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    ハッシュタグ「シリーズゴルフ練習場ビジネス」記事一覧

    兵庫県川西市にある多田ハイグリーンは、野原興産株式会社が運営するゴルフ練習場だ。甲子園球場の3倍の敷地に、スポーツ事業としてゴルフ練習場、フィットネスクラブ、バッティングドーム、テニス、フットサル。またカルチャー事業としてスーパー銭湯、レストラン、BBQに陶芸教室。パートナー事業としては鍼灸接骨院、ゴルフショップ、野球ショップ、学研教室など、14施設を幅広く展開している。 ゴルフ練習場は3階建て121打席300ヤードの吹き抜けで、全面総天然芝で開放感があり、そのままコースの雰囲気を漂わせている。テニスコートの横に三ツ矢サイダーの自販機があり、当地が三ツ矢サイダーの発祥地であることが書かれていたのも興味深い。この練習場の成り立ちやコンセプトについて、同社代表取締役・野原和憲氏に取材した。 野原家はこの地域で平安時代から続く家柄だとか。1000年の歴史をもつ由緒ある家系で、この地で地主をしていたという。ゴルフとの関わりは、野原氏の高祖父・野原種次郎氏に始まる。祖業は金貸しで、1899年に北攝銀行を立ち上げた。その系譜は現在も池田泉州銀行という地銀として生き続ける。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/06/2504shimasaki2.jpg" alt="" width="788" height="525" class="size-full wp-image-88071" /> 野原種次郎氏 種次郎氏は銀行業の傍ら、県会議員も務めていた。のちに東谷村の村長、衆議院議員にもなり、地域の奉仕活動に力を注ぎ、1906年に三ツ矢サイダーの源流となる平野水商会を開業している。 「この地区の平野鉱泉は天然の炭酸水がでるところで、それを使って三ツ矢サイダーが生まれました。その工場を作るにあたり物流インフラの整備が必要だったことと、関西で有名な能勢妙見宮への参詣者向けに1908年、能勢電気軌道株式会社を創立し、川西能勢口〜一の鳥居間から営業を始めています」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/06/2504shimasaki3.jpg" alt="" width="788" height="525" class="size-full wp-image-88072" /> 三ツ矢サイダー それが現在の能勢電鉄株式会社。このほか、水力電気事業など社会のインフラ整備に尽力し、その事業展開の一つが1920年に開場した鳴尾ゴルフ倶楽部だった。 「1903年に日本最古の神戸ゴルフ倶楽部が開場しましたが、六甲山頂にあるため冬はクローズになります。年間通じてプレーできる場所として、六甲山の下方にある鳴尾浜に1920年に創立したのが鳴尾GCです。ただ、世界恐慌の影響で鳴尾GCは所有者だった鈴木商店が倒産。鳴尾GCは存続させたいとの声を受け、種次郎が手を挙げ神戸からこの地に持ってきました」 移転後も「鳴尾」の名称はそのまま引き継いだ。90年以上前のことだから、「ゴルフ」を知る者は極めて少数。種次郎氏は自分の土地だけでなく、他の地主を説得して、この地にゴルフ場を開く。さらにキャディなどの雇用を増やし、地域の産業として根付かせてゴルフ文化も醸成させた。ただ、野原氏は、 「種次郎がゴルフに親しんだかどうかはわかりません。記録や道具が残っていないのです。これからそのことを調べたいですね」 練習場が「核」 種次郎氏の後は2代続けて林業を中心に事業をしていたが、 「種次郎が社会貢献やゴルフ場をこの地に開場した背景があるため、使命感と宿命感から50年前、ゴルフの練習場を立ち上げたのです」 ゴルフ練習場を立ち上げたのは、野原氏の父親で現会長の嗣久氏と祖母の嘉子氏である。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/06/2504shimasaki4.jpg" alt="" width="788" height="591" class="size-full wp-image-88073" /> 多田ハイグリーン 打席 「ちょうど52年前、土地の有効活用として、繋がりのあった池田泉州銀行から練習場の提案があり、父と祖母が一緒に立ち上げました」 それまで家業だった林業は収益が良かったものの、輸入材が増え事業が厳しくなってきた。そこで1972年に野原興産の創業と多田ハイグリーンを開業。開業当時は1階建て50打席300ヤードであった。「多田ハイグリーン」の名称は、現在は川西市に含まれているが、地域の名前「多田」と「丘の上にあるグリーン」ということで、嗣久氏が命名した。将来的にはスポーツ関連事業を広げる目論見から「練習場」の呼称は使わなかった。 その想い通り、野原興産は事業の広がりを見せている。開業時、この地区で日本生命がベッドタウン開発を始め、新幹線、伊丹空港が近いことから高所得者が多く住む環境となり、練習場経営は順調に運んだという。野原氏が家業を継いだのは2008年からである。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/06/2504shimasaki5.jpg" alt="" width="788" height="527" class="size-full wp-image-88075" /> 野原興産 温浴施設 「事業承継は、おぎゃーって生まれた時から宿命だと思っています。ただ、関西学院大学卒業後、家業とは違うことをしたくて関東でNTTドコモのマーケティング部で約10年勤務、結婚を機に継ぎました」 野原氏も温浴施設、ゴルフパートナー、トップトレーサーなど練習場に限らず事業の幅を広げている。多田ハイグリーンの理念について、 「地域住民の日々の生活を豊かにするサービスを提供する、というのがポリシーです。健康増進につながるスポーツ振興と、豊かな暮らしにつながるカルチャー振興。この両軸で地域に貢献したいと考えています。ゴルフから始まってテニスやサッカーなどに広がっていますが、核となるのは練習場です」 練習場には年間10万人以上が訪れている。地域活動については、 「学校の部活動の地域移行に向けて、中学生のゴルフ体験や検定会を実施、持続可能な地域クラブへの挑戦を続けています」 また、敷地内に地域の消防署を統合したヘリポート付きの消防センターや、医療福祉法人を誘致する計画もある。これは種次郎氏が鳴尾GCを誘致し、地域の社会課題を解消してきたことに起因している。 多田ハイグリーンを核として多くの施設を有する野原興産は、その成り立ちから含めて地域になくてはならない施設となっている。 「使命感と宿命感で生きている」 という野原氏は、地域とゴルフ練習場の共生を具現化するフロントランナーと言えそうだ。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2025年4月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2025年06月14日
    埼玉県新座市にある「ウィンズゴルフステーション新座」は、関越自動車道の新座料金所を川越方面に向かってすぐの右側にあり、大きなネットとウィンズの看板が目印だ。3階161打席300ヤード、首都圏最大級の練習場である。 新座料金所の横に高速の出口はなく、練馬IC、和光IC、所沢ICからが便利。筆者は都心から車で訪れたが、練馬谷原交差点から15分のアクセスであった。 入り口からロビーに入ると天井が高く、開放的で明るい雰囲気。この練習場の成り立ちやコンセプトについて、同施設を経営する株式会社武蔵野・スポーツレジャー事業部の小棚木克之事業部長(ゴルフ練習場・ゴルフ場支配人)と、スポーツレジャー事業部ウィンズゴルフステーション新座の中村浩通副支配人に話を聞いた。取材場所は2階のロビー。以前は喫茶やレストランだったが、2017年からはベーカリーとして営業しており、練習場の利用者以外もパンを買いに足を運ぶ。 株式会社武蔵野は1967年12月に現取締役会長の安田定明氏が創業した。弁当・おにぎり・寿司・調理パン・調理麺等の製造販売と、スポーツレジャー施設の運営・管理が主業務の会社。全国に17工場、グループ企業5社を持ち、従業員1万938名(2023年3月現在)、売上高1671億9798万円(2023年3月期)の大手企業だ。 ゴルフ関連では練習場のウィンズゴルフステーション新座、ゴルフ場はロイヤルメドウゴルフ倶楽部(栃木)とオーシャンリンクス宮古島(沖縄)を経営している。 練習場の開業は1992年10月だが、ゴルフ練習場を開業した理由について小棚木氏は、 「創業者は、充実した人生を送るためには“食”と”癒し“が必要だと考えています。これを実現するために”癒し“の部分ではスパやゴルフレンジ、ホテルなどを運営。健康作りも視野に入れた施設やサービスの提供を行っているのです」 と説明する。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/03/2502shimasaki2.jpg" alt="" width="788" height="525" class="size-full wp-image-86820" /> ウィンズ 1階からの風景 株式会社武蔵野の社史には、安田興産(株)(現・武蔵野スポーツ事業部)が新座市に首都圏最大級規模のゴルフ練習場・ウィンズゴルフステーション新座を開業、と書かれてある。小棚木氏は、 「この辺りは畑だったと聞いていますが、私が入社する前だったので、当時の詳細は分かりません」 その後、1999年に一部のネットの鉄塔高さを45mから60mに伸ばし、翌年には全体を60mまで高くした。来場者にストレスなくボールを打ってもらうための投資だった。同氏は事業のポリシーについて、 「会社の経営哲学として、全スタッフが武蔵野イズムを共有しています。ウィンズでは、打席、フロント、スクール、インドアゴルフ、ベーカリーと、それぞれのチームが一丸となってベクトルを合わせて、一人ひとりが解決に向けて考え、行動する『全員経営』を標榜。目的を達成するためにみんなで協力しています。“至誠通天”誠を尽くせば願いは天に通じる、その心構えでお客様に接しています」 従業員は24名で、そのうち社員は8名。ボール回収などはシルバー人材を活用している。 インドアは女性比率3割 練習場のコンセプトは「ゴルフ村」を意識しているという。 「あそこに行けば何でもある、と思って頂けたら嬉しいですね。アウトドア、インドア、工房、ベーカリーも備えるゴルフ村のイメージです。練習場名は開業当時から変わらず『ゴルフステーション』としており、そのあたりに経営に対する考え方が表れています」 インドアの開業は比較的新しく2023年11月、別棟に8打席でオープンした。責任者の中村氏は、 「インドアは暑さ寒さに関係なく快適にプレーでき、若い方や女性の来場比率が屋外施設よりも高い。女性比率は30%です」 当初、インドア施設は駅前の出店が検討されたが、まずは練習場内での成功を目標に掲げた。300ヤードのアウトドアと、8打席のインドアを併設することで相乗効果が期待できる。インドアは同じ敷地で内部は木造、自然を感じさせる構造だ。こちらの施設名は「ウィンズファミリーゴルフ」となっており、3世代でゴルフを楽しんでもらいたいとの想いを込めている。 小棚木氏は、練習場経営のこだわりをこう話す。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/03/2502shimasaki3.jpg" alt="" width="788" height="591" class="size-full wp-image-86822" /> ウィンズ フロン・ロビー 「練習ボールは年1回、夏にダンロップの2ピースを25万球全部入れ替えています。同時にフェアウェイの整備、ネットやワイヤーの点検等を行いますが、お客様に迷惑をかけないよう、営業終了後にボールの入れ替えや点検をして、夕方には再オープンできる段取りです。接客にも力を入れており、チェックインは自動精算機を活用。空いた時間にお客様への挨拶だけではなく一言声かけるようにしています。グループでホテル経営をしているので、比較して練習場のDX化は遅れているように感じます。その点も、今後の課題だと思っています」 年間30万人以上が来場する大型練習場なため、商圏は半径10㎞と広い。地元の新座からが中心だが、都内からは近隣の練馬だけではなく杉並、世田谷からの来場もある。中心世代は50代で30%。前述のようにインドアの女性比率は高いのだが、全体としては15%である。 最後に、今後の課題をこう語る。 「若いうちにゴルフに触れられる環境をつくり、国民的なスポーツになってほしいですね。一部の人しかやっていないのが残念で、もったいないと思います。当施設では親子3世代の来場を促し、おじいちゃんやお父さんが子供に教える場を提供したい。インドアは初心者が入りやすいので、チャンスがあると思っています。将来のビジョンは、ゴルフと健康を結びつけること。ストレッチの大切さを提唱するなど、普段から健康を意識してもらえる施設を目指したいですね。健康が事業として成り立つよう、事業計画をつくっていきたいと考えています」 株式会社武蔵野は“癒し”が人生に不可欠な要素だとしている。ゴルフ事業を通じて「自分らしく・健康に過ごせる社会」の実現を目指す同社の今後に期待したい。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2025年2月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2025年03月23日
    桜宮ゴルフクラブは、大阪市都島区にあるゴルフ練習場である。アクセス抜群で、JR環状線・京阪・地下鉄の「京橋駅」、JR東西線「大阪城北詰駅」、JR環状線「桜ノ宮駅」からそれぞれ徒歩10分、大阪梅田からも約4Kmの場所にある。 クラブハウスは天井が高く明るく、受付スタッフが笑顔で迎えてくれた。120ヤード3階94打席で、年間13万人以上が訪れる。正三角形の独自の形をした敷地にある同施設の成り立ちやコンセプトについて、桜宮ゴルフクラブ株式会社・取締役会長・川﨑益彦氏、代表取締役社長・川﨑博之氏に話を聞いた。取材場所は練習場横の川﨑益彦氏が代表取締役を務める大阪冷蔵株式会社の事務所。この会社名に同練習場の成り立ちの歴史が刻まれている。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/11/2410shimasaki2.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-83897" /> 桜宮ゴルフクラブ 大阪冷蔵定款 桜宮ゴルフクラブが開場したのは1992年である。この事業の始まりは、1898年に鳥取で日本初の冷蔵倉庫を開業した日本冷蔵商会に始まる。1905年に会社・工場を神戸に移し、更に1906年現在の練習場がある大阪に日本冷蔵倉庫合資会社として移転。冷凍設備を利用した「凍り豆腐(高野豆腐)」の製造を主力事業とし、冷蔵倉庫、製氷も行っていた。会社は1909年に大日本冷蔵株式会社として登記されている。川﨑家は代々この会社の経営には携わっておらず、堺で乾物・海産物卸を生業としてきた。川﨑会長の祖父・徳次郎氏が、同社の「凍り豆腐」を大口で取り扱っていたことから経営に参画し、その後同社の株式を取得したという経緯。 戦前は軍需用の凍り豆腐を製造しており、戦後1950年に大阪冷蔵株式会社に社名変更。主力の「凍り豆腐」は競合が増え、過当競争による価格暴落もあり、徳次郎氏は大阪冷蔵の再建を考えて1951年に凍り豆腐事業から撤退を決めた。 徳次郎氏の息子で、川﨑会長の父の益男氏が1952年大学を卒業、大阪冷蔵に入社した。益男氏は学生時代から新しい事業に挑戦する夢を持ち、アイススケートが流行ると考え徳次郎氏に提案した。凍り豆腐事業から撤退したタイミングで、工場跡地の活用、新規事業を考えていたため、アイススケートリンク事業への進出を決めた。大阪冷蔵の製氷技術をそのまま生かせ、京橋駅から近い地の利も幸いした。1953年3月別会社として、桜宮スケートリンク株式会社を設立、10月に現在の練習場と同じ場所に開場。大阪で5番目のスケートリンクであった。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/11/2410shimasaki3.jpg" alt="" width="898" height="973" class="size-full wp-image-83898" /> 桜宮ゴルフクラブ スケートリンクの歴史 開業から2年間は赤字だったが、1955年には予想通りブームとなり、入場待ちの行列ができる盛況ぶり。ところが、開場して20年が経過し、70年代後半になるとレジャーの多様化や競合でスケート事業は不振に陥る。1982年に川﨑会長が大学卒業、三洋電機に勤務後大阪冷蔵へ入社、会社全体の改革に着手。 当時、冷蔵倉庫やスケートリンク事業など会社全体として赤字体質に苦しんでいた。さらにバブル経済の中、1990年土地基本法の施行、税制改正があり、固定資産税が3・5倍になる。事業を整理して土地活用を考え、1992年桜宮スケートリンクは39年の歴史に幕を閉じ、ゴルフ練習場事業へ転換した。 川﨑会長が理由を話す。 「三角形の2500坪の土地は一筆で価値があり、更に練習場として打席が広くとれ、フェアウエイは三角形なのでボールが集めやすいメリットもあります。また、ゴルフ練習場を賃貸する場合、フェアウエイが主体で駐車場と同じ扱いだから借地権が発生しない。いつでも次の事業に活用できるメリットもある」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/11/2410shimasaki5.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-83899" /> 桜宮ゴルフクラブ 三角形のフェアウエイ そこでまず、ゼネコンから練習場運営会社を紹介され、練習場設備を大阪冷蔵が建設して大家となり、練習場運営会社から家賃収入を得るモデルで1992年11月に開業。運営会社が設計した練習場は、鉄塔の間隔が8mの贅沢な仕様で、既存の事業整理を含めて10億円以上の投資だったが、運営会社からの家賃収入は投資回収するのに十分な金額だったという。が、その後経営不振で家賃の支払いが滞り、1998年から直接経営を始めている。 ゴルフウエアの古着を寄付 桜宮ゴルフクラブの名称は、近隣に桜宮神社があり、桜宮スケートリンクの名前をそのまま引き継いでいる。直接経営を始めてから改革に取り組んだのがスクールだった。 「スクールは、新規で毎月30人入るけど30人やめる状況でした。そこでプロが独自で開講していたスクールを桜宮ゴルフスクールに統一し″お好きな時間に、お好きなプロに”のコピーで、生徒がプロを自由に選べるようにしたのです。その結果ゴルフスクールの定着率と売上が順調に伸び、経営改善に貢献しました。また、従業員の提案でISO9001を取得。一貫した従業員教育でサービスの質を向上させ、お客様に喜んでもらえるゴルフ練習場を目指しています」(川﨑会長) その中で、顧客サービス基本方針を定めた。全文は割愛するが、 《当社はお客様が元気に楽しくゴルフを練習できるサービスおよび環境を提供します。そのために、スタッフ全員が笑顔で誠実におもてなしをいたします》 を掲げている。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/11/2410shimasaki4.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-83900" /> 桜宮ゴルフクラブ 受付 2010年にクラブハウスをリニューアル、2019年には健康増進のための低酸素・高酸素ジムAORもオープンした。社会貢献として、ゴルフウエアの古着を集め、釜ヶ崎の労働者に寄付する活動を10年前から始め、関西ゴルフ練習場連盟も巻き込んで実施している。 今後の課題について川﨑社長は、「若い世代のリピート率を上げ、スクールの定着率を上げていくこと」 と回答した。次代を担う同氏は「ゴルフと健康」にも学術的に取り組んでいるという。川﨑会長、川﨑社長とも大学は理科系だけに、合理的かつ新しい切り口で練習場業界に新風を吹き込んでいる。「元気に楽しく」という言葉が、練習場活性化のキーワードになると感じた。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年10月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年11月17日
    ニッケゴルフ倶楽部コルトンセンターは、千葉県市川市鬼高にある200ヤード、2階80打席の練習場である。京成鬼越駅より徒歩6分、JR本八幡駅・下総中山駅より徒歩12分、車でも京葉道路の市川ICから2㎞とアクセス抜群な場所にある。ショッピングモールのニッケコルトンプラザに隣接しており、賑わいのある街に位置している。その成り立ちやコンセプトについて、同施設を運営する株式会社ニッケウエルネス・執行役員・ゴルフ事業部部長の小林ひとみ氏に取材した。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/10/2409shimazaki2.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-83587" /> ニッケゴルフ倶楽部コルトンセンター入り口 ニッケゴルフ倶楽部コルトンセンターは1988年に開場している。「ニッケ」は日本毛織株式会社の通称で、1896年創業の100年企業だ。現在、ニッケグループは祖業である毛織物業から「みらい生活創造企業」を目指して多様な事業を展開中。ニッケウエルネスは「人とみらい開発事業本部」に所属するニッケのグループ企業である。 ニッケがゴルフ練習場事業に参入したのは1971年のこと。ニッケグループが保有していた兵庫県明石にあった土山牧場(5・5万坪)の土地を有効活用して、収益性の高い事業を模索する中で、ゴルフの大衆化という時代の要請もあり、9ホールのショートコース・土山ゴルフ場と、50打席の練習場・ニッケ土山ゴルフセンターを開設したのが始まりだ。その後工場跡地、遊休地を活用して、1972年ニッケ京口ゴルフセンター、1983年ニッケ加古川ゴルフセンター、1986年ニッケ弥富ゴルフコース、1987年ニッケ岐阜ゴルフセンター、1988年ニッケコルトンゴルフセンター(現ニッケゴルフ倶楽部コルトンセンター)を開場。合計8拠点のゴルフ施設を運営している。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/10/2409shimazaki3.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-83589" /> ニッケゴルフ倶楽部コルトンセンター受付 今回取り上げるニッケゴルフ倶楽部コルトンセンターは、ニッケの中山工場跡地(5・1万坪)である千葉県市川市の中心帯の土地活用から生まれた。この地域でニッケの50年以上にわたる地元とのつながりを踏まえ、市の発展につながる商業施設と地域コミュニティの中心としての役割、レジャー・スポーツ・憩いの広場を提供し、地元との一体感を醸成するなど、多様な開発計画の一環としてゴルフ練習場が組み込まれた。1988年に商業施設のニッケコルトンプラザが誕生し、その付帯施設という位置づけである。 開業当初は「ニッケコルトンゴルフセンター」の名称だったが、2020年にスポーツ事業をニッケウエルネスにまとめ、それ以前の2018年に練習場をニッケゴルフ倶楽部に統一、現在の名称になっている。 練習場や商業施設に付記される「コルトン」は、米国カリフォルニア州ロサンゼルス郊外のサンベルナルディーノ市内のリゾート地・コルトン地区に由来している。東京都心と市川市の位置関係が、コルトン地区の所在地と似ていることが命名の理由。また、「COLT」は英語で子馬の意味で、「緑」「水」「生活」のバランスがとれ、シティーリゾートとして成長・発展したいとの願いが込められている。 シニアと若者を大切に <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/10/2409shimazaki4.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-83590" /> ニッケゴルフ倶楽部コルトンセンター・打席 「ニッケ全体として、天然芝のフィールドを特色にしています。ここも150ヤードまでは天然芝。解放感を楽しみながら、ゴルフ場に近い環境で練習でき、アプローチ練習にも有効だと思っています」 と、小林部長は強調する。 ニッケウエルネスのコーポレートミッションとして“人びとの健康とスポーツの未来に貢献できる「スポーツのチカラ」を創造する”があり、“地域に根差した企業として、子供からお年寄りまでの体作りをサポートしていく”との方針がある。 「長くゴルフを続けて頂くために、2019年から練習場内でコンディショニングスクールを運営。ケガをしない体をつくって、長く健康でゴルフを楽しんで頂きたい」 コンディショニングスクールはインストラクターが指導するが、会員はスクール時間外も自由に可動域と柔軟性を高めるストレッチ機器等を使用できる。この考え方は練習場の営業方針にも反映されており、基本的に通常営業は球貸しのみで打ち放題はやっていないが、 「若い世代にはゴルフを始めてもらい、シニア世代にはゴルフを続けてもらいたいとの思いから、75歳以上と、18歳~29歳の世代には90分打ち放題を実施しています」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/10/2409shimazaki5.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-83591" /> ニッケゴルフ倶楽部コルトンセンター・案内板 年代別の来場者は、50代:28%、60代:20%、40代:17%、30代:13%の順で、18歳~29歳の打ち放題利用者が徐々に増えているとか。女性比率は15%となっている。 商圏は練習場を中心に5㎞圏内をカバー。市川市を中心に江戸川より東側で、商業施設のコルトンプラザに家族で買い物に来た時に、練習場へ立ち寄るパターンもある。 スクールはブリヂストンゴルフアカデミーを導入し、生徒数は500名以上。ゴルフ用品の販売にも貢献している。また、全店共通の「ニッケスコアアップシステム」を独自に開発。レベル1~9までをスコアで分け、レベル1がコース未経験者、レベル9が74以下のスコアが対象。ステップアップを実感することで、モチベーションの維持やスクール継続に役立てている。 小林部長は今後の課題について、 「ゴルフ人口減少の中で、まずは現状維持が大切です。そのためにはシニアを大事にすること、若い方にもスポットを当てることです。ゴルファーを生み出し、継続してもらうためには、ゴルフスクールの活性化が大事だと考えています。また、開場から年数が経っているので、事業継続のためにも施設老朽化が課題となっています」 近年、企業系の練習場は閉鎖傾向が目立っている。そんな中、ニッケグループが掲げる“人びとの健康とスポーツの未来に貢献”は、ゴルフ界にとって光明であり、確立された収益モデルは他施設の参考になるだろう。この事業の発展を願う。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年9月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年10月20日
    東急大井町線「荏原町駅」と地下鉄浅草線「馬込駅」から徒歩7分。環状7号線内側の城南地区である都内大田区北馬込1丁目の住宅街に「馬込ゴルフガーデン」はある。 その同社のHPに先頃、次の一文が掲示された。 「この度諸般の事情により、令和5年1月9日(月)をもって営業を終了し、閉場することになりました。併せてゴルフスクールも令和4年12月末にて閉校いたします。長きにわたりご愛顧いただきましたこと、厚く御礼申し上げます。」 現在、東京にある屋外ゴルフ練習場は157(全日本ゴルフ練習場連盟=JGRA=調べ)。またひとつ、都内の屋外練習場が姿を消すことになった。 施設の入り口は木製の外壁で、植栽が美しくほどこされ緑があふれる。入り口横には、自転車が30台以上停められる屋根付きの駐輪スペースが整備されている。 町家風の受付周りは雰囲気があり、その奥のラウンジは古い木材を活用した和を感じさせる内装で、照明も昔の器具を使ったエコロジーなこだわりがある。閉場するのは「もったいない」が、記者の第一印象だった。 2階建て28打席、40ヤードの距離はコンパクト。記者は浅草線沿いに住んでいるが、この練習場の存在を知らなかった。 大竹章裕社長は、 「この練習場の商圏は半径1・5kmで、その範囲の住民にしか積極的にPRしていません。知らない人も多いかもしれませんね」 と前置きして、施設のコンセプトを次のように説明する。 「創業当時から『地域のお庭づくり』を企業理念に掲げ、大人からお子さんまで、広く地域の方々の憩いの場としてご利用いただけるように様々な工夫をしてきました」 前述した入口の雰囲気を含め、地域密着の想いが伺えるのだ。地元に愛された練習場が、なぜ閉場してしまうのか? そこには相続税の問題が根深く絡んでいる。 「2020年10月に父が他界し、相続に絡んで土地を手放すことになったのです。心血を注いだ施設も手放すことになりました」 大竹社長は詳細について多くを語らないが、閉鎖を決める前にはいくつもの延命策を検討したようだ。 ところが、この地域の路線価格は1m2当たり36万~40万円で、約1000坪の同施設の相続税は数億円になると推定される。城南地域で、環状7号線の内側という好立地。その土地を活かして練習場事業を継承する難しさを表す事例といえる。 1973年に祖父の代でゴルフ練習場を始めてから半世紀、その歴史に幕を閉じる。都市部では今後、同様のケースが相次ぐとの懸念もあり、打開策が急がれる。 JGRAの横山雅也会長は以前、こんな危惧を漏らしていた。 「当社も都内の世田谷区に屋外練習場を構えますが、相続税問題で閉鎖を余儀なくされる練習場は今後も増えるはず。住宅地に近接する練習場は、新しいゴルファーの創造拠点になっています。近年、コロナ禍で練習場への来場者が増えたことにも明らかですが、相続には多くの難題があるのです」 本号で、同じく相続税問題に苦しんだ「カシワゴルフ」(都下立川市)の事例を取り上げたが、事業を継続するためにはいくつもの障害が存在する。業界全体で知恵を絞り、打開策を講じる必要がある。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年8月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://www.gew.co.jp/magazine">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2022年08月08日
    千葉市緑区土気町に、ゴルフパートナーの千葉土気練習場店・千葉ショートコースはある。外房線の土気駅より徒歩15分で車がなくてもアクセスでき、千葉東金道路中野ICより5分の好立地だ。ゴルフパートナー直営の練習場で、72打席200ヤードの施設に加え、10ホールのショートコース、ゴルフパートナー店を併設している。 ショートコースは1418ヤードのパー31で、最長は210ヤードのパー4である。今回は同施設のマネージャーであり、ゴルフパートナー練習本部直営練習場運営部スクール事業課も兼務する、毛塚久人氏に取材した。毛塚マネージャーはPGAティーチングプロB級の資格を持つ。学生時代は日大経済学部の学部ゴルフ部に所属。 「ゴルフ関係の仕事がしたい」 と、新卒で2011年に同社へ入社。八重洲北口店で副店長、宝町昭和通り店では店長も務めた。 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/2022042002.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-71562" /> 「でも、クラブの店頭販売だけで本当にお客様のニーズに応えられているのか。そんな疑問を感じていたとき、社内にスクール事業課ができ、同課に移りたいと希望しました」 丁度、新潟の燕三条店でショップを併設したインドアゴルフ練習場のスクールでプロが退職、人員が必要となりそこに異動した。赴任中にティーチングプロB級の資格を取得。新潟で3年、その経験を生かして川越のR16川越インドア練習店のスクール立ち上げを行った。 ショップ、練習場、スクールの経験を積み、2019年から現職。マネージャーとレッスン事業を兼務する。現在全国に30あるゴルフパートナーの、スクール運営統括も担当している。 ゴルフパートナー千葉土気練習場は、1985年に地元有志が共同でゴルフアリーナとして立ち上げた。当時から200ヤードの練習場と10Hのショートコースで、今も基本的な構成は変わっていない。ゴルフパートナーが運営を始めてから14年が経過。同氏の役割は一義的に、 「スクール、ショートコースを活用して練習場の売上を上げること」 だという。練習場の料金は基本的に時間内の打ち放題で、平日60分1200円、120分1500円だ。ショートコースは平日10Hプレーで2000円、休日3000円。 また、1カ月間のフリーパスで練習場・ショートコースを使い放題で1万8000円のプランもある。女性は平日のみ1万円のフリーパスが人気だとか。スクール専用の6打席があり、月謝を払えばスクール受け放題。複数のプランがあるのだが、平日昼間のみ6600円、全日全時間帯9900円である。 楽天とも協働する <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/IMG_8211.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-71563" /> 年間10万人が来場し、スクール生は200名近く在籍している。練習場、スクール、ショップが一体となったワンストップ型であり、ショートコースまで併設する「四位一体」の施設は、ゴルフパートナー系列でここだけだ。ゴルフ練習場の一つの理想の姿ではないかと思う。 「スクール、ショップ、練習場に加えてショートコースもあるので、運営上、様々なチャレンジが出来るのが面白いところです」 また、ゴルフ未経験者へのアプローチとして、ゴルフパートナーには「<a href="https://www.golfpartner.co.jp/html/campaign/firstgolfclub/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">はじめてのごるふくらぶプロジェクト</a>」があり、これに登録すればクラブを1本無料でくれる。スクール、ショートコース、おまけにゴルフクラブも安価に手に入る総合力はほかに例がないだろう。 それだけではない。練習場からゴルフ場へジャンプするには、初心者にとって多くのハードルがある。その壁を取り払うため、特に若者世代と相性が良い楽天GORAを通じて、平日「20代~30代限定プラン★廻り放題+60分打ち放題」で税込み2000円のプランを提案している。毛塚マネージャーは、 「新規ゴルファーの創出は、来場した若い世代をリピーターにできるかが鍵で、3回リピートしてもらえればゴルファーとして定着します。そのために、このプランで来場した若い人に、仲間と一緒に使える割安クーポン券を配り、仲間と再来場を促す施策を行なっています」 自社だけで完結せず、他社と協働することにも前向きだ。 若い世代がゴルファーとして定着するには、「上達」が不可欠とされている。上手になれば楽しくなり、練習やプレー頻度が高まって、用品用具への支出も高まるという、相乗効果が期待できる。上達を促すのがスクールであり、毛塚マネージャーはこの点について、 「通常、練習場はその支配人が管理運営し、スクールは教えるプロが中心で運営されることが多いんです。練習場とスクールが一体で運営される施設が理想的ですが、実際には少ないのが現状です」 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/2022042004.jpg" alt="" width="788" height="525" class="size-full wp-image-71567" /> ゴルフパートナー千葉土気ショートコース ただし同氏は、ゴルフパートナーのスクールを統括しており、自身もティーチングプロB級の資格を持つ。この「土気」の練習場でマネージャーを兼ねながらレッスン業務にも携わる毛塚マネージャーの体験が、今後ゴルフパートナーのスクール展開に生かせるのではないかと思われる。同社の直営スクールは30あり、成功事例を増やしながらノウハウを蓄積し、フランチャイズでのスクール展開を胸中に描いているようだ。運営数と内容の双方で、世界一を目指したいという。 ゴルフ練習場の課題について、「ひとつは、50代後半以降の男性常連客への対応がマンネリ化しています。いかに新鮮・目新しさを演出できるかが大事。もうひとつはコロナ禍でゴルフを始めた若い世代、子育てがいったん終わった世代にもゴルフを楽しんでもらいたいですね。上手く世代交代しないとゴルフ業界の先は厳しいと思う。今後はディズニーランドが競争相手になってくると思いますが、ゴルフの敷居を下げるためにも施設で『音楽を流す』など、もっと遊べる環境に生まれ変わることが必要でしょう」――。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年4月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://www.gew.co.jp/magazine">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2022年04月25日

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