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    ハッシュタグ「市場考察」記事一覧

    国立社会保障・人口問題研究所は2023年12月22日、2020年の国勢調査を基点とする「日本の地域別将来推計人口(令和5年推計)」を公表した。前回2018年より5年ぶりで、次回は2025年国勢調査による2028年の公表まで待たねばならない。 調査内容は出生率、死亡率、移動率が織り込まれた2020年~2050年、全国市町村別、男女、5歳年齢別人口推計であり、官民問わずあらゆる政策立案の基幹となる。むろん、ゴルフ産業の将来予測もこのデータに立脚しなければならない。なぜなら、ゴルフ将来対象人口としてこれ以上正確な予測は存在しないからである。 将来ゴルフ対象人口 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/02/1.jpg" alt="" width="1000" height="930" class="size-full wp-image-80279" /> <グラフ1> 推計によれば、2050年の総人口は対2020年比で▲17%減少する。さらに10歳から79歳をゴルフ対象人口とすると、ゴルフ対象人口は▲22%減少となる。〈グラフ1〉  しかし地域、年齢によって減少には大きな差が存在する。〈グラフ2、3〉将来ゴルフ需要変動予測を年代差、地域差を含め可能な限り正確に予測するのが本稿の主題である。その範囲は2050年はともかく2035年までとする。  <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/02/2.jpg" alt="" width="1000" height="680" class="size-full wp-image-80281" /> <グラフ2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/02/3.jpg" alt="" width="1000" height="533" class="size-full wp-image-80282" /> <グラフ3> <h2>将来ゴルフ需要予測とは将来参加率、活動率の予測</h2> 「ゴルフ対象人口×ゴルフ参加率×ゴルフ活動率=ゴルフ需要量」であり、今回の調査で将来のゴルフ対象人口が高い確度で与えられた。 将来ゴルフ産業需要量予測は「将来参加率」と「活動率」をいかに予測、設定するかである。それも年齢別、地域別の将来設定が必要である。戦争や疫病、天変地異など、将来は何が起こるかわからないが、不測の事態を鉛筆をなめながら予測するのではなく、本稿では一貫した前提条件による計算で結果を導きたい。その前提条件として、 ケースA〉現在の参加率、活動率が今後も持続する ケースB〉過去の参加率、活動率変化の法則性が今後も持続する 以上を設定する。 <h2>2020年参加率、活動率</h2> まず令和5年地域別将来推計人口の基点である2020年の地域別、年齢別ゴルフ参加率、活動率の特定が必要である。参加率、活動率の信頼できる継続調査では、総務省社会生活基本調査に勝るものは存在しない。しかしこれは5年間隔の調査であり、2020年の参加率、活動率データは存在しない。直近の社会生活基本調査は2021年10月調査であり、コロナ特需ピークと重なるため異常値とみなければならない。〈グラフ4〉 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/02/4.jpg" alt="" width="1000" height="667" class="size-full wp-image-80283" /> <グラフ4> また、ゴルフ場利用税からみたコース利用者数と、特定サービス産業動態調査によれば、ゴルフ産業需要量は2011年から2019年は安定していた。従って社会生活基本調査2011年、2016年の参加率、活動率は2019年(コロナ以前)も持続していたと看做せる。本稿で最新の将来推計基点となる2020年のゴルフ参加率、活動率は、社会生活基本調査2011年、2016年平均とする。 また特定サービス産業動態調査によるコロナ前後のゴルフ需要変化から、2025年にはコロナによる影響が収束し、2019年以前の基調に戻ると考える。無論対象人口は戻らない。〈グラフ5〉 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/02/5.jpg" alt="" width="1000" height="660" class="size-full wp-image-80284" /> <グラフ5> <h2>〈ケースA〉2011年、2016年平均参加率、活動率継続〈ケースB〉過去の参加率、活動率変化の法則性</h2> 2006年→2011年、2011年→2016年の社会生活基本調査参加率、活動率変化から、以下の年齢別変化法則が導かれる。 2020年に20~24歳である同時出生集団が、2025年に30~34歳に加齢した時の参加率と活動率は、2011年に25~29歳であった同時出生集団が、2016年に30~34歳に加齢した時の変化率と同一であると仮定する。 2020年に25~29歳の同時出生集団と、2025年に25~29歳同時出生集団は別人集団であり、ゴルフ関心度が異なる。 しかし20~24歳→25~29歳への5歳加齢時参加率、活動率増減率は経済環境、価値観が変化しない限り安定していると考える。 この5歳加齢時変化率を「加齢係数」と名付ける。この各年齢加齢係数が将来も不変であると仮定し、2025年に25~29歳の参加率、活動率を計算される 〈図1〉。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/02/img1.jpg" alt="" width="1000" height="879" class="aligncenter size-full wp-image-80278" /> 将来参加率、活動率計算結果は〈表1〉となった。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/02/2402yamagishi1.jpg" alt="" width="1000" height="575" class="size-full wp-image-80286" /> <表1> これにより、必ず訪れるゴルフ対象人口の世代交代がより正確に反映する。 <strong>〈計算結果〉</strong> 令和5年地域別将来推計人口都道府県別・年齢別将来ゴルフ対象人口に〈ケースA・B〉の将来参加率、活動率を乗算した結果は〈表2・グラフ6〉である。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/02/2402yamagishi2.jpg" alt="" width="1000" height="647" class="size-full wp-image-80287" /> <表2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/02/6.jpg" alt="" width="1000" height="960" class="size-full wp-image-80285" /> <グラフ6> 〈ケースA〉ゴルフ産業需要は2020年比▲8%で対象人口減少量をわずかに上回る。 〈ケースB〉ゴルフ産業需要は▲39%と大幅減となる。 社会生活基本調査の参加率は活動率より統計誤差が少ない。したがって将来需要量予測よりも将来ゴルフ人口推計の信頼性が高い。A、Bともにゴルフ人口予測がゴルフ需要予測よりも厳しい。 <strong>〈計算結果 都道府県別差異〉</strong> より注目すべきは地域別差異である。全国減少量予測はあくまで全国平均値であり、地域別には大きな差が生じる。〈表3〉に都道府県別結果をもとめた。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/02/2402yamagishi3.jpg" alt="" width="1083" height="1995" class="size-full wp-image-80288" /> <表3> 人口減少は静かに確実にゴルフ産業需要に迫っている。能動的なゴルフ参加率アップ(ゴルフ人口増大策)、活動率アップ(回数増加策)がなければコロナパンデミックのような棚ボタを祈るしかない。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年2月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年02月13日
    「真冬でも楽しめるスポーツ」としてゴルフ場建設は相次いだ 近年の猛暑により、真夏のゴルフの課題が語られることが多いが、真冬のゴルフも辛い。実際、NGK(日本ゴルフ場経営者協会)が発表しているデータでは、東京都など雪でクローズすることがあまり起こりにくい地域においても、真夏よりも真冬の入場者数の方が少ない。 「暑い」とか「熱中症リスク」とは言いながらも、ゴルファーは真夏でも喜んでゴルフ場に出かけ、逆に寒い冬には足が遠のいていることをデータが示している。考えようによっては、冬のゴルフ場にはまだビジネスとして伸びしろがある。 総合保養地域整備法(いわゆるリゾート法)の後押しによって急激に増加・発展した「リゾートスポーツ」の代表格としてゴルフ場とスキー場が挙げられるが、当時はゴルフ場開発数の方が圧倒的に多かった。要するに、ゴルフは通年に渡り顧客を呼び込める、という点から多くの開発が行われたわけだが、実際は真冬のゴルフ場ではティーイングエリアやグリーンが凍結していることもあるように、極寒プレーとなる。 本号では、真冬のゴルフを楽しむための、寒冷環境下での健康リスクと予防方策の話題を提供する。 <h2>冬場のゴルフに重要なのは「前夜の睡眠」</h2> 冬場は血圧が上がりやすくなり心臓への負担が大きくなる。これは、寒さで体温の発散を防ぐために血管が収縮するためである。暖かい室内から寒い屋外への移動により血圧が急激に変動し、心臓の血管が過剰に収縮して心筋梗塞の原因となることもあるし、寒さで骨格筋が収縮し硬くなり柔軟性が低下しやすくなるため、筋や腱などの損傷も起こしやすくなる。 これらの対策としてよく言われることに「寒い冬には気温の変動が少ない屋内での運動を行いましょう」とか、「外へ出る時は早朝などの冷え込む時間は避けましょう」などがあるが、ゴルフの場合は無理である。また、「十分な防寒をしましょう」とか「運動前にウォーミングアップで身体を温めて筋肉の柔軟性を確保しましょう」等々、常識的な話も多い。 本稿では、冬場のゴルフでは【前夜の睡眠】が特に重要であることを強調したい。寒さでトイレの回数が増えることにより熟睡を妨げられたり、睡眠不足になりやすい季節でもある。また、「明日はゴルフだ」と緊張やワクワクしてなかなか寝付けなかったり、早朝に出かけることが多いためにゴルフ前夜は睡眠時間が短くもなりやすい。 <h2>真冬のゴルフ前夜に熟睡できるグッドアイデア</h2> 筆者(今年47歳)は中年期に入った頃から夜中にトイレに起きる日が増えた。特に冬場、身体が冷えてトイレに立つことが多いと感じる。この対策として、まずはエアコン(暖房)を強めにかけてみたが、喉が渇いて目覚めてしまった。そのため、エアコンはやめて布団の下に敷く電気マットを購入したが、暑くて布団からはみ出ていたり、温度を下げると逆に寒かったりして苦慮してきた。 3年程前、グッドアイデアを思いついたので紹介したい。筆者は冬場、ズボンの下にインナー(タイツ)を履いているが、就寝時にインナーの上から使い捨てカイロを貼って寝るとよく眠れる。仮に布団からはみ出てもズボン下に貼っているため寒くない。 カイロを貼る具体的な場所は「太腿の前と裏」(計4枚)と「ふくらはぎ」(計2枚)である。これに「脛」(計2枚)を加えてもよいが、太腿とふくらはぎの最低6枚貼っておけば、とてもよく眠れる。冬場、夜中に目覚めることがある方には是非試して頂きたい。 この方法は試行錯誤の末に筆者に適したものを見出したわけだが、普遍的な学術研究として似たような論文が無いかを検索したところ、次のような研究が見つかった。 <h2>「陸上競技の冬季練習における蒸気温熱シートの有用性」(小田ら、2006)</h2> 学術誌「スポーツ科学研究」(早稲田大学)に掲載された、小田英志らの研究では、下肢を温熱シートで温めることによる有用性を評価している(図1)。この研究では、「競技者にとって単なる防寒ということではなく、ウォーミングアップを補完し、筋や腱をほぐし、運動の準備を整えるという点で、生理学的にも価値の高いものであった」とし、「フィジカル面のみならず、寒冷ストレスに対する精神的な支えや安心感につながっていることも大きな特長といえる」としている。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/02/kita.jpg" alt="" width="788" height="375" class="size-full wp-image-80183" /> 図1加温用トレーニングパンツの構成図 (小田ら2006,スポーツ科学研究3,pp.48-60より引用) 筆者の熟睡法(前述)と同じ部分を加温しており、早朝からプレーが始まるゴルフにおいては、この研究が示すように下肢の保温は「ウォーミングアップの補完」にもなり得るのではないかと考えられる。睡眠不足では、交感神経が活性化して血圧が上昇するとされるが、寒さでも血圧は上昇するので、冬の睡眠不足はダブルで危険である。冬場に安全で楽しいゴルフを継続するためには、前夜からの下肢の保温がポイントとなる。 <h2>日本には寒い住宅が多い:WHOの寒さ回避勧告(2018年11月)</h2> WHO(世界保健機関)は2018年11月に「住宅と健康ガイドライン」発表し、冬の住宅の最低室内温度として「18度以上」を強く勧告した。18度を下回ると循環器疾患、16度を下回ると感染症などの発症や転倒、怪我のリスクが高まると指摘し、特に高齢者や小児はもっと温かい温度が推奨されている。 特に、日本は「寒い住宅」が多いとされており、国土交通省のウェブサイトによれば、日本の居間(調査対象2090世帯)の平均温度は16.7℃と報告している。その内訳を見ると12℃以下の住宅も数百見られる。 図2のようにWHOの勧告では「健康」の観点において、住まいの暑さよりも寒さの方を問題視している。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/02/kita2.jpg" alt="" width="468" height="202" class="size-full wp-image-80184" /> 図2WHO住宅と健康ガイドライン(左:表紙、右:勧告概要の翻訳)(長寿科学そ振興財団「住宅と健康長寿」より引用) <h2>寒さ対策を考えることは暑さ対策のアイデア創造に繋がる</h2> 近年、「猛暑下のゴルフ」と対峙する季節が約半年(概ね5月~10月)にもおよび暑さ対策は喫緊の課題ではある。他方、「真冬のゴルフ」がこれまであまり話題にあがらなかったのは、夏場に比べて出かける人が少ないこともあるのかもしれない。筆者は、ゴルフ場での寒さ対策を考えることは暑さ対策のアイデア創造に繋がると考えている。今後の連載で披露して行きたい。 ・小田英志ら(2006)陸上競技の冬季練習における蒸気温熱シートの有用性、スポーツ科学研究(早稲田大学)3, 48-60 ・公益社団法人長寿科学振興財団ホームページ:<a href="https://www.tyojyu.or.jp/net/topics/tokushu/kenkochoju-ikigai/jutaku-kenkochoju.html" rel="noopener noreferrer" target="_blank">https://www.tyojyu.or.jp/net/topics/tokushu/kenkochoju-ikigai/jutaku-kenkochoju.html</a>(2023年1月16日確認) ・国土交通省ホームページ:<a href="https://www.mlit.go.jp/common/001500202.pdf(2023年1月16日確認)" rel="noopener noreferrer" target="_blank">https://www.mlit.go.jp/common/001500202.pdf(2023年1月16日確認)</a> <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年2月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年02月03日
    自分のショット以外の267分を如何に快適に過ごすか 前号までの数回にわたり、地球温暖化に伴う突発的な猛暑に対して今後どのように向き合い対処するべきかを論じてきた。真夏にゴルフを楽しむためには『自分のショット以外の267分を快適に過ごす方法』を突き詰めて考え抜くことで、来夏以降も確実に続く猛暑日においても、安全に健康的なゴルフラウンドを楽しむことができる可能性が見えてくる。大半のゴルフ場では、乗用カートで移動するが、最も効果的と思われる方法は「カートの改良」である。 <h2>既にPGMのゴルフ場では「Cool Cart」が普及している</h2> 2022年8月より、PGM(パシフィックゴルフマネージメント株式会社)の全国62コースのゴルフ場にCool Cartが順次導入されている。Cool CartにはPGMオリジナルの送風機が搭載されている。 Regina-Webのレビューによれば「まるで冷蔵庫の中にいるみたい」と表現されるほどの快適さがあるとされ、さらに、カート内にはクーラーBOXが設置されており、スポーツドリンク、おしぼり、ミストスプレーボトルが常備されているとしている。常備されたミストスプレーを噴射すると涼感が倍増されるうえに、送風も人感センサーにより無人環境時には自動停止するとされている。 <h2>ゴルフ産業が参考にするべき、超小型モビリティの普及が進む過疎の島(大分県姫島村)</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/11/23nov_image2.jpg" alt="" width="764" height="573" class="size-full wp-image-79335" /> 大分県姫島村の多様な小型EVレンタカー 大分県姫島村は、国東半島の北5kmに位置する一島一村の離島である。村内にバス・タクシー・レンタカー事業者がなく、従来、フェリーで訪れた観光客の島内での二次交通手段の確保が課題となっていた。姫島では、2014年より小型EV(電気自動車)を活用したレンタカー事業に取り組んできた。現在では、取組みをさらに発展させ、1人乗り・2人乗り超小型モビリティ、4人乗り・6人乗り・7人乗りグリーンスローモビリティ、1人乗り電動キックボード等多様なEVをレンタカーとして貸し出している(写真撮影:北徹朗)。 これらには扉あるいは外部と遮蔽できるシートが備え付けられている。例えば、ゴルフカートにPGMのCool Cartのような空調と、遮蔽シートを備え付けるだけでも、猛暑に対する安全・快適度は格段に高まるのではないか。 なお、この姫島村の小型EVの取組には、環境的に持続可能な交通(EST)普及委員会(公益財団法人交通エコロジー・モビリティ財団)により、「第13回EST交通環境大賞(国土交通大臣賞)」(2023年5月24日)が贈られている。 <h2>ゴルフ場仕様に特化した「超小型モビリティ」開発への期待</h2> 映画「となりのトトロ」のネコバスをイメージした車両が、ジブリパークがある愛・地球博記念公園(愛知県長久手市)において2024年3月から運行を始める。スタジオジブリが監修しトヨタ自動車製の電気自動車(EV)「アクセシブル・ピープル・ムーバー(APM)」をベースに製造したとされる(日本経済新聞,2023)(写真:ウェブモーターマガジン)。 このように、ここ1‐2年で、超小型モビリティの普及や活用が急速に進んでいる。それらは使用用途や地域特性等にも応じてアレンジされている。 真夏のゴルフ(暑さ対策)が課題ではあるが、真冬のゴルフもそれなりに厳しい。高度経済成長期からリゾート法の後押しを受けるバブル前後頃までの時代、スキー場やゴルフ場の開発が相次いだが、スキーとは違い「1年中楽しめるスポーツ」という理由からゴルフ場開発は特に多く進められた。猛暑日でも従来のようにゴルフ場で楽しむために、季節に応じて快適に過ごせるカート【ゴルフ場仕様超小型モビリティ】の登場を期待する。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/11/23nov_image3.jpg" alt="" width="604" height="453" class="aligncenter size-full wp-image-79337" /> <h2>「カート内にレモングラスの小鉢」を置けば認知症予防にも効く</h2> とにかく、ゴルフプレー270分のうち、実際に打っている時間は2-3分しかない。暑さを回避するために、コース内乗り入れを容易とするカートの開発・普及の期待もしたいが、いずれにしても「自分のショット以外の、待ち時間と移動時間の267分を如何に過ごすか」がカギである。 これを考え実用化して行くことで、暑さ対策とともに、過去の連載でも述べてきた「レモングラスの香りの効用(認知症予防効果)」を得ることも容易になって行く。すなわち、カート内にレモングラスを置くこともできるのではないか。 筆者は従来、滞在時間の比較的長い、グリーン周辺やティーイングエリア周辺にレモングラスを生い茂らせるアイデアを提案してきたが、カートが改良されれば、ここに植生させることができる。カートが変われば、暑さ対策だけでなく「ゴルフの健康効果」という観点での価値向上も格段に高まる可能性がある。 ※本稿の一部には、令和4年度おおいた姫島ジオパーク調査研究助成(研究代表者:北 徹朗)が使用されている。 引用・参考文献 1)PGM(2023)Cool Cartで快適ゴルフ、<a href="https://www.pacificgolf.co.jp/cool_cart/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">https://www.pacificgolf.co.jp/cool_cart/</a>(2023年10月14日確認) 2)Regena-Web(2023)まるで冷蔵庫の中にいるみたい?!送風機付きカート「Cool Cart」導入コースなら、炎天下のラウンドも快適に♪、<a href="https://www.regina-web.jp/life/golf_course/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">https://www.regina-web.jp/life/golf_course/</a> 57016/(2023年10月14日確認) 3)日本経済新聞(2023)ジブリパークにEV「ネコバス」トヨタ製、24年春から運行、<a href="https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFD112IC0R10C23A9000000/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFD112IC0R10C23A9000000/</a>(2023年10月14日確認) 4)Webモーターマガジン(2019)トヨタが2020東京五輪をサポートする大会専用に開発したモビリティ「APM」を発表、<a href="https://web.motormagazine.co.jp/_ct/17288510" rel="noopener noreferrer" target="_blank">https://web.motormagazine.co.jp/_ct/17288510</a>(2023年10月14日確認) <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年11月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2023年11月08日
    『ゼクシオ』は恐怖の産物だった 目を国内市場に転じると、2000年代は『ゼクシオ』の時代といえる。しかしこのブランドは、住友ゴムが味わった恐怖心からはじまっている。 1999年12月、同社はキャロウェイの販売権を返上した。住友ゴムはキャロウェイが無名だった頃から日本で輸入販売を手掛け、人気商品に育ててきた。その後キャロウェイは自社株を住友ゴムに売却することを含め、新たな関係を求めるが、破断。キャロウェイ日本法人を立ち上げて、自力での販売をスタートしている。 これによって住友ゴムは窮地に立たされる。なぜなら当時、キャロウェイ製品の売上は住友ゴムのゴルフ事業売上の半分を占めていたからだ。それがなくなるだけではなく、キャロウェイ日本法人の設立で強力なライバルの登場となる。 そこで住友ゴムは大リストラに踏み切り、残った営業マンはペンとメモ帳を持って全国のゴルフショップを走り回った。新商品の開発について、 「店主にアドバイスをもらうためです」 当時、販社の社長だった有坂誠道氏はそう話した。『ゼクシオ』デビューの背景には、大きな危機感があったわけだ。 <h2>専門店がつくったブランド</h2> 「アドバイスを真剣に聞いてメモを取る。すると、出来上がったクラブのどこかに自分のアイデアが入っているから『俺が作ったクラブだ』となりますよね。それで全国の専門店が意気に感じて、大いに売ってくれたのです」(有坂氏) この話には時代性が伺える。ゴルフ専門店が地域のゴルファー、特にオピニオンリーダーと密接につながって、これを核にシャワー効果で商品を訴求できた時代。ネット販売の台頭で専門店がパワーを失った現代では、稀代のヒット商品『ゼクシオ』は誕生しなかったかもしれない。 「店主もね、それぞれ苦しい時代を経験している。かつて、人気の糸巻きボール『ロイヤルマックスフライ』は品薄で、ショップに回らない時期がありました。それでもウチの営業マンは、少ない在庫を取引店に割り振った。店主の皆さんはそれを覚えていて、『あのときはありがとう。今度はこっちが恩返しする番だよ』と。一生懸命『ゼクシオ』をかついでくれたんです。涙が出るほど嬉しかった」(有坂氏) 『ゼクシオ』のデビューは2000年2月。当初は単独で50億円を目指し、利益面でキャロウェイの穴をカバーする目論見だった。ところが5か月後の実績はウッド9万本、アイアン3万セット、ボールは初年度70万ダースの勢いで、主役の『ハイブリッド』(年間100万ダース)に迫る勢いをみせた。 まさに、前代未聞のロケットスタートだった。 <h2>団塊の「部長年齢」にマッチ</h2> GEWの2000年11月号で、物静かな馬場宏之事業部長が珍しく進軍ラッパを吹いている。 「もう、大成功の部類です。今年は『ゼクシオ』全体で130億円に届くでしょう。上半期で全国1000回以上の試打会を行い、販社幹部は土日返上、販促費は従来の数倍です。わたしも試打会を巡回して、ゴルファーの反応をドキドキしながら見ていました」 以後『ゼクシオ』は新製品が出るたびに強さを増し、各社の対抗商品を跳ね返す。宮里藍を擁した『V-iQ』(ブリヂストンスポーツ)や『JPX』(ミズノ)、『インプレス』(ヤマハ)などが包囲網を敷いたが、『ゼクシオ』の壁は破れなかった。 もうひとつ、『ゼクシオ』の急成長を支えたのが団塊の世代の存在だった。『ゼクシオ』がデビューした2000年、この層は50代の前半で「部長年齢」に入ってくる。住友ゴムが意識したのはトヨタがオーナードライバー向けに販売していた『クラウン』で、有名なキャッチフレーズ「いつかはクラウン」をゴルフ版で成立させることだった。 広告展開、店頭陳列での表現方法にも注力。当初は契約プロの片山晋呉が使用したが、イメージが合わないということで片山の使用を訴求しなかった。プロの使用は「性能を証明するファクター」であり、イメージ戦略とは切り離した。 その後、団塊の世代の高齢化に伴い『ゼクシオ』ユーザーの高齢化が深刻化する。「いつかはクラウン」が響かない層に向けて、何をアピールしていくのか。新しい発想が求められはじめた。 <h2>クラブメーカーは変化できる?</h2> 『ゼクシオ』の新商品は2年に一度の隔年発売を徹底している。ブランドデビューから20年を経過した十代目あたりから、外資メーカーの大攻勢が目立ちはじめた。 特にキャロウェイ、テーラーメイド、ピンは広大な北米市場を抱えることから「量の優位性」を発揮できる。国内勢は総じて旗色が悪く、かつて市場を席巻したミズノとマルマン(マジェスティゴルフ)は大幅な規模縮小を辿ってきた。日米メーカーの違いを、ヤマハゴルフの吉田信樹事業部長はこう話す。 「米国はゴルフ専業のメーカー、日本は大手企業の事業部や子会社でゴルフビジネスを展開する場合が多い。日米メーカーの違いは、そのあたりに起因する部分があるのかもしれません。ただし、ウチには楽器などグループ事業と連携できる強みがあるので、これを生かして巻き返したい」 ただし、それを実現する上で、大企業にはいくつものハードルがある。そのひとつが人事制度で、ゴルフ事業責任者の「定年」や、子会社の場合は親会社から落下傘的にゴルフ事業のトップが代わることもある。そしてその都度、方針が変わる。 米メーカーはゴルフの専業であり、「ゴルフビジネスがダメになったら生きていけない。日本の大手とは真剣度が違う」との見方もある。 市場を牽引してきた『ゼクシオ』は「脱・団塊の世代」を意識して、現役世代向けの『ゼクシオ』を展開するなど大幅なテコ入れに踏み切った。国内メーカーの旗色が悪い中、同社の孤軍奮闘が目立っている。 中古市場やECの台頭、AIの進化で多様なアプリが登場するなど、ゴルフ市場には様々な変化が兆している。その中でクラブメーがどのような変化を遂げていくのか? このあたりに次代のカギがありそうだ。(おわり)
    (公開)2023年07月17日
    テーラーメイドが仕掛けたのか? 住友ゴムが公表した「インピーダンスマッチング」の特許は、各社がゴルフクラブの反発性能を追求するほど抵触する可能性が高まってくる。これに危機感を募らせた米国メーカーの一部が、USGAに「高反発規制」のルールを働きかけたと囁かれた。 高反発規制はそもそも、飛距離が伸びるゴルフクラブはゴルフ場の設計意図を台無しにするため、これを規制するという趣旨だったが、北米圏のゴルフ規則を統括するUSGAが強権を発揮しすぎることで、クラブ開発や性能進化に大きな支障を来たすとの声も高まった。 そこでUSGAは後年、ヘッドの可変機能を「合法化」する。いわゆる「カチャカチャ機能」と呼ばれるヘッドの重心位置を調節できる機能の認可で、高反発規制と相殺するバーター的な狙いもあったとみられる。 この商品を、他社を制して発表したのがテーラーメイドの『r7』で、2004年4月に「この一本がゴルフ界を震撼させる」とのキャッチコピーでPRした。 前回触れたように、多くの日米メーカーがUSGAの「高反発規制」に反対したが、例外的にテーラーメイドは反対の態度をとらなかった。 そのことが、同社がUSGAにロビー活動を行ったとの憶測につながる。ルールが変わり、新しい機能が登場すると、先行メーカーは特許ガードでビジネスを優位に進められる。高反発重視の日本メーカーは、この面で後れを取ることになる。 <h2>USGAとR&amp;Aの対立先鋭化</h2> 一方で、もうひとつの対立も深まっていく。高反発規制を推進するUSGAと、静観するR&amp;Aの対立である。ゴルフ産業を巨大化させた米国には多くの有力メーカーが揃っている。一方の英国はゴルフの発祥地だが、ゴルフが日常生活に馴染み過ぎて産業化に至らず、強いメーカーも存在しない。そんな両国の違いが背景にある。 それでもR&amp;Aは2000年5月にUSGAとは異なる「ヘッドの肉厚規制」を発表して、同年10月に実施する旨を示唆した。ところがわずか3か月後の8月には撤回して「反発規制の必要性を根底から見直す必要がある」と表明。 さらにその翌月には「高い反発係数はゴルフに有害とは考えられない」と、高反発規制そのものを否定。これを受けたキャロウェイとタイトリストは、即座に、 「我々はR&Aの決断を歓迎する」 と賛意を表明したが、USGAはヒステリックにR&Aを非難した。なぜならこの時期USGAは、 「違反クラブを週単位で公表し、該当製品の使用者には公式ハンディを認めない」 と強硬姿勢を貫いて、走り始めていたからだ。R&amp;Aが高反発規制を見送れば、R&amp;A傘下の日本メーカーが勢いを得る。日本市場でシェアを高めるキャロウェイも高反発規制に猛反対の姿勢を見せていたため、暗礁に乗り上げればUSGAの権威は地に堕ちる。双方にとって、抜き差しならない事態に陥っていた。 <h2>エリー・キャロウェイの死</h2> 事態をより複雑にしたのは、USGAに同調したRCGA(カナダゴルフ協会)が、違反指定を受けたキャロウェイの人気ドライバー『ERC』を、主催・関連競技で「使用禁止」にしたこともある。これを受けたキャロウェイは、カリフォルニア州連邦地裁にRCGAを「営業妨害」で訴えた。 さらに同社はアーノルド・パーマーと契約を交わし、その記者会見でパーマーは「わたしは高反発に賛成する」と表明。これを受けた現地のゴルフメディアは「王様は死んだ」「キングは晩節を汚した」など、パーマー叩きに走ってもいる。 「高反発騒動」は、思わぬところに波紋を広げ、収束の気配が見えなかった。 仮にキャロウェイがRCGAに勝訴していれば、USGAとキャロウェイの闘争はさらに泥沼化したはずだ。「全米オープン」の収益で莫大な資金力を持つUSGAと、カリスマ経営者のエリー・キャロウェイ。両者は一歩も引かない構えで睨み合い、キャロウェイ氏は、 「わたしはエンジョイゴルファーのために戦い抜く」 と宣言していた。だが、2001年7月、闘争の結末を見ることなくキャロウェイ氏は他界。その翌年2月、USGAとR&amp;Aの対立に業を煮やしたUSPGAツアーが、「新たに第三者による規則統一機関を設置する考えがある」と発表。 USGAとR&Aには「統治能力がない」と明言したもので、下手をすればPGAツアーを巻き込んだ三つ巴の泥仕合になりそうだった。 <h2>終始「蚊帳の外」の日本</h2> PGAツアーの発言から3か月間の議論を経た2002年5月、USGAとR&Aは「共同宣言」を発表した。日本を含むR&A傘下の国では、2008年1月1日から高反発規制を「COR0・830」(現在はCT値による規制)で施行し、時間差はあるものの英米同一歩調をとる旨が確認された。 それにしても………。この間、世界2位の市場規模を持つ日本の業界関係者は「傍観者」の立場に追いやられた。米国メーカーはUSGAと密接な関係にあるが、これと張り合う日本メーカーは常にR&Aとの折衝に時間を取られてしまう。そのR&Aはゴルフの母国にあるものの、ゴルフビジネスの緊張感とは無縁の世界に住んでいる。 日本メーカーは常に、「情報」「時間」「特許」などの面で大きなハンディを負うことにもなる。そのことが何を意味するかは明白だろう。
    (公開)2023年07月10日
    4月26日、国立社会保証・人口問題研究所が最新の将来人口推計を公表した。2020年国勢調査に基づいており、今後あらゆる政策の基幹データとなる。そこから10歳~79歳のゴルフ対象人口を抽出し、前回2015年国勢調査による推計と比較した。 〈グラフ1(いずれも出生率中位、死亡率中位の推計)〉 そのポイントは次の2点である。 ・ゴルフ対象人口減少がより厳しく減少量は将来程大きい。 ・2030年は対2020年比較で▲198万人(▲2%)である。 対象人口によるゴルフ人口推計 「対象人口が2%減だから、2030年ゴルフ人口も2%減になる」 と考えるのはかなり安易である。少子高齢化により、年齢別の人口減少率は等しくない。従って、年齢別構成率も変化する。年齢別に細分化し、年齢ごとの将来ゴルフ参加率を推計する必要があるのだ。 <h2>年齢別将来ゴルフ参加率推定とは</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/07/image2.jpg" alt="" width="1264" height="906" class="size-full wp-image-77757" /> <グラフ2> 2種類の「将来参加率推定条件」を設定し、それぞれ「年齢別将来ゴルフ人口」を計算した。 (A)コロナ後の2021年社会生活基本調査「年齢別参加率」を将来も固定 (B)コロナ前2001年以降の4次社会生活基本調査の各年齢参加率を「5歳加齢時」の平均増減率で将来参加率を設定 (B)の追加説明 (B)は少し難解であるから詳しく説明する。 2030年の35歳は、2020年に25歳だった。つまり2030年に35歳の参加率は、2020年に25歳だった集団のゴルフ関心度と、10年間の生活変化により決定される。25歳でゴルフに無関心でも、35歳で関心をもつ。あるいはその逆もある。 年齢別のゴルフ関心度は等しくないし、加齢とともに変化する。その結果が「年齢別参加率」だ。 しかし、各同一年齢集団間でゴルフ参加率に違いがあっても、5歳加齢後の参加率増減率(筆者は5歳加齢係数と名付けた)は就職、結婚、育児負担、年収変化、体力変化により決定し、長期的には安定と考えて良い。この平均増減率により、各年齢の将来参加率が推定できる。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/07/hyou1.jpg" alt="" width="788" height="534" class="size-full wp-image-77774" /> 表1 2001年以降の社会生活基本調査における「各年齢参加率」と、求めた「コロナ前加齢係数平均値」を〈表1〉とした。25年間におけるすべての同時出生集団の、5年毎の参加率増減率を捉えている。(B)はコロナ禍前の平均値で、各年齢の将来ゴルフ参加率を設定する。 <h2>計算結果</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/07/image4.jpg" alt="" width="1056" height="972" class="size-full wp-image-77760" /> <グラフ3> 結果を〈グラフ3〉とした。 ・2021年の年齢別参加率が今後も持続するとした場合、ゴルフ人口は対象人口と同一経過で減少し2030年▲9%、678万人となる。 ・コロナ前25年間の5歳加齢時平均増減率により年齢別将来参加率設定をした場合、2030年ゴルフ人口は▲35%、483万人となる。  要点は、コロナ過で急増したゴルフ参加率が今後も持続するとは考えられないことである。筆者はおそらく(A)(B)の範囲となるに違いないと考えるが、正解は2026年の社会生活基本調査の結果を待たねばならない。 <h2>特定サービス産業動態調査によるゴルフ産業需要最新動向</h2>  コロナが5類に指定変更されて旅行、外食需要が回復してきた。「コロナ特需を享受したゴルフ産業需要が今後どう変化するか?」は極めて注目されるため、毎月その動向を正確、迅速に捕捉したい。このニーズに合致するデータは経済産業省の特定サービス産業動態調査以外に存在しない。この見方・活用方法を考えてみよう。 <h2>稼働1打席、1ホールあたりの利用者数変化を重視</h2> 特定サービス産業動態調査は定点観測であり、すべてのゴルフ場、練習場利用者の総数ではない。全施設の総利用者数を毎月2か月後に集計公表することは不可能である。 このようなデータ特質にもかかわらず、ゴルフ産業界は毎月利用者数のみを注視し、その対前年同月増減で需要動向を判断しがちである。定点観測から全体総量を推定するには、対象定点と市場全体が乖離していないことを証明する必要がある。 調査対象定点は公表されないが、練習場60打席、ゴルフ場18ホールとすれば250センター、190コースの調査規模である。これだけの定点の合計利用者数で市場全体の総需要量動向を推計することは危険であろう。しかし、動態調査には利用者合計だけでなく、毎月の練習場稼働打席数、ゴルフ場営業ホール数、平均稼働日数がキチンと集計報告されており、稼働1打席、1ホールあたりの利用者数は統計的に正確に算出可能である。 利用者の総量よりも「客の混み具合連続変化」が確認できるのだ。利用者数の合計変動よりも、大きな情報価値がある。 <h2>単月比較よりも直近12か月合計を</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/07/image7.jpg" alt="" width="1836" height="1148" class="size-full wp-image-77761" /> <グラフ4> 動態調査は2か月遅れで毎月最新データが公表される。これを対前月比較、対前年同月比較で需要動向を判断するのは問題である。繁閑期差や天候によるノイズが含まれてしまうからだ。そこで、最新データ月を含む直近12ヶ月合計で比較したい。2023年2月であれば、2022年3月~2023年2月までの合計である。 2023年2月稼働1打席、1ホールあたり利用者数変化集計結果 ゴルフ場、練習場長期データによる稼働1打席、1ホールあたり利用者計算例と、コロナ前2019年1月を100%とする推移グラフを〈表2・3、グラフ4〉とした。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/07/hyou2.jpg" alt="" width="788" height="1015" class="size-full wp-image-77772" /> 表2 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/07/hyou3.jpg" alt="" width="788" height="1340" class="size-full wp-image-77773" /> 表3 コロナ特需は、 ・ゴルフ練習場  2022年1月ピーク +20% ・ゴルフ場  2022年6月ピーク +15%  であったと確認できる。練習場、ゴルフ場需要はともに未だコロナ前より増加を維持しているが、ピークアウトしたと考えるべきである。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年7月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2023年07月08日
    筆者は、公益財団法人交通エコロジー・モビリティ財団の研究助成を得て「暑熱環境下での移動中に道路から受ける輻射熱の身体的影響低減策の開発」というテーマで研究に取り組んできた。前号で述べたように、熱中症データなどを考慮すると、特に猛暑下における『ゴルフ場の駐車場』が対策の盲点となりやすい。本稿では、東京の代表的な観光地からみる、夏場のアスファルト環境についての事例から、ゴルフ場(駐車場やカート道路)について考えるための資料を提示したい。 <h2>巣鴨観光より浅草観光の方が涼しい:要因は路面の色</h2> 筆者は前述の助成研究の一環で、昨夏、東京の代表的観光地において観察実験を行った。具体的には、【2022年7月23日(土)巣鴨・地蔵 通り商店街周辺】、そして【2022年7月30日(土)浅草・浅草寺周辺】であった。 巣鴨での実地踏査では、午前8時30分の段階で、WBGT28・2℃、気 温 28・7℃、風速0・12 m/s、地表温度45・0℃であった。最高気温 は11時30分に観測した43・9℃であり、最も地表からの輻射熱が高温となったのは12時45分の66・8℃であった。この日、熱中症警戒アラートは発令されていない日であったが、猛暑日であった。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/07/kita2.jpg" alt="" width="450" height="493" class="aligncenter size-full wp-image-77741" /> 浅草での実地踏査では、午前8時30分の段階で、WBGT30・8℃、気 温 34・8℃、風速0・15m/s、地表温度 45 ・1℃であった。最高気温は12時15分に観測した42・7℃であり、最も地表からの輻射熱が高温となったのは12時00分の55・4℃であった。この日も熱中症警戒アラートは発令されていない日だった。 計測結果データを見ると、気温は巣鴨実験時に比べて浅草実験時の方が高かったものの、地表温度は巣鴨の方が概ね10度以上高かった。この要因としては、「道路の色」が考えられる。浅草寺参道は白色系で整備されているため、熱吸収が少なく、輻射熱が低減されているものと思われる。浅草寺参道での定点観測地点を離れて、アスファルトの計測を試みたところ、60℃を超える高温となっていたことからもそう考えられる。 <h2>白い「浅草寺参道」は表面温度が約20~30℃も低い</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/07/kita3.jpg" alt="" width="450" height="493" class="aligncenter size-full wp-image-77742" /> 図に13時頃の両観光地のサーモグラフィ撮像を示した。図1は巣鴨、図2は浅草(参道入口付近)であるが、この写真はいずれもアスファルトのため、道路表面温度の最高温度は巣鴨63・2℃、浅草62・4℃と大差はない。他方、定点観測をした、浅草寺参道(図3)を見ると、最高温度は59・0℃となっている。図3をよく見ると、参道側(右)が極端に低温になっていることがわかる。最高温度は59・0℃は、左側のグレーの路面のデータだが、右側の白っぽい路面はそれよりも約20℃~30℃程度も温度が低いことが見てとれる。 <h2>武蔵野美術大学の駐車場(東京都小平市)での検証</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/07/kita4.jpg" alt="" width="500" height="195" class="aligncenter size-full wp-image-77743" /> 筆者の所属先である武蔵野美術大学の駐車場において、21種類の路面素材(石)を用いて、2022年8月7日の8時30分~16時00分までの間、30分おきに計測した。図4は検証に用いた素材、表1は測定期間の環境データである。 この結果(図5)(図6)を見ると、白や黄色など薄い色が極めて低い温度に抑えられていることがわかる。グレーなど、アスファルトよりも薄い色でも、黒系や赤系は短時間で高温となっていた。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/07/kita5.jpg" alt="" width="500" height="195" class="aligncenter size-full wp-image-77744" /> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/07/kita6.jpg" alt="" width="400" height="339" class="aligncenter size-full wp-image-77745" /> <h2>ゴルフ場来場者は18ホールのラウンドプレー後、入浴でのさらなる体温上昇を経て、熱せられた駐車場に移動している</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/07/kita7.jpg" alt="" width="400" height="213" class="aligncenter size-full wp-image-77746" /> 夏場のゴルフプレー後、高温環境下に晒された身体を、入浴により再び体温上昇させた状態で駐車場へと向かっている来場者が多くいることが推測される上に、駐車場などは、風が通り難い上に、多くの車によってさらに高温環境が助長されている。夏場には、来場客が集中するチェックイン前の時間帯と、プレー後の帰宅時間帯に、駐車場に大型扇風機を配置しておくのはどうか。 ※ 本稿の一部は、公益財団法人交通エコロジー・モビリティ財団の研究助成(研究代表者:北 徹朗)が使用されている。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年7月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2023年07月05日
    大型化が高反発の「発見」につながる 初期のチタンウッドは「64チタン」が主流だった。これはチタンにアルミ6%、バナジウム4%を配合した合金で、鋳造製法で作られるもの。以後、金属メーカーの合金技術が進み、鍛造製法で軽比重・高強度のチタン合金が注目されるようになる。 金属の強度は「引張強度」「耐力」「伸び」「硬度」に大別され、ゴルフクラブでは金属の試験片を両端から引っ張り、切れるまでの引張強度が重視される。当時最強クラスが「15‐5-3」(チタンを主体にモリブデン15 %、ジルコニウム5%、アルミ3%)で、鍛造製法による「ハイパーチタン」と呼称された。 「15‐5‐3チタン」はフェース肉厚1・8mm で、HS40 の実打テストで数千発打っても耐えられる高級チタンとの触れ込みだった。 これを採用したドライバーが96年9月にダイワ精工から発売された『G3ハイパーチタン』(18万円) である。圧延方式で「弾き」を高め、高額ながら当初計画の2倍(2万3000本)を販売している。 これによりチタンドライバーは、低価格競争に歯止めをかけた。98年1月の取材で同社の青木和雄常務はこう話している。 「今は付加価値の時代です。売上と販売量、シェアを追求することはやめます。経営で何よりも大事なのは『利益額』ですから。 同じ1本でも5万円が18万円なら、販売コストや物流コスト率は格段に下がる。ハイパーチタンの採用はそのような考えに則っています」 当時、圧延方式で高い支持を受けた下請け工場が新潟の遠藤製作所だった。多くのクラブメーカーが同社へ日参し、ヤマハ、ブリヂストンスポーツ、ミズノらのヒット商品がここから生まれる。ヘッドの大型化も飛躍的に進み、その結果、大型・薄肉化による反発性能が注目された。 <h2>「高反発規制」の芽生え</h2> GEW1998年4月号に、意味深な広告が登場する。 ヘッドを縦に割った画像の上に「特許番号2130519号」と記載された広告で、「弾力チタンヘッド」の文字が添えられていた。住友ゴムが出した広告で、後年大騒動に発展する「高反発規制」の発火点と見られる特許である。 これは「インピーダンスマッチング」に関わる特許で、ボールとヘッドの衝突には、双方の個体に最適な振動数があるとの主張だった。ボールとヘッドの振動数に「最適値」を示したことが画期的で、同業他社に衝撃が走った。 なぜなら、各社のドライバーヘッドが反発性能を追求すれば、結果的に住友ゴムの特許に抵触する可能性が高まるからだ。日本のメーカーだけではなく、米国メーカーの技術陣も同様の衝撃を味わったはず。そして、米国のゴルフ界は即座に手を打った。 98年6月、住友ゴムが上記の広告を掲載したわずか2か月後のこと。北米のゴルフ統括団体であるUSGAは「反発係数を規制する考えがある」と発表した。このとき誰もが唐突感を覚えたが、くだんの「特許広告」と関連付ければ符合する。 GEWは当時、住友ゴムの関係者及び周辺に、USGAが「特許潰し」に走った可能性を取材しているが、異口同音に聞かれたのは、 「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。真相はわかりません」 という返事だった。 <h2>英米の確執が先鋭化</h2> 98年9月、USGAはメーカーと報道関係者150名を集め、本部で公聴会を開いている。事前に公表された内容は「反発係数が0・822以下若しくは誤差を含め0・830以下が合格」というもので、この数値よりも反発係数が高いクラブは「違反品」の烙印が押される。試合で使えば「競技失格」となるもので、出席者に意見表明の機会が与えられた。 このとき発言したのはダイワ精工、ピン、タイトリスト、テーラーメイドの4社で、テーラーメイドを除いて「反発規制」には強硬に反対している。最も強硬だったキャロウェイは「こんな茶番には意味がない」と吐き捨て、そもそも公聴会を欠席している。 後述するが、米国の二大メーカーであるキャロウェイとテーラーメイドが正反対の態度を示したことに、水面下のロビー活動があったと推測される。 一方、USGAと並ぶ世界のゴルフ統括機関である英国のR&Aは当時、この件に関して格別な意見を持っておらず、USGAの規制表明から1年半を経た99年11月、担当者が来日してこう話した。 「我々はUSGAと異なる方法で反発性能を研究します。2001年1月までに何らかの結論を出すつもりだが、そのため2000年末までは現行の規則を適用します」 日本のゴルフ界はR&amp;Aの傘下にある。集まった70名の関係者は、発表内容の薄さに肩透かしを食らった格好だが、それも無理からぬ面があった。 大手メーカーが群雄する米国と、ゴルフ発祥の地でありながら有力メーカーが存在しない英国。つまり住友ゴムの特許は、米国の多くのクラブメーカーに深刻な影響を及ぼすが、英国ではほとんど無風状態。この問題に関わる英米の意識差は、天と地ほどの開きがあった。 そしてこのことが、ただでさえ馬が合わなかったUSGAとR&amp;Aの関係に深刻な亀裂を生じさせる。両者の間に立つ日本メーカーの苦悩も深まっていく。(つづく)
    (公開)2023年07月03日
    バブル頂点で高額チタンウッド続々 メタルウッドに続く二度目の素材革新は、1990年3月、チタンウッドの『ミズノプロTi』の発売が皮切りだった。 ミズノは「世界初」の触れ込みでチタンドライバー投入し、価格は1本18万円。同時期にマルマンから分離したジョイの『チタニウム604』(15万円)やタカギセイコーの『コンビート』(18万円)が続き、同年の秋口にはほぼ全社がチタンウッドを取り揃えた。 最高額は同年9月発売の『チタニックスウッド』(25万円)で、これはアシックスの製品だった。この時期は大半のスポーツメーカーがゴルフクラブを展開し、スポーツ衣料中心のデサントやゴールドウインも参入していた。 このような雪崩れ込みを支えたのは、金属メーカーの協力が大きい。チタンヘッドの製造元は三井造船、川崎製鉄、三菱マテリアル、大同特殊鋼、これに神戸製鋼も加わったが、このとき金属メーカーはチタンを巡る大競争時代に突入していた。 <h2>バブル景気のクラブ市場</h2> 当時の世相を振り返ると、1985年に中嶋常幸が国内初の1億円突破で賞金王に輝いている。その2年後に岡本綾子が米女子ツアーの賞金女王となり、1989年には尾崎将司が2年連続1億円突破で賞金王を連取。チタンウッドが登場した1990年は、小金井CCの会員権が4億円を超えている。 時代の熱に乗った『ミズノプロTi』は当初、年間5000本の計画だったが、結果的に3万本を達成。ゴルフ事業単独で600億円を視野に入れるミズノは、リゾート開発の「MARV構想」を打ち出して、ゴルフ場経営にも意欲を見せた。 同社が「21世紀5000億円企業」を掲げたのもこの時期だった。バブルピークの1990年、ゴルフ場数は1818、入場者は1億人の大台(9519万3000人)に迫っていた。 諸説あるが、バブル景気の終焉は1991年3月とされる。ただし、入場者は翌年の1億232万5000人(ゴルフ場数2028)が頂点となる。進行中のゴルフ場開発は止められず、その後も数を増やしていった。 <h2>ソ連の崩壊がチタンウッド価格に影響</h2> その反面、チタンウッドの価格は急激に下降する。1992年には7万8000円が主戦場となり、俗に「ナナハチ戦争」と呼ばれていた。 先鞭をつけたのはシントミゴルフだ。同社はこの年3月に『リミテッドカスタムチタン』(7万8000円)を発売し、以後、各社がこれに追随した。同年10月にダイワ精工が『アドバイサー・プロチタン』、翌春にミズノが『ビッグディパーチタン』を同額で発売。 当初『コンダクターLGチタン』で7万8000円を表明していたマルマンは、発売直前に6万8000円とし、7月には5万8000円の『コンダクター』と『タイタス』を上市、各社の値下げ合戦は熾烈だった。 高級チタンウッドは登場から、わずか2~3年で6~8割も値を下げる。その背景には特別な事情があった。 1991年12月、世界をビッグニュースが駆け巡った。「ソ連崩壊」がそれである。ソ連はチタンの主要原産国で、崩壊以前は戦闘機や原子力潜水艦の部品として高値で取引されていた。崩壊は米ソの冷戦終結につながり、チタンは軍需物資からの民需転換が急がれた。 価格も1㎏1万円台から4000円程度に落ち込み、その受け皿として日本の商社がゴルフクラブに目を着けた。マルマンが発売した5万8000円のチタンウッドは米国ポートランド産と言われたが、ここは軍需工場の集積地。 ちなみに、日本でのチタン需要は日用品で眼鏡フレームぐらいしかなく、1個200g程度を使用するチタンヘッドは格好の商材だった。 93 年4月号の本誌調査記事によれば、 18 社 37 モデルのチタンウッドが国内で売られていた。(つづく)
    (公開)2023年06月26日
    二木ゴルフの出店ラッシュ 当時、国内最大手のクラブメーカーだったミズノは、メタル・ブームに乗り遅れた。そのため急遽、米国からメタルウッドの『クリーブランド・クラシック』を年間5万本輸入する突貫作業に追い込まれている。 メタルウッドの好調は、同時期に硬いツーピースボールが登場して「糸巻きボール」の需要を一部奪ったことも一因だった。硬いボールを打つとパーシモンヘッドに傷がつくため、メタルウッドとツーピースは相互補完するように市場での認知度を高めていった。 同時に、『ダンガン』のヒットは専門店にも影響を及ぼしていく。それまでの「舶来御三家」中心の品揃えから、売場の意識が国内メーカーに向き、国産ブランド台頭のきっかけになった。 それ以上に大きかったのは、ゴルフクラブが手工業品から大量生産が可能な工業製品に脱皮したことで、受け皿として専門店のチェーン化に拍車がかかった。当時マルマンのクラブ職人だった杉山健三最高顧問が振り返る。 「パーシモンを削っているとね、たまに虫食いが出るんですよ。最高の素材で、いい仕上がりだなあと思っていても、アレが出るとがっかりする。それでひと回り小さなスプーンに削り直したり、廉価品に格下げするわけですが、メタルは均一に作れるので大量生産に最適でした」 好況とプレー人口の急拡大も「出店ラッシュ」の背景にある。1985年のゴルフ場数は1496、入場者は6815万9000人に膨らんでいた。 その兆しを敏感に察知した二木ゴルフは「脱アメ横」を掲げて郊外進出に本腰を入れる。1979年の大宮店を皮切りに83年に10号店、3年後に20号店となり、40号店に達したのは91年。大量生産・大量販売の幕が開き、メタルウッドも快調に売れた。 <h2>ヨネックスがJGAを訴えた</h2> 当時最大手のミズノはメタルの波に乗り遅れたが、それには理由があった。同社はこの時期、カーボンウッドの商品化に注力していたからだ。金属音のメタルよりもパーシモンに近いフルカーボンのヘッドに可能性を見出し、こちらを優先していたのだ。 この時期、虎視眈々とゴルフ市場への参入を狙っていたヤマハもカーボンウッドを研究していた。ヤマハは『ダンガン』のブームと同じ82年に『フォーカス』と『EX』を発売して、初年度20億円を売り上げたが、この成功には同社のスキー、テニスラケットのカーボン技術が貢献している。 ヤマハとのカーボンウッド開発競争に躍起だったミズノも『ヴァンガード』を投入して、これも成功を収めている。単一商品としては、同社の販売記録を塗り替えた。 さらに釣り竿で世界一のダイワ精工、ラケットのヨネックスもカーボン技術で追随し、80年代前半のクラブ市場は素材革新に沸き返った。ウッド市場は一時、メタルとカーボンが対峙する形で二分されることになる。 ところがその後、業界はひとつの「事件」に釘付けになる。ヨネックスがJGA(日本ゴルフ協会)を東京地裁に訴えた、前代未聞の「カーボンアイアン騒動」がそれである。顛末を簡単に振り返ろう。 1985年4月、JGAはヨネックスとダイワ精工が発売したカーボンアイアンに対して「金属主体のヘッドに異素材を使った物は規則違反」との指摘をした。同年10月1日に指摘内容を一部撤回し、ヨネックスの『カーボンアイアンB型』のみ適合としたが「ただしJGA主催競技では使用禁止」との条件を付けた。 その理由は「不適合のA型と適合のB型は見分けが困難」というものだったが、これに激怒したのが米山稔会長で、本誌の取材に怒りを爆発させている。 「冗談じゃあない。こっちは命賭けでやってんだよ。区別が困難とか、そんないい加減なことで禁止されちゃ堪らない。絶対に退かない、徹底的に戦いますよッ」 それで東京地裁に訴えた。前代未聞のことであり、ゴルフ界に君臨するJGAが肝を冷やした瞬間だった。敗訴すれば、莫大な損害賠償が請求されるからである。 結果はJGAが折れる形で「和解」となり、翌86年2月以降「公式競技」での使用を認めた。先行発売した「A型」は返品・回収等で莫大な損失を被ったが、ヨネックスは損害賠償を見送っている。GEW2001年10月号で、米山宏作社長が当時の心境を振り返っている。 「JGAを訴えたのはウチが初めてでしょう。あの頃ゴルフ事業の売上は8億円しかないのに、ヘッド交換等で12億円以上費やした。違反ヘッド(A型)を指摘されてから3か月で97%回収して、適合のB型に切り替えたんです。 そりゃもう、全社挙げて必死でしたよ。倒産の噂も流されましてね。ヨネックスブランドの威信を賭けて、ゴルフ市場から逃げなかった。 逃げたら負けだし、ラケット事業にも影響が出る。それで翌期は倍以上売って、翌々期は60億に手が届くまで成長したんだ。意地ですよ」 余談だが、この件を境にJGAは、ゴルフ規則とゴルフクラブの構造について慎重な姿勢をとるようになる。後年、ヘッドの反発性能に制限を設ける「高反発規制」が市場を賑わしたが、このときJGAは「使用禁止」の通達ではなく、「不使用の推奨」という表現を使っている。 ヨネックスがJGAに突きつけた刃は、それを知る関係者はほとんどいなくなったが、余韻として確実に残っている。(つづく)
    (公開)2023年06月19日
    列島改造論とバブルの萌芽 第一次ゴルフブームの到来は1957年。「第5回カナダカップ」(現ワールドカップ・霞ヶ関CC)で中村寅吉・小野光一組が個人(中村)と団体で優勝したのが発火点だ。日本人がスポーツで欧米の選手を負かすのは痛快事。以後、ゴルフ人気は急上昇する。 そのあたりの様子は、日本ゴルフ場経営者協会の資料に明らかだ。 カナダカップ優勝年のゴルフ場数は116、延べ入場者は193万3000人に過ぎなかったが、2年後には160コース、333万5000人となり、1000万人の大台突破は1964年、さらに1970年には2000万人に達している。 以後、オイルショックや田中内閣の「日本列島改造論」(地方と首都圏を高速道路網で結ぶ近代化政策・1972年6月〜)など、国内経済は派手な浮沈を繰り返しながらゴルフ場建設に拍車がかかる。 「改造論」は地方と都市の格差是正を目指す一方で、高速道路網の広がりによって二束三文だった地方の土地が高騰。その後、80年代半ばに本格化するバブル景気の伏線となるわけだが、本誌創刊の1978年は景気の乱高下が激しい時代だった。 この年、青木功が「世界マッチプレー」に勝って年間獲得賞金6000万円超の新記録を樹立。その前年には樋口久子が「全米女子プロ」を制して「チャコ・ブーム」を巻き起こしている。1978年のゴルフ場数は1371、入場者は4787万7000人で、翌年5000万人の大台を突破した。 <h2>大手企業の参入ラッシュ</h2> 70年代はゴルフ用品産業の潮目が大きく変わった時期でもある。それ以前は先述の「国内御三家」(マツダ、アリガ、銀座ゴルフ)から枝分かれした零細企業が点在し、関西では森田ゴルフなどの老舗から独立した者が多く、それぞれが地域の需要をまかなっていた。 ところが、70年代に入ると大手資本が陸続と参入して市場の風景が一変する。 マルマン(71年6月・現マジェスティゴルフ)、ダイワ精工(71年12月・現グローブライド)、アルペン(72年7月)、ヴィクトリア(72年10月)、ブリヂストン(同)、ゼビオ(73年7月)、藤倉ゴム工業(73年7月)などが代表的だ。 ちなみに国産第1号のゴルフクラブはミズノが1933年に製造した『スターライン』と言われており、1930年には極東ダンロップ(現住友ゴム工業)がゴルフボールを自社生産。その4年後にブリヂストンタイヤもボール製造に踏み切るなど、いずれも戦前にゴルフ事業を立ち上げている。 ところが、戦争がはじまると工場が接収されて軍需工場になり、ゴルフ事業の中断を迫られた。戦後も日本のゴルフ産業は復興せず、「舶来御三家」(ウイルソン、スポルディング、マグレガー)の隆盛期がしばらく続いた。国内メーカーの台頭は、70年代まで待たねばならなかった。 70年代に大型企業が参入したのは、ブリヂストンのこんな構想に代表される。同社は1971年1月に「脱タイヤ」の長期構想として1)住宅、2)海洋、3)スポーツ・レジャー、4)自動車関連部品に進出することを宣言した。 「スポーツ」はスポルディングを傘下に収める米クエスター社との折半出資(資本金3億円)で、1972年10月にブリヂストン・スポルディング社を立ち上げたが、その5年後にブリヂストンが全株式を買収して、ブリヂストンスポーツが誕生している。 同時期に「太平洋クラブ・マスターズ」が国内初の1億円大会(72年)を開催。このとき優勝したゲイ・ブリューワーは「ブラックシャフト」(カーボンシャフト)を使って注目を集めた。 ジャック・ニクラウスの「ダンロップフェニックス」(74年)参戦も話題となるなど、ゴルフ市場での出来事はことごとく大手企業の参入意欲を刺激した。事業の多角化と「ゴルフ」との相性は抜群に良かった。 <h2>『ダンガン』で市場が一変した</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/06/DANGAN1.jpg" alt="" width="788" height="686" class="size-full wp-image-77469" /> DANGAN 70年代のゴルフクラブは、柿材のパーシモンウッドとシンプルな鍛造アイアンが中心だった。マジェスティゴルフの杉山健三最高顧問は、マルマンがゴルフ市場へ参入したときの様子を知る数少ない職人の一人で、往時をこう振り返る。 「当時はマグレガーのウッドをコピーするように削ってましたよ。最高の素材は北米ミシシッピー川流域産の柿材で、参入後しばらくはパーシモンの時代が続いたんです。『いいカオを作れッ』て怒られて、必死に削ったもんですよ。 それが一変したのはメタルヘッドの『ダンガン』です。一気に市場が変わりました」 マルマンがステンレス製のメタルウッド『ダンガン』を発売したのは1981年だ。正式発売は82年という説もあるが、同社は81年に銀座ゴルフ商会で『ダンガン』を試験発売しているため、本誌では81年を『ダンガン』の発売年とする。 この製品が市場に与えた衝撃は、超弩級だった。 それ以前、ゴルファーはクラブの「カオ」(流麗な木目と形状)と打音を重視しており、金属音を発する『ダンガン』は懐疑的に見られていたが、物珍しさと「理論武装」、さらには大量宣伝が加わって予想外のヒットを飛ばす。 当初は月間5000本の販売目標だったが、発売直後に1万5000本に引き上げた。翌年には推定10億円の広告費を投じて「SPSS理論」を提唱。これはフェース面の6対4の位置にスイートスポットを統一するもので、ゴルフクラブの優劣を理論で競う「理論武装」の先駆けとなった。 それ以前、ゴルフクラブは「いいカオ」という工芸品的な要素が重視されたが、『ダンガン』以降は様々な開発理論を謳う「工業製品」へと一変した。 この成功に同業他社は大いに慌てる。なぜなら当時は、ヘッド素材の柿材を大量に在庫するメーカーが多く、その代表格が「クラブは工芸品」を主張する本間ゴルフだった。 本間敬啓社長はメタルを「おもちゃ」と中傷して、マルマンの片山豊社長と激しい舌戦をメディアで繰り広げる。GEWの古い誌面にもその「舌戦」は刻まれており、いずれ機会があれば紹介しよう。 メタルが普及すると大量の「柿在庫」が残り、経営悪化を招いてしまう。これを解決するためにパーシモンヘッドにメタルフェースを装着したり、柿材の中身をくり抜く「中空パーシモン」に異素材を充填するなど、苦肉の作も現れている。(つづく)
    (公開)2023年06月12日
    日本のゴルフは「1903年」に始まった 「日本のゴルフ」は1903年、六甲山頂に神戸ゴルフ倶楽部が開かれて誕生した。その8年後に初のパブリックとして雲仙ゴルフ場(長崎県)が開業する。 もう100年以上前の話で、当時は「ゴルフ産業」と呼べるような市場はなく、一部のマニアが楽しむ程度だった。以後、第二次世界大戦で多くのゴルフ場が「芋畑」となったが、終戦後は米・英軍に接収されて、将官専用のゴルフ場として復活した。 都内銀座界隈の焼け残りビルもGHQに接収され、進駐軍相手の商売としていくつかの「ゴルフ屋」が細々と生業を営んでいた。今のゴルフ工房やメーカーの走りである。 この商売は戦前からのマツダゴルフ(1930年創業)が代表格で、これに銀座ゴルフ商会、アリガゴルフの3社が御三家と呼ばれた。本誌78年9月号、近藤経一氏のコラム「炉辺雑話」に往時を振り返ったこんな下りがある。 「私は毎日のように松田君(編注・マツダゴルフ創業者松田久一氏)の店に行った。そして少し大げさに言えば、一週間に一本ずつドライバーを作ってもらったが、もっぱらそれを作ってくれたのが斉藤君(編注・元アリガゴルフ社長斉藤今朝雄氏)であり、二十歳前後の青年であった。 その時分は、安田幸吉君や浅見緑蔵君という松田君の顧問格の大プロ達も来店して、とても楽しい時代であった」 当時のゴルフ屋はメーカーの役割も担っており、顧客とプロと店主が密接な関係を交わす社交場のようであった。その頃の仕事内容について、マツダゴルフの社史「球のゆくへ」に松田綾子会長のこんな一節がある。 「当時、ヘッドの塗り替えは1本1ドルだった。その頃の1ドルは360円の円安時代。日本人にとっては大金なのに、アメリカ人には10円の感覚だったのね。 たった1ドルでこんなにきれいにしてくれて、安い、安いって言ってたもの。おかげでこっちは塗り替え1本やれば何日かは楽に暮らせたのよ」 敗戦の混乱が落ち着くと、ゴルフを再開する日本人が徐々に増えてきた。マツダゴルフは当時、進駐軍の将校から買った中古クラブを修理して、日本人に「10倍の値段で再販」していたという。銀座界隈を中心に、牧歌的に稼げる時代がしばらくあった。 <h2>ゴルフクラブを軍用機で</h2> その様子が一変するのは「アメ横時代」の幕開けによる。牧歌的な銀座のゴルフビジネスは終焉を迎え、喧騒に溢れる時代がはじまった。 戦後の闇市として栄えたアメ横(上野・御徒町)には、全国から生活物資が流入し、その後ゴルフ用品も大量に持ち込まれた。米兵やPX(米軍経営のショップ)の出入り商人が、輸入した米国製クラブの横流しをはじめたのだ。 たとえば正規仕入れで3万5000円だった『マグレガー』のクラブセットが、銀座では倍の7万円で売られていたが、アメ横では4万円を切った。出入り商人がPXに発注すると「舶来御三家」(マグレガー、スポルディング、ウイルソン)のクラブが軍用機で大量に運ばれてきたと、往時を知る業界関係者は話している。 その「アメ横」でゴルフ専門店の開祖は1950年創業のシントミゴルフで、終戦5年目のことだった。その後66年のコトブキゴルフ、71年の二木ゴルフとつづく。本誌94年10月号で、コトブキゴルフの木戸豊専務が次のように回顧している。 「シントミの渡邊明さんは銀座や上野で露天商みたいなことをしていてね、そのうち大量のゴルフクラブをリヤカーに乗せて、アメ横の道端で売り出したんだ。それから創業して本店を御徒町に構え、共同輸入組合みたいな組織のボスになったんです。20軒ほどに配給して、配給が受けられないとゴルフの商売はできなかった」 露天商からゴルフ屋のボス……。当時は似たような成功物語が数多あり、腕と度胸のある者がのし上がる時代だった。 <h2>売れねえじゃねえかッ!</h2> この地の商売人は向こうっ気が強く、いつまでも人の風下に立っている者ばかりではない。ほどなく自前のルートを開拓する者が現れて、菓子現金問屋を発祥とする二木ゴルフもそのひとつだった。同じ号で二木ゴルフの西脇弘部長は、 「ウチはね、シントミさんが扱わない物を仕入れました。ただ、社長(二木一夫氏)が渡米して集めたのは『ウイルソン』の2番アイアンだけとかね、舶来とは名ばかりの粗雑な物が多かったなぁ。 2番アイアンだけなんて、半分騙されたようなもんですよ(苦笑)。その在庫が大量に溜まって『ちっとも売れねえじゃねえかッ』て社長は怒っていたけどね」 今となれば笑い話だが、当時の焦りは容易に想像できる。 「大袈裟ではなく、倉庫の床が抜けるかと心配しましたよ(笑)。夜もおちおち寝られなかった」(西脇部長) 国内メーカーの台頭は、80年代の初頭を待たねばならない。それ以前は「舶来御三家」が飛ぶように売れるため、激しい争奪戦が展開された。『ウイルソン』の2番アイアンは、そのような熱気の産物だった。(つづく)
    (公開)2023年06月05日

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