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  • 連載SDGs 第13回 公害の記憶

    岡島 成行
    学校法人青森山田学園・理事長、(公社)日本環境教育フォーラム・会長、NPO法人自然体験活動推進協議会・会長。1969年読売新聞入社、80年環境庁担当となり環境問題専門記者に。87年東京開催の「環境問題国際ジャー...
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    学生時代の東京

    私が大学生だった1960年代は「三丁目の夕日」時代でした。東京の町はごった返した状態で、自動車の警笛が鳴り、ほこりが舞う道路。まだ四谷からの新宿通りにビルはほとんどなく、新幹線や高速道路もありませんでした。 多摩川には下水が流れ込み、新丸子の堰には石鹸水から出た泡が大きく立ち登っていました。隅田川はどす黒く濁り、ガスがふつふつとわいていました。中学の頃は横浜の自宅に「油煙」と言って黒いすすのようなものが降ってくることがありました。空は真っ黒、川も真っ黒、海は赤や黄緑に濁っていました。ともかく汚れ切っていたのです。 東京だけでなく日本中が汚れていました。戦後の急な復興のために、日本中の木は伐りだされ、東北地方からは夜通し材木が運ばれてくる。山は崩され、自然はどんどん破壊されていきました。みんな食うことに必死でしたから、多くの人は、自然を守るなどということは考えもしなかった。 川崎や四日市では工場から出るさまざまな排気ガスによる大量の喘息患者が発生しました。北九州や大阪などの工業地帯も真っ黒でした。

    四大公害

    その極めつけが四大公害と呼ばれる「水俣病」「第二水俣病」「イタイイタイ病」「四日市喘息」です。 水俣病は熊本県水俣市で発生したメチル水銀による障害です。視野が狭くなり、手足がしびれ、身体が自由にならず、ついには死に至るという恐ろしい病気です。チッソ水俣工場から出されたメチル水銀入りの排水が水俣湾に広がり、水俣湾から有明海まで広がったのです。 同じ病気が新潟県の阿賀野川流域で起こり、これが第二水俣病です。こちらは昭和電工鹿瀬工場から排出された排水が原因でした。 イタイイタイ病は三井金属がカドミウム入りの排水を出し、下流の神通川流域に住む中年の女性が罹患しました。カドミウムによって骨が砕け、イタイイタイと泣き叫びながら亡くなっていったことからこの名前が付きました。 四日市喘息は四日市市のコンビナートから出た煙が市内を覆い、多くの喘息患者を出した公害です。 四大公害では患者が工場を相手取って賠償を要求する裁判を行い、すべて患者側が勝訴しました。 工場を抱える企業は莫大な賠償金を支払わなくてはならず、この裁判以後、企業は公害防止装置に多額の投資をするようになったのです。 そして1970年12月、公害基本法など公害関連の法律14本が国会で成立しました。佐藤栄作内閣の時です。

    明るい空

    公害は、古くは大仏建造などにもあったとされていますが、大きな公害が騒がれ始めたのは明治以降、工業化が進んでからでした。足尾鉱毒事件や別子銅山による煙害、日立の煙害などがありましたが、地域が狭く特殊な状況と言えます。 これに対し、戦後の激しい公害は比較になりません。今,70代、80代の方々は鮮明に覚えていらっしゃるでしょう。 でも、70年末の国会で公害関連法が通った結果、公害は急速に改善され、80年代に入ると空も川も海もかなりきれいになってきました。 環境省のお役人さんから聞いたのですが、OECD(経済協力開発機構)の公害担当者が80年代初めに日本を訪れ、東京タワーの夜景を見て「信じられない、あのスモッグで覆われていた東京がこんな短時間で星が輝くようになるとは」と絶句したそうです。 日本は手痛い公害の被害を受け、多くの人が傷つき苦しみましたが、企業も個人もかなりの努力を払ったおかげで公害をほとんど克服できました。その技術力は後に日本の自動車メーカーが世界を席巻する原動力になっていったのですが、それは別の機会に紹介します。

    原田正純さん

    公害を長く取材していて特に印象に残った方が原田正純先生です。原田先生はその生涯を水俣病に捧げました。 原田先生は鹿児島県出身で、熊本大学医学部を卒業後、インターンとして東京の病院に勤務しました。その時、現上皇様のご結婚パレードを見た。華やかな様子に「東京はやっぱりすごいな」と思ったそうです。 帰郷後、熊本大学の先生に誘われて水俣病の現場に赴きました。そこで見た状況は想像を絶するものだった。布団ともいえないような綿にくるまれたままの患者さんたち。貧困の底に苦しむ漁民。 「現場を見てしまったのです。もう医者として力を貸すしかないじゃないですか」 原田先生はそう言っていました。それからは生涯、水俣病との闘いでした。チッソの御用学者がチッソには関係がないと主張し、国までが同調する動きの中で、水俣病が英国で発見された水銀中毒と同じであることを突き止め、また小児水俣病を発見するなど水俣病の治療や患者救済のために貢献されました。 お酒が好きで、私も何度か、熊本空港近くのお宅で飲ませていただきました。飲めば止まらず、学生時代の演劇の話、初恋の話と気さくに話してくれました。人間が大好きだったのです。 公害に苦しむ日本にあって原田先生のほかにも公害の患者のために命を捧げた方々がたくさんおられました。日本も捨てたものではないな、と時々思います。 原田正純氏の主な著作 『水俣病』岩波新書青版 B-113 『いのちの旅――「水俣学」への軌跡』岩波現代文庫 『水俣が映す世界』」日本評論社 『水俣病は終っていない』岩波新書 黄版 293 『対話集 原田正純の遺言』朝日新聞西部本社
    この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年5月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら
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    岡島 成行
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