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    ハッシュタグ「三田村昌鳳」記事一覧

    月刊ゴルフ用品界2013年11月号掲載 なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <hr /> 何か変だぞ、日本のゴルフ界。今年は、ずっとそんな印象が強かった。   例えば、日本プロゴルフ協会の元理事の暴力団との関係。日本オープンのギャラリーが驚異的に少なかったこと。もちろん、それ以前に日本の男子ツアーの減少もあった。 まるで雪ダルマ式に坂を転げ落ちていくような負のスパイラル。いったい、日本のゴルフ界はどこへ行こうとしているのかと、誰もが混沌とした気持ちになっているはずである。 反社会的な勢力との関係が根強く源流のようにあったのは、間違いない。それはいまに始まったことではない。かつて中村寅吉が、その交遊を新聞にスクープされたとき、絶妙? なコメントを吐いたことを思い出す。 「俺達プロゴルファーは、ゴルフウエアを着て来た人は、みんなお客様なんだ。ゴルフを教え、一緒にプレーするのが仕事なんだよ。(暴力団はダメ)だったら、胸に看板付けてくれよ」 そんなコメントとマインドが通用するのは、1970年代だからだ。けれども、その時代から脈々と続いているマインドが、いまも消え去っていなかったということが問題である。 日本プロゴルフ協会が、公益法人となったことが、まだ理解出来ていない。浸透していない。いままで通りの継承である。 このいままで通りというマインドが、実は、いまのゴルフ界を蝕んでいるのだと思う。 今年の日本オープンは、茨城ゴルフ倶楽部の東コースで開催された。そのフィールドは、見事だった。まず立地条件も、都心からつくばエキスプレスでみらい平まで一直線。そこからバスで5分。歩いても15分。コースはフラットで歩きやすい。さらに、日本オープンに相応しい施設が揃っていて、これ以上のサービスはなかったかも知れない。そしてコースセッティングは片山晋呉をして「ティからピンまで、すべてがフェア」とどの選手も絶賛。 水曜日に開催されるチャンピオンズディナー。その印象を片山晋呉は「チャンピオンズディナーは、プロゴルファーにとっては、仕合わせな時間なんです。勝者しか味わえない時間。最高ですね」と語っていた。片山は、日本オープンに初優勝した2005年から、必ずチャンピオンズブレザーを着て、クラブハウスに入っていく。 金庚泰は「すごい人たちと久しぶりに会えてすごく嬉しかったし、すごく楽しかった。これからもずっと出たいですね」と嬉しさを隠さなかった。さらに、片山は「1988年の日本オープンの熱戦を青木功さん、中嶋常幸さんから、 聞かされて、思わず胸にジーンときて感動しました」と語った。選手にとっても、日本オープンは、特別な大会なのである。 <h3>1万人割れの日本オープン</h3> にも関わらずギャラリー数は、惨憺たるものだった。 1日目が1586人。2日目は1874人。そして3日目でようやく3282人。ところが台風の影響で、4日目は風雨が酷く雨天サスペンデッド。それでも1430人が集まった。第4ラウンドとなった5日目の月曜日が967人。トータルで9139人である。 これは1981年、日本ラインで開催された日本オープンで1万人を割って以来の出来事である。 石川遼、松山英樹が欠場すると判明して、マスコミはそれを書き立ててトーンダウンしたこともある。しかし、ギャラリー券の販売は、ずっとそれ以前から実施していること。その販売手段やプロモーションにも、問題はなかったのか。主催する日本ゴルフ協会(JGA)にしても、券売をコースに任せっきりという、いままで通りの手法に落ち度はなかったのか。 JGAと開催コースとの連携が、フィールド中心だけで終始していなかったのか。つまりは、いままで通りのプロモーションしかしていなかったのだと思う。 これだけの舞台をつくりあげながら、それを生で観戦してもらえないことは、非常に残念なことだった。怖いのは、いや、ないと願っているのは、この事実に萎えて、さらに規模縮小をしてしまうことである。 メディアと広報、プロモーション体制など、いまの時代は、もっと立体的な角度でしっかりと、丁寧にやらなければいけないはずである。どうも、広報やメディア、プロモーション対策に対して、日本のゴルフ関連の協会は遅れてい る。 <h3>過去から脱却する勇気</h3> PGA(日本プロゴルフ協会)の暴力団問題にしても、同じである。 公益法人という枠組みに入ったからには、広く一般のゴルファーたちに、どう発信するかをまず第一に考えるべきだと思う。 そしてプロゴルファーも、その自覚を持つべきだ。ゴルフをやっていればいい、だけでなく、その所作、一般のファンに対する対応など少なくとも、自分の体の51パーセントは、公益のために尽くすという姿勢が必要ではないだろうか。 年会費の51パーセントは、公益のために使われる。従って、単に、プロゴルファーが自分たちのためだけに使われるものだ、という意識を捨てるべきだ。それは、協会の事務局、職員にしても、同じ感覚でいなければいけない。 いままで通り、という感覚を捨てきれない。当たり前のように、いままで通りやっていることが、すべての元凶だと思う。 日本の経済状況が悪化して、ゴルフ界にも恐風が吹き荒れている。そうなると、いままでちゃんと収入を得ていたプロゴルファーも、収入減。とうぜんのことながら、心も荒んでくる。 メーカーにしても同様で、早期退職という名のリストラが加速している。それはメディアも同様である。取材に派遣する頻度が減る。追跡取材も減る。ひとつのことが、表面的な記事だけで終わって薄っぺらになってしまう危惧を感じざるを得ない。 まさに負のスパイラル。これを脱却するには、まず「いままで通り」「過去の事例」をやり続けるというスタンスでは、なにも新しいものは生まれない。 いま問われていることは、いままで通りの仕組みを、いち早く脱却する勇気である。覚悟である。いままで通りの中に跋扈する仕組み、組織を解体することが急務である。
    (公開)2017年09月08日
    月刊ゴルフ用品界2016年2月号掲載 なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <hr /> いまどき100をゼロにするなんていう税金は、あり得ないはずなのに、ゴルフ場利用税撤廃運動をゴルフ関連17団体で組織する日本ゴルフサミット会議は、あくまでも撤廃(ゼロ)を求めて運動を続けていることは周知のことだ。 しかし、結論はいつも「廃止せず」で撤廃は、お流れになる。昨年も廃止見送りとなった。 失礼だけれど、いつまで続けるつもりなんだろう。つまり、廃止となりゼロにならなければ、勝ち取ったことにならないという図式は、このご時世ではあり得ないことだ。もう少し譲歩するアイデアを出して、綱引きする必要があってもいいのではないだろうか。 倉本昌弘PGA会長が、会長となって初めてこの会議に出席したときにも、そんな発言をしたらしい。ところが「自分たちは、撤廃を目標にずっとやってきたんだ。いまごろ(入ってきて)なにを言うんだ」というような声を浴びせられたという。 何を勝ち取ろうというのだろう、と僕は首をかしげたくなる。 利用税廃止は、もちろんいいことだ。ゴルファーが無駄な税金を払うこともない。 でも、もし廃止したからといって、ゴルファーは増えるだろうか。ゴルフ界という側面でいえば、廃止しようがしまいが、ゴルフ界が潤う可能性は薄い。もともと利用税を払いたくないからコースに行かないというゴルファーは、稀有なはずだ。 およそ500億円の財源を国も地方自治体も手放すはずがない。千葉県茂原市は、年間14億円とも15億円ともいわれる利用税収入があると聞いた。そのうち市町村に7割が分配される。そんな大金をゼロベースにするはずがない。 さらに、廃止となってゴルフ界に新たな財源が入るという図式もない。 いっそのこと、廃止せずに、分配したらどうか。総収入の1割は、スポーツ庁を通してゴルフ界。さらに、市町村は、取り分の半分をその市町村のゴルフ活性化に使う特定財源。 総額500億円をゼロにして国がそのぶんを地方自治体に別途財源を考えて配分するよりも、より地方活性化にもなり、ゴルフ界の活性化にもなると思うのだ。 <h2>劣化した組織</h2> 地方に、ゴルフに特化した財源が生まれれば、ジュニアゴルファーを育てられるし、地方トーナメントも楽に成立する。さらには、ゴルフ界全体で有効に使えば、日本のゴルフ活性化にも繋がる。 ところが、一度スポーツ庁にそのお金、たとえば年間50億を入れたとして、ゴルフ界にそのお金の受け皿がないとも思うのだ。JGAが独り占めもダメだし、各協会が一枚岩でもないし、方向がまちまち。 ならば、フェデレーションを設けて、そこから分配することは、どうか。日本にはゴルフフェデレーションがない。そういう組織の参加に、みんな加入して活動すれば、いまのように、総論賛成各論反対、自分たちの組織の利益優先、主張は変えないという図式にはならないはずだと思う。 どうも、日本の組織は柔軟性がなさすぎる。それは昭和の遺物だと思わなければ、時代錯誤の軋轢がどんどん生じるだけだと思う。 昨年末近くにテレビで、アマゾンがある地域で1時間以内に配達するというニュースをやっていた。そのときに商品の倉庫を撮影していて気がついたことがある。 普通ならば、例えばA4のコピー用紙なら、ある棚やスペースに、A4用紙が山積みになって格納されているはずだ。 ところが、どういう分析、方程式だかわからないけれど、アマゾンは、違っていた。ある棚に、四角いケースで間仕切りがあって、そこにA4のコピー用紙やら、さまざまな商品が入り混じっている。 理由のひとつは、A4用紙の棚だけのスペースを設けると、つまり同じ商品ごとに区分けして棚を設けると、スタッフが集めるときに、集中して動きが鈍くなる。無駄な時間が増えるということなのだ。 むしろ、なにがしかのデータを分析して、混載していれば、人間が探す導線に無駄がなく、少ない時間で集められるということだった。 また、こんな発想で成功していることがある。たとえばテレビショッピングで有名な会社の場合、メーカーはそこを倉庫代わりに使う。メーカーは倉庫経費、人件費などがなくなる。出荷は、そのテレビショッピングの倉庫から全国にできる。ショッピング会社は、いわば工場卸価格をベースに計算して、販売できるから価格も安くできる。 メーカーは、倉庫代などが助かるどころか、販売、出荷までやってくれるから、莫大な経費節減になる。 なにが言いたいかといえば、ひとつの会社、組織が、すべてをまかなう縦軸の商売が雲散しているということだ。 <h2>三方一両損でよい</h2> ゴルフメーカーも、同じだと思う。一社だけで、すべてをまかなう時代は、終わった。倉庫をひとつにして、出荷すれば、ゴルフショップ、量販店など、同じようなところに別々のトラックで運ぶよりも、混載して運べば経費節減になる。 で、ゴルフ団体・協会も、そろそろそういう考え方が必要だと思う。 トーナメント運営に必要な競技委員やスタッフなどは、JGAもPGAもみんな必要だけれど、トーナメント運営部隊をひとつにすれば、無駄は省けるだろうし、ゴルファー全体の基幹システムを共有できるセクションも作れるだろう。 つまり、共有部分で垣根をつくる必要性が、どこまであるのだろうか。 本来、各団体・協会が個性を出してなすべきことは、もっと別の次元、部門ではないだろうか。そう考えていけば、ゴルフ場利用税撤廃の運動も、もっと柔軟性のあるものになるはず。 見ていると、意地やプライド、メンツで100をゼロに、完全撤廃でなければ意味が無いと言っているように思える。 これって、独りよがりじゃないだろうか。 ゴルファー全体、日本のゴルフ界を少しでも活性化させていくには、三方一両損でよいのであって、それでも、ゴルフ界全体は、大いに得があるという図式を水面下でネゴしていけば、毎回、見送りというふがいない結果にはならないかも知れない。 縦軸で既得権益などを堅守するのではなく、もっと横軸も使い、まさしく縦横無尽な発想で乗り越えていかなければ、日本のゴルフ界の前途は暗いのだと思う。
    (公開)2017年08月18日
    月刊ゴルフ用品界2013年6月号掲載 なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 ちょっと古い話だけれど、4月のマスターズ直前に中嶋常幸と一緒に食事をしながらの取材があった。そのときの話の中心は、1986年マスターズのことだった。あのジャック・ニクラスが最終日のバック9で30という驚異的な スコアで逆転優勝を遂げた試合である。 3日目まで豪州のグレッグ・ノーマンが首位。それにセベ・バレステロス、中嶋常幸がひしめき合っていた。初日、中嶋は首位のクラッツアートと2が打差の5位。2日目は2打差の3位。そして3日目は、ノーマンが首位に立ち、やはり2打差の6位タイで最終日を迎えたのである。 「最終日に首位と2打差だから、十分チャンスがあったわけです」 では、なぜ勝てなかったのか、という疑問をストレートにぶつけてみた。もちろん、タラレバである。でも、ひょっとしたら勝てたというのは、勝てなかった敗因がある。それを自己分析して貰い、真相を聞いてみたかったのだ。 「問題は、やはりサンデーバックナインに尽きます。ひと言でいうなら、あと一歩前へ、という胆力がなかったのだと思う」 前半の9ホールを終えて、中嶋は1オーバーの37で、サンデーバックナインに突入した。それはワトソンと同スコア。ニクラス、ノーマンとは、ここで2打差だった。だから残り9ホールでの2打差は、あってないようなもの。勝機は、十分あった。にもかかわらず勝てなかった理由を中嶋は、 「あと一歩、その一歩の足が前に出せなかったんですよ。それは体力‥‥ うーん、単に肉体的な体力だけでなく、一歩を踏み込めるだけの勇気であり、気力であり、総合的にいえば体力なのだと思うんですよ。それはメジャーで勝てるか勝てないかの岐路になる。 うーん。よく、心技体って言うでしょう。あれってみんな三角形のイメージで、心・技・体を考えるけれど、違うんだと思う。心技体は、一直線上にある。そのラインのレベルの高さが問われる。そのレベルが、 メジャーで勝てるレベルというのがあるとすれば、僕は、技術も(世界のメジャーで勝てる選手に比べると)劣っている。体力も劣っている。 そうなるとメンタル面でカバーするしかなくなるわけです。技術体力がレベル以下だから、そのぶん精神力をフル回転、いや120とか 140パーセントとか使わないといけない。 それが4日間持たない。特にサンデーバックナインでは、使い果たしたっていう感じで、その意味でも、あと一歩が踏み込めなかった。特にメジャー、マスターズでは、まず選手に求めてくるものは技術と感性の底力が高く、それが(底辺に)あって、この週に(感性が)煌めいた選手が勝つわけです。 最後はね、理屈の世界を越えるんです。だから自分を隠せない、繕えない。いわば等身大の鏡を見せられるし、そういう中でプレーしているようなものだから‥‥」 この中嶋のコメントは、なるほどと思わせるものだった。日本選手が、どうしても後半、特に優勝争いをしていて、なんとなく腰砕け状態になってズルズルと崩れていく有様が、どういう理由かということを教えてくれる。 <h3>実るほど、頭を垂れる~</h3> もうひとつ、中嶋は、実に興味深いことを教えてくれた。 「例えばね、オーガスタの、あの13番ホール、パー5で、僕はあの時、第1打をスプーンで打ったんですよ。しかも、残り距離は6番アイアンの距離。いまよりもティグランドが25ヤード手前だけど、当時は、通常ならドライバーで残り4番アイアンがアベレージ距離なんです。つまり、そこまでパンプアップ(筋肉に血液が異常に注入され風船のように膨れ上がる状態)していたんですよ。 でも13番でイーグルどころかバーディも獲れないでパーに終わってしまった‥‥。ここが大きな課題だったと思う」 どういう課題だったのだろうか。それは、中嶋が、6番アイアンでフルスイングしてしまったことに起因しているという。 「解りやすく言えば、残り200ヤードを選手は、8番アイアンだと思ったら、届くんです。それができる。でもね、そこで6番アイアンでしっかりと距離コントロールできる選手が、生き残れる。つまりマン振りして届く距離を、番手を変えてコントロールしてその距離を打つ。乗った、バーディ獲っただけでは勝てないし、72ホール続かないわけですよ」 事実、中嶋は13番で6番アイアンをマン振りし、パーで終えたけれど、それ以降14~18番ホールのセカンドショットの縦距離が合わなくなったのだという。 世界と日本の差‥‥ そういわれて久しいが、中嶋の話を聞いていると、これは単純に技術の優劣だけではなく、むしろゴルフ脳や智慧(ちえ)という理性的なプレーをさせてくれるだけのクレバーさなのだろうと思った。 「あのとき‥‥ 最高のゴルフができたのは事実。でも悲しいかな、蓄積していく智慧(ちえ)が甘かった。もし‥‥ ゴルフ人生を変えられるなら、初めてマスターズに出場した1978年から、米ツアーに自分の身を置きたかったね」 ‥‥こういう話を聞いて、ふと現実に戻って見回すと、一体、いまの日本人選手は、どこまでこういう領域に行っている選手がいるのだろうと思ってしまう。いや、到達していなくても、そこまで目指している選手がいるのだろうか。 この間「プロゴルファーも、背番号をつけてくれないと、誰が誰だか解らないよね」という話を聞いた。画一的なスイング、同じようなゴルフウエア。それも、同じような体型‥‥ 確かに解らない。 個性を感じさせるものがない。正直な話、選手たちはみんな自分が全国区の知名度があると思い込んでいる。何様なの?という言動をとる選手もかなりいる。でも、一般的な彼らの評価を総合すると、せいぜいごく一部の地方区の知名度だったりするわけだ。 上から目線の発言も、AONのような強烈なキャラと力量があれば少しは納得するけれど、そうではない。 例えば、長嶋茂雄さん。僕は数回しか面識がないのだけれど、あるレストランで僕が奥のほうで食事をしていたときに、偶然、入り口に現れた。あ、長嶋さんだ、と僕が気がついて、席をたって挨拶に行こうとする束の間に、長嶋さんは、僕の席までササッとやってきて、挨拶して頂いた。 聞けば、石原裕次郎さんも腰が低かったという。そういうことが渡哲也さんや舘ひろしさんまで受け継がれているらしい。 僕が思うに、志しが低ければ低いほど中途半端になり、志が高いほど、人間的にも精神的にも充実してくるのだろう。 日本の男子ツアーがつまらないのは、目指そうとしているハードルの低さが原因だろう。
    (公開)2017年07月27日

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