山手線田町駅の芝浦口から徒歩7分の第三東運ビル屋上にMINATOGOLF田町がある。ゴルフレッスンと打ち放題で13打席の規模。東京タワーが打席から見え、そこに向かって打てる絶好のロケーションだ。都心の屋外型練習場としては、数少ない施設の一つである。
この練習場を取材していた時、ゴルフメディアの編集者がネットでこの施設を見つけてクラブ試打のため来場していた。事務所から近くで、田町駅から歩いてすぐの屋外ゴルフ練習場はどんな感じなのか、興味もあって来場したと話していた。
この練習場の成り立ちについて当ビルを運営・管理していた東京レジャー株式会社、東京リクリエーション株式会社、東京倉庫株式会社の代表取締役会長の池田朝彦氏、MINATOGOLFを運営する株式会社JGS取締役会長の高橋純一氏に取材した。
同施設がある芝浦地域は、もともと池田氏の父・新一氏が池袋で倉庫事業を立ち上げ、その後芝浦に移ってきた。コメをはしけで運搬して平屋倉庫に保管するなどの倉庫事業を始めている。
戦前から「ヤナセ」の自動車工場があり、自動車や家電倉庫としての付き合いもあったという。
2020年に東京倉庫運輸は創業100年を迎えている。今から50年ほど前にボウリングブームがあり、ボウリング場をやらないかとの話もあったとか。ちょうど平屋倉庫が古くなり、1000坪の土地にボウリング場と倉庫、オフィスが一体となった現在のビルを1973年に建てた。
池田会長によれば、
「芝浦地域を賑わいのある街にしたいとの思いもあり、その一環としてレジャー施設のボウリング場をつくることになったのです。当初、私の兄がボウリング場経営などで社長を務めていましたが、3年後から私がこの事業を任されて、以来40年間代表をしておりました」
空きスペースの有効活用を考えて、ビル完成の10年後、屋上にテニスコート1面をつくった。しかしテニスコート事業は採算が悪く、次の展開を思案していると、良縁があった。テニスコート施設のネット工事会社社長が、慶応大学ゴルフ部出身で、同じ慶応のゴルフ部出身の高橋氏を紹介されて、「ゴルフ練習場が良いのでは」と、なった次第。
池田会長も慶応大学の出身である。ここからの話を、高橋会長が次のように引き取る。「実は、私の妻の実家がゴルフ場会員権事業の『住地ゴルフ』でして、事業の一環としてイメージアップを含め、ゴルフスクールの運営を頼まれたのです。
そこで1984年、渋谷を皮切りに『住地ゴルフスクール』を始めました」同氏にスクール運営の依頼が来たのには理由がある。高橋会長はハワイ・ワイアラエ・ゴルフクラブで本格的なゴルフ修行を始め、1971年にPGAofAMERICA(米国プロゴルフ協会)のプロテストに合格。日本、米国、アジアのトーナメントに参戦し、1983年のアジアサーキット・インドオープンで優勝した経歴の持ち主だ。ゴルフスクールの運営には適任であり、1989年に開業した第三東運ビルの練習場は「住地ゴルフスクール」田町の名称で始動した。
あのディスコがあった場所
池田会長は地域活動にも積極的に参加しており、現在港区体育協会役員、東京商工会議所港支部顧問・名誉会長を務め、また2018年から実施している「MINATOシティーハーフマラソン」の港区マラソン実行委員会委員長も歴任。
一方の高橋会長は、港区ゴルフ連盟の会長を務めている。「港区ゴルフ連盟」は区民ゴルフ大会(年2回)開催や、一部東京の競技大会への参加に加え、ゴルフ人口拡大に向けてゴルフスクールの開講やジュニア育成に取り組んでいる。
港区体育協会の一員として、港区体育祭など区民の親睦の場を提供すると共に、老若男女問わず一緒に楽しくプレーできるスポーツとしてゴルフ競技の発展を目指す。
4年前、「住地ゴルフスクール」の名称を現在の「MINATOGOLF」に変更したが、地域連携を考えれば頷ける話だ。他に新橋、笹塚、西新宿、市ヶ谷などの6校も住地ゴルフスクールから「MINATOGOLF」に改称している。
「ゴルフを始める人 ゴルフが好きな人 すべてのゴルファーが集まれるゴルフの『港』を目指して」という想いを込めた名称でもある。
高橋会長のレッスン方針は「少しでも長くゴルフを楽しんでもらう」ことだという。田町の会員数は累計で5000名を数え、会員向けにゴルフ場でのレッスンやコンペも頻繁に開催。海外でのコンペも実施している。主要客層は50~60代で、女性比率は5割弱。通い放題のコースもあるが、基本のスクールレッスンは4回1万6500円。練習場も1時間1500円の打ち放題で、港区民は1200円で練習できる。
余談だが、同施設がある第三東運ビルはかつて、バブルの象徴と言われた「ジュリアナ東京」が1階に入っていた。1991年5月から1994年8月までの約3年、一世を風靡したディスコである。田町駅でボディコンに着替えた若い女性が列をなしていたのは有名な話。
「当社は今も『ジュリアナ東京』の商標を持ってるんですよ(笑)。あの頃、練習場は開場していましたが『ジュリアナ』の客層とは全く違っていて、ゴルフ練習場があることも知らなかったでしょうね。でも今は『ジュリアナ』で踊っていた方が練習に来てるんですよ。それはともかく、スポーツビジネスは地域貢献、ジュニア、人々の健康を重視しないと続けられません」
池田会長は口元を引き締める。
行政を含めて地域と一体化する。地域に不可欠な存在になることが、このビジネスの要諦ということだろう。「MINATOGOLF」田町は、都市ビルの屋上をゴルフで有効活用できる事例も示しているが、屋外練習場が減少する中、新たな可能性を感じさせる。
この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年6月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。
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