日本のゴルフ界とクラブ市場を総括する(7)

日本のゴルフ界とクラブ市場を総括する(7)
[archives key="蔵出しインタビュー" order="200" previousWpId="" nextWpId="" body="前回は、飛距離が伸びるクラブヘッドの「高反発規制」を巡るUSGAとR&Aの対立、これにPGAツアーが加わった三つ巴の泥仕合を振り返った。また、キャロウェイゴルフがカナダゴルフ協会を訴えたことにも触れた。

高反発で人気のドライバー『ERC』を、同協会は関連試合で「使用禁止」。これに激怒したエリー・キャロウェイ氏が法廷闘争に持ち込んだもの。この訴訟はキャロウェイ氏の他界により、決着をつけることなく幕引きされたが、この間日本のメーカーは蚊帳の外に置かれつづけ、ひたすら傍観するしかなかった。

最終回の今回は、稀代のロングセラー商品『ゼクシオ』の誕生秘話をお届けする。なお、文中の社名、役職、数字、その他事象は取材時のままであることを留意願いたい。"][/archives] [back_number key="201910"][/back_number] [surfing_other_article id=77698][/surfing_other_article]

『ゼクシオ』は恐怖の産物だった

目を国内市場に転じると、2000年代は『ゼクシオ』の時代といえる。しかしこのブランドは、住友ゴムが味わった恐怖心からはじまっている。 1999年12月、同社はキャロウェイの販売権を返上した。住友ゴムはキャロウェイが無名だった頃から日本で輸入販売を手掛け、人気商品に育ててきた。その後キャロウェイは自社株を住友ゴムに売却することを含め、新たな関係を求めるが、破断。キャロウェイ日本法人を立ち上げて、自力での販売をスタートしている。 これによって住友ゴムは窮地に立たされる。なぜなら当時、キャロウェイ製品の売上は住友ゴムのゴルフ事業売上の半分を占めていたからだ。それがなくなるだけではなく、キャロウェイ日本法人の設立で強力なライバルの登場となる。 そこで住友ゴムは大リストラに踏み切り、残った営業マンはペンとメモ帳を持って全国のゴルフショップを走り回った。新商品の開発について、 「店主にアドバイスをもらうためです」 当時、販社の社長だった有坂誠道氏はそう話した。『ゼクシオ』デビューの背景には、大きな危機感があったわけだ。

専門店がつくったブランド

「アドバイスを真剣に聞いてメモを取る。すると、出来上がったクラブのどこかに自分のアイデアが入っているから『俺が作ったクラブだ』となりますよね。それで全国の専門店が意気に感じて、大いに売ってくれたのです」(有坂氏) この話には時代性が伺える。ゴルフ専門店が地域のゴルファー、特にオピニオンリーダーと密接につながって、これを核にシャワー効果で商品を訴求できた時代。ネット販売の台頭で専門店がパワーを失った現代では、稀代のヒット商品『ゼクシオ』は誕生しなかったかもしれない。 「店主もね、それぞれ苦しい時代を経験している。かつて、人気の糸巻きボール『ロイヤルマックスフライ』は品薄で、ショップに回らない時期がありました。それでもウチの営業マンは、少ない在庫を取引店に割り振った。店主の皆さんはそれを覚えていて、『あのときはありがとう。今度はこっちが恩返しする番だよ』と。一生懸命『ゼクシオ』をかついでくれたんです。涙が出るほど嬉しかった」(有坂氏) 『ゼクシオ』のデビューは2000年2月。当初は単独で50億円を目指し、利益面でキャロウェイの穴をカバーする目論見だった。ところが5か月後の実績はウッド9万本、アイアン3万セット、ボールは初年度70万ダースの勢いで、主役の『ハイブリッド』(年間100万ダース)に迫る勢いをみせた。 まさに、前代未聞のロケットスタートだった。

団塊の「部長年齢」にマッチ

GEWの2000年11月号で、物静かな馬場宏之事業部長が珍しく進軍ラッパを吹いている。 「もう、大成功の部類です。今年は『ゼクシオ』全体で130億円に届くでしょう。上半期で全国1000回以上の試打会を行い、販社幹部は土日返上、販促費は従来の数倍です。わたしも試打会を巡回して、ゴルファーの反応をドキドキしながら見ていました」 以後『ゼクシオ』は新製品が出るたびに強さを増し、各社の対抗商品を跳ね返す。宮里藍を擁した『V-iQ』(ブリヂストンスポーツ)や『JPX』(ミズノ)、『インプレス』(ヤマハ)などが包囲網を敷いたが、『ゼクシオ』の壁は破れなかった。 もうひとつ、『ゼクシオ』の急成長を支えたのが団塊の世代の存在だった。『ゼクシオ』がデビューした2000年、この層は50代の前半で「部長年齢」に入ってくる。住友ゴムが意識したのはトヨタがオーナードライバー向けに販売していた『クラウン』で、有名なキャッチフレーズ「いつかはクラウン」をゴルフ版で成立させることだった。 広告展開、店頭陳列での表現方法にも注力。当初は契約プロの片山晋呉が使用したが、イメージが合わないということで片山の使用を訴求しなかった。プロの使用は「性能を証明するファクター」であり、イメージ戦略とは切り離した。 その後、団塊の世代の高齢化に伴い『ゼクシオ』ユーザーの高齢化が深刻化する。「いつかはクラウン」が響かない層に向けて、何をアピールしていくのか。新しい発想が求められはじめた。

クラブメーカーは変化できる?

『ゼクシオ』の新商品は2年に一度の隔年発売を徹底している。ブランドデビューから20年を経過した十代目あたりから、外資メーカーの大攻勢が目立ちはじめた。 特にキャロウェイ、テーラーメイド、ピンは広大な北米市場を抱えることから「量の優位性」を発揮できる。国内勢は総じて旗色が悪く、かつて市場を席巻したミズノとマルマン(マジェスティゴルフ)は大幅な規模縮小を辿ってきた。日米メーカーの違いを、ヤマハゴルフの吉田信樹事業部長はこう話す。 「米国はゴルフ専業のメーカー、日本は大手企業の事業部や子会社でゴルフビジネスを展開する場合が多い。日米メーカーの違いは、そのあたりに起因する部分があるのかもしれません。ただし、ウチには楽器などグループ事業と連携できる強みがあるので、これを生かして巻き返したい」 ただし、それを実現する上で、大企業にはいくつものハードルがある。そのひとつが人事制度で、ゴルフ事業責任者の「定年」や、子会社の場合は親会社から落下傘的にゴルフ事業のトップが代わることもある。そしてその都度、方針が変わる。 米メーカーはゴルフの専業であり、「ゴルフビジネスがダメになったら生きていけない。日本の大手とは真剣度が違う」との見方もある。 市場を牽引してきた『ゼクシオ』は「脱・団塊の世代」を意識して、現役世代向けの『ゼクシオ』を展開するなど大幅なテコ入れに踏み切った。国内メーカーの旗色が悪い中、同社の孤軍奮闘が目立っている。 中古市場やECの台頭、AIの進化で多様なアプリが登場するなど、ゴルフ市場には様々な変化が兆している。その中でクラブメーがどのような変化を遂げていくのか? このあたりに次代のカギがありそうだ。(おわり)