武蔵野美術大学(都下小平市)は今年、建学90年を迎えた。これを機に4月、市ヶ谷キャンパス(都内新宿区)を開校して「造形構想学部」を新設。学生数約4500名、東京芸術大学、多摩美術大学と並ぶ美大三羽烏の一角は、企業が密集する都心への進出で産学連携に注力。新キャンパスには「無印良品」の実験店舗も設置する。
「AIの時代だからこそ、美大には優れたクリエーターを養成する役割が求められます」と長澤忠徳学長。ゴルフをプレーしない美大の学長が、独自のゴルフ論も展開。業界外の視点で「ゴルフ」を鋭く語る。
社会の風潮を含めてデザイニング

「わたしはゴルフをまったくやりません。それでゴルフ雑誌に出てもいいんですか?」
ゴルフをしない美大の学長が「ゴルフ」にどんな印象をもっているのか。それが本日の主題です。
「そうですか、それじゃどうにかなりますね(笑)。まずはウオーミングアップしましょうか。わたしとゴルフの出会いの話です。
実は33歳の時、グッドデザイン賞の審査員になりました。これは当時の最年少記録で、多分、今も破られてないと思いますが、わたしが担当したのはレジャー、ホビー、DIY部門です。ここにはルアーフィッシングの疑似餌やスキー板、ヤマハがサイレントバイオリンを出したりして、その中にゴルフクラブもありました。
ほかの委員はクラブを握って『これいいね、ヘッドのラインが綺麗だ』とか感想を話していましたが、わたしはまったくわからない。それがゴルフとの出会いです(笑)」
造形美の観点で印象とかは?
「う~ん、何本か並ぶとコレよりこっちがカッコいいとか思うんですが、一本だけだとサッパリわかりませんね(笑)」
それがゴルフとの最初の出会い。で、当時のお仕事は?
「当時はデザインコンサルタントをやっていて、要するに企業のデザインプロジェクトのアドバイザーという仕事です。Gマークの委員をやった80年代は、仲間とロンドンで会社を作って、そのような仕事をしていました。
あの頃は、デザインに関わる活動が社会的に求められていたんですね。日本はバブルに突入する雰囲気の中で、メーカーはいいモノを作りたいし、消費者もそれを欲していた。
宮澤喜一さんが首相になって、『生活大国』を掲げるわけですが、その一方でリゾート法ができてゴルフ場をガンガン造って、ゴルフ用品も沢山出た。そういった風潮の中で、物作りの産業がデザインの重要性に目覚めたわけですが、消費者である国民も優れたデザインを理解するマインドを持たなければ価値が伝わらない」
それで「生活大国」を掲げて国民の意識を高めようと。国家的なプロジェクトだったわけですね。
「おっしゃる通りです」
当時、糸井重里さんが西武百貨店の広告で「おいしい生活」というフレーズを流行らせた。それでコピーライターという職業も注目されましたが、デザイニングを広義で捉えると、社会的な風潮や民度を含めてのことですか?
「まったくそうです。わたしは当初、グラフィックベースでモノを考えましたが、都市計画も図面を引くしプロダクトも図面を引く。哲学などの説明も然りで、そこをきちんとやっていれば大丈夫という感覚がありました。
これをAIの話につなげると、おそらく図面を引くとか加工の部分は機械処理でいけますが、これが進み過ぎると(人間回帰に)少し戻ったほうがいいかなとか、あるいは微妙な心の揺らぎもそうですが、このあたりの感覚は機械じゃなくてクリエイティブの話になります」
ヒトは記号を駆使する生き物
根源的な質問をします。そもそも「デザイン」とは何ですか?
「それは、わかりやすく言えば価値を創造するということです。その価値の中に形を重視する人もいれば、価格と生活のバランスを重く見る立場もあるなど様々です。
もうひとつは言語的な話です。おそらく大半のジャーナルは、日本語なら日本語でモノを考えて記事を書きますよね。これは自然言語のリテラシーなんですが、実は造形にも言語があるわけです」
造形、つまり形を作り出すことにも言語がある?
「要するに『辞書がない言語』における法則や体系の話です。たとえば年を取ると『顔は覚えてるけど名前が出ない』ということが頻繁に起きます。名前は言語で顔はイメージといったように、それぞれ別の脳で理解しますが、双方の間にエピソードがあれば一致する。その人を覚えている光景やストーリーがあればつながるんです。
昔から言われる右脳と左脳は、自然言語のリテラシーと造形言語のリテラシーに分けられて、造形言語は右脳です。
我々は記号を伝える生き物であり、これをホモシグニフィカンスと言いますが、記号の中で特殊なのが言語なんですね。記号の意味をその記号自体で伝えられる記号、それが言語になるわけです」
う~ん、頭から煙が出そうです。
「たとえば赤という色があって、『赤』で『別の赤』は説明できませんよね。だから、記号で説明できないものは沢山あって、それらを感じ取るのが『感性』ということになるわけです」
すべては曖昧な「心の音」
「感性」とは何ですか?
「一言でいえば、自分たちの中に刺激として入ってくる情報です。世の中には多くの大学がありますが、辞書で成立しないモノの受け取り方を教える学校は、美術大学以外にはないと思っています」
つまり、言葉で伝えられないことを教えるのが美大だと。かなりやっかいな学問ですねえ。ムサビのメインは「造形学部」ですが、これは何を教える学部ですか。
「この学部は、造形言語を駆使して、造形言語自体を作り出すヒトを養成しております。造形言語の達人をどんどん生み出せば、世間にそれを伝えられるじゃないですか。そういった人材が増える結果、世間の理解も高まってくる。
とはいえ、美大の卒業生は一般の学生さんとは異なっているんですね。本校の卒業生の就職希望者は6~7割で、残りは『作家活動』に入ります。就職希望者の9割以上は仕事を得て、クリエイティブ産業に入るわけですが、実際の企業活動は数字と自然言語が大勢を占めています。そのため美大の卒業生は、なかなか理解されにくい面もあるわけです」
美大卒は変わっていると(笑)
「という面は否めません。ところが、自然言語で回っている部分はコンピュータで代替えできることが多いから、新たなモノを創造するには美大生の感覚が重要になってくる。
わかりやすく申し上げると、玉子焼きは誰でも作れますが、美味しい玉子焼きは難しいじゃないですか。なぜなら『美味しい』は千差万別だからです。
ムサビの学生は約8割が女子ですが、彼女たちがお母さんの作ってくれた肉じゃがをお母さんのレシピ通りに作っても、なんか違う。レシピ通りなのに違うと感じるのは感性で、それを一生懸命言語化しても『なんか違う』としか書けないわけですよ。
多分、ゴルフクラブも同じだと思います。ロジックを積み重ねて計測すれば『良いクラブ』になるわけでしょうが、対象が同じ個体(人間)ならいいけれど、個体は千差万別だから『自分には合わない』となるわけです」
それはありがちなことですね。もっと言えば、昨日は合ったのに今日は合わない。あるいは、体調万全でプレーするよりも、二日酔いで力が抜けたほうが好結果につながるとか。
「ですよね(笑)。わたしは『意図』という言葉が好きなんですが、『意』は『心の音』って書くじゃないですか。その心の音を図り事すると何かが出てくるんですね。つまり言いたいことは、現実的にはすべてがとても曖昧で、とても個人的な心の音だと思うんです。
ゴルフの場合も、今日はこれぐらいの力で振ろうと心が図り事をして、身体運動につなげるわけでしょうが、その意図が今日の置かれた環境にマッチするかどうかはやってみなければわかりません。そこで皆さん、悩むのだと思います」
深いですねぇ。禅問答というか、不可知論の世界に入ってきた。
「プレーしたことはありませんが、ゴルフは深いと思いますよ。ハマると相当面倒というか、それで避けてる部分があるのかもしれません(笑)」
人間が悩むことの価値
シンギュラリティって言葉がありますね。2045年に人類70数億人の「知の総和」をコンピュータが越える分水嶺です。その流れで考えると、ヒトは結局、機械に飲み込まれる運命にあるわけですか?
「これについてはいろんな見解がありますが、端的にいうとコンピュータは身体を持っていません。個人に依拠する『身体性』は、感情や筋力など様々です。コンピュータは身体で感じる部分を現実的には持てないし、皮膚も持たない。
たしかにシンギュラリティは、人間の機械化できる部分を置き換えられるかもしれません。これを『外在装置化』と言いますが、文明は身体の機能をどんどん装置化してきたし、20世紀には首から上が装置化されました。
覚える、計算する、見るという部分でスピーカーやカメラ、計算機等が出てきたし、今一生懸命やっているのが頭の部分です」
その「頭」が、つまり意志なり思想の部分がAIなりビッグデータに寄って行くと、
「それが機械に寄って行くと人間はやられるかもしれませんね。ただし、『f/1ゆらぎ』の概念を入れると違ってきます。これはそよ風や川のせせらぎみたいなもので、先ほどの『心の音』じゃないけれど、揺らぎや揺れを機械化するのは難しいですよね。
別の話で面白いのは、ある大学のデザイン工学部の先生が『このコップは綺麗だね』って話したら、学生たちは一斉に測り始めたそうなんです。寸法、比率、カーブを測って『言語化』して、納得しようとする。でも、美大の場合は違っていて、『綺麗そのもの』を創造するわけだから、これはもう、根本的に違うんです」
換言すれば「感覚の創造」でしょうが、それって苦しくないですか?
「それはもう、本当に苦しいです。だけど美大の役割は、みんなの悩みを代わって悩むヒトを養成する場だと思うんですね。ヒトは本質をとことん掘り下げて考えたら、毎日が辛くて耐えられません。だから日常生活や仕事でもあまり深く考えないで過ごしている。ところが美大生は、毎日とことん追求しています。
たとえば、ゴルフクラブ一本作るにしても、設計から完成まで2年ぐらい掛かりますよね。それを評論家がひと振りして『いいね』とか『ダメ』なんて言ってほしくないじゃないですか。そのクラブを半年間必死に振り続けて、それから悩んでくださいと。
原稿も同じですよね。締め切りがあるから終わらせますが、完全に満足な原稿はありません。つまり、水平線に辿り着いたと思ったら次の水平線がある。出口を開けたら入り口だったという話で、美大生が日々学んでいるのはそこなんです」
すべては「未完」だと。毎年新製品が出るけれど、それは「途中経過」に過ぎないし、もっと言えばゴール自体も存在しない。
「ですから、そこで悩むことがとても大事なんです。従来の生産概念は、物が足りないから効率よく作る、次には安価で高性能な物を作ることでしたが、この部分をロボットがやるようになった現代では、人間が悩むことの価値が大事になります。
別の言い方をすると、現代は何が問題かわからない問題が残ったわけで、AIが進化するほどに、こういった問い掛けが重要になってきます」
仕事か趣味かわからない
何が問題かわからない問題、というのは意味深ですね。これを言葉の定義や語釈に当てはめると、語意そのものが従来と変わってくるかもしれない。たとえばヒトは今後、何を消費していくんでしょう。そんな疑問もわいてきます。
「消費は労働の対価、つまり交換価値のある記号として出てきましたし、それを自分の生きる目標に転化していくわけですが、そもそも大元になる労働の概念が変わってくる。わたしはそのように思っています。
たとえば個人的な話ですが、『趣味はなに?』って聞かれたとき、わたしの場合は『そう言えばないなあ』って気付かされる。要するに、仕事も趣味も一緒なんですね。わたしは美大の先生で、学長の役割をしていて、この取材ではモノをしゃべっていますが、どこからどこまで仕事かわかりません(苦笑)
その一方、組織に囲われたリストリクション(制約)の中でしか能力を発揮できないヒトは、閉じ込められているのと一緒ですが、クリエーターにはその壁がなくて飛び越えてしまう。何をやっても仕事だし、趣味か仕事かわかりません。
これを申し上げたらゴルフ業界のヒトに怒られるかもしれませんが、」
大いに言ってください。
「よろしいですか(笑)。それでは申し上げますが、外側から『ゴルフ』を見た時に、これは社交なりスポーツになりますね。それがレゾンデートル(存在理由)になっていて、ですからおそらく、毎日が凄く苦しいという感じではないと想像できます」
存在理由が当たり前のようにあるから、激しい自己否定なり深掘りによる苦悩がない。つまり、毎日が習慣化されている。
「ところが我々の場合は、朝見たテレビに気づきがあって、学校に来て学生も同じことを話していたら、新規プロジェクトが始まるということは日常茶飯事です。
つまり、領域の縁(へり)がないから、シールを貼って切り分ける意味もないわけです」
換言すれば属性がない。大海原にポツンといるような感じで、既成の立ち位置がそもそもない。
「そういうことです」
その感覚は、別の観点で実感できますね。職業柄、「最近の業界はどうですか?」って聞かれることが多いんですが、ぼくは逆に「業界の外周円をどこに引いてるの?」って質問したくなるんです。
「よくわかります(笑)」
GPSや認知症予防、婚活からeスポーツまで広げれば、「ゴルフ」は単に球打って穴に入れるだけの行為ではないし、そう考えると「業界観」そのものが変わってきて、もっと曖昧というか、観念的なコンテンツになるんですね。古い業界人は「ゴルフとはこうだッ」て勇みますが、それも構成要素のひとつでしかない。
「そこで外周円を外したい時に相談すればいいのがクリエーターだと思うんですね。『何したいんですか?』『ゴルフが狭い世界になっている』『じゃ、外せば?』となるわけですよ」
クリエーターは答えを出せる?
「いえ、出せません(苦笑)。ところが、アレコレ話してるうちに出てくるんです。
たとえばロボット産業がありますよね。彼らは最先端のエンジニアだけど、ゴルフのことは知りません。そこでゴルフのお題をポッと出すと、エンジニアは全力で考える。その連続性から新しい何かが生まれるわけで、スコラ哲学ではないけれど対話の中から出るんです。
この取材も片山さんが聞くからわたしの中から出てくるわけで、わたしはゴルフの知識がありませんが、こうして出てくるわけですよ(笑)」
常に複眼をもって臨む
以前、プーマのキャディバッグをムサビの学生がデザインするコンテストをやりました。そもそもムサビは産学連携に前向きですが、今後、ゴルフ界と美大との連携でイメージできることはありますか。
「まず一般論としては、産学で一番大きな連携は美大ではなく、工学部の領域だと思います。特許を取ったり知財ができるから、企業が応用すれば価値化しやすい。ところが美大は具体物の制作なので、メインは意匠権になります。現実的な面を見ればそういった現状はあるでしょう。
その上で、美大との連携で理想的なのがフランスの『コルベール委員会』です。これは一流ブランドのオーナーが沢山集まるサロンでして、ブランドで産業をバリューアップしていく軍団というか、組織です。ここが若者に課題を出して、各企業の会長や社長が審査してグランプリを決めます。
その賞品が面白くて、学生のアイデア画を一流ブランドの職人がモックアップで作ってくれるんですね。わたしも学生を工房に連れて行きましたが、すると職人さんが『このラインはどんな気持ちで引いたんだ』と質問してくれる。
学生にしてみれば、こんなに嬉しいことはありません。それで日本に帰ると、職人さんが作ってくれた品が送られてくるわけです」
学生は大感激でしょうね。シャネルあたりの職人が自分の画でモックアップを作ってくれるなんて。
「ですから、そんな風にやればいいと思うんです。日本の企業は美大生への課題の出し方が不慣れだし、美大の側も積極的にアピールしてきませんでした。なので、ゴルフメーカーは多分、『未来のゴルフクラブは?』といったテーマを出すと思われますが、わたしなら『ゴルフってなんだ!』と学生に問いたいですね。
そこで、まずは学生にゴルフ場を体験させます。ジーンズじゃダメですよ、ゴルフウエアを買って着て来なさいと。それで学生に『ちょっとカッコ悪いな』と言わせる必要があると思うんです。
つまり、美大生は普通の学生と違うんですね。たとえば講義で『情報化の価値』をテーマに話すじゃないですか。すると『先生、情報化に価値があるかどうかわからないのに、何で価値なんですか?』って反論されますから(笑)」
非常に面倒くさいですね。
「美大はそのような学生と向き合ってますし、それこそ根本を考えなければAIにやられてしまいます。ですから美大生の使い方はもっと粗削りで、もっと根源的なところをやらないと意味がないと思います。
それは我々もまったく同じことで、『我々が必死にやってきた美大とは何か?』を常に考えているんですね。市ヶ谷に新キャンパスを開校するのも、今の在り方を複眼で見るという狙いがあります。市ヶ谷に『出島』を作って、こちら(小平市の本校)と互いに向き合うというか、環境を変えなければ旧態依然としてしまう。
常に本質を探究しながら、新しいことに挑戦しなければなりません」
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