本稿はゴルフ場関連の「事件」に詳しい西村國彦弁護士が、主にバブル時代、ゴルフ場を舞台に展開された経済事件を総括する「渾身の記」。計8回の連載の3回目だ。
バブル破綻後、日本のゴルフ市場は低迷から容易に抜け出せないが、往時を振り返ることで現在のゴルフ界の成り立ちを知り、活性化のヒントを浮き彫りにしたい。なお、記事は弁護士歴42年のN(西村弁護士)と、N事務所で修習中のA司法修習生によるQ&A形式とした。
紙屑となったゴルフ場会員権は膨大な金額にのぼる。それはどこに消えたのか?
前回は金融機関の貸出稟議書が公開されないこと、さらに最高裁判所も原則として、貸出稟議書の公開を認めないことを指摘。そのことが、ゴルフ場の「本当の価値」をうやむやにした一因でもあると説明した。本稿はその続編である。
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バブル時代のゴルフ場の価値
A:素朴な疑問ですけれど、裁判所の証拠開示を待たずに、バブル期のゴルフ場価値を算出できたのですか?
N:確かに収益還元法(DCF法)や原価法・取引事例比較法とか言われると、わかりにくいよね。
A:ええ。裁判所修習でも分厚い立派な日本不動産研究所の鑑定書が出てくると、裁判官もかなり信用しているみたいでした。
N:日本人が、自分で考えるより権威に従う傾向は、裁判所でもよく見られるけど、今の例も同様だね。ただ、私はこの間、バブルとバブル崩壊の大きな落差を間近で見てきた者として、不動産鑑定のいい加減さは指摘しておきたい。
A:大丈夫ですか、そんなこと言って。
N:大丈夫だよ(苦笑)。真実の前では誰もそれに反論できず、沈黙を守るばかりだから。金融機関は口を閉ざし、バブル期のことは「先輩たちが勝手にやった」とノーコメントを貫く。その姿勢には疑問を覚えます。
A:先生は以前、太平洋クラブが破綻したときに集会で、更生管財人に向かって「管財人がまずやることは、メインバンクに行って、会員に対する詫び状をもらってくることではないか」と迫ったそうですね。
N:管財人の返事は「非常に重たい発言です」と、そう返すのがやっとだった。結局、金融機関に対しては何もしなかったと思うけれど。
A:当時のメインバンクは、売値を大幅に上回る担保権付き債権を持っていたわけだから、バブル期にはそのようなゴルフ場鑑定書が稟議書に継続的に添付されていたはずですね。
N:収益還元法(特にDCF法)で評価したら10億円の価値がつかず、中には1億円以下のものもあった。それでもゴルフ場は数百億円の評価を受けていた、そんな時代だったのだよ。
A:銀行にいた父に聞くと、相場で1億円を超えていたゴルフ場会員権が、今は百分の1以下のものもあるみたいです。
N:要するゴルフ場会員権は、物的な担保のない「単なる紙切れ」に過ぎなかったわけだ。百分の1に下落したのは、紙きれであったことから生ずる当然の帰結かもしれないね。
会員権相場はピークの20分の1
A:日本では、ゴルフ場の開発規制は全くなかったのですか?
N:平成5年(1993年)に「適正化法」を施行する形で募集規制が開始されただけなのだ。ゴルフ場事業そのものに規制はないので、数が増え、質はいまいちのゴルフ場ばかりになった。そのツケが回ってきたのが現状なのだ。
A:バブル時代、いくらでゴルフ場がつくられていたのでしょう?
N:1960年に5億円程度だったゴルフ場建設費が、バブルピークの1990年には200億円を超えていたという報告もある。
A:それは凄いですね。父からも「1ホール10億円」という話を聞いたことがあります。先生は、数百億円の「ゴルフ場鑑定書」を実際に見たことがありますか。
N:もちろんだよ。旧東相模GCという山梨のゴルフ場は、旧埼玉銀行と蛇の目の巨大な担保がついていたのだが、バブル破綻後の鑑定書でも200億円以上の評価がなされていた。また、裁判例で明らかになったゴルフ場評価では、やはり旧埼玉系の濱野GCについて、平成4年(1992年)に321億4600万円という鑑定書が存在した。
A:会員権の相場から見ると、どうでしょうか。
N:濱野GCのピークは7000万円で、今は300万円程度。小金井CCがピーク5億円で今や4500万円程度。旧外資系や、まだ預託金問題を解決できてないゴルフ場の評価は百分の1以下で、中には「ゼロ評価」もしくは閉鎖のゴルフ場も少なくない。
関東地区の会員権業者組合のデータ(約150銘柄平均)によると、関東ゴルフ場会員権相場はピークの1990年2月に4388・3万円をつけたあと下げ続け、大底と見られた2012年には187・4万円を記録している。
つまり、ピーク時の20分の1を切っていたわけだ。
その後、多少回復傾向にあったものの、株安の影響を受けたのか、最近の情報(2018年12月6日)では186万円になっている。なんと、ピーク時の4%まで落ち込んでしまったのだ。
A:ゴルフ会員権の弱さ・回復力の弱さがはっきりしますね。
日本版チューリップバブル
A:ところで、バブルピークのゴルフ場数は1818コース(1990年)だったと思いますが、ホール数のデータはあるのでしょうか?
N:実はそれを見つけたのだよ。1コースあたりのホール数は当時20・3だったようだね。
A:すると、1990年当時の日本のゴルフ場ホール数は、3万6905ホールになります。もし1ホール10億円という評価なら、瞬間最大風速ですが、なんと36兆円の時価総額という計算も不可能ではないですね。
N:まさに日本版チューリップバブルだよね。金融機関は、虫食い土地だろうが、穴ボコだろうが、不動産であれば、何でも貸しまくる時代だった。ゴルフ場で言えば、宮崎のフェニックス、静岡の川奈、千葉の真名などに1000億円を超える資金が投入されていたのだ。
A:小金井CCの会員権のピーク相場5億円も説明できますか?
N:もちろん。住宅地の中にある20万坪をすべて宅地に出来るなら、小金井周辺でも坪単価最低1000万円で売れる時代だった。だから総額2000億円。それを会員株主数の400人で割ると、会員一人当たり5億円という計算になるわけだ。
A:日本中に資金がばら撒かれた不思議な時代ですね。
N:ということは、それをバックアップした不動産鑑定書もたくさん作成され、貸出稟議書に添付されていた。これが公開されないことに忸怩たる思いを禁じ得ない。
「西村コラム」ジャズと魔法のパター
2012年、ライン・ギブソン選手がパー71のコースを55(16アンダー)で回り世界最少ストロークをマークした。この時の使用パターは、山田パターの「エンペラー」。手造りの削り出しだ。
その情報は世界中に広まり、2013年の日米首脳会談のとき、安倍首相がゴルフ好きのオバマ前大統領に送ったのも山田パターだった。
その製作者である山田さんとゴルフをする機会があり、「売れすぎて体調を崩した」と話されていた。山田さんはジャズ留学のため米国滞在中、LAで、TP.MILLS(初代)のパターを見て「何の躊躇いもないまま」削り出しパター造りを始めたらしい。「陶器のように滑らかで真黒の美しいパター」だったという。
私もゴルフ初心者時代、TPMのパターはいいと先輩に言われ、信じて20年以上使い続けた。やっぱり商品には「美しさ」が必要なのだ。女性、いや、人間も同じかな。
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