ゴルフ場批判
ゴルフに関わっている方の中には環境問題というと構えてしまう方もいると思います。ひと昔前、ゴルフ場は自然破壊だと強い批判を受けたことがあったからです。一方、そんなことは全く知らない若い方もいらっしゃると思います。
このため、SDGsとゴルフを考えるにあたって、日本で過去にどのような環境問題が発生し、何が改善され、何が続いているのか、そして世界との繋がりはどうなっているのか、さらにはゴルフ場がどのように関わってきたのか、などについて基本的なことを一度説明しておきたいと思います。
1980年代後半に日本中でゴルフ場建設ラッシュが起こりました。バブル経済に煽られての開発ブームでした。会員権も急騰し、東京のあるゴルフ場では4億円の値が付くほどで、ゴルフ場の乱開発と言われる状態も発生したのです。多くのゴルフ場は法規制に従って建設をしたのですが、時に地上げのようなことが起こり、会員権を乱発する詐欺まがいの経営も出てきました。
そしてついに、奈良県で「農薬まみれのゴルフ場建設反対」という声が上がり、全国にゴルフ場建設反対運動が広まった。芝生に大量に撒く農薬が問題だ、自然破壊だという意見が多かったのです。
その多くは誤解でしたが、1990年代になってもこの批判は止まらず、ゴルフをするのも肩身が狭いというような状況が生まれました。この時代、理不尽な扱いを受けたゴルフ関係者は環境問題という言葉に不信感を持ったのではないかと思います。
その間のいきさつは、2009年に出版された田中淳夫さんの『ゴルフ場は自然がいっぱい』(ちくま新書)に詳しく書かれています。「ゴルフ場が嫌われた歴史的背景」から始まって「ゴルフ場の環境機能を考える」「ゴルフ場管理と里山管理」など目からうろこの著作です。
公害の時代
日本の環境問題は、①戦後の高度成長の陰の部分としての公害②田中角栄内閣の「列島改造論」に押されての大規模開発に伴う自然破壊③1990年代に始まる地球環境問題と大きく三つに区分されます。
私が学生時代の1960年代は公害が激しいころでした。横浜から東京の大学に通っていたのですが、東横線で多摩川を渡る時は洗濯の泡が電車にに飛び込んできたものでした。多摩川の堰に洗濯の泡が充満し、空高くまで泡が飛んで行くのです。
隅田川は真っ黒で、川からメタンガスがふつふつと出ていました。環状7号線の沿線は排気ガスで喘息患者が多発し、川崎の工業地帯周辺でも喘息で苦しむ人が大勢いました。
全国的にも各地で公害が発生し、四大公害と呼ばれる富山県のイタイイタイ病、熊本県の水俣病、新潟県の第二水俣病、三重県四日市のコンビナートによる大気汚染など日本中が公害に覆われ「公害列島」などと揶揄された時期でした。
戦後の荒廃から立ち上がり、しゃにむに働いてきた日本人には公害という概念はありませんでした。「空高く煙突が立ち、煙が立ち上るわが町よ・・・」と、後に公害の原因となる大気汚染を喜び、復興の証とするような小学校の校歌もたくさんありました。闇市から高度成長へと突き進んでいき、わき目も降らず働き続けた。ブラック企業ばかりです。
しかし、1970年7月、首都東京に光化学スモッグが発生し、中学生が校庭でばたばたと倒れる事態となりました。これにより世論は沸騰し、公害反対が国民の声となり、当時の佐藤栄作内閣は1970年、公害対策基本法をはじめ14本の公害関連法を成立させ、翌71年7月に環境庁が発足することになりました。
その結果、1980年代には大きな公害は姿を消し、世界から「日本の奇蹟」とまで言われました。OECDの担当者が東京タワーに上り、東京の空を見て「空がきれいになった。信じられない」と驚いたほどの回復ぶりでした。
自然破壊
公害が終息傾向になった後、今度は「列島改造」をスローガンに公共土木工事が活発になり、豊かな自然が次々に壊される事態が発生しました。公共事業に続いてリゾート開発が全国各地で進み、スキー場、ゴルフ場をはじめ思慮なき企業による乱開発がはびこるようになりました。
こちらはある意味で公害よりたちが悪い。公害は、国の復興に全力を挙げ、その結果、健康被害を招くに至ったのですが、自然破壊の現場では、多くは金儲けに走るあまり自然を破壊し続けたのです。
白神山地のスーパー林道建設、長良川河口堰、中海・宍道湖の干拓、石垣島の白保空港建設などの公共事業が批判され、長良川以外は全て中止か建設場所移転などを余儀なくされました。民間開発の多くは中止に追い込まれ、バブル経済の崩壊により大型リゾート計画はことごとく取りやめとなり、世の大勢は、過度な自然破壊を伴う工事は受け付けなくなってきました。
こうした流れの中にゴルフ場建設反対運動があったのです。
次回は地球環境問題について解説し、今後のゴルフ業界の対応を考えてみたいと思います。
ゴルフ場と農薬問題
ゴルフ場の農薬批判について、名城大学の村田道夫教授は1980年学会誌『芝草研究』で「ゴルフ場と農薬の安全性」を発表し、間違えたゴルフ場攻撃をやめるべきだと主張している。しかし、週刊誌などマスコミの多くはゴルフ場攻撃をやめなかった。この背景には当時の社会問題が反映され、ゴルフ場が批判の矢面に立たされたのだと思われるが、こうした濡れ衣に怒りを覚えたゴルフ関係者は多かったと思う。
環境省は2018年、全国1,435か所のゴルフ場の農薬検査結果を発表、延べ38,927検体で水濁指針値を超過した事例はなかったと報告している。
この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2021年9月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。
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