詩人でゴルフ史家、アンドルウ・ラングの「ゴルフがスコットランドで生まれたのは、そこにリンクスランドがあったからだ」との名言は、摂津茂和氏(1899~1988年)の著書「偉大なるゴルフ」(ベースボール・マガジン社)に記述される。
同書ではラング名言の数々を紹介しており、スコットランド人は海ぎわの砂丘のリンクスを「神が造ったコース」、あとから内陸にできたコースを「人間が造ったコース」と呼び、一段次元が低いとみなすとも書いている。
スコットランド人の「リンクス信仰」の強さは、全英オープンの創始以来、すべて昔ながらのリンクスで開催されることにも表れている。
神が造ったリンクスは無尽蔵ではない。1848年にガッタパーチャ・ボールが発明されてゴルファーが増加、リンクスが不足して内陸にコースを造り始めた。19世紀末、リンクスの模倣ではなく、ゴルフコースの設計理論を携えてハリー・コルトやアリスター・マッケンジー、チャールズ・アリスンら設計家が現れた。
私はアマチュア競技の競技委員を務める機会が多く、ルールの解釈とコース側の要望との狭間で悩むことがある。
例えば、グリーンキーパーはサブグリーンのカラーをプレー禁止にしてほしい、と切望する。ルール上、サブグリーンは「目的外グリーン」だが、グリーンではないカラーを保護する場合はローカル規則が必要になる。
つまり、競技会によって「カラーの処置」が異なるから、なぜ、ルールを統一できないのかという気持ちが募る一方、コース側の「年1回の競技会の為にカラーを傷つけられたらたまらない」という気持ちもわかる。妥協点は容易に見つからない。
過日、韓国のナインブリッジ(済州島)やボナリ高原(福島県)を設計したDavid M. Dale氏(GOLF plan)が来日。Regional Directorsの東裕二氏も同席して、彼らが造ったゴルフコースの映像を観賞する機会に恵まれた。そこで先述の疑問、「カラー」について東氏に尋ねてみた。
「我々がゴルフコースを造るときの基本的な構造はグリーンとフェアウェイ、そしてラフです。カラーはグリーンの一部であり、グリーンよりも刈り高のある部分。つまりカラーだけを造る概念はなく、あくまでグリーンと同じ構造の中にカラーも含まれている」
ルール上、グリーンとカラーは分けて考えるのが前提なため、カラーはグリーンの一部との説明に私はやや驚いたが、造る側の論理としては納得もできる。さらに「コースは誰のために造るのか?」との質問を重ねると、2人は「オーナーのため」と即答した。
むろん、その意味はオーナーの意図を汲みながらゴルファーの為に造る、ということであろうが、立場による見識の違いを実感した瞬間だった。
競技委員としてルールに向き合う機会が多くなるほど、ルールを中心に判断してしまう自分がいる。Davidが造ったゴルフコースの映像は、カナダの雄大な景色に溶け込んでいたり、アリゾナの砂漠で美しく輝いていた。狭い日本のコースで、2グリーンのカラーから打つとか打たないとか・・・。
そんなことは取るに足らないことに思え、最後にはどうでもよくなった。
この記事は弊誌月刊ゴルフ用品界(GEW)2019年8月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。
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