南米の旅
前の東京オリンピック(1964年)の翌年2月、私は横浜の浅野高校山岳部OB会(打越山岳会)と上智大学山岳部の遠征隊員として南米のベルー、ボリビアの未踏峰を目指して横浜港を出発しました。
21歳になったばかりで大学3年生になる直前でした。まずは浅野隊として移民船・あるぜんちな丸に乗ってロスアンジェルスまで2週間、北太平洋の荒波にもまれて大苦戦。ロスからパナマシティまで1週間、最後にパナマ運河を渡り下船、そこから飛行機でボリビアの首都ラパスまで行きました。
なにしろ当時は外貨不足で、一人500ドル(18万円)までしか持ち出せず、6人の隊員全員で3000ドルです。貧乏登山隊でした。ラパスの日本大使館はまだできたばかりで、私たちは来館10人目ぐらいだったようです。登山隊は隊長が27歳、次いで25歳、24歳、そして21歳が3人と若い隊でした。言葉も習慣も何も知らずに突進です。もう60年ぐらい前の話ですので、今ではすべてが夢のようです。
ラパスからチチカカ湖畔をトラックで走り、最後は3日ほどリャーマに荷を括り付けてキャラバンです。2か月間の登山は成功してたくさんの初登頂や5000m峰の縦走など楽しく過ごしました。
いったんラパスに戻ってイリマニ山(6480m)の北稜を初登攀し、すべての計画を終え、解散です。私はそのままペルーに向かい、上智大学隊に合流しました。
貧乏旅行
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イリマニ北峰(6,480m)右上正面に光っているリッジを初登攀し、右奥の北峰に登頂。[/caption]
ペルーでの登山を終えてから、私はヒッチハイクとバスを乗り継ぎ、パナマまで一人旅をしました。この時の旅が後の私の人生を決定付けたと思います。貧乏人ほど良く働き、親切だ、ということを嫌と言うほど味わいました。
ヒッチハイクをしていると、大きなリュックを背負った汚らしい若者に止まってくれる車はありません。拾ってくれるのは決まってトラックです。運転席のわきに座って下手なスペイン語でいろいろとよもやま話をするのが楽しかった。
ある時、トラックの運転手が「泊まるところはあるのか」と聞いてきた。私は「いつも野宿するんだよ」と言うと、心配そうに「俺の家に泊まれ」と言う。断ったのですが、あんまり勧めるので承諾し、家に着いたところ、まるで竪穴式住居のようで驚きました。中には子ども3人と奥さんがいて、夕食にはハムスターの丸焼きが出ました。おいしかったのですが、ふと気が付くと、私のために家族の食べ物を一部削っていることが分かりました。
翌朝、出発をするときになって運転手が私に5ドル紙幣をくれようとするのです。5ドルと言えば彼ら家族が1週間暮らせるお金です。見ず知らずの私がもらえるはずがありません。何度も辞退したのですが最後はむりやりポケットにねじ込まれました。日本からの送金に手違いがあり、一文無しだった私は涙がこぼれて止まりませんでした。
途上国の人々
日本に帰ってから必ずお礼に行くんだと固く誓ったにもかかわらず、今になってもお礼参りができないでいます。恩返しができない場合はどうすれば良いのか。私は東京の街で貧乏そうな外国の若者を見ると声をかけるようにしました。泊まるところが決まっていない若者を自宅に呼び、好きなだけ居候してもらうことにしています。恩返しの代わりに「恩送り」とでも言うのでしょうか。せめてもの罪滅ぼしです。
同じような経験を持つ人と時々お会いすることがありますが、面白いことにほとんど意見が一致します。先進国での思い出も途上国での思い出もみな同じようです。お金持ちはとても冷たく、遊んでいます。貧乏人は朝5時6時から働いて夜10時ごろまでいくつかの仕事を掛け持ちにしても一日、二日の生活費で消えるほどの収入です。
貧乏な人達はそれでも前向きに懸命に生きています。今も世界中変わらないと思います。
ゴルフの途上国支援
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中国にスキーを送り続けた丸山庄司さん。[/caption]
話は変わりますが、長野県スキー連盟は1983年から中国に中古のスキーセットを送っていました。2012年までにスキー13万2250台、靴6万7500足を送っています。全日本スキー連盟(SAJ)の元専務理事の丸山庄司さんはその中心人物でした。「これから中国でスキーが盛んになると思う。隣の国だし応援したい」と話していました。どんな国であってもスキー愛好者を応援したい、という心意気が伝わってきます。今では、中国のスキー人口は2019年で2千万人を超えています。
私のつたない経験からも、途上国の人々は案外前向きです。ゴルフも今は簡単にはできないけれど、いつか誰もがプレーできる日が来ると信じ、応援したいものです。
子どもたちのゴルフ練習を指導したり、中古のゴルフ用具を安く輸出したり、3~4ホールで楽しめる小さなゴルフ場を作って差し上げるなどの協力ができるのではないかと思います。
誰かが音頭をとり、一つの流れにできたら、日本のゴルフ界も世界から尊敬されるのではないでしょうか。私もお手伝いしたいと思います。
SDGs10 人や国の不平等をなくす
1)2030年までに年齢、性別、障害、人種、民族、出自、宗教、あるいは経済的地位その他の状況に関わりなく、すべての人々のエンパワーメント、および社会的、経済的、および政治的な包含を促進する
2)差別的な法律、政策、慣行の撤廃などを通じて、機会均等を確保し、成果の不平等を是正する
3)グローバルな国際経済・金融制度の意思決定における開発途上国の参加や発言力を拡大させる④世界貿易機関(WTO)の協定に従い、開発途上国に対する差異のある特別な待遇を実施するなど、10の具体的な目標がある。
この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年3月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。
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