連載SDGs 第38回 持続可能というキーワード

連載SDGs 第38回 持続可能というキーワード

氾濫する英字略語

北の国・青森にもようやくゴルフの季節が巡ってきました。早いところでは3月下旬から始まっていますが、やはり5月の連休明けからが本番です。久々のプレーに友人との話が弾みますが、今年は時節柄、環境の話題が多かった。 その中で、SDGsやESG、ESDなど様々な英字略語が使われていてそれがどうなのかよく分からないという声が聞かれました。今回はその点について説明したいと思います。 ところで、これらの略語に一つ共通しているのは「地球環境を守る」ということです。20世紀型の経済活動を続けていると、地球が、正確に言えば地球を覆っている大気圏のさまざまな仕組みが変調をきたし、現在生きているほとんどの生命が絶滅の危機に晒されているという現在の状況を直すための手段の一つなのです。例えば、温暖化がこのまま進めば地球上に生息しているほとんどの生物は生きていくのが難しくなる。これを何とかしようという試みである点では一致しています。 SDGs(持続可能な発展のためのゴール目標)は、自然の仕組みを壊さないように世界全体の経済発展をするための様々な目標、具体的な数値をまとめたものです。 ESG(環境・社会・ガバナンス)は、こうしたキーワードを軸に、企業活動や投資活動を行なおう、という考え方で主に経済界で使われています。企業にとっては、このESGが重要でしょう。 ESD(持続化可能な発展のための教育)は学校や社会、会社などで環境教育を普及し、一般市民の理解を高めていく活動です。

ハランベー

こうした動きの中で真ん中に位置する言葉は「持続可能な」であり、英語ではsustainableです。この言葉が環境用語として使われるようになったのはいつごろからでしょうか。 1987年に「環境と開発に関する世界委員会」が公表した「Our Common Future(われら共通の未来)」という報告書に登場したのが初めてでしょう。この報告書では「将来の世代のニーズを満たしながら現在世代のニーズも満たす開発」が「持続可能な(sustainable)開発」である、と説明されており、以後、環境問題の主要言語として現在に至っています。 ところで、この「環境と開発に関する世界委員会」を作ったのは日本政府なのです。1982年5月、アフリカ・ケニヤの首都ナイロビで行われた国連環境計画(UNEP)管理理事会特別会合で、「ナイロビ宣言」などが採択されましたが、この時、当時の原文兵衛・環境庁長官が「環境と開発に関する世界委員会」の設置を提案しました。 私もこのナイロビ会議に参加したのですが、この提案にはかなり多くの国が賛同しました。それには原長官をはじめ日本代表の巧みな外交技術が功を奏したと思います。原長官は演説や各国代表との挨拶には必ずスワヒリ語で「ハランベー(よろしく)」と声を掛け、続いて「私の名前もハランベー(原文衛)」とユーモアたっぷりに相手、特に途上国首脳の気持ちを掴んでいったのです。 原長官がなぜこの委員会を提唱したのか、後にご本人から聞いたのですが、ナイロビに行くことが決まった後、鈴木善幸総理に会い、10億円の資金を要請したそうです。 国務大臣環境庁長官として会議に出る以上、世界が納得できる事業を提案したい、環境立国として世界に決意を表明するためにも資金が必要です、と説明した。鈴木総理はそれを聞いて了解してくれたということでした。

ブルントラント委員会

この世界委員会は賢人会議とも呼ばれ、ノルウエーの環境大臣だったブルントラント女史が委員長に就任し、世界21か国の著名な方々が加わりました。日本からは経済学者であり外交官でもあった大来佐武郎さんが選ばれています。 委員会は2年半かけて世界をめぐりながら9回の会議を重ね、1987年5月、東京で最終会合を開き、報告書「our common future(われら共通の未来)」を公表しました。 ブルントラントさんは、その間、ノルウエーの首相になりましたが、委員長を辞めずにより精力的に取り組んでくれたのです。 委員会がロッシアで開かれた時、私はブルントラントさんにインタビューさせていただきました。その時には既に首相になられていたのですが、地球環境の課題について、委員会の意義について熱心にお話いただきました。 ブルントラントさんは、背はそう高くはなかったのですが、がっしりした体型で鋭い目をしていました。インタビューの途中で部下の方が書類を持って入ってきたのですが、片膝をついて説明をしていたのが記憶に残っています。 インタビューの最後に、日本がこの委員会を提案してくれたことに感謝している、と話していました。 日本のこうした努力が後に、この連載の第一回で書いた竹下元首相の活動に繋がり、1992年のリオデジャネイロの「環境サミット」を導いていったのです。

「われら共通の未来」

12章構成で、第1章で現在の環境課題を述べ、第2章で持続可能な開発に向けて、環境・資源基盤を保全しつつ開発を進める「持続可能な開発」の道程を提示している。次いで経済、人口、食糧、生態系、エネルギー、都市、海洋・宇宙・環境などの共有財産、平和、安全保障、第11章 平和、安全保障、開発と環境、学術研究国際的な法制度の充実などについて詳細な分析と方向性を打ち出している。邦訳は『地球の未来を守るために』福武書店1987年。
この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年6月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら