日本のゴルフ界とクラブ市場を総括する(5)
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前回は1990年に登場した高額ドライバー「チタンウッド」の誕生と、わずか数年で価格崩壊に陥った状況について振り返った。背景にはソ連の崩壊があった。
ソ連はチタンの主要原産国であり、それまで原子力潜水艦や戦闘機の部品など、軍需利用が主だった。それが、米ソの冷戦終結で、チタンは民需転換に舵を切る。その中で白羽の矢が立ったのがゴルフクラブだった。
高級金属のチタンは一時、投げ売り状態となり、チタンドライバーの値段も急速に下がった。今回はそれ以降に起きた「高反発」を巡る喧騒を振り返る。なお文中の社名、数字などは取材時のままであることを留意願いたい。"][/archives]
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大型化が高反発の「発見」につながる
初期のチタンウッドは「64チタン」が主流だった。これはチタンにアルミ6%、バナジウム4%を配合した合金で、鋳造製法で作られるもの。以後、金属メーカーの合金技術が進み、鍛造製法で軽比重・高強度のチタン合金が注目されるようになる。
金属の強度は「引張強度」「耐力」「伸び」「硬度」に大別され、ゴルフクラブでは金属の試験片を両端から引っ張り、切れるまでの引張強度が重視される。当時最強クラスが「15‐5-3」(チタンを主体にモリブデン15 %、ジルコニウム5%、アルミ3%)で、鍛造製法による「ハイパーチタン」と呼称された。
「15‐5‐3チタン」はフェース肉厚1・8mm で、HS40 の実打テストで数千発打っても耐えられる高級チタンとの触れ込みだった。
これを採用したドライバーが96年9月にダイワ精工から発売された『G3ハイパーチタン』(18万円) である。圧延方式で「弾き」を高め、高額ながら当初計画の2倍(2万3000本)を販売している。
これによりチタンドライバーは、低価格競争に歯止めをかけた。98年1月の取材で同社の青木和雄常務はこう話している。
「今は付加価値の時代です。売上と販売量、シェアを追求することはやめます。経営で何よりも大事なのは『利益額』ですから。
同じ1本でも5万円が18万円なら、販売コストや物流コスト率は格段に下がる。ハイパーチタンの採用はそのような考えに則っています」
当時、圧延方式で高い支持を受けた下請け工場が新潟の遠藤製作所だった。多くのクラブメーカーが同社へ日参し、ヤマハ、ブリヂストンスポーツ、ミズノらのヒット商品がここから生まれる。ヘッドの大型化も飛躍的に進み、その結果、大型・薄肉化による反発性能が注目された。
「高反発規制」の芽生え
GEW1998年4月号に、意味深な広告が登場する。
ヘッドを縦に割った画像の上に「特許番号2130519号」と記載された広告で、「弾力チタンヘッド」の文字が添えられていた。住友ゴムが出した広告で、後年大騒動に発展する「高反発規制」の発火点と見られる特許である。
これは「インピーダンスマッチング」に関わる特許で、ボールとヘッドの衝突には、双方の個体に最適な振動数があるとの主張だった。ボールとヘッドの振動数に「最適値」を示したことが画期的で、同業他社に衝撃が走った。
なぜなら、各社のドライバーヘッドが反発性能を追求すれば、結果的に住友ゴムの特許に抵触する可能性が高まるからだ。日本のメーカーだけではなく、米国メーカーの技術陣も同様の衝撃を味わったはず。そして、米国のゴルフ界は即座に手を打った。
98年6月、住友ゴムが上記の広告を掲載したわずか2か月後のこと。北米のゴルフ統括団体であるUSGAは「反発係数を規制する考えがある」と発表した。このとき誰もが唐突感を覚えたが、くだんの「特許広告」と関連付ければ符合する。
GEWは当時、住友ゴムの関係者及び周辺に、USGAが「特許潰し」に走った可能性を取材しているが、異口同音に聞かれたのは、
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。真相はわかりません」
という返事だった。
英米の確執が先鋭化
98年9月、USGAはメーカーと報道関係者150名を集め、本部で公聴会を開いている。事前に公表された内容は「反発係数が0・822以下若しくは誤差を含め0・830以下が合格」というもので、この数値よりも反発係数が高いクラブは「違反品」の烙印が押される。試合で使えば「競技失格」となるもので、出席者に意見表明の機会が与えられた。
このとき発言したのはダイワ精工、ピン、タイトリスト、テーラーメイドの4社で、テーラーメイドを除いて「反発規制」には強硬に反対している。最も強硬だったキャロウェイは「こんな茶番には意味がない」と吐き捨て、そもそも公聴会を欠席している。
後述するが、米国の二大メーカーであるキャロウェイとテーラーメイドが正反対の態度を示したことに、水面下のロビー活動があったと推測される。
一方、USGAと並ぶ世界のゴルフ統括機関である英国のR&Aは当時、この件に関して格別な意見を持っておらず、USGAの規制表明から1年半を経た99年11月、担当者が来日してこう話した。
「我々はUSGAと異なる方法で反発性能を研究します。2001年1月までに何らかの結論を出すつもりだが、そのため2000年末までは現行の規則を適用します」
日本のゴルフ界はR&Aの傘下にある。集まった70名の関係者は、発表内容の薄さに肩透かしを食らった格好だが、それも無理からぬ面があった。
大手メーカーが群雄する米国と、ゴルフ発祥の地でありながら有力メーカーが存在しない英国。つまり住友ゴムの特許は、米国の多くのクラブメーカーに深刻な影響を及ぼすが、英国ではほとんど無風状態。この問題に関わる英米の意識差は、天と地ほどの開きがあった。
そしてこのことが、ただでさえ馬が合わなかったUSGAとR&Aの関係に深刻な亀裂を生じさせる。両者の間に立つ日本メーカーの苦悩も深まっていく。(つづく)