今回のゲストは株式会社シーラの湯藤善行社長である。不動産デベロッパーとして少数精鋭でニッチトップを目指す同社は、スルガ銀行問題など逆風が吹く市場環境においても堅実に成長を続けている。その経営哲学はゴルフとも密接な関係があるのだろうか。ゴルフをこよなく愛する湯藤社長に話を伺った。
この記事は弊誌月刊ゴルフ用品界(GEW)2019年3月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。
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経営とゴルフと煩悩
湯藤 本日はゴルフ関係の取材ということで楽しく話せそうです。実は昨日もメディアの取材がありまして、聞かれてもいないのにゴルフの話になっていました。
鹿島 なぜゴルフの話になったのですか?
湯藤 会社経営をしていく上で、煩悩を消し去ることが大切という話がきっかけでした(笑)。何故ゴルフが上手くならないのか? それでも何故、ゴルフは面白いのか? これらを突き詰めていくと「煩悩」というキーワードに行き着くんですよ。
ゴルフという競技は練習場ですら毎回同じ球が打てない。たったの数秒前に、同じ環境で打ったばかりなのに、同じ打球を再現出来ない。よくよく考えると、とても深い。同じように打ったつもりなのに全然違う打球になってしまう。するとゴルフの上達は、体を動かす脳の働きに大きく影響されるのではないかという結論に辿り着き、脳をコントロールする「煩悩」を消し去る必要がある。という話になりました(苦笑)
鹿島 いきなり深いですね。
湯藤 ええ。ゴルフをやるのなら経営にも紐づかせていきたいですし、実際紐づいてます。妄信状態で「飛ばしてやろう」とか「いいショットを打ってやろう」と思えば思うほど、悪いショットになりますよね。妄信状態になるとミスを犯しやすくなるのは経営にも通ずるところがあります。
私たちは過去に経営で失敗しているので、妄信せずに慎重に経営していくことの大切さを学び、煩悩を消し去ることの大切さを強く感じています。
鹿島 煩悩へと辿り着いたゴルフを始めたきっかけを教えてください。
湯藤 もうすぐ13歳になろうとしていた1989年の春。ちょうど小渕総理が「平成」と掲げた時期に、父の仕事の関係でアメリカに移住したのです。移住先はオハイオ州にあるアクロン市で、そこは日本人が1人もいない田舎町でした。敷地がたくさんある田舎町なので、周りにゴルフ場が沢山あったのです。
公園で野球をする感覚でゴルフを始めた
鹿島 田舎町でしたらプレイフィーもリーズナブル?
湯藤 もちろん!家の近所にゴルフ場があり、弟と2人でよく遊びに行ったゴルフ場は、ミドルホールが9ホールしかないゴルフ場でしたが、10ドルで回れました。
鹿島 なるほど!近所の公園に野球しに行こうみたいなノリでゴルフに?
湯藤 そんなイメージです。付け加えて言いますと、父がゴルフ好きで、初めは父に連れられて回っていました。父の勤め先がファイアストン社を買収したので、ファイアストンCCで行われるPGAツアーはよく観戦に行っていましたね。
鹿島 するとゴルフはお父さんから習ったのですか?
湯藤 はい。父に習ってしまったのが、ゴルフ上達の遠回りの原因の1つですね。父のゴルフ理論は間違っていましたから。これは父には内緒ですが(苦笑)
鹿島 遠回りしつつも、帰国して凄腕ゴルファーとなった道のりを教えてください。
湯藤 日本に帰ってきてからは野球に没頭していたので、ゴルフはやってないんです。大学に入学してからもゴルフが出来るほどの財力はなかったので、ほとんどやっておりません。社会人になってからようやく復活しました。
初めて入社したのが日神不動産という会社で、そこの会長がゴルフ愛好家で、私も会社のゴルフコンペに参加させて頂きました。
その次に入社したエスグラントコーポレーションの時は、忙しすぎてゴルフをやる暇がありませんでした。その後、紆余曲折あり、今の会社が軌道にのってきた頃に本格的にゴルフを再開したという経緯です。
社長業をする上でゴルフは有益
鹿島 なにか理由があってゴルフを再開したのですか?
湯藤 特にこれと言ってないのですが、強いて言うなら社長業をする上でゴルフはやっておいた方がいいと思ったからですかね。それから、周りでゴルフを始める知人が増えてきたという理由もあったと思います。
鹿島 社長業をやっていく上で、どんな所が有益だと考えますか?
湯藤 ゴルフは人間性が出るので、お互いのことを知ってもらうには非常に有益ですね。
我々に出資や投資をして頂いた方々の中にもゴルフ愛好家の方が何人もいまして、ラウンドを重ねる事で、お付き合いを深めることが出来たと思います。
お付き合いを抜きにしても、ゴルフは緑溢れる中で朝早くから体を動かすので、休みの日が充実しますし、リフレッシュ出来るのがいいですね。また、少しずつ上達していくことに対する喜びもあります。
人生が終わるまでに回りたいゴルフ場リスト
鹿島 上達はどのレベルを目指していますか?
湯藤 今は、まずはアンダーパーの世界にいきたいという想いが強いです。あと一歩の様に感じていながらも中々そこまで行けません。だから面白いのでしょうけど。田村プロのようなシニアになれたら最高ですね。
鹿島 それは本気ですね。
湯藤 はい。そのために元気な内にバリバリ働いて、近い将来会社を誰かに任せ、私はゴルフバッグを担いで世界中を旅しながらゴルフ場を訪れるようになれたら最高です。
鹿島 最高の余生ですね。
湯藤 人生が終わるまでに対峙したいゴルフ場をリストアップしてあります。世界中のモンスターコースを一つ一つねじ伏せながら、完全制覇したいです。
鹿島 壮大な計画ですね。さて、最後の質問です。ゴルフ以外に趣味はありますか?
湯藤 ありません。ゴルフ以外に趣味を持つ事は、ゴルフに対して失礼だと思っています。
■私のNEWギア速報
今回ご登場いただいた湯藤さんが最近購入したギアはキャロウェイの「ROGUE SUB ZERO ドライバー」と、テーラーメイドの「GAPR LO」の2本。
「アイアンはスイング変化の指標にしているので、ここ3年間はいっさい変えていません。ドライバーはシャフトを交換する際にヘッドも変えました。最新モデルで少しでも真っ直ぐ遠くに飛ばしたい」と湯藤さん。
もう1つのニューギアは、あの名選手に影響を受けて購入したのだとか。
「GAPRはタイガー・ウッズが使っていたから購入しました。まだ使いこなせてなくて出番はほとんどありませんけど」と、湯藤さんは購買動機を率直に語った。
■プロフィール
鹿島 永悟(EIGO KASHIMA)
WEBディレクションジャパン代表取締役。東証一部上場企業から弁護士法人に宗教法人まで幅広いクライアントを持つインターネット集客の専門家。2017年10月より、クラウド顧問コンサルティングにてインターネット戦略の顧問として参画。ゴルフは2017年2月19日にデビュー。ベストスコア101と目下奮闘中。日本ゴルフジャーナリスト協会会員。
湯藤 善行 (YOSHIYUKI YUTO)
1976年生まれ。株式会社シーラ代表取締役。国立宇都宮大学工学部建築学科卒業後、日神不動産に入社。その後、エスグランドコーポレーションに入社後、2006年に開発事業部及び建築事業部の担当役員に就任。100棟以上のマンション開発を手掛け、2009年同社役員を退任。2010年、オリックスグループの孫会社をM&Aにて取得し、代表取締役に就任。社名を「株式会社シーラ」へ変更し、投資用マンションの開発分譲業を始める。創業から8年半で33棟のマンション開発を手掛け、マンションの企画・開発から賃貸管理まで、トータルでサポートを行なっている。ゴルフは30年前から始め、本気で向き合い出して10年。世界中の難コースをねじ伏せる事が目標。ベストスコア74。