700本のトライ目指して「温泉ホテル」買収

700本のトライ目指して「温泉ホテル」買収
わたしは2019年4月、三代目としてセブンハンドレッドクラブ(栃木県さくら市)の社長に就任した。現在28歳。就任当時は、世界一若いゴルフ場経営者ではなかったか。そのこと自体に価値はないが、当時はそれぐらいしかウリがなかった。 高校時代、ラグビーで「花園」に出場した。脳震盪は日常茶飯事で、「ワン・フォー・オール」「オール・フォー・ワン」は今も自分の生きる指針だ。そんなわけで今後10年間、700本のトライ(挑戦)をセブンハンドレッドを通じて達成したいと考えている。 大きなトライが、思いのほか早く実現しそうだ。地元・さくら市の温泉ホテルの再建である。 2020年4月末日、地元の数少ない観光資源のひとつ「喜連川温泉」を有する温泉ホテル(旧称:喜連川温泉ホテルニューさくら)が閉館した。ホテルの所在地は「お丸山公園」の中心地。昔から地元民憩いの丘陵公園で、休日には百を数える模擬店が連なる賑やかな場所だったが、東日本大震災を境に過疎化と少子化により徐々に衰退した場所である。 さくら市は旧氏家町と旧喜連川町が合併して2005年に誕生した。いわゆる平成の大合併による。それ以前、1981年に当時の喜連川町長が町興しのために温泉開発を行った。ボーリングをして湯が湧き出し、今では「日本三大美肌の湯」として数少ない地元の観光資源。当時では珍しい「自治体がつくる観光資源」で、その一環として温泉ホテルが誘致された。それが閉館――。 地元民の誇りと思い出が詰まったホテルだけに落胆は大きく、また、当ゴルフ場も宿泊連携を交わしていたので驚いた。が、閉館は新型コロナの緊急事態宣言が出された只中であり、社長2年目の自分もゴルフ場経営の立て直しで精一杯。「このコロナ禍では仕方ない、潔い判断だな」という程度の気持ちで眺めていた。

地元からの一本の電話

閉館の報に接してから、2か月後だったと思う。さくら市役所の商工観光課から一本の電話が入った。要件を聞いて驚いた。 「ホテル経営に興味はないか?」 というのである。 ただ、驚きはしたが、意外な感じはなかった。セブンハンドレッドは、さくら市健康増進課との連携協定や教育委員会と「授業連携」を交わしており、ゴルフ場を市民に開放してきたからだ。夏祭りやランニング大会、高齢者の体操教室など、ゴルフ場を地域の「公共財」として提供してきた。そんなわけで、温泉ホテルの一件も、お鉢が回ってきたのだろう。もっと本質的に地元に貢献したいと思っていた矢先だけに、打診を受けて嬉しかった。 自分は東京生まれの東京育ちだから、栃木弁はしゃべれない。それでも、さくら市は第二の故郷だと勝手に思っている。さくら市民にとっての自分は「よそ者、若者、バカ者」である。別に卑下するわけではない。実はこの3拍子は、町興しに必要な「3つの者」と言われているのだ。 「よそ者=良くも悪くも地域のしがらみに囚われない」「若者=最年少のゴルフ場経営者&最年少の商工会メンバー」「バカ者=既存の枠組みにとらわれない発想が好き」――。自分自身、3拍子が揃っていると感じている。生来のお調子者でもある。 だから、大切な観光資源と市民の誇り(シビック・プライド)であるホテルの再生を託してもらえたこと、市役所の会議で自分の名前があがったことが、ひたすら嬉しく、意気に感じた。 「前向きに検討します」と応じたものの、すぐに社員の反応が気になった。セブンハンドレッドはホテル業が未経験。コロナ禍でゴルフ場経営は厳しく、また、ホテル業界全体が苦しんでいる中で、社員の反応はどうなのか? 正直に言えばドキドキだった。

「やりましょうよ!」

自分が2019年に代表となってから、「ゴルフ場の文化を変える」ための取り組みに注力してきた。合言葉は「やってみよう」であり、まずはトライして、そこから判断しよう、と言い続けた。冒頭に触れたが、セブンハンドレッドの社名にちなんでスタッフや取引企業、地元関係者と連携して「10年で700本のトライ」を生むための「セブンハンドレッド・トライアル」を実行中。ゴルフ場スタッフの働き方改革、ベンチャー企業との協業、トップダウンではなくボトムアップ型の組織形態へ変更するなど、現場には戸惑いもあるはずだが、旧来のゴルフ場がやってこなかった改革を、小さく進めてきた。 ホテル買収の件について、全スタッフ34名にアンケート調査を行った。その結果、約9割が賛成だった。常に高望みする自分の性格を知っているせいか、はたまた深く考えていないのか(笑)、みんなの前向きが嬉しかった。備考欄には「これまでホテルがないのはもったいないと思っていた」「また挑戦できますね」と、ポジティブな反応が大半だった。コロナ禍で経営が「守り」に入り、スタッフが消極的になることが怖かったが、杞憂だった。自分も挑戦しなければ! と、ホテル経営を引き受けた次第。 ホテルは敷地約3000坪に、3階建ての19部屋、築35年である。買収完了は昨年12月だが、そこに至る手続きは、①前オーナーとの交渉、②市長ら地元有力者への相談、③外部有識パートナーとのディスカッション、④デザインを取り入れたリノベーションの構想などの経緯を踏んだ。名前は地域名を冠して「お丸山ホテル」。今年4月下旬の開業を目指し、新たに20名のスタッフを採用し、大掃除や運営のための議論を行っている。 今後の構想を描くのが楽しい。ゴルフ場をもつ強みから「スポーツ&美肌の湯」を活かした「ヘルスケア」を軸に展開したい。さらに「採光」と「再興」をかけ合わせて「さいこうの場所」を体現したい。採光は「美しく彩(いろど)られた光」であり、地域の美しくユニークな魅力を感じられることを意図。「再興」は、お丸山公園一帯の再興を目指す。 「さ、行こう」と、人々が気軽に立ち寄り、人の温かみと息吹を灯せる場所にしたい。 ただし、「ゴルフ場に付随するホテル」と見られては意味がないだろう。あくまで主はホテルであり、従がゴルフ場という関係が望ましく、「ゴルフ場もあるホテル」「ホテルに付随するゴルフ場」と思われるくらい、ホテル経営に磨きをかける。そうすれば、ゴルフ場経営や地域価値の創出にもつながるはず。「ゴルフ場が地域に存在する意味を創る」こともできるだろう。次回は、上記に関わる具体的な事象に踏み込んでいく。
この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2021年5月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら