連載SDGs 第33回 自然の一部である人間

連載SDGs 第33回 自然の一部である人間

一本の線

最近、『中部銀次郎 ゴルフ 心のゲームを制する思考』(本條強著、日経プレミアシリーズ)を読んで、こんな文章に出合いました。 「ショットは1回ずつ行いますがそれぞれ打ったら『ハイ、おしまい』ではありません。ショットは続けるものであって、分断してはいけないんです」 「ショットを打つ前に、ティグラウンドからグリーンまで1本の線をひいてみる。そうすれば、ショットをつなげる意識ができてきます」 この文章に触れて私は「山登りと一緒だ」と思いました。誰も登ったことがないヒマラヤの大岩壁などの難しい山を登る時、頂上から一筋の線を引きます。登りやすいルートを選ぶのです。 しかし、実際に登り始めると絶望的な場面にぶつかります。しかしそこからまた可能性のあるルートを探します。たった1%であっても可能性を探すのです。一度下がって右に左に移動してまた登れるルートを探し、トライするのです。どんなに難しい壁でも弱点はあるものです。 様々な困難を乗り越え、苦闘を重ね、1%の可能性を結び付けながら切り開いたルートは美しい。初登頂の一本の線、大岩壁に新しく切り拓いた初登攀の一本の線はそのまま登山の歴史に残ります。 ゴルフでも、うまくいった場合の1本の線は綺麗な形状になるのではないでしょうか。

自然の中で

[caption id="attachment_80879" align="aligncenter" width="788"] 1980年5月、日本山岳会がチョモランマ(エベレスト)北壁という大きなキャンバスに刻んだ初登攀のルート(青い線)。苦闘の末に描き上げた美しい1本の線である。[/caption] ゴルフも登山も自然の中でプレーをします。風や雨、霧など自然現象に対応しなければなりません。登山では風雪、高度、分厚い服装、重い装備など強烈な負荷がかかります。だから、対戦相手は人間ではなく山なのです。人間との駆け引きではありません。ゴルフでも対戦相手はコースだと思える時があるのではないでしょうか。 ヒマラヤのような雄大な景色の真ん中いる時、また美しい自然に囲まれたゴルフコースでプレーをしている時、ふと「人間は小さな存在だ」と感じる瞬間があります。 自然との関わりが強い遊びほど、人間は自然の威力を感じ取る度合い が強いようです。 一方で、私たちの多くは自然を改変して便利な生活を送っています。森林を開拓して農地や都市を作り、道路を作る。飛行機が日夜飛び続けている。ありとあらゆるところで人間の力が自然を圧倒しています。 私は70歳になった時、東京の都心から房総半島の山の中に居を移しました。便利ではあるけれど自然の息吹が感じられない都市生活が苦になったのです。 自然と調和した町や村などの小さな単位の居住地には安定した美しさが見えます。村の背後には人間生活と自然が滑らかに混ざり合っている里山がある。そんな田舎で生活したくなったのです。それに、転居先近くにはたくさんゴルフ場があったことも大きな理由でした。

自然との折り合いをつける

[caption id="attachment_80880" align="aligncenter" width="548"] 房総半島の里山にある我が家。千坪ほどの敷地に緑があふれる。イノシシ、キジ、タヌキなど
動物もたくさん住んでいる。[/caption] 何といっても私たち人間は地球という惑星の中だけで生きている。地球を自然の総体とすると自然を壊しすぎては生きていけません。人間は自然と程よく付き合っていかなければなりません。 地球環境問題でも温暖化と野生生物保護の課題が重要です。温暖化の大きな要因は、数十億年かけて地中深く埋め込まれた炭素を、化石燃料として再び掘り出し燃焼することで炭素を大量に空中に戻す行為です。また、熱帯雨林を大量に伐り、里山を放置しています。 簡単に言うと、人間活動が行き過ぎているのです。ではどうして行き過ぎてしまうのでしょうか。それはあくなき人間の欲望でしょう。 その結果、特に20世紀以降、自然は壊れ、温暖化が進み、地球の表面の生物圏に大きな異変が発生してきました。

環境思想の登場

[caption id="attachment_80881" align="aligncenter" width="548"] 日本の典型的な里山。川があり、田んぼがあり、背後に里山がある。
里山からは薪、山菜、キノコなどの恵みを得ることができる。植生も人間が管理している。[/caption] 房総半島に移ったのは正解だったと思っています。山の中なので自然は身近にあり、季節の移ろいは肌で感じられます。ゴルフ場が近いというのもいろいろ楽です。 これからはITが発達し、移動距離が問題にならなくなるでしょう。東京にいなくても仕事はできる分野が増えると、地方に住んでも東京に住んでも良い。好きな所に住み、仕事をする人が増える、という時代になります。人が移動する分だけのエネルギーが削減され、二酸化炭素の排出量も減る。 私は家族の反対を押し切って東京から一人で森の中に移動したのですが、これからは当たり前のことになるでしょう。そして自然と人間との関係も緩やかに変化していくのではないかと思います。 最終的には、「自然と人間が対立する関係」ではなく「自然の一部としての人間」という考えに収斂していくような気がします。こうしたことをいろいろ考えるのが環境哲学、環境思想という研究分野です。詳しくは次回に書かせていただきます。

「SATOYAMAイニシアティブ」

国連大学高等研究所と環境省によって推進されている国際的な取組みです。里山のような二次的自然が、人の福利と生物の多様性の両方を高める可能性があることに着目し、人間と自然環境の持続可能な関係の再構築を目指します。 里山とは、集落、人里に接した山において人間の影響を受けた生態系が存在している状態を指す言葉で、水田や雑木林、ため池、鎮守の杜、など様々な要素がモザイクのように入り組んだ環境を指します。この里山を見直そうという動きが世界で始まっています。]
この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年1月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら