練習場とゴルフ場の連携に活路を見出す

練習場とゴルフ場の連携に活路を見出す
私が大学を卒業し、新卒で株式会社リクルートフロムエー(当時)に入社したのが1993年4月。最近メディアでもよく取りあげられている、バブル経済崩壊による「就職氷河期世代」の1年目に当たる。 前年までの大量採用が、一転して有効求人倍率が1倍を切る極端な就職難が始まる最初の年だ。そして1995年、阪神淡路大震災によってさらに関西の景気はどん底となる。その翌年の4月、私は家業である有馬カンツリー倶楽部(兵庫県三田市)に入社した。 将来、経営者として継ぐ可能性が高いという恵まれた環境にあったため、事前にゴルフ業界のことを何一つ学びもせずに飛び込んだ。また、当時社長だった叔父、専務兼支配人だった父からは、将来への危機感が全く感じられなかったので、大した不安を感じることもなく入社をしてしまった。 その後、ゴルフ場を取り巻く環境は急速に悪化していく。ゴルフ離れによる来場者の減少、不景気による会員の退会急増とともに、預託金の返還問題などの大波が怒涛のように押し寄せる。 近隣同業他社との競争のため、プレー価格の見直しや予約ルールの変更を急ぐなど、のんびり考える暇もなかった。会員数の減少に伴い、それまで会員の紹介が必要だった予約をいち早く、一般ビジターからの直接予約も受け付けるようにした。また、当時始まったばかりの「ゴルフ三昧」や「ゴルフダイジェスト・オンライン」などのポータルサイトとも早々に契約した。 しかし、それでも効果はなかなか上がらなかった。当倶楽部はオープン以来一度もプロの試合を開催したことがなく、近隣に「有馬」と名がつくゴルフ場が4コースあるが、その中でも最もマイナーなため、知名度がイマイチで、新規顧客獲得への努力が実を結ばなかったのだ。 関西のゴルフライターに、 「20年以上取材しているけど、こんなに近くに、こんなに良いゴルフ場があるとはまったく知らなかった」 と言われたのはさすがにショックだったが、それぐらい認知度の低いゴルフ場だった。

そんなことするな!

そこで、名前を知ってもらうために、ニーズのあるところへパンフレットやチラシを置きに行こうと考えた。サラリーマン時代にドサ回り営業は嫌というほど経験している。ニーズがあるところとはゴルファーのいるところであり、当然ゴルフ練習場とゴルフショップである。 当時の営業課長と話し合い、私と2人で兵庫・大阪のゴルフ練習場や大きなゴルフショップをほぼ網羅するように、2か月に1度は回ろうと決意を固めた。ところが・・・。 まず叔父と父から、 「ゴルフ場の人間がそんな恥ずかしいことをするな!」 と言われ、カチンときた私が、 「そんなら集客はどうやるんや?」 と問い返すと、 「コースが良かったらお客は来る」 私は言い返す気にもなれず、無視して練習場やショップに足を運んだ。が、話はそれで終わらない。訪れた先々の練習場でひと悶着。 「どこのゴルフ場や!いまさらどの面下げてきとるんや!今まで偉そうにしとったくせに。チラシなぞ置くな!全部持って帰れ!」 と、頭ごなしに怒鳴られた。 あまりにも激しい罵声を浴びて、私は先代の言葉に裏付けられる、ゴルフ場の「上から目線」、ゴルフ場がその他の業界関係者にしてきた対応が、こじれた関係を作ってきたことを理解した。 ゴルフ人口を増やすにはゴルフ関連業界同士の連携が欠かせない。特に「ゴルフを練習する場」のゴルフ練習場と「練習の成果を発揮する場」であるゴルフ場の連携は、絶対に欠かせない運命共同体のはずである。それにも関わらず、お互いがそっぽを向いているような関係ではゴルフ人口の増加は〝夢のまた夢〟。 確かに、商圏範囲の大きさが異なる練習場とゴルフ場には意識差があり、単純な相互送客は容易ではない。〝時すでに遅し〟かもしれないが、今からでも本気で連携の方法を探るべきだと思っている。 幸い、当倶楽部の近郊にはゴルフ界の発展を期して奔走している練習場・多田ハイグリーンの野原和憲社長がいる。同氏はGEWでも時々執筆しており、様々な改革に挑戦中。ゴルフを広めるために共に話ができる練習場経営者の存在は心強い。 今年3月29日(土)、全日本ゴルフ練習場連盟のジュニアゴルファー検定制度に則った検定会&ラウンド体験会を、多田ハイグリーンと有馬カンツリー倶楽部の共催で実施。これを機に、練習場とゴルフ場が共同で行う様々な事業に挑戦したい。
この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2025年4月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら [surfing_other_article id=87590][/surfing_other_article]