連載SDGs 第3回SDGsとGNH

連載SDGs 第3回SDGsとGNH

ブータンの幸福度

ブータン王国、という国をご存じでしょうか。ネパールの東にあって、中国とインドのアッサム地方に挟まれ九州とほぼ同じ面積、人口約70万人の小さな国です。北部には7000m以上の山があり、南部は海抜300mという地勢により、ユキヒョウからゾウまで多種多様な生物が生息しています。 この小さな国が一躍有名になったのは、GNH(国民総幸福量)という考えを世界に発表し、大きな反響を巻き起こしたことがあったからでしょう。 GNHは英語のGross National Happinessの訳語です。もちろんGNP(国民総生産)やGDP(国内総生産)に対応しています。国民の幸福感を指数化しようというのです。 1976年12月、ブータンのワンチュク国王(当時)がGNHを初めて提言しました。その時はあまり注目されませんでしたが、時代が移り、持続可能な発展が世界の共通認識となるにつれ国際社会に受け入れられるようになりました。 私は当初、GNHには半信半疑でした。理屈としてはわかるけど実際の社会や国家は経済発展を表看板にしなければやっていけないだろう。そう考えていました。

未踏の山々

そんな折、2012年10月、仕事でブータンを訪れることになったのです。中学のころから大学まで山岳部に属し、アンデスやヒマラヤにも足を延ばした経験から、ブータンには7000m級の未踏峰があり、世界中の登山家が憧れていることも知っていました。何とかコネを作って将来の登山にこぎつけたい、という気もありました。 環境教育に関する政府援助の一環としてのNGOのプロジェクトだったのですが、カウンターパートナーが王族の方だったので、登山許可への可能性があるのではないかと勝手に思っていたのです。 ですので、首都ティンプーに到着するとすぐにタクシーを飛ばして山を見に行きました。半日近く走ってある峠に達し、銀色に輝くヒマラヤの連山を望見した時には、50年前の若き日の気持ちが蘇ったような気がしたものです。

ブータンのゴルフ場

実はブータンでは仕事と山以外にもう一つの目的がありました。ゴルフです。ティンプーにはゴルフ場が二つあり、その一つのロイヤル・ティンプー・ゴルフクラブでプレーをする計画でした。 連れはありませんので一人でクラブに行き、用具を借り、少年のキャディを連れてコースにでました。 コースを見渡すとラフがものすごく深い。1メートル以上の草が生えている。買ってきたボール1ダースで足りるのか心配でしたが、ともあれ第一打。うまくフェアウエイに留まり、第二打です。そこでミスをしてラフへ。やはりボールは見つかりません。 次のホールでもボールを二個失い次も二個、という具合にどんどんなくなっていく。途中でキャディの少年にボール探しを頼んで、落ちているボールは何でも拾ってきてくれ、と言う始末でした。 9ホールのうち7ホールまで来た時に少年が「僕にも打たせてくれないか」と言ってきました。「なんで?」と思ったのですが、面白そうなので「やってみろよ」とドライバーを渡すと、無造作に振り切った。と、ボールはぐんぐん飛んでいき、200ヤードは軽く超えて、フェアウエイにピタリと止まるではないですか。 それから3ホールは二人で交互に打ちましたが、少年の方が圧倒的にうまかったのです。

故郷が一番

プレーが終わって、少年と一緒に昼ご飯を食べながら、色々質問してみました。少年は田舎からティンプーの高校に勉強に来ていて、高校が終わったら村に帰ると言うのです。 なぜかと聞くと「ふるさとが世界で一番良いところだから」「お父さんもお母さんも誰もがそう言うし、自分もそう思う」ときっぱり。逆に、なんでそんな質問をするのか、という顔つきでした。 自分のふるさとが世界で一番良いところだと断言する少年の顔がまぶしかった。日本でそう断言する若者がどれだけいるのだろう。みんな東京に出て行きたがる。何が違うのか。少し考え込んでしまいました。 次の日、気になっていたGNHについてお役人に尋ねました。彼の説明によると、GNHは経済成長中心の姿勢を見直し、伝統的な社会・文化や民意、環境にも配慮した「国民の幸福」の実現を目指す考え方であり、環境保護や文化の推進など4つの柱の下に9分野33の指標があります。GNHの追求は憲法にも明記されています。そして彼はこう付け加えました。 「GNHはブータンの開発における最終的な目標です。物質主義と精神主義のバランスをとるのが大事なのです。経済発展は環境保全や文化と調和が取れて初めて意味があります」 ブータンは仏教国です。GNHという考え方も、一切衆生の平等性を認める仏教の考えが影響しているのではないでしょうか。

新たな価値観への挑戦

経済的豊かさを表わす一人当たりの名目GDPは世界123位(2020年IMF)ですが、2007年に初めて行われた国政調査では「あなたは今幸せか」という問いに対し9割が「幸福」と回答しています。 国勢調査の質問項目はとても細かく「お父さんは一日何時間遊んでくれるか」「お祈りや瞑想をするか」「植林をするか」など500にも及ぶ具体的な質問項目があるので、かなり国民の生活ぶりや気持ちが反映されていると思われます。 ブータンでは今、都市への若者流入や雇用不足などの問題が発生し始めているようで、GNHについて疑問視する声も上がっています。 しかし私は、地球環境問題の主因である経済成長至上主義にブレーキをかける意味でもGNHという考え方に賛成です。GNHを基盤に置き、その上にSDGsを構築していくのが筋ではないか、と思うのです。

GNHが鳴らす「警鐘」

SDGsには17の目標と169の具体的指標目標があります。GNHには4つの柱と33の指標があります。SDGsとGNHはかなり重なり合っていますが、GNHの特長は文化的要素と精神的要素が強調されていることです。別な言い方をすれば、SDGsの方がより現実的、物質的な課題が多い、と言えるでしょう。 その背後には、仏教的な考えと一神教的な考えの差があるのかもしれません。東洋と西洋の差ともいえるのでしょうか。いずれにしても、ブータン政府によるGNHの提示は、物質的な豊かさを限りなく追及してきた現代の私たちの生き方に警鐘を鳴らしていることは間違いないようです。
この記事は弊誌ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2021年7月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら