新型コロナウイルスの波紋と「正しい怖れ方」を考える

新型コロナウイルスの波紋と「正しい怖れ方」を考える
2月27日(木)、「安倍首相の学校臨時休校」が決定打となりました。前日の26日(水)、私が議長を務める中京大学のスポーツ将来構想会議においても、合宿への対応が話題となりました。その場での結論は、常識的な対応で合宿は行っていく、であったと思います。 濃厚接触といっても、スポーツ競技種目によって大きく違い、一律に制限はできないとの判断です。 私が会長を務めるJBC(全日本ボウリング協会)は3月19日から全日本選手権大会が愛知県の稲沢市で開催されます。2月20日ごろに出した指示は、無観客試合とする、でした。しかし、この判断も、今では中止と変更いたしました。 スポーツ界では、プロ野球オープン戦は無観客試合、サッカーJリーグは延期、芸能界では各種イベントは中止のようです。今回のコロナウイルスは飛沫感染で広がっていくようです。多くの人間が集まれば、それだけ感染の可能性は高まるのは道理でしょう。

行動様式の内向化が問題

感染症には、人類は長い間苦しめられてきました。14世紀の黒死病(ペスト)ではヨーロッパの半分の人間が死んだそうです。人類は太古の昔から感染症と戦ってきましたが、今世紀にはSARSが記憶に新しい感染症です。今回の新型コロナウイルスはそれ以上の脅威となっています。 こうした未知のウイルスについては、アメリカのSF映画の一つのジャンルとなっています。映画では、一人の英雄の出現で解決され大団円となります。 基本的な解決策は、患者の隔離とウイルスに対する薬の開発です。いずれ、今回のウイルス騒動も終焉すると思いますが、しばらく不自由な生活を余儀なくされるのは仕方のないことでしょう。 問題となるのは人間の行動様式が内向的になることです。世間体を考え、じっとしていることが良い、という流れです。最たる例は、2011年3月11日の東北大震災です。この時は日本中がお通夜のようになりました。今回は新型ウイルスですから大震災とは少し異なりますが、その時の経験が生かされているようにはみえません。 経済の落ち込みはもちろんですが、それ以上に日本人の心の活性度が低下しているのが歯がゆいのです。新型ウイルスについての知見、調査が不足しているからです。しかし、ある程度は分かってきました。新型ウイルスについては、正しく怖れる、ことでしょう。 啓蟄は いつになるのか コロナ君