通算113勝、生涯獲得賞金約27億円は共に1位。生涯現役を貫いた尾崎将司プロが12月23日他界した。享年78歳。男子ツアーは来季から賞金ランク制度を改め、ポイント制に移行する。最多賞金王12回の記録も、破られることはないだろう。
ブリヂストンスポーツと契約していた頃が黄金期だった。1988年からの11年間で賞金王9回は、その前半期、バブル景気と完全に重なっている。ジャンボ尾崎の頭文字を取ったシグネチャーブランド「J's」(ジェイズ)は、クラブ、ボール、アパレル、シューズ、キャディバッグ等の総合展開で、単年度売上100億円を超える看板ブランドに一躍成長した。
火付けは、1990年2月発売のメタルドライバー(5万8000円)だった。年間18万本(国内15万本)の販売量は同社の金字塔。同年4月のマスターズで、ジャック・ニクラウスの使用と高評価がニューヨークタイムスに載り、北米でも3万本売れている。

弾性率70トンの炭素繊維を使ったシャフトとの相乗効果で飛距離は伸びるが、よく折れた。シャフトのОEМ製造を請け負っていたグラファイトデザイン社の山田恵社長(当時)は、
「ジャンボさんの要求に応えようとすると、どうしてもギリギリの設計になる。こんなクレームがあるときだけ、社名が新聞に載ってしまう」
と嘆いていた。今でこそシャフトメーカーは自社ブランドを華やかに訴求しているが、当時はクラブメーカーの下請け的な存在であった。
熱烈なジャンボファンには、中小企業経営者も多かった。ゴルフ会員権投資熱が高まり、銀行が積極的に融資する中、一人で複数コースの会員になる経営者が急増した。それぞれのロッカーには、それぞれ「J's」のフルセットが入っていることも珍しくなかった。如何にもバブル的な売れ方で、前述の「単年100億」は、コアなジャンボファンが支えた面も大きい。
ゴルフ場入場者は延べ1億人を超え(24年度8750万人)、週末のゴルフ練習場はどこも満員で順番待ち。待合室のテレビ画面には、大ギャラリーを引き連れたジャンボ尾崎が映し出され、AОNのライバル関係もジャンボ人気に花を添えた。
ちなみに、住友ゴム(ダンロップ)との契約が長かった青木功は「コスモグレード」、ミズノ契約だった中嶋常幸はトミー中嶋の「ミズノプロTNシリーズ」を世に出すが、青木をイメージキャラクターにした「コスモグレード」は短命に終わり、中嶋の「TN」は、一部上級者に支持されるにとどまった。
AОNと並び称される3人だが、成績面でもブランドビジネスの観点でも「О」の力量がずば抜けている。昭和から平成に移り変わるバブル時代を、象徴する存在でもあった。合掌。