ヤマハがゴルフ用品事業撤退で44年の歴史に幕

ヤマハは6月30日をもってゴルフ用品事業を閉鎖する。1982年に市場参入してから44年、楽器製造で培った金属加工技術等を生かして『インプレス』『RMX』などのブランドを構築してきた。男子シニアの藤田寛之と谷口徹が長らく二枚看板。近年は藤田と今平周吾らを柱に競技志向モデルにも注力してきたが、米国大手3社の主戦場と重なる立ち位置の不利も敗因のひとつ。画像は2020年に竣工したゴルフの研究開発センターだが、2月3日の経営会議で撤退が決まった。
コロナ特需に沸いた3年前は、韓国市場が急伸して国内外100億円規模の売上を記録したが、直近では33億3300万円にまで急減し、事業赤字も10億600万円に膨らんでいた。全社売上に占める構成比も0・7%と少なく、グループの中で存在感を失った。
撤退は苦渋の選択だった。利益体質に転換するために①韓国市場の立て直し、②円安による原料費高騰でも利益が取れる製造体制の再構築、③自社ECの活用等による販売戦略の見直しなどが検討されたが、ゴルフ人口の減少予測など暗い材料を払拭できず、撤退の決断に至ったもの。
これにより6月30日をもって国内販売店への出荷を終了。使用者への修理・アフターサービスは保証期間内まで続けるが、店頭在庫への対応は取引店と今後細部を詰める。また、契約プロのサポートは今年12月末まで続行する。
振り返れば、ヤマハの市場参入は業界の素材革新を早めた実績がある。それ以前、ウッドヘッドはパーシモン(柿材)が中心だったが、1981年にマルマンがメタルヘッドの『ダンガン』を発売して旧素材を市場から一掃。その翌年、ヤマハはスキー、テニスラケットの製造で培ったカーボン技術を採用してカーボンウッドの『フォーカス』『EX』を発売、初年度20億円の売上を作った。ミズノも同年、カーボンウッドの『ヴァンガード』を発売して、新規参入のヤマハと激しい先陣争いを展開した。前後して横浜ゴムやヨネックスも参入するなど、市場は活気に沸いていた。
その意味でヤマハの撤退は、一時代の終焉を物語る。国内中堅規模のメーカーは、厳しい生き残り競争を強いられる。
[surfing_other_article id=64255][/surfing_other_article]
[surfing_other_article id=92083][/surfing_other_article]