都心から車で20分、東急多摩川線の沼部駅から徒歩6分。多摩川に架かる新幹線の橋の下流側に、東京多摩川ゴルフ練習場はある。場所は東京都大田区田園調布南で、河川敷なので番地はない。開場は1951年11月。
翌52年には東京ゴルフ練習場連盟が発足しているが、当時加盟した9ゴルフ練習場の1つで、現在まで残っているのは東京多摩川ゴルフ練習場のみ。都内で最も古いゴルフ練習場で、36打席250ヤードの屋外練習場である。
その成り立ちについて、同練習場の2代目田中誠氏と、田中氏の孫にあたる株式会社東京多摩川ゴルフ練習場の取締役・池田陽太氏に話を聞いた。田中氏の娘・成美さんの子供が陽太氏である。田中氏は1936年生まれで今年84歳、1960年の日本アマチャンピオンで、世界アマに出場し、ジャック・ニクラウスと戦った経験もある。
この練習場を創業したのは、田中誠氏の父・光義氏である。光義氏は渋谷で指物師(家具職人。箱、机、椅子、たんすなどを、板材をさし合わせて組み立てる職人)をしていた。ゴルフクラブの修理ができないかとの相談を受けて、修理をはじめたという。そんな折り、田園調布在住のゴルフ愛好者から、練習場をつくりたいとの話が持ち上がった。戦後すぐの時代とあって、近隣に練習場はない。現在の多摩川河川敷の場所は畑だったが、前述のゴルフ愛好者に銀行関係者や企業のトップなど富裕層がおり、出資して、光義氏が管理をまかされた。東京多摩川ゴルフ練習場の誕生である。
距離は現在と同じで250ヤード。その後、堤防が拡張されて左側の打席はなくなったが、当時は今より多く50打席程度だった。場所は現在より100mほど上流側で、公共のグラウンドができて現在の場所へ移動した。田中氏は、
「開場当時はボールがなく、ゴルフ場のキャディさんから1個50円前後で買い上げたり、当時代々木にあったワシントンハイツに行ってボールをもらって運営していました」
と振り返る。田中氏の父・光義氏は、明治38年(1905年)生まれで創業時は41歳であった。「東京多摩川ゴルフ練習場」の名称は、創業時からのもので光義氏が命名した。田園調布にあるため、今であればその名称を使ったら良いと思うが、当時は何の迷いもなくこの名称に決まったという。
創業時は近隣の田園調布在住のゴルファーが徒歩で訪れたり、中村寅吉プロが練習に来たりして、経営は順調であった。創業から10年ほど経過して、出資金を返却し、株式会社東京多摩川ゴルフ練習場となった。
対岸にはショートコースの多摩川ゴルフ倶楽部があるが、練習場が出来て10年後ぐらいに親族が開場した。当時は、川を渡ってショートコースに行ったとのことである。気楽にゴルフを楽しめる環境で、多摩川にあるゴルフ天国の様相であった。現在、ショートコースの経営は変っているが存続している。
無人インドアも新たに開設した
東京多摩川ゴルフ練習場は河川敷に位置するため、河川法の対象となる。設立された1951年当時は旧河川法が適用され、河川敷の利用に関しては緩やかな時代であった。1964年の法改正により、新河川法の適用となっている。
多摩川は一級河川で国交省の管轄だから、同省に占用料を支払って運営している状況だ。河川敷なので、建築物を建てられず、受付も簡易な小屋である。防球ネットの柱は木製で、簡単に取り外しができるとのこと。打席は創業から土を使用しており、打撃部分にはショットマットを置いている。以前は土から打つこともできたが、現在は整備の関係からショットマットを使用する。
フィールドは天然芝で、バンカーやアプローチエリア、天然芝のパッティンググリーンも備わっている。また、池田氏が経営にかかわるようになってから、ボールの綺麗さにこだわっており、
「3か月に一度、ボールの塗装を塗り直しています」
池田氏は、河川敷にあるゴルフ練習場ならではの苦労、特に水害についてこう話す。
「2019年10月の台風19号の時は、ゴルフ場横の堤防ギリギリまで水位が上がり、練習場にあった全ての設備や藤の木が流されて、1か月近く閉鎖しました。ブルドーザーで流れ込んだ土砂をどけるなど、本当に大変な作業でした」
ただ、この洪水を機に、アナログで受付していたものを、デジタルの会員証にして、LINEで会員にリアルタイムで情報を流せるなどのシステムに変えた。
河川敷練習場特有の制約から、屋根を付けることが出来ないので、雨天の場合はクローズとなる。
「今までは、雨が止んだら数時間後に再開していましたが、LINEで再開時間などを知らせて利便性を高めています。ただ、台風や大雨のときは常に水没の危険があります」
もう一つの難題は、河川敷の占用について3年ごとに更新があり、国交省に使用許可の書類を提出する必要があること。池田氏は、
「書類は細かく、内容も厳しくなっていますが、前職でメディア関係の会社にいたので、慣れている分、対応できています」
一方、河川敷ならではのメリットもある。およそ2万3000m2の土地を国交省から借りて営業しているが、田園調布の私有地であれば相続税は莫大となって、事業継承は厳しくなる。占用許可が継続できれば、都市部で課題となっている事業継承問題はクリアできる。国がこの河川敷を水防や公共目的など、別の用途を考えた場合は問題だ。
「最近、近隣の屋外練習場4~5か所が閉場したため、開放的な広い場所で打てる屋外練習場は貴重です。自分の代で開業100年を迎えることが可能なので、この仕事を続けていきたい。そのためには、現在年間4万人以上の来場者をさらに増やすこと。スクール事業を伸ばしていきたいですね」
そのため、同練習場の近隣にある事務所の1階に、新しく無人インドア練習場とパーソナルジムを併設した施設をつくった。
「時代のニーズに合わせ、若くて新しい顧客を取り込んでいきたい」
と、次代を見据えている。
東京の田園調布にある250ヤードの屋外練習場が継承され、100周年を迎えることを期待したい。
この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年8月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。
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