新規則施行から半年、「ゴルフルール狂想曲」の顛末をJGAに聞く

新規則施行から半年、「ゴルフルール狂想曲」の顛末をJGAに聞く
2019年1月1日より施行されたゴルフルールの大幅改定。あれから半年が経過した今、改めてその意義を考えてみたい。 この間、ゴルフ界は新ルールを巡るトラブルやニュース、それらにまつわる様々な議論で大いに賑わった。かつて、これほどゴルフルールに光が当たったことはあったろうか? 世界中のゴルフシーンでトラブルが発生し、さながら「ゴルフルール狂想曲」ともいえる様相を呈してきた。 公益財団法人日本ゴルフ協会(JGA)の規則統括部長、市村元氏はこの状況について「ゴルフ界全体が大きなイベントを楽しんだ」と表現する。JGAは、日本におけるゴルフルールの統括団体であり、同氏はルール部門の顔とも言える存在だ。JGA主催競技のレフェリーの間では「ルールの鬼」と畏怖されている。 その市村部長が一連のトラブルを「楽しんだ」とはどういったことか。発言の真意を含め、過去半年の「狂騒曲」を振り返ってみよう。

ゴルフルールに完璧はない

今回の改定意図は「ルールをより分かりやすく、簡単に」というもので、世界的なプレー人口の減少を受け、ゴルフへの敷居を下げる狙いがあった。が、その意図に反して年明け早々のPGAツアーで様々な問題が噴出。また、日本の女子ツアーでも失格者が出たり、競技委員による誤裁定など混乱が続いた。 2月に行われた「WGCメキシコ選手権」では、リッキー・ファウラーが肩の高さからドロップしてプレーを続け1打罰を受けた。1月末の「ウエストマネージメントフェニックスオープン」では、デニー・マッカーシーがキャディを飛球線後方に立たせたとして、一旦は2打罰を受けたものの、裁定に対する批判が高まり、翌日に訂正されるなどトラブルが相次いだ。 これを受け、世界のゴルフルールを統括するR&AとUSGAも対応に追われた。特にキャディを選手の後方に立たせることを禁じた規則10.2b(4)については、2月になってその解釈を「キャディが後方線上に立ったとしても、プレーヤーが一旦スタンスを解き、キャディが離れてから改めてスタンスを取り直せば罰はない」(抜粋)と発表。このように、新ルールを適正に機能させることへの困難が露呈した。 先述のように市村部長は、この「大混乱」ともいうべき状況を「楽しいイベント」と語っている。その真意はどこにあるのだろうか。しばし同氏の説明を聞こう。 「ゴルフルールに携わっている人間にとって、ゴルフルールは完璧ではない、不完全なものである、という認識は常識なのです」 いきなり開き直りとも取れる発言だが、同氏はさらにこう続ける。 「皆さん、ゴルフルールは複雑で難しいと言いますが、難しいのはルールではなく、ゴルフゲームそのものなんです。ゴルフは他のスポーツと違って世界中、様々な気候風土のフィールドで行われる上、プレーヤーがフィールド全体を見渡すこともできません。つまり、ゴルフゲームで起きる想定外の事態をルールは完璧にフォローすることはできないし、これまで完璧だったこともないのです」 プレーヤーにしてみれば、ゴルフルールは金科玉条――。しかし「ルールの鬼」は、そもそも不完全だと断言する。ゴルフ歴40年の筆者はまず、ここで軽いショックを受けた。 元々完璧ではないルールを大幅に変えたのだから混乱は当然。むしろ、今までルールに無関心だった人々が今回の改定で興味を持ち、学び、議論を戦わせることになった。市村部長は、そうした様々な現象をひっくるめて、ゴルフ界にとって「大きなイベント」だったと指摘する。

R&Aに振り回される?

では、「イベント」(混乱)の中身はどうだったのか? 「年初から旗竿やペナルティエリア、クラブレングスなど新ルールへの問い合わせは多くありましたが、それだけではなく、変更されていない条項に関する質問もかなり目立ちました」 なるほど、今回のルール改定にはそのような効果もあったのか。ルールへの注目度が高まって、関心をもつゴルファーが増えたようだ。 「少なくとも予選競技の段階では大きな混乱はありませんでした。ただ、クラブレングスの測り方については誤解が多かったようで、その点は我々も反省しています」 救済エリアを決める際のクラブレングスが、「そのプレーヤーのパターを除く最長のクラブの長さ」との規定になったことで、ドライバーで計測しなければならないと誤解したゴルファーが多く、混乱したという。 その一方、JGAが置かれる難しい立場も浮き彫りになった。新ルールが施行された1月以降も、R&Aは「新解釈」を出しており、その都度JGAは振り回されるという構図なのだ。 「ルールブックの本文は、一度出たら簡単に変更できません。実際に運用してみて不都合が生じた場合、3ヵ月に一度を目安に解釈の変更、詳説の発表という形で訂正されます」 先に触れた「キャディが後方線上に立つ規定」については2月8日に新しい解釈が発表され、JGAのサイトで確認できる。しかし、一般ゴルファーがその都度確認することは現実的に難しく、変更と確認の間にエアポケットが生じてしまう。 「この点にはもどかしさを感じています。実際、正しくルールを運用するためにはルールブックの『本文』だけではなく、後から発行された『オフィシャルガイド』に精通する必要があり、4月には『詳説』(新たな解釈に関する追記)が2回も発表されています。ルール自体は簡単になったものの、これを理解するための資料は確実に複雑化しているのです」 まさに、生みの苦しみといえるだろう。 「ルール内容の変更等を決める作業は、USGAとR&Aが共同で行っています。両者は世界中で起きる様々な出来事を収集し、それらを検証、不都合があれば熟議して改正する。そんな作業を改定日の翌日から行っているのです」 ふむ、統括団体も「ルールの近代化」という大命題に苦心を重ねているようだ。

「罰」は悪事ではない

とはいえ、上記のことはゴルフ界内部の話であり、一般ゴルファーには縁遠い。むしろ最大の問題は、ゴルファー間に知識の濃淡が生じてしまい、争いのタネにならないか。新ルールを知っている者と知らない者が一緒にプレーすれば、「ごまかした」となりかねず、楽しいはずの一日が台無しになる。この点、どのように向き合えばよいのだろうか? 「レフェリーでもない限り、ルールの詳細にこだわり過ぎるとゴルフゲームを楽しめなくなる。それよりも、なぜそうしたルールがあるのかを考えれば、ゴルフをより深く理解でき、自分がなぜゴルフが好きなのかわかるようになるでしょう。 例えば、ゴルフにおける『罰』について、日本語の規則書では『罰を課す』という漢字を当てています。悪事に対する罰は通常『罰を科す』という漢字ですが、ゴルフルールの『罰』は悪事ではなく、原則通りにプレーできなくなったプレーヤーが、原則通りにプレーしている他のプレーヤーとの公平さを調整する為のものなのです」 ルールはゴルファーを取り締まる「罰則」ではない、ということだろう。 ゴルフは「審判不在」「自己を厳しく律する」など、聞きようによっては高圧的な響きをもつが、市村部長が強調する「ルールの本質」を理解すれば、ゴルフの寛容性に気付くかもしれず、未経験者への敷居が低くなるかもしれない。 最古のゴルフ規則13箇条は1744年、ミュアフィールド(スコットランド)というプライベートクラブ内の規則として作られた。その10年後にR&Aの統一規則ができ、1952年にUSGAと共同で世界的に統一された経緯がある。長いゴルフの歴史から見れば、つい最近の出来事だ。 むろん、ゴルフルールの改定は今回が最後ではないし、これから多くの変化を遂げていくのだろう。ゴルフゲームを愛する我々は、その変化を見守り、ルールの精神性を含めて周囲に伝えていく義務がありそうだ。