元女子プロゴルファー、イ・ボミさんの人生が先日、テレビで放映されていました。幼少時代からの猛練習や恩師の証言など、人間ドラマとしても面白かった。
その中で仲良しだった上田桃子選手との会話のシーンがありました。上田さんが「ボミちゃんは厳しい戦いのさなかでも相手選手が良いプレーをすると拍手したり声をあげたりするよね。真剣に勝負しているときに私はそんなことはできない。どうしてそんな余裕があるの」と聞いたところ、イ・ボミさんは次のように答えたのです。
「子どもの頃から私はゴルフが大好きでした。何時間練習しても楽しかった。私にとってゴルフでの対戦相手はゴルフコースなんです。人と競争するのではなく、いかにコースを攻略するか、そこなんです。難しいコースをうまく乗り切ると気持ちがいい。だからスコアが競っている時でも相手の方が良いプレーをすると嬉しいんです」
私はその時、以前にこの連載で中部銀次郎さんが「コース攻略はティーグラウンドからいかにきれいな線を引いてホール迄たどり着くのかということが大事なのです」という趣旨の話を取り上げたことを思い出しました。その時は、中部さんの言葉を登山に当てはめて、未踏の岩壁を初登攀するときに「真っ白い巨大なキャンバスにどのような線を引いていくのかと考える」ことに似ていると書きましたが、今回のイ・ボミさんの発言を聞いて同じ感覚が蘇ってきました。
人との闘いを超えて

スケートの小平奈緒さんがテレビのインタビューで「氷と仲良くなりたい」という趣旨の話をしたことがあります。世界一を争うトップ選手がレースのテクニックや体力強化ではなく、「氷と仲良く」と言ったことに意外な感じがしました。
ソウル・オリンピックで金メダルに輝いた後、青森山田学園で講演、対談に来てくださり、学生の前でオリンピックでの経験を話していただきました。
話が終わって個人的に話す機会があり、「氷と仲良くなりたい」という言葉の意味をお聞きしました。
小平さんは「うまく説明できないんですが……」と言葉を濁されていましたが、前後の会話から、私は、スピードを出すために「氷の状態を足元から感じとり、それに合わせた滑りがしたい」ということではないかと推察しました。
0秒1を争う厳しいレースを制するためには、「氷の状況をいかにうまくつかむか」が勝敗を決する。足元から感じ取る氷の状態、硬いとか柔らかな感じだとかいう微妙な変化をうまくつかみ取り、それに合わせた滑りをしていくことが究極の課題だ、と言いたかったのだろうと思いました。
そうした信念が、レース後に銀メダルに輝いた韓国の選手を抱きしめた行為に表れていたようです。
小平選手の発言は、イ・ボミ選手が「コースとの闘いだ」という信念と同じように思えます。それが結果的に勝ちに結び付くのではないでしょうか。
ランナーズ・ハイ
人間同士の勝ち負けを争う競技ではライバルや人間同士の戦いに終始することが多いでしょう。しかし、ある時点で競技者は人間同士の戦いを超えて競技そのものに集中し、気持ちよいショット、きれいに滑ること、といった次元に入り込むことがあり、これは一般的には「ゾーンに入る」などと表現しています。
往年のマラソンランナーの瀬古利彦さんは最近のテレビのインタビューで、「長い競技生活の中で一度だけ、どこまでも走れるような気がしたことがあった」と、いわゆるランナーズハイの状態を経験したと話しています。
登山にも初登頂、初登攀などを競うこともありますが、人間同士の戦いより山は厳しい存在です。最終的には人との競争より、山との闘いのほうがはるかに難しい課題になります。
夢を追う高い目標
こうした心理状態に入り込むことはスポーツに限らず、どの分野にもあるでしょう。そこが人間の面白いところではないでしょうか。
SDGsは本来の目標として、現在の世界を覆う貧困、不平等、環境問題などの改善について、社会や経済の構造そのものを再設計するような「抜本的な変革」が必要であると強く訴えています。「誰一人取り残さない」政策をも要求しています。
人間同士の競争ではなく、地球と人間との共存といった次元に思いを馳せてほしい、という期待が背後にあります。イ・ボミ選手の発言に通じる考え方です。
プロゴルファーが技術や勝負を超えた心情をより積極的に発信していただければ、日本各地で影響力のある様々なゴルファーに大きな力を与えてくれる。
それが広がって多くの人が「人間と自然、地球」などのあり方を再考するきっかけとなるでしょう。SDGsの本質はそこにあるのです。
SDGsの本質
1 持続可能な世界の実現。人間社会・経済・環境がバランスよく発展し、将来の世代も豊かに暮らせるようにすること
2 誰一人取り残さない。貧困・格差・差別・不平等など、世界中のすべての人が人間らしく生きられる社会を目指す
3 地球規模の課題解決。気候変動、資源の枯渇、生態系の破壊など、地球規模で取り組むべき問題に国際社会が連携して取り組む
4 普遍性と共通目標。SDGsは、すべての国(先進国・発展途上国)に適用され、目標達成に向けて行動する
無心で走っていると、誰でもランナーズハイになることがある。どこまでも気持ちよく走っていけるような気分で、走っていることすら忘れるほどだ。
SDGsは、人と自然、地球などとの付き合い方を根本的に考え直すことを求めています。
この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2025年6月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。
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