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    ハッシュタグ「~シリーズゴルフ練習場ビジネス~」記事一覧

    クラウンゴルフクラブは神奈川県小田原市久野にある220ヤード2階48打席のゴルフ練習場だ。 小田原駅から車で8分、都内からも小田原厚木道路・荻窪インターから10分。順調にいけば80分でアクセスできる。小田原市役所や市内の中心部に近く、傍を流れる山王川からもすぐのロケーション。 取材時間の前に到着したのでフロントの女性に来意を告げると、明るく丁寧な対応で、気持よくロビーで待たせてもらった。この練習場の成り立ちやコンセプトについて、株式会社クラウンゴルフクラブ取締役・山口尚子さんに取材した。 1973年、山口さんの父親・志村精一氏が創業した。志村氏は小田原で飲食業などを幅広く事業展開していたが、別の事業者が経営していた小田原ゴルフガーデン(1972年開業)が売りに出され、これを買収したことに始まる。 売却の理由は不明だが、競売にかけられて志村氏が落札した。名称を「クラウンゴルフクラブ」に変更して、今日に至っている。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/07/2505shimasaki2.jpg" alt="" width="788" height="591" class="aligncenter size-full wp-image-89356" /> 名称について、 「父がどんな理由でこの名前にしたのか、残念ながら聞いていません。名称に『ゴルフクラブ』が付いているので、ゴルフ場と間違ってよく電話がかかってきます。父はゴルフをしていましたが、それほど上手いわけではなく、ゴルフが好きで練習場を始めたというよりも、将来伸びると判断して決めたそうです」 山口さんが経営を引き継いだのは2011年から。その年、父親の志村氏が病で倒れ、復活できないまま3年後に他界された。 山口さんは学生時代からフロント業務のアルバイトで練習場には慣れ親しんでいたが、経営についてはほぼ白紙。そこで母親が社長となり、山口さんの姉と3人で経営を引き継いだが、経営は山口さんと姉の安藤貴子さんの姉妹が中心になった。 姉は東京住まいで、地元在住の山口さんが深く経営に携わってきた。 クラブハウスや打席が古くなり、2階へは急階段で安全上の問題もあったことから、2015年に半年かけてリニューアルを行った。改装中はフィールドが使えたので、無料開放し、マットをひいてボールを打ってもらい常連客を繋ぎとめた。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/07/2505shimasaki4.jpg" alt="" width="788" height="591" class="aligncenter size-full wp-image-89357" /> 同時に工房スペースを大きく確保したが、工房店主の予定者が病で断念したため、今はマッサージの「からだメンテナンス」と理髪店の「カットサロン PIPPO」、ゴルフ工房の「ゴルジョイ」が入っている。 「皆さん個人事業主で私と同世代。仲間で一緒に頑張ってる感じが相乗効果を生んでいるのか、ゴルファーだけでなく、地元の方が多くいらっしゃいます」 筆者は、ゴルフ練習場に理髪店がある光景を初めて見た。65台の駐車スペースもあり、小田原市内中心部に近いロケーションも生かされている。 また、全面改装時にバリアフリーを設け、車いすでも練習場にアクセスできる構造にしたが、ゴルフでの利用者は少なく、マッサージや理髪店の来場時に使うケースがあるという。 現在、ゴルファーの多様性に対する取り組みを進めているので、車いすゴルファーへの認知が広がれば来場者も増えそうだ。 三觜プロのレッスンに 遠方から FWは220ヤードで開業時から変わらないが、打席は最初2階58打席だったものが、クラブの長尺化で打席間隔を広げ、54打席→52打席となり、コロナ禍で打席間隔を広げたため現在は48打席。打席間隔は275㎝と広々している。 これはオートティーアップでないため、打席間隔を自由に広げられた。 商圏は半径5㎞で、小田原市内と隣接する南足柄市も対象になる。地方や海外からの来場者もいるそうだが、それは5名のプロにレッスンの場所貸しをしていることが大きい。 YouTubeで有名な三觜喜一プロのレッスンが月1回あり、それを目当てに遠方から来場するとのこと。 三觜プロはYouTubeで有名になる前からクラウンゴルフクラブでレッスンしており、 「実は、三觜プロのYouTubeチャンネル登録者が多くて、凄いことになっていると知ったのは後のことなんです。YouTubeを始める前から20年以上、ここでレッスンを続けていて、先月は岡山、名古屋、岐阜から受けに来ていました」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/07/2505shimasaki3.jpg" alt="" width="788" height="356" class="aligncenter size-full wp-image-89355" /> レッスン名は「三觜喜一小田原レッスン会」で、午前・午後各20名がすぐに埋まる。 参加者の声は、 「初参加でしたが、内容がとても濃く充実した4時間でした。三觜先生の個別レッスンも、一人一人しっかり時間をとって悩みを聞いていただき大満足です」 と、高評価。 三觜プロはこの練習場を利用して、女子プロのレッスンなども実施している。 昨年の能登半島地震の後も、ゴルフ練習場として何かできないかと、三觜プロの企画で女子プロも参加する能登半島応援チャリティーゴルフレッスン会を実施、150万円を寄贈した。 練習場のコンセプトについて、山口さんはこう話す。 「ゴルフ上達のための場所であると同時に、お客様の笑顔があふれる地域のコミュニケーションの場を目指しています。気楽に地元の人に利用してもらいたいですね」 現在の課題は、 「来場者は男性比率が9割近くで、女性が少ないのです。女性目線で設備を整えているので、もっと増やす施策に注力していきます」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/07/2505shimasaki5.jpg" alt="" width="788" height="591" class="aligncenter size-full wp-image-89358" /> クラウンゴルフクラブの従業員は役員を含めて13名。支配人は先代から務めており、20年以上勤務する従業員も多い。 姉妹で経営するアットホームな雰囲気だけに、地元に愛される練習場として継続してほしい。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2025年5月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2025年07月23日
    「武里ゴルフセンター」は埼玉県春日部市大枝にある2階38打席120ヤードの練習場である。東武スカイツリーライン・伊勢崎線「せんげん台」駅から歩いて10分、練習場の名前になっている「武里」駅から12分の距離にある。筆者は都内から電車で向かったが、スカイツリーのある「押上」駅から「せんげん台」まで35分で、駅から練習場のネットが見えるため、迷うことなく練習場にアクセスできた。 練習場は線路のすぐ横に位置している。同施設の歴史やコンセプトについて、練習場に併設された昭和の香りが漂う「喫茶しんまち」で、ワイ・エム・スポーツ株式会社・武里ゴルフセンター取締役山内善正氏、次男の副支配人山内帝法氏に取材した。社長は母親で、長男が支配人の家族経営である。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/02/2501shima2.jpg" alt="" width="788" height="591" class="size-full wp-image-86546" /> 武里ゴルフセンター打席 開場は昭和44年(1969年)11月11日。当時、この付近は田んぼや畑に囲まれる農業地帯で、山内家もこの地で300年以上農業を営んでいた。練習場を開業した理由について善正氏は、 「昭和41年、線路を挟んだ向こう側に武里団地ができ、東洋一の団地と呼ばれました。ピーク時には2万人以上が居住。せんげん台駅は団地の完成に合わせて昭和42年に開業しています。当時は比較的生活に余裕のある若い世代の入居が多く、団地にゴルフ会ができ、練習場を近隣に作ってほしいとの要望が多かった」 その要望に応える形で、善正氏の父親が現在の土地を活用してゴルフ練習場を開業した。 昭和38年の団地建設に合わせて土地を売却し、タクシー事業も始めたため、資金は比較的潤沢だった。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/02/2501shima3.jpg" alt="" width="788" height="591" class="size-full wp-image-86547" /> 武里ゴルフセンター喫茶しんまち 「練習場建設には3000万~4000万円かかりましたが、銀行との付き合いもあり、資金面での苦労はさほどありませんでした」 という。タクシー事業はバブル時代に多忙を極めたが、人員不足もあり、他社に売却している。善正氏の父親はタクシー事業や、ロータリークラブの関係でゴルフをする機会が多く、練習場事業への参入障壁は低かったとか。現在2代目の善正氏もゴルフに親しんでいた。 そんな家庭環境から、善正氏は一時プロを目指し、大学を中退して2年間栃木CCで研修したが、22歳で身体を壊してプロを諦め、家業のゴルフ練習場に専念した。プレーはアマチュアとして続け、輝かしい戦歴の持ち主でもある。スポーツニッポンの内閣総理大臣杯争奪第28回日本社会人ゴルフ選手権に優勝(1997年)、その翌年には日本アマチュア選手権の決勝にも進出。鴻巣CCのクラブチャンピオンに6回、他のゴルフ場でもクラチャンに。 若き日の中嶋常幸プロもアマチュア時代にこの練習場へ足を運んだ。中嶋プロは、当時日刊スポーツが開催していた練習場対抗のゴルフ大会に「武里ゴルフセンター」からエントリーしていたという。 「武里ゴルフセンター」の名前は、「武里」は武里団地が出来てその名前に親しみがあり、また昔は武里村だったことから地名を取った。ゴルフ練習場よりも「かっこいい」と考えて「ゴルフセンター」に命名している。同施設の特色やポリシーについて、善正氏と帝法氏は異口同音にこう説明する。 「楽しくゴルフをやってもらうことに徹しています。特にプレー料金は平日、土日祝日も同一料金で、2時間打ち放題1400円(税別)等で提供しています」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/02/2501shima4.jpg" alt="" width="788" height="525" class="size-full wp-image-86548" /> 武里ゴルフセンター大枝公園サマーフェスタチラシ 商圏について帝法氏は、 「武里団地も含めて半径3~5kmぐらいの範囲ですね。足立区からも車でバイパスを利用したアクセスが良いので、日曜日などに来場されています。顧客年齢は、団地の住人が老齢化していますが、若い世代も増えて50代が中心です」 酷暑対策も課題 「武里ゴルフセンター」は開業から55年が経過しており、地元での知名度も高く、近隣の武里南小学校の職場体験の場になっている。昨年、次男の帝法氏と支配人の長男が話し合い、地元を盛り上げようと「大枝公園2024サマーフェスタ」を地元有志、自治体と連携して開催した。地元企業の協賛を得、屋台やスナッグゴルフでゲームを体験してもらうなど、地元を盛り上げた。 今後の課題は、開場55年が経過して施設(鉄塔)等の老朽化が進んでいること。塗装等のメンテナンスは逐一行っているが、建替えを含めて検討中。異常気象の影響で竜巻のような突風が吹くこともあり、風速12mになると自動でネットが下がるが、急激に吹き始めることがあり、 「怪しいと思ったら、その前にネットを下げる必要があります」 取材時も、関東の空っ風が強く、ネットを少し下げて営業していた。また、酷暑対策も大きな課題で、 「35度を超えると来場者が極端に減ります。気温は記録していますが、猛暑日も増えて尋常ではなく、このままでは営業形態を変えるなどの工夫が必要かもしれません。将来のどこかで建替えが必要になると思うので、単に建替えるだけではなく、例えば屋内型の練習場も含め、楽しんでゴルフを続けてもらう施策が必要でしょう。ゴルフ界全体としても、ゴルフの魅力をもっとアピールして、新規ゴルファーを育てなければと思っています」 と、頼もしい。大掛かりな設備改修は、コストの償却に長い時間を必要とする。屋外練習場の閉鎖が続く昨今だけに、この事業に対する情熱と覚悟が伺える。 「武里ゴルフセンター」は、開場後すぐに会社組織とし、先代から相続対策を含めて周到に準備。55年の歴史を後世につなぐ構えである。 武里団地も、老朽化対策としてMUJIとコラボ、リノベーションするなど、若い世代を積極的に取り込もうとしている。地元に根付くこの練習場と団地の連携も、遠からず実現するかもしれない。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2025年1月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2025年02月23日
    「ザ・ゴルファン」は千葉県印旛郡酒々井町にある2階64打席220ヤードの練習場だ。東関東自動車道・富里ICから車で5分、京成本線・公津の杜駅から徒歩10分と交通至便な場所にある。筆者が取材に訪れた時は夕方で、練習場フィールドの奥には森が広がり豊かな自然を感じられた。この練習場の成り立ちやコンセプトについて、エムエヌケー株式会社ゴルフ事業部ザ・ゴルファン支配人の及川嗣彦氏に取材した。 「ザ・ゴルファン」の開場は1995年6月である。練習場を創業したのは不動産及び地域開発、環境リサイクル事業などを営むエムエヌケー社の先代・神谷一雄氏だった。現在も94歳で会長を務め、ゴルフが大好きで、この地域でも事業展開していたことから練習場ビジネスに参入した。神谷会長は今もゴルフを楽しんでおり、及川支配人によると、 「90歳ぐらいまでは、もっと飛ぶように教えろ」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/01/2412shimasaki2.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-84739" /> ゴルファン 入り口 と、常に向上心をもっているとのこと。練習場の名前「ゴルファン」も神谷氏が考案。「GOLF+FUN」でゴルフのファンを増やそうとの思いが込められている。 開業当時は、国道51号線に隣接していることから「ゴルファン51」という名称だったが、2000年に現在の「ザ・ゴルファン」に改称。2018年4月からゴルフパートナーのFCとなり、ゴルフ用品の販売店として、練習場内に「ゴルフパートナー成田酒々井ザ・ゴルファン店」を開業している。 また、1995年6月に石川県でも、ゴルファン開場と同じ時期にザ・カントリークラブ・能登も開場するなど 、ゴルフ事業への熱い想いが伝わってくる。 及川氏が支配人に就任したのは2019年だが、それ以前からこの練習場に関わっており、今年で19年目。同氏はPGAティーチングプロA級の資格も持っている。 「私は高校で野球部でしたが、部活卒業の時に同学年の部員たちと、ゴルフをしてみようとホームベースから球を打ってみたんです。当時の4番バッターは空振りでしたが、自分が一番飛ばすことができて、ゴルフに興味をもちました。自宅の傍の四街道GCに飛び込みでバイトのキャディーから始め、その後社員となりプロを目指しましたが25歳で断念。ゴルフギアに興味があったので、クラブヘッドなどを扱うジオテックゴルフコンポーネントに就職。練習場内に出店する工房の1号店となったのがゴルファンで、そこでクラフトマンとして働き始めたのがゴルファンに関わった最初です」 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/01/2412shimasaki3.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-84740" /> ゴルファン 打席 その後当時の支配人から誘われゴルファンに入社。工房のクラフトマンとして技術を磨き、支配人からティーチングプロの資格取得を勧められて42歳でPGAの資格をとった。 現在は支配人、スクールのティーチングプロ、クラフトマンという3足の草鞋を履いて、ギアとレッスンの両面からゴルファーをサポートしている。また、最近YouTubeを始めて、シャフトの試打インプレッションなどの情報を発信している。 地域貢献にも参加 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/01/2412shimasaki4.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-84741" /> ゴルファン 工房 同施設の商圏は、成田市・酒々井町及び近隣市町村で半径10㎞圏内だが、YouTubeを見た工房目当ての来場者も多く、都内や茨城からも足を運ぶ。その工房やショップの月商は500万円ほど。ゴルフパートナーでの商品販売とゴルファン工房でのシャフト、グリップ交換などでゴルファーの要望に対応している。 施設の特色やポリシーについて、及川支配人はこう話す。 「練習場、スクール、ショップ、工房が併設されているので、クラブの調整を含めて、ゴルフライフの全てをサポートできるのが特色です。ゴルフの敷居は高いので、入り口を下げたいと考えています。そうしないとゴルフは広まっていかない」 現在、年間の来場者数は約7万人で、60歳以上が45%、40~50歳代は33%、30歳代以下19%で、課題は来場者の高齢化だという。 「若年層が少ないのが課題ですね。私が練習場に入った時は30歳になる前でしたが、当時の中心顧客は働き盛りの50代で、今は70代になっている。なので、ゴルフの最初の一歩をサポートして、生涯の趣味として楽しんでもらえるよう、若い世代のゴルファーを育てたい」 ゴルフの普及を目的として、地域貢献にも取り組んでいる。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2025/01/2412shimasaki5.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-84742" /> ゴルファン 受付 「去年、近隣の公津の杜商店会に入り、10月に開催された公津フェスタに出店。パターのレッスンとゲームで子供がカップインするとお菓子をあげたり、ゴルフに触れてもらっています。また、近隣の国際医療福祉大学のゴルフ部の学生に練習場所を提供し、練習後にボール回収を手伝ってもらっています。今後の計画として、ゴルフ練習場の周りは桜がきれいなので、桜の花見会を開催し、ゴルフをやるやらないに関係なく、来場者に無料の練習券を配って、少しでもゴルフに親しんでもらうことを考えています」 スクールは及川支配人を含む4名のPGAティーチングプロが、ステップに合わせて様々なレッスンを行っている。通常は1クラス5名前後だが、ゴルフデビュー編や上達編、仲間づくり、キレイな体づくりなど多様な「課題」に合わせたカリキュラムを用意、ゴルフライフをサポートしている。初心者から上級者、女性やジュニアと細かなクラス分けが特徴だ。これに工房が連携して、クラブの面からも答えを導いている。 及川支配人が考える次の施策は、 「屋外練習場での酷暑対策として、空きスペースを活用したインドアでの練習や、屋内型のゴルフスクールも考えています」 近年の練習場経営は、打席、スクール、ショップの三位一体型が重視されているが、同社の場合は工房も含めて「四位一体」。そんなザ・ゴルファンの今後に注目である。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年12月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2025年01月19日
    昭和ゴルフは千葉県富里市御料にある。周囲には畑や牧場が広がる地域密着のゴルフ練習場だ。東関東自動車道の富里ICから車で10分、周辺にはゴルフ場もありゴルファーにとってはアクセスがよい。防球ネットがないフラットな350ヤードの打ち放しで、1階115打席の天然芝が広がる開放的な空間に年間13万人が来場する。敷地は駐車場や周辺の土地を含めて7万5000坪超。 打席からフェアウェイを初めて見た時、マスターズの舞台であるオーガスタナショナル・ゴルフクラブの練習場を彷彿させる広さと解放感が心地よかった。同施設の成り立ちやコンセプトについて川島哲也支配人に取材した。同氏は勤続25年、支配人になって13年目。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/12/2411shimasaki2.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="aligncenter size-full wp-image-84421" /> 昭和ゴルフの開場は1984年、元は馬の牧場跡地であった。成田空港にも近い富里は、馬の飼育で有名な地域。ここに練習場を造ったのは栃木県で運送会社を経営していた河上一吉氏(故人)であった。ゴルフ好きで、自分の楽しみのためにこの土地を1982年頃に購入し、自ら重機を運転して土地を開墾した。その造成中、知人達から、 「これだけ広い練習場ならビジネスとして成り立つのではないか」 と言われ、練習場経営を決めた。究極の道楽が、ビジネスになった。 当初は85打席でスタートしたが、折からのゴルフブームで打席待ちが出る盛況ぶりに、すぐ115打席に増設している。初代の河上社長はシングルの腕前で、鷹之台やカレドニアンのメンバーだっただけに練習場の向きも含めて設計に携わった。 経営は順風満帆で、朝から1時間待ちの行列はざら。営業は9時から深夜零時、1時まで延長することもあったとか。「昭和ゴルフ」の名称は、開業した昭和59年の年号から取ったのでは、との話である。 川島支配人の入社は1999年で、初代経営者・河上社長の時代だった。「雲の上の存在」だった河上社長は、しかし、本業の経営が厳しくなり、2002年に仕事の関係先だった古谷建設株式会社の古谷務社長に経営を委譲。河上氏のゴルフへの想いは強く、従業員を含めて練習場を残す形でのバトンタッチだったという。バトンを受けた古谷氏もゴルフへの造詣が深く、 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/12/2411shimasaki4.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="aligncenter size-full wp-image-84423" /> 「ゴルフ練習場を良くすることに熱心で、ほぼ毎日顔を出され、2010年にクラブハウスを増設、2019年には照明をLED化しています。打席から先は天然芝が350ヤード広がっており、芝の手入れは近隣のゴルフ場を管理している会社に委託。そのため、ゴルフ場のフェアウェイと同等の緑を確保しています」(川島支配人) 経営母体の古谷建設は、経営理念として「優れた施工とサービスで顧客を創造する」を掲げている。1967年に運送業を立ち上げ、現在千葉県を中心に総合建設会社として発展中。その発展を後押ししたのは、手間がかかっても、とにかく綺麗なものに仕上げようという意識であった。その方針が練習場経営にも生かされており、川島支配人は、 「とにかく練習場をきれいにすることと、分け隔てのない接客を心掛けることが、2代目の経営者から引き継がれています」 とのことで、練習場の導入路から綺麗に清掃されているのが印象に残った。2代目社長の古谷務氏は昨年他界され、3代目の古谷秀一氏が経営を担っている。 <h2>ドラコンプロお断り</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2024/12/2411shimasaki3.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="aligncenter size-full wp-image-84422" /> その昭和ゴルフの特長は、 「言うまでもなく、ゴルフ場と変わらない350ヤードのフェアウェイです。ゴルフ場と同じ環境で打てることが当社の魅力ですが、創業時からゴルファー目線も大事にしてるんですね。例えば、自動ティーアップ機は導入していません。創業者の河上社長のこだわりで、実際のプレーではゴルファー自身がティーアップするので、より実践に近い形で練習できるようにとの配慮です」 価格を抑えて練習に打ち込めるよう、入場料300円、貸しボール200円/50球で、打席料、照明料、貸しクラブは無料。 「1コインから練習ができる環境を提供しています」 現在はICカードだが、5年前まではプリペイドカード式で、さらにそれ以前はコインで球貸しする方式であった。 ただ、素晴らしい環境ゆえの悩みもある。入り口に表示されている「ドラコンプロお断り」の張り紙である。この練習場環境を知って、ドラコンプロが来場し、350ヤードを超える打球が場外へ飛び出す事例が多発してしまったのだ。 「使用ボールは1ピースなので、試合球ほど飛びませんが、それでも350ヤードを超える球が打たれてしまいました。現在、ドラコンプロは来場していませんが、それでも腕自慢が来場して、350ヤード先の畑に行ってしまうことがあります」 と、川島支配人は苦言を呈する。LED照明に照らされた美しい緑のフェアウェイを、幻想的に飛んでいくボール。飛ばし自慢には最高の環境が徒になった格好ではある。 スクールは実施しておらず、プロが個人で場所を借りてレッスンする方式だという。練習場の課題について、川島支配人は、 「昭和ゴルフの来場者は上級者が多く、敷居が高いと思われています。初心者や女性が来やすい環境をどう整えるかが今後の課題。また、練習ボールは18万球で運営してますが、他の練習場と同じで入れ替え用ボールの納期に時間がかかり、交換のタイミングが延びていることも悩みのひとつですね」  設備的には、アプローチ、バンカー、パッティンググリーンがないので、将来的には敷地の広さを生かして設けたいという。これ以上望めないほどの広いスペースがあるだけに、ゴルフ界としても今後様々な活用法が期待できそうだ。 <hr /> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2024年11月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://bt3.jp/url/ts/g/z9lenol2">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2024年12月20日
    東京の立川市柏町にある「カシワゴルフ」は、10打席全てに最新のトラックマン4を設置した先進的な屋内ゴルフ練習場である。5月に新規オープンしたが、その取り組みで、デンマークにあるトラックマン本社からCOOが施設を見学に来たほどだ。 この「カシワゴルフ」を運営する豊泉興産株式会社の豊泉幸夫代表取締役に「カシワゴルフ」の取り組みについて話を聞いた。 豊泉家は立川で300年以上続く農家で、豊泉代表の父親の代まで農業を営んでいた。父親は、立川でウド栽培の先駆者であった。立川市のホームページでも、ウドは「東京うど」として紹介される名産だ。 武蔵野で行われていた室(むろ)での栽培方式が、立川の地質に適していたため盛んになり、生産量は立川市が東京で1位となっている。 立川は新宿から中央線で46分と利便性の高い場所にある。これがある意味災いし、農業の継続が難しくなった。 それは、1972年の市街化区域農地の宅地並み課税である。この法律施行により、300年続けた農業から事業転換して、父親の代でゴルフ練習場を始めた。1972年6月20日のオープンだったが、なぜゴルフ練習場に事業転換したのか? <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2022/08/kashiwa3.jpg" alt="" width="788" height="525" class="size-full wp-image-73399" /> 豊泉代表の説明を聞こう。 「農業を継ぐつもりで、都立農林高校に通っていましたが、この法律が施行されると農業が継続できるのかと考え、大学は日大の農獣医学部に進んで様子を見ていたのです。大学に入学したのが1970年で、宅地並み課税されると、この近郊で農業をするのが厳しいこともわかってきた。また、父親がウド出荷のため築地に向かう際、高速道路から芝のゴルフ練習場を目にしていたんです。事業転換には何の業種がよいのか。自分もゴルフに興味があり、学部のゴルフ部に入りました」 そんな状況下、当時流行していたボウリング場などの案もあったが、 「自分がゴルフを始めていて、東京都心でもゴルフ練習場が成り立っているなどで、練習場への事業転換を決めたのです」 新事業の立ち上げに際しては、地域でゴルフに詳しい知人を含めて多くの協力やアドバイスをもらったという。練習場は2階建て48打席で170ヤード。ネット用の鉄塔は高さ35m、最大震度7、風速60mに耐えられる構造にした。 「カシワゴルフ」という命名は、 「立川市と合併する前、この地区は北多摩郡砂川町で、合併して立川市砂川町になり、さらに地名変更で1972年4月に砂川町がいくつかに分かれ、この地区は柏町になったのです。 それが練習場オープンの直前だったので、新しい町名を入れ『立川カシワゴルフセンター』としました。現在は『立川』と『センター』を取って『カシワゴルフ』です」 地元密着の想いがわかる。 <h2>総投資額20億円</h2> <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2022/08/kashiwat.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-73396" /> 1970年に尾崎将司がプロデビュー、ゴルフブームに火をつけて、男子ツアーの試合数も1971年の34試合から1972年には47試合に急増している。この年の「日本オープン」をNHKが初めてテレビ中継した中で、「カシワゴルフ」がオープンした。 豊泉代表が振り返る。 「当時、お客様の半分ほどが『カシワゴルフが出来たのでゴルフを始めよう』と来場され、1階は土の打席だったので、アイアン用のマットをダフって飛ばすお客様も多かった。ゴルフブームのおかげで事業は順調に推移しました」 その屋外ゴルフ練習場が「屋内」に業容変更した理由は、冒頭に触れた相続税が関係している。 「父親が2012年に亡くなりました。カシワゴルフの土地に将来住宅を建てられる『広大地指定』で相続税が減免される制度があり、相続税を支払うことが出来ましたが、2018年に広大地指定の相続税減免制度がなくなってしまい、二次相続について相続税が数億円になることが判明したのです。そこで金融機関や税理士、コンサルタントを交えたプロジェクトチームを立ち上げ、4年かけて資産売却も含め相続対策を検討しました。ゴルフ練習場の土地3600坪の内、2500坪を売却して、残りの土地で1階をテナント(スーパー)、2階を屋内練習場にする計画ができたのです」 練習場をやめる選択もあったが、 「ゴルファーが集まれる場所を残して、従業員の雇用も確保したい」 との想いであった。 そのころタイミング良くトラックマンの売り込みがあり、他の機器も検討したが、最終的にトラックマンを導入した屋内練習場の構想が固まった。資産売却、建屋建設、テナント探し等、再開発事業を手掛ける大和ハウス工業と組んで進めた。 2021年5月9日に50年続いた屋外練習場を一旦閉店。事前に近隣住民や顧客に閉店の旨を告げ、スムーズに新しい屋内ゴルフ練習場の建設へと移行。 2022年5月20日に新生「カシワゴルフ」が誕生した。資産売却、建屋建設、トラックマン導入、システム構築を含め、総額20億円のプロジェクトであった。 屋内練習場として建屋を建設したので、天井も高く、打席もボールが跳ね返らないように設計され、練習グリーンや工房も備えている。 「トラックマン4の導入で、300ヤード先の球の転がりまでわかります。今までの練習場より打球の行方が確認できるので、お客様からの評価も上がっています」 新生「カシワゴルフ」は会員制。10打席を効率よく活用するため、1コマ50分で、基本は予約日から起算して1カ月先まで6コマ限度で予約できるシステムだ。全日会員で月額2万5000円である。 <img src="https://cms-backend-gew.com/wp-content/uploads/2022/08/kashiwa2.jpg" alt="" width="788" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-73398" /> 「この予約システム、集金システム、レジ回りキャッシュレス等を構築するにあたり、トータルコーディネートを大塚商会にお願いしました。当初、スーパーの2階で気楽に屋内練習場を始めようと思いましたが、従来のノウハウでは対応できなかった。システム構築には数千万円を投じましたが、多店舗展開や24時間対応まで可能な、将来の広がりも考えたシステムです」 都市近郊の農家が法律の改正に柔軟に対応し、ゴルフに事業転換しながら更に事業継続している。 豊泉代表は関東ゴルフ連盟の競技委員会副委員長の経験もあり、ゴルフへの強い想いがあったからこそ、ゴルフ練習場を次の世代へ継承できる道筋をつくることが出来た。 都市部の練習場が閉鎖傾向にある中で、同社の新しいシステムがゴルフ練習場に新風を吹き込むことを期待したい。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2022年8月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://www.gew.co.jp/magazine">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2022年08月27日
    都内で一番古くから現存しているゴルフ練習場は、1953年から70年近く経営を続けている東京・上目黒の「目黒ゴルフ練習場」。都心とは思えない閑静な住宅地にある、緑の深い3000坪の敷地に3階建て、約50ヤードの屋外施設だ。 打ちっぱなしのほかにゴルフスクール(コモゴルファーズアカデミー)と茶房のある別建ての3階・地下1階建てのゴルフ館、さらにアウトドアとインドアのテニスコートも併設するが、なぜ、この都心の地で70年近く練習場を続けてこられたのか? 特に都内ではアウトドアの練習場が次々と閉鎖する中で、興味深い事例といえる。練習場業界の未来を占うことを含め、「目黒ゴルフ練習場」の取締役で創業者の娘である三宅美知子氏の話を交えながら、これまでの経緯を振り返ろう。 70年前に練習場を始めた理由 <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2021/10/miyake.jpg" alt="" width="525" height="659" class="aligncenter size-full wp-image-68809" /> 「もともと浅草に居を構えていた父・小森正一郎が、戦争で疎開することになりましてね、この中目黒の地に疎開で移ってきたのです。竹藪が多い4000坪の土地でしたが、畑を作って野菜を育てたという話です。父は戦後、心豊かに働ける仕事を探す中で、スキー場やシャープペンシルなどの事業も手掛けますが、その中でゴルフ練習場は『心豊かな』『楽しく』にピッタリだと。それが創業の理由です。父は、『楽しく語らうスポーツとしてのゴルフ』を愛していました」 現存する都内最古の練習場は1953年、終戦後8年で産声をあげたことになる。ただしその2年前、今の上智大学のグラウンドに「四谷ソフェィアゴルフクラブ」が、当時としては珍しいアウトドアの練習場として開場していた。「目黒ゴルフ練習場」は、これに続く形での開業となる。当時、打席は平屋建てで、「四谷ソフェィアゴルフクラブ」が閉鎖してからは、財界の錚々たる人々が黒塗りの車で「目黒」に乗りつけ、運転手を待たせて練習に励んだという。 「創業当時、ゴルフは一部の裕福な人々が楽しんでいました。現在、テニスコートがある場所にショートコースがありましたけど、一般の人は長くそのことを知らなかったと思います」 環状7号線の内側で、山手通りにも近く、都心の目黒区にあるゴルフ練習場。だが、戦中は「田舎の疎開先」であったことが、時間の流れを感じさせる。 その後、現在に至るまで、いくつかのエポックを経験している。 「オイルショック(1975年)のときは厳しくて、廃業も考えましたけど、なんとか頑張って続けました。逆に、80年代後半のバブルの頃は、マンション、スポーツクラブ、老人ホームの建設などで売ってほしいと、多くの話を頂きます。でも、育った環境をそのまま守りたい気持ちが強くて」 手放さなかった。それどころか、バブル崩壊の前年に当たる1990年には、防球ネット及び打席を3階に建て替えて事業の継続を旗幟鮮明にした。 「今もお客様と対面していますけど、このお客様の為に続けなければ、と思っているんですね。お客様に支持して頂けることが、頑張るための原動力です。創業から70年近くたって、お客様も3世代にわたって来場されて、おじいちゃん、おばあちゃんと孫が一緒に来るんですね。父は創業時に、みなさんの『笑顔をみていたい』という気持ちではじめましたが、私もそれを引き継いでいるんです」 練習場はゴルファー創出の場であり、必要とされるなら続けたい、次の世代につなげたいと考えている。 「練習場は、採算をとるのがきびしい仕事だと思いますけど、お客様のニーズがある限り、続けたいです」 <h2>ゴルフスクールは四半世紀</h2> <img src="https://www.gew.co.jp/wp-content/uploads/2021/10/meguro1.jpg" alt="" width="788" height="525" class="size-full wp-image-68810" /> 目黒ゴルフ練習場創業時ショートコース ゴルフスクールの開始は1996年だから、25年経つ。スクールを始めたきっかけは「健康」と「仲間づくり」に寄与するためだったという。 「ゴルフは生涯出来るスポーツです。でも、当時は『身体を痛めなければ上手くならない』というおかしな風潮がありましてね。私自身メディカル(薬剤師の免許保有)を目指したこともあって、きちんとしたやり方で『生涯ゴルファー』をつくりましょう、と。これを目標にしてスクールを始めたのです」 上達・健康・仲間づくりを掲げ、「何歳になってもゴルフを楽しめる」を目指すゴルフスクールは、トレーナーとプロがコラボして、ジュニア育成にも注力している。プロが技術を、トレーナーが身体を、さらにドクター(成形外科)の協力も取りつけている。 練習場業界の将来については、バーチャルゴルフなど新たな世界に侵食されることを予期しながらも、 「この練習場は、人と人のコミュニケーションツールとして、生涯にわたるQOL(クオリティーオブライフ)を体現していると思っています。それがあれば続けられる、そう確信していますし、それがみんなのやりがいなんです」 ゴルフ練習場は、ゴルフの練習やスポーツの場としてだけではなく、地域のコミュニケーションの場として大きな役割を担っていける。地域に必要不可欠な存在になれば、ゴルフ練習場事業は必ず継続できるはずだ。 ただ、都内の屋外型のゴルフ練習場は減少傾向であることも事実。目黒ゴルフ練習場も、当初は4000坪の敷地があったが、現在は3000坪である。先代からの相続の時に土地を売却して、事業を継承したためだ。ゴルフ練習場事業を継続するには、理念だけでなく、次の世代にゴルフ練習場をどう引き継げるかが大きな課題となっている。 この点については、事業承継に詳しい株式会社青山財産ネットワークスの執行役員・野口忠夫氏に話を伺った。ゴルフ練習場やテニスクラブが継続できなくなる一番の理由は、やはり「相続」とのことである。広い土地を使用するゴルフ練習場やテニスコートは相続では更地扱いとなり、その評価額の55%の相続税が課せられる。都内であれば、場所や面積によって異なるものの、億単位の相続税を覚悟する必要がある。 この相続税対策を含め、ゴルフ練習場を事業としてどのように継承できるか。次号で検証してみたい。 <hr> この記事は弊誌月刊ゴルフ・エコノミック・ワールド(GEW)2021年7月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 <a href="https://www.gew.co.jp/magazine">月刊ゴルフ・エコノミック・ワールドについてはこちら</a>
    (公開)2021年10月31日

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