GEW 2024年3月号掲載
2023年12月、本間ゴルフの社長に小川典利大氏が就任した。ニューヨークの会計士事務所を振り出しに、帰国後は日本コカ・コーラ、アディダスジャパン副社長、2019年4月にデサントジャパン社長へ、と聞けば怜悧なビジネスマンを想像するが、ストレートな物言いで飾りがない。54歳。山形の酒田に工場を構える『ホンマ』の復活ストーリーを、縦横に語り尽くした。
「GEWのインタビュー記事は1年分、しっかり読み込んできましたので、準備はOKです(笑)。何からいきましょうか?」
それではまず、経歴から簡単にお願いします。
「わかりました。わたくしは大学時代に野球一筋でしたけど、体を壊して断念して、最終的には経営者になりたかったのでテキサスの大学院にMBAを取りに行ったんです。そこを出て、ニューヨークの公認会計士事務所で3年働きました。
日本人の強みは『数字』じゃないですか。経営にはファイナンスが必要なので、そこで勝負しようかなと。それが渡米の動機です」
アメリカはM&Aが日常茶飯事ですが、そういった案件にも関わった?
「Ⅿ&Aの案件自体はありましたが、当時はペーペーですからね、重要な仕事は任せてもらえません(笑)」
ペーペーがやる仕事って何ですかね。
「基本は会計監査なので、数字の正しさを照らし合わせる仕事ですね。今みたいにデジタルの時代ではありませんから、膨大な資料を毎日のようにチェックしてました」
毎日数字を睨んでいると、粉飾とかピンとくるんですか。数字がなんとなくコソコソしているとか、勘が働くとか。
「いやぁ、当時はペーペーなのでそこまで勘は働きませんが、今は20年近く経営をやってるので、見えますね。人間、どうしても隠すことがありますから」
怖いですねえ。で、帰国した理由は何ですか。
「会計事務所って、第三者の仕事を見るわけじゃないですか。そこに物足りなさを感じて帰国して、最初はコカ・コーラに入ります。自分はスポーツマニアなので、ゴルフやサッカー、卓球とかを観戦して、分析するのが趣味なんですね。
コカ・コーラはスポーツイベントのスポンサーとして世界一。それで1998年の長野五輪を担当したくて、入社したという経緯です。基本はファイナンスのサポートで、膨大な商品を配ったり、自販機を設置したり、全社総出で長野に集中しましたので、それらに関わる収支関連の仕事です。
五輪が終わって、次は2002年の日韓W杯サッカーです。これをマーケティングの立場でしっかりやって、終わった瞬間、次はアディダスジャパンへ転職しました」
アディダスジャパンではどういった立場ですか。
「広い意味ではマーケティング全般を見る副社長の立場で、商品企画から営業まで全体を見てました。アディダスはもともとデサントと契約してたんですが、日本では1998年に独立します。当時の売上はかなり小さかったけど、W杯でサッカー文化やスポーツの観戦文化が日本に根付いたこともあって、その後急成長するんですね」
観戦文化って何ですか。
「そうですねぇ、一番わかりやすいのは装いでしょうか。僕らの言葉だと『トラックトップ』と言いますが、要するにジャージです。海外の人は国のユニフォーム着て応援するのが当たり前だけど、2002年を契機に日本もそうなり始めて、2005年以降は目に見えてビジネスも拡大しました」
何倍に成長した感じですか。
「そうですねぇ。入社した2002年を起点にすると3倍ぐらいで、辞めたときは4倍ぐらいの規模でしょうか。ブランド認知と商品企画と商品の拡充を徹底して、全社一丸で走りましたが、もう最高のメンバーに恵まれて本当に楽しかった(笑)。最高の時間を過ごせました」
10人で全体を動かすのが理想
小川さんの話を聞いてると、時代の波に乗るのが上手いですよね。そんな印象を受けますが、ご自分の中で「運」と「実力」について、どうやって切り分けて解釈してるんですか。
「・・・まず、僕の場合『運』の要素はありますし、絶対に大きいです。だけどポイントは、大きな流れをどう捉えて、実行できるかだと思うんですよ」
「運」を呼び込むには、時代の潮目を見極める眼力が大事だと。
「だと思います。例えば当時のアディダスは、どこ行っても『サッカーブランドでしょ』と言われましたが、ランニングやトレーニングウエアにも注力して、大型店との取り組みを深めました。
同時に、現場の社員の声をしっかり聞いて、経営に取り込むこともやりました。おっしゃるように『運』は絶対あると思うんですよ。その運を右側に置いて、」
右側ってなんですか。
「右脳と左脳の『右』ですかね(笑)」
運をつかむのが右脳なら、現場の声に耳を傾けて戦略を練るのが左脳かな。仮に社員の声が10あったとして、採用するのは何割ぐらいですか。
「う~ん。感覚的には1、2割でしょうか」
すると、8割9割の声は捨てる?
「捨てるというか、10ある声の中には同じような意見も多いじゃないですか。僕のビジネスの進め方は選挙と同じで、51%取ればいいって話なんですよ。仮に会社に100人いて、100%取れれば最高ですが、それは現実的じゃないですよね。社内の大半はフォロワーだと思うので、10人で51%取れれば十分だと。
もっとシンプルな言い方をすると、私の考えを理解・共感してくれる10人が全体を動かせばいいということなんです。本当は全員をグッと巻き込む方がいいのかもしれませんが、僕はそうではありません」
デサントのブランド認知度は37%だった
で、アディダスを辞めたのはいつですか。
「2015年のことですが、あとひとつだけ言わせてください。こんなこと言ったら怒られるかもしれませんが、僕はアディダスドイツのために働いたんじゃなく、『アディダス日本』のために働いてきたんですね。なぜなら日本は技術大国だし、海外に影響を与えられるし、日本が大好きだから、日本からどんどん発信したいんです。
アディダスは当時、アメリカと日本とドイツで商品企画をやってましたが、我々とすればドイツの市場でも日本企画のアディダス商品を売ってほしいし、韓国や中国でも売りましたが、結局はドイツの会社なので押し切られるケースがあるわけですよ。日本は人口減の問題があるので、『天井』が見える部分もありますし」
「天井」というのは、日本のスポーツビジネスの限界点ですね。それはどのあたりですか。
「一般論として申し上げると、日本のスポーツ企業の場合は1000億って数字がひとつの天井だと言われます。で、2008年以降になると中国が北京五輪や上海万博でグッと持ち上がってきます。ゼロから一気に3000億って話になると、これからは『中国の時代だよね』って話になってくるんです」
すると面白くないですよね。
「はい」
そういったことを含めて、次はデサントに転じるわけですが、今日の取材はホンマがメインだからデサントは駆け足で行きましょう。どんな会社だったですか。
「デサントはアシックス、ミズノと並んで国内三強と言われたスポーツブランドですが、二強との差が大きかった。物作りは素晴らしいし、ブランドの魅力もありますので、古い体質を変革して挑戦できる会社にしたいんだと。事前にはそんな要望を受けたわけです。
当時は800人ぐらい社員がいて、1割ほどが課長以上。動きが鈍い組織だったので、最初の1か月は現場の話をよく聞いて、それから2年間はやる気のある若手を登用したり、とにかく社内の風通しを良くすることに努めました。
もうひとつの問題は、ブランド認知度が低かったことです。ナイキとアディダスは95%以上の認知度で、ほぼ全員が知ってるわけですが、当時のデサントは37%で4割に満たない。サンジューナナって数字だけは、今でもよ~く覚えています(笑)」
ブランド認知度の低さは、店頭需要の弱さとほぼイコールですね。
「そうなんです。特に大型量販店にはナイキとアディダスがあって、プーマ、コンバース、リーボック。その下にアザーブランドが山ほどあるわけです。この山を少しでも切り崩すには、アザーが仮に20ブランドあったとして、そのうち2、3ブランドの扱いを変えるタイミングを見計らって必死に斬り込むしかないんですよ。とにかく営業最前線で4年間、現場を徹底的に歩きました」
トピックとしては伊藤忠のTOBもありましたね。メディアでもかなり騒がれたけど。
「そうですね。デサントは企業体質が古かったけど、ブランドも商品も良くて、日本に4つ工場がある。筆頭株主の伊藤忠とすれば、潜在能力を生かす目的でTOBに踏み切ったわけですが、それもあって旧経営陣が一掃されて、若い社員が力を伸ばせたという流れがあります。最高益も出したので、そろそろいいかなって思いました」
決め手は最初の一言「あなたに任せたい」
そろそろ本題に入りましょう。ホンマの社長になったのは2003年12月。そもそもなぜ、ホンマだったのか?
「個人的な思い出としては、親父が最初に買ったクラブがホンマだったんですよ(笑)。僕もゴルフをずっとやってきた中で、ホンマはいいブランドだなあと思っていましたしね。あとゴルフ業界という意味では、デサント時代に住友ゴムとライセンス契約をしていたので、当時からゴルフ市場には興味がありました。
で、そのゴルフクラブ市場では国内勢が外資3強にやられてる。ホンマは日本の名を残す希少なゴルフメーカーだし、酒田には立派な工場があるじゃないですか。そこで『日本のブランドをどうにかしたい』と強く思ったこと。それが一番大きいですね」
でも、他社からのオファーもあったでしょう?
「ありました。これはオフレコじゃなくて言いますが、いろんな人に『ホンマはやめたほうがいいよ』って、特にゴルフ関係者からめちゃめちゃ言われたんですよ(苦笑)。一番の理由は、クラブ市場は外資3強の圧勝だし、勝負するのは大変だと。だけどそう言われると『なにクソ』って思うのが僕の性分で、」
反骨精神に火がついた?
「そうなんです(笑)」
とはいえホンマのオーナーは中国人の劉建国さん。純血の日本メーカーとは言い難いけど、そのあたりは関係ないですか。
「全然関係ありませんね。オーナーがどこの国の人って話じゃなくて、純粋に『日本ブランドの復活』をやりたいので。劉さんとの面談は1回目がオンラインでしたけど、2回目は中国で直接会って決めました。歳は僕より一つ上の55歳で、とにかく相性が良かったんですよ」
相性って大事なんでしょうね。劉さんは白物家電で起業した経歴の持ち主だから、ファンドで金を回して大きくなった人とは違う。叩き上げの事業家です。
「それで気が合うというのは、ベンチャー精神やチャレンジ精神が、この人スゲーあるんだなって。開口一番『あなたにすべて任せたい』と言われたことも嬉しくて。それで、中国で2日間一緒にいて、」
ゴルフをやった?
「ゴルフはしませんでしたが、彼の自宅でみっちり話し合いました」
会話は英語ですか?
「いえ。私は英語で、英語と中国語を話せるCFOが通訳してくれたんですよ」
ファイナンスの責任者が通訳することで、結果的に「三者会談」になった。面談の中身はどんな感じですか。
「それで『新しいホンマをつくってほしい』と言われたわけですが、よ~く理解できたのは、彼は日本の文化が大好きで、しかも造詣が深いんですよ。自宅には日本の陶器が沢山あって、京都も奈良も酒田も好きで、日本文化に囲まれた生活なんですね」
白物家電で立身したことも関係あるんですかね。松下幸之助はアジアの経営者に人気があったし。
「なので日本の物作りへの共感がとても大きいし、歴史や文化、日本の古い陶器と同じように本間ゴルフを愛してる。そういった情熱を含めまして、僕自身とても共感できました」
「匠」の技術継承をどのように?
ホンマのグローバルの業績は大体300億規模ですが、日本は大台で一本(100億円)に届く感じですか?
「詳しいことは言えませんが、否定はしません。日本もグローバルも、コロナが落ち着いてからは微増ですが、直近3か月は中国と韓国を含む全体でマーケットは鈍化傾向になっています」
鈍化傾向にも関わらず、東京のオフィスは六本木ヒルズに入ってます。ここの家賃、高いですよね。
「そうですね」
六本木ヒルズに本社を置くのは劉さんの肝いりで、ハイブランドはそれなりの場所に居るべきだという考えからです。だけど一方では利益も求められる。単に家賃の話じゃなくて、中国流の考えと利益追求の狭間に立って、衝突する場面も出てくるでしょう。
「ただ、僕は劉さんの考えに賛成ですね。中国流の考えというよりも、ホンマはハイブランドなので良い人材を投入したい。じゃないと廃れるじゃないですか。良い人材を確保するには良いロケーションのオフィスが必要だ、という考えには大賛成です」
コスト面で考えると一番重いのは工場でしょう。酒田から世界に向けて商品を出しているけど、工場のコストは日本につくから利益の圧迫要因になる。工場の従業員数は?
「生産と物流センターを合わせて270名(3月現在)です。年間の生産キャパは120万本ですが、今はそこまで行ってないので、人数の適正を考えると少し多い気はします。
ただ、国内生産はホンマの生命線だから技術継承はとても大事だし、年齢も上がってきてるので人探しは常にやってます。工芸品づくりを学ぶ専門学校にも当たってるんですよ」
有望な若者もいるでしょうね。高専の技能甲子園を観たことがあるんですが、鉄の丸棒に白ペンキ縫って、その上に赤ペンキを塗る。研磨で赤ペンキだけをきれいに削る学生が沢山いて、これはもう神業ですよ。
「そう、彼らの技術って本当に凄いですよね。ですから学校に働き掛ける一方で、ホンマは匠のブランドだから、今の人材をもっと生かす方法も考えています。同時に新しい機械も導入する予定ですが、工場長がその面で非常に長けているので、彼を中心に効率化も図っていきます。
ただ、何度も言いますが、匠の技術は大事だし、この部分を変えることは考えていません。ホンマの復活ストーリーの中で『数字』を一気に倍にするとかのイメージもありませんから、ヒトと設備のバランスは丁寧にやっていく方針です」
「数字」って売上のこと?
「そうです。今より上げなきゃいけませんが、数年かけて3割なのか、4割なのか・・・というレベルのイメージですね」
小川さんの責任範囲は日本だけ?
「韓国等の売上もかなりの割合を占めますので、ある程度の数字責任はこっちに来ますが、私が劉さんに話したのは『日本は今こういう状況だから、日本以外のことには極力携わりたくない』と。商品は日本から世界に出るので、両方に関わる部分はありますが、基本は国内だけだと考えてください」
自信ある『TW』が最優先課題になる
次に肝心の商品計画ですが、これはどんな感じですか。
「4月から始まる新年度からは積極的にやるつもりです。本当は外ブラが新商品を出す前に新しい『ツアーワールド』(TW)を出したかったわけですが、納得いくものが間に合わなかったんです。これは私が入る前の話ですが、酒田工場や企画メンバーの全員が『勝負できる!』って物ができなくて、特に『TW757』は社内的にもあまり評価が高くなかったんです」
どの部分が?
「やはり、今のマーケットニーズは寛容性が大事じゃないですか。この春は『10K』の寛容性が注目されてますが、その寛容性のレベルの問題がひとつ。あとは、競技層のトップに集中しすぎた開発だったので、外資3社が強いアベレージ市場に対応できなかった。そこの戦略的な失敗は、数字にも明らかに出ています。
そういった認識を全員が共有して、匠からも『そこに当てすぎたよね』って言葉が聞かれますので、次回作はやり直そうと考えているところです。
『TW』はホンマの神髄の部分ですが、我々は直営を29店舗持っていて、お客さんの声や取引先の声も沢山聞いている。そこも判断材料になっています」
ブランドは『TW』と『ベレス』に加えて、アベレージ向けの『ビジール』もある。超高級品の『ベレス』は、特にアジアの富裕層に人気ですが、『ビジール』の扱いはどうするんですか。
「日本は『TW』と『ベレス』の二本柱に集中して、『ビジール』は韓国向けのブランドにします。柱はやっぱり『TW』なので、金額ベースだと6対4、普通にやったら7割ぐらいの感じになるでしょうか」
2ブランド戦略だと、住友ゴムが隔年発売している『ゼクシオ』と『スリクソン』のパターンになりますか?
「今のところ、僕の理想はそれなんですよ。外資系大手とガチンコしようとは思ってないので」
すると24年度は『TW』で25年度が『ベレス』になる。
「そこは、もしかすると24、25は両方とも『TW』にするかもしれません。満足いくものが完璧にはできなかった反省に立って、今年改良して完璧にしたい。そのモデルで一応完成形とするのか、それとも翌年さらに『完成の完成版』を出すのかを、頭の中でもの凄く思案している最中です」
『TW』のターゲットはどこですか。
「そこは『ゼクシオ』さんですね」
ちょっと意外ですねぇ。『TW』はむしろ『スリクソン』のイメージだから、かなり印象が変わってくる。
「あのぉ、固定ゴルファーが多いアベレージ層の市場って、どのメーカーにとっても非常に大事じゃないですか。ところが先ほどから話しているように、我々はそこの信頼を失ったと考えているんですね。
ここをなんとしても取り返したい。となれば必然的に『ゼクシオ』の層になりますし、『ゼクシオ』は女子プロも使ってるので決して違和感はないと思うんですよ。ただ、この部分は微妙な話なので、過激な書き方はくれぐれも・・・」
ホンマ新社長『ゼクシオ』に宣戦布告とか?
「とんでもないですッ。あれだけのブランドなので、私自身すごく敬意を払っておりますし、言い方としては『目指す世界がゼクシオです』と。実際、目標としているブランドから学ぶことは多いので、その点はよろしくお願いします(苦笑)」
その『ゼクシオ』もデビューから四半世紀経って、いろんな試行錯誤をしています。デビュー当時はトヨタの憧れのブランド戦略である「いつかはクラウン」を意識した。それで大手企業の部長以上に訴求しましたが、その団塊の世代がゴルフリタイアの時期にきて新しい居場所を探してる。
「わかります。だけど市場は外資3強の飽和状態が続いてるし、住友ゴムさんや我々が頑張れば、ゴルファーの意識が徐々に変わって『やっぱ日本のクラブっていいよね』って空気がつくれると思うんですよ」
最終目標はオールカスタム
「それと、僕はこの仕事で『メイク・フォー・ユー』『ジャスト・フォー・ユー』をやりたくて、『TW』も『ベレス』も最終的にはオールカスタムにしたいんです。そこに我々が酒田工場を持っている、直営29店舗を持っている最大の意味がある。直営店でフィッティングして、そのデータを酒田に送って、酒田から何日後かにクラブが届けば、お客さんはすごく嬉しいじゃないですか」
ゴルファーにとっては「特別感」があるし、御社にしても国内工場を維持してきた甲斐がある。
「おっしゃるとおりです。ですから我々の最終ターゲットは、外資3強のクラブは持っているけど、結局みんなと同じだから特別感がない。ならば酒田でカスタムを作ってもらおうと。職業的なイメージは、セレクトショップのオーナーやクリエーターとか。彼らは『昔のホンマはカッコいいけど、今はダサいよね』って思ってると思うんですね」
今はダサいんですか?
「と思われてるんじゃないですか。この層の意識を変えられれば、可能性が開けてくる。彼らはもの凄く真剣にゴルフをやっていて、周囲への影響力もある。実のところ、少しずつカスタムをやり始めているんですよ。クルマも同じで、欧州のこだわり系が好きな人って意外と多いですから」
小川さんが好きなクルマは?
「ぼくは、クーパー系なんですけど」
フィアット系に見えるけど。
「そうですか(苦笑)」
カスタムと言えばタイトリストが本腰を入れてます。クラブは大手3社に水を空けられたから、そこに活路を求めている。
「そう、めちゃめちゃ力入れてますよね。特にアイアンのカスタムは非常に素晴らしいやり方だと思うんです。量を追わず、一本一本大事にしている。『こだわり方の表現』が、本当に上手いと思いますね」
今の話を聞くと、ウツドは『ゼクシオ』でアイアンは『タイトリスト』を目指す感じがありますが、どうでしょう?
「実は、それを目指しているんです。タイトリストのクラブは一度沈んだけど、カスタムの表現で復活した。我々もそこを目指したいし、目指すにはブランドの再強化が最大の課題になってくる。
ポイントはふたつ。まずは直営店のスクラップ&ビルドを明確にすることです。日本橋には45坪の直営があるし、新たに博多にも出しましたが、今後は都市部を中心に力を入れる方針なんですよ。
同時に卸先を見直して、選択と集中を進める中で、百貨店さんや量販店さんの協力を得てブランドショップやコーナー展開もやっていきたい。そこでホンマの世界観を訴求していきますが、もうひとつの課題は販売価格の安定化・・・。これがなかなか難しくて」
勝負は2025年末 匠の強さを磨き込む
その価格政策は、具体的にどんなイメージですか。
「『757』が7万~8万円のゾーンなので、『TW』のドライバーは10万円の価格帯には行きたいと考えています。『ベレス』のゾーンは突き抜けてるので、価格の話はあんまり意味がないんですが」
課題は専門店対策ですね。『TW』で勝負するとなると、ショップの「鳥かご」(試打室)に持ち込む2、3本に選ばれる必要がある。各社ともユーチューバーの起用で商品訴求を行ってますが、購買の最終決断は鳥かごの中。ここに入れないと比較購買の土俵に上がれない。
「そこのハードルは本当に高いですし、正直しっかり考えきれてない部分なんですが、試打室に入らないと勝負できない・・・。逆に聞きたいんですが、どうでしょう?」
ポイントは店員に対する刷り込みでしょうね。各店にはエースフィッターがいるし、彼らにはファンも付いている。『ゼクシオ』や『Qi10』を指名する顧客に対して、比較購買のもう一本に『TW』が入るかどうかは、店員のジャッジによるところが非常に大きい。SNSの訴求は、その前段階の「撒餌」ですから。
「やっぱりそこですか。実はアディダス時代、サッカーからランニング市場へ食い込むことが勝負所だったんですよ。そこで販売スタッフへの刷り込みをやって成果をあげたんですが、ゴルフもやっぱりそうですか・・・。ちょっと真剣に考えてみます」
いずれにせよ、日本ブランドの復活を担う仕事は楽しみですね。
「あのぉ、コロナによってゴルフ市場が活性化したことは、改めてゴルフのポテンシャルの高さを証明したと思うんですよ。そういったゴルフの潜在能力を踏まえた上で、私は2025年末までが業界にとって勝負だと考えています。
我々はこの間、強みを徹底的に磨くこと。我々の強みは匠なので、去年ホンマに入った翌日にすぐ、酒田工場へ行ったんですよ。匠の皆さんと話したくて」
車座で酒を酌み交わした?
「はい、山形ですから『十四代』を(笑)。めっちゃ美味かったですよ。話も本当に楽しくて。それで今後、私から彼らに無謀な要求をすると思うんですね。そしたら『現場知らないくせに何言ってんだ』って反発されるんでしょうが、同時に『よしッ、やってやろーじゃねえかッ』て燃えてくれると思うんですよ。
それが匠の心意気だし、そこから本物のゴルフクラブが生まれてくる。僕と匠の真剣勝負だと思ってますので、ガチンコでやるつもりです!」