宮里藍の引退会見から分かる、広告代理店と記者クラブ制度の悪しき弊害

宮里藍の引退会見から分かる、広告代理店と記者クラブ制度の悪しき弊害
月刊ゴルフ用品界2017年8月号掲載 なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。
「最後にしては、びっくり、軽い質問ですね」 こう目を丸くしたのは、宮里藍本人だった。 5月29日、東京都内のホテルで開かれた宮里藍の引退会見。300人を超える報道陣が詰めかけながら、あまりに中身の薄いものとなってしまった。質問者の力量不足ももちろんあるが、ことごとくそういう質問者を選んでしまった司会者にも問題はなかったのか。 突き詰めていくとここにも、広告代理店主導と記者クラブ制度の悪しき弊害があった。

中身の薄い引退会見

もう一度、弊社ウェブサイト「東京クロニクル」に掲載した会見の一部始終を前に47分30秒に及ぶ記者会見を聞き直してみる。 その内容は、まさに「忖度」だらけ。進行役は宮里もマネジメント契約を結んでいる事務所に所属している司会者。まず東京運動記者クラブゴルフ文化科会のテレビ局の幹事社、新聞の幹事社と続き、お次は自社のスタッフの質問を番組内で使いたいテレビ局が次々にマイクを回した。 社名だけでなく、わざわざ番組名を宣伝してから質問する在京キー局の担当による芝居がかった感動仕立ての質問が続き、いたずらに時間だけが過ぎていく。 そもそも、共同記者会見は誰のためのものか。それはテレビの向こう側や、紙誌面を前にするファンのためのもの。ファンが後ろにいるからこそ、マスコミは特権として選手や有名人の前に立つことが出来るのだ。 だがそうした自覚とともに手を挙げ続ける雑誌やフリーランスの記者はほとんど無視。あげくに最後はゴルフネットワークに振られたが、これは質問というよりは自己アピール。「今日が5月29日というのはお分かりですよね?エイプリルフールと間違えているわけじゃないですよね?この後ドッキリになるんじゃないですよね?」などと笑いを取ろうとしては滑りまくる。 あげくに「私も(宮里)優作さんのキャディーをして、本当に家族愛もすごいですし、関わった人がハッピーになっていく宮里家。人のつながりを広げていくのかな?」というあまりに軽い質問だった。 宮里の席からは、手を挙げ続けながら無視され続けた多くの記者の姿が見えていたハズ。そのあげくに最後の質問がこれだ。宮里本人が唖然とし、苦笑しながら冒頭のセリフを口にしたわけだ。 全体の印象は、やはり自社のリポーターの質問を使いたいテレビ局に格段の配慮がなされていた感は否めない。宮里本人は戸惑いながらも、しっかりと質問につきあっていた。 最後の質問に答え終わると、宮里は壇上で立ち上がった。涙で声を詰まらせながらも、お世話になった人々への感謝の気持ちを述べた。それは宮里の真面目な人柄を十分に表していたが、その後は真っ直ぐにパーテーションの裏へと消えた。会見のあとに良く行われる囲み取材はなし。質問できなかった者への「セカンドチャンス」は与えられなかった。 ファンの方は見ずに、会社の方ばかり気にしている質問者たち。結局のところ予定調和で事なかれ主義という記者会見の風潮が、ここにも凝縮されていた。 ゴルフトーナメントや球場、サッカーやラグビーの競技場、国会や司法記者クラブ、官公庁や自治体など、全国の至る所で記者会見は行われている。大手マスコミのそうした記者たちは同じ資料をもらい、似たような当たり障りのない質問をして、似たような記事を書く。 そうした記者たちのレベルダウンを如実に物語っているのが、東京新聞の望月衣塑子記者の存在だろう。菅義偉官房長官に執拗な質問を浴びせ、まるでヒロインのように扱われているが、本人に言わせれば当然の仕事をしているだけだろう。周りにいる官邸番の記者の地盤沈下が激しいから、目立ってしまっているだけなのだ。

力量低下を証明する官房長官会見

かつて会見場はメモを取る記者がほとんどだったが、今はインタビュー席にICレコーダーを置き、自席でパソコンをのぞき込んでいる記者がほとんどだ。画面ばかり見ていてまともな質問すらできない立場に置かれ、現実逃避するための道具にすら見える。 望月記者が目立ってしまう現実を恥じ、自ら奮い立つべきなのに、パソコンをのぞく丸まった背中からは、そうした意欲が伝わって来ない。 記者が奮起しない原因として、デスクの責任も大きいと思う。官房長官を敵に回してもいいから、いいネタ取ってこい、と言えるデスクがいれば、もう少しまともな質問ができるはず。それはデスク自身が減点主義に毒されて、自分の出世に汲々としているからだろう。部下にはそれが良く伝わるものだ。デスクも記者時代にはそれが見えていたハズだが、管理職になるとそれを忘れる。 私は1980年代に東京スポーツでゴルフ記者をしていたが、各社の記者に「今日ニュースを抜かれても、明日抜き返せばいい」という気概があった。それは「抜かれたら抜き返せ」というプラス思考の上司に恵まれていたからだとも思う。 東京スポーツは夕刊。他社と同じ取材をしていたら、すべて朝刊の二番煎じになる。そこで共同会見には出ず、練習場やレストランで他の選手や家族、関係者からじっくり話を聞いた。 ただ、スポーツ紙7社の持ち回りで幹事の役が回って来た年は忙しかった。共同会見の仕切りを任されるためだ。7年に1度とは言え、朝刊のために働いているような錯覚にも陥った。 逆に海外取材は楽だった。事前に取材申請の手紙を送っておけば、プレスセンターに席は用意され、実費さえ払えば専用電話も設置してくれる。アメリカの夕方は日本の朝。ちょうど夕刊である東京スポーツの締め切りにマッチする。 当時はインターネットなどなく、携帯電話すらない時代。「世界一速いゴルフ速報」が成立し、それが東スポの柱になった。テレビ東京にも協力し、締め切りのない日曜日の朝(東スポは日曜休刊)に放送される「ゴルフまるごと生情報」にレギュラーで電話出演する余裕もあった。 それでも岡本綾子番として海外取材が5年目に入ったあたりから、強烈なプレッシャーがかかるようになった。 莫大な出張経費が自分に使われていることは承知していたものの「お前にいくらかかってると思ってるんだ? ニュースを他社に抜かれたら、分かってんだろうな」などという嫌味を、Mというデスクからさんざん聞かされるようになった。抜かれたら、すべて記者の責任というわけだ。上司が守ってくれなければ、出先にいる記者は委縮する。 特ダネを抜く意欲よりも特オチ(他社に特ダネを抜かれる事)を恐れる風潮は、1990年代の後半あたりから、全体的に強くなったように思う。その感情はファンに対するサービス精神に根差してはいない。保身、上司へのアピールが根幹にある。記者のサラリーマン化と言い換えてもいい。 その傾向は弱まるどころか、逆に強まっている。記者クラブの存在は、今やマスコミ自身の首を絞めているように思える。取材は記者クラブの外でも十分にできるのだ。それは記者クラブに加盟していない週刊誌の方が伸び伸びと取材し、スクープを連発している現実が証明している。
※参考:宮里藍引退会見(一問一答) http://tochro-golf.com/2017/05/29/1551.html