千年の歴史の上に立つ練習場 兵庫・多田ハイグリーンの使命と宿命 ~シリーズゴルフ練習場ビジネス47~

千年の歴史の上に立つ練習場 兵庫・多田ハイグリーンの使命と宿命 ~シリーズゴルフ練習場ビジネス47~
兵庫県川西市にある多田ハイグリーンは、野原興産株式会社が運営するゴルフ練習場だ。甲子園球場の3倍の敷地に、スポーツ事業としてゴルフ練習場、フィットネスクラブ、バッティングドーム、テニス、フットサル。またカルチャー事業としてスーパー銭湯、レストラン、BBQに陶芸教室。パートナー事業としては鍼灸接骨院、ゴルフショップ、野球ショップ、学研教室など、14施設を幅広く展開している。 ゴルフ練習場は3階建て121打席300ヤードの吹き抜けで、全面総天然芝で開放感があり、そのままコースの雰囲気を漂わせている。テニスコートの横に三ツ矢サイダーの自販機があり、当地が三ツ矢サイダーの発祥地であることが書かれていたのも興味深い。この練習場の成り立ちやコンセプトについて、同社代表取締役・野原和憲氏に取材した。 野原家はこの地域で平安時代から続く家柄だとか。1000年の歴史をもつ由緒ある家系で、この地で地主をしていたという。ゴルフとの関わりは、野原氏の高祖父・野原種次郎氏に始まる。祖業は金貸しで、1899年に北攝銀行を立ち上げた。その系譜は現在も池田泉州銀行という地銀として生き続ける。 [caption id="attachment_88071" align="aligncenter" width="788"] 野原種次郎氏[/caption] 種次郎氏は銀行業の傍ら、県会議員も務めていた。のちに東谷村の村長、衆議院議員にもなり、地域の奉仕活動に力を注ぎ、1906年に三ツ矢サイダーの源流となる平野水商会を開業している。 「この地区の平野鉱泉は天然の炭酸水がでるところで、それを使って三ツ矢サイダーが生まれました。その工場を作るにあたり物流インフラの整備が必要だったことと、関西で有名な能勢妙見宮への参詣者向けに1908年、能勢電気軌道株式会社を創立し、川西能勢口〜一の鳥居間から営業を始めています」 [caption id="attachment_88072" align="aligncenter" width="788"] 三ツ矢サイダー[/caption] それが現在の能勢電鉄株式会社。このほか、水力電気事業など社会のインフラ整備に尽力し、その事業展開の一つが1920年に開場した鳴尾ゴルフ倶楽部だった。 「1903年に日本最古の神戸ゴルフ倶楽部が開場しましたが、六甲山頂にあるため冬はクローズになります。年間通じてプレーできる場所として、六甲山の下方にある鳴尾浜に1920年に創立したのが鳴尾GCです。ただ、世界恐慌の影響で鳴尾GCは所有者だった鈴木商店が倒産。鳴尾GCは存続させたいとの声を受け、種次郎が手を挙げ神戸からこの地に持ってきました」 移転後も「鳴尾」の名称はそのまま引き継いだ。90年以上前のことだから、「ゴルフ」を知る者は極めて少数。種次郎氏は自分の土地だけでなく、他の地主を説得して、この地にゴルフ場を開く。さらにキャディなどの雇用を増やし、地域の産業として根付かせてゴルフ文化も醸成させた。ただ、野原氏は、 「種次郎がゴルフに親しんだかどうかはわかりません。記録や道具が残っていないのです。これからそのことを調べたいですね」 [surfing_other_article id=86722][/surfing_other_article]

練習場が「核」

種次郎氏の後は2代続けて林業を中心に事業をしていたが、 「種次郎が社会貢献やゴルフ場をこの地に開場した背景があるため、使命感と宿命感から50年前、ゴルフの練習場を立ち上げたのです」 ゴルフ練習場を立ち上げたのは、野原氏の父親で現会長の嗣久氏と祖母の嘉子氏である。 [caption id="attachment_88073" align="aligncenter" width="788"] 多田ハイグリーン 打席[/caption] 「ちょうど52年前、土地の有効活用として、繋がりのあった池田泉州銀行から練習場の提案があり、父と祖母が一緒に立ち上げました」 それまで家業だった林業は収益が良かったものの、輸入材が増え事業が厳しくなってきた。そこで1972年に野原興産の創業と多田ハイグリーンを開業。開業当時は1階建て50打席300ヤードであった。「多田ハイグリーン」の名称は、現在は川西市に含まれているが、地域の名前「多田」と「丘の上にあるグリーン」ということで、嗣久氏が命名した。将来的にはスポーツ関連事業を広げる目論見から「練習場」の呼称は使わなかった。 その想い通り、野原興産は事業の広がりを見せている。開業時、この地区で日本生命がベッドタウン開発を始め、新幹線、伊丹空港が近いことから高所得者が多く住む環境となり、練習場経営は順調に運んだという。野原氏が家業を継いだのは2008年からである。 [caption id="attachment_88075" align="aligncenter" width="788"] 野原興産 温浴施設[/caption] 「事業承継は、おぎゃーって生まれた時から宿命だと思っています。ただ、関西学院大学卒業後、家業とは違うことをしたくて関東でNTTドコモのマーケティング部で約10年勤務、結婚を機に継ぎました」 野原氏も温浴施設、ゴルフパートナー、トップトレーサーなど練習場に限らず事業の幅を広げている。多田ハイグリーンの理念について、 「地域住民の日々の生活を豊かにするサービスを提供する、というのがポリシーです。健康増進につながるスポーツ振興と、豊かな暮らしにつながるカルチャー振興。この両軸で地域に貢献したいと考えています。ゴルフから始まってテニスやサッカーなどに広がっていますが、核となるのは練習場です」 [surfing_other_article id=83718][/surfing_other_article] 練習場には年間10万人以上が訪れている。地域活動については、 「学校の部活動の地域移行に向けて、中学生のゴルフ体験や検定会を実施、持続可能な地域クラブへの挑戦を続けています」 また、敷地内に地域の消防署を統合したヘリポート付きの消防センターや、医療福祉法人を誘致する計画もある。これは種次郎氏が鳴尾GCを誘致し、地域の社会課題を解消してきたことに起因している。 多田ハイグリーンを核として多くの施設を有する野原興産は、その成り立ちから含めて地域になくてはならない施設となっている。 「使命感と宿命感で生きている」 という野原氏は、地域とゴルフ練習場の共生を具現化するフロントランナーと言えそうだ。
この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2025年4月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら