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難病と戦うプロゴルファー中溝裕子、彼女の絵手紙に記された言葉とは?

遠藤淳子の「女子プロ列伝」 この記事を書いた人:
 
中溝裕子

月刊ゴルフ用品界2016年9月号 『女子プロ列伝』に掲載。
なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。

中溝裕子はいつも笑っている。「人間はいつも、自分が見たいものを選択して見る。人生、悩むのが当たり前。でも、その中で1つでもやりたいことが実現できたら楽しいでしょう? だから楽しいほうにアンテナを向けていればいい。悲しく時を過ごすのも、楽しく過ごすのも自分次第なんです」。

こんなセリフがさらりと出て来るのは、何度も死線を乗り越え、苦しんだ経験を持つからこそだ。

難病のまま、試合に出続ける

1965年生まれ。本当なら現在、50歳だが「2度目の誕生日」と呼ぶ骨髄移植から18年が経つ。23歳でプロテストに合格。ところが「さあ、これから」というときに10万人に1人と言われる難病にかかり、以来、病気とその後遺症と戦い続けている。

ツアー転戦中に体のあちこちにアザができていることに気が付いたのは、プロ3年目の夏だった。日焼けしているのに顔色が悪く、微熱が出ることも続いた。検査を受けたらトーナメント会場に連絡があり「血液に異常が見られるので、ご両親と一緒に、すぐに来てください」と言われた。

赤血球と白血球が減っており、検査入院の結果、判明した病名は骨髄異型性症候群。「今のところ治療法はありません」という宣告付きだった。

ショックは大きかった。「私は何のために生まれてきたのだろう。私、死んじゃうの!?」という恐怖が頭の中でグルグルと渦を巻く。様子を見ながら、骨髄移植に備え、家族のHLA(白血球の血液型)をチェック。

幸い、下の妹、千佳与さんが一致した。しかし、すぐに移植を受けることはしなかった。「まだ動けるから大丈夫」と、そのまま、ツアーでプレーし続けたのだ。「家でウジウジしていたら精神的に良くないと思ったのと、すぐにクラブを置く勇気がなかったんです」と、6年間も体に無理をし続けた。

「出血したら止まらない状態なのだから」と、止める医者の言葉に耳を貸さず、大反対する家族を置いて彦根の実家を飛び出した。千葉のゴルフ場に行き、ゴルフ漬けの生活を送った。

だが、病気は確実に中溝の身体を蝕んでいた。5月の試合中に発熱。東京女子医大を紹介され、ゴルフ好きの主治医に出会うと「試合に出たいのなら、輸血をしなさい」と言われた。残りのシーズンは、輸血で何とかプレーを続けた。それでも、オフを目の前にした11月に力尽きた。伊藤園レディスを棄権したのが、結果的にこれが最後の試合になった。

それでも、移植にはまだ抵抗があった。迷っているときに背中を押してくれたのが、プロ仲間の奥村久子とその夫で大相撲の元関脇益荒雄の阿武松親方だった。千葉県に開いたばかりの部屋を訪ねると、初対面の親方に、いきなり喝を入れられた。

「話は聞いている。お前には(移植で)生きるチャンスがあるだろう。生きたいのか、死にたいのかどっちなんだ!? 今度、病院に行くときは俺たちもついて行く、そこで移植します、って言うまで見届けるぞ」。これで心が決まった。2人に付き添われて、主治医に「生きたいです。お願いします」と泣きながら言っていた。

3年間、点滴だけの生活

ドナーの千佳与さんから移植を受けたのは1997年12月3日。血液型がAB型からb型に変ったこの日が2度目の誕生日だ。

「移植したら3か月後には退院してゴルフができると思っていた」という希望に満ちた決断。移植後は順調に思われたが、3か月後に水を一口、口にすると、痛みに悶絶した。医者にも予想できない拒絶反応(GVHD)が出てしまったのだ。

粘膜という粘膜がケロイド状になり、飲食物を受け付けない。点滴だけで生きる日々が3年続いた。襲いかかる絶望。免疫力が下がり、感染症にも襲われ、何度も、命の危機に遭遇した。

母が泣きながら自分の足をさすっているのを、夢うつつで見た記憶もある。それでも、移植の機会もないまま亡くなる患者も多い病棟で、移植を受けて生かされていることを実感していた。

「妹の命をもらって生かされている身なんだから、どんなことがあっても生きなくちゃ」という思いで踏ん張った。「辛くなるんじゃないの?」と言われるのを振り切り「せめて目からだけでも食べたい」と、テレビのグルメ番組や、グルメ本を食い入るように見た。

笑手紙との出会い

そんな頃に出会ったのが絵手紙だ。母、俊子さんのおば、小林正子さんから届いたハガキを見て。「絵なんて高校時代の美術の時間以来、描いたことなかった」のに、気が付けば憑かれたように描いていた。

「(闘病中に)たまっていた言葉があふれるように出てきて」という作品を見た小林さんは「絵に力がある」とほめてくれた。看護師さんが病棟に貼り出してくれたことで、さらに力をもらった。

同じ血液の病気と闘う小学生の男の子が、中溝が書いた絵手紙を見て、涙を流してこう言った。「僕も頑張って病気を治すから、中溝さんも頑張ろうね」それまで、勝負の世界に生きていた中溝には、自分が人を励ますことができたことに大きな喜びを感じた。

あっという間の夏休み

「入院したからそのことがわかったんだ。よかった」と、思い、絵手紙を描くことはライフワークになった。笑いを求め、言葉遊びも入る絵手紙を〝笑手紙〟と名付け、カレンダーを作るまでになった。

rebornで毎日100%

紫外線を浴びることができないため、コースに出てゴルフをすることはできない。また、右目の視力もほぼ失われているが、中溝は驚くほどに前向きだ。

「移植で私はリボーン(reborn)したんです。一瞬、一瞬、どんな時だって100%でいたいんです。中途半端では命に対して失礼だと思う。だから、やりたいことはすぐにやってます」と言い切る。

夢を見た翌日から始めたと言うドラムにも夢中になっている。主治医との約束から始めたチャリティコンペも、間もなく10年目を迎える。

日本骨髄バンク評議員も務めており、その大切さをアピールすることにも心を砕いている。「ひとりでも多くの白血病患者に生きるチャンスを与えて欲しいんです。骨髄移植は骨の移植でも脊髄の移植でもありません。それを分かって、ドナー登録していただきたい」と移植の大切さを力説した。

同時に「食べることは生きること」と、自己流の食育も伝え続けている。「日本一クラブを持たずに筆を持つ女子プロゴルファー」中溝の日々は、感謝とエネルギーに満ちている。

食は私たちのいのちの源です。笑顔と元気をありがとう。

■淳子目線

食べられなかった3年間を経験した中溝の笑手紙↑は食物の大切さがあふれている。また、まだまだ詳しく知る人の少ない骨髄移植にもアピールを続けている。

「ひとりでも多くに生きるチャンスを!」という中溝の言葉に共感した方はこちらへ→http://www.jmdp.or.jp/


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遠藤 淳子

遠藤 淳子

フリーライター。都立三鷹高校→日本大学文理学部社会学科卒。東京スポーツで10年間、ゴルフ担当記者としてメジャーを始め日米欧男女各のトーナメントを取材。1999年4月よりフリーランスとして執筆を続けている。

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