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    ハッシュタグ「ミズノ」記事一覧

    ミズノは2024年11月25日に、組織一部変更と部長級以上の人事異動を発表した。 ◆組織の一部変更(2025年1月1日付) 1.グローバルマーケティング本部を新設し、ストラテジックマーケティング室、コーポレートマネージメント室、コーポレートコミュニケーション室を設置。 2.グローバルフットウエアプロダクト本部の企画・開発・デザイン部、 ソーシング・生産品質管理部を再編し、商品企画部、デザイン・開発・ソーシング部、生産・品質管理部とする。 ◆組織の一部変更(2025年4月1日付) 1.専門店営業本部のライフスタイル東日本専門店営業部、ライフスタイル西日本専門店営業部を廃止。同本部スポーツ東日本専門店営業部をエリア営業本部首都圏営業部に統合。同本部スポーツ西日本専門店営業部をエリア営業本部関西圏営業部に統合。同本部に専門店営業部新設。 2.営業開発部をエリア営業本部に編入。 ◆人事異動(部長級以上/2025年1月1日付) ・グローバルフットウエアプロダクト本部 商品企画部 部長 陳 賢太 ・グローバルフットウエアプロダクト本部 デザイン・開発・ソーシング部 部長 竹下 豪 ・グローバルフットウエアプロダクト本部 生産・品質管理部 部長  村山 壮 ・グローバルマーケティング本部 本部長 兼 ストラテジックマーケティング室 室長 太田 友宏 ・グローバルマーケティング本部 コーポレートマネージメント室 室長 田谷 潔 ・グローバルマーケティング本部 コーポレートコミュニケーション室 室長 山本 美香子 ・品質保証室 室長 高島 嘉守 ・内部監査室 室長 参鍋 敦史 ・アスレティック事業部 コンペティションスポーツマーケティング部 部長 佐々木 孝裕 ・ゴルフマーケティング部 部長 兼 アスレティック事業部 ライフ&ヘルスマーケティング部 部長 藤原 誠 ・APAC統括 CAO(兼)CDO 水野 真輔 ◆人事異動(部長級以上/2025年4月1日付) ・専門店営業本部 専門店営業部 部長 小森 敦夫 ・エリア営業本部 北日本営業部 部長 木村 陽平 ・アスレティック事業部 ライフ&ヘルスマーケティング部 部長  中菊 昌之
    (公開)2024年12月03日
    ミズノは9月15日、『ミズノプロシリーズ』に新モデルを追加。 マッスルバック形状の『ミズノプロ241』、競技ゴルファー向けの『ミズノプロ243』、中空形状の『ミズノプロ245』を発売した。 モデル名の最初の二けた「24」は2024年モデル。下一桁は1→3→5という流れで、数字が大きくなるにつれて易しいアイアンを表している。 今作の特徴は、ゴルファーが求める鍛造アイアンを追求した点だ。長年同社で採用されている「グレインフローフォージドHD製法」はフェースネック一体成型の鍛造製法で、鍛流線をヘッドからネックまで途切れさせないことで、打球音を長く響かせる効果がある。 また、音の響きや高さ、大きさ、音色を追求する同社独自の「ハーモニックインパクトテクノロジー」との相乗効果により、同社ならではの心地よい打感を生み出しているという。 『ミズノプロ241』は、米PGAツアーで評価が高かった前作『ミズノプロ221』をベースに開発された。 バックフェース面の打球部付近を厚肉化することで振動を抑え、ソリッドな打感を実現した。さらに番手ごとでブレード部の厚さを調節し、ロング・ミドルアイアンは高弾道、ショートアイアンは低打ち出し&高スピンでグリーンを狙うことができる。ショートアイアンはヘッド長を短く設計しており、操作性に優れた仕様となっている。 『ミズノプロ243』は上級者が求める飛距離性能と操作性を両立したキャビティバック。 素材に高強度「クロムモリブデン鋼」を使用し、前作『ミズノプロ223』よりもフェース面を0・3mm薄肉化したことで反発性能が向上している。また「マイクロスロット」と呼ばれる、高初速エリアの拡大と飛距離性能の向上を促す効果のあるフェース裏の溝の幅を番手ごとに変化させることで、それぞれの距離に応じた最適なパフォーマンスを発揮する仕様となっている。 『ミズノプロ245』は、前作『ミズノプロ225』同様に「クロムモリブデン銅」を採用した中空構造となっており、フェースのセンター下部を前作よりもさらに薄肉化し、鍛造アイアン史上最高反発を達成。また前作の約1・6倍に及ぶ、約47gのタングステンを低い位置に配置、深低重心に設計することで高い飛距離性能とやさしさを兼ね備えたモデルとなっている。 また、従来のブレードアイアンとは異なる重心位置によってロング・ミドルアイアンでも高弾道を、そしてショートアイアンは低い打ち出しで高スピンを実現。#4~#8はステンレスボディにクロモリのフェース素材、#9~PWは軟鉄鍛造と飛びと軟鉄の打感の良さを共存させたセット構成となっている。 価格は以下の通り。 ■『ミズノプロ241』(6本組):14万5200円~ ■『ミズノプロ243』(6本組):15万1800円~ ■『ミズノプロ245』(6本組):15万1800円~
    (公開)2023年09月19日
    1本18万円のチタンウッド 専門店と量販店を比べた時に、ある種の思惑違いと言いますか、我々が専門店を過大評価したことは否めません。 ミズノはゴルフ専門店がなかった時代に、スポーツ店と一緒になってゴルフの売り場を作ってきた。そのとき私らが強く言いつづけたのは「ゴルフはほかのスポーツとは違うんです、専門性を磨きましょう」と。そういった経緯があったので、ゴルフショップは専門性が強いんだと、我々自身が思い込んだのかもしれませんな。 前回でも述べましたが、二木ゴルフさんとの取り引きで感じたのは、量販店の力強さであり、対して専門店の脆さだったような気がします。 そのうちメーカーは大型店に翻弄されて、コントロールできなくなってしまった。新規出店が相次いで、その都度オープニングセールをやるわけですが、特価チラシを見るたびにぴりぴりしとったもんですよ。 ただ、それが時代の熱気でもありましたなぁ。小売りの競争に煽られる形でね、商品開発が活発になって、新しい商品、魅力ある物がどんどん出た。平成2年に業界初のチタンウツド(ミズノプロTi)を1本18万円で発売したのが代表的な例ですよ。 もっとも、その頃私は全社の営業を見る立場で、ゴルフ事業は片山君(彰氏、元専務)に譲っておったんです。会議には出席するけれど、ほとんど口を出さないようにしましてね。20名ほど集まるゴルフ会議で個々の意見を提案させて、「1本18万円」も全員の合議で決めました。 チタンウッドの18万円は他の商品よりも掛け率を低くして、お店に儲けてもらうんだと、そんな狙いもあったんです。ただし、当初の販売目標は少なかったはずですよ。たしか年間5000本程度かな。それが最終的には3万本に届いたわけで、勢いというのは凄いですなあ(笑)。 <h2>目指せ5000億企業</h2> <strong>当時、ミズノは全社的に活気があった。『ミズノプロTi』を上市した平成2年は年商1768億円(単体決算)、翌年以降1922億円、2003億円と飛躍的に伸ばし、これが同社のピークとなる。</strong> <strong>世界はビッグニュースに溢れていた。東西ドイツの統一(平成2年)、湾岸戦争やソ連の解体(同3年)。バブルの崩壊も同年で、証券会社の損失補填が社会問題になっていた。</strong> ちょうどあの頃、ミズノは21世紀に「5000億円企業」を目指すんやと、そんな構想がありました。社内の総合企画室を中心にいろいろ立案するんですよ。政府の資料、銀行の意見とかを集約して、物販じゃどんなに頑張っても2000億が限界だろう、残り3000億を上乗せるには物販以外に何ができるか事業部別に考えろと。 いま思えば、一種の熱病だったですよ。バブルの怖さと言えばそれまでですが、経済の実態を見誤った、ミスがあったということを、とても反省しております。私にも責任あると思ってます。 で、当時なにをしたか? 最初は勉強のために西田辺の社員寮を潰しましてね、上はマンション、下はフィットネスクラブを作りました。MARV構想の一環ですよ。 <strong>施設産業を中核に据えたMARV(ミズノ・アクティブ・リゾート・ヴィレッジ)は、同社の新機軸として大いに期待された。フィットネスクラブ、テニス施設、ゴルフドームやゴルフ場経営など、施設産業を意欲的に立ち上げた。</strong> <strong>平成4年にはミズノの新たな象徴となる南港の新本社ビル「ミズノクリスタ」が落成している。総工費300億円を投じた地上147m(地下3階、地上31階)で、1~4階に「光のオプジェ」、1、3、4階にスポーツ博物館、31階にはスポーツバーを設けている。</strong> <strong>「スポーツ文化新世紀への再創業精神」と謳った一大事業の背景に、5000億円構想があったことは言うまでもない。</strong> 初めて「ミズノクリスタ」を見た時には、へえ〜っ、派手なもんやなあと、正直びっくりしたもんですわ。あの頃は真面目に仕事しとれば売り上げを伸ばす自信があって、全社員が自信と昂揚感に包まれていました。 <h2>ゴルフ場が大失敗</h2> 最大の失策は、ゴルフ場ビジネスに乗り出したことですよ。私の記憶では、四国でゴルフ場やりましょう、滋賀県でどうや、岡山にもいい物件ありますよと、業者の売り込みは本当に頻繁でした。当時、日本全国で3000コースはできると言われていて、事実、私もそう思ったもんです。 日本全体が浮かれとったからしょうがない、とは言えません。景気の波は必ずある、その認識を誤ったということです。 営業を続けている月山(山形県)のコースは、苦戦してるようですな。思い出すのは地元代議士だった加藤紘一さんと月山のオープニングでゴルフやりましてね、これからは地方の時代やと、そんな話をしましたかねえ。 ゴルファーが増えて、高額商品が売れる中で、市場の成長を信じて疑わなかったわけですよ。 だけど、危機感を覚えたのは早かったんです。ミズノは平成4年のピークから売り上げがガタッと落ちましてね、平成5年が1894億円、その翌年が1727億円…………。こういった過程を見るにつけ、こりゃあかん、ゴルフ場やっとる場合じゃない、と。大ケガしてからじゃ遅いので、即座に方向転換したわけです。 近年、大幅なリストラをやりましたなぁ。1回目で350人、2回目で300人だったと聞いてますが、これも早めの決断でしょう。企業はヒトやと思うにつけ、まぁ、いろんなことを考えますが、私が口にすべきことではありません。 <h2>三者協力で立ち上げた「電波塔」</h2> ひとつ言えるのは、市場育成の大切さです。そりゃね、資本主義社会やから、個別の競争はあって然るべきです。だけどその一方で、業界が手を携えて大同団結しなきゃいかん。団結すべきは団結する、そうじゃないと市場は大きく育ちませんから。 かつては団結がありました。今は薄れている。そんな印象はありますなぁ。 ひとつの例を申し上げると、住商さんが中心になって立ち上げた「ジュピターゴルフネットワーク」(CS放送)があります。これね、「ゴルフ界初の電波メディアを持つんや」と、ダンロップの大西さん(久光氏、元住友ゴムエ業常務)が奔走されたんですよ。 それで大西さんは「ミズノさん、BSさんも株主になってくれないか」と。「そりゃええことや」と息投合したものの、BSとダンロップはボールで激しく戦うライバルでしょ。大西さんからは話し難いということで、私が山中さん(故幸博氏、元ブリヂストンスポーツ社長)を口説いたんです。 ミズノは以前から、ダンロップやBSの代理店でした。両社のボールをミズノが販売するという関係やから、早くから親しく付き合っていたんですよ。そんなわけで、山中さんとも肝胆相照らす仲というか、あちらがゴルフクラブ事業を始めたときは「お手伝いしましょうか」と申し入れたり、電話で話すことも頻繁でした。 内容は、まあ、いろいろですよ。「あそこのボール安いやないか」「まいりましたなあ」とかもあったけれど、そんな商売の話だけやなくて、業界に対する考え方、こうすべきじゃないですかと、事あるごとに意見交換をしたもんです。 ダンロップとBSの関係を見るにつけ、ミズノが接着剤をしましょうと、そこで三者協議が成立したんですな。ジュピターへの出資に山中さんは二つ返事だったです。「よし、分かった」と。それで業界の電波塔というか、ジュピターゴルフネットワークが立ち上がりました。 大西さんも山中さんも、人間の度量が大きかった。たしかに商売敵ではあるんやけど、ゴルフ界はこうあるべきだと、見ている世界が大きいんですよ。そのためには目先の競争だけじゃなく、協力すべきは協力する。度量が本当に大きかった。 要はお互いを立てる、ということですよ。エンタープライズを作ってトーナメントの隆盛を築かれた大西さんはダンロップの代表的な存在でしたが、こちらを立ててくれるんですな。他人の意見に耳を傾けて、出来る出来ないをしっかり言う。それが信頼関係につながったんです。 それにしても、山中さんは早くに亡くなられて残念でした。二木さんも山中さんも五十代の早世でしょ。仮にご健在だったなら、ゴルフ市場の風景は今とかなり違ったものになっていたでしょうなぁ。 私が業界を離れてだいぶ経つので、今、どんな状況かを詳しく知ってるわけではありません。だけどゴルフの楽しさを啓蒙するためには、一致団結が絶対に必要。これだけは強く言いたいですね。 若者の参入をどうするか、女性対策やジュニア育成についてもね、大局観が必要です。老婆心ながら、改めて業界のご多幸を願ってやみません。あなたも大いに頑張ってください(笑)。
    (公開)2023年05月29日
    急成長は二木との取り引きで始まった 量販店さんの登場がゴルフビジネスの景色を変えた、今もそんな印象が強く残っておるんですよ。先鞭を付けたのは二木ゴルフさんで、昭和58年の2月に取り引きが始まりました。 一言でいえばオッ!という驚きでしたな。なんせ取引金額が半端じゃない。具体的な額は言えませんが、一般の専門店さんとは桁が違ったわけですよ。 それだけではありません。二木さんは年間の供給計画をきっちり提示されてくる。仮に数億としましょうか、すると何月にこの商品をこれだけ欲しい、次に中押しでこれをいくら、何月にはあの商品でつなげましょうと………、実に緻密でダイナミックなんですよ。 二木さん以前にこういったやり方はなかったし、だからミズノにもきっちり供給する義務が発生する。いい加減と言っちゃ語弊がありますが、生半可な気持ちじゃ対応できんわけですよ。 多少の自負を交えて言えばですね、当時ミズノは商品力が強かったしブランド力もありました。ミズノを置いてあることで、二木さんの信用力やショップとしてのブランドが高まった効果もあるでしょう。つまり小売りとメーカーの相乗効果です。値段もきちんと適正を守って、相互理解が深まりました。 ミズノはこれをきっかけに、量販店との取り引きを加速します。二木さんと取り引きを始めた4カ月後、58年の6月にはアルペンさん、翌年の7月にヴィクトリアさんとも始まった。 アルペンさんとはスキーを巡る駆け引きというか、スキー用品の販売力は半端じゃない。一方、ミズノのスキーは強くない。だから我々はスキーを売って欲しい、逆にあちらさんはミズノのゴルフが欲しい。そんなやり取りで取り引きが深まりました。 シントミゴルフさんとは平成4年の11月に契約して、実際に商品が並んだのは12月からです。他社と比べて遅かったのは、シントミさんの経営方針が大きかった。 というのも、あそこは自社ブランドの商品を積極的に販売して、ナショナルブランドには前向きじゃないという姿勢があったからです。それでなかなか取り引きに至らなかったわけですよ。 まあ、今では大半の量販店さんとお付き合いがありますが、例外的にはつるやゴルフさん、こことは未だにご縁がありません。 <h2>カーボンヘッドでヤマハと競う</h2> いずれにせよ、二木さんと始まった頃はゴルフ事業部の隆盛期でしたね。前年の57年にはカーボンヘッドの『ヴァンガード』を発売しました。カーボンヘッドはゴルフ市場に参入したばかりのヤマハさんと我々が、どっちが早く発売するかで競い合った商品ですが、これが爆発的に売れました。 この年、ミズノの販売本数は230万本で、前年比40万本も増えましてね、今となれば信じられん伸び率ですよ。ゴルフ市場が急拡大して、量販チェーンとの取り引きで一気に増えた。そう考えれば両者の取り引きには必然性があったと思いますね。 <strong>昭和50年代の後半は、第二次異業種参入が相次いだ。代表的なのがヤマハ、ヨネックス、横浜ゴムで、これらは一様にカーボンヘッドの新規性で消費者への訴求を目論んだ。</strong> <strong>これにより大手企業の資本力を背景にした大量宣伝が勃発して、大量生産・大量販売も加速する。こういった市場の近代化を支えたのが量販店グループの存在だった。</strong> <strong>二木ゴルフはミズノと契約を結んだ58年に10店舗を構えていたが、61年に20店舗、63年に30店舗、平成3年に40店舗、翌4年には50店舗まで拡大した。当初「アメ横との取り引きに躊躇していた」(前号詳述)ミズノはしかし、量販店との連携を急速に強めていった。</strong> <strong>これは第一次異業種参入(マルマン、ダイワ精工、ブリヂストンスポーツ等)の企業群と、第二次異業種参入の企業群が激しく衝突した結果でもある。好景気と大量宣伝が社会の世間の注目を集め、ゴルフ人口を拡大し、昭和が幕を閉じる63年には、ゴルフクラブの世帯間普及率が31.7%に達していた。</strong> <h2>2週間の催事で4・5億売った</h2> 昭和60年代の熱気が如何に凄いものだったか、これを物語る材料には事欠きません。 例えば名古屋の松坂屋さんです。「中日クラウンズ」「東海クラシック」という地元の大きな大会があるときは、強烈な売り出しをやるわけです。61年の「クラウンズフェア」は2週間で4億5000万円も売りましたよ。 これ、ミズノだけの実績です。ウチだけの商品でそれだけ売れたということは、トータルの売り上げはもっといく。フェアに合わせてオリジナルクラブ(ゴールドノバ等)も作りましたし、松坂屋さんの仕入れ責任者で西脇さん(友彦氏、元松坂屋常務)という豪快な方もおりましてなぁ。 西脇さんとウチの養老工場(岐阜県)で落ち合って一緒に倉庫に入っていく。在庫をざあっと調べてね、よしっ、今度の売り出しはこれで行こうってなもんですよ。数億円のビジネスが瞬時に決まる。その代わり「売り出しはミズノ中心でやってくれなきゃ困りますよ」と、しっかり条件を付けましたがね(笑)。 その後スーパーの台頭もありました。ニチイさんやダイエー系のパシフィックスポーツさんが中心だったですが、こちらへの商品供給は、ゴルフ専門店に出す商品とは別のブランドで対応しました。 ミズノはそれこそ、物凄い数の商標を持っとるでしょ、そのリストをバンッと出して「こん中から好きなの選んでください」と。社内に特販部というのを設置して、今はチェーンストア事業部という名前やけど、完全な縦割りで対応しました。 こういった流通別のブランドを合わせると、かなりの数になりましたが、特に混乱はありませんでしたな。 ただし、スーパーとの関係は長くは続きませんでしたよ。最盛期でも売り上げの1割に届かなかったし、売れなきゃ引き上げるのがスーパーでしょ。そもそも長続きする関係じゃなかったんです。 <h2>メーカーと小売りの力が逆転</h2> 同じことは百貨店にも言えますな。デパートはいわゆる百貨です。なんでも置いてある。売れるとなれば力が入るし、売れなくなると縮小する。大阪はミナミで心斎橋の大丸さん、キタは阪急イングスさんという両巨頭がおられたわけですが、今ではゴルフの停滞が否めませんな。 その意味で専門店、ここはゴルフだけで飯を食う、ゴルフが唯一の生命線だけに、メーカーとしても共存共栄の本陣と見るわけです。専門店がなければ業界は立ち行かない、本来はそんな役割を担っているはずなんです。 あのぉ、このあたりで一度、きちんと総括する必要があるかもしれませんなぁ。単独系の専門店と、チェーンの専門量販店の役割を、我々メーカーはどう考えたか……、この点についてです。 今、専門店が弱体化してますが、ひとつには量販店との比較において、専門店はそれほど強くなかった、そんな印象があるんです。 小売市場全体の動きで象徴的なのは、ダイエーの売り上げが三越を抜いた頃から大規模小売りチェーンが強大になって、スポーツの世界もどんどん食われ始めた。公正取引委員会が「再販価格の維持はいかん」と物凄く強く言い始めて、流通における競争がどんどん活発になったんです。 つまり、メーカーと小売りの力関係が目に見えて変わってきた。 メーカーの数が増えて競争が激しくなれば、我々も売り上げと利益の確保に走らざるを得ませんね。専門店としっかりやらなきゃいかんと思いながら、数字が欲しいから量販店にも供給する。そういった流れで、いつしか専門店に来るお客さんは道具にこだわる自営業者、量販店のお客さんはサラリーマンという形が出来上がって、大衆が量販店を支持したわけです。 ただね、量販店が強すぎるとバランスが悪くなるじゃないですか。ですから我々も、専門店支援を試みました。一例が『マスターズ』という商品です。これを専門店用のブランドとして量販店には卸さない、だからしっかり売ってくださいと、宣伝も沢山しましたよ。 だけど結果的に失敗したのは、期待したほど量が伸びなかったからですよ。なんぼ知恵を絞っていい物作っても、量が出なけりゃ続きません。専門店の在り方に、多少首をかしげました。 概して専門店は、底が浅い。言う意味は、財力的に問題ある、あかんかったらすぐにやめてしまう。根強いファンを持たれていたグリーンウェイの保国さん(隆氏、故人)も、一時は工房に特化しました。小売りの大資本化に着いて行けんから、あの道に入らざるを得なかったわけです。 もちろんプライドを持って努力してる専門店も多いです。だけど一方では、努力が足らんお店があるのも事実でしょう。
    (公開)2023年05月22日
    昭和40年代半ばからは、いろんな会社がゴルフ市場に入ってきて、それこそ群雄割拠の様相を呈しました。特にホンマさん、マルマンさんは個性的な社長が旗を振って、「それ行けッ」てなもんですよ。だけどこっちは、まがりなりにも市場を開拓してきた自負がある。簡単には負けられんという気概がありましたなあ。 そこで、他社に負けないために一計を案じます。何かと言えば、販促予算の作り方です。ゴルフ事業がスポーツジャンル別の「専品制」、つまり事業部をベースにしていたことは前回も話しましたが、これをより明確にするものです。 ゴルフの場合は養老工場の出荷本数に対して小売り1000円、卸売りで700円の広告費をプールして、これを元に年間の販促予算を計上した。つまり、売れるほどゴルフ事業の販促予算が潤沢になるというわけです。 メーカーの宣伝はかなりの販促効果が期待できる。ゴルフ用品を宣伝することは、ゴルフそのものを宣伝することと同じです。異業種の参入が相次いで世間の注目が集まったことも相乗効果になったでしょうし、我々だけではなく、各社が積極的に宣伝しました。 国民の目がゴルフに向いてきたという実感はもの凄くありましたし、昭和48年頃はちょうどオイルショックでしたけど、この時ミズノの生産量は年間226万8000本で、ひとかどのビジネスになっていました。 48年といえばカーボン素材を使ったシャフト、色が黒いからブラックシャフトと呼んでましたが、『プラズマ』が印象深いですね。ウッドが4万9800円、アイアンが1本4万円、フルセットで47万円、これがむちゃくちゃ売れましてね、社内は俄然、沸き返ったものですよ。 ゴルフ場の開場ラッシュ <strong>昭和48年は、ゴルフ産業にとって一大エポックの年に位置付けられる。この年にオープンしたゴルフ場は104コースで、前年の49コースを大幅に上回り、初の「年間100コース増」を達成した。延べゴルフ場入場者も3000万人の大台を突破、昨対17.6%増を記録している。</strong> <strong>翌49年は更に拡大の足を速める。新規ゴルフ場154カ所、延べプレー人口3800万人台(13.9%増)、50年には166カ所が開場している。国内ゴルフ場数が1000カ所の大台を突破(1093カ所)したのもこの年だった。</strong> <strong>時代の後押しを受けたミズノは51年に契約プロ51名を抱え、他社の追随を許さぬ地盤を造った。52年にはセベ・バレステロス、ナンシー・ロペス、ローラー・ボーなど世界のビッグネームと契約を交わし、看板プロの樋口久子が「全米女子プロ」を制覇したのも同年のことだった。</strong> あの頃は、本当にビッグニュースに溢れていましたなぁ(笑)。特に樋口プロのメジャー制覇は小野・中村組のカナダカップ優勝に匹敵する大記録でしょ、ゴルフ場の開場ラッシュと相俟って象徴的な出来事でしたよ。 ただ、ゴルフ事業が安定して売り上げや利益を確保するようになったのは、昭和55年以降です。それまでは市場作りを急いだ時期だけに、やはり持ち出しというか、先行投資の部分も多かった。55年から平成5~6年までが、社業としても急速な成長を記録した時代です。 <h2>1本8万円のシャフト</h2> この間、私自身が肝に銘じたのは、量の商売に走ることなく、品質や技術開発を疎かにするなということです。初代・利八社長の社是に「良品安価」がありましたが、良品とは何か、それはひとえに品質ですから、このことは物凄くこだわりましたね。 やはり商売だから「相手をやっつけろ」という競争心は当然ある。だけど物量が増えれば不良品の問題も発生する。その可能性が高まるから、浮かれず王道を歩むんだと、率先垂範したわけです。   苦情に対しては真っ先に私自身が動きました。ある朝9時に浜松のお医者さんからクレームが入った。私、直後に代品を抱えて、昼過ぎにはお客さんのご自宅へ到着しましたよ。そりゃ、先方さんも驚きますな(笑)。私が素早く動くことで、社内の意識を徹底させたつもりです。 ブラックシャフトに保険を付けたのもミズノが初めてなんですよ。あの頃アルディラ社の『アルダエイト』というシャフトを採用しましてね、飛ぶけど折れた。不良率はたしか1~1・2%じゃなかったかな。 何回もアメリカへ飛んでアルディラの幹部と話し合い、結局は保険で対応しようと。だから高い、1本8万円ぐらいで売りました。ミズノは品質で王道を行く、この意識はあらゆる細部に徹底したもんですよ。 <h2>アメ横に好印象はなかった</h2> <strong>「王道」にかけるミズノの意識は流通面にも及んでいた。ひとつにはアメ横(上野御徒町)との取り引きに難色を示したことだ。それは、アメ横の大型店が戦後のPX(米軍基地内の売店)の横流れ品から発祥し、以降、あらゆる生活物資を大量に安く販売して、荒々しく勢力を伸ばしたこともある。</strong> <strong>この地に創業した「二木の菓子」は昭和46年にゴルフ市場へ参入し、54年には系列初の郊外店(大宮店)を出店。58年には10号店を達成するなどチェーン展開に拍車を掛けたが、それでもミズノは静観して、安易に取り引きを始めなかった。</strong> <strong>が、新興勢力の台頭は二木にとどまらない。マルマンゴルフは56年、記録的ヒットとなったメタルウッドの『ダンガン』を発売し、二木ゴルフをメインパートナーに販売攻勢を仕掛けてきた。</strong> <strong>大量生産が可能なメタルウッドと、大量販売の専門チェーンは相性が良く、大量生産・大量販売を確立した。そのため、当時東京支店の責任者だった片山彰氏(元専務)は堂湯氏に対し、二木ゴルフとの口座を開くよう矢の催促を送ったという。</strong> ミズノは大阪出身の企業やから、やっぱり西が強いんですよ。私がやっとった頃は東西のクラブ売り上げが4対6で西が強かったと思いますが、だから「東を攻める」という考えは、正直言えば強くなかった。関東でシェアを上げるんだと、そういった使命感はそれほど強くなかったんです。 あと、私自身、アメ横という商圏には好印象がなかったんですよ。ある出来事があって、それが何かは言えませんが、個人的には躊躇していました。東京はたしかに大きいんやけど、それより北の東北部はさして大きくないですよね。日本列島をきっちり東西で分けて戦略を考えることに、さして意味も感じなかったし………。 <h2>二木さんは「男やなぁ」</h2> だけど、東のシェアを上げようと思ったら二木さんを避けて通るわけにはいきません。東京の片山君からも矢の催促を受けましてね、「まだですか! 早く決断して下さい」と(苦笑)。もう、毎日のように急かされて。 それでも躊躇していたのは、ミズノが二木さんと取り引きしたら専門店さんへの影響は半端やない。大袈裟ではなく、ミズノ製品のボイコットを予想したし、あの頃はそんな時代やったんです。 ただ、いつまでも返事を引き延ばせない。結局、東京でシェア取るには二木さんしかないとなりましてね、片山君に山の上ホテル(東京御茶ノ水)で食事をセッティングしてもらって、初めて二木社長(故一夫氏)とお会いしたんです。 こちらの考えは、ミズノにはミズノの立場がある、過激な売り方されたら困るという腹があったんですが、そんなことゴチャゴチャ言う必要はありませんでしたなぁ。多くは話さなかった。 初対面で椅子に座って、二言三言………、それで「分かりました」と手を握った。この人は「男やなぁ」と思いましたね。随分早く亡くなられて………、51歳だったですか? 本当に惜しい人物を亡くしましたし、業界にとっても大きな損失やと思ってます。 取り引きは58年の2月からですが、二木さんは当時からゴルフ市場にしっかり根付くことを意識されていた。心配だった専門店さんのボイコットもなく、二木さんとの取り引きで大型チェーンとの先鞭を付けたわけです。
    (公開)2023年05月15日
    ゴルフ専門店はなかった 前回触れましたが、美津濃のゴルフ事業は「専品部」(昭和37年設置)をきっかけに本腰を入れました。 それ以前は自社で作ったクラブを自社のショップで売るという自己完結の商いでしたが、国家復興の一助として新しいスポーツ文化を創造するんだと、そんな利八社長の号令でゴルフが重点種目に選ばれて、専品部の編成となったわけです。 私はゴルフの責任者として、スポーツ店巡りを始めました。当時はね、ゴルフ専門店なんかありませんよ。そこで大阪の担当者4~5人でめぼしい売り場に当たりをつけて、根気強く歩きました。 めぼしをつけたのは、売り場に余裕があって気候風土がゴルフに適してる地域。さらに進取の気性に富んでる店、というところやね。 東京支店は大阪の翌年、昭和38年に専品部ができましたが、まずは「西」で実績を作ろうやないかと。電車を乗り継ぎましてねえ、いま思えば本当に難儀なことでしたなあ。 九州と四国で各10店、東海地方が15店、山陽で10店ぐらいです。雪の多い北陸と山陰は合わせても5店舗ほどだから、全部で50店程度ですよ。皆さん、ゴルフクラブを見るのも触るのも初めてやから、不思議そうな顔をして、首をかしげながらいじってましたなぁ(笑)。 <h2>即席レッスン会</h2> 営業時間が終わってから、店主と膝詰めの商談が始まるんです。商談というか、ゴルフってのはこういったスポーツなんですよと。店の裏庭に簡易ネットを張りましてね、グリップはこうでアドレスやテークバックはこうするんやと。 こっちも褒められた腕前じゃありませんが、まあ、即席レッスンをやるわけです。 私が入社した昭和26年には既に美津濃本店(淀屋橋)のゴルフ売り場にスクールがあって、週2日、商社とかのお偉いさんが習いに来てた。石角武夫さん、上堅岩一さんというプロがおられて、24球で30円のレッスンだったんです。 そんなことがあったので、私らも見様見真似で覚えてる。これを店主にやったわけです。 夜中にああでもないこうでもないとやったもんですわ。それでね、興味を示してくれたのは若い店主が多かった。大半が二代目で、野球が強い学校で選手だったとか、地元のスポーツに影響のある人達です。彼らをまずはゴルファーに仕立て、そこから普及するんやと。そんな狙いもありましたねぇ。 静岡のコハマスポーツさんはゴルフが大好きで、スポーツ店とは別にゴルフ専門店を立ち上げました。熊本では、体育堂さんが前向きに取り組んでくれました。ぽつりぽつりと賛同者が現れて、徐々に「流通」の体を成してきた。 で、これを広げるために一計を案じたんですよ。ゴルフショップに宣伝部の人間を連れて行ってね、映写機で店内を撮影する。4~5店舗の映像を15分ほどに編集して、それを取引店を集めた展示会で上映したんですわ。 「こちらのお店ではこんなふうにやってます。皆さん、参考にして下さい」と。 大阪会場で400店、東京で250店ほど集まって、「ほう、そんなもんかいなあ」と。真剣な顔が並んでいたし、具体例を見ることでゴルフの商いはそんな感じかと、身近になったはずですよ。 <h2>堂湯氏が書いた心得</h2> このとき強調したことは、ゴルフと一般スポーツの違いです。ゴルフは年齢層が高いから丁寧な応対が求められる。そのことを繰り返し繰り返し、粘り強く説明したもんです。 <strong>昭和37年4月1日、ゴルフ用品の物品税は第1種甲類1号の5割課税から、第2種甲類2号の4割課税へと減税された。しかし、スポーツ用品の中でもゴルフ用品は「金持ちのスポーツ」ということで、希有の高額課税だった。</strong> <strong>ゴルフ場には「娯楽施設利用税」も課されていた。当時ゴルフ人口は200万人程度とされ、ゴルフ場数295、延べ入場者数が735万人程度だから、数字面でも数少ない「富裕層の娯楽」であったことがわかる。</strong> <strong>同社が販売店向けに発行していた小冊子「美津濃卸部通信」(昭和38年3月1日号)には、堂湯氏が書いた次の一文が残っている。</strong> <strong>「ゴルフはやはり、地についた知識がなくては効果ある販売は難しいものです。大抵のゴルファーは熱心にゴルフ場通いをされ、ゴルフクラブについても大変なウンチクを傾けます。</strong> <strong>それに対していささかも動揺することなく正しい知識で対応しなければなりません。(中略)特にゴルフは一国一城の主が多いスポーツですから、お客様の自尊心を傷つけないよう注意しなければなりません」</strong> <strong>接客の心構えを事細かく説くところに、当時の時代相が窺える。</strong> <h2>6年で4倍の生産量</h2> このようにね、まずは「ゴルフ」を店主に知らしめることから始めました。昭和30年代の後半は、そこに精力を費やして、その後昭和40年から大掛かりなマーケティングを始めます。 ひとつにはゴルフ品メーカー初のツアー競技「グランドモナーク大会」や、新人プロの登竜門「ミズノプロ新人」の開催です。 イベントによるゴルフの啓蒙は専品部の発想で、いずれも昭和40年にスタートした。特に「グランドモナーク」は、創業60周年の記念行事ということもあって、本社の8階で派手な前夜祭をしたもんですよ。 成果は上々でした。二代目の健次郎社長がスポニチの上層部と懇意だった関係で、毎日放送、毎日新聞の後援を頂いたんですね。これで露出度が高まって一気に弾みがついたんです。 今でこそ、プロ契約やイベントで物を売るのは当たり前ですけどね、多少の自負を交えて言えば、美津濃が「イベント販促」の草分けでした。 昭和43年には樋口久子プロと契約を交わしましたが、この年55万本を生産しています。流通戦略も功を奏して、昭和45年頃からですな、街中にゴルフ専門店が目立ち始めて、取り引き件数も伸びている。 この年は大阪万博が開かれたし、2年後には札幌オリンピックも控えていました。田中内閣の「日本列島改造論」が道路事情を向上させるなど、目に見えて近代化が進むわけですよ。 この手元の資料によると、第1次オイルショックの昭和48年には生産量が226万8600本になっとりますなぁ。僅か6年で4倍の生産量に膨れ上がったわけで、まぁ、物凄い成長を感じたし、天井知らずで伸びていった。 <h2>異業種の大型参入続々</h2> <strong>昭和40年代に同社のゴルフ事業は躍進する。45年に「ミズノトーナメント」を立ち上げ、翌46年に100万本の大台を突破(133万本)、47年に大証一部へ上場し、この時契約プロは27名を数えている。</strong> <strong>昭和49年にジョニー・ミラーと岡本綾子、50年には中嶋常幸と契約を交わした。相次ぐプロ契約は、異業種の大手企業参入が刺激になった面もある。</strong> <strong>46年にマルマンとダイワ精工、47年にはブリヂストンがスポルディングとの合弁を解消してブリヂストンスポーツを立ち上げるなど、業界の様相が一変する。プロの争奪戦にも拍車が掛かり、美津濃は足場固めを急いでいた。</strong> 手元に昭和48年の資料があるんですが、これを見ると当時のシェアは1位ミズノ、2位マルマン、3位がダイワ、4位ダンロップ、5位にBSとなってますなぁ。うちのシェアは3割ぐらいだったと思うけど、最盛期は半分の5割を占めておりました。 それが4割3割と落ちるもんやから、心中穏やかじゃなかったですよ。 特にホンマさんは、いろんな意味で気になる存在だったですねぇ。プロ戦略が上手でしょ、だから上級者のロコミに定評があったし、うまいやり方するなあと。 <h2>王道は品質</h2> ただ、あそこの価格政策には疑問を感じておりましたな。売値をいきなりど~んと下げるから、ゴルフクラブってのは定価からそんなに割引くのかと、ゴルファーが思うじゃないですか。業界全体の信用に関わるわけですよ。 上代もね、うちが5万円ならホンマさんは7万円。「ウチは踏み台にされとるなあ」とぼやいたもんですよ(笑)。 もうひとつ、マルマンさんも刺激的でした。刺激的というのは、あそこの「小売り優遇政策」ですよ。これだけ売ったら海外旅行に連れてきますと大盤振る舞いされていて、まあ、各社ともそれぞれ旗を振って、市場にアピールしとったわけです。 こっちも商売だから、「やり返せッ」という気分がないでもない。だけど「美津濃は王道を行く」という信念があって、それは品質への責任ですよ。 ある朝9時に浜松のお医者さんからクレームが入りましてね。私、その日の昼過ぎには代品を抱えて、ご自宅の玄関をノックしておりました。
    (公開)2023年05月09日
    昭和26年の春、私は福井県の敦賀高校を卒業して、すぐに美津濃(ミズノ)へ入社しました。終戦から6年が経っておりましたが、ひどい就職難だったことを覚えています。 ただ、私自身はさほど就職に苦労しませんでしたな。兄が美津濃に勤めていて、先生もそれを承知していた。「だから行ってこい」「そうですか」ってなもんでね、えらく簡単に決まりました。前年の9月に内定をもらって、田舎から大阪へ出て来たんです。 大海を見たい、その一心でしたよ。父親は三男坊の私を地元に置いときたかったようですが、どうしても行かせて下さいと。一生懸命頼みました。入社は3月15日、今でもよう覚えとります。 だけど、4月最初の日曜日、実家へ「もう、いやや」と泣き言をいったもんですよ。なんせ食料事情が悪かった。敦賀湾の新鮮な魚を食べ慣れた私にとって、社員寮の食事は耐え難く、都会と田舎の食料格差を痛感したものです。 福島区には新入社員の寮があって、50人ほどが寝起きする。麦飯と味噌汁と漬物に、おかずが一品・・・。半月で3キロぐらい痩せたもんですよ(苦笑)。仲間は田舎出の子供が大半だから、寮で酒飲んで語り合うとか、そんなことはありません。何よりも、飯でしたなぁ。 星は十倍、我まず二倍 美津濃は当時からスポーツ用品の日本一で、高いけど良品を作るイメージが強くてね。私も少年野球やってたので美津濃のグラブを使ってました。 初任給は7000円、これは中の下だったでしょう。戦後、国家復興に邁進していたあの頃は銀行、炭坑、繊維、証券などの会社の給料が良かったですな。スポーツ業界も上り調子で、国民の体力向上に貢献しよう、復興の一翼を担うんだと、そんな熱気に溢れてました。 当時の本社ビルは淀屋橋の8階建てで、現在は直営ショップの本店になっています。そこで月1回、創業者の利八社長が訓示をされる。「星は十倍、我まず二倍」……。自分で思う倍働けいうことですよ。 大変プライドの高い方で、天皇陛下への思いも強かった。進駐軍に占領されて、人間宣言をして国民を救って下さったと、そんな話をする時は必ず涙を流されて。国家国民ということについて、強い責任を感じておられた方でした。 大阪の本社勤務は150人ほど、全員で訓示を聞きましたよ。神田には東京支店もありましたが、これと大阪工場、養老工場を合わせても500人程度の会社でね、だからトップの思想が末端の隅々まで染みわたる。 国家観をもって貢献しろ、良品を作れ、プライドを持って仕事しろと、𠮟咤激励されたものです。家族的な会社でもありましたなぁ。 <h2>札束の厚みは30センチ</h2> 私が最初に配属されたのは、小売部の「外売東部」いうところで、御堂筋から東地区の会社や学校へ砲丸、槍、マットや跳び箱、ユニホームなんかを売ってました。 学校以外にも営業しましたが、企業は京阪電車が大きかったぐらいで、大半は中小零細です。野球大会やるからグラブ持って来い、バットはないか。企業にすれば、福利厚生の意味合いですな。 和気藷々とスポーツをやって、労働の活力に変えていく。地方出身者が多くてろくな遊びも知らんから、スポーツが大切な役割を担っていたわけです。 月に70〜80万、場合によっては100万円ほど売れましたね。聖母女学院というのがありましてね、ここは沢山買うてくれましたな。払いはいつも現金だから、帰りの札束は30センチほどの厚みになりましたよ(笑)。 <h2>カナダカップ優勝で一変</h2> 私がゴルフ部に移ったのは昭和32年の4月です。当時は本店の小売りが中心で、営業は松本儀一さん、修理は高木誠一さんが責任者でした。ゴルフ部員は総勢20人、昨日まで砲丸とか売ってたのがいきなりゴルフをやれ、という。最初はワケも分からなかったし、随分苦労したものですよ。 <strong>美津濃の創業は明治39年(1906年)だが、ゴルフ用品の扱いはウイルソンと代理店契約を結んだ昭和6年に始まっている。「新着御案内」という当時のカタログには『ライダーカップ』のアイアン78円、ウッド48円など。ボールは『スポルディングKroフライト』が1ダース14円50銭、『ダンロップ』が11円50銭とある。</strong> <strong>「一九三一年の素晴らしいクラブと用品で御座いますので何卒品薄と相成り申さざる内に是非一度御一覧御用命の栄を賜り度く此段御案内申し上げます」と記述してある。</strong> <strong>その後昭和8年に尼崎工場でクラブ製造を開始(国産1号商品・スターライン)したが、第2次世界大戦が勃発して翌年から「ゴルフ品製造販売禁止令」が公布され、開戦から8年間、クラブ製造の中断に追い込まれる。</strong> <strong>養老工場はプロペラを製造、尼崎工場は戦火で焼失。終戦後クラブ製造を開始するが、鳩山内閣では「官僚ゴルフ禁止令」が出されてもいた。</strong> 当時の美津濃にとってゴルフ品は、微々たる売り上げに過ぎなかったし、相変わらずトレシャツ・トレパンが主力商品でした。 ゴルフ市場が飛躍的に伸びたのは、昭和32年のカナダカップ(現ワールドカップ)からですよ。当時「鍋底不況」ではありましたが、霞ヶ関CCで日本が個人・団体で優勝して注目された。敗戦国が、ゴルフで世界を制したことは、日本人に大きな喜びと自信を与えたものです。 ただ、それにしてもこの年のゴルフ売り上げは、全社の10%強じゃなかったかな。カナダカップ効果で養老の生産も伸びましたが、年間の生産量は1万8869本という記録が残ってます。今の時代と比べるとね、ビジネスというにはあまりに規模が小さかったですな。 <h2>ゴルフ専品部設立</h2> この頃、美津濃のゴルフ部は小売りが中心で、卸はやってなかったんですよ。街にゴルフ専門店がないからやりようもない。うちの淀屋橋本店の3階に60坪ほどの売り場があって、自社で作ったクラブをそこで売っていた。つまり美津濃は、メーカーでもあり、ゴルフショップの老舗でもあったわけですな。 卸売りを本格化したのは「ゴルフ専品部」のスタートからで、昭和37年に体制ができました。ゴルフのメーカーとして「ショップに売ろう」となったわけです。 この時、お前が責任者になれと言われて部長付を拝命し、細々と卸売りが始まります。まあ、地方のお店がたまに買いに来る程度で、ダンロップのボールが1ダース6500円、ブリヂストンで3200円。今と大して変わりませんな。東京支店は翌年、大阪管轄で専品部を設置することになります。 今となれば、スポーツのジャンルによって「事業部」を分けてますが、専品制度は事業部制の走りなんですよ。利八社長が「ゴルフ、野球、シューズ、スキーはスポーツ発展のために力を入れる」と宣言して、市場育成を目指しました。専品部隊はその種目の製造、卸、小売り、広告を一貫してやるんだと。 このあと電器の松下が事業部制を導入したので、うちは他産業に先駆けての英断でした。 <strong>専品部の設置と前後して、同社のゴルフ事業は活発化する。イタリア、豪州へクラブを輸出したり、池田内閣の「所得倍増計画」や貿易自由化で外ブラ流入が本格化するなか、美津濃は大証二部に上場。</strong> <strong>この時クラブ生産は月産約1万本へと達していた。ポリエステルヘッドの開発や、マダガスカルにクラブ輸出も始めている。1964年の東京五輪で近代化に弾みがつき、スポーツブームが到来した。</strong> 専品部になって力を入れたのが、「ゴルフ」そのものの啓蒙活動です。カナダカップの優勝で注目はされましたが、スポーツ市場全体で見ればゴルフなんか微々たる規模でしょ。 まして地方のスポーツ店は見向きもしなかったし、ゴルフビジネスの将来像を描く者もおりません。まぁ、一部の金持ちのスポーツ、社交という意識が大半だったし、そんな現実がね、スポーツ店主がゴルフを扱うのを躊躇させた。二の足を踏ませたわけですよ。 やっぱり地方の売り場は野球が中心で、店主は高校野球の出身者や地域のスポーツ関係者が多かった。こういった人達にどうやってゴルフを知らしめるか、これが最初の仕事だったし、なかなか大変なことでした。(つづく)
    (公開)2023年05月02日
    ゲーム業界に敗北した? <strong>私事で恐縮ですが、息子がテレビゲームに熱中して困ってます。外で遊べと言うんですが、テコでも動かない。これって太袈裟に見れば、スポーツ産業の危機に映るんですが、如何ですか?</strong> 「なるほど。要は麻雀と同じでね、スポーツ産業で働く人たちはひとつの卓を囲む仲間ですよ。同じルールのもとで勝った負けたはありますが、それ以前にスポーツ業界そのものをもっと盛り上げなきゃいけません。という話でしょう。 子供らがテレビゲームに熱中する姿を見るにつけ、どうにかしなくちゃいかんなあ、と。これは心底そう思うし、我々スポーツ業界の仲間同士がね、もっと盛り上げなきゃいけませんな」 <strong>つまり、現状はゲーム業界に敗北ですか?</strong> 「いやいや、違いますッ。敗北なんかしてませんよ! ただね、一生懸命戦ってるんだけど、形勢不利ではありますなぁ(笑)。それでよくよく考えてみると、人間て本能的に面白い、楽しい所に集中するじゃないですか。まして子供は正直だから、大人みたいに理性で動くことをしませんよね。 そんな正直な子供達に『スポーツって楽しいなぁ』『面白いなあ』ってどのように思わしめるのか、ここでの勝負だと思っています」 <strong>なるほど。「面白い」とは別の観点になるかもしれませんが、「スポーツの意義」を一言でいえばどうなりますか?</strong> 「そうねぇ。昔は『競技』『教育』『訓練』の3つに集約されました。ところが1964年の東京オリンピック以後はスポーツが市民権を得ましてね、今では『楽しみ』『健康』『クリエーション』『コミュニケーション』の4つに集約できると思ってます。 それで国民にとって『スポーツは有益か?』と問われれば、もちろん有益だし、異論の余地はありません。ですから、いよいよ21世紀へ向かう社会の中で、我々スポーツ業界は、もっと存在感を示さなあかんと思ってます」 <strong>一方のゲームは悪ですか? 目が悪くなりそうだし。</strong> 「いや、そこは善悪というよりも、メリットとデメリットがあるじゃないですか。たとえば私、40年前にタイプライター勉強しましてね、ブラ~インドタッチなんかお手のもんですよ。こう、パチパチッとね(笑)。 だからウチの子にも『お前な、これからはブラインドタッチできなきゃ生きていけんぞ』と言いましたら、遊びながら操作を学べるソフトがあるじゃないですか、2週間でマスターしちゃいましたよ。 つまりゲームも使い様で、操作性やクイックレスポンスを学ぶにはとてもいいし、教材にもなる。そういったメリットがあるわけです。 しかしながら弊害もある。どっぷり浸かると体がなまる、友達との対決や友情の分かち合い、切瑳琢磨の機会も減ってしまう。バイオレンスも問題で、どんどん過激になっている。 仮想と現実の区別がないから刹那的、短絡的……。要するに、簡単にリセットできるから都合良く自分の殻に閉じこもってしまいがちなんですよ。スポーツってね、やっぱり爽やかですよ。体にいいし精神的にもスカッとする。そういったいい部分を啓蒙しながら、形勢逆転につなげなきゃいけません」 <h2>テレビ解説の言葉がわかりにくい</h2> <strong>形勢を逆転するには、リアルなスポーツの楽しさやメリットをもっと訴求する必要がありますね。まして余暇時間を消費するアクティビティは多様化している。この中でスポーツが選ばれるための具体策はどうですか?</strong> 「まあ、一口にスポーツと言ってもいろいろあります。見るスポーツ、するスポーツ、レジャースポーツと競技スポーツにその中間もあるんですが、見るスポーツがエキサイティングなら注目を浴びるし、みんな『やってみたい』と入ってくる。 そのためにはまず、放送技術の見直しが必要だと思いますよ。野球中継にしてもですね、専門家の解説はわかりにくいじゃないですか。視聴者がわかってることを前提に話すから駄目なんですよ。 野球を知らん視聴者にすれば、いろんな疑問がありますよ。外野フライの間になぜ3塁走者が動かないんだ? ピッチャーが振りかぶったのにランナーが次の塁へ歩いてる…? それはね、タッチアップ言うんですよ、あれはボーク言うんですよ、そんなふうに説明して、間口を広げる努力でしょ。より楽しく、よりわかりやすくが大切じゃないですか」 <strong>ゴルフにも不思議なシーンが沢山あります。短いパットを「お先に」するとき、他人のラインを踏まないように妙な格好でまたぎますが、ゴルフをしない人にはひたすら滑稽な姿でしかない。ゴルフ中継には専門用語も多いから、丁寧に言い直す言葉も必要です。「レイアップ」なんてわかりませんよ。</strong> 「と同時に、環境整備も怠っちゃいけませんね。ゴルフ業界には多くの団体があって、それを束ねるゴ連協(ゴルフ関連協議会)があるやないですか。その活動には批判もあるやに聞いてますが、ゴルフをみんなのスポーツにするためにゴルフ場利用税の撤廃運動やジュニア育成など、いろんな活動をやってます。 これを継続することで、みなさんの目をゴルフに向けさせること。要するに、関連団体が協力して、一人でも多くゴルフを楽しめるための環境整備が急務なんですよ」 <strong>そこで、ゴルフのことを深掘りして尋ねます。</strong> 「細かいこと聞かんで下さいよ。わたしゴルフ、むちゃくちゃヘタやから(笑)」 <strong>そんなこともないでしょうが(笑)。</strong> 「いや、ほんまにヘタなんですよ」 <strong>と言いますか、御社にとってゴルフとは何ぞや、また、ゴルフ事業という窓を通した世界観ですね、これをお尋ねしたいんです</strong>。 「なるほど。その話なら言いたいこといっぱいありますよ。まず、当社はスポーツの総合メーカーですから、スポーツ市場全体の動き、あるいは市場規模そのものの推移がウチの事業に正比例します。 その意味でゴルフ市場は、スポーツの中で最大のマーケットだし、必然的にウチにとっても売上の3分の1を占める重要な事業だから、そりゃもう真剣にやってます」 <strong>事業の3分の1は大きいですね。その上でゴルフ市場での戦い方ですが、わかりやすい対立軸として「国内メーカー対外資メーカー」という分け方があります。この点どうでしょう。</strong> 「今の世界はボーダレスでしょ。国内対外資という分け方は、ちょっと違うんじゃないですか?」 <h2>世界を巻き込む米国のパワー</h2> <strong>というか、市場がボーダレスになるほどその企業の立地する国情が密接に関わってきます。北米市場はとにかく大きい。その巨大な市場を背景に米国メーカーが日本を攻める際、生産コストの優位性も当然ある。そういった意味でボーダーの消滅は、逆に米国流を加速させる原動力になると思うんです。</strong> 「うん、それはそう。別の視点で考えると、今はアメリカのインターネットが卑近な例でしょうなぁ。 あちらではスポーツ市場の6%がEコマースになっていて、5年前、アメリカの小売商組合がEコマースには手を染めないって決議してるんですよ。内輪でワーワー騒いだこともありました。 だって、ホームページの画面上に各国の国旗が表示されて、それをクリックすれば商品説明や入手経路、支払方法が即座に受け手の国の言葉に変換される。みんなインターネット使ったらどうなります? 小売りさんはどうなりますか?」 <strong>非常に劣勢に立たされますね、当然ですが。</strong> 「今のところ、日本でどうなるか明確にはわからないし、ミズノの立場も明確ではないんですが、WTO(世界貿易機関)は『世界は自由で公正な競争によって発展しなければならない』と謳ってますので、一度加速したらぶわっと来るかもしれません。 アメリカのやり方っていうのはね、世界を巻き込んで凄いんですよ」 <h2>タイガーとの契約は考えなかった</h2> <strong>逸早く技術進歩を体現した者が、世界的なアドバンテージを握る。その意味で今は米国発のインターネット社会の到来ですが、この情景を強引にゴルフに当てハメると、タイガー・ウッズを連想してしまうんです。</strong> 「うん……、どういうこと?」 <strong>彼がデビューした年、ミズノのアイアンを使って活躍した、その影響で御社のクラブが猛烈に売れましたね。</strong> 「彼が使ったことも、ひとつの要因でした」 <strong>いずれにせよタイガー効果はあったわけで、その時御社は、社内でウッズと契約する議論をしたんですか?</strong> 「そういう話は全然ありませんでしたね。彼はアマ時代からの延長で使ってたわけだし、契約金も次元の違うものでした。我々の常識で考えるよりゼロがいくつも違いましたから」 <strong>仮にウッズが『Mマーク』のキャップを被っていたら、凄い効果があったと思うんです。そんな夢を見ませんか?</strong> 「まぁ寝る前にね、考えないと言ったらウソになります」 <strong>プロ契約は一種の丁半博打じゃないですか。その賭場に並んでいる顔ぶれは、日本選手の契約だとダンロップやブリヂストンが相手ですが、ウッズを巡っては、</strong> 「アメリカだから丁半博打やなくて、ルーレットでしょ!(笑)」 <strong>で、そのルーレットの周りには莫大な見せ金を積んだアクシネットやナイキ、キャロウェイが睨みをきかせている。その場にミズノがいてもよかったんじゃないか。アメリカ流のド派手なプロマーケティングの荒波を、日本代表として被ってみるつもりはなかったんですか?</strong> 「そりゃね、彼にミズノのキャップを被らせたいという気持ちは当然ありますよ。ないはずがない。だけど次元の違う金額を投資して、そのコストは消費者が負担することになるわけでしょ。経営の骨格は売上、粗利、経費、利益とシンプルです。彼との契約は経費のところに大きな負担を掛けてしまう。 それでも利益を出すためには、値段を上げるしかありません。ありませんが、それは我々の立場でやるべきじゃないッ!という判断でした。 まあ、ファッションの世界ならそれもいいだろうとは思うんですよ。だけどゴルフクラブは機能商品じゃないですか。一時的なブームに乗って売上が乱高下するんじゃなくって、純粋に機能開発の競争を頑張ってね、その結果シェアが左右されるのが望ましい。と思うんですね。 もちろんアメリカ的なプロモーションのパワーは無視できません。加えれば、メディアも話題性に注目するから、目につくところにスポットライトを当てて、そこだけ光り輝いてる。つまり、そこだけを見て論じるわけですが……。 う~ん……どうも歯切れ悪いなあ(苦笑)。 なんか遠吠えに聞こえるかもしれませんが、ゴルフクラブの評価の基準は、あくまで機能の優劣だと、そこでの勝負やと思うんですよ。機能の優劣でシェアが決まると思っていて、仮にゴルフクラブにファッションの要素があったとしても、ロコミこそがファッションじゃないですか? あの色いいね、このデザイン飛びそうじゃないかというように、消費者の感性に訴えかけていく。私はね、そういった面における伝播性が大事だと思っとるんです」 <h2>アメリカ的な動き方をしない</h2> <strong>タイガー・ウッズに巨額の投資をしたナイキと、ぴくりとも動かなかったミズノの在り方は、まさに両極に映ります。メーカーらしいメーカーと、メーカーらしくないメーカーという意味で。</strong> 「メーカーらしいメーカーとは?」 <strong>物の機能的進歩によって消費者に利益をもたらして、その機能を量産することでみんなに行きわたらせる、という姿勢でしょうか。フォードの初期モデル「T型」が典型的です。</strong> 「なるほどねぇ。まあ、人にはそれぞれ生き方があるように、企業にもいろんな主義があっていい。敢えて言えばそれぞれ勝手ですよ。 だけどもね、絶対に譲れない一線があって、会社っていうのは社会のお役に立つことを前提に成立してるじゃないですか、そこにおける根幹は永続性にほかなりません。 別にナイキさんを批判するわけじゃないですよ、主義主張は勝手ですから。 だけど横から見てますとね、あちらさんはストリートファッションの収益が非常に大きい。そして、それを原資に莫大な金額のプロモーション活動をなさるわけです。そういう展開は、どう言ったらいいのかなぁ……乱高下の要素を孕みますね。 対比するという意味では、ウチは明らかに競技志向です。ブームでうわっとやる手法は基本的に馴染みませんし、我々の目標をアチーブするためには開発力を積み上げる道しかない。 本音を言えば、悔しさもちょっぴりありますけど(笑)、適正利益を頂いて永続することが最優先。自分の持ち分でキラリと光る商品を出し続けること。それが何より大事やと考えてます」 <strong>なるほど、両社の違いがクリアになりました。その一方、アメリカにもメーカーらしいメーカーがあって、ゴルフの場合はキャロウェイです。とにかく開発に投資して、新しい機能を次から次に商品化する。メーカーらしいメーカーという意味で、ミズノとキャロウェイの違いは何ですか。</strong> 「そうですねえ、キャロウェイさんはアメリカらしい会社かなぁと思いますけどね……。つまり、みんながエキサイティングなんですよ。目の色変えてエッキサイティング~ッ!いっつも張り切ってる感じがしますよね(笑)。 まあ、倍々ゲームどころか3倍5倍で伸ばしてる状況を目の当たりすると、凄まじい勢いを感じます。 ただ、アメリカの企業って一般的に、人の移動が激しいんですよ。A社が伸びるとB社C社の有能な人間がそこに集まる。Aが縮むとBへ行く。そうこうしてるうちにD社が出てきてワイワイやる。そんなことの連続で、いつでも誰かがエッキサイティング~!という感じでね」 <strong>それがアメリカ市場なり、アメリカメーカーの特徴だと。</strong> 「そうですね(笑)」 <strong>すると御社は、次々現れるエキサイティングと張り合い続けなきゃいけない。やたら大変そうですけど。</strong> 「別にアメリカの会社に限った話しではなく、企業が攻め続けるのは当然ですが、仮に我々の世界シェアが15%なら一気に30、50は狙いませんよ」 <strong>ん、つまり?</strong> 「つまり日米の対抗軸という意味では、アメリカ的な動きをしないこと。日米のいいところを融合して、新しい機能を出し続けることが大事という話です。 まあ、短期的な勝負なら、メチャメチャ暴れ倒してね、次の年にガックリなんてありますけど(笑)、経営ですから、経営は永続性が大事やから」 <h2>中間層を薄くする</h2> <strong>もうひとつ、日米のゴルフメーカーの違いを考えると、米企業はほとんど独立した専業メーカーです。キャロウェイとピン以外は大資本の傘下ですが、それでも専業のゴルフカンパニーです。そこで御社も、ミズノゴルフカンパニーの設立はどうでしょう。</strong> 「いやいや、それはありませんよ(苦笑)。組織の強化という意味では、もっと別の方法がありましてね、ゴルフ事業を別会社に分離するというような話ではなく、組織全体としてどうなのかって話です。 私、1993年11月1日にリエンジニアリングに関するセミナーを受講しましてね、ジェイムズ・チャンピー、マイケル・ハマー、マイケル・ポーターといった著名人がいろいろしゃべったわけですよ。で、まったくわからんかったですよ、当時は。 だけど今、100%理解しております。組織のフラット化で壁をなくす、中間管理職を薄くする。そのためには1人の管理職がより多くの部下を監視する必要がありますけど、これはパソコンなり情報ツールのネットワークで解決できます。 1人の管理職がこれまで8人の部下を見てきたとします。今、グループウエアを活用すれば30人見ることができる。つまり有能な管理職3人で100人近い人間を見られるんです。 アメリカの90年代は、リエンジニアリングがキーワードでした。実力主義で中抜きして収益を上げるやり方で、それが長期的成長を支える原動力になっている。 仮にレイオフされても景気がいいから職はある。一流企業の部長が翌日からハンバーガーを売ったとしても、失業率は高くならない。当然所得格差はつきますよ。でもね、新しい秩序が生まれつつあって、それは企業にとってチャンスでもあるわけです」 <strong>今の話に関連するのかどうか、御社は早期退職支援制度で全社員の約10%に相当する330人の削減を目途にしました。1月末で締めて370人と聞きましたが。</strong> 「そこまでは行きませんが、予定人数はやや上回りました。不況だから業績も悪い、切羽詰まった部分も否定しませんが、新しいことへの挑戦は積極果敢にやらなきゃいけません」 <strong>最後の質問です。</strong> 「何でしょう」 <strong>社長はゴルフ事業部の記者発表に出席しませんね。なぜ出ないんですか?</strong> 「いやあぁ……(苦笑)、特別な意味はありませんが、ゴルフだけじゃないんですよ。 私、野球やその他個別事業の記者発表には出ませんけど、その代わり全社的な方針発表とかね、そういったことには出ています。 それとゴルフに限って言えば、うちには堂湯さん(元副社長)がいてくれたでしょ。ゴルフは堂湯さんに任せておけば大丈夫という信頼がありましたし、個別事業はそこの長が責任を持つという考えなんですね。 じゃあ私の役割は何かと言えば、弱い所を強くする、問題解決に責任や指針を示すことに集約されます」 <strong>とはいえ、年初にゴルフ事業で思い切った手を打ちました。御社のクラブ史上で初めて『ミズノ』ブランドを登場させて、『ミズノプロ』や『グランドモナーク』を全てここに集約する。『家名』の元に個別ブランドを集約させるのは、社長判断として強力に指示されたと聞いてます。</strong> 「当然です」 <strong>ということは、社長がこれまで以上にゴルフ事業に対して、具体的かつ強力な指示を出すわけですか。</strong> 「しっかりとやらせて頂きます(笑)」 <h2>ナンバーワン・ユニークカンパニー</h2> <strong>満を持しての『ミズノ』投入は、社長の意気込みの表われですね。</strong> 「というか、実はSKU(在庫管理単位)からのアプローチなんですよ。一言でいえば管理面からの手法でしてね、たとえばここに卓球のシューズがあります。メーカーの営業マンが『20足あるけど1足買って下さいな』という提案じゃ話になりません。 そうではなく、3足あります、Aの機能は横の動きに強い、Bの機能はこう、Cはまた違った機能がある。さあ、あなたのニーズはどれですか、と。 つまり、それぞれ明確な機能を主張しながら、強いものに集約していくという整理統合なんですよ。厳しい不況で生き残るには、経営からのアプローチで在庫や粗利、回転率、総資本利益、こういった観点で緻密に進めなければなりません。 『ミズノ』ブランドの投入にはそんな背景がありましてね、夢のない話ですみません(笑)。 ただ、強く思いますのは、しっかりした経営計画を立てる、そして目標に向かって力強く歩む姿勢をアピールしたいということです。それが我々を支援してくださるお得意様への責任ですし、ミズノファンへの答えでもありますから」 <strong>目標というのはシェアですか。</strong> 「違いますッ! シェアは目標ではありません。我々の真の目標は、世界に冠たるナンバーワン・ユニークカンパニーになることです」 <hr /> この記事は弊誌月刊GEW 2000年3月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊GEWについてはこちら</a>
    (公開)2023年02月13日
    ミズノは3月11日、グローバルモデルを意識した「ST」シリーズより『ST-Z 220 ドライバー』と『ST-X 220 ドライバー』を発売した。 日本では3代目の世界戦略モデルとなる『ST-Z 220』『ST-X 220』シリーズは、コンセプトである「高初速・低スピン性能」に加え、新たに「安定性」を追求したという。 フェース素材は、一般的なチタンよりも強度が高く、インパクトで高反発性能を発揮しやすく、たわみ量が多い「フォージドβ(ベータ)チタン合金」を前作から踏襲して採用。 フェースデザインも、中心部に厚みを持たせて周辺部を薄くし、反発性能を高める設計を受け継いでいる。 安定性を向上させるための前作からの変化は、ソール面に配置されたカーボンの総面積を約40%拡大させたことだ。軽量化により生まれた余剰重量をヘッド後方のバックウェイト(13g)に配分することで、慣性モーメントとスイートスポットの拡大を実現。 また、重心距離(重心とシャフト軸線との距離)を短めに設計し、ヘッドを返しやすい構造に仕上げられているという。 『ST-Z 220ドライバー』 ヘッド後方のウェイトをセンターに配置し、より重心深度を深く、慣性モーメントを拡大することにより、インパクト時のブレを抑え、高い直進性・安定性を追求。 高い直進性を備える低スピン設計で左方向へのミスを避けやすいモデル 『ST-X 220ドライバー」 ヘッド後方のウェイトをヒール側に寄せ、重心距離を短めに設定することにより、よりつかまりやすいドローバイアス設計で右方向へのミスを避けやすいモデル となっている。 また、同社独自の打球音から数十ヘルツ単位でチューニングする設計の「ハーモニックインパクトテクノロジー」を『ST-Z 220 ドライバー』と『ST-X 220 ドライバー』にも採用、快音設計で心地よい弾き感が特徴。 価格は以下の通り。 ■『ST-Z 220ドライバー』 TOUR AD GM D  カーボンシャフト 7万2600円 Diamana MM D  カーボンシャフト 7万2600円Air Speeder FM D  カーボンシャフト 22 MFUSION Dカーボンシャフト 7万2600円 20 PLATINUM MFUSION D カーボンシャフト 7万5900円 ■『ST-X 220ドライバー』 TOUR AD GM D  カーボンシャフト 7万2600円 Diamana MM D  カーボンシャフト 7万2600円Air Speeder FM D  カーボンシャフト 22 MFUSION Dカーボンシャフト 7万2600円 20 PLATINUM MFUSION D カーボンシャフト 7万5900円 ヘッド体積は460cc、長さは45.5インチ。 また「ST-X 220」のみフェアウェイウッドとユーティリティも展開する。
    (公開)2022年04月18日
    ミズノはこのたび、下記の通りの人事異動を発表した。 ◆部長級以上/2022年1月17日付 ・営業統括本部 東北支社支社長 羽場 洲志
    (公開)2022年01月18日
    ミズノは2022年1月1日付より、下記の通りの人事異動の実施を発表した。 ・グローバルアパレルプロダクト本部 本部長           宇野 秀和 ・グローバルアパレルプロダクト本部 スポーツアパレル企画・ソーシング・デザイン部部長       田中 鉄也 ・経理財務部部長      漆谷  謙 ・グローバルデジタル統括部部長兼グローバルデジタル統括DTC推進準備室 室長           板橋 健児 ・ダイアモンドスポーツ事業部 事業部長             斎藤 真一 ・ダイアモンドスポーツ事業部 事業企画販促部部長        長岡 一郎 ・ダイアモンドスポーツ事業部 事業管理室室長          谷口 陽一 ・コンペティションスポーツ事業部 マーケティング部部長    太田 友宏 ・コンペティションスポーツ事業部 ラケットマーケティング室室長 森本 智忠 ・営業統括本部 関東支社支社長 高木  洋 ・営業統括本部 中国支社支社長 岩本祥一郎 ・スポーツ営業本部 副本部長 大森 邦弘 ・スポーツ営業本部 東日本営業部部長 笹野 哲宏 ・スポーツ営業本部 西日本営業部部長 横山 幸司 ・スポーツ営業本部 コンペティションスポーツ営業販促室室長   大西 善之 ・ライフスタイル営業本部本部長兼ライフスタイル営業本部 西日本営業部部長 吉崎 克哉 ・法務室室長        河内 洋樹 ・ミズノテニクス(株)中国事務所所長 浅野 健一 ・セノー(株)社長兼セノー(株)管理本部本部長兼 (株)セノテック社長兼セノーメンテナンスサービス(株)社長            山本 泰広 ・韓国ミズノ社長兼韓国ミズノゴルフ事業本部・スーツ事業本部事部長(海外) 小西 宏昌 ・ミズノベトナム GENERAL DIRECTOR  白根 晃彦
    (公開)2021年12月13日
    ミズノは、⾶距離性能を追求したグローバル戦略モデルのゴルフドライバー『ST-Z(エスティーゼット)』『ST-X(エスティーエックス)』を全国のミズノゴルフ取扱店で発売した。 上記モデル発売の背景について、同社では次のように語る。 「近年、ゴルフ市場における⼀般ゴルファーの主な購買要因の⼀つとして、世界の主要なプロツアーに参戦する選⼿の使⽤クラブ情報の注⽬度が⾼まっています。ミズノは、2020年3月からゴルフドライバー『ST』シリーズをグローバル戦略モデルとして販売し、グローバルで統⼀したマーケティングを展開しています。今回、『ST200』『ST200X』に加えて、『ST-Z』、『ST-X』発売により、グローバル戦略モデルのラインアップを拡充していきます」 『ST』シリーズは、⾼初速、⾼弾道、低スピンを実現することにより⾶距離性能を追求したドライバー。素材と設計を最適化し、『ST-Z』は打球の直進性、『ST-X』はボールのつかまりやすさを追求している。 ■STシリーズの特⻑ STシリーズの「ST」は「SpeedTechnology(スピード テクノロジー)」の略で、⾼初速、⾼弾道、低スピンを実現することにより⾶距離性能を追求したゴルフドライバー。フェース部の素材は⼀般的なチタン合⾦(6Al-4V)に⽐べ約17%強度が⾼く、約8%たわみやすい『フォージドβチタン合⾦(2041Ti)』を採⽤。⾼い反発性能を発揮することで、ボール初速アップに寄与する。 クラウン部(ヘッド上部)に軽量素材のカーボンを採⽤している。ヘッドを低重⼼化することで、⾼弾道・低スピンの弾道を生み出す。 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2021/04/Both_Drivers-1.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-66556" /> ■「ST-Z」の特⻑ 『STZ』は打球の直進性を追求したモデル。ソール部のトウ部とヒール部に軽量なカーボンパーツを配置し、バック部にウエイトビスを配置。重⼼深度を深くし慣性モーメントを⾼めることで、インパクト時のブレを抑え、打球の直進性を⾼めている。海外ではキース・ミッチェルプロが『ST-Z』の使⽤を始めた試合でいきなり平均⾶距離326 ・1ヤードを記録した。 ■「ST-X」の特⻑ 『S-TX』はボールのつかまりやすさを追求したモデル。ソール部のトウ部に軽量のカーボンパーツ、ヒール部にウエイトビスを配置している。重⼼距離を短くすることでインパクト時にヘッドが返しやすくなり、ドローボールを打ちやすい設計を採⽤している。 また、同社はゴルフ市場の変化とミズノゴルフ事業について以下のように話している。 「ゴルフ市場は、コロナ禍においてアウトドアスポーツの⼀つとして注⽬され、グローバルで市場が活性化しています。ミズノゴルフ事業は『フィッティング』をキーにしたマーケティングを展開しており、カスタムクラブのタイムリーな供給により、グローバルで売上が好調に推移しています。カスタムクラブは世界5か所(⽇本、スコットランド、オーストラリア、アメリカ、韓国)の⼯場で製造しています」 価格:6万5000円+税 問い合わせ先:0120-320-799
    (公開)2021年04月06日
    ミズノは、グローバル戦略モデル「JPX 921 アイアン」シリーズを、10月9日に全国のミズノゴルフ取扱店で発売する。  「JPX アイアン」シリーズは、国内のみならず海外のツアープロが愛用しているモデルで、2019年には、国内外のプロツアーで数多くの優勝をサポートしてきた経緯がある。 「JPX 921 アイアン」は、ミズノ鍛造アイアン史上最高反発を実現した「JPX 921 FORGED」、「JPX アイアン」シリーズ最高の飛距離性能とボールの捕えやすさを追求した「JPX921 HOT METAL」、PGAツアープロからのフィードバックをベースに設計された「JPX921 TOUR」の3機種をラインナップ。 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2020/10/mizuno2.jpg" alt="" width="311" height="282" class="aligncenter size-full wp-image-64172" /> 各モデルの製品特長は次の通り。 ■ 「JPX 921 FORGED」 フェース部に高強度素材『クロムモリブデン鋼(SCM420)』を採用し、さらに薄肉化することで、スイートスポットにおける反発性能が従来モデル(JPX919 FORGED)と比べ向上。 さらに、キャビティ部をソール側から掘削する『マイクロスロット構造』によりフェース部の薄肉エリアを拡げることで、高初速エリアを従来モデル(JPX 919 FORGED)と比べ45%拡大している。 価格:13万2000円~ ■ 「JPX 921 HOT METAL」 フェース部に高強度素材『クロムモリブデン鋼4120M』、ボディ部に溶接部のない『シームレスカップフェース構造』、ソール部周辺に『部分肉厚ソール』を採用。その結果、高初速エリアを従来モデル(JPX 919 HOT METAL)と比べ7%拡大。 価格:9万9000円~ ■「JPX 921 TOUR」 PGAツアープロからのフィードバックをベースに、従来モデル(JPX 919 TOUR)と比べヘッド部の重心距離を短くし、スイートスポットの位置を低く設計することで、ボールの捕えやすさと上がりやすさを追求。 さらに、ショートアイアン(8I-PW)のソール部の幅を狭くすることで、ツアープレーヤーが求めるインパクト後のヘッドの抜けの良さにもこだわった。 価格:12万5400円~ 
    (公開)2020年10月06日
    ミズノは、男性⽤幅広ゴルフシューズ「WIDE STYLE 003 BOA(ワイドスタイル ゼロゼロサン ボア)」、「WIDE STYLE SPIKELESS(ワイド スタイル スパイクレス)」、「WIDE STYLE SPIKELESS BOA(ワイドスタイル スパイクレス ボア」の3モデルの発売を開始した。 「WIDE STYLE」シリーズは⾜の甲が⾼く、⾜幅が広いゴルファー向けのシューズだ。 <h2>「WIDE STYLE」シリーズの特⻑</h2> <strong>4+1E専⽤ソール</strong> ソール部の横幅を広げることにより、ゆったりとした履き⼼地を実現(Fサイズ相当)。また、踵部のホールド性を⾼めたFサイズ相当のラスト(⾜型)を採⽤することで、⾼いフィット感を追求している。 <h2>「WIDE STYLE 003 BOA」の特⻑</h2> ・柔らかく履きやすいアッパー素材『クラリーノソフリナSRR』とシューズの着脱がしやすい『BOARフィットシステム』を採⽤。 ・『4+1E専⽤ソール』を採⽤しながらも、ソール部を同社従来品※1よりも薄底にし、同社従来品と⽐較して約10g軽量化。 <h2>「WIDE STYLE SPIKELESS」の特⻑</h2> ・アウトソール部外側の意匠をT字型にすることによりグリップ性と歩きやすさを追求する『NEWスパイクレスソール』を採⽤。 ・ハトメ部分には、より着脱がしやすくなった『外⽻根デザイン』を採⽤。 <h2>「WIDE STYLE SPIKELESS BOA」の特⻑</h2> ・アウトソール部外側の意匠をT字型にすることによりグリップ性と歩きやすさを追求する『NEWスパイクレスソール』を採⽤。 ・アッパー部に格⼦状の防⽔メッシュを使⽤することで防⽔効果とデザイン性を追求(防⽔1年保証)。 また、⼥性⽤で4Eサイズの「WIDE STYLE 002 BOA Ladies(ワイドスタイル ゼロゼロ⼆ ボアレディース)」、「WIDE STYLE SPIKELESS Ladies(ワイドスタイル スパイクレス レディース)」の2モデルも同時発売。
    (公開)2020年08月29日
    ミズノといえば「養老工場」と「カスタム」がウリの上級者志向、そんなイメージが強い。2017年に『ミズノプロ』を再デビューし、ロゴの一新だけではなく、カスタム専用モデルを掲げて流通の絞り込みも行った。現状、ゴルフ5などを中心に約350店舗、手堅い舵取りで利益体質への転換を図ってきた。 ところが、今春新たな一歩を踏み出す。米国の開発チームが手掛けた世界展開のドライバー『ST200』と『ST200X』(6万5000円~)を3月20日、国内市場に投じた。欧米をはじめ東南アジア、豪州等で一斉発売するなど一気呵成の様相だ。 ちなみに『ST』はスピードテクノロジーの略称で、2018年に発売した『ST180』から数えて3代目となる。この決断についてグローバルプロダクト部の大野貴夫氏がこう話す。 「国内発売に踏み切るのは、ブルックス・ケプカ選手の活躍がありました。契約外でメジャー4勝のインパクトは予想以上に大きく、同プロが使用する『JPX919』アイアンを限定でテスト販売したところ、すぐに完売したのです。 そうした機運もあって、USPGAツアー発をキーワードにウッドにも派生させようと。それが今回の『ST』ドライバー。『吊るし商材』として販売するので『ミズノプロ』との差別化も図れるでしょう」 主な製品特徴は、かつて一世を風靡した『300S』に採用したβチタンをフェース使用、反発係数も規制値ギリギリに設定し、カーボンクラウンによる低スピンと高慣性モーメントも実現した。 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2020/05/e4a0d5d038c9c27ee659f61499bb3f3a.jpg" alt="" width="788" height="562" class="aligncenter size-full wp-image-62486" /> <h2><strong>飛び系のケプカ・アイアン</strong><strong>『JPX200</strong><strong>X</strong><strong>』も投入</strong></h2> &nbsp; お家芸のアイアンもぬかりなく、飛び系の『ケプカ・アイアン』を投入する。『JPX200X』(4本組、8万8000円~)がそれで、先出の大野貴夫氏が名指しで言う。 「ライバルは『インプレスUD+2』と『ゼクシオクロス』です。7番でロフト26度、37・25インチは他社よりも0・75インチ短く、反発性能を高めるためフェースにクロモリブデン鋼を採用、打音&打感も追及しました。飛び系ですがシャープな形状にこだわっています」 果たし状を『ゼクシオ』と『インプレス』に叩きつけた。 このタイミングで3月11日、ミズノUSA社長の佐野治氏がゴルフ事業部長へ就任し若返りを図ってもいる。アメリカの風をそのままゴルフ事業に吹き込み勢いをつける。 これにより前任の服部健策氏は直営のゴルフスタジオ事業へ帰任するが、背景にはソフト&ハードの充実を図る狙いもありそうだ。同施設は主要都市を中心に7店舗(東京1、大坂3、名古屋2、福岡1店舗)を展開しており、 「ジム感覚の練習やレッスン、クラブフィッティングもできる施設です。都市部では働き方改革の影響で昼間のサラリーマン需要がある一方、郊外の箕面店(大阪)は高級住宅街とあり好調です。今後は百貨店やモールなど、需要が見込める場所に出店し、物販とソフトの両面で成長戦略を描いていきたい」(服部氏) ケプカ景気に沸く一方、新事業部長の就任と米国流の商品展開で新境地を開き、併せてソフトビジネスにも注力する。近年、比較的おとなしい展開を見せていたミズノだが、国産ブランド復権を目指しアクセルを踏む。 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2020/05/dce13c671119f70cca-1.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-62485" /> <h2>ST200、ST200X、JPX200Xの製品特長</h2> ミズノがこのほど投入したグローバル戦略モデル『ST200X』『ST200』ドライバーと『JPX200X』アイアンは、飛びの3要素(ボール初速、スピン量、打ち出し角度)を徹底追求している。 まずはドライバーから説明しよう。かつて一世を風靡した『300S』に採用したβチタンをフェース使用、反発係数も規制値ギリギリに設定し、カーボンクラウンによる低スピンと高慣性モーメントも実現した。 アマチュア向けの『ST200X』には軽量でオフセンターヒットに強いオリジナルシャフト「MFUSION D」を標準装着。また、『ST200X』からFWとUTも同時発売。以下製品特長を列記する。 <strong>■「ST200」「ST200X」ドライバーの特長</strong> ・打球部に反発性の高い素材の「βチタン合金(2041Ti)」を採用することにより、高い反発性能を発揮。 ・クラウン部(ヘッド上部)をカーボンにすることにより高弾道・低スピンの弾道を生み出す。 ・ヘッドのヒール部(ヘッド下部)にウエイトビスを入れることにより、ヘッドが返しやすくなり、安定した方向性を発揮。 ・軽さと暴れにくさを追求したカーボンシャフト「MFUSION(エムフュージョン)」を採用し、安定感のあるスイングを可能にする(ST200X)。 一方、アイアンの『JPX200X』(4本組、8万8000円~)は、日本のトレンドに合わせた軽量・長尺・ストロングロフトの飛び系アイアンだ。 <strong>■「JPX200X」アイアンの特長</strong> ・ヘッドのロフト角度を7番アイアンで26度とストロングロフトに設計 ・フェース素材にクロムモリブデン鋼を採用し、さらにフェース部裏側の打球部周辺部を薄肉化することにより高い反発性能を実現。 ・構えた時にヘッドの後ろ側が見えないすっきりとした形状。
    (公開)2020年05月23日
    ミズノは、飛びの3要素(ボール初速、スピン量、打ち出し角度)を徹底追求したグローバル戦略モデルの『ST200X』、『ST200』ドライバーと『JPX200X』アイアンを3⽉20⽇発売する。 <h2>『ST200X』『ST200』</h2> まずはドライバーから説明しよう。『ST』はスピードテクノロジーの略称で、2018年に発売した『ST180』から数えて3代目となる。 かつて一世を風靡した『300S』に採用したβチタンをフェース使用、反発係数も規制値ギリギリに設定し、カーボンクラウンによる低スピンと高慣性モーメントも実現したとか。 アマチュア向けの『ST200X』には軽量でオフセンターヒットに強いオリジナルシャフト「MFUSION D」を標準装着する。また『ST200X』からフェアウェイウッドとユーティリティも同時発売。以下製品特長を列記する。 <strong>『ST200X』『ST200』特長</strong> <ul> <li>打球部に反発性の高い素材の「βチタン合金(2041Ti)」を採用することにより、高い反発性能を発揮。</li> <li>クラウン部(ヘッド上部)をカーボンにすることにより高弾道・低スピンの弾道を生み出す。</li> <li>ヘッドのヒール部(ヘッド下部)にウエイトビスを入れることにより、ヘッドが返しやすくなり、安定した方向性を発揮。</li> <li>軽さと暴れにくさを追求したカーボンシャフト「MFUSION(エムフュージョン)」を採用し、安定感のあるスイングを可能にする(ST200X)。</li> </ul> <h2>『ST200X』</h2> <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2020/03/mizuno-jpx.jpg" alt="ミズノ 世界戦略モデル『ST200X』『ST200』ドライバー、『JPX200X』アイアン" width="800" height="533" class="aligncenter size-full wp-image-61314" /> また『ST200X』からフェアウェイウッドとユーティリティも同時に発売。 お家芸のアイアンもぬかりなく、飛び系の『ケプカ・アイアン』を投入する。『JPX200X』(4本組、8万8000円~)がそれで、日本のトレンドに合わせた軽量・長尺・ストロングロフトの飛び系アイアンだ。グローバルプロダクト部の大野貴夫氏が次のように話す。 「7番でロフト26度、37.25インチは他社よりも0.75インチ短く、反発性能を高めるためフェースにクロモリブデン鋼を採用、打音&打感も追及しました。飛び系ですがシャープな形状にこだわっています」 <strong>『ST200X』特長</strong> <ul> <li>ヘッドのロフト角度を7番アイアンで26度とストロングロフトに設計</li> <li>フェース素材にクロムモリブデン鋼を採用し、さらにフェース部裏側の打球部周辺部を薄肉化することにより高い反発性能を実現。</li> <li>構えた時にヘッドの後ろ側が見えないすっきりとした形状。</li> </ul> 問い合わせ先:ミズノお客様相談センター TEL 0120-320-799
    (公開)2020年03月09日
    ミズノは昨年のプロテストに合格し、2020年シーズンからJLPGAツアーに本格参戦する西郷真央と複数年契約を締結。都内で発表会を開催した。 西郷は、ミズノゴルフアカデミー出身で、2019年「日本女子アマチュアゴルフ選手権」で優勝。同年のプロテストに一発合格し、最年少の現役高校生プロゴルファーが誕生したのは記憶に新しいところ。また、2020年シーズンのツアー出場資格を決定するクオリファイングトーナメントでも10位に入り、2020年JLPGAツアー前半戦の出場権を確実なものとしている。 西郷が使用するのは3月20日発売の『ST200X』ドライバーを筆頭にウエッジまでオールミズノ。同社のロゴ入りキャップ、キャディバッグも使用するという。ミズノとの契約経緯については、 「ゴルフを始めたのは5歳の時で、父親に練習場へ連れて行ってもらったのがきっかけです。その父が愛用していたのが『ミズノプロ』で、私が初めて手にしたクラブもミズノでした。幼少の頃から、キャディバッグのロゴがカッコイイと思っていて、今回契約してもらえて本当にありがたいと思っています」 と説明。 続けて、ミズノのクラブへの印象について問われると、 「顔の形が好きで、打感もいい。私に合うクラブも選んでくれますし…」 と前置きして、 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2020/02/mizuno2.jpg" alt="西郷真央プロ" width="788" height="525" class="alignnone size-full wp-image-61058" /> 「『ST200X』ドライバーは、ヘッドが大きくて安心感がありますし、手に伝わってくる打感がやわらかいですね。『ミズノプロ719』アイアンは、昨年から使っていますが、自信を持ってピンを狙っていけます」――。 <h2>ミズノゴルフアカデミー出身の西郷</h2> 先述でも少し触れたが、西郷は小学校6年生から中学3年までミズノゴルフアカデミーに在籍していた。ミズノでは、「出テコイ!!NEXT HERO」への育成アカデミーとしてジュニアプログラムに沿った従来のゴルフスクールでの指導から、より実施レベルや目的に応じた技術面・メンタル・フィジカル面でのスキルアップ向上に努めている。面接や検定を行った上で入学するジュニア研修生(中級者程度以上)制度があり、立派な大人になるためのアカデミーを目指したものだ。同社の加藤昌治専務は、 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2020/02/mizuno3.jpg" alt="ミズノ加藤昌治専務" width="788" height="525" class="alignnone size-full wp-image-61059" /> 「まだ18歳――。これから心技体を鍛えながらチャレンジしてほしい。ミズノはマニアックなクラブで知られていますが(笑)、西郷プロの若々しさと可憐さで、シニアや女性ゴルファーへ新風を吹き込みたい」 と期待を寄せる。 <h2>西郷真央の契約発表会をショート動画で</h2> 西郷真央との用具契約発表会のもようをショート動画で紹介。 <iframe width="788" height="433" src="https://www.youtube.com/embed/XCzK39J-HUQ?rel=0" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe>
    (公開)2020年02月17日
    ミズノはこのたび、下記の通り組織の一部変更と人事異動を発表した。 《組織の一部変更》 1.研究開発部を部門名改称し「グローバル研究開発部」にする。 2.コーポレートコミュニケーション部を部門名改称し「ブランドマーケティング部」にする。 3.メーカーとしてダイレクト販売の拡大強化をスピードアップするために、国内営業にDTC推進準備室を新設する。 《人事異動(部長級以上/2020年3月11日付)》 ・執行役員兼ゴルフ事業部 事業部長兼ミズノUSA PRESIDENT兼カナダミズノCHAIRMAN      佐野  治 ・ライフ&ヘルス事業部 事業部長兼ライフ&ヘルス事業部 事業企画部 部長兼ライフ&ヘルス事業部 事業管理部 部長  村上 喜弘 ・ブランドマーケティング部 部長 金子 直子 ・DTC推進準備室 室長 石井  洋
    (公開)2020年02月13日
    ミズノこのたび、下記の通り組織の新設と人事異動を発表した。 (部長級以上/2020年1月1日付) ・研究開発部 部長 能勢 孝行 ・グローバルイクイップメントプロダクト部 部長<br /> 寺下 正記 ・グローバルアパレルプロダクト本部 本部長 兼グローバルアパレルプロダクト本部スポーツアパレル企画・ソーシング部 部長 宇野 秀和 ・グローバルアパレルプロダクト本部アパレル生産・開発部 部長 高尾 彰人 ・グローバルアパレルプロダクト本部ライフ&ヘルスアパレル企画・ソーシング部 部長 中田 道生 ・グローバルフットウエアプロダクト本部ソーシング・生産品質管理部 部長 兼香港ミズノPRESIDENT<br /> 村山 壮 ・情報システム部 部長 高野 剛志 ・スポーツ営業本部 副本部長兼スポーツ営業本部西日本営業部 部長 兼スポーツ営業本部外商部 部長<br /> 大森 邦弘 ・EMEAミズノ GENARAL MANAGER<br /> 岡本 充博 ・オーストラリアミズノ MANAGING DIRECTOR 斎藤 靖彦 ・ベトナムミズノ GENERAL DIRECTOR<br /> 川﨑 貞治
    (公開)2019年12月02日
    「いー球です」--。そう絶賛するのは、ミズノが9月20日に発売する<strong>『ミズノプロ 920』アイアン</strong>を試打した原英莉花プロだ。 同社は8月19日、神奈川県横浜市の練習場で記者発表会を開催、新商品『ミズノプロ 120』、『520』、『920』などをお披露目した。 2017年に「ミズノプロ」が再デビューした当初から、カスタムフィッティング専用モデルとして幅広い層に訴求してきたが、初中級者にも対応するポケットキャビティの『918』の販売構成比は19%と低い結果となっている。それを受けて、今回のリニューアルを機に<strong>「ミズノなのに、やさしい」</strong>をキャッチコピーに、<strong>『920』</strong>を中心に初中級者からプロまで幅広いゴルファーまでカバーしていくという。 「やさしさ&飛び」をキーワードに、『920』でやさしさを強調 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2019/08/mizunopro-3model.jpg" alt="やさしさを訴求するミズノプロ" width="788" height="525" class="size-full wp-image-58840" /> 新発売の『920』『520』『120』 発表会では、原英莉花、吉本ひかる、小鯛竜也などが試打するインプレッションPVでスタートした。PVの最後を締めくくったのが原英莉花の「ミズノなのに、やさしい」という台詞。 そもそも、『ミズノプロ』は2017年9月発売当初、フィッティングを介してゴルフに真摯に取り組む初中級者から上級者まで全てのゴルファーへ向けたブランドとしてスタートした。ところが同社の思惑とは少しズレ、『ミズノプロ』という往年のプロモデルと同じシリーズ名ということもあって、初中級者を始めベテランゴルファーにはアスリートモデルというイメージがいまでも強く根付いている。それを払拭する一番手が『ミズノプロ 920』で、「飛び&やさしさ」を多くのゴルファーに訴求していく構えだ。 <h2>『920』はダブルポケットキャビティでシリーズ最大のスイートエリア</h2> <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2019/08/mizunopro-920.jpg" alt="mizunopro 920" width="788" height="525" class="size-full wp-image-58842" /> 『920』はシリーズ最大のスイートエリア 前作『918』から『920』への改良点は、バックフェースのポケットキャビティが1段から2段に増えていることだろう。写真を見て頂ければ分かる通り、バックフェースのポケットキャビティ部分が2段になっている。これは鍛造後に機械加工している部分だが、1回の機械加工では幅広いポケットキャビティは加工できないのだとか。 そこで、2回に分けて機械加工を施すことで、幅広いポケットキャビティ構造を実現。それによって、前作では24gだった余剰重量を、『920』では45gを確保。大幅に増加した余剰重量を再配分することで、シリーズ最大のスイートエリアを実現。さらに、重心もより深くなり、大型ヘッドで長い重心距離にも関わらず、ボールの捉まり具合、弾道の高さを向上させているという。 契約の原英莉花プロは、事前の試打インプレッションで「ミズノなのに、やさしいクラブだと思います」とやさしさを強調している。 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2019/08/920double-.jpg" alt="ダブルポケットキャビティ" width="788" height="525" class="size-full wp-image-58845" /> 2段になったポケットキャビティ <h2>2018年最多勝利モデルの後継『520』は、ソール幅を改善</h2> <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2019/08/mizunopro-520.jpg" alt="ミズノプロ 520" width="5184" height="3456" class="size-full wp-image-58848" /> LPGA最多勝利アイアンの後継モデル シリーズで最も多くのゴルファーが購入しているのが『518』で、昨シーズンの日本女子ツアーで最多勝利を挙げている。その後継機種が『520』で、改善点のひとつがソール幅。 グローバルイクイップメントプロダクト部の青木智明氏によると、 「『518』のロングアイアンはソール幅が狭く重心が浅いため、ボールが上がりにくいという評価がありました。そこで、ソール幅を改善したのです」 ロングアイアン#5でソール幅をプラス0.9㍉、ミドルアイアンの#7アイアンでプラス0.6㍉、ショートアイアンは#9でマイナス0.5㍉、ソール幅を改善することで、ロングアイアンではスイートスポットをより低く、重心深度をより深く、ショートアイアンではスイートスポットを高く設計して弾道の高さの適正化を図っている。 それがやさしさに繋がり、現在『518』を使用している吉本ひかるは、『520』について「出玉が思ったところに出やすく、振りやすいです。『520』は前作よりも性能的にやさしくなっていると思います」と絶賛。こちらも「ミズノプロ」のやさしさをPRしている。 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2019/08/520-2.jpg" alt="mziuno pro 520" width="788" height="525" class="size-full wp-image-58850" /> 「番手別」チタン+タングステン複合設計 また、キャビティ部のヘッド中央に比重の小さなチタンを内蔵し、トウ側には比重の大きなタングステンを配置(#4~7)することで、トウ・ヒール方向の慣性モーメントを拡大。打点がややバラついても飛距離の低下を抑えつつ、安定した方向性を発揮しているという。 <h2>マッスルバックは逆テーパーで見た目と打感を両立した『120』</h2> <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2019/08/mizunopro-120.jpg" alt="ミズノプロ120" width="5184" height="3456" class="size-full wp-image-58852" /> プロが好む打感と顔を実現した『120』 前作『118』同様、同社契約プロでも武藤俊憲や小鯛竜也などの使用を想定した『120』。プロトタイプをツアープロが試打して開発へのフィードバックをするが、前出の青木氏によれば、プロが求める顔の良さはトップエッジの薄さが鍵となるという。ヘッド中央を厚くしてトップブレードを薄くすると、見た目は良いが、それによってプロが求めるソリッドな打感は実現できないのだとか。一方で、打感を優先すると、ヘッドの中央部を薄くするしかない。そこで逆テーパーブレード形状を採用しながら、トップエッジ後方をカットしてシャープな顔つきとソリッドな打感を両立したという。 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2019/08/120-2.jpg" alt="ミズノプロ120" width="788" height="525" class="size-full wp-image-58853" /> トップエッジ後方をカットしてシャープな顔つきとソリッドな打感を両立。 また、各番手ごとにブレードの厚みを変化させ、スイートスポットの高さの最適化を追求した番手別設計を採用。ロングアイアンとミドルアイアンはスイートスポットを低く、ショートアイアンは高くすることで、各番手の打ちやすさとコントロール性能を向上しているという。 <h2>本当に『920』はやさしくなったのか? 前作と打ち比べ</h2> 果たして、本当に『920』はやさしくなったのか? 記者発表での原英莉花と吉本ひかるのデモンストレーションに加え、GEWの吉村記者も『920』と前作『918』を打ち比べて性能を動画で検証した。 <iframe width="788" height="433" src="https://www.youtube.com/embed/GRQcv8v54ys" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe> <h2>『ミズノプロ 920』『520』『120』の価格・発売日</h2> <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2019/08/mizunopro-3model-1.jpg" alt="ミズノプロ" width="788" height="525" class="alignnone size-full wp-image-58858" /> <strong>『ミズノプロ 920』</strong> 1本1万9000円 マイルドスチール(S25C)ボロン鋼精密鍛造/1025BORON <strong>『ミズノプロ 520』</strong> 1本1万9000円 マイルドスチール(S25CM)精密鍛造/1025E <strong>『ミズノプロ 120』</strong> 1本1万9000円 マイルドスチール(S25CM)精密鍛造/1025E なお発売日は9月20日を予定している。
    (公開)2019年08月19日