大西久光氏「ゴルフが社会に嫌われる理由を一緒に解決しよう」

大西久光氏「ゴルフが社会に嫌われる理由を一緒に解決しよう」
ゴルフ緑化促進会(GGG)の大西久光理事長は「このままではゴルフの未来は厳しい」と警鐘を鳴らす。かつて住友ゴム工業の常務としてゴルフ用品市場の成長に寄与、同時に「ダンロップフェニックス」を立ち上げるなど、国内トーナメントのビジネスモデルを作った功労者。 しかし、その事業構造が破綻している現状に「自分にも沢山の反省がある」と複雑な心中を告白した。第一期青木体制の日本ゴルフツアー機構(JGTO)で副会長を務めた同氏が、日本のゴルフの在り方を縦横に斬る。(聞き手・片山哲郎)

「ゴルフの大衆化」とは何か?

「今日はあなたと議論したいと思っているんですよ。テーマはいろいろありますが、差し当たってはゴルフの大衆化です。 まず、ぼくから言うと、ある会合でゴルフ界のトップ達と『選手強化』の話をしていたとき、その費用は『ゴルファーから集めればいい、金持ちだから』という言葉を聞きました。あなたもその場にいましたね」 ゴルフ関連16団体が集まった会合の席で、主題は東京五輪を含む「選手強化費」の話でした。 「そう。それで、あの言葉がずう~っと頭に残っているんですよ。かつて、ゴルフは金持ちのスポーツだったかもしれないけど、今は経済的に豊かな人だけが楽しんでいるわけではない。 ゴルフ界のトップが感覚を間違えていると、そんな感じがするんですね。どうですか?」 ぼくはそもそも、ゴルフは大衆化しないと思っているんです。 「ほお・・・」 「大衆化」の典型例をかつての白物家電とするならば、最低でも8割以上の国民に普及してこそですね。ゴルフは本質的に違うんじゃないか、と。 「というと?」 ルールブックには「ゴルフの精神」があって、プレーヤーはどのように競い合っている状況でも、そのようなことと関係なく、常に洗練されたスポーツマンシップを示し~とあります。 つまり「ゴルフ」を「ゴルフ精神に基づく行為」と定義した場合、これを大衆化するのは容易じゃないと。 「なるほど。まあ、あなたの言うことは本質論としては正しいし、ゴルフの精神まで踏み込んでの大衆化となるとそうかもしれません。 ただ、その前に、まずは大衆化の限界をどう考えるのかという話がありますね。今ぼくが言っているのは金持ちだけじゃありませんよ、老若男女が等しく楽しむにはどうすればいいですかと、その部分です。 量的には国民の2割が限界かもしれないけど、一部の豊かな人だけのものではない状況をまずは作って、ゴルフ場って素晴らしいなあ、やってみたいなあと思わせてから、限界を見るべきだと思うんですね」 それはゴルフ産業論における技術的な課題ですね。遠い、高い、丸一日掛かる。これを潰せば参入障壁は下がりますが、一方ではゴルフというスポーツの特殊性も見る必要があるんじゃないか、と思えるフシもあって。 「つまり?」 プレーを楽しむまでにはそれなりの練習と技術が必要ですが、ゴルフの場合は上達の過程で自分の欲や愚かさを突き付けられる。要するにゴルフは、外側へ気持ちよく発散するよりも、内向的というか、内省的ですよね。厳しく自省を求めるというゴルフの体質が、そもそも万人向けではないだろうと。 「なるほどね。ただ、産業論の観点で言えば、受け入れる側のゴルフ場がまずは敷居を下げること、すべてはそこからの話だと思うんですよ。 米国は8割以上がパブリックで、エクスクルーシブは1割ぐらいですね。ゴルフ場側の環境作りとしては、そこが最終的な大衆化の姿だと思う。 日本も全体の8割9割がパブリック的な運営になれば、受け入れる間口が広くなって、金持ちじゃなくても誰でもが緑の芝の上で楽しめるようになる。別に球を打つ必要もないわけで、その光景をぼくは夢想するわけですよ」 なるほど、球を打つ必要がないところまで敷居を下げるという考えには賛成です。ゴルフを「ゴルフ場で楽しむ行為全般」と再定義すれば、大衆化の姿がイメージできますね。

ドレスコードの本質的な意味

「あなたが会長をやってるゴルフジャーナリスト協会が、フリードレスコードのコンペをやりましたね、コース体験がない大学生を集めて。あれなんか非常にいい試みだと思いますよ。 要するにゴルフファッションじゃなくて、スポーツファッションやタウンカジュアルにすれば若者への敷居が下がる。それをね、ジーンズはダメ、スニーカーもダメって言うんじゃ敬遠されるし、パブリック的なコースは許せばいいじゃないですか。そこも大衆化の阻害要因だと思います」 [caption id="attachment_59967" align="aligncenter" width="788"]大西久光氏 大西久光氏[/caption] ドレスコードを撤廃する? 「というか、周囲が眉をしかめる格好はゴルフ精神に反していて、『ヒトが嫌がることをしない』がゴルフの基本でしょ。他人の気持ちを慮ることはゴルフ精神でとても大事なことだから、装いに規則があるとしたらそこだけだと思うんです」 「眉をしかめる装い」は個々の主観ですが、そこに具体的な一線は引けますか? 「それはね、あなたが許すぼくが許すの話じゃなくて、そこにいる人達が許すかどうかの話ですよ。だからそこには、最低線のゴルフ精神が流れていないとダメだと思う」 となると先ほどの話、「ゴルフ精神」が大衆化を阻害しかねない、に逆戻りしませんか? 「しませんよ。ゴルフ精神があるから大衆化できないとするなら、極論すれば、大衆を良いモラルに変えられません、と言ってるのと同じでしょ。良きモラルは大衆に必要だし、良き社会を作るには良きモラルが必要です。 ぼくはね、ゴルフの価値をもっと大局的に見る必要があると思っていて、そこをゴルフ界が積極的に発信すればゴルフが社会的に認められると思うわけです。ところが、実際は公務員の倫理規定(利害関係者とのゴルフ禁止)が削除されないし、ゴルフ場利用税の問題も同じです。 業界は長年、利用税の撤廃を国に求めているけれど、ゴルファーは金持ちだから担税力があるとか、それぐらいのペナルティを払って当然だと思われている。そのようなイメージ自体が最大の問題なんですよ。 ゴルフ界の一部がボランティアと称して金儲けに走るとかね。奉仕を極めようとすれば金儲けなんか許されないし、それを平気でやるからゴルフが白眼視されるわけです」 「奉仕」や「献身」の実例として、ラグビー選手は凄いですね。それぞれ国を背負って献身的な肉弾戦を展開する。屈強なカナダ選手がワールドカップの期間中、被災地でボランティアをした姿を見ると、プロゴルファーはまったく敵いませんね。 「本当だねえ、これはまったく敵いませんなあ(苦笑)。3年ほど前の調査ですが、企業がほしがる人材はラグビー部が1番になっていたんですよ。理由は『精神が美しいから』なんですね。 人間の持つエネルギーを極限でぶつけ合っているけれど、精神面では相手にきちんと敬意を払っている。そこがないと、下手したら殺し合いになっちゃうし、だから試合後は遺恨を一切残さない。 日本でマイナースポーツのラグビーが、最高視聴率53%って凄いですよ。国民の大半が感動したし、ゴルフなんか足元にも及ばない」

責任放棄のゴルフメディア

国内男子ツアーは低迷が長引いてますが、本来はゴルフメディアが原因分析や提案をすべきですね。自戒を込めて申し上げれば、メディアは傍観者になっていて、さしたる提言もできてない。このあたりにも問題がありませんか? 「メディアは善後策をきちんと提案すべきですね。次の一策が『イケメン男子プロ』の特集じゃねえ(苦笑)。 まあ、一番の問題はゴルフの技術論に走り過ぎたことでしょう。全誌毎週レッスンばかりで、これが簡単なんでしょうな。 少し大きな視点で見ると、1990年にバブルが崩壊して、その7年後に消費税が5%になり、ゴルフ界は完全に失速した。それ以来、ゴルフ界にいい人材が入って来ないんです。 記者もまったく同じことで、新聞社にしてもゴルフは人気ないから記事は小さくていい、小さいからほかのスポーツと掛け持ちでいい。専門誌の記者も勉強しない。それでプレスルームの資料で記事を書くからどれもみんな同じになる。スッパ抜けないし、その度胸もない。 メディアの役割は池に石投げてね、波紋起こして論争することじゃないですか。その役割を完全に失ってますね。 例えば今のトーナメント形態になって半世紀ですが、過去を検証して未来を考えているメディアはおりますかね? 少し自慢ぽくなりますが、当時は世界のスポーツイベントに冠が付いてなかったんです。ぼくが企画してダンロップがやったのが世界初の冠大会ですよ」 それでビジネスモデル特許を取っていたら、 「今頃、巨万の富を得ていたよね(笑)。 いずれにしても、あの時代からずう~っと同じ。この間、インフレ経済からデフレに変わって、企業の考え方がまるで変わっても、トーナメントの構造は同じままです」 その構造は、冠スポンサーの出資で大半を賄うという仕組みですね。純粋にスポーツ興行として考えれば放映権料と入場料が大事だけど、スポンサー料で足りるから観客が入らなくても成立する。 スポンサー企業の目的はプロアマの「接待」と「宣伝」で、これらが大西さんが作ったビジネスモデル。 「そうなんですが、十数年前にサントリーが男子の試合をやめたあたりで、実は構造の腐食が始まっています。やめた理由は、日本国内でブランドを売る必要がなくなったからですよ。世界ブランドとしてどう売り出すかが次の課題で、すると狙うのは米ツアーや海外になりますな。 トヨタも日本で宣伝する意味があまりない。ほかの大企業も全部そう。大企業には選択肢が多いんですよ。ゴルフかサッカーかラグビーか、そこを考える」 プレミアリーグのユニホームには企業名が付いてますが、あれ見ると世界で好調な企業がわかりますね。 「そうですね。例えばトヨタぐらいの規模になると、大谷が付くならアメリカの球団を持つほうが早いんですよ。NHKのBS放送もガンガン流してくれるし、ゴルフのWGCもそうですね。 でも、ブリヂストンはその状況でありながらWGCのスポンサーをやめました、なぜなのか?」 BSは五輪の公式スポンサーになりましたね。ゴルフの世界選手権よりもう一段上、世界最大のスポーツイベントに移行した。 「それでZOZOとの絡みを見るとね、いろんなことが考えられるわけですよ」

国内ツアーが「田舎芝居」になる

どんなことでしょう? 「今回BSオープンを台風で2日間にしましたね。3日やれるかもしれないけど2日にしたのは、ひょっとしたら国内男子ツアーから引き上げるサインかもしれません。 というのは、ZOZOの話でBSに開催週の変更を依頼した時、最初は拒否されたんですよ。当時はぼくがJGTOの副会長として交渉に関わりましたが、その段階では5つくらいの条件を飲むことでBSから了承を得た経緯があります。問題は、JGTOが約束を果たしてないと思えるフシがあることです」 約束とは? 「ぼくは交渉の途中で下りたので最終的な決定事項は知りませんが、例えば観客動員を2万人以上にしたいとか、上位選手にZOZOの出場権を与えるとか。仮にそのままなら、BSはクレームを出してやめることが可能です。仮に下りたらZOZOのあとの2億円大会に波風が立ちますよね」 大西久光氏 「HEIWA・PGM」を皮切りに「三井住友VISA太平洋」「ダンロップフェニックス」「カシオワールド」が2億円で続きます。 「ZOZOの賞金総額は10億円超、優勝は2億でしょ。規模感がまるで違うじゃないですか。それで下りるかもしれないと思うのは、賞金を加算したからですよ」 ZOZOで得た賞金の半分を国内ツアーの賞金に加算できる。 「これ、おかしいですよね。ZOZOは日本の競技じゃなくてアメリカの競技でしょ。開催は日本というだけなのに、加算することで共催というか、半分米国、半分日本の大会になった。 タイガー・ウッズもマキロイも来た。盛り上がりました。視聴率も高まったと。すると太平洋もフェニックスもカシオもね、みんな色褪せるじゃないですか」 本場のミュージカルを見せられて、国内ツアーは田舎芝居になってしまう。ZOZOは豪雨中断でもきっちり72ホールやりましたが、日本は平気で短縮する。その短縮試合で勝った今平が賞金王にでもなったら、ツアー競技にかける日米の真剣度、あるいは厳しさの違いが際立ちます。 「ZOZOによって何が起きるのか、誰も想像できてない。終わったあと、みんな気付く。『俺達なんだったんだ』とね」 ZOZOはヤフーに売却しましたが、6年間の日本開催分は前払いだから毎年続きますね。 「10億円超の賞金は米ツアーでもトップクラスですよ。JGTOが、あれはアメリカの大会です、こっちは日本の大会ですって棲み分けしたらよかったけど、2億円大会が4つ集まっても8億円、俺達はなんだってなりますよね。 ダンロップはゴルフ企業だから続けると思いますが、カシオは樫尾さんが引退して、今の社長は反対するかもしれない。あそこはただひとつ、石川と契約してるだけですから」 大西さんはZOZOの開催に反対だったわけですか? 「あのね、ぼくは悪いとは言ってませんし、日本での開催はいいことですよ。だけど、あたかも日本の大会みたいにしなくていいだろう、と。そこを言ってるわけですよ」 賞金加算はアメリカの要望ですか? 「向こうはそんなこと言いません。唯一言ってきたのはあの週を空けてくださいと、あそこしかできないということだけです」 加算を決めたのはJGTO? 「そうでしょう。理由は賞金総額が減っているからで、あれを加えて大きく見せたかったのかな。上層部の自己顕示欲だと思いますよ」

賞金ボードの拝金主義

男子ツアーは風雲急ですね。で、大西さんのビジネスモデルが半世紀も続いていることに、大西さん自身の反省はありませんか。 「それはね、いっぱいあります。例えばインフレ時代にぼくが発案した『賞金ボード』ですが、ラグビーの感動を見るにつけ、みっともないじゃないですか。だからやめろと。あれはぼくの遺物ですよ」 表彰式の賞金ボードは本当に嫌ですねえ。鼻ッ先にニンジンぶら下げて、如何にも拝金主義で。どんなドラマチックな試合展開も、あれ見ると「結局はカネかよ」となってしまう。 「ほかのスポーツで賞金を全面に押し出すのはないんですよ。あれは一刻も早くやめなきゃいけませんな」 賛成です。ほかにはどうですか? 「山ほどあるけど、ぼくが懺悔する一番は『第二の寅さん』(中村寅吉)を作りたくて、ゴルフ精神を重んじることよりも、強い選手を作ることに傾注した。それが一番の後悔ですね。 世界の一流プロを根底から理解できなかったのは、ぼくの勉強不足です。特にトム・ワトソンは素晴らしいゴルファーですよ」 それを感じた光景がありますか? 「あります。あれはダンロップと契約を結ぶ時、彼の家の近くの練習場に行ったんです。カンザス州のバカ暑い日でしたけど、あれだけの有名選手が一人で球を打ち続けて、打ち終わったボールを黙々と拾い集めていた。 それを延々と繰り返す姿を見て、そりゃ感動しますよね。汗だくでね、今もありありと情景を思い出せます」 翻って日本ですが、個人的には「エリートジュニア」って言葉が嫌いなんですね。上手ければ偉いというゴルフ特有の「臭み」が出ていて、ゴルフが上手いだけの子供が偉そうに振る舞う。なぜ普通に「ゴルフ少年」と呼べないのか。 「ほんとですなあ(苦笑)。それで思い出すのは、昔ね、福島でジュニアスクールをしたことがあるんですよ、スコットランドからコーチを招いて。その時に彼がぼくにこう聞いた。 『ミスター・オオニシ、ここでは技術指導ばかりしているけど、マナーはいつ教えるんだ』と。ぼくは返事ができなくて、とても恥ずかしい思いをしました。 そのことを含めて、前提にゴルフ精神を置いていれば、もっと違うゴルフ界を作れたはずだし、こんなゴルフ界にはしてません」

まずはゴルフ場の芝を開放すること

話を伺って思うのは、大西さんの問題意識の大きさですね。諸悪の根源は、社会のゴルフに対する負のイメージであり、この「山」を動かさないと次代のゴルフ界は発展の青写真が描けないと。 「その意味では鉄柱が倒れた市原の練習場ね、あれも大きなイメージダウンでした。しばらく放置したあの光景で、ゴルフ界は無責任だとなりますよね。 ですから業界全体でリリーフする必要があったと思いますが、それを考える人がいないでしょ。あれはゴルフ界の恥ですよ。 ですから、ゴルフをするしないは別にして、ゴルフを社会から愛される存在にしなくちゃいかんのです。冒頭にも触れましたが、ゴルフのイメージが悪いから利用税も撤廃されない。ゴルフを社会と紐づけて考える視座が必要なんです」 一部の恵まれた人が楽しむ娯楽だから利用税も当然だと、一般の人々はそう思う。先ほどの話、賞金ボードを高々と掲げて、その額が自分の年収を遥かに超える。すると、視聴者が反感を覚えて当然ですね。 「という風潮を、まずは払拭しなければなりません。それと、少子化でゴルフ人口を増やすのは容易じゃないけど、もうひとつは1人当たりプレー回数の10回を11回、12回と増やせれば、延べ人数は増えるという考え方もあります。 突き詰めると、如何にゴルフの楽しさを提供できるかだと思うんですよ。そのためにはゴルフ場の敷居を下げること。 ひとつの情景で思うのは、夏の夕暮れ、子どもをゴルフ場の芝生で走らせると凄く喜ぶ。ああいう楽しさを訴求できれば回数増につながります。 アメリカは1人当たりプレー回数が18~19回で、日本はこれに近づくための努力をしているのか。敷居を下げるにはゴルフ場の窮屈なイメージをなくすことだから、そこで冒頭のドレスコードの話にもなるわけです」 大西久光氏 以前、Jリーグの川淵さんと話した時に、校庭の芝生化を実現したいと熱弁を振るってました。 「川淵さんは素晴らしいですよね。元選手でありながら組織人としても一流で、大きなビジョンを描かれている。ぼくもね、市営のゴルフ場で近隣の子供たちの公園を兼ねるとか、そういう価値が生まれたらいいなあと思うんです。 ゴルフ場の芝生ほどキレイな芝はないですよ。GGG(ゴルフ緑化促進会・理事長)の仕事でいろんな公園を見て来たけど、皇居前の芝生を除いては、ゴルフ場ほど芝が綺麗な場所はありません。 そのことを含めて我々は『ゴルフは楽しい』ということを伝える必要があるし、その楽しさを一生懸命研究すること。極論すればゴルフなんかしなくても楽しいんです。 ゴルフ場に紅葉を見に来る、桜を見に来る、それだけで十分楽しいんです」 それは登山で見る紅葉とは違うんですか。紅葉だけならゴルフ場である必要はないわけで。 「ゴルフ場の芝を歩く、それが大前提です」 例えばゴルフ場の外側に公園があって、同じような芝がある。これじゃダメですか? 「ダメです。ゴルフ場の中の芝生です。球打たなくてもゴルフ場の楽しさを知ってもらう、それがぼくらの使命だし、より楽しいゴルフ場での営みを様々な角度から研究して、提案しなければいけません。 ゴルフ場の桜、ゴルフ場の紅葉、これらはゴルフ場の芝との対比で映えますよね。ゴルフ場で寝転がってピクニックしたら気持ちいいし、花見したら最高だよね!」 つまり大西久光のゴルフ観は「芝生信仰」なんですか? 「そうです」 それを言いきっていいですか? 「いいです」 ゴルフとは芝生である、と。 「そうです。夏の夕暮れに子ども放して歩かせたら、気持ちいいよお~(笑)。それを我々は、努力してもっと伝えることです。その上で、ゴルフの大衆化とは何か? これを実現するにはどうしたらいいかを業界全体で真剣に考える必要があります」 ゴルフを大衆化するぞ、と意気込む前に、そもそも「ゴルフ」は大衆に寄り添えるのか、どうしたら親しんでもらえるのかを考える。キーワードはこれですね。