横浜駅から徒歩15分の三ッ沢ゴルフセンター 住宅街の「オアシス」目指して奮闘中~シリーズゴルフ練習場ビジネス~

横浜駅から徒歩15分の三ッ沢ゴルフセンター 住宅街の「オアシス」目指して奮闘中~シリーズゴルフ練習場ビジネス~
横浜駅から徒歩15分の三ッ沢公園の近隣に、三ッ沢ゴルフセンターがある。周りは緑に囲まれた閑静な住宅街。車で取材に訪れたが、このような住宅街の中に広い練習場があることが、驚きであった。住所は横浜市西区北軽井沢である。 1階12打席、2階10打席、70ヤードの練習場。その成り立ちやコンセプトについて、株式会社三ッ沢ゴルフセンターの酒匂光秋社長とチーフインストラクターの永島新太郎氏に取材した。 三ッ沢ゴルフセンターは1974年の開業である。酒匂社長の父・辰蔵氏が創業した。辰蔵氏は羽田で株式会社酒匂製作所を経営していた。同社は1946年の創業で、エレベーター用ガイドレールおよび各種部品の製造加工を中心に、現在も高精度・高効率に向けた技術革新と多様化に対応中。酒匂社長の長兄が会長を務め、その子息で甥が社長として経営を続けている。 [caption id="attachment_80508" align="aligncenter" width="1000"] 三ッ沢ゴルフセンター 正面[/caption] 辰蔵氏はゴルフが大好きで、横浜にある戸塚カントリー倶楽部の設立からのメンバーだった。1970年頃、羽田地区で貸していた工場が閉鎖になり、その跡地利用で、大好きなゴルフの練習場を始めたいと思ったが、練習場にするには少し手狭で、ゴルフ仲間の不動産企業から1000坪の土地を紹介された。 「それが現在の練習場の敷地です」 と前置きして酒匂社長が続ける。 「当時は、今も隣接するマンションだけがある空き地でしたから『こんな土地を買って失敗するのではないか』と周囲が止めたそうですが、父は『横浜駅から歩けて便利』と決断しました。横浜駅から徒歩15分なので、建売住宅を建てればすぐに売れてしまうでしょうね(笑)」 練習場は開業の2年前から準備、造成を始めたそうだが、酒匂社長は当時大学生であまり関わらなかった。開業してからは辰蔵氏の三男である酒匂社長が経営・運営をほぼ任されて現在に至っている。 開業時の社長は父親だったが、本業の酒匂製作所の仕事が中心で、週に1回、日曜日などゴルフ帰りに顔を出す程度であった。酒匂社長はほぼ50年、練習場経営に携わっている。スタート時は酒匂製作所が運営する形態だったが、1998年に株式会社三ッ沢ゴルフセンターとして独立。練習場の名称は、土地の名前を取った「北軽井沢ゴルフガーデン」と「三ッ沢ゴルフセンター」の2案があったが、近隣に三ッ沢公園があるので、場所がわかりやすいだろうと後者に決めた。 「開業当時、この北軽井沢には電話線が通っていなかったんですよ。そこで私が電電公社に行って頼みましたが、若かったせいか、『電話線は引けません』と相手にされなかった。父親のツテを頼って何とか電話線が引かれ、北軽井沢の番号が出来たのです」 [caption id="attachment_80512" align="aligncenter" width="1000"] 三ッ沢ゴルフセンター 打席[/caption] 北軽井沢の地名は、長野県の軽井沢を連想させる。 「タクシーに乗って北軽井沢というと、軽井沢ですかッ?と驚かれることもあります(笑)」 横浜市による町名由来を調べてみると、こうある。 《昭和7年の町界町名地番整理事業の施行にともない、青木町の字西軽井沢と南三ツ沢の一部から新設した町。昭和19年4月1日の西区新設にともない、中区から編入。同時期に新設した南軽井沢を考慮し、町名は字名の「西」を「北」に改めて町名とした。軽井沢の由来は、最近の地名研究では水の枯れたサワの「カレイ沢」説が有力という》 長野の軽井沢とは無縁のようだ。

固定資産税の負担大

現在の70ヤードのフィールドは開業当時のままで、ネット用の鉄塔も創業時のままである。酒匂社長は、「最近、強度について調査を実施して問題なかった」 とのことで、当面は建替え等の予定はない。打席数は創業当時、28打席あったが、1988年にクラブの長尺化に伴い打席幅を広げ、2Fの2打席を潰してハウスを広げ、現在の22打席に改装している。 「1974年開業直後にオイルショックがあり、オープン直後は運営が厳しかったが、父親のゴルフ仲間がゴルフの帰りに立ち寄ってくれたりして軌道に乗りました」 とはいえ、苦境もあった。 [caption id="attachment_80513" align="aligncenter" width="1000"] 三ッ沢ゴルフセンター フィールド[/caption] 「1990年、近隣に大手企業が三ッ沢パークサイドという80打席150ヤードの練習場を開業、その影響で経営危機になりましたが、常連客が来場されたり、ゴルフバブルでその練習場が満員になって、弊社に流れて乗り越えられました」 その競合練習場は閉場してマンションになり、現在は近隣に競合施設がなくなっている。酒匂社長は自社の強みを、 「横浜駅から歩ける練習場で、アウトドアで解放感があり四季折々の風が感じられ、日々の都会の喧騒からのリフレッシュや、自然の中でスポーツをする醍醐味の片鱗を感じられる。また、天然芝で、本物の弾みや感覚を大事にする上級者は元より、初心者にも好評です。地域に密着したオアシス的な練習場を目指し、快適な練習環境をはじめ、ゴルフ用品やゴルフスクール、会員権売買のお手伝いなど、ゴルフライフをサポートしています」 地域貢献として、中学生の職場体験も受け入れており、交通系電子マネーで支払い出来るシステムも導入している。スクールについて永島チーフインストラクターは、 「初心者を含めてゴルフを楽しんでもらえるよう、個人レッスンとグループレッスンがあります。将来の継承・種まきの思いもあり、ジュニアスクールにも力を入れています」 好立地だけに固定資産税の負担が大きく、気候変動を含めて未曽有の災害への備えも必要など、練習場の経営環境は楽ではない。しかし酒匂社長の親族はゴルフ好きで、事業を続ける意思が強い。横浜駅近でアクセスが良く、車を利用しない世代が増える中で、地元のオアシスとしての継続を期待したい。
この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年1月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら