• TOP
  • 工房ナビ
  • GEWとは
  • ライター一覧
  • GEW 購読申し込み
  • GEW 見本誌申し込み
  • 広告掲載について
  • 運営会社
  • 事業内容
  • 企業理念・ミッション
  • CEOメッセージ
  • 会社沿革
  • プライバシーポリシー
  • サイトポリシー
  • お問い合わせ
  • ゴルフ業界求人
  • PGA会員専用求人
  • 月刊GEW9月号 市場活性化のためのインドアゴルフ活用術

    ハッシュタグ「嶋崎平人」記事一覧

    東京の世田谷区喜多見に「ニュー成城ゴルフセンター」はある。世田谷通りに面しており、目の前のバス停は「喜多見駅入口」で、小田急線の喜多見駅まで徒歩6分。隣の成城学園前駅でも徒歩13分の便利な場所だ。駐車場は30台分、世田谷通り沿いなのでアクセス抜群である。 クラブハウスの外観はレンガ風のタイルで、建屋の側面がカーブしていてモダンな高級感を漂わせる。2階30打席85ヤード。フロントは明るくきれいでゆったりしたスペース。クラブハウス同様に高級感があり、フロントの女性が明るく筆者を出迎えてくれた。練習場の成り立ちやコンセプトについて、ニュー成城ゴルフセンター・代表取締役・服部朋春氏に取材した。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/08/2.jpg" alt="" width="788" height="591" class="size-full wp-image-89922" /> ニュー成城ゴルフセンター 開業画像 服部代表の父・武夫氏が1972年6月に開業した。服部家は代々この地で農業を営んでおり、武夫氏で9代目、服部氏で10代目だ。敷地には「火の見櫓」が建っていたとのことで、地域の中心的な存在であったことが想像される。ただ、 「うちの父は10歳のときに父親を亡くし、母親と女兄弟3人と男1人で農業を続けていたと聞いています」 武夫氏は大学卒業後、サラリーマンを6年間ほどしていたが、親戚が近隣の等々力と川崎の宿河原でゴルフ練習場を始めていた。父親のいとこにあたる2人で、等々力は都南ゴルフ倶楽部(2020年に閉場)、宿河原は宿河原ゴルフセンターである。当時は高度成長期で尾崎将司、青木功などの活躍もありゴルフがブームとなっていた。親戚が練習場経営をしていることもあり、親から受け継いだ土地をゴルフ練習場として活用することをきめた。武夫氏が20代での決断だった。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/08/3.jpg" alt="" width="788" height="525" class="size-full wp-image-89923" /> ニュー成城ゴルフセンター 土打席 親戚のゴルフ練習場で経験を積ませてもらい1972年の開業にこぎつけた。開場時には、等々力ゴルフセンターでレッスンをしていた浅見勝一プロ(後のPGA会長)の始球式も行われた。開業当時のスペースは現在と同じで、駐車場も当時からネットの下に設置されている構造。いまから50年以上前で敷地を有効に使っていた。 FWは天然芝で、1階15打席2階5打席。打席は土にマットを置いた。当時は世田谷に30以上の練習場があったが、折からのゴルフブームで経営は順調に推移していった。 「今、世田谷の練習場は8場ですが、当時はそれだけあっても経営が成り立っていたんです」 ニュー成城ゴルフセンターの命名は武夫氏である。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/08/6.jpg" alt="" width="788" height="591" class="size-full wp-image-89925" /> ニュー成城ゴルフセンター外観 「当時は近隣に喜多見ゴルフと成城ゴルフクラブがありました。名前を付ける際、他の練習場と被らないように考え、また住所の喜多見は知名度が低いので〝ニュー成城ゴルフセンター〟としたそうです」 服部代表は1975年生まれだが、家族経営だったので、 「小学生のときはボール拾いを手伝わされました。当時のクラブハウスは煙草を吸うお客さんが多く、その臭いがイヤだった記憶あります」 現在のクラブハウス、打席は1992年に武夫氏が決断し、1年間休業、改装してリニューアルオープンした。FWも天然芝から人工芝に変更している。クラブハウスは30年以上経過したとは思えないほどの綺麗さを維持。トイレは外装内装に大理石が使用され、日頃の清掃、メンテナンスの良さが表れている。 女性来場率3割 服部代表は1997年に大学を卒業し、家業に入っている。大学は日本大学の獣医学部(現在:生物資源科学部)で、大学時代は学部のゴルフ部に所属し、トーナメント運営のバイトを中心に活動していた。入社して練習場の各部門を経験し、2015年に社長に就任、経営を引き継いで10年目だ。子供のころから考えれば、ゴルフ練習場の栄枯盛衰を体感しているといってよいだろう。練習場のコンセプトについて、 「ゴルフを通じて地域貢献ができればよいと考えています。また、ゴルフライフを通して、皆さんの人生が豊かになればいいですね」 元々、敷地に「火の見櫓」があった家で、父親の武夫氏は地域の消防団分団長を務めていた。服部氏も全日本ゴルフ練習場連盟のジュニア委員長を2021年から2023年まで務め、ジュニア活動をサポート。世田谷区ゴルフ連盟の事務局長も務めており、会員は92歳から16歳まで650名在籍。年8回の大会でゴルフ振興に貢献している。施設面では練習場のボールを含めて綺麗さにこだわっており、 「私の代になってから、きちんとローテーションを組んで、ボールは5年サイクルで4万球全部を交換しています。また、ネットは10年、人工芝も10年で交換し、鉄骨の塗装も10年サイクルで塗り替えてメンテナンスしています。マットも手に優しい2重構造で、父親の代からこだわっており、分煙テラスも。とにかく、お客様に気持ちよく練習してもらえる環境を重視しています」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/08/5.jpg" alt="" width="788" height="591" class="size-full wp-image-89924" /> ニュー成城ゴルフセンター1階打席 商圏は世田谷通り沿線で、世田谷、狛江、登戸エリアとのこと。男女比率は女性が3割と多く、 「その理由は、トイレを含め施設の綺麗さにこだわっていることはもちろんですが、コロナ禍で女性が2~3名のグループで来場され、その後1名での来場も定着したこと。練習場連盟、JGA実施の"Women's Golf Now"などに積極的に参加していることも影響してると思います」 練習場の課題については、 「ハード面は、鉄塔が創業時からのものなので、定期的にメンテナンスしていますが、今後どうするかが大きな課題です。ソフト面では、少子高齢化で来場者の減少傾向は続いているので、そこをどう繋ぎ止めるか。いろいろチャレンジし、やってダメであれば変えて、とにかくチャレンジし続けます」 50年以上続いている東京世田谷の練習場が、街のオアシスとして今後も継続、ゴルファーを生み出す拠点であり続けることを期待したい。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2025年6月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2025年08月19日
    クラウンゴルフクラブは神奈川県小田原市久野にある220ヤード2階48打席のゴルフ練習場だ。 小田原駅から車で8分、都内からも小田原厚木道路・荻窪インターから10分。順調にいけば80分でアクセスできる。小田原市役所や市内の中心部に近く、傍を流れる山王川からもすぐのロケーション。 取材時間の前に到着したのでフロントの女性に来意を告げると、明るく丁寧な対応で、気持よくロビーで待たせてもらった。この練習場の成り立ちやコンセプトについて、株式会社クラウンゴルフクラブ取締役・山口尚子さんに取材した。 1973年、山口さんの父親・志村精一氏が創業した。志村氏は小田原で飲食業などを幅広く事業展開していたが、別の事業者が経営していた小田原ゴルフガーデン(1972年開業)が売りに出され、これを買収したことに始まる。 売却の理由は不明だが、競売にかけられて志村氏が落札した。名称を「クラウンゴルフクラブ」に変更して、今日に至っている。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/07/2505shimasaki2.jpg" alt="" width="788" height="591" class="aligncenter size-full wp-image-89356" /> 名称について、 「父がどんな理由でこの名前にしたのか、残念ながら聞いていません。名称に『ゴルフクラブ』が付いているので、ゴルフ場と間違ってよく電話がかかってきます。父はゴルフをしていましたが、それほど上手いわけではなく、ゴルフが好きで練習場を始めたというよりも、将来伸びると判断して決めたそうです」 山口さんが経営を引き継いだのは2011年から。その年、父親の志村氏が病で倒れ、復活できないまま3年後に他界された。 山口さんは学生時代からフロント業務のアルバイトで練習場には慣れ親しんでいたが、経営についてはほぼ白紙。そこで母親が社長となり、山口さんの姉と3人で経営を引き継いだが、経営は山口さんと姉の安藤貴子さんの姉妹が中心になった。 姉は東京住まいで、地元在住の山口さんが深く経営に携わってきた。 クラブハウスや打席が古くなり、2階へは急階段で安全上の問題もあったことから、2015年に半年かけてリニューアルを行った。改装中はフィールドが使えたので、無料開放し、マットをひいてボールを打ってもらい常連客を繋ぎとめた。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/07/2505shimasaki4.jpg" alt="" width="788" height="591" class="aligncenter size-full wp-image-89357" /> 同時に工房スペースを大きく確保したが、工房店主の予定者が病で断念したため、今はマッサージの「からだメンテナンス」と理髪店の「カットサロン PIPPO」、ゴルフ工房の「ゴルジョイ」が入っている。 「皆さん個人事業主で私と同世代。仲間で一緒に頑張ってる感じが相乗効果を生んでいるのか、ゴルファーだけでなく、地元の方が多くいらっしゃいます」 筆者は、ゴルフ練習場に理髪店がある光景を初めて見た。65台の駐車スペースもあり、小田原市内中心部に近いロケーションも生かされている。 また、全面改装時にバリアフリーを設け、車いすでも練習場にアクセスできる構造にしたが、ゴルフでの利用者は少なく、マッサージや理髪店の来場時に使うケースがあるという。 現在、ゴルファーの多様性に対する取り組みを進めているので、車いすゴルファーへの認知が広がれば来場者も増えそうだ。 三觜プロのレッスンに 遠方から FWは220ヤードで開業時から変わらないが、打席は最初2階58打席だったものが、クラブの長尺化で打席間隔を広げ、54打席→52打席となり、コロナ禍で打席間隔を広げたため現在は48打席。打席間隔は275㎝と広々している。 これはオートティーアップでないため、打席間隔を自由に広げられた。 商圏は半径5㎞で、小田原市内と隣接する南足柄市も対象になる。地方や海外からの来場者もいるそうだが、それは5名のプロにレッスンの場所貸しをしていることが大きい。 YouTubeで有名な三觜喜一プロのレッスンが月1回あり、それを目当てに遠方から来場するとのこと。 三觜プロはYouTubeで有名になる前からクラウンゴルフクラブでレッスンしており、 「実は、三觜プロのYouTubeチャンネル登録者が多くて、凄いことになっていると知ったのは後のことなんです。YouTubeを始める前から20年以上、ここでレッスンを続けていて、先月は岡山、名古屋、岐阜から受けに来ていました」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/07/2505shimasaki3.jpg" alt="" width="788" height="356" class="aligncenter size-full wp-image-89355" /> レッスン名は「三觜喜一小田原レッスン会」で、午前・午後各20名がすぐに埋まる。 参加者の声は、 「初参加でしたが、内容がとても濃く充実した4時間でした。三觜先生の個別レッスンも、一人一人しっかり時間をとって悩みを聞いていただき大満足です」 と、高評価。 三觜プロはこの練習場を利用して、女子プロのレッスンなども実施している。 昨年の能登半島地震の後も、ゴルフ練習場として何かできないかと、三觜プロの企画で女子プロも参加する能登半島応援チャリティーゴルフレッスン会を実施、150万円を寄贈した。 練習場のコンセプトについて、山口さんはこう話す。 「ゴルフ上達のための場所であると同時に、お客様の笑顔があふれる地域のコミュニケーションの場を目指しています。気楽に地元の人に利用してもらいたいですね」 現在の課題は、 「来場者は男性比率が9割近くで、女性が少ないのです。女性目線で設備を整えているので、もっと増やす施策に注力していきます」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/07/2505shimasaki5.jpg" alt="" width="788" height="591" class="aligncenter size-full wp-image-89358" /> クラウンゴルフクラブの従業員は役員を含めて13名。支配人は先代から務めており、20年以上勤務する従業員も多い。 姉妹で経営するアットホームな雰囲気だけに、地元に愛される練習場として継続してほしい。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2025年5月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2025年07月23日
    「武里ゴルフセンター」は埼玉県春日部市大枝にある2階38打席120ヤードの練習場である。東武スカイツリーライン・伊勢崎線「せんげん台」駅から歩いて10分、練習場の名前になっている「武里」駅から12分の距離にある。筆者は都内から電車で向かったが、スカイツリーのある「押上」駅から「せんげん台」まで35分で、駅から練習場のネットが見えるため、迷うことなく練習場にアクセスできた。 練習場は線路のすぐ横に位置している。同施設の歴史やコンセプトについて、練習場に併設された昭和の香りが漂う「喫茶しんまち」で、ワイ・エム・スポーツ株式会社・武里ゴルフセンター取締役山内善正氏、次男の副支配人山内帝法氏に取材した。社長は母親で、長男が支配人の家族経営である。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/02/2501shima2.jpg" alt="" width="788" height="591" class="size-full wp-image-86546" /> 武里ゴルフセンター打席 開場は昭和44年(1969年)11月11日。当時、この付近は田んぼや畑に囲まれる農業地帯で、山内家もこの地で300年以上農業を営んでいた。練習場を開業した理由について善正氏は、 「昭和41年、線路を挟んだ向こう側に武里団地ができ、東洋一の団地と呼ばれました。ピーク時には2万人以上が居住。せんげん台駅は団地の完成に合わせて昭和42年に開業しています。当時は比較的生活に余裕のある若い世代の入居が多く、団地にゴルフ会ができ、練習場を近隣に作ってほしいとの要望が多かった」 その要望に応える形で、善正氏の父親が現在の土地を活用してゴルフ練習場を開業した。 昭和38年の団地建設に合わせて土地を売却し、タクシー事業も始めたため、資金は比較的潤沢だった。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/02/2501shima3.jpg" alt="" width="788" height="591" class="size-full wp-image-86547" /> 武里ゴルフセンター喫茶しんまち 「練習場建設には3000万~4000万円かかりましたが、銀行との付き合いもあり、資金面での苦労はさほどありませんでした」 という。タクシー事業はバブル時代に多忙を極めたが、人員不足もあり、他社に売却している。善正氏の父親はタクシー事業や、ロータリークラブの関係でゴルフをする機会が多く、練習場事業への参入障壁は低かったとか。現在2代目の善正氏もゴルフに親しんでいた。 そんな家庭環境から、善正氏は一時プロを目指し、大学を中退して2年間栃木CCで研修したが、22歳で身体を壊してプロを諦め、家業のゴルフ練習場に専念した。プレーはアマチュアとして続け、輝かしい戦歴の持ち主でもある。スポーツニッポンの内閣総理大臣杯争奪第28回日本社会人ゴルフ選手権に優勝(1997年)、その翌年には日本アマチュア選手権の決勝にも進出。鴻巣CCのクラブチャンピオンに6回、他のゴルフ場でもクラチャンに。 若き日の中嶋常幸プロもアマチュア時代にこの練習場へ足を運んだ。中嶋プロは、当時日刊スポーツが開催していた練習場対抗のゴルフ大会に「武里ゴルフセンター」からエントリーしていたという。 「武里ゴルフセンター」の名前は、「武里」は武里団地が出来てその名前に親しみがあり、また昔は武里村だったことから地名を取った。ゴルフ練習場よりも「かっこいい」と考えて「ゴルフセンター」に命名している。同施設の特色やポリシーについて、善正氏と帝法氏は異口同音にこう説明する。 「楽しくゴルフをやってもらうことに徹しています。特にプレー料金は平日、土日祝日も同一料金で、2時間打ち放題1400円(税別)等で提供しています」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/02/2501shima4.jpg" alt="" width="788" height="525" class="size-full wp-image-86548" /> 武里ゴルフセンター大枝公園サマーフェスタチラシ 商圏について帝法氏は、 「武里団地も含めて半径3~5kmぐらいの範囲ですね。足立区からも車でバイパスを利用したアクセスが良いので、日曜日などに来場されています。顧客年齢は、団地の住人が老齢化していますが、若い世代も増えて50代が中心です」 酷暑対策も課題 「武里ゴルフセンター」は開業から55年が経過しており、地元での知名度も高く、近隣の武里南小学校の職場体験の場になっている。昨年、次男の帝法氏と支配人の長男が話し合い、地元を盛り上げようと「大枝公園2024サマーフェスタ」を地元有志、自治体と連携して開催した。地元企業の協賛を得、屋台やスナッグゴルフでゲームを体験してもらうなど、地元を盛り上げた。 今後の課題は、開場55年が経過して施設(鉄塔)等の老朽化が進んでいること。塗装等のメンテナンスは逐一行っているが、建替えを含めて検討中。異常気象の影響で竜巻のような突風が吹くこともあり、風速12mになると自動でネットが下がるが、急激に吹き始めることがあり、 「怪しいと思ったら、その前にネットを下げる必要があります」 取材時も、関東の空っ風が強く、ネットを少し下げて営業していた。また、酷暑対策も大きな課題で、 「35度を超えると来場者が極端に減ります。気温は記録していますが、猛暑日も増えて尋常ではなく、このままでは営業形態を変えるなどの工夫が必要かもしれません。将来のどこかで建替えが必要になると思うので、単に建替えるだけではなく、例えば屋内型の練習場も含め、楽しんでゴルフを続けてもらう施策が必要でしょう。ゴルフ界全体としても、ゴルフの魅力をもっとアピールして、新規ゴルファーを育てなければと思っています」 と、頼もしい。大掛かりな設備改修は、コストの償却に長い時間を必要とする。屋外練習場の閉鎖が続く昨今だけに、この事業に対する情熱と覚悟が伺える。 「武里ゴルフセンター」は、開場後すぐに会社組織とし、先代から相続対策を含めて周到に準備。55年の歴史を後世につなぐ構えである。 武里団地も、老朽化対策としてMUJIとコラボ、リノベーションするなど、若い世代を積極的に取り込もうとしている。地元に根付くこの練習場と団地の連携も、遠からず実現するかもしれない。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2025年1月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2025年02月23日
    昭和ゴルフは千葉県富里市御料にある。周囲には畑や牧場が広がる地域密着のゴルフ練習場だ。東関東自動車道の富里ICから車で10分、周辺にはゴルフ場もありゴルファーにとってはアクセスがよい。防球ネットがないフラットな350ヤードの打ち放しで、1階115打席の天然芝が広がる開放的な空間に年間13万人が来場する。敷地は駐車場や周辺の土地を含めて7万5000坪超。 打席からフェアウェイを初めて見た時、マスターズの舞台であるオーガスタナショナル・ゴルフクラブの練習場を彷彿させる広さと解放感が心地よかった。同施設の成り立ちやコンセプトについて川島哲也支配人に取材した。同氏は勤続25年、支配人になって13年目。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/12/2411shimasaki2.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="aligncenter size-full wp-image-84421" /> 昭和ゴルフの開場は1984年、元は馬の牧場跡地であった。成田空港にも近い富里は、馬の飼育で有名な地域。ここに練習場を造ったのは栃木県で運送会社を経営していた河上一吉氏(故人)であった。ゴルフ好きで、自分の楽しみのためにこの土地を1982年頃に購入し、自ら重機を運転して土地を開墾した。その造成中、知人達から、 「これだけ広い練習場ならビジネスとして成り立つのではないか」 と言われ、練習場経営を決めた。究極の道楽が、ビジネスになった。 当初は85打席でスタートしたが、折からのゴルフブームで打席待ちが出る盛況ぶりに、すぐ115打席に増設している。初代の河上社長はシングルの腕前で、鷹之台やカレドニアンのメンバーだっただけに練習場の向きも含めて設計に携わった。 経営は順風満帆で、朝から1時間待ちの行列はざら。営業は9時から深夜零時、1時まで延長することもあったとか。「昭和ゴルフ」の名称は、開業した昭和59年の年号から取ったのでは、との話である。 川島支配人の入社は1999年で、初代経営者・河上社長の時代だった。「雲の上の存在」だった河上社長は、しかし、本業の経営が厳しくなり、2002年に仕事の関係先だった古谷建設株式会社の古谷務社長に経営を委譲。河上氏のゴルフへの想いは強く、従業員を含めて練習場を残す形でのバトンタッチだったという。バトンを受けた古谷氏もゴルフへの造詣が深く、 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/12/2411shimasaki4.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="aligncenter size-full wp-image-84423" /> 「ゴルフ練習場を良くすることに熱心で、ほぼ毎日顔を出され、2010年にクラブハウスを増設、2019年には照明をLED化しています。打席から先は天然芝が350ヤード広がっており、芝の手入れは近隣のゴルフ場を管理している会社に委託。そのため、ゴルフ場のフェアウェイと同等の緑を確保しています」(川島支配人) 経営母体の古谷建設は、経営理念として「優れた施工とサービスで顧客を創造する」を掲げている。1967年に運送業を立ち上げ、現在千葉県を中心に総合建設会社として発展中。その発展を後押ししたのは、手間がかかっても、とにかく綺麗なものに仕上げようという意識であった。その方針が練習場経営にも生かされており、川島支配人は、 「とにかく練習場をきれいにすることと、分け隔てのない接客を心掛けることが、2代目の経営者から引き継がれています」 とのことで、練習場の導入路から綺麗に清掃されているのが印象に残った。2代目社長の古谷務氏は昨年他界され、3代目の古谷秀一氏が経営を担っている。 <h2>ドラコンプロお断り</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/12/2411shimasaki3.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="aligncenter size-full wp-image-84422" /> その昭和ゴルフの特長は、 「言うまでもなく、ゴルフ場と変わらない350ヤードのフェアウェイです。ゴルフ場と同じ環境で打てることが当社の魅力ですが、創業時からゴルファー目線も大事にしてるんですね。例えば、自動ティーアップ機は導入していません。創業者の河上社長のこだわりで、実際のプレーではゴルファー自身がティーアップするので、より実践に近い形で練習できるようにとの配慮です」 価格を抑えて練習に打ち込めるよう、入場料300円、貸しボール200円/50球で、打席料、照明料、貸しクラブは無料。 「1コインから練習ができる環境を提供しています」 現在はICカードだが、5年前まではプリペイドカード式で、さらにそれ以前はコインで球貸しする方式であった。 ただ、素晴らしい環境ゆえの悩みもある。入り口に表示されている「ドラコンプロお断り」の張り紙である。この練習場環境を知って、ドラコンプロが来場し、350ヤードを超える打球が場外へ飛び出す事例が多発してしまったのだ。 「使用ボールは1ピースなので、試合球ほど飛びませんが、それでも350ヤードを超える球が打たれてしまいました。現在、ドラコンプロは来場していませんが、それでも腕自慢が来場して、350ヤード先の畑に行ってしまうことがあります」 と、川島支配人は苦言を呈する。LED照明に照らされた美しい緑のフェアウェイを、幻想的に飛んでいくボール。飛ばし自慢には最高の環境が徒になった格好ではある。 スクールは実施しておらず、プロが個人で場所を借りてレッスンする方式だという。練習場の課題について、川島支配人は、 「昭和ゴルフの来場者は上級者が多く、敷居が高いと思われています。初心者や女性が来やすい環境をどう整えるかが今後の課題。また、練習ボールは18万球で運営してますが、他の練習場と同じで入れ替え用ボールの納期に時間がかかり、交換のタイミングが延びていることも悩みのひとつですね」  設備的には、アプローチ、バンカー、パッティンググリーンがないので、将来的には敷地の広さを生かして設けたいという。これ以上望めないほどの広いスペースがあるだけに、ゴルフ界としても今後様々な活用法が期待できそうだ。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年11月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年12月20日
    ニッケゴルフ倶楽部コルトンセンターは、千葉県市川市鬼高にある200ヤード、2階80打席の練習場である。京成鬼越駅より徒歩6分、JR本八幡駅・下総中山駅より徒歩12分、車でも京葉道路の市川ICから2㎞とアクセス抜群な場所にある。ショッピングモールのニッケコルトンプラザに隣接しており、賑わいのある街に位置している。その成り立ちやコンセプトについて、同施設を運営する株式会社ニッケウエルネス・執行役員・ゴルフ事業部部長の小林ひとみ氏に取材した。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/10/2409shimazaki2.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-83587" /> ニッケゴルフ倶楽部コルトンセンター入り口 ニッケゴルフ倶楽部コルトンセンターは1988年に開場している。「ニッケ」は日本毛織株式会社の通称で、1896年創業の100年企業だ。現在、ニッケグループは祖業である毛織物業から「みらい生活創造企業」を目指して多様な事業を展開中。ニッケウエルネスは「人とみらい開発事業本部」に所属するニッケのグループ企業である。 ニッケがゴルフ練習場事業に参入したのは1971年のこと。ニッケグループが保有していた兵庫県明石にあった土山牧場(5・5万坪)の土地を有効活用して、収益性の高い事業を模索する中で、ゴルフの大衆化という時代の要請もあり、9ホールのショートコース・土山ゴルフ場と、50打席の練習場・ニッケ土山ゴルフセンターを開設したのが始まりだ。その後工場跡地、遊休地を活用して、1972年ニッケ京口ゴルフセンター、1983年ニッケ加古川ゴルフセンター、1986年ニッケ弥富ゴルフコース、1987年ニッケ岐阜ゴルフセンター、1988年ニッケコルトンゴルフセンター(現ニッケゴルフ倶楽部コルトンセンター)を開場。合計8拠点のゴルフ施設を運営している。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/10/2409shimazaki3.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-83589" /> ニッケゴルフ倶楽部コルトンセンター受付 今回取り上げるニッケゴルフ倶楽部コルトンセンターは、ニッケの中山工場跡地(5・1万坪)である千葉県市川市の中心帯の土地活用から生まれた。この地域でニッケの50年以上にわたる地元とのつながりを踏まえ、市の発展につながる商業施設と地域コミュニティの中心としての役割、レジャー・スポーツ・憩いの広場を提供し、地元との一体感を醸成するなど、多様な開発計画の一環としてゴルフ練習場が組み込まれた。1988年に商業施設のニッケコルトンプラザが誕生し、その付帯施設という位置づけである。 開業当初は「ニッケコルトンゴルフセンター」の名称だったが、2020年にスポーツ事業をニッケウエルネスにまとめ、それ以前の2018年に練習場をニッケゴルフ倶楽部に統一、現在の名称になっている。 練習場や商業施設に付記される「コルトン」は、米国カリフォルニア州ロサンゼルス郊外のサンベルナルディーノ市内のリゾート地・コルトン地区に由来している。東京都心と市川市の位置関係が、コルトン地区の所在地と似ていることが命名の理由。また、「COLT」は英語で子馬の意味で、「緑」「水」「生活」のバランスがとれ、シティーリゾートとして成長・発展したいとの願いが込められている。 シニアと若者を大切に <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/10/2409shimazaki4.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-83590" /> ニッケゴルフ倶楽部コルトンセンター・打席 「ニッケ全体として、天然芝のフィールドを特色にしています。ここも150ヤードまでは天然芝。解放感を楽しみながら、ゴルフ場に近い環境で練習でき、アプローチ練習にも有効だと思っています」 と、小林部長は強調する。 ニッケウエルネスのコーポレートミッションとして“人びとの健康とスポーツの未来に貢献できる「スポーツのチカラ」を創造する”があり、“地域に根差した企業として、子供からお年寄りまでの体作りをサポートしていく”との方針がある。 「長くゴルフを続けて頂くために、2019年から練習場内でコンディショニングスクールを運営。ケガをしない体をつくって、長く健康でゴルフを楽しんで頂きたい」 コンディショニングスクールはインストラクターが指導するが、会員はスクール時間外も自由に可動域と柔軟性を高めるストレッチ機器等を使用できる。この考え方は練習場の営業方針にも反映されており、基本的に通常営業は球貸しのみで打ち放題はやっていないが、 「若い世代にはゴルフを始めてもらい、シニア世代にはゴルフを続けてもらいたいとの思いから、75歳以上と、18歳~29歳の世代には90分打ち放題を実施しています」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/10/2409shimazaki5.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-83591" /> ニッケゴルフ倶楽部コルトンセンター・案内板 年代別の来場者は、50代:28%、60代:20%、40代:17%、30代:13%の順で、18歳~29歳の打ち放題利用者が徐々に増えているとか。女性比率は15%となっている。 商圏は練習場を中心に5㎞圏内をカバー。市川市を中心に江戸川より東側で、商業施設のコルトンプラザに家族で買い物に来た時に、練習場へ立ち寄るパターンもある。 スクールはブリヂストンゴルフアカデミーを導入し、生徒数は500名以上。ゴルフ用品の販売にも貢献している。また、全店共通の「ニッケスコアアップシステム」を独自に開発。レベル1~9までをスコアで分け、レベル1がコース未経験者、レベル9が74以下のスコアが対象。ステップアップを実感することで、モチベーションの維持やスクール継続に役立てている。 小林部長は今後の課題について、 「ゴルフ人口減少の中で、まずは現状維持が大切です。そのためにはシニアを大事にすること、若い方にもスポットを当てることです。ゴルファーを生み出し、継続してもらうためには、ゴルフスクールの活性化が大事だと考えています。また、開場から年数が経っているので、事業継続のためにも施設老朽化が課題となっています」 近年、企業系の練習場は閉鎖傾向が目立っている。そんな中、ニッケグループが掲げる“人びとの健康とスポーツの未来に貢献”は、ゴルフ界にとって光明であり、確立された収益モデルは他施設の参考になるだろう。この事業の発展を願う。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年9月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年10月20日
    千葉市緑区土気町に、ゴルフパートナーの千葉土気練習場店・千葉ショートコースはある。外房線の土気駅より徒歩15分で車がなくてもアクセスでき、千葉東金道路中野ICより5分の好立地だ。ゴルフパートナー直営の練習場で、72打席200ヤードの施設に加え、10ホールのショートコース、ゴルフパートナー店を併設している。 ショートコースは1418ヤードのパー31で、最長は210ヤードのパー4である。今回は同施設のマネージャーであり、ゴルフパートナー練習本部直営練習場運営部スクール事業課も兼務する、毛塚久人氏に取材した。毛塚マネージャーはPGAティーチングプロB級の資格を持つ。学生時代は日大経済学部の学部ゴルフ部に所属。 「ゴルフ関係の仕事がしたい」 と、新卒で2011年に同社へ入社。八重洲北口店で副店長、宝町昭和通り店では店長も務めた。 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/2022042002.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-71562" /> 「でも、クラブの店頭販売だけで本当にお客様のニーズに応えられているのか。そんな疑問を感じていたとき、社内にスクール事業課ができ、同課に移りたいと希望しました」 丁度、新潟の燕三条店でショップを併設したインドアゴルフ練習場のスクールでプロが退職、人員が必要となりそこに異動した。赴任中にティーチングプロB級の資格を取得。新潟で3年、その経験を生かして川越のR16川越インドア練習店のスクール立ち上げを行った。 ショップ、練習場、スクールの経験を積み、2019年から現職。マネージャーとレッスン事業を兼務する。現在全国に30あるゴルフパートナーの、スクール運営統括も担当している。 ゴルフパートナー千葉土気練習場は、1985年に地元有志が共同でゴルフアリーナとして立ち上げた。当時から200ヤードの練習場と10Hのショートコースで、今も基本的な構成は変わっていない。ゴルフパートナーが運営を始めてから14年が経過。同氏の役割は一義的に、 「スクール、ショートコースを活用して練習場の売上を上げること」 だという。練習場の料金は基本的に時間内の打ち放題で、平日60分1200円、120分1500円だ。ショートコースは平日10Hプレーで2000円、休日3000円。 また、1カ月間のフリーパスで練習場・ショートコースを使い放題で1万8000円のプランもある。女性は平日のみ1万円のフリーパスが人気だとか。スクール専用の6打席があり、月謝を払えばスクール受け放題。複数のプランがあるのだが、平日昼間のみ6600円、全日全時間帯9900円である。 楽天とも協働する <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/IMG_8211.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-71563" /> 年間10万人が来場し、スクール生は200名近く在籍している。練習場、スクール、ショップが一体となったワンストップ型であり、ショートコースまで併設する「四位一体」の施設は、ゴルフパートナー系列でここだけだ。ゴルフ練習場の一つの理想の姿ではないかと思う。 「スクール、ショップ、練習場に加えてショートコースもあるので、運営上、様々なチャレンジが出来るのが面白いところです」 また、ゴルフ未経験者へのアプローチとして、ゴルフパートナーには「<a href="https://www.golfpartner.co.jp/html/campaign/firstgolfclub/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">はじめてのごるふくらぶプロジェクト</a>」があり、これに登録すればクラブを1本無料でくれる。スクール、ショートコース、おまけにゴルフクラブも安価に手に入る総合力はほかに例がないだろう。 それだけではない。練習場からゴルフ場へジャンプするには、初心者にとって多くのハードルがある。その壁を取り払うため、特に若者世代と相性が良い楽天GORAを通じて、平日「20代~30代限定プラン★廻り放題+60分打ち放題」で税込み2000円のプランを提案している。毛塚マネージャーは、 「新規ゴルファーの創出は、来場した若い世代をリピーターにできるかが鍵で、3回リピートしてもらえればゴルファーとして定着します。そのために、このプランで来場した若い人に、仲間と一緒に使える割安クーポン券を配り、仲間と再来場を促す施策を行なっています」 自社だけで完結せず、他社と協働することにも前向きだ。 若い世代がゴルファーとして定着するには、「上達」が不可欠とされている。上手になれば楽しくなり、練習やプレー頻度が高まって、用品用具への支出も高まるという、相乗効果が期待できる。上達を促すのがスクールであり、毛塚マネージャーはこの点について、 「通常、練習場はその支配人が管理運営し、スクールは教えるプロが中心で運営されることが多いんです。練習場とスクールが一体で運営される施設が理想的ですが、実際には少ないのが現状です」 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2022/04/2022042004.jpg" alt="" width="788" height="525" class="size-full wp-image-71567" /> ゴルフパートナー千葉土気ショートコース ただし同氏は、ゴルフパートナーのスクールを統括しており、自身もティーチングプロB級の資格を持つ。この「土気」の練習場でマネージャーを兼ねながらレッスン業務にも携わる毛塚マネージャーの体験が、今後ゴルフパートナーのスクール展開に生かせるのではないかと思われる。同社の直営スクールは30あり、成功事例を増やしながらノウハウを蓄積し、フランチャイズでのスクール展開を胸中に描いているようだ。運営数と内容の双方で、世界一を目指したいという。 ゴルフ練習場の課題について、「ひとつは、50代後半以降の男性常連客への対応がマンネリ化しています。いかに新鮮・目新しさを演出できるかが大事。もうひとつはコロナ禍でゴルフを始めた若い世代、子育てがいったん終わった世代にもゴルフを楽しんでもらいたいですね。上手く世代交代しないとゴルフ業界の先は厳しいと思う。今後はディズニーランドが競争相手になってくると思いますが、ゴルフの敷居を下げるためにも施設で『音楽を流す』など、もっと遊べる環境に生まれ変わることが必要でしょう」――。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年4月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://www.gew.co.jp/magazine">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2022年04月25日
    都内で一番古くから現存しているゴルフ練習場は、1953年から70年近く経営を続けている東京・上目黒の「目黒ゴルフ練習場」。都心とは思えない閑静な住宅地にある、緑の深い3000坪の敷地に3階建て、約50ヤードの屋外施設だ。 打ちっぱなしのほかにゴルフスクール(コモゴルファーズアカデミー)と茶房のある別建ての3階・地下1階建てのゴルフ館、さらにアウトドアとインドアのテニスコートも併設するが、なぜ、この都心の地で70年近く練習場を続けてこられたのか? 特に都内ではアウトドアの練習場が次々と閉鎖する中で、興味深い事例といえる。練習場業界の未来を占うことを含め、「目黒ゴルフ練習場」の取締役で創業者の娘である三宅美知子氏の話を交えながら、これまでの経緯を振り返ろう。 70年前に練習場を始めた理由 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2021/10/miyake.jpg" alt="" width="525" height="659" class="aligncenter size-full wp-image-68809" /> 「もともと浅草に居を構えていた父・小森正一郎が、戦争で疎開することになりましてね、この中目黒の地に疎開で移ってきたのです。竹藪が多い4000坪の土地でしたが、畑を作って野菜を育てたという話です。父は戦後、心豊かに働ける仕事を探す中で、スキー場やシャープペンシルなどの事業も手掛けますが、その中でゴルフ練習場は『心豊かな』『楽しく』にピッタリだと。それが創業の理由です。父は、『楽しく語らうスポーツとしてのゴルフ』を愛していました」 現存する都内最古の練習場は1953年、終戦後8年で産声をあげたことになる。ただしその2年前、今の上智大学のグラウンドに「四谷ソフェィアゴルフクラブ」が、当時としては珍しいアウトドアの練習場として開場していた。「目黒ゴルフ練習場」は、これに続く形での開業となる。当時、打席は平屋建てで、「四谷ソフェィアゴルフクラブ」が閉鎖してからは、財界の錚々たる人々が黒塗りの車で「目黒」に乗りつけ、運転手を待たせて練習に励んだという。 「創業当時、ゴルフは一部の裕福な人々が楽しんでいました。現在、テニスコートがある場所にショートコースがありましたけど、一般の人は長くそのことを知らなかったと思います」 環状7号線の内側で、山手通りにも近く、都心の目黒区にあるゴルフ練習場。だが、戦中は「田舎の疎開先」であったことが、時間の流れを感じさせる。 その後、現在に至るまで、いくつかのエポックを経験している。 「オイルショック(1975年)のときは厳しくて、廃業も考えましたけど、なんとか頑張って続けました。逆に、80年代後半のバブルの頃は、マンション、スポーツクラブ、老人ホームの建設などで売ってほしいと、多くの話を頂きます。でも、育った環境をそのまま守りたい気持ちが強くて」 手放さなかった。それどころか、バブル崩壊の前年に当たる1990年には、防球ネット及び打席を3階に建て替えて事業の継続を旗幟鮮明にした。 「今もお客様と対面していますけど、このお客様の為に続けなければ、と思っているんですね。お客様に支持して頂けることが、頑張るための原動力です。創業から70年近くたって、お客様も3世代にわたって来場されて、おじいちゃん、おばあちゃんと孫が一緒に来るんですね。父は創業時に、みなさんの『笑顔をみていたい』という気持ちではじめましたが、私もそれを引き継いでいるんです」 練習場はゴルファー創出の場であり、必要とされるなら続けたい、次の世代につなげたいと考えている。 「練習場は、採算をとるのがきびしい仕事だと思いますけど、お客様のニーズがある限り、続けたいです」 <h2>ゴルフスクールは四半世紀</h2> <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2021/10/meguro1.jpg" alt="" width="788" height="525" class="size-full wp-image-68810" /> 目黒ゴルフ練習場創業時ショートコース ゴルフスクールの開始は1996年だから、25年経つ。スクールを始めたきっかけは「健康」と「仲間づくり」に寄与するためだったという。 「ゴルフは生涯出来るスポーツです。でも、当時は『身体を痛めなければ上手くならない』というおかしな風潮がありましてね。私自身メディカル(薬剤師の免許保有)を目指したこともあって、きちんとしたやり方で『生涯ゴルファー』をつくりましょう、と。これを目標にしてスクールを始めたのです」 上達・健康・仲間づくりを掲げ、「何歳になってもゴルフを楽しめる」を目指すゴルフスクールは、トレーナーとプロがコラボして、ジュニア育成にも注力している。プロが技術を、トレーナーが身体を、さらにドクター(成形外科)の協力も取りつけている。 練習場業界の将来については、バーチャルゴルフなど新たな世界に侵食されることを予期しながらも、 「この練習場は、人と人のコミュニケーションツールとして、生涯にわたるQOL(クオリティーオブライフ)を体現していると思っています。それがあれば続けられる、そう確信していますし、それがみんなのやりがいなんです」 ゴルフ練習場は、ゴルフの練習やスポーツの場としてだけではなく、地域のコミュニケーションの場として大きな役割を担っていける。地域に必要不可欠な存在になれば、ゴルフ練習場事業は必ず継続できるはずだ。 ただ、都内の屋外型のゴルフ練習場は減少傾向であることも事実。目黒ゴルフ練習場も、当初は4000坪の敷地があったが、現在は3000坪である。先代からの相続の時に土地を売却して、事業を継承したためだ。ゴルフ練習場事業を継続するには、理念だけでなく、次の世代にゴルフ練習場をどう引き継げるかが大きな課題となっている。 この点については、事業承継に詳しい株式会社青山財産ネットワークスの執行役員・野口忠夫氏に話を伺った。ゴルフ練習場やテニスクラブが継続できなくなる一番の理由は、やはり「相続」とのことである。広い土地を使用するゴルフ練習場やテニスコートは相続では更地扱いとなり、その評価額の55%の相続税が課せられる。都内であれば、場所や面積によって異なるものの、億単位の相続税を覚悟する必要がある。 この相続税対策を含め、ゴルフ練習場を事業としてどのように継承できるか。次号で検証してみたい。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2021年7月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://www.gew.co.jp/magazine">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2021年10月31日

    すべて読み込まれました。