JR蒲田駅の西口から徒歩15分、東京大田区新蒲田の住宅街に囲まれて「加藤農園ゴルフリンクス」はある。1966年開場、今年で57年の歴史がある。
「農園」の名称から田園地帯の練習場をイメージするが、実際には住宅地に位置している。このゴルフ練習場の成り立ちについて、事業会社である有限会社NOUENの代表取締役加藤賢治氏、夫人の亜弓取締役に話を聞いた。
加藤家は、この地で400年以上前から農業を中心に営んでいた。歴史的にはそれ以前から居住していたというが、近隣の菩提寺「大楽寺」の過去帳が焼失して不明とのこと。代々農業を営んでいたが、途中、籠生産や畳屋などをしていた時期もあったようだ。
明治以降も農業を続け、戦前戦後も、大消費地に近接していることから、桃、梨、ぶどうなどの果実、野菜、コメなどを栽培していた。昭和に入り宅地化が進み、1960年頃には近隣で農業を営むのは加藤家だけとなってしまった。
<img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/08/kato2.jpg" alt="" width="1683" height="1164" class="size-full wp-image-78415" /> 加藤農園ゴルフリンクス 創業時栄一会長・打席
ちょうどこの時期、東京電力の変電所をこの地域につくるとの話があり、土地の一部の売却を迫られた。加藤社長の父・栄一氏(現会長)が農業からの転換を考え、親族の官僚のアドバイスも得て当時流行っていたバッティングセンターやゴルフ練習場などが候補にあがった。
バッティングセンターは使用する土地の面積が少なく、また、親族が横浜の日吉でゴルフ練習場を始めており「風呂屋の番台に座っているのと同じで、現金収入で楽な商売」との話を聞いた。それで農業をやめてゴルフを選んだが、栄一氏はゴルフ経験が全くなかったという。
開業にあたり、クラブハウスは地元の工務店に建ててもらい、1階11打席40ヤードの土の打席で、スタンスマットとアイアンマットを土の上に置いた。フェアウェイは天然芝。ボールは人が手作業で拾い、回収したボールはイモ洗い機を使って洗浄、乾燥させて箱に入れ、来場者に提供していたという。
開業時から天然芝の練習用グリーンを備えていた。さらに地元の来場者から「バンカーを造ったら」との発案を受け、開業1年足らずで練習用バンカーも設置した。当時3歳だった加藤社長は、
「バンカーで砂遊びをした記憶があるんですよ」
と振り返る。
<img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/08/kato4.jpg" alt="" width="788" height="525" class="size-full wp-image-78417" /> 加藤農園ゴルフリンクスバンカー
ネットの高さは15mで、当時は建築許可がいらない構造物で、ネット柱も知り合いから建設業者を紹介してもらった。開業から比較的順調なスタートを切った。
蒲田地域には町工場の経営者でゴルファーが多く、この練習場に仲間とともに集まってくれるようになった。当時はまだ、栄一氏もゴルフを知らない中で、顧客が練習場を支えてくれたという。開場は10月、その翌月の11月には顧客が役員会をつくって月例コンペ「栄会」が発足した。現在は解散したというが、400回以上の回数を重ねた。
栄一氏は当時、ゴルフ場にコンペを予約する方法がわからず、顧客が主体となって予約、開催してくれたという。栄一氏は、
「設備に不具合があると、蒲田の工場の常連さんが直してくれたり、あれよあれよという間にスムーズに立ち上がった。地域に支えられ、賑わいのある練習場となりました」
と、当時を振り返られているとのことである。
地元を愛し愛され
「加藤農園ゴルフリンクス」の名称は創業時から変わらないが、そこには2つの想いが込められている。親戚が、自分たちのルーツを忘れてはならないと「加藤農園」を提案。また「リンクス」は、知人からのアドバイスで人と人のつながりを大事にする「輪・和」から取った。
筆者は、名前の由来を知る前にこう考えていた。「リンクス」はゴルフ発祥のセントアンドリュース・オールドコースに代表される「ゴルフリンクス」から取ったもので、「農園」との組み合わせも、現在のSDGsの考えに近く、モダンな名前だなと。しかし、今回改めて由来を聞いて、ルーツや「輪・和」を大事にする意図を知った。地域のゴルファーが栄一氏を支えてきたことを含めて、色褪せない本質の価値を再認識した次第。
1983年、加藤社長が大学3年の時に、事業継承を前提に現在の2階打席にリニューアル。1997年には、やはり「地元の工務店」に依頼してクラブハウスを全面改修。2003年に今後の事業継続・継承を考え、事業を会社組織とした。
都市型の屋外練習場が継承できない最大の問題は相続である。事業を継承するためには、法人化も含めて長期的な対策が必要だ。東京の環状八号線に近い大田区にある「加藤農園ゴルフリンクス」では、20年前からその準備をしていたことになる。
社長夫人の亜弓取締役も、
「法人化の目的を明確にすることが大切です。事業を次の世代につなぐことを含めて考えています」
現在、他社で社会経験を積んだ2人の子息が入社して、3世代の経営体制が整っている。
経営ポリシーは「若者からシニアまで、みんなが楽しんでもらえる練習場」だが、実際、そのとおりの来場比率になっている。20代:21%、30代:15%、40代:15%、50代:28%、60代:12%、70代:9%と、各世代が満遍なく訪れる。
特に若い世代の来場比率が、他の練習場に比べて明らかに高い。この点について加藤社長は、
「息子達が経営に加わって、携帯アプリなどSNSの活用で若い世代を取り込めました。その一方、シニア世代が弱いので、自分たちがその課題を解決する必要があります」
2018年、新たな取り組みを始めている。近隣の蓮沼駅近くの商業ビル2Fに、4打席の屋内練習場「インドアスクール Choccoto」を開業。ちょこっと練習できる利便性を重視したもので、不動産会社からの提案を形にした。
「将来のゴルフ練習場はどうあるべきか。課題を常に考えて、トライしています」(加藤社長)
地元のゴルファーに支えられ、地元に仕事を発注し、地元の声を形にする。「加藤農園ゴルフリンクス」の名称と思想は、栄一会長から脈々と受け継がれている。
<img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/08/kato3.jpg" alt="" width="1753" height="1203" class="size-full wp-image-78416" /> 加藤農園ゴルフリンクス 開業時ハウス入口
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この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年7月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。
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