兵庫県神崎郡市川町をご存知だろうか? ゴルフ界では由緒正しき土地柄だ。市川町は1930年に国産初の鍛造アイアンの製造に成功した
「国産鍛造アイアン発祥の地」なのだ。
1960年代にはアイアンヘッドの7割が市川町周辺で生産されていた。当時、市川町を中心にした姫路周辺にゴルフ部品の工場が100社ほどあり活況を呈していた。つまりその昔は、日本のゴルフ界では市川町なくしてゴルフ用品の販売が成立しないほどの生産拠点だった。
しかし1980年代に入ると、日本の製造業は人件費の高騰などから生産拠点を台湾や中国に移転した。ゴルフ用品の製造も台湾・中国に製造拠点を奪われて市川町周辺のクラブ製造業者は20社弱となってしまっている。
工場は、一度灯が消えると盛り返すのが難しい。技能継承も寸断されて、後継者廃業が相次いでしまう。そんな状況が市川町が「国産アイアン発祥の地」であることを忘れさせてしまっていた。
その「発祥の地」という資産を活用すべく、市川町役場、市川町商工会、市川町観光協会、市川町ゴルフ協会とゴルフ関連企業9社が協力して、第2回市川町ゴルフまつり『喜楽☆喜楽GOLFフェス』が10月22日開催で企画された。「発祥の地」を知らない地元民が大多数なため、イベントを通じてまちおこしにつなげる狙いがあった。
台風で泣いた市川町の「ゴルフまつり」

ところが、10月22日はその前日から台風21号が日本列島を襲った。
「『ゴルフまつり』の開催中止は、前日の10月21日午前10時に決めました」――。
と話すのは、今回の「ゴルフまつり」をまとめた原野建運営委員長(市川ゴルフ支配人)。その表情には無念と疲労感がにじんでいた。それもそのはず。
今年で2回目となる同イベントは、地元の4団体(市川町役場、商工会、観光協会、ゴルフ協会)で構成された実行委員会とゴルフ関連企業9社からなる運営委員会などで組織され、今年1月から企画がスタートした。
いわば、ゴルフを核にした一大プロジェクト。それが無情の大雨で流れたのだから、関係者や町民の落胆は計り知れない。
企画は1月にスタートし、4月にはゴルフ関連企業の3名で構成された「町民大使」が東京のゴルフメディア4社を訪れ、企画の説明と取材のお願いをして回った。その往復交通費約10万円は実は自腹だったというから、その意気込みが伝わってくる。
その「ゴルフまつり」の会場に予定されたのが、9ホールのショートコースを併設する練習場・市川ゴルフだった。イベントの内容は、ニアピンコンテストや試打会、各社製品の展示などに加えて、飲食の露店も19店舗とグルメイベントを兼ねていた。
その一大イベントに関わったスタッフは総勢84名で、当日開催が予定された6種類のイベントには延べ134名が参加を申し込んでいた。
参加者に中止の連絡をした市川町役場の中塚崇仁主事(農林商工係)によれば、
「一人ずつ連絡をした時に『次の開催はいつですか?』と尋ねる町民が多かった。自然と涙がこぼれました・・・」
心中、察するにあまりある。原野実行委員長は、
「市川ゴルフの駐車場は、町内を縦断する市川のそばにあって、22日の午後には一部が冠水したのです」
日本列島は大型台風が続々と押し寄せたが、なぜこの時期を選んだのかを責めるのは酷というもの。実は、今回ほど準備万端で臨まなかった第1回目の昨年は猛暑の8月開催で、酷評を浴びていた。この点について町役場の広畑一浩課長(地域振興課)は当時、
「猛暑での開催で成果は残せませんでした」
と取材に答えている。そこで今年1月、町役場から市川ゴルフの原野社長に協力要請があり、開催日を秋にした経緯がある。誰を責めるわけにもいかないのだ。
町民も知らない「国産鍛造アイアン発祥の地」
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原野建運営委員長[/caption]
地方都市の窮状は周知の通りで、なかには「ふるさと納税」で活性化を目指す自治体もあるが、多くは地元産品の訴求等で対応している。これに比べて市川町には「発祥の地」というストーリーがある。これを全面に押し出して、まちおこしにつなげる試みは意義深い。
しかし、昨年の第1回目は先述の通り、「発祥の地」をPRできず、ゴルフ関連企業が積極的に参加できる企画内容ではなかった。そこで、クラブ製造業者を中心に9社(市川ゴルフ、三浦技研、共栄ゴルフ、東邦ゴルフ、井内ゴルフヘッド工業、光栄ゴルフ製作所、共和ゴルフ、藤本技工、FG)が運営委員会に名を連ねた。「ゴルフまつり」の開催で、ゴルフ関連企業も積極的にPRしようと考えた。
月に1度ほど運営委員会が開催され、様々の課題が浮き彫りになったという。最大の問題は地元の市川町民が「発祥の地」を知らないことだった。原野委員長は自身の経験を振り返る。
「実は、私は市川町の出身ではなく、10年前に市川ゴルフに就職して業界に入りました。市川町が『発祥の地』だと知ったのは3年前で、ゴルフ雑誌によるものだったのです」
ゴルフ関連企業が多くて歴史があるのに、町民の大半がそのことを知らない。そこで、地域交流の要素として製造業に焦点を当てた「ゴルフまつり」を企画すれば、まちおこしにもつながる。そう考えて、原野氏は運営委員会の委員長を引き受けたという。
一方、飲食ブース19店舗を取りまとめたピザ・オートフェリーチェの木村智裕マネージャーも当初、知名度の低さに多少の不安を感じたという。
「出店を予定した飲食関係の企業に、市川町が『発祥の地だと知っていますか?』と聞いたところ、『知らない』という答えが多かった。だから当初は『発祥の地』を謳っていいのか疑問でしたよ」
知名度が低い理由は後述するが、イベント自体のメインテーマが知られていなければ話にならない。三浦信栄副委員長(三浦技研社長)はこの件について、
「ですから、まちおこしの武器となる『発祥の地』を有効活用するための第一歩が今回の企画でした。我々製造業者が積極的にイベントに関与すれば、町民とゴルフがつながるかもしれません。そう考えて、様々な企画を練ったのです」
ところが、当日は台風21号の接近でイベントは中止。そこで当日午前10時から、市川町役場4階の会議室で、第3回実行委員会が開催された。そこでは議論噴出。地域創生に向けた地方都市の生き方が本音でぶつかった。
「助けて」と言えなかった市川町製造業者同士のつながり
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岩見武三町長[/caption]
実行委員会の参加者は、岩見武三町長(実行委員長)、楠田一利商工会会長(同副委員長)、木村重己観光協会会長(同副委員長)の3名に加え、運営事務局から6名。それに加えゴルフ関連企業7社8名と、ピザ・オートフェリーチェの木村マネージャーなど総勢20名。1時間半にわたる意見交換が行われた。
岩見町長は冒頭の挨拶で、「発祥の地」の重要性を話している。
「2年前の町長就任当時から、『発祥の地』を内外に発信することが大きな課題でした。認知してもらうにはゴルフ業界と行政の協力が必要で、今年はゴルフ関連企業が運営に積極的に参加してくれた。町としては『発祥の地』のPRでゴルフ関連企業の販路拡大に寄与したい」
昨年は観光協会と商工会が企画して、そこに行政が相乗りする形だったため、ゴルフ関連企業が積極的に参加できる内容ではなかったと振り返る。そして、「発祥の地」のPRは行政にとって、
「大きな課題」
と岩見町長は強調した。それを受けた東邦ゴルフの荒深泰男社長は、
「以前は町をあげてゴルフ界を支援することに不公平感が漂っていましたが、この企画で市川町に来訪者が増えれば経済効果もあるため、少しずつ意識は変わっていると思います」
町と業者が歩み寄り、協力してまちおこしに臨む姿が伺える。しかし、なぜ、ここまで「発祥の地」が町民に浸透していないのか。その疑問が残る。運営委の坂本敬祐副委員長(共栄ゴルフ社長)は、
「町民に根付いていないのは、製造業者同士の横のつながりがなかったからだと思います。だから、行政にも積極的に陳情しない。町民が知らないのは当然で、運営委に参加して気づきました」
それに応えるように、出席者で最高齢の井内ゴルフヘッド工業・井内幸男社長(78歳)が積年の想いを口にした。
「我々はこれまで横の繋がりがなかった。今回の活動で初めて仲間ができたように思います」――。
井内社長によれば30年前に、横の連携を持つ動きがあったという。しかし、「系列が違う」などで進まなかった。同氏は今回の企画で横のつながりができたことが、一番嬉しいと笑みを溢した。
井内社長が口にした「系列」とは、町内のゴルフ製造業者間で下請けを依頼する上でのつながりのこと。誰もがそのことに足かせを感じながら、公言することはなかったというのだ。
「系列意識」以外にも、当地ならではの職人気質が横の連携を拒んできたと見るむきもある。東邦ゴルフの荒深社長が、過去に誰も口にしなかった本音を漏らした。
「20~30年前はゴルフ産業も活気があったし、この界隈も横の繋がりがなくても個別に儲かっていました。しかし、不況になった時、行政や同業者に『助けて』とは恥ずかしくて言えなかったのではないでしょうか」
FGの藤本雄介氏は、荒深社長に同調するように、
「我々は職人の集まりだから、同業者に協力を求めることにプライドが許さなかったのだと思います」
それは職人の誇りで、モノ造りにこだわる上で必要不可欠な要素だが、反面、プライドが強すぎると意固地になってしまう。狭い世界でしのぎを削る職人気質が、横の連携を阻害してきた。三浦技研の三浦社長は自戒を込めて、
「自分が完璧だと思っていても、外から見ればできていないし、成立していない。それを素直に認めることからスタートしなければなりません」
地域創生に向けて、PR方法が分からない そして未来へ

低い認知度が改善されない理由がもうひとつある。PR戦術と疎遠なことで、地方自治体が成功した一例にゆるキャラブームがあった。2015年当時、1727のキャラクターが登場したが、以後急速に数を減らした。
今回の「発祥の地」PRは、先例のない取り組みだけに、そのあたりの悩みを楠田一利商工会会長は次のように話している。
「10年ほど前から、地場産業のPR予算を県の商工会に要請しています。商工会には『商』と『工』の2つがあって、ゴルフだけに予算が使えない事情もありますが、市川町はゴルフが強いので、県には試打ができる『ゴルフ体験館』の設立も提案しています。地場産業のPR方法も分かりません。でも、ゴルフで盛り上げようと思っています」
このことは製造業者も同じで、藤本技工の藤本勝也社長は、
「『発祥の地』を広く知ってもらいたい。その一環として、当社はふるさと納税の返礼品にゴルフクラブを提供しています。ただ、私は還暦を過ぎていてPR方法が分からない。それは若手に担ってもらいたい。その意味で若い世代が企画する『ゴルフまつり』には大いに意味があると思っています」
ゴルフ業界だけでなく、若い世代の台頭が活性化につながる。これを進展させるには、ある程度の権限委譲と成功体験が必要となる。市川町の場合、FGの藤本雄介氏(35歳)が若手有望株かもしれない。
「『ゴルフまつり』でチャリティー品の製作が決まった時、様々な意見が出て形になった。それは横のつながりができたからだと思います」
それが市川町のゴルフ、そして、さらには日本のゴルフ発展につなげられるという。そして、それに気づいたことが大きな収穫だったと、藤本雄介氏は振り返った。
もちろん、異業種交流も糧になる。グルメコーナーと取りまとめた前出の木村マネージャーは、
「市川町の団体、企業にはそれぞれ情熱があるんです。様々な課題はありますが、今回の企画でひとつになれたと思います」
それを受けて、FGの藤本竜平氏が最後に締めくくった。
「これまで我々は表舞台に立つ機会が少なかったけど、『ゴルフまつり』に携わったことで同業者の多さを改めて知り、町内の異業種とも触れあった。お互いの認識が深まれば、町民にもPRできる。そう実感できたことも大きな収穫です」
台風に吹き飛ばされてしまった「市川町ゴルフまつり」の顛末を紹介したが、結果だけを見ればイベントは中止になって、すべての苦労が水の泡になってしまった。しかし、関わったすべての関係者が本気で議論し、明日への展望を共有した。それ自体が得がたい糧となったようだ。
開催中止から1ヶ月半の12月上旬、第2回市川町ゴルフまつり『喜楽☆喜楽GOLFフェス』の開催が、来年4月21日に決定した。「国産鍛造アイアン発祥の地」の復権に向けて、市川町の新たな挑戦がはじまった。
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