連載SDGs 第61回 オイルショックと環境政策 日本環境教育フォーラム会長 岡島成行

連載SDGs 第61回 オイルショックと環境政策 日本環境教育フォーラム会長 岡島成行

イラン紛争

アメリカとイスラエル対イランの戦況が混乱し、中東からの石油やガスの輸入が止まっている。石油輸入の停滞は石油関連のナフサの輸入が止まるなど、日本の経済にも大きな影響を与え始めています。 株は乱高下し、世界経済の行く末も定まらないままです。アメリカとイランの停戦が実現し、ホルムズ海峡の自由航行ができるようになるまでどのくらい時間がかかるのか分からないままの状況が続いています。 トランプ米大統領の訪中が5月中旬に予定されているので、この記事が皆様のお手元に届くころに停戦が実現し、石油やガスの輸入が正常に戻る目安が付けばいいのですが、不確定要素が多分にあるので安心できません。

第四次中東戦争

今回の中東紛争でまず思い出されるのが第四次中東戦争です。この時にはアラブ産油国が石油価格を4倍に値上げしたため、インフレ、経済成長の鈍化などを引き起こし、世界経済に大きな打撃を与えました。 私は個人的にこの第四次中東戦争に苦い思い出があります。 当時、私の父親は横浜で小さな鉄工所兼建設会社を経営していましたが、この時、東京・六本木のマンション建設を請け負いました。そこまではよかったのですが、欲を出し、「材料持ち」での契約をしました。自社で材料も調達すれば儲けが大きかったからです。しかし、中東戦争が勃発し、材料費が大きく値上がりしてしまい、大損をしたのです。 父の会社はその後、2年ほど持ちこたえましたが、六本木のダメージを払拭しきれず、倒産してしまいました。その時、私も借金の保証人になっていたため、年収以上の金を支払わなければなりませんでした。 あの時、世界の情勢を考えれば材料持ちの選択はあり得ないはずでしたが、小学校卒の父は世界情勢を読むなど考えもしなかった。当時私は新聞記者として最も忙しい時期でしたので、相談にも乗れず、借金がかさんで動きが取れないときにはじめて事情を知ったような有様でした。お金よりも相談に乗れなかった悔しい思いが今もよみがえります。

公害対策

[caption id="attachment_95101" align="aligncenter" width="788"] 環境庁設置の看板を掛ける山中貞則初代環境庁長官。1970年12月に開かれた「公害国会」では環境庁設置や公害防止、自然保護など14法案が可決され、その後の我が国の劇的な環境改善の基盤となりました。[/caption] この戦争を挟んで日本には別な課題が発生していました。経済発展の反面、日本各地に公害が発生し、その対策として1970年末の国会で公害対策関連の14法案が可決され、公害撲滅を図ったのでした。アメリカでマスキー法(大気浄化改正法)が可決され、自動車の排気ガスに対する大幅な規制が決まりました。 大変なハンデを負った日本でしたが、この困難を10年かけて逆転勝利に結びつけたのです。 公害対策は政府も国民も企業も真剣に取り組みました。その結果、企業の技術も住民運動も国家も公害に対し足腰が強くなり、結果的に公害対策では世界最先端を走るようになりました。 環境省のあるお役人から聞いた話ですが、1980年代初頭に日本を訪れたOECDの環境担当官と東京の高層ビルで食事をした際、OECDの方が外を見ながら「奇跡だ」とつぶやいたそうです。わずか10年で大気汚染に煙っていた東京の空がきれいになっている。それを「奇跡だ」と感極まった声で話し、いつまでも外を見ていたといいます。

CVCCとロータリーエンジン

[caption id="attachment_95102" align="aligncenter" width="788"] 1973年10月6日、第4次中東戦争が勃発。エジプト・シリア軍がスエズ運河、ゴラン高原でイスラエル軍に対して攻撃を開始しましたが、10月24日、国際連合による停戦決議をうけて停戦となりました。戦争に伴い石油輸出国機構(OPEC)が石油価格引き上げ、日本を含め、世界経済は大きな打撃を受けました。[/caption] 一方、マスキー法のほうですが、それまでの排気ガスのうち一酸化炭素、単価水素、窒素酸化物などを数年で90%以上削減するという厳しい規制です。アメリカをはじめ世界の自動車メーカーは、技術的に不可能と反発し、ロビー活動を強化し、廃案に持ち込もうと必死でした。 その時、密かに策を練っていたのが本田宗一郎氏です。四輪車製造に乗り出して間もない本田技研でしたが、宗一郎氏はここが勝負とばかりマスキー法をクリアするエンジンの開発を命じました。まさに社運をかけた研究開発でしたが、技術陣は懸命の努力を重ね、2年後にマスキー法をクリアするCVCCエンジンを完成させました。 このニュースが伝わると、世界の自動車メーカーは慌てました。今までできないと強弁を重ねてきた各社が新興の小さなメーカーに出し抜かれたのです。その後、広島のマツダがマスキー法をクリアするロータリーエンジンの改良を発表しました。 これで勝負あり、です。これまで新しいエンジンの開発はできない、と言っていた大メーカーは慌てて開発を進め、ついにはほとんどのメーカーがマスキー法をクリアするエンジンを作り上げることになります。

逆転の発想

石油ショックとマスキー法というハンデをチャンスに変えた日本の自動車業界は、その後の石油価格の上昇を背景に「小型で燃費が良く丈夫な日本車」という評判を呼び、アメリカで一気にシェアを拡大するという結果をもたらしたのです。 今回の石油不足でも慌てずに創意工夫で乗り切れないものか、と思います。石油の無駄遣いをなくし、EUやアジア諸国との連携、温暖化防止や新エネルギーの開発、AIの活用などへの努力などは、日本の経済を強化するチャンスと捉えることもできるでしょう。今こそSDGsの長期的視点に立ち、国を挙げて踏ん張るときではないでしょうか。

「自動車と公害の歴史」

[caption id="attachment_95103" align="aligncenter" width="788"] ホンダ・シビック。マスキー法を先取り
したCVCCエンジン搭載のモデルは、
1973年末に追加モデルとして登場し
ました。[/caption] 日本では1950年代から自動車利用が広まり、60年代になると急速に普及するようになるが、工場の排気とともに激しい大気汚染が発生するようになった。ロスアンゼルスや東京では光化学スモッグが発生する。 70年代は公害国会やマスキー法など、世界的にも大気汚染の規制強化が始まる。日本の自動車メーカーは技術革新を断行、低燃費、低公害、故障が少ない、などの成果をあげた後、オイルショックの影響もあってアメリカ市場を席捲、自動車王国の基礎を築く。 80年90年代以降は公害から地球環境問題に進み、トヨタのハイブリッド車が先行する。93年に京都で開かれた温暖化防止条約締約国会議(COP3)に展示した際、トヨタの幹部は「これで(ホンダに先を越された)マスキー法以来の屈辱が消えた」と語った。 イランが湾岸諸国の石油施設を攻撃するadobeのイラスト。アメリカとイスラエルによるイラン攻撃でイランが反撃、ホルムズ海峡が封鎖され、世界に向けた石油輸送がストップしています。 トイレットペーパーを買いに走る主婦たち。第4次中東戦争では、オイルショックで「トイレットペーパーが無くなる」とデマが流れ。国中大騒ぎとなりました。 [caption id="attachment_95104" align="aligncenter" width="788"] 初代プリウス。1997年12月、京都で開かれた気候変動枠組み条約第三回締約国会議(COP3)に展示され国際環境NGOらから絶賛される。当初は不安気味だったトヨタ幹部も「これで自信が付きました」と話していました。[/caption]
この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2026年5月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら