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  • 青山加織が熊本地震で体験したこと

    遠藤 淳子
    フリーライター。都立三鷹高校→日本大学文理学部社会学科卒。東京スポーツで10年間、ゴルフ担当記者としてメジャーを始め日米欧男女各のトーナメントを取材。1999年4月よりフリーランスとして執筆を続けている。
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    月刊ゴルフ用品界2016年8月号掲載 なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。
    2016年4月大地震に襲われた九州、熊本。この地で生まれ、ゴルファーとして成長した青山加織は自宅で被災した。シーズン第7戦、KTT杯バンテリンレディスの舞台は熊本空港CC。その前夜のことだった。 試合は中止となり、自宅は滅茶苦茶。知人宅に避難しながらかって出たのが、故郷のための物資運搬だ。目が覚めると頭の中で一日の段取りを組み立てる。仕分け、積み込みをして避難所に向かう。故郷の惨状を放っておけず「動ける人が動かなくちゃ」と、約2週間、ガムシャラに動いた。 地元の友人たちとの固い結束と、プロゴルファーならではの知名度と、顔の広さを使って、積極的に現状と必要なものをアピール。想像以上の物資が集まったのは、その活動ぶりが信頼され、支援の思いを託されたからこそだったろう。 7月4日、遠征先の函館で31歳の誕生日を迎えた青山は、女子プロの中でもオシャレなことで知られる。キレイな長い髪を、様々なスタイルにまとめ、私服にもこだわりがある。 地震前までは、SNSにもごく普通の若い女性らしい写真が並んでいたが、震災直後はガラリと様相を変えた。スッピンにマスク。バックに写るのは段ボールの山やワンボックスカーだ。なりふり構わず駆け回る様子は胸を打った。

    故郷のために走り回った

    4月14日午後9時26分。最初の揺れが襲ったときは、ひとり自宅にいた。試合に備え、すでにベッドの中。ガッチャン、ガッチャンと音を立てて棚から物が落ちるのを呆然と見つめ「どうしよう」となすすべもなかった。 一番最初に頭の中に浮かんだのは試合のこと。「みんなはコース近くのホテルに泊まっているのに、私は自宅だから遠い。ちゃんと行けるんだろうか」。そう思いながら、姉のように慕う表純子に電話をすると。「大丈夫?落ち着いて」と言われて少し冷静になった。 だが、仕事をしていた母からかかってきた電話には、安心したのか思わず泣いてしまったと言う。

    恐怖に叫び、過呼吸に

    翌晩(4月16日午前1時25分)の揺れはさらに大きかった。気が付くとさっきまで自分がいたベッドに大きなクローゼットが倒れ込んでいた。無意識に立ち上がったことで難を逃れたのだ。恐怖に「ママ~!」と泣き叫び、過呼吸を起こしていた。母のベッドに並んで座り、子供の時のように寄り添ってもらった。 以下の写真は、青山加織プロ提供。2017年1月26日の日本ゴルフジャーナリスト協会のトークショーで使用したもの。
    青山加織プロ自宅 さっきまで自分がいたベッドに大きなクローゼットが倒れ込んでいた
    怯え、呆然としていた青山がガラリと変わったのは、避難してからのことだ。試合は中止。その後も揺れはなかなか収まらない。母を離れた知人宅に避難させ、自分は避難所となっていた公園へ行った。500~600人もの人々と共に不安な一晩を過ごす。物資は不足。トイレにも困っていた。 最初の物資は、長崎から届いた。先輩の表が、試合に備えて借りていた車を、長崎のスポンサーが引き取りに来ると聞き、こう頼んだのだ。「食べ物などを多めに持って来ていただけませんか」。同郷の井芹美保子と共に受け取った救援物資を、周り中の人に配った。これが第一歩だった。
    物資が足りていない人に配った車 物資が足りていない人に配った
    翌日、少し離れた知人宅に避難。阿蘇郡、西原村のあるエリアに手伝いに行った時、衝撃を受けた。市内にはもう自衛隊の救援が入り、物資も豊富に届き始めているのに、そこは忘れ去られたように何もなかったからだ。

    SNSで窮状を発信

    「こういう地域もあると言うことを知らせなくちゃ」と、発信を始めた。SNSで気遣ってくれた人に、個人として「大丈夫です」と書き込んでいたが、そうではなかった。 「全然大丈夫じゃない!と気が付きました。どこまでできるかわからないけど、できることをやろう」と決めた。青山の投稿はどんどんシェアされ、ものすごい勢いで広がっていく。 最初に長崎から物資を運んできてもらった会社に相談して、直接、熊本に届かない支援物資の受け取りと、移送を快諾してもらった。それを青山が避難先で受け取り、友人たちと共に配るシステムができあがった。
    仲間と奔走 仲間と物資を届けて回った
    ちょうど、『三益式』という〝30歳の成人式〟を行ったばかりだった。「30歳になったら社会貢献をしよう」という志を持つ実行委員の友達が近くにいた。79人いる三益式のグループLINEで情報を共有。避難所となっているそれぞれの学校に電話でも確認した。 所属先の株式会社コンフェックスから「ものすごい量の物資が届いた」のを始め、全国から次々に心のこもった様々な物が届く。毎朝、目が覚めるとすぐに頭をフル回転させて仕分けをし、仲間と共に車に積んで出かける。 人々の思いと若者の連携の素晴らしさで、必要な物が必要な場所に届くようになった。配布の様子をSNSにアップデートしたことで、信頼は大きくなり、知り合いだけでなく、知らない人からも荷物が届くようになる。車で見かけたおばあさんに、水を持って走っていくと涙を流して喜ばれた。
    避難所に物資を届けてまわった 避難所に物資を届けてまわった
    中止を含めて3週間、試合から離れた。復帰したのはシーズン最初の公式戦、ワールドレディスサロンパスカップ。周囲に「もう十分やったから。あとはゴルフの成績でみんなを元気にして」と、背中を押されてのことだった。 ようやく故郷も落ち着いたため、練習を再開。最初はシャンクが出たりもしたが、すぐに感覚は戻ってきた。「ゴルフができてうれしい」と言う気持ちがこみあげた。

    岡本綾子の映像と共に育った

    父、政隆さんは大のゴルフ好きで岡本綾子の大ファンだった。だから出産後、ダイエットのためにゴルフを始めた母、眞由美さんは岡本のレッスンビデオでゴルフを覚えた。 毎日、岡本のスイング映像が流れる自宅で生まれたばかりの青山がミルクを飲んで育った。練習場にも行ったし、週末のラウンドにも、カートに乗せられていた。当たり前のようにゴルフを始め、小6の時には史上最年少(当時)でツアーに出場。 やがて、プロになり、岡本に師事するようになる。初優勝に向けて満を持して臨んだシーズン序盤に経験した大きな出来事を経て、青山は、大きく成長した。 「(地震は)2度と起きて欲しくない。でも、貴重な経験ができました。これを今後のゴルフ人生に生かしていきたい」。輝く瞳でこう口にした青山は心身ともにたくましくなった。待望の初優勝への準備は整った。

    淳子目線

    少女から大人へ。女子プロの取材では、その成長の早さに驚かされることが多い。31歳の青山は、すでにツアーでは中堅のお年頃。とっくに大人になってはいたが、今回の経験で一気に変わった。 元々、自分の事をしっかり話すことができ、周りも見えている。それでいて喜怒哀楽も表情に出ていた。いいところはそのままに、パワーアップした感じ。表情にも、一言一言にも、厚みが出た、と言ったらいいだろうか。 人への思いやりや優しさを、照れることなく表に出す。協力を募り、周囲から託された気持ちを確実に届け、そのことを報告する。全体を見て、できることをやる。震災後、熊本で精いっぱいしたことすべてが、青山を人として大きくしたのだろう。 人間としての総合力が必要なゴルフで、それは必ず、生かされるに違いない。
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    熊本地震
    青山加織