横浜市郊外の練習場「第百ゴルフクラブ」でパート従業員だった頃の話―。
朝9時、混み始めた打席から「救急車!人が倒れた!」との声が響いた。私は思わずAEDとケータイを持って打席へ走る。
意識がないお客様の顔色は青く、倒れていた。社員不在。パートだった私は、怖くて固まる数人のスタッフへ救急車の要請、駐車場ゲートの開閉、救急車誘導、打席入場の一時中止、貴重品の確保、周囲のお客様への対応等、一気に指示を出していた。
電話で救急隊員に現状報告、指示を受けながら救急処置を始めるが、周囲の喧騒でAEDからのアナウンスが聞き取れない。
焦る。「静かにしてください!」シンとなった。「どなたか心臓マッサージお願いします!」とお客様に指示。AED処置と心臓マッサージを繰り返し、到着した救急隊と交代した。
それから2か月後、私は正社員に登用され、さらにその8か月後、社長から「支配人職に任命する」との辞令を受けた。
唐突とも思えるこの人事について、社長に真意を確認したことはない。察するに、救急処置の一件が伏線になったのかもしれない。
それ以前、私はいくつかの会社で働いてきた。財閥系素材産業メーカーの秘書室では、言葉遣いと立居振る舞いを学び、役員の接待ゴルフのお土産選びでは贈り先の家族構成も念頭に置いた。
その経験は、練習場で開催する「食いしん坊コンペ」の賞品選びに役立っている。
アパレルメーカーにも勤務した。ここでは営業数字を追いながら、期末にはわずか1枚の在庫商品でも小売に卸す営業トークを学ぶ。
在職中の5年間、月に一度担当する朝礼の進行役を務め、3分間スピーチのコツを学ぶ。
テーマは自由。窓外の景色を「枕」にしたり、日々の会話で思ったことや本の読後感など常にアンテナを張って素材を探した。
ベンチャー企業では仕事のスピードを学び、成果報酬の喜びを知った。同社の社長はトトロみたいに大きくて包容力がありながらも、その目は厳しくスキがない。私は、彼の文章が大好きだった。
挨拶状も型通りではなく味がある。ユーモアも持ち合わせて、他の会社社長とはどこか違った。
その後、子供2人を出産し、専業主婦になった。ママ友の洗礼をたっぷり浴び、それまで未経験だった人間関係を楽しんだり苦しんだり。忍耐も学ぶ。
親同士の付き合いは子供を介するため、面倒な揉め事も度々あった。むろん、我が子もままならない。母である私の「愛情」と「心配」が束縛となり、大学生と高校生の子供に疎まれている。
社会復帰してユニクロへパートで入り、柳井会長に質問する機会に恵まれた。「ヒートテックが真似されてますが、大丈夫ですか?」との質問に、会長は「良い物だから真似されるんです。ならば、時代の変化をキャッチして、さらに良い物を生み出せばいい」―。
忘れられない一言になった。今、練習場の支配人。私は「学び」の途上にいる。
この記事は弊誌月刊ゴルフ用品界(GEW)2019年5月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。
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