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    ハッシュタグ「シリーズゴルフ練習場ビジネス」記事一覧

    東京都江東区大島にある大島ゴルフセンターは、地下鉄都営新宿線の大島駅から徒歩3分の至便なところにある屋外ゴルフ練習場である。3階48打席で100ヤード。駐車場は52台収容と十分な広さがあり、 「ゆとりがあるため、駐車場が満車になったことはありません」 大島ゴルフセンター 受付 同練習場を経営する株式会社スガエンタープライズの菅登志夫社長は笑みを浮かべる。同氏は昨年10月に社長へ就任、ちょうど1年が経ったところである。 菅家のルーツは四国とのこと。菅という苗字は、菅原道真が由来だという。菅原道真が船で大宰府に向かっている途中、暴風雨に遭い立ち寄った土地が、愛媛県越智郡小西村星之浦。その時、菅家の先祖は大破した船の修理を行い、その功績により「菅」姓を賜ったという。 「ですから当家の家紋は『丸に梅鉢』で、天神様・道真に由来していると聞いています」 菅社長の祖父・菅金助氏は、その四国愛媛の出身で、広島の造船所に勤め、その後、三重県鳥羽の造船所で重量物設置などの技術を習得・考案し、1920年に鳥羽で「菅組」を創業した。創業1年後、台風で根元から折れた伊勢の二見浦夫婦岩の40t以上ある女岩の修復工事を請負い、会社の基礎を築いた。 その後1923年の関東大震災の復興に「菅組」の技術を役立てたいとの思いから、現在ゴルフ練習場のある江東区で「東京菅組」を立ち上げた。1986年に社名変更して株式会社スガテックとし、大手製鉄メーカーなどのプラント設備の設計・製作・建設・整備など、幅広い分野で活動している。その「菅組」の倉庫があった場所が、現在の大島ゴルフセンターである。 菅氏の伯父で金助氏の長男・光孝氏がゴルフ好きで、社長時代、会社の資材置き場などの倉庫があった現在の台東区大島に、1976年「大島ゴルフセンター」を創業した。この練習場の名称は地名の「大島」からとり、創業時から現在まで変っていない。もとは「菅倉庫」という別会社を、株式会社スガエンタープライズにし、ゴルフ練習場の運営を始めている。 菅氏は大学卒業後スガテックに入社、その後外資系金融機関で働き、昨年7月にスガエンタープライズに入社、10月から社長という経緯である。練習場の運営会社は代々親族が社長を務め、現在の菅社長で4代目。同氏は社会人になってからゴルフを始め、20年ほど前にカレドニアンGC(千葉県)のメンバーに。スコア90前後のゴルフを楽しむ。 「自宅が大島ゴルフセンターの近くなので、この練習場には以前から一人のゴルファーとして通っていました。従兄の現会長が70歳を超えたので、自分が社長をやることになりましたが、前社長はゴルフをしなかったので、自分はゴルファー目線で練習場の経営に取り組みます」 と、顧客目線を大事にする。 有意義な待ち時間を提供 大島ゴルフセンター打席 大島ゴルフセンターの創業当時は2階建て32打席だったが、開業10年後に3階48打席に改修。それ以降大きな改修はないという。社長就任後、同施設の周辺人口や年齢構成などを調査会社に依頼した結果、 「この地域は特に高齢化が進み、現状のままでは先行き不透明であることがわかりました。より広いエリアの若い世代や、違う客層を取り込む必要があると思っています」 そこで、社長就任直後の昨年11月にトラックマンレンジを導入。100ヤードの屋外練習場では飛球がすぐにネットに当たるため、 「弾道や飛距離が判ることが必要だと考えたのです。この商圏にはほかに大型の練習場があり、その顧客を取り込めるチャンスが増える。計測器やシミュレーションを備えた屋内練習場も増えているので、屋内よりも打音や球の打ち出しが良くわかる屋外のメリットを訴求することもトラックマンレンジ導入の理由です」 3階に『トラックマン4』を使ったシミュレーションルームを設置して、スピンやクラブの入射角など高度なショット分析で、上級志向のゴルファーを満足させるレッスンも可能。また、今年10月にフロント周辺の内装を中心にリニューアルした。 特に来場者に喜ばれるのが1階にオープンした「コスタコーヒー・カフェ」だという。ヨーロッパでナンバー1のコーヒーブランドだそうで、練習場利用者だけでなく、近隣住民が気楽に利用できるようカフェ用の入り口も用意した。 「練習場利用者には割引価格で提供し、混雑時の打席待ちや練習後の休憩に利用されています。スタバなどで30分ほど、ゆっくりコーヒータイムを過ごすことは普通ですし、フリーWi-Fiも用意してあるので待ち時間を楽しく有意義に過ごせます」 10月のリニューアルに合わせてスクールも一新、データに基づいた練習メニューをインストラクターが提供し、スクール生400人を目標に施策を打つ。ICカードの導入で来場者の年齢構成も明確になり、 「20代が一番多くICカードを作っています。若者は車離れをしているので、駅近のロケーションが効いているんでしょうね」 と分析している。 同施設の東側には荒川が流れ、千葉に近く、東側在住のゴルファーは千葉側の低価格な練習場に行く傾向が強いため、商圏は西側10km圏内。ポスティングやSNSでの発信もこの地域が中心だ。年間来場者は9万人前後で、今回のリニューアルにより幅広い 地域からの来場を期待している。 菅社長のポリシーは、 「地元に愛され続けるゴルフ練習場であり、カジュアルで若い世代にも気軽に来場頂ける雰囲気づくりを目指しています」 東京23区内の屋外ゴルフ練習場は、承継問題や業態転換で減少傾向が続いている。その中で安定経営の「大島ゴルフセンター」は、貴重な存在になることは間違いない。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年12月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年02月18日
    関越道の所沢ICから15分、所沢と狭山を結ぶ広々とした2車線の所沢掘兼狭山線に面した、交通至便な埼玉県所沢市下富に「新富ゴルフプラザ」はある。所沢の緑に囲まれ、解放感を感じる、2階62打席250ヤードの屋外練習場だ。同施設の成り立ちやコンセプトについて、有限会社新富ゴルフプラザ・坂東枝美子専務に取材した。 「新富ゴルフプラザ」の敷地面積は約3万㎡。これまで訪れた多くの練習場と同様、元々地主で、自分の農地や牧場などを活用した練習場だと思っていた。ところが、事情はかなり違うらしい。坂東専務いわく、 「この練習場は34年前、1990年に父(故・実氏)が創業したのです。父は北海道出身で、大学卒業後、兄と不動産業を千葉で起業。その後独立して埼玉の清瀬、入間で不動産事業を営んでいました」 実氏は、事業を始めた後30歳ぐらいでゴルフにハマり、競技ゴルファーの道を歩む。スコアも60台で回る腕前になっていた。坂東専務が母親に聞いた話では、 「父がある日突然、ゴルフ練習場を始めたいと。それで現在の土地を一緒に見に行ったそうです」実氏は事前に家族には相談せず、練習場開業の準備をしていたそう。 一部は借地だが、練習場用地を買収し、4年の歳月を費やした。住まいも所沢に転居している。「母親に相談もせず、よく始めたと思います(苦笑)」 この、所沢市下富の地を選んだのは、田園の中で隠れ家的な練習場をつくりたかったことと、まとまった土地を手配できたからだという。不動産業をしていたので、この地域に道路を通す計画があることを逸早く察知したことも、思い切って買収できた一因である。 ただ、道路はもう少し早く開通する計画だったが、開業から20年以上過ぎた10年前にやっと開通した。開業前、よく練習に通っていた入間の金子ゴルフセンターのオーナーと親しくなり、そこからの情報が役立ったとのこと。開業当時、一人娘の坂東専務は中学生であった。 「新富ゴルフプラザ」の名称を最初に聞いた時、筆者はこの地区の地名かと思ったが、「新富」という地名はない。現住所の「下富」の「富」と、新しいゴルフ施設をつくるとの想いで「新」をつけて「新富ゴルフプラザ」とした。プラザは人が集まる「広場」の意。練習場のキャッチコピーは「楽しいゴルフをクリエイトとする緑のゴルフ&ウエルネスパーク」で、「新富ゴルフプラザ」の名称は父・実氏が命名した。 「あとで父親の友人に聞いた話では『坂東ゴルフ』や『東武ゴルフ』などの名前も候補だったそうです」 <h2>父親の急逝で決断した</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/01/shintomi.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="aligncenter size-full wp-image-80081" /> 開業時は2階45打席250ヤードの規模であった。この地区にはゴルフ練習場がなく、また実氏が様々なゴルフ大会・競技で優勝し、ゴルフを通じて知り合った仲間にPR。経営は順調に推移していった。100名規模のコンペを開催すると、すぐに定員が埋まった。実氏はいつも2番打席で練習していたという。 その父親が4年前、急逝した。「当日の午前中まで仕事をしていて、電話で話もしていたので、本当に驚きました・・・」 と、坂東専務は言葉少なに振り返る。一人娘であり、その日から仕事を引き継いだというが、それ以前は週2回のアルバイトで、フロントの手伝いはしていたものの経営にはノータッチだった。 「父はあと20年ぐらい頑張るだろうと思っていたので、突然のことで、誰も私が継ぐとは思っていなかったですし、母も継ぐことを薦めませんでした。でも、父が苦労してつくった練習場を、自分の代では潰せないと思ったのです」 ただ、事業承継の可能性を見越し、10年前からゴルフ練習場の勉強会に顔を出して業界関係者とのつながりは持っていた。 「父は時々、『ゴルフは3世代で楽しめるスポーツだ』と、ゴルフの素晴らしさを話していたので、継がせたい思いはあったかもしれません。母は経理を担当していたので当社の代表を務めていますが、実質的な経営は私が担っています」 経営を引き継いで最初の3年は、練習場事業の把握に努め、リスク回避のための防球ネット整備などに力を注いできたが、これから自分の色を出したいと意欲を示す。今年は60ヤードのアプローチエリアを整備。 「力の弱い女性やシニアがスコアアップするためには、アプローチが重要なので、その点を改善しました」 同施設の特徴のひとつは、開業時からコースボールを使用していることで、このことがアプローチ練習にもプラスに働いている。インスタグラムにも力を入れており、フォロワー数も3000を超えた。練習場業界の中では多い方で、SNSでの情報発信が若者ゴルファーの来場を促進しているという。 また、スクールも「新富らしさ」を打ち出す構え。スクール用のオリジナルノートや、スイング動画を共有できるソフト等を整備してきた。可視化やプロとのコミュニケーションが重要と考え、「新富ゴルフアカデミー」のカラーを鮮明にしていく。現在、年間10万人以上の来場者があるという。 父・実氏の立てたコンセプトに加え、一人娘の専務の野望は、 「男性ゴルファーが女性を連れてきやすいNO.1のゴルフ練習場を目指します」 と、新たな旗を立てている。女性がゴルフを始めるときには、男性の存在が大事。このあたり、女性経営者ならではの視点と言えるかもしれない。 「女性が入りやすい、快適な練習場をつくりたいですね。それと、女性でも練習場経営を承継できる好例になりたいと思っています」 ジェンダーフリーの時代だが、ゴルフ界はまだまだ女性経営者が少ない。筆者は、新風を吹き込んでほしいと願っている。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/01/shintomi3.jpg" alt="" width="816" height="612" class="aligncenter size-full wp-image-80082" /> <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年11月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年01月25日
    山手線田町駅の芝浦口から徒歩7分の第三東運ビル屋上にMINATOGOLF田町がある。ゴルフレッスンと打ち放題で13打席の規模。東京タワーが打席から見え、そこに向かって打てる絶好のロケーションだ。都心の屋外型練習場としては、数少ない施設の一つである。 この練習場を取材していた時、ゴルフメディアの編集者がネットでこの施設を見つけてクラブ試打のため来場していた。事務所から近くで、田町駅から歩いてすぐの屋外ゴルフ練習場はどんな感じなのか、興味もあって来場したと話していた。 この練習場の成り立ちについて当ビルを運営・管理していた東京レジャー株式会社、東京リクリエーション株式会社、東京倉庫株式会社の代表取締役会長の池田朝彦氏、MINATOGOLFを運営する株式会社JGS取締役会長の高橋純一氏に取材した。 同施設がある芝浦地域は、もともと池田氏の父・新一氏が池袋で倉庫事業を立ち上げ、その後芝浦に移ってきた。コメをはしけで運搬して平屋倉庫に保管するなどの倉庫事業を始めている。 戦前から「ヤナセ」の自動車工場があり、自動車や家電倉庫としての付き合いもあったという。 2020年に東京倉庫運輸は創業100年を迎えている。今から50年ほど前にボウリングブームがあり、ボウリング場をやらないかとの話もあったとか。ちょうど平屋倉庫が古くなり、1000坪の土地にボウリング場と倉庫、オフィスが一体となった現在のビルを1973年に建てた。 池田会長によれば、 「芝浦地域を賑わいのある街にしたいとの思いもあり、その一環としてレジャー施設のボウリング場をつくることになったのです。当初、私の兄がボウリング場経営などで社長を務めていましたが、3年後から私がこの事業を任されて、以来40年間代表をしておりました」 空きスペースの有効活用を考えて、ビル完成の10年後、屋上にテニスコート1面をつくった。しかしテニスコート事業は採算が悪く、次の展開を思案していると、良縁があった。テニスコート施設のネット工事会社社長が、慶応大学ゴルフ部出身で、同じ慶応のゴルフ部出身の高橋氏を紹介されて、「ゴルフ練習場が良いのでは」と、なった次第。 池田会長も慶応大学の出身である。ここからの話を、高橋会長が次のように引き取る。「実は、私の妻の実家がゴルフ場会員権事業の『住地ゴルフ』でして、事業の一環としてイメージアップを含め、ゴルフスクールの運営を頼まれたのです。 そこで1984年、渋谷を皮切りに『住地ゴルフスクール』を始めました」同氏にスクール運営の依頼が来たのには理由がある。高橋会長はハワイ・ワイアラエ・ゴルフクラブで本格的なゴルフ修行を始め、1971年にPGAofAMERICA(米国プロゴルフ協会)のプロテストに合格。日本、米国、アジアのトーナメントに参戦し、1983年のアジアサーキット・インドオープンで優勝した経歴の持ち主だ。ゴルフスクールの運営には適任であり、1989年に開業した第三東運ビルの練習場は「住地ゴルフスクール」田町の名称で始動した。 <h2>あのディスコがあった場所</h2> 池田会長は地域活動にも積極的に参加しており、現在港区体育協会役員、東京商工会議所港支部顧問・名誉会長を務め、また2018年から実施している「MINATOシティーハーフマラソン」の港区マラソン実行委員会委員長も歴任。 一方の高橋会長は、港区ゴルフ連盟の会長を務めている。「港区ゴルフ連盟」は区民ゴルフ大会(年2回)開催や、一部東京の競技大会への参加に加え、ゴルフ人口拡大に向けてゴルフスクールの開講やジュニア育成に取り組んでいる。 港区体育協会の一員として、港区体育祭など区民の親睦の場を提供すると共に、老若男女問わず一緒に楽しくプレーできるスポーツとしてゴルフ競技の発展を目指す。 4年前、「住地ゴルフスクール」の名称を現在の「MINATOGOLF」に変更したが、地域連携を考えれば頷ける話だ。他に新橋、笹塚、西新宿、市ヶ谷などの6校も住地ゴルフスクールから「MINATOGOLF」に改称している。 「ゴルフを始める人 ゴルフが好きな人 すべてのゴルファーが集まれるゴルフの『港』を目指して」という想いを込めた名称でもある。 高橋会長のレッスン方針は「少しでも長くゴルフを楽しんでもらう」ことだという。田町の会員数は累計で5000名を数え、会員向けにゴルフ場でのレッスンやコンペも頻繁に開催。海外でのコンペも実施している。主要客層は50~60代で、女性比率は5割弱。通い放題のコースもあるが、基本のスクールレッスンは4回1万6500円。練習場も1時間1500円の打ち放題で、港区民は1200円で練習できる。 余談だが、同施設がある第三東運ビルはかつて、バブルの象徴と言われた「ジュリアナ東京」が1階に入っていた。1991年5月から1994年8月までの約3年、一世を風靡したディスコである。田町駅でボディコンに着替えた若い女性が列をなしていたのは有名な話。 「当社は今も『ジュリアナ東京』の商標を持ってるんですよ(笑)。あの頃、練習場は開場していましたが『ジュリアナ』の客層とは全く違っていて、ゴルフ練習場があることも知らなかったでしょうね。でも今は『ジュリアナ』で踊っていた方が練習に来てるんですよ。それはともかく、スポーツビジネスは地域貢献、ジュニア、人々の健康を重視しないと続けられません」 池田会長は口元を引き締める。 行政を含めて地域と一体化する。地域に不可欠な存在になることが、このビジネスの要諦ということだろう。「MINATOGOLF」田町は、都市ビルの屋上をゴルフで有効活用できる事例も示しているが、屋外練習場が減少する中、新たな可能性を感じさせる。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年6月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2023年07月02日
    埼玉県鴻巣市関新田に鴻巣ジャンボゴルフセンターはある。関東平野の外周を回る圏央自動車道の桶川加納ICから車で20分、広大な関東平野に広がる水田の一角に練習場のネットが見えてくる。300ヤード、88打席。グループ企業の鴻巣カントリークラブが隣接している。 両社を経営するのは関東文化開発グループの三宝開発(株)。関文グループは東京八王子のGMG八王子ゴルフ場と埼玉県寄居町の長瀞カントリークラブも経営するが、練習場は鴻巣ジャンボゴルフセンターだけである。この練習場の成り立ちについて、関文グループ総本社の森川幸三副社長と、鴻巣CC・鴻巣ジャンボゴルフセンターの森川宗介支配人に話を聞いた。 3ゴルフ場、1練習場を経営する関文グループは森川幸吉氏(故人)が創業した。現在は三代目が経営に携わっており、今回取材した幸三副社長は幸吉氏の長男の息子で、宗介支配人は長女の息子。二人はいとこの間柄にある。幸三氏は次男で、長兄の英幸氏がグループ総本社の社長を務めている。 その英幸社長は、日本ゴルフ場経営者協会の筆頭副理事長を務めている。「ゴルフ」は家業であるだけにゴルフ界全体を盛り上げる意識が強い。ゴルフ未経験の大学生にコース体験を促す「Gちゃれ」に、GMG八王子と鴻巣CCは意欲的に取り組んでいる。 鴻巣ジャンボゴルフセンターは1991年12月に44打席、160ヤードでオープンした。それ以前、隣接の鴻巣CCには鳥かごのような練習スペースしかなかったが、シニアトーナメント(ミサワリゾート)を開催することになり、練習場が必要となってゴルフ場隣接の現在の場所に造成したという経緯である。 開場してみると、この地区の練習場需要が想像以上にあり、その要望に応えるため1995年に設備投資。距離を300ヤードに伸ばし、2階建て88打席に改修。同時に6ホールのショートコースも造成してゴルフのアミューズメントパークを標榜した。名称も開業時の「鴻巣ゴルフ練習場」を、300ヤードの大型施設にふさわしく「鴻巣ジャンボゴルフセンター」に改称している。 鴻巣ジャンボゴルフセンター 300ヤード 地域密着で地域貢献 森川家はなぜ、ゴルフ業界に入ったのか? 創業者の幸吉氏は、旧制開成中学の出身で、その人脈を生かし戦後大倉財閥関連で働き、伊豆や八ヶ岳、多摩カントリーのゴルフ場開発にかかわった。という経緯の中で、幸吉氏は、昔の東京よみうりカントリークラブの特徴的なドーム型クラブハウスを見て、ゴルフ場経営に強い関心を抱いたという。 1967年にGMG八王子ゴルフ場、1968年に長瀞CC、そして1976年に鴻巣CCを開業している。同コースの所在地区は当時、川里村と呼ばれ、東京の新空港候補地となっていたが、その話が流れ、代わりにゴルフ場開発が浮上した。そもそも沼地だったため、近隣の山を購入し、その土を使って沼地を干拓、ゴルフ場を造成した。 練習場を開業したのは2代目の森川幸美氏で、前述のとおり現在は三代目の経営。練習場経営のポリシーについて森川支配人は、 「近隣の練習場にはない300ヤードの広さがあり、ショートコースも完備しているため天然芝からのショットも練習できます。アプローチ、バンカー専用練習場も当施設の特徴です。鴻巣CCを割安で利用できる会員制度もあり、900名強の会員が在籍しています。ポリシーは、お客様が気持ちよく練習できる環境作りが一番大事ということ。建物やサービスも大事ですが、一番はボールや人工芝が奇麗であること。私が支配人になってから、特にこの点に注力しています」 アイアンで摩耗した打席マットはボールが沈んだら即交換。ボールも年間4万球を入れ替えている。 年間来場者は13万人を超え、売上も2億円超。従業員はパートを含め15名で、鴻巣市と近隣市町を商圏とする。コロナ禍も含めて女性比率が2割から3割に高まったが、女性が嫌う「教え魔」の排除や「喫煙BOXの設置」、ショートコースを活用したコンペでは女性が喜ぶ賞品のチョイスにも気を配る。 5名のインストラクターが約460名のスクール生に対応する。12回コースのスクールでは、特典として鴻巣CCのハーフラウンドレッスンを付けるなど、練習場とコースが隣接する強みを生かしている。 地域貢献にも前向きだ。鴻巣市ゴルフ協会と連携し、年1回の鴻巣市初級ゴルフ教室(全7回)や、市役所勤務者を対象としたクラス毎のゴルフスクールを開催。また、自社主催で今年3回目となる鴻巣シニアオープン開催時には、練習場の駐車場で鴻巣グリーン夏祭りも開催する。 「地元企業の協賛もあるため、できるだけ長く続けたい。シニアプロは夏祭の会場で表彰式をするので、有名プロが地元住民と一緒に屋台を楽しんでいるんですよ。弊社は関東では珍しく、ゴルフ場、ショートコース、練習場が三位一体となっており、この環境を上手く活かして『ゴルフパーク』を築きたい。今後は家族で楽しめるゴルフを考えていきたいですね」(森川支配人) 同氏が掲げる地域貢献の在り方を巨視感で捉えると、森川副社長のこんなイメージになる。 「鴻巣市は首都圏から50km圏内で、かつ圏央道が通るため将来のスーパーシティになる可能性があるんですよ。日本のテクノロジーを用いて、地域住民の暮らしをより便利に快適にすることを目指す中で、ゴルフがウエルネスに組み込まれることも考えられる。例えばこのゴルフ施設が自動運転のステーションになれば、レストランを含めて地域にもっと貢献できると思います」 と、大きく位置付ける。 練習場、ショートコース、ゴルフ場が同じ経営で同じ場所にあることは、ゴルフのこれからの可能性を試す絶好の条件が揃っている。地域貢献・地域密着の事業展開で将来像をクリアに描く。三代目経営の手腕を含めて、今後に期待したいゴルフ施設である。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年5月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2023年06月04日
    BOXGOLFは新宿三丁目駅のE7出口から、歩いて1分もかからない便利な場所にある。住所は東京都新宿区新宿4―3‐15レイフラットB館2F。だが、筆者は取材で訪れた時に迷ってしまった。入り口が、ビルの裏側の非常階段のようなところを上がった2階にあるので、ここが練習場の入り口かと、入ることに躊躇したのである。 BOXGOLFは7打席のインドアゴルフ練習場だ。これまでの経緯やコンセプトについて、代表取締役の日向敏之氏と業務統括の上野美和氏に話を聞いた。 創業は2007年、日向社長が40歳で創業した。それまでネイルサロン、エステなどの美容業界で活動し、今もそのビジネスは継続中。 「高校卒業後、一度旅行会社に入社したんですが、その後大学に入り直して経営学部で学びました。当時から独立志向があったのでこの学部を選んだのです。卒業後は食品流通の会社に入って29歳で独立・起業。ネイルサロン事業を始め、その後エステサロンも含めて店舗展開をしてきました。ただ、30代の半ばから自分の好きなことを事業化したいと思ったんですね。それがゴルフでした。ゴルフ好きの父親の影響で、学生時代にゴルフを始めました」 BOXGOLFでレッスンをしている秋原博史プロとは小学生時代からの友人で、学生時代には父親と3人で一緒にゴルフを楽しんでいたという。そんなわけで、日向社長はシングルの腕前だ。 とはいえ、ゴルフ市場参入にはきちんと商機を窺っている。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/05/BOXGOL.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-77140" /> 「この会社の創業当時は、東新宿の日テレゴルフガーデン、都心の芝ゴルフ練習場が姿を消したタイミングなので、インドアゴルフでも需要があると考えたのです」 ゴルフバーなどにシミュレーションゴルフが入り始めた頃でもあり、当時は設備費が2000万円以上したが、練習には有効だと思っていた。毎年1月に米フロリダ州で開催されるPGAショーで格安のセンサーを見つけ、米国のメーカーと直接交渉。50台の購入を条件に、日本で販売する契約も取り付けた。 ゴルフ練習場ビジネスを始めるにあたり、このセンサーを活用した事業企画を考えたが、そのイメージが面白い。まず、出店場所は「コインパーキングの上」を発想した。通常のコインパーキングは地面だけを活用するから、その上には「空気」しかない。そこで、駐車スペースの上にプレハブやコンテナでゴルフ練習施設をつくれば行けるだろう、と考えた。コインパーキングの運営会社に足を運び、提案した。 「1階はコインパーキング、2階はゴルフ練習場。双方の収益にシナジーが出ますという企画でしたが、先方にイメージが伝わらなくて」 実現には至らなかった。いずれにせよ、社名のBOXGOLFは「箱の中のゴルフ、箱の中で行うセンサー付きゴルフ練習場」というコンセプトから来ている。 <h2>練習場からコースへ送客会社を立ち上げた</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/05/6c2594b4a3255ebb436c3cd0a8bdde47.jpg" alt="" width="2000" height="1242" class="aligncenter size-full wp-image-77143" /> 次に、センサー付きのゴルフ練習場というコンセプトを明確にするため、自ら練習場をつくった。それが現在の場所のBOXGOLFだ。場所の選定は、エステ・ネイルサロンの経験から、リピート率を高めるには利便性が大事であり、特に駅が近いことが必須と考えた。何より「駅チカ」を優先し、表通りなどに面する必要はないとの判断だ。 「ゴルフ練習場は来場者の目的意識が明確なので、最初は探してでも来てもらえます。一度場所を覚えてもらえば問題ないと考えて、現在の場所に決めました」 表通りに面していない物件で、わかりにくいことから賃料が安い。筆者がBOXGOLFを訪れた時に感じた第一印象は、そのような背景によるものだ。わかりにくいが、近隣には一日350万人以上の乗降客数を誇る新宿駅がデンと構える。そこへの期待が大きかった。 2年間は赤字が続いて、事業を軌道に乗せることはできなかった。日向社長が来場客に「なぜうちに来ているのか?」と質問したところ「車がなく、駅の近くだから」という返事が多かった。車がなくて、どうやってゴルフ場へ行くのかと尋ねたら「あまりゴルフには行けない」と聞いた。そこで、練習場からゴルフ場へ連れて行くことをビジネスの柱に据えたという。 ゴルフ練習場でコンペを主催する施設は多いが、BOXGOLFは徹底している。わざわざ別会社を立ち上げて、練習場からゴルフ場への送客ビジネスを立ち上げたのだ。社名は「株式会社ボックスツアー」で、旅行業登録などを完了、ゴルフ場へ送客する認可を得ている。ボックスツアーで業務統括を担当する上野氏がこう話す。 「当社を立ち上げたのは2017年です。『GOLFPAQ』の名称で『日帰りバスゴルフツアー』を365日運営中。関東40か所のゴルフ場と提携しています。BOXGOLFのすぐ横からバスが発着。前日21時まで予約可能で、ツアーは最大16名まで。1名でも行います」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/05/BOXGOLF3.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-77142" /> と、細かいサービスが持ち味だ。参加者の98%がおひとりさまで、女性比率は4割。上野氏は、 「おひとりさま、車を持たないゴルファーや、50代から始めた女性の参加も多く、女性ゴルファーの増加を実感しています」 BOXGOLFは会員制で3万人を突破した。ゴルフツアーに参加するためには会員になる必要がある。施設は7打席で、スカイトラック、フライトスコープmevo+、トラックマンなど装備は充実。練習だけや、ゴルフスクール、ツアーへの参加など、ゴルファーの多様な要望に応えている。練習だけの会員も、平日の15~17時はレッスンプロによるアドバイスが無料で受けられるので、この時間帯が人気だとか。 また、BOXGOLFの隣のビルに工房もつくり、クラフトマンを常駐させて、グリップ・シャフト交換も行っている。 コロナ禍でゴルファーが増えているが、練習場からゴルフ場へのつながりは相変わらず未解決で、大きな課題となっている。BOXGOLFの取り組みは、特に車を持たない若い世代や女性にとって、一つの解決策を提案している。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年4月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2023年05月07日
    静岡駅から、車で12分の静岡市葵区千代に千代(せんだい)ゴルフガーデンがある。県道から折れて坂道を上がり、静岡市を一望できる小高い丘の上に位置していた。これまでの成り立ちやポリシーについて、株式会社千代ゴルフガーデンの代表取締役、千代和年氏に取材した。 同施設は、駐車場を含めて1万5000坪の敷地に、山に向かって250ヤードネットなしの開放感あふれる練習場。昭和50年10月10日の開場で、今年48年を迎える。 千代家は、和年社長の父・紀(おさむ)氏で19代目の家柄という。ルーツは山梨県。祖先は甲斐の武士で「秋山」という苗字であった。 今でも城跡が山梨に残る。戦国時代、戦いに敗れた秋山一族の残党が静岡に逃れ、この地に根付いた。その後同地で農業を営んでいたが、武士の家柄で地域のとりまとめ役となり、200年以上前に駿府城主から「千代」を名乗るように言われたとか。地域には千近くの田があり、「代」は田を表す。それが由来で年貢の取りまとめをする代官の役割を担ってきたとのことである。 千代家は長男が代々土地・家を受け継ぎ、明治以降もその伝統をつないできた。和年社長は次男でゴルフ練習場の代表を務め、長兄は農業法人を経営している。父親は市会議員も務め、ミカン栽培を中心に農業を営んでいた。 ある時、父・紀氏は他の地区を視察する機会があり、機械化が進んだ農業を目のあたりにした。そこで昭和32年頃、現在ゴルフ練習場がある山を削り、農業の機械化を目指しはじめる。ところが、思うように工事が進まず、紀氏は自ら土建会社を設立し、土木機械も購入して工事を進めていったという。 丁度、最初の東京五輪を控え、世の中は建設ブーム。削った山土の需要もあり、事業は順調に推移した。土地の改良も進み、さらに隣接の山も削る計画だったが、その土地の所有者から同意が得られず、オイルショックも重なって、土建会社の営業を中止した。そこで、すでに削ってしまった土地の活用をどうするかが問題となり、親族が集まって話し合う。牧場やクレー射撃場などいくつかの案が出されたが、親族の一人がゴルフ練習場を発案した。和年社長がこう話す。 「それ以前、父を含めてゴルフの経験はなかったのですが、親族に連れられて練習場の見学やゴルフも経験し、面白さを理解できたそうです。最初は事業者に土地を貸して練習施設を整備する話もありましたが、土地を貸すことに躊躇いがあり、自ら設備投資を行った。市街化調整区域で開発許可がなかなか下りなかったことも影響し、2年をかけて2階建て56打席、250ヤードの今の練習場をつくりあげたのです」 社長業は、父親の方針で、最初から和年氏に任された。 「千代ゴルフガーデン」の名前は創業当初から変わらず、今風だが、名付け親はゴルフ練習場の話を持ってきた親戚で、当時練習場を「ゴルフガーデン」と命名するところが多かったからだという。 「カフェ」の構想も 経営ポリシーは、 「ゴルファーの立場にたったゴルフ練習場を目指します」 ということで、コースボールを採用している。練習場のボールは、ボールの飛び出し問題があり、弾道を低く飛距離を抑えたものが多いのだが、同施設は山に囲まれるためボールの飛び出し問題がなく、コースボールを採用している。当初はコースボールの供給が間に合わず、練習ボールを混ぜた時代もあったが、現在は全てゴルフ場で使うものと同じボールだから、コースと同じ球筋で練習できると好評である。 もう一つは「土打席」を残していることだ。現在、静岡県で土打席が残っているのはここだけである。土打席はクラブの入り方が明確にわかり、ミスをミスとして認識できるので練習には優れている。 「だけど管理が大変なんですよ。明日の天気を気にしながら、夜に水を撒く加減を調整する。翌日が雨であれば少なく、風が予想されれば乾いてしまうので多くする。土を叩いて転圧をかける必要もあります」 管理の問題もあり、徐々にマット打席を増やしてきたが、土打席を2打席残しているのがこだわりだ。 千代ゴルフガーデン 土打席 これらのことがコアゴルファー層に支持されている。来場者の9割以上が男性で、来場者は年間8万人。年商は1億円を超えるとか。 個人レッスンの要望も多い。コロナ禍が始まる1~2年前から、松山英樹や若手ゴルファーの活躍が目立ち、その影響でプラスに転じてきたという。これにコロナ禍による特需が重なって2桁アップが続いているが、昨年4月、静岡市内で年間12万人以上来場者があった練習場が閉鎖したこともプラスに働いた。 商圏は静岡市の北側で、夜の11時15分まで営業している。 「静岡市内の商店街は夜9時までの営業が多く、その後、練習したいとの要望があったのです。閉場時間はそれに応えて決めました。コロナ禍の影響で、最近は若い世代のグループや女性の来場も増えています」 千代社長は静岡県ゴルフ練習場協会の会長も務め、子供たちがゴルフに触れる機会の提供にも意欲的。 「市内のイベントにこちらから出向き、プロのレッスンやスナッグゴルフなどの体験機会を設けています」 また、静岡県ゴルフ場協会が学校の授業や部活動で「ゴルフ」の魅力を伝えるスクールゴルフプロジェクトを実施。それに関連して近隣の高校生の来場もある。 「そのほか、子供たちがゴルフに触れる遊びのスクールやジュニアゴルフスクールも行っていますが、ゴルフ界の課題は、ゴルフに触れたことがない人に、いかにゴルフに触れてもらうかです。一案ですが 『ゴルフ場で野鳥を見る会』なども面白いと思います」 ゴルフへの強い想いを感じる。 「千代ゴルフガーデン」はミカンやブルーベリー狩りなども楽しめる場所で、静岡市内が一望できる高台にある。今後、カフェなどをつくり家族で楽しめる場所にしたいとの構想もある。地域に密着し、未経験者がゴルフに触れられる「ガーデン」になることを期待したい。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年3月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2023年04月23日
    「湘南衣笠ゴルフ」は神奈川県横須賀市にある。横浜横須賀道路の衣笠インターから2分とアクセスが良く、少し高台にある。練習場は1969年創業、昨年53年を迎えた横須賀地区で一番古い練習場だ。 取材で訪れたのは昨年12月であったが、翌週に開業53年のコンペを開催するということで入り口に賞品が展示してあった。この練習場の成り立ちやコンセプトについて株式会社湘南衣笠ゴルフ・代表取締役社長の 岩﨑聖秀氏に話を伺った。 岩﨑社長は現在46歳、社長になって12年経つ。以前は飲食業に勤めていたが、24歳で家族から頼まれ練習場に入った。訪れた際、岩﨑社長が来場客と楽し気に会話をしていて、アットホームな雰囲気であった。 「湘南衣笠ゴルフ」の創業者は岩﨑社長の父・聖金氏である。 「現在の練習場は東京湾の埋め立て用の砕石場跡で、砕石の役割が終わり約1万坪の敷地が売りに出たのです。何かの開発がらみで使えるのではないかということで、父親を含め3名共同で取得しました。当初は住宅等にすることを考えたそうですが、開発許可の関係で難しく、しばらく寝かせなければならず、遊休地の活用としてゴルフ練習場を始めたのです。父親は当時ゴルフをしておらず、ゴルフ好きだからという理由ではありませんでした」 当初は、現在の練習場がある山の下に受付があり、バッグを担いで上まで登ってもらったそう。創業当時は土の打席で、来場客自身がローラーをかけて平らにしていた。そこにゴルフブームが到来し、 「本格的に再投資して練習場をやっていこうと父親が決意。他の2名から土地の権利を買い取ったのです。父は昭和11年生まれで、18歳でガソリンスタンドを創業、マイカーブームが訪れて軌道に乗った」 というから、機を見るに敏なビジネスマンだったのだろう。その後、同地区を大手ゼネコンが開発するとのことで、ガソリンスタンドを売却して30歳で水道工事事業を始めた。最初に砕石場跡地を3名で買い取る時は自己資金だったが、 「他の2名から買い取る時は借り入れをして、77歳の母によれば『大きな借り入れをするのが怖かった』そうです」 父親は次々と事業を始め、育った事業を社員や後輩等に会社譲渡する志向の事業家で、今でも資本関係のある会社とはグループとして交流を深めている。 <h2>年中無休の「居場所」</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/04/syounan.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-76663" /> 岩﨑社長は3男だが、長男は早世し、父親も岩﨑社長が高校生の時に他界したため、現在は家族で父親が残した事業を継承発展させている。兄弟仲は良いそうで、月に1回役員会として、母親と兄弟で昼食を共にするファミリー企業である。 ゴルフ練習場では岩﨑社長の姉も働いている。大神グループとして建設事業、不動産事業、飲食事業等を展開し、ゴルフ練習場もグループ法人の1つという位置づけだ。 「このような事業体制なので、ゴルフ練習場の継承についてもスムーズにできると考えています」 近年、ゴルフ練習場は単に球を打つだけの場所ではなく、様々な事業方針を掲げる施設が目立つ。同社の場合、どのような事業ポリシーを描いているのだろうか? 「当社は、地域に開かれた情報発信の場と考えています。サービス業として『楽しい』をフックに、地域が抱えている高齢化、空き家、子供の教育といった社会課題を、自分の事業を通じて少しでも解決できればと思っています」 と、明快に答える。ゴルフが貢献できることについては、 「東日本大震災の後、長期休業後に開業したとき、お客様の何気ない一言『いい気晴らしになったよ』が忘れられないんです。テーマパークのように夢を与えることはできないかもしれませんが、⽇常のちょっとした幸せを、自分たちの力でお客様や地域に提供したい」―。 「湘南衣笠ゴルフ」は地域密着であるが、商圏は意外と広く、三浦半島全域だとか。1973年に建て替えて、現在の設備になっているが、設備投資を抑えるため、以前導入したティーアップ機もメンテナンス費用の削減で全て撤去。ボールは籠売りに変更している。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/04/syounan2.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-76664" /> 毎日気楽に来場できるよう、安い時間帯は1球5・5円、計1000円ちょっとで楽しめる。打席は2階110打席の230ヤード。営業時間は朝5時~夜10時。年間来場者は15万人を数える。 「高齢者に一日でも長くゴルフを楽しんでもらいたいのです。ここに来れば誰かと会話ができ、毎日ルーティンのように来場してくれるお客様もいらっしゃる。『居場所』として365日開場しています」 特筆すべきは「プロジェクト90」だ。90歳になってもゴルフを楽しもう、を掲げており、地域の看護士の団体が月一度、血圧測定、健康相談等を行う「町の保健室」を実施中。またヨガ教室や、自動車学校の先生に来てもらい交通安全教室にも取り組んでいる。月例コンペには4つの同好会があり、岩﨑社長も4か月に一度、各コンペに参加してコミュニケーションを深めている。 ジュニアの取り組みは、横須賀地区の4つの練習場が共同で小学生にゴルフ体験を促す「すかゴル」に参加。また、所属の岩室智章プロがジュニアスクールを続けている。同プロはここを拠点に、ゴルフを通じて子供の健全な教育を図るだけではなく、逆に子供を通して大人にもゴルフの楽しさを伝え、ゴルフを家族や地域のコミュニケーションツールとして機能させるべく「横須賀ジュニアゴルフ推進協会」を立ち上げた。18歳未満の子供は年間3万円で打ち放題だ。 コロナ禍で増えた若い世代にゴルフを継続してもらうためにも、岩﨑社長は月に一度ゴルフ練習会をして交流を深めている。気楽にゴルフを楽しんでもらえるイベントとして評判は上々……。 「ゴルフの魅力は世代間の交流です。それができる場となっていくことが大事だと思っています」 最後に将来ビジョンを聞いた。 「土地が広いので、複合化を目指したいんですよ。例えばメディカルやジムなどの施設も揃え、ここに来ればゴルフを中心に健康を維持できるワンストップ機能をつくりたい。それが今後のビジョンです」 練習場が持つ、地域コミュニティとしての役割を実践する。このコンセプトの広がりを期待したい。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/04/syounann3.jpg" alt="" width="788" height="527" class="aligncenter size-full wp-image-76665" /> <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年2月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2023年04月09日
    千葉県八千代市大和田新田にある「明治ゴルフセンター」を訪ねた。駐車場に車を停めて歩を進めると、入り口横の天然芝のパッティンググリーンの美しさに目を奪われる。今回は、2016年3月にリニューアルオープンした「明治ゴルフセンター」の経営会社・サンカジロの上代修大専務に話を聞いた。 上代(かじろ)という苗字は千葉県の大網白里町北今泉付近にルーツがあり、更に遡れば、島根あたりが発祥で、和歌山を経て千葉に来たのではないかとのことである。 曽祖父が明治時代の後期に、現在の江東区亀戸の大島団地付近で酪農を始め、「上代牧場」として乳牛を飼育していた。明治、大正と時代が進み、都市化の影響で現在の八千代市に昭和11(1936)年に移転した。八千代地域では酪農のパイオニアだったという。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/02/pat.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-76249" /> 「乳牛の交配センターを近隣5つの牧場と共同で創設するなど、地域発展のために尽くしてきた。八千代市の小学校の教材にも取り上げられているんです」 祖父の代も酪農は続き、上代専務の父・修二氏は次男だったので、長男が牧場を継ぎ、次男は新しいことを始める必要があった。1970年代はボウリングブーム。銀行や知人の紹介でボウリング場を始めようとの話もあったが、父親がオーストラリアを2か月旅行したときに、現地のボウリング場は米国の中古品を使ってのビジネスとなっており、先がないのではと考えて、ゴルフ練習場事業に踏み切った。 1972年7月、牧場の飼料畑の跡に2階100打席の練習場をオープンする。当時父親は東京農大の学生で、社長は祖父であったが、専務としての学生起業であった。開業1年後には9ホールのショートコースもオープン。開業時の名称は「明治ゴルフセンター」で、ショートコースがオープンしてからは「明治総合ゴルフセンター」となった。 「明治ゴルフセンター」の名前の由来は酪農経営に由来する。上代専務の説明を聞いてみよう。 「上代牧場の取引先に明治乳業がありまして、当時明治乳業の社長だった国生義夫さんから『練習場をするなら明治乳業の名前とロゴを使ったらどうか』との話があって、『明治ゴルフセンター』としたそうです。上代牧場はピーク時、乳牛を100頭飼育しており、明治乳業にとっても重要な取引先でしたから」 牧歌的な時代だった。というのは2016年のリニューアルを機に、コンプライアンスの観点から明治ホールディングスと話し合い、明治の名称は残すが「ロゴは使わない」となったからだ。 <h2>地域貢献の構想</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/02/uke.jpg" alt="" width="788" height="526" class="aligncenter size-full wp-image-76250" /> 1989年、練習場の敷地を東葉高速線が通ることとなり、練習場建屋を建て替え、2階120打席、3階スクール打席、アプローチエリアも併設した。その後、鉄道近隣の練習場は事故が起こる可能性もあるため、車で約5分の現在の場所に土地を購入、移転することになる。 新施設の開場は2016年3月で、約2万3000坪の敷地に250ヤード、2階98打席のドライビングレンジと、5面の天然芝パッティング・アプローチグリーンにゴルフショップも併設している。 「明治ゴルフセンター」で目立つのは、入り口付近にある3000坪を超す天然芝のアプローチエリアと、400坪を超すパッティング専用のベントグリーンだ。練習場のホームページには「本芝のアプローチ練習場を備えた、アスリートのための練習場」と誇らしげに謳ってある。 西郷真央などプロゴルファーも練習に訪れ、ナショナルチームのジュニアには無料で開放している。アプローチ、パッティングエリアは、クラブハウスからICカードで自動扉を出入りできる。料金は30分700円だ。400坪のグリーンはオーガスタの18番ホールを模して非常にハイクオリティだ。 「明治ゴルフセンター」を経営するサンカジロのグループには本千葉CCも入っており、週に一度、同コースのサブキーパーが来て、芝を管理しているという。 打席は250ヤードで、1階は自動ティーアップ機の44打席、2階はカゴで提供する44打席で、練習ボールはウレタン2ピース。「アスリートのための練習場」にふさわしく、球の落ち際や弾道を確認できる。上代専務がこう話す。 「施設のハード面は充実していますが、大事なのはソフト面です。特に接客は重要で、細かい配慮をしています。フロント担当がお客様の顔と名前を憶えるのは当たり前。グループでの来場者には必ず打席を並べるようにしています。バラバラに空いている打席をご案内した方が効率は良いのですが、お二人できたときに楽しく練習してもらえるようにしています。ご案内する順番が前後することも含めて、お客様が気持ちよく練習してもらえるように、フロントは気を張っていると思います」 競合練習場は半径5㎞圏内に12施設あり、屋外も6施設あるのだが、「明治ゴルフセンター」が一番の賑わいをみせているとか。また、練習場「友の会コンペ」も充実しており、毎月15~18組で近隣の中山CC、総武CC、船橋CCなど名門コースで実施している。 上代専務の父親で社長の修二氏は八千代商工会議所の会頭を15年間勤め、トップアマであったことを含めて人脈が広い。これも集客の武器になっていることは間違いない。 年間来場者は昨年実績で約18万人とのことである。この付近は東京のベッドタウンであり、来場者は40代20%、50代25%、60代10%。女性比率も17%前後と比較的高い。 「来場者は千葉が中心なんですが、20%弱は都内からが占めます。充実した練習環境を目当てに来場されるのだと思います」 その充実した施設の継承については、ホールディングス化を含めて検討しているそうだ。相続税問題で廃業する練習場が増える中、事業としての盤石を目指している。 「地域貢献の一環としてバッティングセンター、ドローン練習場、フットサル施設を立ち上げて、スポーツ・モビリティ・パークとします。今後もいろんな複合施設をつくっていきたいですね」 練習場が地域貢献の重要な役割を果たすことを期待したい。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年1月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2023年03月12日
    横須賀市にある「横須賀グリーンゴルフ」はネットまで230ヤードの距離があり、緑の山に向かって打てる、自然あふれる練習場だ。今回は同施設を経営する株式会社グリーンスポーツの代表取締役・古敷谷(こしきや)敬二氏に取材した。身長が180cm以上、学生時代はサッカーをやっていたスポーツマン。最初の質問は「古敷谷」という珍しい苗字の由来である。 「横須賀には親戚が4~5軒あるんですが、もともとは現在の千葉県市原市(下総)に『古敷谷』という地名があって、そこの出身ではないかと思います」 千葉の古敷谷にはゴルフ場が3つある。巡り巡って横須賀の地にゴルフ練習場を構えるところに、筆者は何かの縁を感じる。 「横須賀グリーンゴルフ」のオープンは1990年11月で、90年代にゴルフ練習場の建設がブームとなった頃。他の練習場に比べて開場は少し遅い。現在の場所は以前、牧場で、そこを練習場に変えたのである。 横須賀グリーンゴルフ全景 「私の父は、この地で畜産業をしていました。戦後、父親が祖母と一緒に肉屋を始め、最初は群馬や埼玉などで牛・豚を仕入れて肉を販売していたのですが、その後、この地で牛や豚を育て、販売までする畜産精肉事業を『古敷谷畜産』という名称で行っていました。今は横須賀市内でおじが精肉業を続けていて、いとこの代になっています。都市化も進み畜産業の餌やし尿処理等の問題があり、牧場の継続が厳しくなった。また、この地域には採石場があり、三菱鉱業セメントが建築資材をつくるプラントもありましたが、80年代後半に閉鎖して、テニスコートの事業を始めたのです」 それも一つのきっかけとなり、父親がゴルフ好きだったこともあり、ゴルフ練習場への事業転換を決意したという。 開業時は、現状とほぼ同じ建屋・スペースで、2階各100打席の練習場としてスタートした。1年後に3階打席を増築し、全部で150打席230ヤードの練習場となった。 「当時父親は55歳で、銀行からの融資を含めて十数億円の投資を決意したのです。私は現在58歳で、当時の父親とほぼ同年。だけど、父親がした決断は自分ではできません。凄いなぁと思いますね」 と笑顔で振り返る。 古敷谷氏は大学卒業後、衣料系のジーンズ会社(リーバイス)に入り営業職を務めていたが、家業として練習場を開業するにあたり、開業の半年前に練習場の責任者として戻ってきた。開業から30年以上、責任者として同施設を育ててきた。 「最初は右も左も分からず大変だったですね」 前職でデパートなどの販売も経験していたので、接客しながら顧客ニーズを探ることに役立った。開業してしばらくは、認知が広まらなかったが、バブルの余波もあり、平日もほぼ満員の来場者でにぎわった幸運もある。特に休日は順番待ちの来場者がフロントにあふれる活況で、年間20万人以上来場した。 横須賀地区を盛り上げる 様子が大きく変わったのは2011年、東日本大震災の影響で来場者が大きく落ち込んだ。ゴルフなんかしてる場合じゃない、という暗雲が全国を覆っていた。そこで、 「当時はいろんなセミナーに参加したり、船井総研のコンサルティングを受けて練習場経営を見つめ直したのです。それで現在の『地域に愛される練習場』という経営理念を作り上げました」 また、顧客に対しては「スポーツを通じて心と体の健康を育むコミュニティを創造する」。地域に向けては「地元に根ざす企業として地域社会との繋がりを創造・貢献する」、従業員に対しては「スポーツ・地域との繋がりを通じて、従業員の成長と生きがいの場を提供する」などの方針を確立している。 地域への貢献は、横須賀地区は三浦半島の比較的限られたエリアを商圏としているが、横須賀の4ゴルフ練習場がタッグを組んで「すかゴル推進委員会」を立ち上げ、横須賀のゴルフを盛り上げている。 現在はコロナ禍で活動をセーブしているが、コロナ前は「冬休み!小学生ゴルフ無料券プレゼント!」として横須賀市内の小学生を対象に2万部を配布。各練習場1回ずつ、最大4回分練習ができる無料券を配布した。近隣の湘南学院高等学校のゴルフ部には、土日を含めて格安で練習場を開放しており、高校生が放課後練習に来ている。同校出身のプロには原英莉花、鶴岡果恋がおり、原は今も時々来場するとか。 顧客は地元企業のOB(日産、東芝、自衛隊など)が多く、コンペ等の活動を中心に「横須賀グリーンゴルフ」のオフィシャル倶楽部として公認サークルも多い。連絡用の専用BOXを練習場内に設置してコミュニケーションを深め、HPにもコンペの結果などを載せている。YGG(横須賀グリーンゴルフ)地縁店として、横須賀を中心に地域店舗の情報をHPやパンフレットを作って積極的にPR。この活動もスタッフが積極的に広げている。 もう一つの特色は24時間営業だ。 「24時間営業は2001年7月から始めました。山に向かって打つロケーションで、音や照明の問題もない。夜の9時からフリー打席で、お客様が直接打席に行き、ICカードを使い練習してもらうシステムです。練習場に来ることが日課になっているお客様も多く、日常の健康に役立っていることは間違いないでしょうね。現在、10万人以上が来場されています」 古敷谷氏の父親は現在88歳で健在とのこと。ゴルフ練習場の継承について、「横須賀グリーンゴルフ」は会社組織であり、父親も個人財産は持たず、練習場の継続は問題ない。今後について古敷谷氏は、 「継続することが大事だと思っています。練習場は地域の方にとって必要な存在であり、休場すると『居場所がない』という常連さんからの声もありますが、若い方にゴルフの良さを知ってもらう練習場になりたいですね。ゴルフ練習場はまだまだ閉鎖的で、他の業種との交流も少ないように思います。地域との交流をもっと進めなければ」 と語気を強める。古敷谷氏の子息も入社して、三代目への承継も視野に入れる。地域に愛される練習場として、末永く地元に根差してもらいたいと願う。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年12月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://www.gew.co.jp/magazine">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2023年02月19日
    神奈川県伊勢原市にある伊勢原ゴルフセンターは、大規模な改修をして2022年4月1日、リニューアルオープンした。78打席、250ヤードの施設である。 この練習場はかつて、中村寅吉プロが練習拠点としていた。中村プロは1957年、霞ヶ関カンツリー倶楽部(埼玉県川越市)で開催された国別対抗戦・カナダカップ(現ワールドカップ)で小野光一プロと組み優勝。個人としても優勝したことがきっかけで、日本にゴルフブームが起こっている。この伊勢原ゴルフセンターについて、取締役支配人の濱田翔太氏に話を伺った。 同センターの親会社は濱田精麦株式会社で、濱田支配人も親会社の営業部長を兼務している。なぜ精麦会社がゴルフ練習場を経営するようになったのか。濱田精麦は1913年に静岡県田方郡戸田村井田( 現在の沼津市)で、濱田氏の曽祖父が創業した。精麦は米の精米と同じように、大麦を精麦する事業で、あまり聞きなれない業種だが、当時は家畜用の飼料を生産していた。 1923年の関東大震災時に沼津工場が倒壊し、神奈川県足柄上郡吉田島村(現在の松田町)に転居。さらに1936年に神奈川県中郡伊勢原町(現在の伊勢原市)へ移転した。戦後の食糧難時代に家畜用の飼料から、麦ごはんの精麦業にも力を入れ会社が成長した。 「スポーツに理解があり野球が好きな経営陣で、1960年に都市対抗野球大会を目指す社会人野球チームを結成しました。野球チームをつくることで全国から人材を集めることも出来ましたが、1961年に本社工場が火災で全焼、会社を復興するために野球チームは休部となったのです」(濱田支配人) その専用グラウンドが、現在の伊勢原ゴルフセンターの場所である。2代目社長、その弟で濱田氏の祖父に当たる3代目社長が、ともにゴルフが好きで鷹の台CC他のメンバーであった。2代目社長が中村プロと縁があり、当時砧に居を構えていた中村プロに練習場のプロデュースを依頼、1969年に練習場が開業した。そんな経緯で中村プロも伊勢原に引っ越し、ここを拠点として樋口久子、岡田美智子、丸山智弘らプロを育てた。中村プロは2008年に他界したが、晩年まで伊勢原ゴルフセンターでプロ・アマを問わず交流を深めていた。 1969年の開場当時の写真では、中村プロのショットを大勢の来場者が見つめている。当時は平屋で土の25打席だったが、30年前にクラブハウスのある2階建ての練習場に改装した。 地域住民に喜びを 濱田支配人が練習場にかかわったのは今から10年前。子供の頃にこの練習場に父親と遊びに来ており、高校時代はここでアルバイトをしていたことで、伊勢原ゴルフセンターへの愛着は強い。練習場にかかわった当時は、練習場は別会社の組織で、本社・濱田精麦の一部門という位置づけのため、現場と本社の連携が取れず来客数が徐々に減少していた。施設も老朽化し、ティーアップ機も5機種が混在していた。 「そのような状況で、私は練習場をグループの中でも輝く存在にしたかったのです。そこでまず、外部に委託していたスクールを直営化。スクールと打席は連携しないと上手く機能しないと考え、フロント、フィールド、スクールと、個別にチームリーダーをたて、スピーディーな組織を目指しました」 同時にプリペイドカードのIC化やボール回収の改善を進め、ショップは2016年からゴルフパートナーを入れた。年間来場者は現在13万人だが、濱田氏が事業に参加した10年前は8万人であった。 さらに今回、リニューアルを手掛けている。その意図は、 「“ゴルフのボールパーク”をつくりたいとの思いがゴルフ練習場にかかわった当時からありました。メジャーリーグのボールパークのイメージで、飲食を含め様々なゴルフの楽しみを提供したいと思っています」 もともとボールの飛び出しの問題もあり、今回のリニューアルでネット用鉄柱も新しく14本立てた。また従来ショートコースであったエリアを、ティーを使用できる青空ガーデンを5打席、アプローチ練習場も距離表示がわかる白線が引かれているエリア、フェアウェイ、ラフから練習できるエリア、バンカーエリアなど、様々な状況から練習ができる施設に整備した。 シュミュレーションゴルフの屋内施設も設置し、デジタルへのニーズにも対応。スクール用の部屋にもシミュレーション設備を入れ、打席後方のカフェ設置で“ゴルフのボールパーク”が一歩実現した形である。総工費は2億円以上、次の50年を視野に入れる。 青空ガーデン 「ゴルフが好きだった父、祖父の思いを残したい。地域貢献としても、この伊勢原の地にゴルフ練習場があることで、この地域に住んでもらってよかったと思えるような施設にしていきたい」(濱田支配人) 伊勢原ゴルフセンターの来場者の年齢構成は、ICカードの所有は40代が一番多いものの、実際の来場者は50代以上が半数以上を占め、また女性は10数%である。コロナ禍で若い世代の来場者も増えているとのこと。練習場単体の売上は3億円に迫り、以前に比べて倍増している。今後については、 「人材の育成も重要な課題だと考えています。ただのフロントやただの打席係だけでなく、例えばIC会員を増やす活動でお客様に積極的に声がけをするなど、従業員の育成・活性化に取り組んでいます。次の目標は、ゴルフの楽しさを提供する“練習場を究める”ことで、ゴルフ練習場として成長し、発展できる事業であることを示していきたい。練習場を拠点として、スクールを含めて来場者を増やしていきたいですね」 と、練習場ビジネスを広げる積極的な意思を示している。 「お客様の為にではなく、お客様の立場に立って物事を考えたい」 と話す濱田支配人は現在35歳。これからのゴルフ界を担う存在となることを期待したい。 企業が運営するゴルフ練習場も、経営者のゴルフへの思いがあるからこそ継続できる。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年11月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://www.gew.co.jp/magazine">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2023年01月10日
    千葉県若葉区北谷津町にあるゴルフ練習場、北谷津ゴルフガーデンを訪れたときに、社長の土屋大陸氏は来場者と楽しげに雑談をしながら、受付横の軽食を出すカウンターの奥に入り、自ら注文のあったソーメンをつくっていた。お客も家にいるように、そばのテーブルに座り、新聞を読みながらカウンター越しに会話を楽しむ。家にいるようなリラックスした雰囲気が流れていた。筆者にも「ちょっと待っていて」と、自らコーヒーをいれてくれた。 北谷津ゴルフガーデンは2021年の賞金女王・稲見萌寧、シニアツアー賞金王・篠崎紀夫の練習拠点として、その名を馳せている。稲見は東京五輪で銀メダルを取った翌日にもここで練習。同施設で育ったプロは稲見、池田勇太のほかに30名以上おり、ジュニア育成も30年近く続けている。今でこそ、多くのゴルフ施設でジュニアを受け入れているが、この施設は先駆けだ。 土屋家は、この北谷津の地で200年以上農業を営んできた。実際はそれ以上古くからこの地に根付いているが、古い過去帳が焼けてしまいわからなくなっている。この地域はコメ・野菜をつくり山林も多い。その土屋家がゴルフ練習場を始めたのは今から50年以上前、この地域に千葉市から清掃工場建設の話が持ちあがったことに端を発する。 先代の父親の時代で、清掃工場には否定的な声があがり、紆余曲折の末に清掃工場建設を受け入れて、土屋家も大きな土地を提供した。誘致が決まり、道路が整備され、今まで車が通らなかったこの地区が交通至便になった。そこで、親戚筋の発展家が「山林を生かしてゴルフをやらないか」と発案した。近隣では1959年に京葉カントリー倶楽部、1960年に袖ケ浦カンツリークラブが開場している。ゴルフを全くやらない先代の父親は悩んだが、親戚の説得で1万坪の山林を9ホールのショートコースにすることを決めた。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2022/12/kita2.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-75086" /> 「開場は1970年9月10日、ちょうど私の誕生日でした。当時は高校2年生で、開場の2年ほど前から家に造園業者、親戚などが出入りしてショートコースの造成が進んでいったことを覚えています」 現在のショートコースの西コースである。ゴルフブームの波が押し寄せ、業績は順調に推移した。 9ホールのショートコースだけでは物足りないと、1972年、現在の練習場と同じ場所に平屋の38打席の打ちっぱなし(220ヤード)を建設、同時に追加のショート6ホールの造成に着手し、更に3ホールを追加して、現在の形がつくられたのは1973年のことである。 「北谷津ゴルフガーデン」の名称は開場時からで、地名と庭のイメージから命名したということだ。 「うちでゴルフを始めた人が多かった。当時はすぐにゴルフ場へ行くのではなく、まずは練習場、ショートコースで実践を積んで、本コースに行く流れでした。当施設はこの間、間違いなくゴルフ振興に貢献してきたと思います」 現在の2階建て1、2階各40打席となったのは1987年。実は、土屋氏が同施設に関わったのは1986年、34歳の時からで、それまでは東京で舞踏の第一人者であった麿赤兒に師従して表現・創作活動に専念。家には年に一度帰るか帰らないかだったという。1986年に戻った当時はバブルで賑わっていた。 「練習場には1日千数百人が来場して、ショートコースには最大440人が入った記憶があります」 <h2>ジュニア育成のメッカ</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2022/12/kita4.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-75087" /> 北谷津ゴルフガーデンは今でこそジュニア育成で有名だが、その立ち上げについて土屋氏は、 「家業に戻って2年後に、共通の友人から千葉晃プロを紹介してもらったのです。実家が練習場をやっているなら、ジュニアの練習場として何かできるのではないかとの話になった。実際、千葉プロはジュニア育成に取り組んでいて、北谷津の全体像を見た時に『ここしかない』と思ったそうです。ショートコースと練習場が併設され、スペースも広く、スタートアップには申し分ないと感じたのでしょう」 その後時が流れ、1993年頃から本格的にジュニア育成に取り組んだ。その理由について、 「当時は日々忙しかったが、このような状態がずっと続くとは思わなかったことと、90年代に入って近隣に練習場が4つできた。北谷津として特色を出さなければならないと考えて、ジュニア構想が現実味を増したのです。もともと、おじが近隣の県立泉高校に赴任した時、ゴルフ部を立ち上げ、練習施設としてこの練習場を使っていました。そんなわけでジュニアと言えば高校生のイメージがあり、千葉プロから小学生が対象と言われた時にはピンとこなかったんですよ。父親からも『採算を含めて厳しい』と言われましたが、千葉プロと何度も話し合い、1994年に『千葉晃のジュニアゴルフミーティング』を立ち上げました」 最初は場所の提供だけで、千葉プロが「校長」として始めるイメージだったが、検討を重ね、同施設の主宰となった。次なる課題はプロやスタッフのコスト負担で、採算ベースを考えなければならない。 「千葉プロの考え方は『子供は遊びの天才、自分で考える能力があるため生き生きノビノビやらせたい』というもので、その基本姿勢は今も変わりません。『楽しくなければゴルフじゃない』を子供が自覚し、自ら行動することを待つ。個性を生かし、画一化することもありません」 その理念が広く浸透し、当初プロの育成は念頭になかったが、結果的に多くのプロゴルファーを輩出している。ジュニア育成を続けることで、北谷津ゴルフガーデンのブランド化にも成功したようだ。 現在、同施設にはショートコースを含め年間10万人が来場する。ピーク時の20万人に比べれば半減だが、ボトム期に8万人だったことを考えれば回復傾向にあるといえる。来場者は60歳以上が6割を占め、女性も3割弱。コロナ禍で若い女性が増えてきた。その前はジュニアで賑わっていた。週末の土曜日曜は都内を含めて、市川、浦安など地元以外から3割が訪れ、ショートコース目当ての来場が増えている。 女子プロの活躍で100ヤード以内のショートゲームの重要性が意識されるようになった。JGAのナショナルチームコーチ、ガレス・ジョーンズ氏はショートゲームに練習の6割以上を費やしている。これらが後押しとなり、土屋氏は北谷津の現状を「ショートコースに生かされている」と話している。 <h2>地域への想い</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2022/12/kita3-scaled.jpg" alt="" width="2560" height="1705" class="aligncenter size-full wp-image-75088" /> 肝心の収支についてはこう話す。 「2012年に先代の父親が亡くなり、母親への一次相続で施設は継続できていますが、今後は継承問題もある。コロナ禍やウクライナ問題など先が見えない中で『北谷津ゴルフガーデン』を残したい。収支はやっとトントンで、固定資産などの税金は払えてますが、大きな利益があるわけではない。練習場は装置産業だから、長くやると1000万円単位の修繕が入る。これだけの面積、人員を使っている割に、練習場ビジネスは投資効率が悪いんです。続けるにはゴルフへの情熱が必要です。建て替えを視野に入れれば億単位の費用がかかるでしょう」 それでも継続を望むもうひとつの想いは、地域コミュニティにおける役割である。毎年夏まつりを開催して、練習場の常連だけでなく、地域住民とのバーベキューなどで交流を深める役割を担っている。 「都内で繁盛している練習場を時々見に行きますが、病院の待合室のようにお客がロビーで黙って雑誌を見ている。そんな光景を見るにつけ、ウチとの違いを感じます。北谷津に来れば誰かと会話でき、楽しい時間を過ごせる。そんな場所を提供することが一番大事だと思うんですよ。ジュニアもスタートから28年経ちますが、子供だけではなく、家族も含め何千人もの方とここで過ごしてきた。それが大事な財産です」 ご多聞に漏れず、少子高齢化で過疎化が進んでいる。地域活性化への想いから過去、何度も自治会長を務め、行政との交渉や、千葉市との交流会も行っている。先述の清掃工場は50年経ち廃炉になっていたが、再設置の話が持ち上がってきた。 「煙突の町」を敬遠する住民感情は当然あるが、清掃工場跡地の活用は難しいため、今後50年、最新の清掃工場を再度受け入れることを地域が認めた。令和8年に130mの煙突を持つ新しい清掃工場が稼働する。 この地区に練習場をつくり、テニスコートをつくり、乗馬設備もつくり、賑わいをつくって年間35万人が訪れる地域になった。更に、今後50年間の地域活性化事業案も提出して行政と話し合ってきた。清掃工場の余熱を活用した温水プール、温浴施設、わんぱくの森、オートキャンプのほか、既存のゴルフ練習場、テニスコート、乗馬施設等を含めて「北谷津スポーツメッカ」として、年間80万人が訪れる構想を描く。 「人が集まれば、地域バスなどの交通インフラも整い、この地域に住みたいと思う街づくりで過疎化を防げます。行政にとっても、清掃工場の余熱を利用した新しい街づくりができる。人が集まれば地域が活性化し、当社も一緒に浮上できます」 50年前の清掃工場建設がきっかけで北谷津ゴルフガーデンは始まり、再び清掃工場のリニューアルで地域コミュニティの活性化を描く。ゴルフ業界の視点では、プロの輩出とジュニア育成が注目されがちだが、そのような表層ではなく、もっと深いところに「北谷津」への想いと構想は根ざしている。 土屋社長、今日も何気なく、軽食をつくり、コーヒーをだす。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年10月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://www.gew.co.jp/magazine">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2022年12月22日
    東京都大田区にあるゴルフ練習場「馬込ゴルフガーデン」の主要ターゲットは、33歳の女性だという。これを23年前の1999年に提唱したというから、異彩を放つ。運営ソフト、屋内外の設備などもこのターゲットを意識して構築した。   現在のゴルフ界で言えば、まさに喉から手が出るほどほしい顧客層だが、当時、この層をターゲットにすると従業員に話したら、 「鼻で笑われました」 大竹章裕社長はそう振り返る。そのコンセプト通り、入り口は木製の外壁で、植栽が美しく施され緑があふれる。入り口横には自転車が30台以上停められる屋根付きの駐輪スペースがある。 町家風の受付回りは雰囲気があり、その奥のラウンジは古材を活用した「和」を感じさせる内装で、照明も昔の器具を使ったエコロジーでお洒落なこだわりを感じさせる。 ネット外周には木道が整備され、緑の植え込みが施されている。 大竹社長には、都心のゴルフ練習場のトレンドをつくり続けた自負がある。2003年に打席を塗装し、2005年に前述の玄関前を駐輪場にした。 近隣の女性が自転車で乗りつける時代を予測して、中年男性がセドリックやグロリアで来場する光景が当たり前だった当時の「常識」を大きく変えた。商圏は半径1・5kmを想定、広告・宣伝も地域密着を重視している。 「創業は昭和48年ですが、当時から地域住民のお庭がわりに使って頂きたいとの思いを込めて『馬込ゴルフガーデン』と命名しました。これを企業理念に掲げ、大人からお子さんまで、広く地域社会の憩いの場としてご利用頂けるよう、様々な工夫を取り入れてきたのです」 だが、先月の本誌で速報したように、来年1月に閉場する。東京都大田区北馬込1丁目の住宅街の好立地にあって、なぜなのか。その理由を同氏は努めて淡々と話す。 「相続にからんで、土地を手放すことになってしまい、泣く泣く心血を注いだ施設も手放すことになったのです。1000坪の土地に、駐車場を含めて2階建28打席、40ヤードで800坪です。 この打席数で年商は1億8000万円前後だから、小規模の屋外練習場としては打席当たり売上は国内トップクラスだと思っています。 それでも坪当たりの売上を考えると、10坪の喫茶店に換算したら1日5000円程度しかなく、土地効率が悪いビジネスになっている。これが根本問題です」 東京の城南地域で、かつ環状7号線の内側には特殊要因があるため、土地を使ったビジネスは、 「割に合わないと思いますね。うちのケースは特殊でしょう。全てのゴルフ練習場に共通する事情ではないと考えています」―。 2020年10月に父親が他界、相続税対策の検討を重ねてきたが、最終的に土地を手放さざるを得なかったのが実情だろう。 この地域の路線価格は36万~40万円/㎡で、約1000坪の相続税は数億円となることが推定できる。 城南地域で環状7号線の内側にあり、土地を活用したゴルフ練習場ビジネスを継承することの難しさを表す事例なのだ。都内の練習場が現在、あるいはこれから直面していく問題であることは間違いない。 元は言語研究者だった 馬込ゴルフガーデンラウンジ内装 大竹社長の家は370年、東京の久が原で代々農業を営んできたが、祖父が昭和37年に現在の馬込の土地と等価交換。野菜を中心に畑を耕し近隣住民に安く販売などしていたという。 昭和48年に祖父が高齢で農業をやめ、ほかに何かできないかと考えて閃いたのがゴルフ練習場だった。ゴルフブームの台頭期だ。 「その祖父は生涯ゴルフをやりませんでしたが、家訓は『地元の人に貢献する』で、練習に来たお客さんに奥座敷でお酒をふるまうなど、近隣住民が集まる場所でした」 昭和56年に祖父が亡くなり、父親が継承した。 「父はもともとゴルフをしていましたが、私は1993年に入社して家業に加わりました。それまでは言語研究者で、言語の普遍的な法則を研究していたんですよ」 というから、面白い経歴である。20年間ゴルフをやったが、あまり面白くなくなってきて、8年前にやめてしまったという。 名刺には、会社の代表取締役とは別に、肩書として伝統文化・芸能研究家。裏側には小唄伊吹派伊吹清太郎の名前も記されていた。このような話を聞くにつけ、施設の植栽や内装の妙にも頷ける。 ゴルフ練習場経営にも独自の視点を入れている。 例えば、1997年スタートのゴルフスクールは「練習方法を習う場所」をコンセプトにしており、座学とスクールは生徒が2人1組で、お互いのスイングをチェックしながら進めていく。 効率の良さだけではなく、「仲間づくり」を意識してのことである。 繰り返すが、来年1月に閉場する。業界にとっても大きな損失と言えるだろう。ただし、大竹社長は、 「30年間心血を注いできましたが、いったんお休みさせてもらいます」 との表現で、培ったノウハウがゴルファーに役立つならば、協力したいとの意思を口にする。 馬込ゴルフガーデン入り口 「ゴルフ界に欠けているのはコンセプトだと思うんです。ピークで2兆円以上の産業になったのは、ゴルフのキーワードが『アダルト』『ビジネス』『ステータス』で、高度経済成長に合わせて伸びました」 中年男性が、仕事に使えるツールとして、豪華なクラブハウスに代表されるゴルフ場の「機能」を利用してきた。いわゆる接待需要を中心にゴルフビジネスは大きく伸びた。 「でも、若い世代には当然響きません。じゃあ何が響くのか? コロナ禍で若者の注目がゴルフに集まる中、私はこれまでやってきた経験から次の仮説を立てました。『ファッション』『レジャー』『エコロジー』がこれからのキーワードになる。そう実感しています」 今後「馬込ゴルフガーデン」は取り壊わされ、大手デベロッパーが再開発する。しかし、地域の庭として愛されてきた「馬込の精神」が、何らかの形で継承されることを筆者は期待したい。 大竹家の家訓である「地域貢献」は筋金入りで、余談だが、社長の弟は地元・徳持神社の神主でもある。地域に根差し、祭司を執り行う。そんな家柄が、練習場ビジネスとどこかで重なっていたのかもしれない。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年9月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://www.gew.co.jp/magazine">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2022年11月16日
    東京の立川市柏町にある「カシワゴルフ」は、10打席全てに最新のトラックマン4を設置した先進的な屋内ゴルフ練習場である。5月に新規オープンしたが、その取り組みで、デンマークにあるトラックマン本社からCOOが施設を見学に来たほどだ。 この「カシワゴルフ」を運営する豊泉興産株式会社の豊泉幸夫代表取締役に「カシワゴルフ」の取り組みについて話を聞いた。 豊泉家は立川で300年以上続く農家で、豊泉代表の父親の代まで農業を営んでいた。父親は、立川でウド栽培の先駆者であった。立川市のホームページでも、ウドは「東京うど」として紹介される名産だ。 武蔵野で行われていた室(むろ)での栽培方式が、立川の地質に適していたため盛んになり、生産量は立川市が東京で1位となっている。 立川は新宿から中央線で46分と利便性の高い場所にある。これがある意味災いし、農業の継続が難しくなった。 それは、1972年の市街化区域農地の宅地並み課税である。この法律施行により、300年続けた農業から事業転換して、父親の代でゴルフ練習場を始めた。1972年6月20日のオープンだったが、なぜゴルフ練習場に事業転換したのか? <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2022/08/kashiwa3.jpg" alt="" width="788" height="525" class="size-full wp-image-73399" /> 豊泉代表の説明を聞こう。 「農業を継ぐつもりで、都立農林高校に通っていましたが、この法律が施行されると農業が継続できるのかと考え、大学は日大の農獣医学部に進んで様子を見ていたのです。大学に入学したのが1970年で、宅地並み課税されると、この近郊で農業をするのが厳しいこともわかってきた。また、父親がウド出荷のため築地に向かう際、高速道路から芝のゴルフ練習場を目にしていたんです。事業転換には何の業種がよいのか。自分もゴルフに興味があり、学部のゴルフ部に入りました」 そんな状況下、当時流行していたボウリング場などの案もあったが、 「自分がゴルフを始めていて、東京都心でもゴルフ練習場が成り立っているなどで、練習場への事業転換を決めたのです」 新事業の立ち上げに際しては、地域でゴルフに詳しい知人を含めて多くの協力やアドバイスをもらったという。練習場は2階建て48打席で170ヤード。ネット用の鉄塔は高さ35m、最大震度7、風速60mに耐えられる構造にした。 「カシワゴルフ」という命名は、 「立川市と合併する前、この地区は北多摩郡砂川町で、合併して立川市砂川町になり、さらに地名変更で1972年4月に砂川町がいくつかに分かれ、この地区は柏町になったのです。 それが練習場オープンの直前だったので、新しい町名を入れ『立川カシワゴルフセンター』としました。現在は『立川』と『センター』を取って『カシワゴルフ』です」 地元密着の想いがわかる。 <h2>総投資額20億円</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2022/08/kashiwat.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-73396" /> 1970年に尾崎将司がプロデビュー、ゴルフブームに火をつけて、男子ツアーの試合数も1971年の34試合から1972年には47試合に急増している。この年の「日本オープン」をNHKが初めてテレビ中継した中で、「カシワゴルフ」がオープンした。 豊泉代表が振り返る。 「当時、お客様の半分ほどが『カシワゴルフが出来たのでゴルフを始めよう』と来場され、1階は土の打席だったので、アイアン用のマットをダフって飛ばすお客様も多かった。ゴルフブームのおかげで事業は順調に推移しました」 その屋外ゴルフ練習場が「屋内」に業容変更した理由は、冒頭に触れた相続税が関係している。 「父親が2012年に亡くなりました。カシワゴルフの土地に将来住宅を建てられる『広大地指定』で相続税が減免される制度があり、相続税を支払うことが出来ましたが、2018年に広大地指定の相続税減免制度がなくなってしまい、二次相続について相続税が数億円になることが判明したのです。そこで金融機関や税理士、コンサルタントを交えたプロジェクトチームを立ち上げ、4年かけて資産売却も含め相続対策を検討しました。ゴルフ練習場の土地3600坪の内、2500坪を売却して、残りの土地で1階をテナント(スーパー)、2階を屋内練習場にする計画ができたのです」 練習場をやめる選択もあったが、 「ゴルファーが集まれる場所を残して、従業員の雇用も確保したい」 との想いであった。 そのころタイミング良くトラックマンの売り込みがあり、他の機器も検討したが、最終的にトラックマンを導入した屋内練習場の構想が固まった。資産売却、建屋建設、テナント探し等、再開発事業を手掛ける大和ハウス工業と組んで進めた。 2021年5月9日に50年続いた屋外練習場を一旦閉店。事前に近隣住民や顧客に閉店の旨を告げ、スムーズに新しい屋内ゴルフ練習場の建設へと移行。 2022年5月20日に新生「カシワゴルフ」が誕生した。資産売却、建屋建設、トラックマン導入、システム構築を含め、総額20億円のプロジェクトであった。 屋内練習場として建屋を建設したので、天井も高く、打席もボールが跳ね返らないように設計され、練習グリーンや工房も備えている。 「トラックマン4の導入で、300ヤード先の球の転がりまでわかります。今までの練習場より打球の行方が確認できるので、お客様からの評価も上がっています」 新生「カシワゴルフ」は会員制。10打席を効率よく活用するため、1コマ50分で、基本は予約日から起算して1カ月先まで6コマ限度で予約できるシステムだ。全日会員で月額2万5000円である。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2022/08/kashiwa2.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-73398" /> 「この予約システム、集金システム、レジ回りキャッシュレス等を構築するにあたり、トータルコーディネートを大塚商会にお願いしました。当初、スーパーの2階で気楽に屋内練習場を始めようと思いましたが、従来のノウハウでは対応できなかった。システム構築には数千万円を投じましたが、多店舗展開や24時間対応まで可能な、将来の広がりも考えたシステムです」 都市近郊の農家が法律の改正に柔軟に対応し、ゴルフに事業転換しながら更に事業継続している。 豊泉代表は関東ゴルフ連盟の競技委員会副委員長の経験もあり、ゴルフへの強い想いがあったからこそ、ゴルフ練習場を次の世代へ継承できる道筋をつくることが出来た。 都市部の練習場が閉鎖傾向にある中で、同社の新しいシステムがゴルフ練習場に新風を吹き込むことを期待したい。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年8月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://www.gew.co.jp/magazine">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2022年08月27日
    東急大井町線「荏原町駅」と地下鉄浅草線「馬込駅」から徒歩7分。環状7号線内側の城南地区である都内大田区北馬込1丁目の住宅街に「馬込ゴルフガーデン」はある。 その同社のHPに先頃、次の一文が掲示された。 「この度諸般の事情により、令和5年1月9日(月)をもって営業を終了し、閉場することになりました。併せてゴルフスクールも令和4年12月末にて閉校いたします。長きにわたりご愛顧いただきましたこと、厚く御礼申し上げます。」 現在、東京にある屋外ゴルフ練習場は157(全日本ゴルフ練習場連盟=JGRA=調べ)。またひとつ、都内の屋外練習場が姿を消すことになった。 施設の入り口は木製の外壁で、植栽が美しくほどこされ緑があふれる。入り口横には、自転車が30台以上停められる屋根付きの駐輪スペースが整備されている。 町家風の受付周りは雰囲気があり、その奥のラウンジは古い木材を活用した和を感じさせる内装で、照明も昔の器具を使ったエコロジーなこだわりがある。閉場するのは「もったいない」が、記者の第一印象だった。 2階建て28打席、40ヤードの距離はコンパクト。記者は浅草線沿いに住んでいるが、この練習場の存在を知らなかった。 大竹章裕社長は、 「この練習場の商圏は半径1・5kmで、その範囲の住民にしか積極的にPRしていません。知らない人も多いかもしれませんね」 と前置きして、施設のコンセプトを次のように説明する。 「創業当時から『地域のお庭づくり』を企業理念に掲げ、大人からお子さんまで、広く地域の方々の憩いの場としてご利用いただけるように様々な工夫をしてきました」 前述した入口の雰囲気を含め、地域密着の想いが伺えるのだ。地元に愛された練習場が、なぜ閉場してしまうのか? そこには相続税の問題が根深く絡んでいる。 「2020年10月に父が他界し、相続に絡んで土地を手放すことになったのです。心血を注いだ施設も手放すことになりました」 大竹社長は詳細について多くを語らないが、閉鎖を決める前にはいくつもの延命策を検討したようだ。 ところが、この地域の路線価格は1m2当たり36万~40万円で、約1000坪の同施設の相続税は数億円になると推定される。城南地域で、環状7号線の内側という好立地。その土地を活かして練習場事業を継承する難しさを表す事例といえる。 1973年に祖父の代でゴルフ練習場を始めてから半世紀、その歴史に幕を閉じる。都市部では今後、同様のケースが相次ぐとの懸念もあり、打開策が急がれる。 JGRAの横山雅也会長は以前、こんな危惧を漏らしていた。 「当社も都内の世田谷区に屋外練習場を構えますが、相続税問題で閉鎖を余儀なくされる練習場は今後も増えるはず。住宅地に近接する練習場は、新しいゴルファーの創造拠点になっています。近年、コロナ禍で練習場への来場者が増えたことにも明らかですが、相続には多くの難題があるのです」 本号で、同じく相続税問題に苦しんだ「カシワゴルフ」(都下立川市)の事例を取り上げたが、事業を継続するためにはいくつもの障害が存在する。業界全体で知恵を絞り、打開策を講じる必要がある。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年8月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://www.gew.co.jp/magazine">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2022年08月08日
    ハンズゴルフクラブは横浜市保土ヶ谷にある200ヤード、3階建て、138打席の大型練習場で、今年25周年を迎える。株式会社ハンズゴルフの鞍橋義則総支配人に話を伺った。同氏は大手製薬会社の営業一筋で、子供に手がかからなくなったことから早期退職。好きなゴルフができる環境のハンズゴルフにアルバイトで入り、その後見込まれて支配人に抜擢された。第2の社会人生活をユニークな形で再スタートし、3年半という経歴である。 「人生にとって居心地の良い場所を提供することが、ハンズゴルフクラブの基本コンセプトです」 と、同氏は話す。 ドライビングレンジだけではなく、800本以上の樹林が茂る敷地の中に、ショップ、工房、レストラン、鍼灸院、会員専用のアプローチショットが打てる「ハンズバレー」、グランピングやバーベキューを楽しめる「ハンズパオ」など、多様な施設がそろっている。 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/hanz.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-72828" /> 株式会社ハンズコーポレーションの韓社長も、 「横浜一、関東一、日本一の練習場を目指すのではなく、ここで過ごすことがゴルファーにとって一番幸せになる環境を目指して施設をつくっていきたいのです」 と、想いを口にした。取材したのは水曜日の午後だったが、駐車場もほぼ満員で賑わっていた。 上達できる練習場を目指すハンズゴルフは、トラックマンレンジを2019年10月、日本で2番目に導入した。その理由を鞍橋総支配人は、 「トラックマンレンジは、あくまでも練習器具の一つとして導入しました。ゴルファーが一番気にすることは『このホールは何ヤード?』『何ヤード飛ばせばどこにいくの?』『2打目はグリーンまで何ヤード?』と、全て距離です。距離をしっかり把握して打つのがゴルフというスポーツの本質です。そこで、これまで感覚に頼って打っていた距離を、しっかり把握できるトラックマンレンジを導入することで、体得できると考えました。ボールの種類によって飛ぶ・飛ばないもありますので、それに合わせて距離表示をしていましたが、トラックマンレンジは経営モデルの中でも大事な役割を果たす機材だと考えています」 ハンズゴルフはトラックマンレンジとメンバー制度を紐づけている。「メンバーが増えれば、来店頻度が高まり、定着すると考えました」 トラックマンレンジを無料で使用できるのはメンバーのみで、メンバー数はトラックマンレンジの導入前は950名、事前告知で導入オープン時1500名になり、現在は4500名になっている。1階の一番良い打席にトラックマンレンジの無料試打席を用意し、体験しやすい環境を整えた。 メンバーになるには入会費1万1000円、次年度からは事務手数料のみの2200円にして、 「お客様の負担を少しでも軽くして楽しんでいただいけるようにしています。現在は月平均2万人の来場があり、導入以前は月平均で1万5000人でしたから、かなりの増加がみられます」 とのことで、トラックマンレンジとメンバー制を紐づけた効果が出ているといえる。更に、来場平均年齢も60歳から47歳に若返えった。 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/IMG_8282.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-72831" /> 「シニアが減ったのではなく、感覚的な練習から数値に基づいた練習をすることが出来るようになって、ボリュームゾーンが変わったのです」 この変化は劇的であり、ゴルフ界が若い世代を取り込むことの一つのヒントになるかもしれない。 <h2>一日19時間営業</h2> 現在、来場者のメンバー比率は6割とのこと。当初、トラックマン使用率は45%程度だったが、その比率も高まっており、メンバー制で導入コストも吸収できている。 「打席にはゆったりした椅子も用意して、ゆっくりと時間を過ごせます。基本は1球ずつの料金設定で、曜日、階によって変えています」 ボール料金はB1(グランド)と1F、2Fで、順に平日15・4円、13・2円、11円。土日祝は17・6円、15・4円、13・2円。 「コロナ禍によるゴルフブームの影響もあり、土日祝は1~2時間待ちになることも多く、駐車場待ちの車が道路にあふれてしまうため、土日祝は時間貸しもしています。また、コロナ禍以前の営業時間は平日7時~23時でしたが、少しでも密を避けられるように6時~24時まで広げました。4月から土日祝は5時開業に変えましたが、朝4時半から並んで待っているお客様もいるほどです」 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2022/07/hanz2.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-72832" /> また、夜は勤め帰りの来場者が24時までの営業にして増えている。21時からは「施設利用料」が全員無料になるため、夜間来場者の増加に寄与。これまで10%以下だった女性の来場率も上昇傾向だとか。 「もともと昼間のスクールは女性が多かったが、夜はカップルの来場も増えています」 基本は地元密着だが、3割は東京(主に港区、品川区、世田谷区)からで、世田谷の第三京浜入り口近くに、大きな回転看板を掲示して認知度アップに余念がない。 スクールにも力を入れており、12名のハンズ公認インストラクターを含め、契約プロ・インストラクターは20名以上在籍しているという。グループレッスン、プライベートレッスン、トラックマンレッスンなど、レッスン形態を細かく分けて、ニーズの細分化に対応している。 「スクールが集中しているときは40打席がスクールになることもあるんですよ。通常利用のお客様と、やりくりが大変なこともあります」 と、嬉しい悩みを口にする。 併設のレストランも賑わっていたが、自家製のスイーツも好評で、昨年のクリスマスにはクリスマス用ケーキが300の注文があったとのことである。 ハンズゴルフの従業員は60名で、2交代、3交代で運営している。 「経費は掛かりますが、おもてなしを基本として、その分お客様に支持いただいています。ハンズゴルフはまだまだ改善の余地があります。例えばハンズのおもてなしで、シニアゴルファーのゴルフ寿命の延伸にもつなげていきたいですね」 鞍橋総支配人はシングルの腕前だったが、ハンズゴルフクラブに入ってから、思うように練習はできてないと苦笑する。言葉の端々に、ゴルフへの愛情・熱を感じた。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年7月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://www.gew.co.jp/magazine">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2022年07月23日
    Trackman・Inc(トラックマン)は2003年にデンマークで創業された。 トップアマとして活躍し、医学部を卒業して大手製薬会社の副社長まで勤めたクラウス・エルドルップ・ヨルゲンセンと、彼の弟の弁護士モーテンがゴルフの練習をしているときに、インパクトデータを測定できればもっと上達するのではないかと考えたのがきっかけだ。 そこでデンマークのレーダー技術を持つ防衛機器メーカーに、ボールを測定できるか相談に行った。「ゴルフボールを追跡できますか?」それがただ一つの質問だったという。 その企業のゴルフ好きの技術者フレドリック・タクセンは、ミーティングが終わったあと「真剣にやるのであれば事業に参加する」と申し出て、2003年に3人でトラックマンを立ち上げた。 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2022/06/2.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-72448" /> 最初、練習場用をイメージしていたが、小型の機器を開発することができたので、ゴルフメーカーへの売り込みがスタートとなった。 ピンゴルフのテストセンターに他のメーカーも呼んでデモを行い、各メーカーもその性能を評価し導入を決めた。当時、筆者もゴルフメーカーに在籍し弾道計測器の開発も経験していたが、トラックマンのスピン計測精度の高さに驚いた記憶がある。 これは軍事用に使用されるドップラーレーダー式弾道追尾システムで、ボールのスピード、スピン、クラブヘッドスピード、クラブパスなどの項目を計測できるため、メーカーが導入した後はプロへ広がった。 その後、練習場向けの開発を進め商品化していった。そこで今回は、トラックマンの練習場での展開について、トラックマン日本法人の代表取締役・庭山章氏に取材した。 練習場用のトラックマンレンジとして、日本に最初に導入されたのは2018年11月、神奈川県相模原市にある46打席のフルヤゴルフガーデンだった。 通常のトラックマンはボール、クラブについて26項目を測定するが、トラックマンレンジはボールデータの8項目(キャリー、トータル、ボールスピード、最高到達点、打出角、左右打出角、キャリー左右、ピンからの距離)に絞り込んだ。 庭山代表は、 「ドライビングレンジで練習するために必要な項目に絞り込みました。レッスンやクラブフィッテイングが必要な場合は、合わせて通常のトラックマンを購入してもらうケースが大多数です」 ドップラーレーダーであればスピン量も測定できるが、数台の大型の練習場用のトラックマンで練習場全体をカバーするため、保証できる正確なスピン計測データが提供できない事情がある。 もともと大型のトラックマンは広いフィールドの野球用に開発したもので、これをゴルフの練習場用に応用した。 トラックマンのウリは1秒間に4万データを取り込み、計測することにある。 また、全天候型レーダーシステムで、雨、雪、外光の明暗等の気象条件に左右されることなく、屋根のない屋外練習場でも計測可能。トラックマンレンジの2台目が導入されたのは1台目の約1年後、2019年10月に神奈川県横浜市のハンズゴルフクラブの138打席であった。 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2022/06/3.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-72451" /> ハンズ総支配人の鞍橋義則氏によれば、 「トラックマンレンジは、ゴルファーが最も気にする飛距離をしっかりと把握できることが大事と考えて導入しました。その効果は大きかったですね。トラックマンレンジとメンバーを紐づけた結果、導入以前のメンバー数は950名を超えた程度でしたが、それが事前告知の段階で1500名になり、現在4500名以上に増えました。メンバーになるには初年度1万1000円、次年度以降は事務経費のみで2200円ですが、来場者は月1万5000名から2万名に増加しました」 と、経営の武器になっていることがわかる。 導入に関する費用について庭山代表は、 「練習場の打席構成によっても異なりますが、例えば2階建て50打席で機材・工事・トレーニング費用を含めると2500万円、2年目以降はソフト・サポート費用として550万円になります」 以後、国内設置練習場は急速に増えており、世界的にはヨーロッパで100か所以上、米国、アジアでも広がっているという。 <h2>インドアでの導入加速</h2> <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2022/06/1.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-72446" /> トラックマンの強みは技術開発力の高さにある。 開発部門には220名が在籍し、野球やフットボールなど他のスポーツを含めてレーダー、ソフトウエア開発に注力している。 ゴルフでは100名以上のトッププロがトラックマンを使い、今では練習に欠かせない機材となっている。 マスターズの練習場でも、世界のトッププロがトラックマンを使い、クラブの入り方やボールのスピン、弾道を念入りに確認。昨年マスターズを制した松山英樹は、通常のオレンジカラーではなく、特別なグリーンカラーのトラックマンを愛用中だ。庭山代表は今後について、 「デンマークの本社からは、一番大事なのは練習場での普及だとのミッションを受けています。今年度中にトラックマンレンジの設置施設を倍にしていきたい」 日本と同様、世界でもインドア練習場が急速に増え、米国、ヨーロッパでは売上の50%以上がインドアに導入されているトラックマン。 デンマーク本社の売上推移は、2019年84億円、2020年102億円、2021年160億円と急伸中。 最新のトラックマン4の価格は屋内用で259万円、屋内・屋外用が314万円。デンマークではナショナルオープンと同格というトラックマン使用のナショナルインドア選手権を開催するなどで普及を図っている。 日本でも通常の屋外練習場をやめて、屋内練習場に切り替えトラックマンを10台導入した東京都立川市のカシワゴルフの例がある。 スペースが小さくてもリアルな弾道が確認でき、ゴルフ場と差がなく距離や曲がりを確認できる。 施設の面積や事業効率を考えれば、屋外練習場に比べて狭小でも、高い付加価値で競争力が担保できる。身近なエリアにある練習場の価値が上がれば、若い世代やシニアを含めてゴルフに参加しやすくなることは間違いない。 「プロが使っている技術を一般の人も体感できる。練習場はテクノロジーを入れないと生き残れない」 と、庭山代表は力強く話す。他の計測メーカーを含めて、新技術の導入は、練習場の未来に欠かせない方向性と言えるかもしれない。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年6月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://www.gew.co.jp/magazine">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2022年06月26日
    館山自動車道・市原ICより車で15分とアクセス良好。千葉県市原市磯ヶ谷にあるゴルフ練習場「AML磯ヶ谷ゴルフクラブ」は、40打席240ヤードに加えて、10ホールのショートコースも併設している。 実は、市原市にはゴルフ場が32クラブ33コースあり、日本一の数。ゴルフ場の総面積は市原市の約11%を占め、年間160万人がプレーに訪れる。まさに、ゴルフ銀座のど真ん中にこの練習場は位置している。今回は、同施設を経営する有限会社ゴルフ場サポートの鴇田和枝取締役に取材した。 AML磯ヶ谷ゴルフクラブのウリは、圧倒的な価格の安さである。9時~18時までの打ち放題が1000円で、会員になると500円。「早朝」は平日が日の出~9時、土日祝は日の出~8時まで150球で500円。「ナイター」は18時~20時まで500円。 月額4000円を払って会員になると、日の出~20時まで500円で打ち放題と、他に類例のない激安ぶりなのだ。 また、併設された10Hのショートコースは1000円で回り放題で、会員は500円。さらに月曜日と火曜日は「セルフデー」で、練習場は誰でも日の出~20時まで500円で打ち放題(ショートコースは月・火休業)。 通常、ゴルフ練習場の商圏は半径5㎞といわれるが、同施設は東京、横浜、千葉のゴルファーが、近隣コースのプレー前・後に練習する場として重宝している。ゆえに鴇田氏によれば、 「商圏は50㎞以上。土・日は満席で『待ち』が出るほど盛況です」 それにしても……。なぜ、このような価格でオペレーションできるのか? まずは経緯を振り返る。 「ここは自社の施設ではなく、借りているのです。隣接するケンテック株式会社が現在の施設を30年前に建設、運営してましたが、本業に専念するということで、2003年から当社が運営を引き継ぎました」 ケンテックの本業は、ビルなどの鋼製の床材を製造・販売する建築金物製造販売業で、1933年に創業された。市原市には1970年に市原加工センターを稼働させ、オーナーがゴルフ好きで理解があり、工場に隣接する土地にゴルフ練習場を立ち上げたのが始まりだ。 一方の鴇田氏は、ゴルフ場の空き時間を利用して早朝営業したり、ゴルフ場にキャディーを派遣する会社に勤めていたが、その経験を生かしてキャディー派遣を主業務とする「ゴルフ場サポート」を起業。今も県内のゴルフ場(オークビレッヂ、鶴舞CC、姉ヶ崎CC等)にキャディーを派遣しているという。 「昔は25コースに向けて、40~50名の派遣キャディーを抱えていたのです。当時のキャディーはプロを目指す研修生も多く、勤務を終えてから自由に練習できる場を探していたんですね。そんな時にケンテックが練習場をやめるという話を聞いて、夜まで研修生が練習できる場の確保として、引き継いだのです」 考えようによっては「社員」の厚生施設みたいなものか・・・・。 <h2>ローコストへの挑戦</h2> <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2022/05/IMG_8121.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-72128" /> 「当時はお客様が少なく、駐車場に数台しか停まらない日が多かったのですが、借りているので設備を新しくすることもできません。そこで、まずは練習場の清掃を徹底しました。『お客様が気持ちよく練習できて小綺麗なこと』が練習場にとって大事だと考えています」 当時の主業務はキャディー派遣で、練習場経営は合間のビジネスと考えていたが、それでも赤字続きでは話にならない。まず採算がトントンになることを目指した。 主要道路から少し入った位置にあるため、場所を知ってもらうこと。そこで近隣のゴルフ場に地図を付けたチラシを配布。打ち放題で一日1000円、研修生は500円、ゴルフ場従業員も500円と、ゴルフ場関係者に割安感をアピールした。練習場は装置産業の面があるため、 「誰も来ないよりも、少しでも来てもらえるように努めました。最初は他のビジネスであげた収益で練習場の赤字を補填してましたが、そのうち口コミで安価なことが広まり、来場者が増えてきたのです」 今では「あそこは安いよ」と評判が立ち、ホームページだけの訴求に変えている。採算も取れている。 「『小綺麗に』を徹底して、マットは擦り減ったら交換して、ボールも傷ついたり摩耗したものは随時交換します。『安かろう悪かろう』という評価にならないよう、細心の注意を払っています」 来場者のパターンも明確になってきており、多くのボリュームを占めるのが「市原市のゴルフ場へ来場するゴルファー」だという。プレーの本番前にここで「朝練」をする。早朝は150球で500円だから、ゴルフ場の練習場より遥かに安く、240ヤードあるので球の落ち際まで確認できる。これとは逆に、ゴルフ場でプレーを終えた後に練習して帰るパターンもある。安価で予習・復習ができるのがウケている。 ショートコースも、プレー後の反省でアプローチを練習するための来場が多いという。 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2022/05/IMG_8131.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-72129" /> 「そういったお客様を中心に、比較的遠くから来場される方が全体の6割を占めています。また、低価格ということで、地元の年金生活ゴルファーも多く、お弁当持参で朝からショートコースを楽しんでいます」 練習場の名前の「AML」は、アミューズメント・ランドの頭文字だという。「大人の遊び場」という意味で、ケンテックが立ち上げたときから使用しており、これをそのまま引き継いでいる。 「コロナ禍で若い世代や女性も増えてきて、少しずつお客様の年齢も若返っています。今後大事になってくるのは『ローコスト』ではないでしょうか。ティーアップ機は導入しましたが、故障による費用もかさむため手動にして、費用を抑えてます。従業員は20名で運営しますが、パート・アルバイトが中心です」 大衆価格を堅持して、若年層の財布に優しい運営を目指している。 現在、年間3万人以上の来場で採算ベースはクリア。 「このビジネスモデルで事業の拡大も考えましたが、自分の体力、年齢を考えると難しいかな(笑)」 という鴇田氏の言葉の端々から、ゴルフへの愛情を感じられた。取材の最後に写真撮影を依頼すると、 「自分は表に出ないで、社名と同じくゴルファー、研修生、キャディーをサポートする役割に徹します」 と、残念ながら固辞された。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年5月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://www.gew.co.jp/magazine">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2022年05月31日
    千葉市緑区土気町に、ゴルフパートナーの千葉土気練習場店・千葉ショートコースはある。外房線の土気駅より徒歩15分で車がなくてもアクセスでき、千葉東金道路中野ICより5分の好立地だ。ゴルフパートナー直営の練習場で、72打席200ヤードの施設に加え、10ホールのショートコース、ゴルフパートナー店を併設している。 ショートコースは1418ヤードのパー31で、最長は210ヤードのパー4である。今回は同施設のマネージャーであり、ゴルフパートナー練習本部直営練習場運営部スクール事業課も兼務する、毛塚久人氏に取材した。毛塚マネージャーはPGAティーチングプロB級の資格を持つ。学生時代は日大経済学部の学部ゴルフ部に所属。 「ゴルフ関係の仕事がしたい」 と、新卒で2011年に同社へ入社。八重洲北口店で副店長、宝町昭和通り店では店長も務めた。 「でも、クラブの店頭販売だけで本当にお客様のニーズに応えられているのか。そんな疑問を感じていたとき、社内にスクール事業課ができ、同課に移りたいと希望しました」 丁度、新潟の燕三条店でショップを併設したインドアゴルフ練習場のスクールでプロが退職、人員が必要となりそこに異動した。赴任中にティーチングプロB級の資格を取得。新潟で3年、その経験を生かして川越のR16川越インドア練習店のスクール立ち上げを行った。 ショップ、練習場、スクールの経験を積み、2019年から現職。マネージャーとレッスン事業を兼務する。現在全国に30あるゴルフパートナーの、スクール運営統括も担当している。 ゴルフパートナー千葉土気練習場は、1985年に地元有志が共同でゴルフアリーナとして立ち上げた。当時から200ヤードの練習場と10Hのショートコースで、今も基本的な構成は変わっていない。ゴルフパートナーが運営を始めてから14年が経過。同氏の役割は一義的に、 「スクール、ショートコースを活用して練習場の売上を上げること」 だという。練習場の料金は基本的に時間内の打ち放題で、平日60分1200円、120分1500円だ。ショートコースは平日10Hプレーで2000円、休日3000円。 また、1カ月間のフリーパスで練習場・ショートコースを使い放題で1万8000円のプランもある。女性は平日のみ1万円のフリーパスが人気だとか。スクール専用の6打席があり、月謝を払えばスクール受け放題。複数のプランがあるのだが、平日昼間のみ6600円、全日全時間帯9900円である。 楽天とも協働する 年間10万人が来場し、スクール生は200名近く在籍している。練習場、スクール、ショップが一体となったワンストップ型であり、ショートコースまで併設する「四位一体」の施設は、ゴルフパートナー系列でここだけだ。ゴルフ練習場の一つの理想の姿ではないかと思う。 「スクール、ショップ、練習場に加えてショートコースもあるので、運営上、様々なチャレンジが出来るのが面白いところです」 また、ゴルフ未経験者へのアプローチとして、ゴルフパートナーには「<a href="https://www.golfpartner.co.jp/html/campaign/firstgolfclub/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">はじめてのごるふくらぶプロジェクト</a>」があり、これに登録すればクラブを1本無料でくれる。スクール、ショートコース、おまけにゴルフクラブも安価に手に入る総合力はほかに例がないだろう。 それだけではない。練習場からゴルフ場へジャンプするには、初心者にとって多くのハードルがある。その壁を取り払うため、特に若者世代と相性が良い楽天GORAを通じて、平日「20代~30代限定プラン★廻り放題+60分打ち放題」で税込み2000円のプランを提案している。毛塚マネージャーは、 「新規ゴルファーの創出は、来場した若い世代をリピーターにできるかが鍵で、3回リピートしてもらえればゴルファーとして定着します。そのために、このプランで来場した若い人に、仲間と一緒に使える割安クーポン券を配り、仲間と再来場を促す施策を行なっています」 自社だけで完結せず、他社と協働することにも前向きだ。 若い世代がゴルファーとして定着するには、「上達」が不可欠とされている。上手になれば楽しくなり、練習やプレー頻度が高まって、用品用具への支出も高まるという、相乗効果が期待できる。上達を促すのがスクールであり、毛塚マネージャーはこの点について、 「通常、練習場はその支配人が管理運営し、スクールは教えるプロが中心で運営されることが多いんです。練習場とスクールが一体で運営される施設が理想的ですが、実際には少ないのが現状です」 ゴルフパートナー千葉土気ショートコース ただし同氏は、ゴルフパートナーのスクールを統括しており、自身もティーチングプロB級の資格を持つ。この「土気」の練習場でマネージャーを兼ねながらレッスン業務にも携わる毛塚マネージャーの体験が、今後ゴルフパートナーのスクール展開に生かせるのではないかと思われる。同社の直営スクールは30あり、成功事例を増やしながらノウハウを蓄積し、フランチャイズでのスクール展開を胸中に描いているようだ。運営数と内容の双方で、世界一を目指したいという。 ゴルフ練習場の課題について、「ひとつは、50代後半以降の男性常連客への対応がマンネリ化しています。いかに新鮮・目新しさを演出できるかが大事。もうひとつはコロナ禍でゴルフを始めた若い世代、子育てがいったん終わった世代にもゴルフを楽しんでもらいたいですね。上手く世代交代しないとゴルフ業界の先は厳しいと思う。今後はディズニーランドが競争相手になってくると思いますが、ゴルフの敷居を下げるためにも施設で『音楽を流す』など、もっと遊べる環境に生まれ変わることが必要でしょう」――。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年4月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://www.gew.co.jp/magazine">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2022年04月25日
    日本の屋外ゴルフ練習場の大半では、ドライバーショットの飛球がネットに当たり、球の落ち際まで見ることができない。ところが、狭い練習場でも落ち際まで確認できるシステムがある。トップトレーサー・レンジ(TTR)がそれだ。 現在、日本では59施設5038打席に設置されており、これを販売しているのが、ゴルフ場予約サイト大手のゴルフダイジェスト・オンライン(GDO)。練習場ビジネスユニットの佐藤昌巳ユニット長が責任者を務めている。 このシステムはそもそも、ゴルフ中継の弾道表示に使われた。テレビ画面で選手が放った弾道が、赤や青のラインを描き、プロによって異なる攻略ルートもわかる。以前は空ばかり映していたゴルフ中継に革命をもたらした。 このテレビ中継技術は北欧のスウェーデンで開発されたもので、『プロトレーサー』という名称だった。これを米国のトップゴルフが買収して『トップトレーサー』に名前を変えた。2006年に開発され、2007年からは米PGAツアーの中継に導入。日本では2008年からいくつかのゴルフトーナメント中継に使用されはじめた。 カメラでボールの軌跡を捉え、弾道を映像化し、コースの画像と合成する技術である。現在では世界のゴルフトーナメント中継の60%以上、日本のゴルフ中継でも多く使われており、『トップトレーサー』の認知度は高まっている。これを練習場に取り入れたのが『TTR』である。10年前の2012年から世界規模で普及しはじめた。 自分の打った球の弾道が打席横のモニターに表示される他、ゴルフクラブの番手ごとの平均飛距離が表示され、ニアピン、ドラコン、ポイントゲームなども楽しめる。また、実際のゴルフコースをプレーするバーチャルゴルフのモードもある。世界では欧米を中心に約500施設1万5000打席に導入されている。 経営分析にも役立つ 第百ゴルフクラブ 日本におけるTTRの普及速度は速い。GDOの株主向け資料によると、四半期ごとの導入実績は、2019年第1四半期でわずか2施設だったが、2020年第1四半期では13施設、2021年第1四半期が34施設で、直近では59施設まで伸びている。 練習場経営者にとって、気になるのは導入費用である。『TTR』の装備はトレーシング用カメラ、各打席のタッチ式スクリーン、専用サーバー、ソフトで、専用アプリはGDOから提供される。これらの導入に関して練習場側の負担はゼロである。ただし、設備に必要な電源工事等は練習場側が準備する。 練習場が負担するのは『TTR』のランニングコストだ。基本的には月額固定料金と、利用に応じた従量料金の総額がランニングコストだ。 固定料金:1打席当り月額5000円~1万円従量料金:1セッション(顧客の1回の利用)に対し、~150円 これ以外では電気代やインターネット代金は練習場側の負担になる。金額は契約打席数などにより異なってくるが、導入するか否かの要点は、前述のコスト増を前提にして、それ以上のメリットがあるかどうかだ。佐藤ユニット長は、 「TTRを導入すると、その付加価値によって施設は値上げが可能になります。入場者増も期待できるので、導入施設で売上が落ちたところはありません」 と強調する。さらに、 「練習場のメリットは、飛球がネットに当たって最後まで弾道を追えないことの改善はもちろん、安全対策にも貢献できるんです。どの打席からの飛球が場外へ出てしまうのか瞬時に計測できるので、打席利用者のオーバーネットに対して注意を促すことができる。飛ばし屋を飛び出しにくい打席へ誘導するなど、運営の改善にも役立ちます。また、顧客データの解析(滞在時間、打球数等)で経営改善にも寄与できます」 少々手前味噌の感はあるが、GDOが行なった導入施設へのアンケートでは46%が「満足」、54%が「ほぼ満足」で、不満に思っているところはないという。 <h2>近隣の練習場で世界大会</h2> GDO 佐藤ユニット長 ゴルファーにとっても、練習場での楽しみが増える。佐藤ユニット長によれば、 「当社のアンケートではTTRの使用者の98%が『また使いたい』との回答で、未使用者の80%が『使ってみたい』と答えています」 面白いのは、『TTR』を使用した世界大会も行っており、1万人以上の参加者で日本の中学生が3位になったこともあるのだとか。自宅傍の練習場から世界につながることは、ネット社会の優位性といえそうで、世界での普及率が高まるほど企画内容も豊富になりそうだ。 GDOにとって『TTR』を広げるメリットはなんであろうか。佐藤ユニット長は、「TTRがあればいろいろな楽しみを提供できるので、ゴルファーの創造と維持が使命だと思っています。同時に、屋外練習場が減少傾向にある中で、TTRは収益改善に寄与できると考えており、ゴルフ環境の維持にも貢献できるでしょう」 と、市場活性化のキラーコンテンツに位置づける。ただし『TTR』に関わるGDOの収益性は、 「設備の更新やソフトのバージョンアップは当社が負担するため、儲かるやり方にはなっていません」(佐藤ユニット長) この点について国内事業の責任者である吉川雄大副社長も、 「この事業単体で収益を出すことにこだわらず、ゴルフ練習場を維持して、ゴルファーを創造することが大事だと考えています」 長期的な視点でこの事業を捉え、TTR事業そのものはトントンになればよいという、自他共栄の考え方をもっているようだ。 同社は今後、市場の25%を占めないと「市場創造」につながらないと考えており、5年後を目途に25%のシェア達成を目指すという。実現すれば、2027年には導入施設が500を超える。 筆者も何度か『TTR』を利用したが、番手ごとの飛距離がわかり練習には有効だと思う。ゴルフの上達に有効なプログラムやモニターを使ってのドリル・レッスンが登場すれば、初心者のゴルフ離脱率が下がるかもしれない。『TTR』でゴルフ練習場が活性化すれば、ゴルファーの創造にも寄与しそう。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年3月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://www.gew.co.jp/magazine">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2022年03月22日
    無人のインドアゴルフ練習場「オールデイゴルフ」は2020年7月、東京の世田谷区桜新町に1号店を開業した。その翌年5月にフランチャイズ(FC)を展開する株式会社オールデイゴルフを設立。現在、東京に4店舗、大阪支社を立ち上げて大阪に1店舗を展開中。 創業者は小野木幸雄代表取締役。同氏は1998年に慶応大学を卒業後、横浜ゴムの子会社・プロギアのゴルフ用品事業部に配属されて、商品企画・販売促進などを経験した。 「プロギアは他社に先駆け、動画解析による最適なレッスンでスイング、スコアを改善する『サイエンス・フィット』を始めましたが、その1号店の開業に企画から深く携わりました。その経験が今の仕事に生きています」 小野木代表は大学時代ゴルフ部に所属。2010年にプロギアを退職後、親族がゴルフ場経営に進出し、その事業運営に携わるなどゴルフとの縁が深い。そのコースは3年ほどクローズした案件で、メンテナンスして再生する事業だった。 なぜ、インドアビジネスを立ち上げたのか? 小野木代表は、 「ゴルフが好きだからです(笑)」 と前置きして、こう続けた。 「近年、都内の屋外練習場はどんどん閉鎖してますが、これだけ減ると練習場難民が出ると考えました。インドア練習場はどちらかといえば、スクール中心のイメージですが、レッスンよりも『練習需要』が増えると考え、打ちっぱなしみたいに自分のペースで練習できるインドアをつくりたかった。シミュレーターも進化しているので、自主練の環境はよくなると思います」 そこで2020年7月に3打席の桜新町店を開業し、その後新橋店、2021年9月の四谷店とつづく。「無人オペレーション」が特徴だから、コストを抑え、誰にも気兼ねなく練習でき、さらにコロナ禍で人との接触を避けたいという時代の要請にもマッチしている。 スマホに開錠キーが 筆者は四谷店の無人システムを体験してみた。初回体験は無料。<a href="https://alldaygolf.jp/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">HP</a>で5店舗うち、自分の行きたい店舗で日時を予約する。その際、インドア練習場に入るドアの鍵を開けるシステムを、スマホのアプリにダウンロードする。当日、予約時間の10分前にアプリに電子キーが出て、それを使ってインドアの入り口を開錠する仕組みである。 この入館キーは練習開始予約時間の10分後まで対応し、10分を過ぎると対応しなくなる。練習時間は45分間で、終了5分前にチャイムが鳴り、ボールを自分で片づける。45分に2回目のチャイムが鳴って練習終了、退出という流れになる。 打席には弾道計測器が備え付けられ、ボールの飛距離を決める三大要素(ボール初速、打ち出し角度、バックスピン)等を計測して、自分の問題点を把握できる。また、ゴルフスイングを複数の定点カメラで録画し、その場ですぐに自動再生、スイングを確認できる。一連のスイングシステムは韓国製で、オールデイゴルフが日本で初めて導入したものだとか。来場者に話を聞くと、 「普通の練習場で何百発打つよりも、ここで自分のデータ、スイングを見ながら数十球打つ方が格段に身につきますね」 と、好評価だ。筆者も体験してみたが、同じ実感をもった。 今回取材した四谷店のFCオーナーは、綿半ホールディングという会社。同社は1598年の創業で、綿の商いから始めて400年以上の歴史をもつ。現在は小売業、建設業、貿易業と事業展開は幅広いが、その綿半がオールデイゴルフに興味をもった理由は、 「不動産活用の実験として着眼したのです」(経営戦略室・小貫浩氏) これを受けた小野木代表は、 「無人化オペレーションへのこだわりや、システムの構築にも尽力いただけました」 新興企業と400年以上続く企業のマッチングが、ゴルフを媒介に成立したことが興味深い。 <h2>地域コミュニティの場</h2> 展開店舗はいずれも2~3打席と小規模だが、事業採算について小野木代表に確認すると、 「1打席当たり、適正な会員数で運営することが重要です。多すぎると予約が取りづらくなるし、逆に少なすぎると採算が悪化します」 と、一般論を話すにとどまる。1打席当たりの適正会員数は非公開だが、基本は会員制で、四谷店の場合は入会金2万2000円、スタンダード会員で月会費1万1000円、1回あたりの利用料は550円。無人で人件費がかからないことを考えると、1店舗当たり月商100万円超で十分採算に乗ると推定できる。  大阪支社長の今泉良太氏に実際の来場動向を質問した。 「最近の若者はクルマ離れが進んでいます。そのため、街中にあり、電車や徒歩で来場できるインドア練習場はニーズがあると実感できます。来場者の年齢層は20代~70代と幅広く、頻度が高いのはゴルフにハマっている30~40代ですね。女性の来場者も増えています」 とのことである。 オールデイゴルフ大阪支社長今泉氏 オールデイゴルフは無人インドア練習場で、基本は個人練習だが、課題や練習方法をアドバイスしてくれるプロのマンツーマンレッスンもメニューにある。また、同じ店舗に集まるゴルファーがSNSを活用してコミュニティをつくり、ゴルフコンペなどで交流することも手助けしている。屋外の練習場よりは商圏が狭いと考えられ、その地域のゴルファーのコミュニティの場としての役割も担えそう。小野木代表は、 「アクセスの流れを含めて、このビジネスは都市型のモデルなんですよ。完全無人の店舗経営であれば、商業施設の空きスペースで展開することも可能です。今後の目標としては、年間5~10店舗の開店を目指したいですね」 ゴルフにはグローバルな広がりがあるので、ニューヨークなど海外進出も夢ではないかもしれない。これからの展開に期待したい。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年2月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://www.gew.co.jp/magazine">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2022年02月24日