連載SDGs 第37回  命がけの自然保護

連載SDGs 第37回  命がけの自然保護

アマゾンの英雄

1989年2月、私は南米のアマゾン川上流の小さな村にいました。1987年に国連の「グローバル500賞」を受賞したシコ・メンデスさんに会うためでした。メンデスさんが受賞した翌年に私も同じ賞をいただいた縁もあって、メンデスさんのインタビューを企画したのです。 しかしメンデスさんは私が村に着く前に射殺されてしまいました。 アマゾンの森林乱獲を防ぐ運動をしていたメンデスさんを憎む人たちがいたのです。政府の目を盗んで違法に伐採を繰り返していた地域の森林伐採業者です。彼らは暴力団を雇い、メンデスさんをつけ狙いました。そして1988年12月22日の夕刻、メンデスさんが自宅を出た直後に射殺したのです。 メンデスさんのお墓の前で奥さんが話してくれました。森林保護運動にのめり込んでからは命が狙われ続けていたそうです。メンデスさんは用心を重ね、変装したり、よその地域に逃げたりで森林保護運動もままならなかったようです。 しかし、メンデスさんの森林保護運動は周囲の国々まで巻込むほど強い運動に育っていきました。 [caption id="attachment_82916" align="aligncenter" width="600"] シコ・メンデスさんの家。世界的に有名な活動家だったが、自宅は小さな労働者向け住宅だった。[/caption] そんな状況に危機感を募らせた森林伐採業者たちは運動家を次々と暗殺し始めました。警察など全くあてにならない地域ですので、メンデスさんらは自分で自分を守らなくてはならなかったのです。 私が日本を発つ2か月前の出来事でした。メンデスさんに会って色々話を聞きたかった。そしてその手記を新聞に載せたかったのですが、日本を発つ直前に彼の訃報を受け取ったのです。

アメリカの視察団

私が村に着く前にアメリカの国会議員らがこの村を訪れていました。メンデスさんに会いに来たということでした。しかし彼らも私と同様に会うことができませんでした。その国会議員団と私はすれ違いでしたが、その中に若き日のゴア議員(後の副大統領)がいました。 団長は当時有名な自然保護家であり上院議員だったハインツさん。あの有名なハインツ・スープの御曹司です。当時はゴアさんよりハインツさんの方がはるかに有名でした。残念なことにハインツさんは後に飛行機事故で無くなってしまいました。彼が生きていれば世界の温暖化対策はもっと進んでいたのではないかと思います。 時が移り、ゴアさんは副大統領になり、世界に向けて環境保護の重要性を訴え続けました。有名な『不都合な真実』は彼の著作です。

副大統領晩餐会

[caption id="attachment_82917" align="aligncenter" width="788"] 1999年6月18日、小渕首相はクリントン米大統領と首脳会談。この時の米国訪問で、小渕首相はゴア米副大統領とともに「市民代表会議」を行った[/caption] それから10年後の1999年6月、私はゴア副大統領とお会いしました。当時、日本の首相は小渕恵三さんでしたが、小渕さんは環境保護や市民活動に熱心で、総理になって初めて渡米することになった際にゴアさんの晩餐会に日本の市民団体を連れていくことにしたそうです。ゴアさん側からの要請もあったのでしょう。 私は日本側の市民団体の代表の一人に選ばれ、ワシントンのある会館でゴアさん主催の晩餐会に出席しました。 主催のゴアさんの話は、まじめすぎてあまり面白みがなかったのですが、小渕さんのスピーチは抜群でした。ワシントンのポトマック川のほとりに植えられた桜並木(日本が寄贈)を引き合いに出し、日米両国の環境連帯を訴えたのです。大拍手でした。アメリカの友人たちが「やるねえ」と握手を求めてきたほどでした。 小渕さんはこれに先立ち、1993年の気候変動枠組条約の第3回締約国会議(COP3)が京都で開かれたときに外務大臣で、会場のNGOブースを訪れ「よろしく。市民と政府が一緒に頑張りましょう」と述べたのでした。それまでは日本の政府はNGOなど無視してきました。役人だって訪れたことのないNGOブースに、外務大臣が訪れ激励したのです。 みんな感激したのは勿論で、その時の様子がNHKニュースを通じて全国に流れました。私はこの瞬間、日本社会にNGOが認知される、と感じたことを憶えています。

闘い続ける活動家

[caption id="attachment_82918" align="aligncenter" width="788"] アル・ゴア元米国副大統領[/caption] 世界は広く、言論の自由や警察が機能しない所がたくさんあります。 そういった国々では、政府の指導者層の方針に逆らうと次々に殺されてしまうことがあります。 南米やアジア、アフリカのジャーナリストが何人も殺されています。みんな、国際会議や活動の現場で出会った正義感に燃えたジャーナリストたちでしたが、志半ばで凶弾に倒れてしまいました。非常に残念なことですが、これは現実のことです。先進国でもロシアなどでは政府にとって都合の悪い人間は粛清されると言われます。 地球温暖化を防ぎ、野生生物の多様性を守るといったことも誰かが言い出し、実践しないといつの間にか悪化していきます。最前線の方々が命を失うような活動をしていることに比べれば私たち日本の一般市民は楽なものです。せめて地域のさまざまな環境保護活動に力を貸したい。そして、小さな意識、行動が各地で積み重なって世の中が動きだすのだと思います。

国連グローバル500賞

UNEP(国連環境計画)が、持続可能な開発の基盤である環境の保護及び改善に功績のあった個人及び団体を表彰する制度で、一般部門と青少年部門があり、毎年6月5日の世界環境の日に授与式が行われてきた。当初、1987年から1991年までの5年間に、約500人・団体を表彰する計画であったことからグローバル500賞と呼ばれたが、この表彰制度は1992年以降も継続されている。日本からは本田総一郎氏、原田正純氏、トヨタ自動車、北九州市、四日市市などが受賞している。
この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年5月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら