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    ハッシュタグ「連載sdgs」記事一覧

    函館 先月号でお医者様のコンペに募金箱を、という趣旨の文章を書きました。それを北海道の二つの病院の理事長に連絡しましたところ、お二人とも快諾してくれまして、9月に行われた病院のコンペで募金箱を置いてくれました。 先月号の原稿を書き終わって、函館の医療法人・雄心会(伊藤丈雄理事長)の金子達也本部長に「チャリティ募金箱」を設置していただけないか、と問い合わせたところぜひにという回答をいただきました。 8月31日夕、函館の大沼プリンスホテルに出向きましたところ、レセプションのすぐ横にコンペの受付があり、何とそこには「障害者ゴルフの普及に向けて」と銘打ったSDGsの募金箱がありました。約束通り金子本部長が用意してくれたのです。お手製の心のこもった募金箱です。 金子本部長は「今回の募金は障害者ゴルフの普及を目指す運動に寄付したい」と説明してくれました。夜には食事を兼ねてのコンペ前夜祭が開かれ、その席で金子本部長は2025年7月に函館で第7回日本スティニュレーションセラピー学会学術大会を開き、その後、日本障害者ゴルフ協会の大会を開催する予定で、今回の寄付金をその運営資金に贈呈したい、と説明をされ、続いて私が募金箱設置の趣旨をお話させていただき「千円程度の募金を」と呼びかけましたところ参加者の皆様から強い拍手が起こりました。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/01/oonma.jpg" alt="" width="788" height="567" class="size-full wp-image-84712" /> 夏の大沼ゴルフコース。駒ケ岳が生える。 翌日は「北海道カントリークラブ大沼コース」でコンペです。快晴に恵まれ楽しいゴルフができました。募金箱には想像以上の寄付金が入っていたそうです。 <h2>釧路</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/01/kibori.jpg" alt="" width="788" height="339" class="size-full wp-image-84715" /> 大沼ゴルフコースのティーインググラウンドにある木彫りの熊。 それから2週間後の9月16日、釧路の社会医療法人・孝仁会(斎藤孝次理事長)のコンペです。前夜祭の会場には函館に置かれていた募金箱が移動していました。雄心会の金子本部長が来年の学会と障害者ゴルフ大会について協力を求め、私が募金の趣旨をお話いたしました。函館同様参加した皆さまから暖かい拍手をいただきました。 16日の阿寒カントリ―クラブはまたまた快晴になり、グリーンの難しいアンジュレーションに苦労しながらも、「誰でもゴルフが楽しめるように図るべきだね」とプレーの手を休め、障害者以外の課題についても話し合うなどSDGsの趣旨について理解を高めていただきました。 <h2>日本障害者ゴルフ協会</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/01/1kai.jpg" alt="" width="788" height="703" class="size-full wp-image-84713" /> 第1回日本障害者オープンのポスター。DAG提供。 様々な障害を抱える方々にゴルフを楽しんでもらおうと1991年、東京に「日本障害者ゴルフ協会(DGA)」が設立されました。その後、特定非営利法人となり、現在にいたっています。代表理事の松田治子さんは「今は三つの目標があります。①ゴルフをパラリンピックに、②次は誰もが楽しめるゴルフを③DGA を末長く続く組織に、です」とホームページに書いておられます。 DGAは「誰もがゴルフを楽しめる環境づくり」をモットーに、障害のレベルに応じた大会開催や国際交流や研修会など様々な活動を展開しています。競技活動では、1996年11月に「第1回日本障害者オープンゴルフ選手権」を栃木県のウイングフィールドゴルフ倶楽部(現パインズ日光ゴルフ倶楽部)で開催して以来連綿として続き、今年は11月に福岡県の麻生飯塚ゴルフ倶楽部で第29回大会を開きます。 この大会も始めのうちは参加者が少なく運営にも苦労しましたが、最近は人気が出て、今年の大会では参加者70人を募集したところ募集開始2日で定員を超える盛況となっています。 <h2>国際大会からパラリンピックへ</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/01/28.jpg" alt="" width="788" height="800" class="size-full wp-image-84714" /> 昨年、千葉県で行われた第28回日本障害者オープンのポスター。DAG提供。 DGAは発足当初から国際的な活動を視野に入れていました。 1997年に代表理事に就任した佐藤成定氏は世界の障害者ゴルフ団体との国際交流を進め、2000年にはアメリカの「切断者ゴルフ協会」NAGA (National Amputee Golf Association)のチャンピオンシップに選手3人と役員2人を派遣しています。 その年の日本障害者オープンゴルフ選手権にはアメリカから2人、オーストラリアから1人の障害者ゴルファーを招き、国際交流大会となりました。また、2005年からは日本障害者オープンゴルフ選手権に「グランプリの部」を創設し、世界の有数の選手が参加するようになり、2021年からは世界ランキング対象試合となっています。 <h2>プロ選手の支援</h2> いよいよパラリンピックへの機運が高まってきています。加えて、今年から堀川未来夢プロがDGAアンバサダーに就任されました。有名なプロ選手が後押しをしてくれるようになれば、DGAへの期待は一気に高まっていくでしょう。 函館から始まった募金箱は釧路を経て次にどこに飛ぶか楽しみです。募金額はいくらでもよいのです。世直しプランともいうべきSDGsに力を貸すことで、スコアが伸びないときでも気持ちが軽くなると思います。 <h2>不平等をなくす</h2> SDGsの 10番目は「国内および国家間の格差を是正する」趣旨ですが、具体的な目標が10 項目あります。今回はその中から4項目を挙げておきます。 1)2030年までに年齢、性別、障害、人種、民族、出自、宗教、あるいは経済的地位その他の状況に関わりなく、全ての人々の能力強化及び社会的、経済的及び政治的な包含を促進する。 2)差別的な法律、政策及び慣行の撤廃、並びに適切な関連法規、政策、行動の促進などを通じて、機会均等を確保し、成果の不平等を是正する。 3)税制、賃金、社会保障政策をはじめとする政策を導入し、平等の拡大を漸進的に達成する。 4)地球規模の国際経済・金融制度の意思決定における開発途上国の参加や発言力を拡大させることにより、より効果的で信用力があり、説明責任のある正当な制度を実現する。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年10月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2025年01月16日
    <h2>知られざる名コース</h2> 7月末、所用があり青森に行くことになりました。青森山田学園を5月に退任した後、初めての青森訪問でした。仕事が終わってから、懐かしい夏泊ゴルフリンクスを訪ねました。時間がなくプレーはできなかったのですが、陸奥湾を背にして広がる緑豊かなコースと深いラフは健在でした。 この夏泊ゴルフリンクスゴルフ場は知る人ぞ知る名コースで、週刊ダイヤモンド24年5月18日号の「ゴルフ場ランキング2024・隠れた名コース」部門で、全国第1位に選ばれています。 支配人の最上悟さんが面白い話をしてくれました。1995年の日本プロゴルフ選手権大会がここ夏泊で開催されたとき、あのジャンボ尾崎選手があまりの強風で試合を諦めて帰ってしまったということです。それほど風が強いコースなのです。 そしてもう一つ名物があります。深いラフです。フェアウエイから外れると、そこはもう高さ1mほどのラフが広がっているので一度入ったらほぼ諦めです。だからボールの用意が半端じゃない。私はいつも1ダース用意します。 階段の壁に最上さんとノーベル賞受賞者の本庶佑先生が一緒に移っている写真が飾ってありました。本庶先生は昔、弘前大学に勤めていたことがあり、夏泊ゴルフリンクスによく来ていたそうです。 本庶先生はノーベル賞受賞が決まった時の記者会見で、これから何をしたいですか、と聞かれ「夢はエージシュートです」と答えたほどのゴルフ好きです。今でもこのリンクスに来られるということでした。 日本経済新聞の「私の履歴書」によりますと、先生は2021年7月にスコア80で、見事エージシュートを達成されています。そして「ノーベル賞は天から降ってくるが、エージシュートは自ら手繰り寄せるものだ」と書いています。 <h2>医療支援</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/12/image2.jpg" alt="" width="787" height="591" class="aligncenter size-full wp-image-84339" /> 本庶先生はがん治療薬・オプジーボの発見者として知られています。 この薬により世界中のがん患者の多くが救われました。 地球上にはさまざまな病気がはびこっており、治癒できる病気は少なく、多くは治療すら未解決のままです。人類を取り囲む病気はまだまだ多いのです。 特に発展途上国では治療薬や治療施設が足りず、先進諸国なら簡単に治せる病気でも途上国では致命傷になることが多いのです。 本庶先生のような方がたくさん増え、新しい薬や治療法が確立されれば、地球上の多くの人たちが救われます。また、今ある薬を途上国に寄贈し、治療できる人々をたくさん送るなどの措置が必要です。 先進国の一人ひとりが、ちょっとだけ寄付するだけでどれだけたくさんの人が救えるか。ゴルフ場にユニセフなどの募金箱を置いてほしい。ロータリークラブやライオンズクラブなどの団体がゴルフ場に途上国の医療支援の募金箱を設置したらどうでしょうか。 一つのゴルフ場で全ての募金をするのではなく、その地域やゴルフ場の性格に合うような部分を支援することを考えたら良いと思います。 大きな企業がSDGsについて何か実践するときにはその企業の性格に合わせた部分を支援します。例えばスーパーなら廃棄物問題に、お酒のメーカーは水問題に、というように自分の会社に関連する課題に支援を贈るのが普通です。そのようにゴルフ業界も自社に合ったSDGs支援を送っていただきたい。途上国の子ども支援、医療支援、教育支援など何でもいいので一つでも気にかけてくれると世の中が動いてくるようになるのではないでしょうか。 私が見ている限り、SDGsに真剣に取り組んでいるスポーツ団体は案外少ないのです。有名スポーツ選手の中でもSDGs関連に気を配っている選手もまだ少ない。 これに対し、ゴルフ業界はかなり取り組んでいると思います。紳士淑女のスポーツであるならば世界全体の課題を気にするのは当然です。ゴルフ業界に胎動しつつあるSDGs関連の動きを加速させ、あらゆるスポーツの先頭を走っていただきたいのです。 <h2>途上国に思いやりを</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/12/image4.jpg" alt="" width="788" height="414" class="aligncenter size-full wp-image-84340" /> 私の友人でゴルフ好きのお医者様がたくさんいます。全国の医療機関では毎年ゴルフコンペを行っているところが多いと思いますが、そのコンペの際、途上国の医療支援の寄付を集められないでしょうか。参加費の10%を寄付するなど方法は問いませんが、何か世界の医療不足を手伝うようなムーブメンントが起こらないだろうかと思います。 医療団体などで途上国支援をしていることも多いと思いますが、それとは別に個人で、SDGsの、特に医療部門への支援を掲げていただけないものか。この夏から秋にかけて、私の友人たちのコンペでそう提案するつもりです。 ゴルフができる境遇は世界の中では富裕層です。多くの人々は治らない病に苦しんでいます。食べ物もない生活を強いられています。ゴルフができることに感謝して、ほんの少しでも途上国の現状を気にかけてみるようにしたら、世の中が少し変わると思います。 <h2>SDGsの3番目の項目は健康と福祉で</h2> 1)2030年までに、世界の妊産婦の死亡率を10万人当たり70人未満に削減する2)全ての国で新生児死亡率を少なくとも出生1000件中12件以下まで減らし、5歳以下死亡率を出生1000件中25件以下まで減らすことを目指し、2030年までに、新生児および5歳未満時の予防可能な死亡を根絶する 3)2030年までに、エイズ、結核、マラリアおよび顧みられない熱帯病といった伝染病を根絶するとともに肝炎、水系感染症およびその他の感染症に対処する、など13項目を掲げている。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年9月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年12月11日
    ゴルフ界のジェンダー これまでSDGsの話をいろいろ書いてきましたが多くは環境問題の話題でした。しかし、実はSDGsの半分以上は環境問題以外の世界平和や経済格差、教育、人権、ジェンダーなど世界の人々が平等に、豊かに生きていくことを訴えています。 世界では、多くの人々はその日の食事に困っています。女性差別が依然として残っている。戦争が多発しているなどの課題もあります。もう一度、図を見ながらSDGsの基本について考えてみましょう。 こう書き始めたところに古江彩佳選手がエビアン選手権で優勝したというニュースが入ってきました。メジャー優勝は史上5人目で、松山選手を除くと残る4人はみんな女子選手です。6月には笹生優花選手が全米女子オープンで2度目の優勝を飾っています。凄いと思いませんか。 SDGsの思いの中で重要な課題の一つにジェンダーありますが、今回は古江選手の活躍もあり、ゴルフ界のジェンダーについて、2022年11月号に続いて再度考えてみたいと思います。 古江選手は身長153cmでやや小さめの体格です。日本人のほとんどの男性は古江選手より大きいと思いますが、どうして古江選手のように飛ばないのか、また、うまくなれないのか、不思議な気がします。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/10/2408okajima2.jpg" alt="" width="1000" height="667" class="size-full wp-image-83626" /> 小柄ながら大記録達成の古江選手(ブリヂストンスポーツ<br />契約発表)。 もちろん古江選手をはじめ女子プロの方々は小さい時から血のにじむような練習を続けてきたからよく飛ぶし、技術も素晴らしいのだと頭では理解しているつもりですが、アマチュアのおじさんたちはなかなか飛距離が伸びない、上達しない、という悩みを抱えているので彼我の差を簡単に受け入れることが難しいのかもしれません。 日本の女子プロは強い、そして世界に通用する選手が続々と出てきています。人気も男子よりずっと高いのです。でも、女性のゴルファーは少ない。どうしてでしょうか。 <h2>紳士のスポーツ</h2> ゴルフ場で女性が冷遇されているといったことを22年11月号で書きましたが、まだまだ改善のスピードが遅いようです。中年のおじさんが幅を利かせているゴルフ愛好家の中では女性の待遇改善について話題になりにくいのかもしれません。 ひとつにはゴルフは「紳士」のスポーツだ、という精神を取り違えている男性が多いようです。「紳士」のスポーツを「男」のスポーツと間違えているのではないか。プレー中にたばこを吸ったり賭けゴルフをしてみたり、プレーファーストができない自分勝手なしぐさなど紳士にあるまじきゴルフをしている方々は紳士ではなくただの男です。 こうした状況に対し、女性を受け入れる時に「紳士・淑女」のスポーツと考えればいいのです。今はまだ古い時代の男尊女卑的な考えの中で紳士の雰囲気だけを盾に「ただの男たち」が女性の参加を阻んでいるとすら思えます。 世界では女性の総理大臣、社長もたくさん出ています。昔は体力のない女性は家にいて家事をこなすのが主流でしたが、今は21世紀、コンピューターの時代です。ほとんどの職業に男女差はありません。スポーツの世界でも、記録的には男女差はありますが、選手の扱いに差はありません。 イギリス発祥のスポーツの多くはフェアープレイを基本に置いています。ラグビーの基本は前に投げてはいけないことです。ゴルフでは成績が自己申告です。卑怯なことはしない、正々堂々と戦うことが基本。それ故、世界に広まっていったのではないかと感じています。その精神には男も女もありません。そういった基本を忘れて、形だけ真似をしている「紳士」がゴルフ界に少なからず存在するのが問題です。 <h2>もっと女性を</h2> ビジネスから見ても女性ゴルファーは未開拓の分野です。ゴルフ場でもメーカーでもお客を増やすチャンスなはずです。このブルーオーシャンになぜ真剣に取り組まないのか不思議です。 7月号でも「船中八策」で倉本昌弘氏が、ゴルフの普及活動に対してJGAなどにもっと力を入れるべき、と提唱していましたが、同感です。ここはゴルフ界を挙げて突き進まないと、ゴルフという遊びは忘れられていく恐れがあります。ゴルフ界の方々が他のスポーツや企業、社会の様々な分野に目を向ければ、ゴルフ界の女性進出が遅れていることに気がつくはずです。 日本は世界でも女性の社会進出が遅れていると言われていますが、少しずつ変わってきています。ゴルフへの女性参加が少ないことを社会のせいにしないで、むしろゴルフ業界が率先して女性参加の先進事例を創造していったら、どうでしょう。 例えば、ある条件を満たせばプレー費用を半額にするとか、貸しクラブを増やし、電車でもゴルフ場に行かれるようにする。女子プロ選手のテレビでの露出を奨励し、社会活動に積極的に送り出す仕組みを作るなど、画期的な変化を起こすような作戦を業界あげて作ったらどうでしょうか。 <h2>「貧困をなくそう」</h2> SDGsの第1章は「世界中の貧困をなくす」です。ジェンダーそのものに対してはまた別な項目がありますが、この貧困の項目でも女性の地位向上は重要な位置を占めています。 五つのターゲットでは、2030年までに、極度の貧困をあらゆる場所で終わらせる。貧困状態にある人々の割合を半減させる。各国において最低限の基準を含む適切な社会保護制度及び対策を実施し、貧困層に対し十分な保護を達成する。国、地域及び国際レベルで、貧困層やジェンダーに配慮した開発戦略に基づいた適正な政策的枠組みを構築する。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年8月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年11月11日
    ヨウスコウカワイルカ 最近読んだ雑誌『図書』2024年6月号(岩波書店)に、すでに絶滅したとされるヨウスコウカワイルカの話が載っていました。 このイルカは揚子江に生息し、体長は2.5m程度。淡水に棲むイルカとして有名でしたが、1990年代になって急激に減り、2006年の大規模な調査で生息が確認できなかったために絶滅が宣言されました。これは21世紀になって初めて大型動物の絶滅でした。 中国の工業化、魚の乱獲、船舶による水上輸送、ダム建設などの影響により激減し、特に揚子江中流にできた巨大ダム・三峡ダムの建設は、致命的な被害を与えたようです。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/10/2407okajima2.jpg" alt="" width="1000" height="762" class="size-full wp-image-83614" /> 揚子江を堰き止めた巨大な山峡ダム 雑誌では2006年の大規模調査に参加した日本人研究者・赤松友成さんの話が紹介されていました。勤務先の水産総合研究センターでクジラの音響調査を続けていた赤石さんは、1996年に中国でまだ生息していたヨウスコウカワイルカの鳴き声を録音していました。 イルカの鳴き声は普通、ソナー音とホイッスル音の2種類あるそうですが、ソナー音は見えない目の代わりの役割で、ホイッスル音は個体同士のコミュニケーションに使われるというのですが、赤松さんはこのイルカ特有のホイッスル音の確認を担当しました。 調査は2006年11月から12月にかけて38日間行われ、揚子江中流、三峡ダムから河口までの1669キロを調査船2隻が時速15キロ程度で往復したということです。船上からの目視と船室からのホイッスル音の調査が並行して行われましたが、ついに確認はできませんでした。 この時、調査船は片道で19830隻の大型船に遭遇しましたが、これは100m当たり1隻を超えている数です。ひっきりなしに大型船が航行していたということです。 <h2>生物の絶滅</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/10/2407okajima3.jpg" alt="" width="788" height="551" class="size-full wp-image-83616" /> 絶滅危惧種のオオルリシジミ。九州亜種と本州亜種の2タイプがある。(環境省HPより) この記事を読んで、私は何とも割り切れない気持ちになりました。地球上には人間以外の生き物がたくさんいます。その生きものたちがお互いに影響を受けながら何億年も生き続けてきたわけです。 海に生まれた生命体が次々に広がり、やがて陸上に進出し、多様な生きものが共存するようになった長い歴史があるのです。 しかしながら現在、多くの生き物が絶滅し続けています。天変地異による大量の絶滅もあったのですが、それよりも人間の活動によって絶滅した事例が多い。 46億年といわれる地球の歴史があり、生命は40億年前に生まれたと言われていますが、生きものの大量絶滅のほとんどは近代工業文明が発生してからのことです。特に1950年頃からの絶滅が悲惨です。 <h2>地球のバランスが狂ってきた</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/10/2407okajima4.jpg" alt="" width="788" height="525" class="size-full wp-image-83617" /> 絶滅危惧種のヤンバルクイナ。国の天然記念物で、沖縄本島北部の<br />山原(やんばる)の森に生息。(環境省HPより) そもそも、この地球上に生命が生まれ、そこから次々と新たな生きものが広がってきたわけですので、生きものたちはみんな親戚のようなものです。それを人間たちが絶滅に追い込んでいることは天に唾吐くことに等しいのではないでしょうか。 私たちは今も、薬品のほとんどを野性生物に頼っています。水や食べもの、木材、石油、鉄など生きていく上で必要なものすべてを自然からいただいています。 私たち人類は自然の中で生活し、自然とともに生きているのです。にもかかわらず、私たちは自然を痛めつけています。そして、自然が貧しくなれば私たち人類も貧しくなるのは自明のことなのです。 命の母体とも言うべき自然を痛めつけ、しかも気が付かないままこの消費文明を突き進めているのです。 一方、石油に代表される現代文明はついに私たち人類の生存をも脅かすところまで来てしまいました。地球「温暖化」も今では、温暖化ではなく地球「沸騰化」と言われるようになっています。いずれ平地での夏のゴルフが困難になるでしょう。甲子園の高校野球もどうなるか。 このまま手をこまねいていては手遅れになってしまいます。問題は人間の意識の改革です。それしか方法が見当たりません。 <h2>ゴルフのまち</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/10/2407okajima5.jpg" alt="" width="788" height="591" class="size-full wp-image-83618" /> ゴルフの街市原についての連携<br />協定を結ぶ小出市長(中央)と<br />PGA 吉村会長(左)、千葉プロ<br />会比嘉副会長(右)。(市原市HPより) ところで、私が住んでいる千葉県市原市には日本一の数を誇る33のゴルフ場があり、首都圏からのアクセスの良さから年間168万人がプレーを楽しんでいます。 実際、私の家に隣接して千葉国際があり、車で5分のところに浜野、10分で真名、ミルフィーユなどがあり、ハーフが終わった後、自宅で昼ご飯を食べることもできます。 市原市は子どもたちのゴルフ教室に力をいれており、小出譲二市長は「世界で活躍するゴルファーを育てたい。将来的に市原市が『ゴルフの街いちはら』から『ゴルフの聖地』と呼ばれるようにしたい」と語っています。 そして、紳士のスポーツを楽しむゴルファーにノブレス・オブリージュ(地位の高い人の義務)の精神を語り、各ゴルフ場に呼びかけ、里山の自然保護を進めています。 全国各地にこうした動きが広がるといいと思っています。 <h2>「レッドリスト」</h2> 世界の野生生物の絶滅の恐れのある種(絶滅危惧種)を選定し、まとめたものです。IUCN(国際自然保護連合)が作成しています。2012年2月に公表されたIUCNのレッドリストでは、ジャイアントパンダ、レッサーパンダ、ジャワサイ、アジアゾウ、チンパンジー、ソデグロヅル、ホッキョクグマなど哺乳類の20%、鳥類の10%、両生類の30%が絶滅危惧種とされています。日本における絶滅危惧種はコジュリン、ヤンバルクイナ、ハヤブサ、ニホンウナギ、オオルリシジミ、ゲンゴロウ、などです。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年7月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年10月23日
    <h2>氾濫する英字略語</h2> 北の国・青森にもようやくゴルフの季節が巡ってきました。早いところでは3月下旬から始まっていますが、やはり5月の連休明けからが本番です。久々のプレーに友人との話が弾みますが、今年は時節柄、環境の話題が多かった。 その中で、SDGsやESG、ESDなど様々な英字略語が使われていてそれがどうなのかよく分からないという声が聞かれました。今回はその点について説明したいと思います。 ところで、これらの略語に一つ共通しているのは「地球環境を守る」ということです。20世紀型の経済活動を続けていると、地球が、正確に言えば地球を覆っている大気圏のさまざまな仕組みが変調をきたし、現在生きているほとんどの生命が絶滅の危機に晒されているという現在の状況を直すための手段の一つなのです。例えば、温暖化がこのまま進めば地球上に生息しているほとんどの生物は生きていくのが難しくなる。これを何とかしようという試みである点では一致しています。 SDGs(持続可能な発展のためのゴール目標)は、自然の仕組みを壊さないように世界全体の経済発展をするための様々な目標、具体的な数値をまとめたものです。 ESG(環境・社会・ガバナンス)は、こうしたキーワードを軸に、企業活動や投資活動を行なおう、という考え方で主に経済界で使われています。企業にとっては、このESGが重要でしょう。 ESD(持続化可能な発展のための教育)は学校や社会、会社などで環境教育を普及し、一般市民の理解を高めていく活動です。 <h2>ハランベー</h2> こうした動きの中で真ん中に位置する言葉は「持続可能な」であり、英語ではsustainableです。この言葉が環境用語として使われるようになったのはいつごろからでしょうか。 1987年に「環境と開発に関する世界委員会」が公表した「Our Common Future(われら共通の未来)」という報告書に登場したのが初めてでしょう。この報告書では「将来の世代のニーズを満たしながら現在世代のニーズも満たす開発」が「持続可能な(sustainable)開発」である、と説明されており、以後、環境問題の主要言語として現在に至っています。 ところで、この「環境と開発に関する世界委員会」を作ったのは日本政府なのです。1982年5月、アフリカ・ケニヤの首都ナイロビで行われた国連環境計画(UNEP)管理理事会特別会合で、「ナイロビ宣言」などが採択されましたが、この時、当時の原文兵衛・環境庁長官が「環境と開発に関する世界委員会」の設置を提案しました。 私もこのナイロビ会議に参加したのですが、この提案にはかなり多くの国が賛同しました。それには原長官をはじめ日本代表の巧みな外交技術が功を奏したと思います。原長官は演説や各国代表との挨拶には必ずスワヒリ語で「ハランベー(よろしく)」と声を掛け、続いて「私の名前もハランベー(原文衛)」とユーモアたっぷりに相手、特に途上国首脳の気持ちを掴んでいったのです。 原長官がなぜこの委員会を提唱したのか、後にご本人から聞いたのですが、ナイロビに行くことが決まった後、鈴木善幸総理に会い、10億円の資金を要請したそうです。 国務大臣環境庁長官として会議に出る以上、世界が納得できる事業を提案したい、環境立国として世界に決意を表明するためにも資金が必要です、と説明した。鈴木総理はそれを聞いて了解してくれたということでした。 <h2>ブルントラント委員会</h2> この世界委員会は賢人会議とも呼ばれ、ノルウエーの環境大臣だったブルントラント女史が委員長に就任し、世界21か国の著名な方々が加わりました。日本からは経済学者であり外交官でもあった大来佐武郎さんが選ばれています。 委員会は2年半かけて世界をめぐりながら9回の会議を重ね、1987年5月、東京で最終会合を開き、報告書「our common future(われら共通の未来)」を公表しました。 ブルントラントさんは、その間、ノルウエーの首相になりましたが、委員長を辞めずにより精力的に取り組んでくれたのです。 委員会がロッシアで開かれた時、私はブルントラントさんにインタビューさせていただきました。その時には既に首相になられていたのですが、地球環境の課題について、委員会の意義について熱心にお話いただきました。 ブルントラントさんは、背はそう高くはなかったのですが、がっしりした体型で鋭い目をしていました。インタビューの途中で部下の方が書類を持って入ってきたのですが、片膝をついて説明をしていたのが記憶に残っています。 インタビューの最後に、日本がこの委員会を提案してくれたことに感謝している、と話していました。 日本のこうした努力が後に、この連載の第一回で書いた竹下元首相の活動に繋がり、1992年のリオデジャネイロの「環境サミット」を導いていったのです。 <h2>「われら共通の未来」</h2> 12章構成で、第1章で現在の環境課題を述べ、第2章で持続可能な開発に向けて、環境・資源基盤を保全しつつ開発を進める「持続可能な開発」の道程を提示している。次いで経済、人口、食糧、生態系、エネルギー、都市、海洋・宇宙・環境などの共有財産、平和、安全保障、第11章 平和、安全保障、開発と環境、学術研究国際的な法制度の充実などについて詳細な分析と方向性を打ち出している。邦訳は『地球の未来を守るために』福武書店1987年。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年6月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年09月28日
    アマゾンの英雄 1989年2月、私は南米のアマゾン川上流の小さな村にいました。1987年に国連の「グローバル500賞」を受賞したシコ・メンデスさんに会うためでした。メンデスさんが受賞した翌年に私も同じ賞をいただいた縁もあって、メンデスさんのインタビューを企画したのです。 しかしメンデスさんは私が村に着く前に射殺されてしまいました。 アマゾンの森林乱獲を防ぐ運動をしていたメンデスさんを憎む人たちがいたのです。政府の目を盗んで違法に伐採を繰り返していた地域の森林伐採業者です。彼らは暴力団を雇い、メンデスさんをつけ狙いました。そして1988年12月22日の夕刻、メンデスさんが自宅を出た直後に射殺したのです。 メンデスさんのお墓の前で奥さんが話してくれました。森林保護運動にのめり込んでからは命が狙われ続けていたそうです。メンデスさんは用心を重ね、変装したり、よその地域に逃げたりで森林保護運動もままならなかったようです。 しかし、メンデスさんの森林保護運動は周囲の国々まで巻込むほど強い運動に育っていきました。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/09/2405okajima2.jpg" alt="" width="600" height="419" class="size-full wp-image-82916" /> シコ・メンデスさんの家。世界的に有名な活動家だったが、自宅は小さな労働者向け住宅だった。 そんな状況に危機感を募らせた森林伐採業者たちは運動家を次々と暗殺し始めました。警察など全くあてにならない地域ですので、メンデスさんらは自分で自分を守らなくてはならなかったのです。 私が日本を発つ2か月前の出来事でした。メンデスさんに会って色々話を聞きたかった。そしてその手記を新聞に載せたかったのですが、日本を発つ直前に彼の訃報を受け取ったのです。 <h2>アメリカの視察団</h2> 私が村に着く前にアメリカの国会議員らがこの村を訪れていました。メンデスさんに会いに来たということでした。しかし彼らも私と同様に会うことができませんでした。その国会議員団と私はすれ違いでしたが、その中に若き日のゴア議員(後の副大統領)がいました。 団長は当時有名な自然保護家であり上院議員だったハインツさん。あの有名なハインツ・スープの御曹司です。当時はゴアさんよりハインツさんの方がはるかに有名でした。残念なことにハインツさんは後に飛行機事故で無くなってしまいました。彼が生きていれば世界の温暖化対策はもっと進んでいたのではないかと思います。 時が移り、ゴアさんは副大統領になり、世界に向けて環境保護の重要性を訴え続けました。有名な『不都合な真実』は彼の著作です。 <h2>副大統領晩餐会</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/09/2405okajima3.jpg" alt="" width="788" height="525" class="size-full wp-image-82917" /> 1999年6月18日、小渕首相はクリントン米大統領と首脳会談。この時の米国訪問で、小渕首相はゴア米副大統領とともに「市民代表会議」を行った それから10年後の1999年6月、私はゴア副大統領とお会いしました。当時、日本の首相は小渕恵三さんでしたが、小渕さんは環境保護や市民活動に熱心で、総理になって初めて渡米することになった際にゴアさんの晩餐会に日本の市民団体を連れていくことにしたそうです。ゴアさん側からの要請もあったのでしょう。 私は日本側の市民団体の代表の一人に選ばれ、ワシントンのある会館でゴアさん主催の晩餐会に出席しました。 主催のゴアさんの話は、まじめすぎてあまり面白みがなかったのですが、小渕さんのスピーチは抜群でした。ワシントンのポトマック川のほとりに植えられた桜並木(日本が寄贈)を引き合いに出し、日米両国の環境連帯を訴えたのです。大拍手でした。アメリカの友人たちが「やるねえ」と握手を求めてきたほどでした。 小渕さんはこれに先立ち、1993年の気候変動枠組条約の第3回締約国会議(COP3)が京都で開かれたときに外務大臣で、会場のNGOブースを訪れ「よろしく。市民と政府が一緒に頑張りましょう」と述べたのでした。それまでは日本の政府はNGOなど無視してきました。役人だって訪れたことのないNGOブースに、外務大臣が訪れ激励したのです。 みんな感激したのは勿論で、その時の様子がNHKニュースを通じて全国に流れました。私はこの瞬間、日本社会にNGOが認知される、と感じたことを憶えています。 <h2>闘い続ける活動家</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/09/2405okajima4.jpg" alt="" width="788" height="525" class="size-full wp-image-82918" /> アル・ゴア元米国副大統領 世界は広く、言論の自由や警察が機能しない所がたくさんあります。 そういった国々では、政府の指導者層の方針に逆らうと次々に殺されてしまうことがあります。 南米やアジア、アフリカのジャーナリストが何人も殺されています。みんな、国際会議や活動の現場で出会った正義感に燃えたジャーナリストたちでしたが、志半ばで凶弾に倒れてしまいました。非常に残念なことですが、これは現実のことです。先進国でもロシアなどでは政府にとって都合の悪い人間は粛清されると言われます。 地球温暖化を防ぎ、野生生物の多様性を守るといったことも誰かが言い出し、実践しないといつの間にか悪化していきます。最前線の方々が命を失うような活動をしていることに比べれば私たち日本の一般市民は楽なものです。せめて地域のさまざまな環境保護活動に力を貸したい。そして、小さな意識、行動が各地で積み重なって世の中が動きだすのだと思います。 <h2>国連グローバル500賞</h2> UNEP(国連環境計画)が、持続可能な開発の基盤である環境の保護及び改善に功績のあった個人及び団体を表彰する制度で、一般部門と青少年部門があり、毎年6月5日の世界環境の日に授与式が行われてきた。当初、1987年から1991年までの5年間に、約500人・団体を表彰する計画であったことからグローバル500賞と呼ばれたが、この表彰制度は1992年以降も継続されている。日本からは本田総一郎氏、原田正純氏、トヨタ自動車、北九州市、四日市市などが受賞している。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年5月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年09月13日
    <h2>SDGsはどこから来たのか</h2> 2015年9月、国連で参加193か国の全会一致で採択された文書があります。 「私たちの世界を改革する・持続化可能な発展に関する2030アジェンダ」と呼ばれ英文で36ページの文書です。世界を大きく変革していこうという趣旨で作られた世界の未来を方向付ける内容で、その中の14ページから28ページまでが「SDGsとその目標」であり、私たちが話題にしているSDGsなのです。 なぜ、こんなことを詳しく書くのか。それはSDGsに秘められた本来の意味を伝えたいからです。SDGsが書かれている元の文書の表題は、「私たちの世界を変革する」でしたね。これは世界を根本から変えていこうという意味です。 この文書で使われている「変革する」は、英語ではtransformingとなっています。transformingはデジタル・トランスフォーメイション(DX)やグリーン・トランスフォーメイション(GX)などにも使われているように、大きな変革を意味します。原型をとどめないような変革です。 これまでの人類の歴史の方向を大きく変えようということです。21世紀にその大変革をしないと人類は生き延びることすら困難になるという世界共通の意識があるのです。 DXやGXと呼ばれる世の中の大変革もその流れの中心にあるでしょう。その他にも貧困の撲滅、南北格差の解消、教育の普及など課題が山積しています。こうした現代の矛盾点を思い切って改革しないと人類の未来はない、という危機感です。 <h2>時代を読む力</h2> 経営で最も重要なことの一つに、時代の流れを的確に読み取ることがあると思います。この、地球大変革やDX、GXの流れを理解しないと経営はいずれ傾くでしょう。 私の父は横浜で土建屋をしていました。戦争から帰還し、闇市などで稼いでいるうちに縁あって鉄骨の組み立て業、そして建設業と発展していきました。景気の良い時には職人を連れて台湾などにも遊びに行っていましたが、ある時、東京の六本木で6階建てのマンション建設を請け負いました。かなり大きな仕事だったので父は張り切って、材料の仕入れまで一括で行う契約をしました。あの時の父の張り切った顔は今でもよく覚えています。 しかしその直後、第4次中東戦争(1973)が始まったため材料は全て大きく跳ね上がり、大赤字を抱えることになってしまいました。その傷がもとで会社は3年後に倒産。 湾岸戦争の危険は新聞等で盛んに報じられていましたが、父はそういった時代の流れをつかみそこなったのです。 私はゴルフ業界も世界の潮流を知るべきだと思います。日本のゴルフ業界はDXやGXという流れを掴み切っていないのではないか、と危惧しています。 いきなり世界の変革なんて大きなことを言われてもピンとこないでしょうが、大きな流れだけは掴んでおいていただきたい。 <h2>温暖化とゴルフ</h2> 例えば夏のゴルフに課題が出てきています。40度にもなれば、日本の平地でのゴルフはかなり危険になります。いや、ゴルフだけでなくどの屋外スポーツもできなくなる恐れがあります。これは明らかに地球温暖化の影響でしょう。 夏のゴルフは標高の高い所や東北・北海道もしくは外国ということになるかもしれません。それとも冷房がよく効いた室内ゴルフで、コースを回るように楽しむ人が多くなるのでしょうか。南の国の方々はどうするのでしょう。想像がつきません。 こうした状況への対策は業界全体の課題です。温暖化、気候変動による負荷は今後大きくなることを前提に運営計画を組み立てていかなければいけません。 また、温暖化防止に向けた活動にも積極的に取り組むべきでしょう。環境保全にしっかりと取り組んでいることを評価する一般ゴルファーが増えるかもしれない。 世の中が変わっていけばまた違った運営が必要になってきます。今は当たり前のことでも、この先の世の中の変化を読み取れば、変えていかなければなりません。 <h2>ゴルファーは社会的影響力がある</h2> ところで、ゴルフ場の会員の皆様の多くは地域の有力者です。銀行、企業、役所などのトップがほとんど会員であり、社会的影響力のある方ばかりです。 今、その方々のお力を結集できないでしょうか。地域の実力者の方々がチームを作ればかなりのことができると思います。どなたかが声を出せばすぐに新しいことができる可能性が高い。 地球大変革でなくとも地域大変革の動きを作りだしたらいかがでしょう。ゴルフ場とその周辺を整備してきれいな里山を作る。地域の人々がゴルフを楽しむような活動をする。郷土料理や芸能、食事などアフターゴルフを楽しむ工夫をして外国人客を誘致し、経済の活性化を図る。また、貧困に苦しむ国へのチャリティゴルフなども良いでしょう。 地域のリーダーであるゴルファーの方々の奮起を、心よりお待ちしています。 <h2>世界を変革する:2030年持続可能な開発のためのアジェンダ序文</h2> このアジェンダは、人々、地球、そして繁栄のための行動計画です。(中略)特に極度の貧困を根絶することは、最大の世界的課題であり、持続可能な開発に不可欠な要件であると認識しています。すべての国とすべての利害関係者が協力的なパートナーシップでこの計画を実施します。(中略)私たちの惑星を癒し、保護することを決意しています。私たちは、世界を持続可能で回復力のある道へとシフトするために、緊急に必要な大胆で変革的なステップを踏み出すことを決意しています。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年4月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年08月29日
    ハワイでのゴルフ この正月に友人二人とハワイでゴルフをしてきました。以前は毎年のように行っていたのですが、学校の仕事が忙しく、またコロナがあったため長らくご無沙汰していました。8年ぶりでしょうか。 私がいつも行くのはハワイ島のコナにあるワイコロア・リゾートで、ヒルトンホテルが経営しているコンドミニアムです。部屋はコースに面していて、朝のコーヒーを飲んでいる人のすぐ目の前でティーショット。うまくいくと「ナイスショット」と声がかかります。 のどかな気分でゴルフができるのが良いところです。また、私が特に気に入っているのはOBがほとんどない点です。広いフィールドのどこに飛んでいこうがまずOBはない。そこから打てばよいのです。時たま海に落ちたり、溶岩の間に飛び込んで回収不能がありますが、ほぼOBの心配はなく気持ちよく打てます。 OBがなく広い青空の下で伸び伸び打てるので案外スコアは良くなります。私には合っているゴルフスタイルです。ま、下手は下手なりの楽しみを見つけるもんですね。 <h2>98歳の名人</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/08/2403okajima2.jpg" alt="" width="788" height="443" class="size-full wp-image-82512" /> レギュラー・ティから打つ山田さん。98歳とは思えない強烈な振りでした。 ハワイに来ると必ず思い出すのが山田21のオーナーである山田真早志さんです。最近は車いす生活のためゴルフはされませんが、98歳の時にゴルフをご一緒させていただいたのが最後のラウンドでした。 山田さんとは年に何回か、七、八年にわたりプレーをしましたが一度も勝てませんでした。山田さんはいつも80台を出され、私は90を切ることができませんので、当たり前ですが、とにかくどんな時でも基本はボギーなのです。 パー4の場合、私は200ヤード程度ですが山田さんは160ヤードで、ここでは私が一歩リードです。しかし、山田さんは必ず3オン、2パットでボギー。私は2オンを狙ってバンカーにはまったりチョロしたりで大体3、4オンで、下手をしたら3パット。このようにして、引き離されていく。終わってみれば10ストロークぐらいの差になる、というのがいつものパターンでした。 間違いなくボギーオンを続け、2パットが基本で、たまにパーとダブルボギーが交差する。そして調子が良ければ80台、というのが普通のアマチュアの基本だと思うのですが、実践になると欲が出てつい力む。その結果100をオーバーなんてことになります。 ここで言いたいことは、軽く振っても3オンは可能であり、あとは2パットを決めることなんですね。 山田さんは寸分狂わずこのペースを維持できるんです。何しろ公式戦でエイジシュートが78回、80過ぎてからはほとんどエイジシュート、若いころはシングルだったというのです。怪物のような山田さんはきっとこのハワイでのプレーのように軽く楽しんでおられるのだなといつも思うのです。 <h2>力まないでSGDs</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/08/2408okajima.jpg" alt="" width="756" height="756" class="size-full wp-image-82511" /> 熱い日差しを浴びてコースを進む。右側にはコンドミニアムが並ぶ。 ゴルフの名人が言うように、何事も力むとよろしくありません。でもこれは全てに当てはまるのではないでしょうか。 SDGsにおいてもそうです。あんまり生真面目にやろうとすると人はついてきません。いや、やろうとしても続かないのです。ちょっと遊び加減を入れて進めていかないと人はなかなかついてきません。 なるべく余裕のある試みをすることです。多少のズレや失敗があっても気にしない。少しでも進展していればそれでよし、とするのです。 例えば、30by30にしてもゴルフ場が推進しようとする場合、日の長い時に近所の子どもたちに林の中で自然遊びをしてもらい、樹木の数や樹種を調べる。虫取りをする。また、高校生や大学生、大人らに動物調査をしてもらう。しっかりした指導員がついていれば、それだけで健全な生態系が維持されているかの調査になります。 その調査結果を写真や図などにまとめてレストランに展示しておくのも良いでしょう。案外、お客様が反応すると思います。子供の頃を思い出して話が弾み、力みが消えるのではないでしょうか。そしてスコアが良ければ皆さん喜ぶでしょう。 キャディさんにも勉強してもらって、ゴルフ場回りの林や鳥、虫、小動物の状況がプレーの合間の話題になれば、またそれも力みをなくすことにも繋がるでしょう。ゴルフを通しての環境教育です。 日本では、女性や子どもが環境問題に敏感で、おじさんはかなり鈍感なのです。女性ゴルファーにも理解を深めてもらい、ゴルフ場での話題をリードしていただければことはスムースに運ぶでしょう。 しかし、おじさんたちは問題に気が付くと力を発揮します。ゴルフを通じて社会的影響力のある方々が環境問題に立ち向かってくれると、課題解決に向けて大きく前進すると思います。 <h2>30by30の要件</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2022/11/okajima3.jpg" alt="" width="567" height="801" class="size-full wp-image-74397" /> 30by30の認証に必要な手続きや仕事が書いてあります 30by30についてはこの連載18回で詳しく説明しましたが、2030年までに世界の陸域の30%、海域の30%を自然度の高い地域とする計画です。現在の日本では陸域の20.5%、海域で13.3%が保護地域ですが、環境省はこれに「保護地域以外で生物多様性保全に資する地域(OECM)」を加えて30by30を達成する計画です。このため環境省では昨年から「自然共生サイト」を選定しています。ゴルフ場ももちろん参加OKです。 その条件は1)境界が定まっていること2)管理する人と土地があること3)生き物が正常な形で生きているか確認できること4)保全のための管理やモニタリングができることの4点です。 Word設定=1行17字×30行×2段 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年3月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年08月16日
    人と自然の関係 「人はどう生きるか」。人間は遥か昔からこの課題を追求してきました。宗教、哲学、様々な思想など、いつの時代も考え続けてきました。最近ではその延長線上にあると思われる環境思想や環境哲学と呼ばれる分野の研究を目にすることが多くなってきました。それは地球環境問題が深刻化しているためでしょう。 長い間、自然は人間より遥かに大きく強かったのです。それが三百年ほど前からの業革命以来、人間は自然に対する畏敬の念を忘れ、開発の対象としてしまいました。科学技術が急激に発達し、大規模な自然破壊が行われるようになり、第二次世界大戦後はその勢いが増して大規模な公害、自然破壊が世界各地で発生するようになりました。 それでも一九八〇年代までは各国の一部地域での現象でしたが、九〇年代に入ると地球温暖化や野生生物の減少などの課題が世界中で一斉に噴き出してきました。 これは、世界各国で積もり積もった人間生活の垢、すなわち二酸化炭素やプラスチックごみ、熱帯雨林の減少などの問題が地球上にあふれかえってきたということを示しています。その結果、人類をはじめあらゆる生物の存亡の危機まで言われるようになってしまいました。 <h2>新たな思想の動き</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/05/2402okajima3.jpg" alt="" width="788" height="360" class="size-full wp-image-81412" /> 熊沢 蕃山(1619-⊶1691)江戸時代初期の陽明学者。<br />岡山藩に仕え、山林政策を展開したが、後に幕府に左遷<br />された。後に幕府が実施した「諸国山川の掟」は蕃山の<br />仕事を下敷きにしたと言われている。 一九九三年六月、私はシカゴで開かれたアメリカ哲学学会に出席しました。哲学学会で初めて環境倫理部会が開かれたのです。活発な意見交換があり、二一世紀の哲学をリードするのだという活気にあふれていました。環境問題に哲学や倫理学が乗り出してきたのです。 環境問題の基本は「人と自然」の関わりです。人間の活動が地球(自然)の浄化力を過ぎた時に環境破壊が発生します。 人間活動の過剰な要求が地球全体を壊し始めている、と気づいた人たちが環境を守るための新しい生き方を模索し始めた時期だったのでしょう。こうした動きが環境思想や環境哲学、環境倫理と呼ばれる研究分野を切り拓いていったのです。 ノルウエーのアルネ・ネスはディープ・エコロジーという考え方を提唱し、西欧社会に大きな影響を与えました。また、アメリカのリン・ホワイトは「ユダヤ・キリスト教が悪い。人間を他の生物より一格上に位置づけ、人間は自然を自由に使ってよろしい、と説いているのが環境破壊を促したのだ」という主張を展開しました。 キリスト教側は「人間は神から自然を管理するよう任されているのだから人間は自然を守るべきで、キリスト教では自然破壊を進めているわけではない」と反論するなど大論争に発展しました。 七〇年代、八〇年代には、アメリカで大きな環境保後運動が巻き起こり、環境思想家の祖とも言われるヘンリー・ディビッド・ソローやアルド・レオポルドなどが再評価されました。 ヨーロッパでも激しい環境保護運動が巻き起こり、「哲学や思想を語るだけで現実に国や社会を変革しなければ意味がない」と主張する人々が「緑の党」を結成し、今日に繋がる活躍の基礎を作りました。 <h2>日本の思想</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/05/202402okajima2.jpg" alt="" width="798" height="410" class="aligncenter size-full wp-image-81410" /> 環境思想、環境哲学、環境倫理といった分野はお互いに重なりあって紛らわしいのですが、ほぼ同じような分野の研究とみて良いでしょう。最近は新人世などと指摘する意見も出ています。いずれにしても人間のこれまでの生き方、価値観を転換すべきという方向では一致しているようです。 ところで、日本でも江戸時代から様々な環境政策が実施されていました。有名な熊沢蕃山は岡山藩の植林を実施して洪水を防ぎ、幕府の森林政策の先頭を切りました。石田梅岩は心学の基礎を築き商業の有用性を説いたことで知られていますが、資源の無駄使いを防ぐため倹約を奨励しました。いずれも自然の一部としての人間という意識が根底にありました。当時はどの村でも里山を維持し、人間以外の動植物と共存する世界を守っていたのです。 しかし、明治以降、西洋の文化や技術を崇拝するあまり、日本の良いところを次々失っていきました。自然との関係についても開発優先に走り、環境破壊も引き起こしました。 それから一五〇年を経た現在、生物多様性の保全という立場から、30by30の推進など、里山にみられるような自然との共生関係は世界的に見直されつつあります。 <h2>21世紀を生きる</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/05/202402okajima4.jpg" alt="" width="1000" height="443" class="size-full wp-image-81413" /> ヘンリー・ディビット・ソロー(1817-1886)アメリカの思想家。<br />著書に「ウォールデン 森の生活」がある。彼の主張である<br />「市民の抵抗」は後にガンディーに影響を与え、さらに黒人解放運動の<br />キング牧師に引き継がれた。 近代文明が迷走する中で、今こそ人類の過去と現在のすべての知恵を出し合い、将来の人類の基本的な生き方の方向を決める努力をすべきです。古今東西の智慧を引っ張り出してきて世界中で議論を重ね、新たな生き方の指針を生み出していく。それが環境思想、環境哲学、環境倫理などの目標です。 このまま人間活動がますます大きくなると、この地球はどうなっていくのでしょうか。 皆様、ゴルフをしながら自分の孫子の時代を連想してみてください。あと50年後の地球はどうなっているのか。私たちが地球を壊したらどうなるのでしょうか。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/05/202402okajima5.jpg" alt="" width="826" height="400" class="size-full wp-image-81414" /> アルネ・ネス(1912- 2009)ノルウェーの哲学者。<br />ディープエコロジーの提唱者であり、20世紀後半の環境保護運動に<br />大きな影響を与えた。有名な登山家でもあり、戦後まもなくヒマラヤで活躍した。<br />生態学的ビジョンに加え、ガンディーの非暴力の影響を受け、直接行動にも参加した。 <h2>ディープ・エコロジー</h2> アルネ・ネスはディープ・エコロジーの主張を次の七点に集約した。 1)生命体や人間を個々の独立した存在ではなくお互いに関連しあう全体としてみる 2)人間中心主義ではなく生命圏平等主義を主張する 3)生命の多様性と共生を重視する 4)南北間経済格差の問題も含めた人間社会における差別や抑圧に反対する 5)環境汚染や資源枯渇に対して断固闘う 6)生命や自然環境は多様で複雑なのであって混乱ではない 7)地方自治体と分権化を推進する <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年2月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年05月19日
    一本の線 最近、『中部銀次郎 ゴルフ 心のゲームを制する思考』(本條強著、日経プレミアシリーズ)を読んで、こんな文章に出合いました。 「ショットは1回ずつ行いますがそれぞれ打ったら『ハイ、おしまい』ではありません。ショットは続けるものであって、分断してはいけないんです」 「ショットを打つ前に、ティグラウンドからグリーンまで1本の線をひいてみる。そうすれば、ショットをつなげる意識ができてきます」 この文章に触れて私は「山登りと一緒だ」と思いました。誰も登ったことがないヒマラヤの大岩壁などの難しい山を登る時、頂上から一筋の線を引きます。登りやすいルートを選ぶのです。 しかし、実際に登り始めると絶望的な場面にぶつかります。しかしそこからまた可能性のあるルートを探します。たった1%であっても可能性を探すのです。一度下がって右に左に移動してまた登れるルートを探し、トライするのです。どんなに難しい壁でも弱点はあるものです。 様々な困難を乗り越え、苦闘を重ね、1%の可能性を結び付けながら切り開いたルートは美しい。初登頂の一本の線、大岩壁に新しく切り拓いた初登攀の一本の線はそのまま登山の歴史に残ります。 ゴルフでも、うまくいった場合の1本の線は綺麗な形状になるのではないでしょうか。 <h2>自然の中で</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/03/yama2.jpg" alt="" width="788" height="822" class="size-full wp-image-80879" /> 1980年5月、日本山岳会がチョモランマ(エベレスト)北壁という大きなキャンバスに刻んだ初登攀のルート(青い線)。苦闘の末に描き上げた美しい1本の線である。 ゴルフも登山も自然の中でプレーをします。風や雨、霧など自然現象に対応しなければなりません。登山では風雪、高度、分厚い服装、重い装備など強烈な負荷がかかります。だから、対戦相手は人間ではなく山なのです。人間との駆け引きではありません。ゴルフでも対戦相手はコースだと思える時があるのではないでしょうか。 ヒマラヤのような雄大な景色の真ん中いる時、また美しい自然に囲まれたゴルフコースでプレーをしている時、ふと「人間は小さな存在だ」と感じる瞬間があります。 自然との関わりが強い遊びほど、人間は自然の威力を感じ取る度合い が強いようです。 一方で、私たちの多くは自然を改変して便利な生活を送っています。森林を開拓して農地や都市を作り、道路を作る。飛行機が日夜飛び続けている。ありとあらゆるところで人間の力が自然を圧倒しています。 私は70歳になった時、東京の都心から房総半島の山の中に居を移しました。便利ではあるけれど自然の息吹が感じられない都市生活が苦になったのです。 自然と調和した町や村などの小さな単位の居住地には安定した美しさが見えます。村の背後には人間生活と自然が滑らかに混ざり合っている里山がある。そんな田舎で生活したくなったのです。それに、転居先近くにはたくさんゴルフ場があったことも大きな理由でした。 <h2>自然との折り合いをつける</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/03/yama3.jpg" alt="" width="548" height="341" class="size-full wp-image-80880" /> 房総半島の里山にある我が家。千坪ほどの敷地に緑があふれる。イノシシ、キジ、タヌキなど<br />動物もたくさん住んでいる。 何といっても私たち人間は地球という惑星の中だけで生きている。地球を自然の総体とすると自然を壊しすぎては生きていけません。人間は自然と程よく付き合っていかなければなりません。 地球環境問題でも温暖化と野生生物保護の課題が重要です。温暖化の大きな要因は、数十億年かけて地中深く埋め込まれた炭素を、化石燃料として再び掘り出し燃焼することで炭素を大量に空中に戻す行為です。また、熱帯雨林を大量に伐り、里山を放置しています。 簡単に言うと、人間活動が行き過ぎているのです。ではどうして行き過ぎてしまうのでしょうか。それはあくなき人間の欲望でしょう。 その結果、特に20世紀以降、自然は壊れ、温暖化が進み、地球の表面の生物圏に大きな異変が発生してきました。 <h2>環境思想の登場</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/03/yama5.jpg" alt="" width="548" height="357" class="size-full wp-image-80881" /> 日本の典型的な里山。川があり、田んぼがあり、背後に里山がある。<br />里山からは薪、山菜、キノコなどの恵みを得ることができる。植生も人間が管理している。 房総半島に移ったのは正解だったと思っています。山の中なので自然は身近にあり、季節の移ろいは肌で感じられます。ゴルフ場が近いというのもいろいろ楽です。 これからはITが発達し、移動距離が問題にならなくなるでしょう。東京にいなくても仕事はできる分野が増えると、地方に住んでも東京に住んでも良い。好きな所に住み、仕事をする人が増える、という時代になります。人が移動する分だけのエネルギーが削減され、二酸化炭素の排出量も減る。 私は家族の反対を押し切って東京から一人で森の中に移動したのですが、これからは当たり前のことになるでしょう。そして自然と人間との関係も緩やかに変化していくのではないかと思います。 最終的には、「自然と人間が対立する関係」ではなく「自然の一部としての人間」という考えに収斂していくような気がします。こうしたことをいろいろ考えるのが環境哲学、環境思想という研究分野です。詳しくは次回に書かせていただきます。 <h2>「SATOYAMAイニシアティブ」</h2> 国連大学高等研究所と環境省によって推進されている国際的な取組みです。里山のような二次的自然が、人の福利と生物の多様性の両方を高める可能性があることに着目し、人間と自然環境の持続可能な関係の再構築を目指します。 里山とは、集落、人里に接した山において人間の影響を受けた生態系が存在している状態を指す言葉で、水田や雑木林、ため池、鎮守の杜、など様々な要素がモザイクのように入り組んだ環境を指します。この里山を見直そうという動きが世界で始まっています。] <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年1月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年03月31日
    <h2>皇居の森</h2> 読売新聞記者時代に「皇居の森と動物たち」という連載記事を書いたことがあります。皇居のうち、東御苑は一般に開放されていますが、他は入場が制限されています。関係者が入場できるだけで、一般の人は決められた時以外は入れません。 このため東京のど真ん中にある割には動植物も豊富で、自然は武蔵野の面影を残しています。特に吹上御殿は当時、手付かずの森のようになっていました。 カラスが増えて困った時期に、職員がカラスの巣を叩き落すことができませんでした。何事も自然のままにしておきなさいと言う陛下の命令があったからでした。 取材に応じてくださった本田正次東京大学教授は、ある時、吹上御所を散歩中、陛下から「これは何という名の花か」と尋ねられ、「ただの雑草です」と答えたところ、陛下が「本田、雑草という名の草はない」とおっしゃったそうです。本田先生は 「あの時ぐらい恥ずかしかったことはありません」と話しておられました。 「雑草という名の草はない」というお言葉について、牧野富太郎博士が天皇陛下にお話ししたというのが本当だ、という話がありますが、私は本田先生からこの話を直接聞いています。おそらく牧野博士が陛下にお話しになって、それを本田先生に話されたのではないかと思います。 いずれにしても、昭和天皇が豊かな自然を維持されておられたことは確かです。 ところで、戦前にはこの森はゴルフ場だったそうです。陛下はとてもゴルフがお好きで、赤坂離宮や沼津や那須の御用邸にもゴルフコースがありました。 <h2>日英皇室による親善ゴルフ</h2> 昭和天皇はゴルフがお好きで、お若い頃は日曜日ごとにプレーをされていたこともあったようです。その中でも有名な話は、1922年4月、英国皇太子・エドワード殿下(英国王エドワード8世)との間で行われた親善ゴルフマッチです。 現在の駒沢公園にあった東京ゴルフ倶楽部で9ホールのマッチプレーを楽しまれました。結果は、英国が1点差で勝ちました。 ゴルフを最高レベルの場に活用され、1点差で相手に花を持たせるという見事なお相手ぶりでした、と言われていますが、私は、お二人はお互いを尊敬しつつ正々堂々とプレーをされたのだと思います。 エドワード8世は後にこのマッチプレーを「歴史に残る東洋と西洋との出会いであった」と書いておられます。このプレーが思い出に残っていたのでしょう。 <h2>ゴルフ中断</h2> 昭和天皇は16歳のころからゴルフを始められ、長く楽しまれたのですが、戦火が厳しくなる昭和12年ごろにおやめになった。 野球が敵性スポーツだと排斥されるようになった空気が影響したのでしょうか。 戦後、昭和天皇は吹上御所を人間の手付かずの森として扱われたのですが、どのようなご心境だったのでしょうか。今となっては誰にも分かりません。第二次世界大戦という大変な人類の不幸を、身をもって体験され、深く思うところがあったのかもしれません。 本田先生はその点については何も語りませんでしたが、「昭和天皇のお話からは、自然について、小さな花も樹木も、ともに生きているのだから、という思いが強く感じられました」と話していました。 <h2>戦争とゴルフ</h2> スポーツは平和が前提です。ゴルフも戦争が始まれば、できなくなります。それどころではない、ということです。地震や津波など大きな災害の時もそうです。 しかしながら現在、人類はウクライナで、ガザで、戦争を続けています。一か所で戦争が始まれば、世界のバランスが崩れ、あちらこちらへと戦火が広がります。 戦争は最大の環境破壊だと言われています。また、世界の軍備に係る費用の1%でも環境保全に回せば、保全活動は大きく前進するという指摘もあります。 地球温暖化が進み、地球上の全生物の危機が迫りつつあるのに、人間は膨大な費用と時間をかけて、地球を破壊する行為を続けています。一方で温暖化防止に懸命になっているのに、一方で地球を傷つけ破壊し続けているのです。何かがおかしいと思います。 近代文明は、自動車を発明し、飛行機を作り、病気を大きく削減したのですが、その反面、人間以外の多くの生物を絶滅に追い込み気候変動を引き起こしているのも事実です。 これは人間の生き方、価値観の問題とも言えるでしょう。宗教が長い間人間の過剰な行動を戒め、規律を作ってきたのですが、第二次世界大戦以降はその宗教の影響力は徐々に弱まっているようです。 人間の欲望は限りがありません。地球環境の危機に面して私たちは、この欲望のコントロールを再度考えてみる必要があるようです。環境思想や環境哲学というものを構築していく必要があると思います。 <h2>SDGs16条「平和と公正を全ての人に」の主な目標</h2> 1)あらゆる場所において、全ての形態の暴力及び暴力に関連する死亡率を大幅に減少させる。 2)子供に対する虐待、搾取、取引及びあらゆる形態の暴力及び拷問を撲滅する。 3)国家及び国際的なレベルでの法の支配を促進し、全ての人々に司法への平等なアクセスを提供する。 4)グローバル・ガバナンス機関への開発途上国の参加を拡大・強化する。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年12月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年02月17日
    カーボン・クレジット市場 東京証券取引所は10月11日、二酸化炭素の排出権を取引する「カーボン・クレジット市場」を開設しました。 これだけだと良く分からないですが、地球温暖化を止めるため、二酸化炭素の排出量を、国ごとに減らしていくための手段の一つです。日本政府は、2030年度までに温室効果ガスの排出量を2013年度に比べて46%削減し、2050年には実質ゼロにすることを目指しています。これまでは国民の多くは「いずれそういう事態が来るだろう」といった程度の関心しかありませんでしたが、最近の異常気象でぐんと現実味が増してきたようです。 「本気で二酸化炭素などの温室効果ガスを減らさなければいけないのかも」といった空気が各方面で出てきたようです。カーボン・クレジット市場が開設されたのも、その表れでしょう。 日本政府は、2026年から本格的に排出権取引を実施する予定ですが、今回の市場開設はその前段として開設されたのです。 こうした排出権取引をすでに実施している例があり、EUやアメリカ、韓国などでは、排出量取引の多くは、国が企業や自治体などの排出量の上限を決める方式で、上限より少なく排出した場合は少なくした分を売ることができ、上限をオーバーした場合はその分をよそから買ってこなくてはならないという制度です。 <h2>先駆者</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/01/okajima2.jpg" alt="" width="213" height="237" class="size-full wp-image-80073" /> 後藤康夫さん 東証に排出権取引市場ができる、と聞いた時、真っ先に頭をよぎったのは旧安田火災(現損保ジャパン)の後藤康夫会長でした。後藤会長とはリオ・サミット(1992年)の数年前からのお付き合いでした。 後藤会長は常々「保険という商品は目に見えない。では、お客様は何を信用して保険に入るのですか。それは、売る人を信用するんです。だから社員教育や代理店教育が大事なんです」と話していました。 そして「これからの世の中、どんな人が信用されるのか、考えてみましたが、環境問題を解決しようとする人だと思うんです」と付け加えるのでした。 リオ・サミットに経団連の代表として参加した後は、会社を挙げて環境教育に邁進しました。私が役員を勤めていたNGOとコラボして新宿の本社で「市民のための環境講座」を開設され、経団連の自然保護基金を創設し、その運営協議会の委員長にも就任されました。いずれも現在まで続いています。 後藤会長は海外の様々な方とお会いし、特に地球環境問題に興味を持たれ、排出権取引についても当時から強い関心を示しておられました。 「岡島さん、これは良い考えだよ。日本でも早く取引できるようになるといいんだが」と排出権取引の実現を期待されていた。 その夢を追って、社内にESG(環境、社会、企業統治)にフォーカスしたファンドを設立しました。いわゆる「エコ・ファンド」です。 時が移り、損保ジャパンは今年、ビッグモーターの問題で大きく揺れています。後藤さんはどんな思いでこの事件を見ているのでしょうか。 そういえば、後藤会長はゴルフが大好きでした。 <h2>海外の動き</h2> EU(ヨーロッパ連合)では、2005年から制度が始まり、大手鉄鋼メーカーなど大規模な事業者の参加が義務づけられています。参加する事業者の排出量は、EU全体の排出量の4割以上を排出しているそうです。だからこの制度はかなり有効です。 一方、今回の排出権取引市場は、企業などが自主的に削減量の目標を立てます。政府による規制ではなく企業みずからが率先して二酸化炭素の削減に取り組むというかなり野心的な方法です。 しかし、これでは規制として緩すぎるのではないかという声もあり、日本政府は2026年の本格運用までに実態調査を行い、さらに厳しい規制にするか決める予定です。 排## 出量の計算方法と値段 でも、排出量はどう測るのか、また取引価格はいくらなのか、といった疑問が出てきますが、これはかなり厳密な計算をします。詳しくはここでは解説しませんが、環境省、経済産業省や林野庁のホームページに載っています。 ところで、11日の開設当初の取引では、金融機関や自動車、電力、地方自治体など188の参加登録者があり、3689トンの排出権が売買されました。価格は1トン2480円から9900円でした。 <h2>森林整備の役割</h2> こうした中で、森林整備の役割が結構大きいのです。そして、ゴルフ場もこの分野ではかなり役に立てそうです。 ゴルフ場の森林を整備したり、地域の森林所有者に呼びかけて荒れた山林を手入れし、若木を植えるなどして二酸化炭素を吸収すればその権利を売ることができます。森林整備程度の費用は出るでしょう。 以前、30by30についてゴルフ場も参加したらどうかと書いたことがありましたが、30by30とともにこの排出権取引に参加することによって相乗効果も生まれるでしょう。 SDGsで言えば、地域を豊かにすることとパートナーシップで共同作業を進めることに繋がります。 <h2>カーボン市場の目的</h2> 西村経済産業相は11日午前に開かれた式典で、「カーボン市場が重要なインフラ(社会基盤)として発展することで、排出量削減と経済成長の両立につながることを大いに期待したい」と述べた。カーボン市場では、企業が再生可能エネルギーや省エネ製品を導入したり、森林を守ったりすることで、自社が定めた目標以上に削減したCO2の排出量を権利として売ることができる。権利は、国が「J- クレジット」として認証する。目標が未達の企業は、権利を買える。売り手は利益が得られ、買い手は目標が達成できる利点がある。 これまでも企業が排出削減量を売買する仕組みはあったが、相対取引が中心でほとんど活用されていなかった。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年11月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年01月22日
    北極圏のメタン 先日、NHKBSの番組で、北極圏周辺の永久凍土が溶け始めてメタンが噴き出している状況が報告されていました。実はこれは大変な危機的状況なのです。 メタンは二酸化炭素の25~30倍と言われるほど温暖化を促進する。それが続くとさらに温暖化が進み、気温は急激に高くなっていく恐れが指摘されています。メタンが出る、そして温暖化が進む、そしてさらにメタンが出てくる、という悪循環に陥る可能性があるのです。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/12/okajima3.jpg" alt="" width="486" height="363" class="size-full wp-image-79666" /> アラスカのビッグトレイル湖に現れたメタンの泡。 NASA / Sofie Batesより 他の温室効果ガスも増え続けるといつかは地球が勝手に温暖化し始めてしまう。そうなるともう人間の手に負えなくなります。その前になんとしても温暖化を食い止めなくてはなりません。 メタンについては、30年ほど前から指摘されていたことです。私は、新聞記者時代、環境問題の専門記者だったのですが、この話は一度も書いたことがありませんでした。あまりにも衝撃的で、センセーショナルな取り扱いが横行してしまっては困る、と感じたからです。もっと確実になるまでは待とう、と思ったのです。 <h2>オウム真理教</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/12/okajima2.jpg" alt="" width="548" height="370" class="size-full wp-image-79665" /> 出典:日本震撼、オウム事件全史 写真特集:時事ドットコムより その頃、オウム真理教事件があり80年代後半から90年代中ごろまで、様々なことが起こりました。私が衝撃を受けたのは、何人もの逮捕者が出た中で、複数の人間が「地球温暖化などで、もう自分たちの将来はない。だから世の中を変えるためにオウムに入った」といった趣旨の供述をしていたことでした。 皆かなりの高学歴の若者でした。私はこれを知って考え込んでしまいました。地球環境問題を懸命になって報道したことが、若い世代に絶望感を抱かせてしまったのではないか、と大きな責任を感じました。 多くのメディアは科学的データを踏まえた上で、慎重に取り扱っていたのですが、一部のメディアが面白おかしく過激報道を続けたために、若者に絶望感を与えてしまったのかもしれません。 いずれにしろ、自分たち人間の傲慢な生き方が温暖化を招いた、だから、人間が自然・地球を壊さないような生き方をすべきだと説いていたのですが、若者に誤解と恐怖を与えてしまったのも事実だと思います。過激報道に、もっと冷静な報道をするように働きかけていても良かったのに、という思いでした。 しかしここ数年、北極圏周辺でのメタン噴出についての報道が出始めました。厳然たる事実としてそこまで進んでしまったので、メタン報道が動き出したのです。 <h2>時間がない</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/12/okajima4.jpg" alt="" width="548" height="365" class="size-full wp-image-79667" /> ハワイのマウナロアにあるNOAA(アメリカ海洋大気局)の研究センターは世界のメタンの量の計測を行っている。(Image credit: NOAA) メタン噴出の報道がでてくるまでに、温暖化の影響についてはさまざまな報道がなされてきました。しかしそれらは「まだ先の話」と受け取られていたようです。事態を甘く見ていたのではないでしょうか。 グリーンランドの氷床が溶けて川ができている。山火事が増え、オーストラリアの大きな山火事では30億匹と言われる動物が死んだ。カリフォルニアでも山火事が頻々に発生している。 台風やハリケーンがだんだん大型化してきたり、集中豪雨が増えてきたり、既存の堤防やダムでは処理しきれなくなっています。異常気象による様々な被害が増加する中でもなお、私たちはこれといった有効な対策を打ち出せていません。 メタンだけではありません。シベリアの永久凍土が溶けて、古代のウィルス「モリウィルス」が発見されたのです。これはコロナ以上の強い細菌で、地上に現れるようになったらとてつもないパンンデミックが起こるだろうと言われています。 要するに、温暖化によって何が起こるかわからない。今すぐにでも抜本的な対策に世界が取り組むべきなのです。 メタンの噴出は地球からの深刻なメッセージかもしれません。この30年間「まだ先のことだ。大げさだ」と言い逃れてきたのですが、いよいよ差し迫った危機として温暖化がモンスターのような姿を現し始めたのです。戦争などしている暇はないのです。 <h2>世界が一緒に取り組む</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/12/okajima5.jpg" alt="" width="548" height="365" class="size-full wp-image-79668" /> 温暖化に対し、世界中の若者が立ち上がりつつある。「私たちの家は火事だ」というスローガンを掲げる数百人の学生たち。アメリカ・オレゴン州で。オレゴニアン紙より。 世界の研究者が2030年前後の10年間を、最も重要な10年だ、と指摘しています。この10年に方向転換しないと、取り返しのつかないことになると警鐘を鳴らしています。このままでは温暖化どころか灼熱地球(Hot House Effect)という状況になる、という指摘さえあります。 IPCC(気候変動に関する政府間パネル)では、2030年までに温室効果ガスを現在の半分に、2050年までにゼロにすべきだとしています。私たちは今すぐにでも「脱炭素社会」に大きく舵を切るべき時期なのです。 実践には多大な困難が伴います。途上国は歴史的な先進国の責任を問い、先進国は支援に積極的ではありません。 しかし、私たちは大きな決断をすべき時を迎えています。そのためには国際政治を始め、行政、産業界、家庭生活などすべての人々の意識改革が必要です。世界中の人々が現在の状況をしっかり受け止めなければなりません。広い意味での環境教育を進めるべきでしょう。 SDGsは、そのための具体的行動をわかりやすく示したものだと言えるでしょう。 <h2>SDGsの13「気候変動に具体的な対策を」の項から抜粋</h2> 13.2 気候変動対策を国別の政策、戦略及び計画に盛り込む。 13.3 気候変動の緩和、適応、影響軽減及び早期警戒に関する教育、啓発、人的能力及び制度機能を改善する。 13.b 後発及び小島嶼の開発途上国において、女性や青年、地方及び社会的に疎外されたコミュニティに焦点を当て、気候変動関連の効果的な計画策定などの能力を高める。 追記 国連気候変動枠組条約が、気候変動への世界的対応について交渉を行う一義的な国際的、政府間対話の場であると認識する。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年10月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2023年12月07日
    北極圏のメタン 先日、NHKBSの番組で、北極圏周辺の永久凍土が溶け始めてメタンが噴き出している状況が報告されていました。実はこれは大変な危機的状況なのです。 メタンは二酸化炭素の25~30倍と言われるほど温暖化を促進する。それが続くとさらに温暖化が進み、気温は急激に高くなっていく恐れが指摘されています。メタンが出る、そして温暖化が進む、そしてさらにメタンが出てくる、という悪循環に陥る可能性があるのです。 他の温室効果ガスも増え続けるといつかは地球が勝手に温暖化し始めてしまう。そうなるともう人間の手に負えなくなります。その前になんとしても温暖化を食い止めなくてはなりません。 メタンについては、30年ほど前から指摘されていたことです。私は、新聞記者時代、環境問題の専門記者だったのですが、この話は一度も書いたことがありませんでした。あまりにも衝撃的で、センセーショナルな取り扱いが横行してしまっては困る、と感じたからです。もっと確実になるまでは待とう、と思ったのです。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/10/oka2.jpg" alt="" width="446" height="334" class="size-full wp-image-79265" /> 2020/08/26 16:56 ウェザーニュースより <h2>オウム真理教</h2> その頃、オウム真理教事件があり80年代後半から90年代中ごろまで、様々なことが起こりました。私が衝撃を受けたのは、何人もの逮捕者が出た中で、複数の人間が「地球温暖化などで、もう自分たちの将来はない。だから世の中を変えるためにオウムに入った」といった趣旨の供述をしていたことでした。 皆かなりの高学歴の若者でした。私はこれを知って考え込んでしまいました。地球環境問題を懸命になって報道したことが、若い世代に絶望感を抱かせてしまったのではないか、と大きな責任を感じました。 多くのメディアは科学的データを踏まえた上で、慎重に取り扱っていたのですが、一部のメディアが面白おかしく過激報道を続けたために、若者に絶望感を与えてしまったのかもしれません。 いずれにしろ、自分たち人間の傲慢な生き方が温暖化を招いた、だから、人間が自然・地球を壊さないような生き方をすべきだと説いていたのですが、若者に誤解と恐怖を与えてしまったのも事実だと思います。過激報道に、もっと冷静な報道をするように働きかけていても良かったのに、という思いでした。 しかしここ数年、北極圏周辺でのメタン噴出についての報道が出始めました。厳然たる事実としてそこまで進んでしまったので、メタン報道が動き出したのです。 <h2>時間がない</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/10/oka3.jpg" alt="" width="539" height="359" class="size-full wp-image-79269" /> 十和田湖畔に誘致予定のスノーピーク・キャンプフィィールド(写真は奥日田)。これからの新しい避暑スタイルとなるかもしれない。すぐそばんゴルフ場があったらいいですね。 メタン噴出の報道がでてくるまでに、温暖化の影響についてはさまざまな報道がなされてきました。しかしそれらは「まだ先の話」と受け取られていたようです。事態を甘く見ていたのではないでしょうか。 グリーンランドの氷床が溶けて川ができている。山火事が増え、オーストラリアの大きな山火事では30億匹と言われる動物が死んだ。カリフォルニアでも山火事が頻々に発生している。 台風やハリケーンがだんだん大型化してきたり、集中豪雨が増えてきたり、既存の堤防やダムでは処理しきれなくなっています。異常気象による様々な被害が増加する中でもなお、私たちはこれといった有効な対策を打ち出せていません。 メタンだけではありません。シベリアの永久凍土が溶けて、古代のウィルス「モリウィルス」が発見されたのです。これはコロナ以上の強い細菌で、地上に現れるようになったらとてつもないパンンデミックが起こるだろうと言われています。 要するに、温暖化によって何が起こるかわからない。今すぐにでも抜本的な対策に世界が取り組むべきなのです。 メタンの噴出は地球からの深刻なメッセージかもしれません。この30年間「まだ先のことだ。大げさだ」と言い逃れてきたのですが、いよいよ差し迫った危機として温暖化がモンスターのような姿を現し始めたのです。戦争などしている暇はないのです。 <h2>世界が一緒に取り組む</h2> 世界の研究者が2030年前後の10年間を、最も重要な10年だ、と指摘しています。この10年に方向転換しないと、取り返しのつかないことになると警鐘を鳴らしています。このままでは温暖化どころか灼熱地球(Hot House Effect)という状況になる、という指摘さえあります。 IPCC(気候変動に関する政府間パネル)では、2030年までに温室効果ガスを現在の半分に、2050年までにゼロにすべきだとしています。私たちは今すぐにでも「脱炭素社会」に大きく舵を切るべき時期なのです。 実践には多大な困難が伴います。途上国は歴史的な先進国の責任を問い、先進国は支援に積極的ではありません。 しかし、私たちは大きな決断をすべき時を迎えています。そのためには国際政治を始め、行政、産業界、家庭生活などすべての人々の意識改革が必要です。世界中の人々が現在の状況をしっかり受け止めなければなりません。広い意味での環境教育を進めるべきでしょう。 SDGsは、そのための具体的行動をわかりやすく示したものだと言えるでしょう。 <h2>SDGsの13「気候変動に具体的な対策を」の項から抜粋</h2> 13.2 気候変動対策を国別の政策、戦略及び計画に盛り込む。 13.3 気候変動の緩和、適応、影響軽減及び早期警戒に関する教育、啓発、人的能力及び制度機能を改善する。 13.b 後発及び小島嶼の開発途上国において、女性や青年、地方及び社会的に疎外されたコミュニティに焦点を当て、気候変動関連の効果的な計画策定などの能力を高める。 追記 国連気候変動枠組条約が、気候変動への世界的対応について交渉を行う一義的な国際的、政府間対話の場であると認識する。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年9月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2023年10月31日
    多様性とは 多様性という言葉はすごく幅が広いですね。一般的に、様々なものが混在する、といった感じで受け取られているのではないでしょうか。そして様々なことが混在することは、良いことだ、という印象があるようです。 古くは真田十勇士(古すぎる?)のように、色々な特技を持つ者が集まって協力すると、大きなパワーとなって爆発するというような状況を示唆します。野球でも、長距離バッターだけでは勝てません。バントも必要だし、打率の高い選手も欲しいですね。ゴルフだって様々なギアがあります。 多様性という言葉は古くから使われていたのですが、1980年代になって、生物多様性という言葉が現れてまた別の要素が加わりました。 ところが、この生物多様性という語句はなかなか馴染みにくい。英語のbiological diversity, biodiversityを直訳してきたので、日本語としてはどこか違和感があります。そのため「生き物のにぎわい」などと表現する人も現れました。 <h2>アメリカでの経験</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/10/okajima2.jpg" alt="" width="548" height="851" class="size-full wp-image-79158" /> ワシントン大学で影響を受けた報告書 私は1983年から1年半、アメリカのワシントン州シアトルにあるワシントン大学に派遣されました。勤務先の新聞社から大学院留学を命じられたのです。研究課題はアメリカにおける公害対策でした。当時は光化学スモッグなどがあり、アメリカでの研究が進んでいたからです。野球のマリナーズは、イチローが参加するずっと前で、負けてばかりいたころです。 研究を進めていくうちに、公害対策全般では日本の方が進んでいて、アメリカではむしろ自然保護の方が盛んだ、ということに気が付いたので、研究テーマ変えて、アメリカにおける自然保護対策にしたところ、biological diversityという言葉に出合いました。 はじめは良く理解できませんでした。先住民族や黒人が住んでいる地域の環境破壊や公害を放っておいてパンダの方が大事だというような主張に思えて、反発する気持ちの方が強かったことを覚えています。 しかし、担当教授からthe council on environmental Quality(環境の質向上委員会)という団体の50ページほどの報告書を読むように勧められて読み始めたところ、目からうろこが落ちるように彼らの主張することが分かるようになりました。 <h2>緑の炎</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/10/okajima3.jpg" alt="" width="562" height="364" class="size-full wp-image-79159" /> カイバブ高原<br />出典https://i.pinimg.com/originals/3d/a1/14/3da114a53baece1e846dc035af6a33c7.jpg<br /> アメリカやヨーロッパでは人間と自然は別のものだという意識が強いのですが、これに対し、環境問題が深刻になってくるとともに「人間は自然の一部もしくは地球の一員」という考えが広まってきました。 この報告書では、これまで人間がいかに自然を搾取してきたか、また近代文明の行き過ぎが自分たちの住む地球をどれだけ壊しているか、など人間の行き過ぎを指摘していました。「自然と人間の関係」について私は担当教授と議論を重ね、東洋では古くから一体化しているが、西洋では自然と人間は別のものだ、という考えが強い、ということをお互いに了解しました。 「人間は自然の一部である」という考え方を科学者として初めてアメリカ社会に主張したのはA・レオポルドという森林学者でした。 レオポルドはイエール大学で森林学を学び、後に政府の森林官となりましたが、アリゾナ州のカイバブ高原でオオカミ退治をしていた時に大きな衝撃を受けます。 当時カイバブ高原でオオカミを退治すれば鹿が増える、と考えて大規模なオオカミ退治を始めたのです。ある時、レオポルドは子連れのオオカミを撃ちました。近くによってオオカミの顔をのぞいた時、オオカミの目が燃えるような緑色に光り、そしてオオカミは死んでいきました。 レオポルドはオオカミの最後の目の光を見た瞬間、自分は何か間違っているのではないか、と感じたと書いています。 後にウイスコンシン大学に移り、ゲーム・マネイジメント(狩猟管理学)という講座を開きました。そして『SAND COUNTY ALMANAC』(日本語訳・野生のうたが聞こえる・講談社学術文庫)という本を出版し、その中でレオポルドは「人間は大きな自然の営みの中の一部である」と主張したのです。その原点は、死にゆくオオカミの目に光った緑の炎でした。 <h2>生物多様性条約</h2> 欧米にこうした自然観の変化が広まると同時に、1980年代から環境倫理が盛んになり、環境哲学、環境思想といった分野が研究対象となりました。 生物多様性に対する考え方も、こうした研究にあと押しされて国際政治の場に登場してきたわけです。1992年、リオデジャネイロで開かれた第一回環境サミットで、温暖化と生物多様性の条約ができました。 この星には人間だけが住んでいるわけではない、そして、多様な生きものが混在しているからこそ人間も恩恵を受け、生きていかれるのだ、ということを改めて考える時期に来ているのは間違いないでしょう。 <h2>生物の多様性に関する条約</h2> 1992年5月ナイロビで採択され、1992年6月に地球サミット(国連環境開発会議)で157か国が署名。1993年12月、条約発効。現在、締約国数は194。 生物多様性条約は、特定の地域・種の保全の取組だけでは生物多様性の保全は図れないとして、保全のための包括的な枠組みとして提案された。この間、遺伝資源から得られる利益の配分について、各国は自国の天然資源に主権的権利を有することが認められ、利益配分に関する第3の目的が組み込まれた。一方、遺伝資源利用先進国である米国は、自国のバイオテクノロジー産業に影響を及ぼすものとして条約を締結していない。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年8月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2023年10月19日
    豊かな自然の中で 6月中旬、私は青森県十和田市のゴルフ場で友人3人とプレーを楽しみました。北海道のお医者さん2人、そしてスポーツ用具メーカー・ミズノの元会長・水野正人さん。お医者さんのお二人は87歳と75歳、水野さんは80歳、私が79歳ということで、後期高齢者軍団でした。アマチュアですので当然ゴールドからのスタートです。 スタートでは一度失敗しても打ち直しができます。様々な特典を利用しながらなんとか良い点を挙げようと皆さん力いっぱいマン振り。当たる訳がありません。首を振りながら「おかしいなあ」の連発です。 それでも八甲田山の雄姿に見とれ緑を愛でるのを忘れません。山々の背後には白雲が流れ、池ではカエルが鳴いています。 「ゴルフはいいねえ、歳をとってもできるし」と水野さん。残る3人も、冗談を言いながら自然の中でのプレーを喜んでいました。街中の練習場とは違います。本当の自然に囲まれて空気がさわやかだし、気持ちも穏やかになる。 ゴルフは他の屋外スポーツに比べて、自然の影響を受けやすいのではないかと思います。風の向きや強さまたはティーイング・エリアと上空との風の巻き方の違いなど、小さなボールで距離が長い分だけ繊細な技術が要求されます。 ゴルフはスコアで勝ち負けが決まるスポーツですが、スポーツ的要素より、むしろ日頃の忙しさからの脱却や精神的負担を軽くしてくれる要要素が大きい。それに友人知人と5時間、6時間と長時間にわたり一緒に遊ぶことができます。 <h2>ゴルフの伝統</h2> ゴルフの発祥については諸説あるようですが、ゴルフを育てたのはイギリスです。必然的にイギリス紳士の息吹が今にも伝わっています。古き良き時代の毅然たる振る舞いもまた生きています。 20世紀に入って行き過ぎた拝金主義がはびこり、第二次世界大戦を経てさらにお金中心の世界になり、精神的豊かさより物質中心の世の中になってきました。これに対しゴルフには「人間らしさを確保した上で」プレーを楽しむ伝統が流れています。 これはまさに、SDGsの12番目の目標「つかう責任つくる責任」のターゲット12にある「2030年までに、人々があらゆる場所において、持続可能な開発及び自然と調和したライフスタイルに関する情報と意識を持つようにする」ことに呼応する考え方ではないでしょうか。 <h2>これからの人の流れ</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/09/it.jpg" alt="" width="548" height="598" class="size-full wp-image-78781" /> 駅のテレワーク・ブース。今やほとんどの駅に設置されているIT仕事部屋。<br />PCがあればどこでも仕事ができる時代です。   私は、ゴルフの伝統の中にしっかりと根を張っている「自然の中で豊かな人生を育む」という姿勢を大事にしていくべきだと考えます。 インターネットが発達し、仕事場と家庭生活を営む場所とが離れていても仕事が可能になれば、どういったところに人は住みたがるでしょうか。多くの人は、医療や買い物、趣味の場所がある程度確保されていれば、自然が豊かでゆったりとした間取りの家が良いと思うでしょう。 そういった状況がまさに可能になってきそうです。大都会には月に一度か年に数度出ていければ、最先端のファッション、スポーツの試合、音楽会などを楽しめます。住む場所を、いわゆる田舎においても十分世界最先端の知識が得られるようにもなるでしょう。 若い時に東京をはじめ世界の先端都市で様々な経験を積んだ後に故郷に戻ることも可能になるでしょう。 ところが、現在各地に残っている自然をコンクリートで埋めてしまえば、豊かな自然に囲まれて生きる、といった夢は消えてしまいます。深い山、人間と自然が交差する里山、そして都市など人間が住むところのバランスを崩してはいけません。以前に書いた「30 by 30」はまさにこのような状況を保全しようという動きなのです。 人類の歴史上の大転換期については、直立歩行した時、農耕を始めた時などいくつかの時期が指摘されていますが、現在はまさにインターネット革命とも呼ばれる新たな大転換期に入り始めているのではないでしょうか。これからはこれまで当たり前だったことが逆転したり、価値が認められなかったことが急激に重要になったりするでしょう。 <h2>ゴルフは世界を救う</h2> こうしたことをゴルフ関係者が積極的にかかわってくださるようになると、ゴルフは世界を救うと言われるようになるでしょう。 しかしまだまだ不十分です。大きなことをしてほしいとは言いませんが、①古いクラブの再利用や途上国に寄贈する②ゴルフの歴史を伝える③キャディさんはじめゴルフ場の従業員にゴルフ場の樹木や鳥や小型野生動物などについて教える、など実践的な活動を始めてほしいと思っています。 ところで、我ら4人の高齢者チームは冗談を言い合いながら楽しい時間を過ごしましたが、次の世代のゴルフ事情に話が及んだ時、いつも柔和な水野さんが「東京オリンピックの招致でも環境やSDGsの考えを明確にする必要がありました。ゴルフ業界も例外ではない」と真剣な眼差しでした。 <h2>「つくる責任つかう責任」の項目には169のターゲットと232の指標があります。</h2> その中で特に紹介したいのは、本文でも触れた12・8「これからの生き方」とともに次の2つのターゲットです。 12.a「開発途上国に対しより持続可能な消費・生産形態の促進のための科学的・技術的能力の強化を支援する」 12.b「雇用創出、地方の文化振興・産品販促につながる持続可能な観光業に対して持続可能な開発がもたらす影響を測定する手法を開発・導入する」 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年7月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2023年09月20日
    先日、中日クラウンズ最終日のテレビ中継を見ていましたら、いきなりSDGsの大きな看板が画面に大写しになりました。一瞬目を疑いましたが、間違いありません。 ゴルフの大きな大会にSDGsが登場するなんて想像もしていなかったのでびっくりするやら感激するやらで、しばらく競技を見るのを忘れてしまったくらいでした。 試合はベテラン岩田寛選手の堂々たる優勝に終わりました。これもまた見事な勝ちっぷりで、優勝後のインタビューも良かった。私にとっては久しぶりに楽しい中継となり、気分が良い一日となりました。 この欄で何度もSDGsの重要性やゴルフ業界の参加を呼び掛けてきたのですが、私にはあまり反応が聞こえてきませんでした。 ゴルフ業界に知り合いがあまりいませんので反応が分からなかったのかもしれませんが、自分の至らなさに反省していた矢先でしたので、同志みつけたり、と嬉しくなったのです。 早速、GEW編集長の片山さんに連絡をして大会事務局に問い合わせしていただきました。すぐ返事があって、CBCテレビが大会運営の一環として大きな看板を立てたことが分かりました。 そこで、CBCテレビ・クラウンズ事務局の谷口岳彦さんと連絡が取れ、色々詳しくお話を聞くことができました。電話口でのお話に随分と驚きました。昨年からこのSDGsの取り組みを始めておられ、内容も多岐にわたっているのです。今年の関連企画は表1のとおりです。 スポーツにおけるSDGs <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/08/546.jpg" alt="" width="1500" height="1430" class="aligncenter size-full wp-image-78458" /> この中日クラウンズのような取り組みは他のスポーツで見たことがありません。野球やサッカー、ラグビー、バスケットなどの大きな大会でこのような試みを聞いたことがありません。おそらくゴルフが初めてなのではないでしょうか。 私の無知により、実践されている例があるのかもしれませんが、オリンピックや野球の日本シリーズ、サッカー、ラグビーのワールドカップなどのような大会でSDGsの重要性を観客などに訴える活動をしている例を知りません。 そう思うと、何やら誇らしい気持ちが沸いてきました。長い間、環境問題の普及、教育に携わってきた身としては、そしてまた、ゴルフ好きの人間としては、強力な援軍を得た感じになったのです。 ゴルフ関連業界の様々な分野で地球の将来を考える活動をさらに展開していただければ、ゴルフ本来のフェアープレーやノブレス・オブリージュといった精神が世に広まっていくのではないかと思います。 <h2>第6次IPCC報告書</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/08/789.jpg" alt="" width="758" height="533" class="size-full wp-image-78460" /> 温暖化抑制の目標図 赤い帯は現在の状況が続くと気温は上昇し続けることを示し、紫は2030年から上限2度を目指し、緑は今すぐから上限2度を目指し、青が今すぐに上限1.5度に抑える目標を示している。(IOCC報告書より) IPCCとは、以前にも説明しましたが、気候変動に関する政府間パネルのことで、この3月にスイスで開かれた第58回総会で第6次評価報告書が承認されました。 この報告書によりますと、現在、急激な温暖化が進んでおり、大気、海洋、雪氷圏、及び生物圏に大掛かりな変化が起こっています。今のままの対策では、世界の気温は21世紀の間に1・5度上昇し、2℃以下に抑えることすら困難になるとみられます。本来であれば、1・5度の上昇が限界で、それ以上になると大幅な気候変化が発生し、私たちの日常生活は大きく脅かされるようになってしまいます。 21世紀末までに気温の上昇を1・5度以内に抑えるには、図1にあるように、大幅な温室効果ガスの排出削減が必要です。特にCO2は排出量を正味ゼロにしなければなりません。私たちは相当の覚悟をする必要があります。 <h2>経済に及ぼす影響</h2>   こうした状況を受けて、すでに世界の投資家は動き出しています。 世界で最も影響力がある投資家の1つであるロックフェラー財団は、つい最近、アメリカの石油メジャーであるエクソンモービルの株式を売却すると発表しました。 ロックフェラー財団はもともと石油で財をなしたジョン・ロックフェラーによって設立された団体で、石油関連業とは密接なつながりがあったのですが、時代の流れは石油関連企業を切り捨てるという決断を迫ったのです。 このように世界の大きな財団や投資家は石油離れに動いています。これも、IPCCが指摘する事実に背を向けることができなくなっている証拠です。世界の経済の流れはもう決定的に温暖化防止に向かっています。図1にあるように2030年からは急激で大幅な温暖化ガスの削減が求められるようになるのは明白です。 こうした潮流に鈍いのが今の日本です。20年前には環境技術が世界一と言われていたにも関わらず、今では先進国の中で、脱石油に最も遅れている国になってしまいました。何とかしなくてはいけません。 そんな折に中日クラウンズでの出来事が心に響きました。この流れをもっと加速させたい。様々なスポーツがある中で、先頭を走りだした中日クラウンズに「あっぱれ」です。 <h2>温暖化の影響</h2> IPCCの報告書は、地球の気温が今より1・5度以上上昇した場合 1)海水面が2m上昇する地域が出てくる 2)地球上の各地で極端な高温、海洋熱波、大雨、干ばつなどが頻発する 3)北極海の海氷や氷河などの氷が激減する 4)これにより現在の農業生産システム、治水事業、異常気象対策などが役に立たなくなる など社会生活に計り知れないダメージが発生する可能性が高い、と指摘している。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年6月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2023年08月31日
    <h2>文壇ゴルフ</h2> 北の国・青森に春がやってきました。町から雪が消え、ゴルフ場もオープンしました。早目に咲きだした桜の木の下で大学職員が素振りをしています。 大学近くのゴルフ練習場では雪が残る八甲田山めがけて、みんな楽しそうにボールを打っています。 昔、作家や編集者が集う「文壇」と言われる世界があり(今もあるのかもしれませんが)、そこでは大層ゴルフが盛んだったようです。作家の大御所・丹羽文夫さんが大変お上手で、ゴルフを教わりたい作家たちがこぞって弟子入りし丹羽学校と呼ばれたそうです。 その丹羽文雄さんと並んで文壇のもう一つの柱だった井上靖さんという作家がいましたが、井上さんには取材が縁で可愛がっていただきました。井上さんもゴルフがお好きだったようですが、丹羽さんほどうまくはなかったようです。 何しろ丹羽さんは50歳でゴルフを始め、6年でシングルになり、ハンディ6まで行ったそうで、81歳の時に初めてエイジシュートをされているというのですから、たいしたものです。 <h2>井上靖さん</h2> 井上さんは「氷壁」という穂高岳を舞台にした小説のほか「蒼き狼」「敦煌」「あすなろ物語」といった作品を残しています。ある時、井上さんが穂高岳に行くというので、同行したことがありました。 私が若い頃ヒマラヤやアンデスに挑戦したことを話したので興味をひかれたのでしょう。 上高地から徳沢へと一緒に歩きながら様々な質問に答えました。徳沢園では編集者や作家などお付きの方々のほとんどが横尾まで行かれることになり、井上さんと秘書、そして私とカメラマンだけが宿に残ることになり、一晩じっくりお話をさせていただきました。 以来、気にかけていただき、何かと声をかけてくれました。銀座の葡萄屋というバーが贔屓で私もずいぶん連れて行ってもらいました。約束がなくてもバーで待っていると編集者を引き連れて井上さんが現れることが多かった。うまく井上さんが来られると奢ってもらえたのですが、時には井上さんは現れず、飲み代を自分で払いましたが、そんな時にはママさんが「岡島ちゃんはいつでも一万円でいいよ。自腹なんだから」と言ってくれました。 <h2>公害を憂う</h2> 三好徹さんが書いた「文壇ゴルフ覚え書」によると、井上さんのゴルフはかなり堅実だったようですが、川奈ゴルフ場の大島コース、打ち下ろしパー4(290ヤード)でワンオンしたことがあったそうです。 井上さんは毎日新聞の記者だったのですが、終戦の時の記事を一面埋めて書いています。記者としても大きな足跡を残されています。 記者の先輩として飲みながらいろいろ教えていただきました。あるとき私に向かって「岡島君、人生は長いから、記者で終わることはないんだよ」と諭してくれました。 その言葉が影響したのかどうかわかりませんが、私は記者の後、大学で教え、そして今は経営者になっています。 井上さんはまた当時公害で苦しんでいる人のことをとても気にかけていました。「公害も自然破壊も人間の知恵が足りないから起こるんだ。人間どもがこんな勝手なことばかりしていると今に自然からしっぺ返しがくるよ」と憤っていました。 今まさにその言葉通りになっています。公害や地域の自然破壊では終わらずに、人類、いや、地球全体の命が破壊されるような危険な温暖化が進み、野生生物がどんどん滅びています。温暖化と野生生物は大きな関係があり、そろって影響しあい、徐々に破局へと向かっています。 <h2>気候変動の影響</h2> ことしの青森はとても雪が少なかった。スキー場や山ではさほどではなかったのですが、2月中旬からはほとんどまとまった雪は降らなかった。桜も史上最速と呼ばれ、昔はゴールデンウィークのころが桜も見頃だったのですが、いつの間にか4月末になり、今年は中旬に満開です。 気候が変わると様々な作物の生育に影響を及ぼしますし、観光面でも大きな損害をもたらします。桜のシーズンと山スキーが重なってゴールデンウィークにはたくさんの観光客が青森を訪れてくれるのですが、今年は桜のシーズンが早くなり、ゴールデンウィークから大きくそれてしまいました。 また、山の雪の解け方が早くなると、滑降終了後、ふもとに戻るルートに雪がなくなりスキーを担いで歩かなければならなくなります。稼ぎ時のゴールデンウィークに観光の目玉がなくなるのです。 ゴルフが早くできるようになるのは嬉しいのですが、手放しで喜んでばかりいるわけにはいきません。 ゴルフ好きだった丹羽さんや井上さんは今頃どう思っているのでしょうか。文壇ゴルフのような集まりが率先して温暖化防止などの動きに立ち上がるのではないか。様々なところで啓蒙のための文章を書いてくれるのではないか。そう思うと、今を生きる私たちも新しい社会作りに挑戦しなければいけないという気がしてきます。 <h2>経団連と東京大学が提唱する</h2> 新しい5.0社会 (経団連ホームページより) 1.「価値創造」社会 多様なニーズに応えて課題解決することで新たな付加価値を創造する社会 2.「多様性」社会 多様な人々が多様な才能を発揮し、多様な価値を追求する社会 3.「分散」社会 特定の人や企業などに富や情報が集中することなく、誰もがいつでもどこでも活躍できるチャンスがある社会 4.「強靭」社会 気候変動や異常気象、社会不安、サイバー攻撃などの不安から解放され、安心して暮らしを営むことができる社会 5.「自然共生」社会 どの地域でも持続可能な生活を送ることができ、多様な地域で自然と共生しながら暮らせる社会 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年5月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2023年08月01日
    <h2>人と自然の関係</h2> 環境破壊の原因は、人間活動が出すゴミ(大気汚染や海洋汚染などを含む)が地球の自浄能力を超えてしまうことです。例えば、江戸時代に川で洗濯しても、川が自然にきれいにしてくれました。川の自浄能力が汚れを上回っていたからです。 世界的に言えばヨーロッパで起こった産業革命以後、人間の出すゴミは次第に大きくなっていきました。日本では明治以降、特に第二次世界大戦以降に人間のゴミは急激に増え、それが限界に達したのが1960・70年代に発生した公害です。 自然破壊も同様に、山を削り、海を埋め立て、便利になりましたが、豊かな自然はかなり痛み、海岸線の約40%が人工化され、東京湾のほとんどがコンクリートで覆われています。このため、山や川、海に住む動植物が絶滅したり、絶滅の危機に追い込まれています。 経済の高度成長期を過ぎ、安定した経済に移り始めたころから日本人の自然に対する考え方が変わり、大規模開発には批判的になりました。 そして今、世界的に自然の回復が言われ始めています。 その象徴的な出来事が、昨年12月にカナダで開かれた生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)で重要な目標とされた、「30by30」という概念です。詳しい話はこの連載でも書きましたが、今回はその中心的な概念となる「ネイチャー・ポジティブ」と言う考え方を説明します。 <h2>自然の回復</h2> ネイチャー・ポジティブとは、これまで破壊されてきた自然を回復させようという意味が込められた言葉です。自然を壊しすぎてしまったという反省から「これ以上破壊するのはやめよう、そしてこれからは自然を回復させていこう」という主張、スローガンなのです。30by30を支える思想です。 これまでの自然保護の考え方は、開発の波から自然を守るため特別な保護地域を作ること、国立公園や野生生物保護区などを設定することでした。しかし、自然と人間は昔から共存してきたではないか、という考え方もありました。その良い例が日本の里山です。 日本政府は伝統的な日本の考え方を「自然保護から自然との共生へ」として世界に提案しました。その延長線上に30by30が出てきたのです。ヨーロッパやアメリカはこの考えに懐疑的でした。しかし、徐々に賛同を得るようになり、2021年の先進7か国首脳会議では30by30が決議されました。 日本の伝統的な自然観が世界に受け入れられるというのはちょっと誇らしい感じがします。 <h2>東洋と西洋</h2> 日本の自然観が世界に受け入れられ始めたというのは案外大きなことだと思います。 欧米では長く自然と人間は区別されていました。人間は神様から「自然を利用してもよい」と許されている、と考えていたのです。そして宇宙を含む様々な自然を解析することによって科学が発達し、今のような文明社会を築き上げました。 これに対し、日本を含め東洋の多くの国では「人間は自然の一部である」ことが当たり前に受け止められていました。様々な動物、植物などは皆、兄弟のような感覚でした。桃太郎にしても金太郎にしても動物と人間は一緒に仕事をしています。 一方、地球環境が厳しくなると、人間も自然も地球という限られた空間に生きている仲間なのだ、という認識が強くなり、世界は徐々に「人間は自然の一部」と言う考えになってきました。 このように東洋的な自然観が世界の主流になっていった流れの中で、30by30と言う考えが受け入れられるようになったと言えるでしょう。 <h2>チベット仏教</h2> もう50年ほど前、ダライ・ラマ14世と一緒に九州を旅したことがありました。14世が毎朝、お経を唱えるのですが、その声が澄んで美しかったことを良く覚えています。 師が「私は4歳のころから、50年以上、毎日10時間、仏教の勉強をしてきたが、まだ8世紀の仏教の教えの半分にも到達していない」と語ったことがありました。チベット仏教って奥深いんだな、と驚いた記憶があります。 キリスト教の世界にもアッシジの聖フランチェスコと言う方が自然をとても大事にしていたと言われています。東洋でも西洋でも自然の大きさを認め、人間として謙虚に生きた思想家はたくさんいます。むしろ、この100年、近代人が古くからの知恵を忘れていただけなのかもしれません。 何度も言いますが、ゴルフというスポーツは単なる遊びの域を超えた何かを含んでいると思います。 ゴルフは自然の中で楽しみます。晴れたり、霞がかかったり、森林に囲まれていたり、プレーのさなかにも自然を感じることができます。ボールをうまく操るのも大事ですが、たまには景色を見渡して、自然の中の一点景である自分を考えてみるのもいいかもしれません。 <h2>生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)で決まったこと</h2> 2050年までに自然との共生を地球レベルで達成することを目標に①陸域海域の30%を健全な状況に戻す。②プラスチック廃絶に取り組み過剰施肥と農薬のリスクを半減させる③農業、養殖業、水産業、林業などの長期的な持続可能性と生産性を確保する④企業や金融機関の行動や情報開示を支援し、企業リスクを減らし、企業による行動を増やす、など23の目標が定められました。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年4月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2023年06月28日
    南米の旅 前の東京オリンピック(1964年)の翌年2月、私は横浜の浅野高校山岳部OB会(打越山岳会)と上智大学山岳部の遠征隊員として南米のベルー、ボリビアの未踏峰を目指して横浜港を出発しました。 21歳になったばかりで大学3年生になる直前でした。まずは浅野隊として移民船・あるぜんちな丸に乗ってロスアンジェルスまで2週間、北太平洋の荒波にもまれて大苦戦。ロスからパナマシティまで1週間、最後にパナマ運河を渡り下船、そこから飛行機でボリビアの首都ラパスまで行きました。 なにしろ当時は外貨不足で、一人500ドル(18万円)までしか持ち出せず、6人の隊員全員で3000ドルです。貧乏登山隊でした。ラパスの日本大使館はまだできたばかりで、私たちは来館10人目ぐらいだったようです。登山隊は隊長が27歳、次いで25歳、24歳、そして21歳が3人と若い隊でした。言葉も習慣も何も知らずに突進です。もう60年ぐらい前の話ですので、今ではすべてが夢のようです。 ラパスからチチカカ湖畔をトラックで走り、最後は3日ほどリャーマに荷を括り付けてキャラバンです。2か月間の登山は成功してたくさんの初登頂や5000m峰の縦走など楽しく過ごしました。 いったんラパスに戻ってイリマニ山(6480m)の北稜を初登攀し、すべての計画を終え、解散です。私はそのままペルーに向かい、上智大学隊に合流しました。 <h2>貧乏旅行</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/06/okajima1-1.jpg" alt="" width="548" height="411" class="size-full wp-image-77619" /> イリマニ北峰(6,480m)右上正面に光っているリッジを初登攀し、右奥の北峰に登頂。 ペルーでの登山を終えてから、私はヒッチハイクとバスを乗り継ぎ、パナマまで一人旅をしました。この時の旅が後の私の人生を決定付けたと思います。貧乏人ほど良く働き、親切だ、ということを嫌と言うほど味わいました。 ヒッチハイクをしていると、大きなリュックを背負った汚らしい若者に止まってくれる車はありません。拾ってくれるのは決まってトラックです。運転席のわきに座って下手なスペイン語でいろいろとよもやま話をするのが楽しかった。 ある時、トラックの運転手が「泊まるところはあるのか」と聞いてきた。私は「いつも野宿するんだよ」と言うと、心配そうに「俺の家に泊まれ」と言う。断ったのですが、あんまり勧めるので承諾し、家に着いたところ、まるで竪穴式住居のようで驚きました。中には子ども3人と奥さんがいて、夕食にはハムスターの丸焼きが出ました。おいしかったのですが、ふと気が付くと、私のために家族の食べ物を一部削っていることが分かりました。 翌朝、出発をするときになって運転手が私に5ドル紙幣をくれようとするのです。5ドルと言えば彼ら家族が1週間暮らせるお金です。見ず知らずの私がもらえるはずがありません。何度も辞退したのですが最後はむりやりポケットにねじ込まれました。日本からの送金に手違いがあり、一文無しだった私は涙がこぼれて止まりませんでした。 <h2>途上国の人々</h2> 日本に帰ってから必ずお礼に行くんだと固く誓ったにもかかわらず、今になってもお礼参りができないでいます。恩返しができない場合はどうすれば良いのか。私は東京の街で貧乏そうな外国の若者を見ると声をかけるようにしました。泊まるところが決まっていない若者を自宅に呼び、好きなだけ居候してもらうことにしています。恩返しの代わりに「恩送り」とでも言うのでしょうか。せめてもの罪滅ぼしです。 同じような経験を持つ人と時々お会いすることがありますが、面白いことにほとんど意見が一致します。先進国での思い出も途上国での思い出もみな同じようです。お金持ちはとても冷たく、遊んでいます。貧乏人は朝5時6時から働いて夜10時ごろまでいくつかの仕事を掛け持ちにしても一日、二日の生活費で消えるほどの収入です。 貧乏な人達はそれでも前向きに懸命に生きています。今も世界中変わらないと思います。 <h2>ゴルフの途上国支援</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2023/06/okajima3.jpg" alt="" width="421" height="264" class="size-full wp-image-77620" /> 中国にスキーを送り続けた丸山庄司さん。 話は変わりますが、長野県スキー連盟は1983年から中国に中古のスキーセットを送っていました。2012年までにスキー13万2250台、靴6万7500足を送っています。全日本スキー連盟(SAJ)の元専務理事の丸山庄司さんはその中心人物でした。「これから中国でスキーが盛んになると思う。隣の国だし応援したい」と話していました。どんな国であってもスキー愛好者を応援したい、という心意気が伝わってきます。今では、中国のスキー人口は2019年で2千万人を超えています。 私のつたない経験からも、途上国の人々は案外前向きです。ゴルフも今は簡単にはできないけれど、いつか誰もがプレーできる日が来ると信じ、応援したいものです。 子どもたちのゴルフ練習を指導したり、中古のゴルフ用具を安く輸出したり、3~4ホールで楽しめる小さなゴルフ場を作って差し上げるなどの協力ができるのではないかと思います。 誰かが音頭をとり、一つの流れにできたら、日本のゴルフ界も世界から尊敬されるのではないでしょうか。私もお手伝いしたいと思います。 <h2>SDGs10 人や国の不平等をなくす</h2> 1)2030年までに年齢、性別、障害、人種、民族、出自、宗教、あるいは経済的地位その他の状況に関わりなく、すべての人々のエンパワーメント、および社会的、経済的、および政治的な包含を促進する 2)差別的な法律、政策、慣行の撤廃などを通じて、機会均等を確保し、成果の不平等を是正する 3)グローバルな国際経済・金融制度の意思決定における開発途上国の参加や発言力を拡大させる④世界貿易機関(WTO)の協定に従い、開発途上国に対する差異のある特別な待遇を実施するなど、10の具体的な目標がある。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2023年3月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2023年06月22日