニーズに対応することで、キャロウェイは独特の地位を築いていった。つまり、先進的なアメリカの開発と、日本の繊細な物作りの融合ですね。それ以前にはない、まったく新しいタイプのメーカーとして成長路線を歩みます。
エリーは国粋主義者?
エリー・キャロウェイという人物を振り返るとき、マーケティングに優れた一級のビジネスマンという印象のほかに、国粋主義者、多少右寄りの印象も強かったですね。商品に武器の名前(ビッグバーサ=大砲、C4=プラスチック爆弾)が多く使われるのはそのせいかもしれません。
アメリカはインフレを物凄く嫌うため、コストカットが大原則です。だからレイバーコスト(労賃)の安い東南アジアで生産する企業が多いんですが、彼だけは「メイド・イン・USA」にこだわり続けました。このあたりにも国粋主義者の一面が伺えます。
住友ゴムの宮崎工場でアッセンブルをした方がすべての面で合理的だと主張しても、頑として首を縦に振りません。何事につけアメリカが一番という自意識が、非常に強い人でしたねえ(苦笑)
だから彼は95年、ホワイトハウスに招かれてクリントン大統領から表彰された。全米の名立たる企業に比べれば事業規模は小さいけど、国内産業にブーメラン効果をもたらした、そのムード作りをしたことへの評価ですよ。
アメリカ産のゴルフクラブが高い評価を受けることは、実際の金額規模よりも、遥かに大きな効果があったでしょうね。ある意味、アメリカ国民に自信を取り戻させた、そんな役割を演じたのだと思いますね。
ワンマンで、だからカリスマ性ばかり注目されますけど、実際には基本ポリシーに対する揺るぎない信念を持っている人でした。
ところで、住友ゴムが輸入したキャロウェイは初年度、日本では数億円の赤字でした。ダンロップの契約プロに使わせるなどあらゆる支援をしましたが、『ビッグバーサ』が登場するまでの3年間は目立った成果がなかったのです。そんなわけで、私は社内から突き上げを食らったものですよ(笑)
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