阿武松部屋のおかみさん、奥村久子はプロゴルファー
月刊ゴルフ用品界2017年3月号 『女子プロ列伝』に掲載。
なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。
砂まみれの力士たちから笑顔がこぼれる。朝稽古が終わったばかりの午前10時過ぎ、阿武松部屋。厳しい親方の姿はなく、おかみさんと冗談を言い合う様子から温かみが伝わって来る。おかみさんの名は奥村久子。美人女子プロゴルファーと呼ばれた20数年前に比べるとややふっくらした姿に、充実感を漂わせていた。
10歳でゴルフを始め、20歳でプロテストに合格。優勝経験こそないが、80年代、ツアーで戦う若手選手の一人として存在感を放っていた。そんなある日、一人の男性と知り合うことになる。益荒雄(ますらお)という四股名を持つ押尾川部屋の力士、現在の阿武松親方だ。
運命の出会いは、25歳の時。力士会コンペのテレビ解説をする予定の林由郎プロが直前にキャンセル。あわてたテレビ局が、近くで開催していた女子プロの試合に代役を探しにやってきた。白羽の矢が立ったのが、早いスタートで予選落ちしてしまった奥村だった。
偶然の出会いは力士会
コンペ会場に行って驚いた。「本当に力はあるんだけどヘタクソばかり。洋芝のティーグランドで素振りをしただけでダフって大きなターフを取る。コースはボロボロになっていき、最初は笑顔だった支配人の顔がどんどん青ざめて行ったのを覚えています」と苦笑する状況だった。
将来の夫の接近は、車で送ってもらおうと関係者を待っているときだった。「プロ、どちらにお帰りになるんですか?」と話しかけられた。偶然にも、名古屋巡業で野部屋の拠点が、奥村の自宅のある尾張旭市の隣町にあることがわかり「訪ねてきてください」と誘われた。
帰って何気なくその話をすると、兄が行きたがった。後日、兄妹で訪ねたが、この時は益荒雄が留守で会えなかった。後日、電話をもらい、食事をした。
故障を抱えていた益荒雄は「引退しようと思うんだけど、どう思いますか?」と、尋ねたが、奥村はあっさり「もう無理じゃないですか」と、答えたと言う。成り行きで引退後の準備をする益荒雄をサポートするうち、一気に距離が縮まり、交際に発展した。
「最初は、私のゴルフをサポートしてくれるって言う話だったんですよ。それが、だんだん部屋を持つって言う話に変わってきちゃったんですけど」と紆余曲折はあったものの、5年後に結婚。益荒雄が年寄株を入手。大鵬部屋の部屋付きから、部屋を開き、現在の千葉県習志野市に引っ越してから、おかみさん生活が始まった。
180度違うおかみさん生活
相撲の世界のことなど、何も知らない娘の結婚に、両親は大反対。だが、本人は「逆に何も知らないからやれたんでしょうね。知ってたらやらなかった」と、笑って振り返る毎日が始まった。
いきなり、思春期の弟子の母親代わり兼部屋のマネージャーという日々に放り込まれる。自分の事を最優先に考え、行動するプロゴルファーとは180度違う。弟子のこと、親方のことを優先するのが当たり前になった。
部屋によって全く違うおかみさんの仕事を教えてくれる相手はどこにもいない。乗り越えてこられたのは「教えてくれる人はいないけど、その分、自由にできました」と、前向きにとらえられる性格もあったからだろう。
角界関係者の間では口下手で有名だった親方が、弟子を育て、部屋を運営していくために一生懸命、人と付き合い、勉強するのを全力でサポートした。時にはケンカもしたが、弟子の一人に「ケンカしないでください」と言われてからは、見ていないところでするようにした。
試行錯誤を繰り返す中で特に気をつけたのは「早くプロの自覚を持たせること。プロゴルファーと違って、身長、体重(が大きい)だけでプロになっちゃう子も多いので、早くこの生活に慣れさせなくちゃならないですから。規則正しい生活を身に着けさせ、挨拶をきちんとさせる。(相撲を離れて一般)社会に出てもやっていけるように育てることです」と言う。
ティーンエイジャーを始めとする弟子たちと24時間寝食を共にし、育てる責任は大きい。それを自覚しているからの発言だ。
故障には慎重に対処
故障で力士生命を縮めてしまった経験を持つ親方だけに、ケガには慎重に対処して来た。力士本人だけで受診すると客観的な対応ができないことも多いため、必ず、おかみさんが一緒に受診。医師の話を全て書き留め、十分に休ませてから復帰させるようにした。
女子プロネットワークの力
力士に多い網膜剥離を少しでも防止しようと、女子プロ仲間のネットワークも役立てた。眼を開いたまま、手術をする網膜剥離の治療にはとてつもない恐怖が伴う。1度、手術を受けた後、恐怖がトラウマとなった一人の弟子が「怖い。もう嫌だ」と、部屋を去ってしまったことがあった。
これに心を痛め「少しでも防止したい」と思った時、同じ女子プロの菅野仁美に相談した。菅野は、旧知の筑波大教授のところへ連れて行ってくれた。もらったアドバイスは「脱水症状は網膜剥離を引き起こしやすくする。朝、起きたら稽古の前に水分を取るようにしなさい」というもの。以来、阿武松部屋では、必ずこれをさせている。「どれだけ効果があるかはわかりませんが、少しでもあの恐怖に遭う子を減らせれば」という思いからだ。
プロゴルファーとしての活動はほとんどできず、プレーするのは年に10回程度。だが、部屋のコンペではもちろん大活躍する。当たり前だがお客さんの相手は誰よりも上手にできる。
「前は思うようなゴルフができなくて頭に来ましたけど、もううまくいかないことに慣れました。楽しくやれればいいと思って」と笑う。女子プロゴルファーであるおかみさんならではの大きな仕事の一つだ。
強い弟子たちとの絆
日頃の楽しみは「親方のいないところでみんなと笑うこと」と言って、弟子たちの顔を見た。弟子たちも悪戯っぽい顔で笑いをこらえる。絶妙なこの間は、まさに大家族。
確かに、取材中もちゃんこを食べる弟子たちと交わすやり取りは、本当に温かい。厳しいけいこの合間のやすらぎを、弟子たちがおかみさんに求めているのがよくわかる。OBが訪ねてきてくれるのが何よりもうれしい。「いい思い出があるということでしょう」と、微笑む様子は、本当に母親のように見える。
現在の課題は、9年後に迫った親方の定年(65歳)までに後継者を育てること。「弟子を育てるより難しい」と言う仕事が夫婦の集大成となる。
「淳子目線」
阿武松部屋から巣立つ弟子たちは、様々な職業で頑張っている。他の部屋出身者にはちゃんこ料理店を出す者も多いが、ここでは意外に少なく、高校卒業の資格を取って柔道整体師になる者が何人もいると言う。変わり種はパイロット。
「引退後はパイロットになりたい」と聞いた時には、親方もおかみさんも仰天したが、すぐに行動した。近所にパイロットが住んでいると聞いていたので、面識もないのにすぐに訪ねて話を聞いた。偶然、相手も他の仕事からの転職者。
「大丈夫。なれるよ」と、いろいろアドバイスをもらった。本人の努力や両親のサポートももちろんあったのだろうが、見事に資格を取り、今では機長として活躍している。
セカンドキャリアの成功の裏に、おかみさんの力あり。行動力の裏付けには、プロアスリートとしての経験もあるはずだ。