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元名マラソンランナー原裕美子、もう一つの人生レース

満薗文博のPenぺん草紙 満薗文博

この記事は弊誌月刊ゴルフ用品界(GEW)2019年9月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。

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酷暑の8月、原裕美子と、東京の下町、葛飾の老舗居酒屋・高砂家で、飲んだ。

かつて日の丸を付けたマラソンランナー、原は37歳になった。今は執行猶予中の身である。

栃木県足利市の生まれ。2000年、宇都宮の高校を卒業すると、関西の実業団、京セラへと進んだ。鍛錬は進み、05年、初マラソンとなった名古屋国際女子で見事優勝する。ホープ誕生だった。勢いのままに、その年の世界選手権ヘルシンキ大会で6位入賞を果たした。その後で、足3個所を疲労骨折して、1年余りを棒に振る。しかし、立ち直って、07年大阪国際女子マラソンで復活優勝を遂げた。

その年に大阪で行われた世界選手権に2度目の代表に選ばれた。間違いなく、日本のトップランナーだった。ただ、故障を繰り返し、オリンピックとは無縁のまま、09年3月に京セラを退社した。

故郷に帰ったが、悶々とした日々。そんな彼女に手を差し伸べたのは中学時代の恩師だった。翌年春、マラソン界の名伯楽、小出義雄さんが代表を務める千葉県佐倉市を練習拠点にするユニバーサルエンターテインメントへと送り込んでくれた。小出さんの指導で、原はあっという間に息を吹き返す。わずか7カ月あまりで、夏の北海道マラソンを制したのである。

その北海道の再復活劇の後で、記者は長時間インタビューを試みた。初秋の色をたたえた、長野の菅平高原の合宿地だった。B5版の取材ノートは10ページにも及び、中に「原の目には希望が宿っている」とのメモも残っている。

それから3年ほどして、原は一線から身を引いた。故郷を中心に活動した「原ちゃんランニング教室」などは好評だった。

ここまでが、マラソンランナーとしての道程である。しかし、むしろ、ここからが「本題」である。「徹底的に管理された京セラの9年間と、自由な雰囲気の佐倉の3年間は、180度違うものでした。それぞれにやり方があるから・・・」と、話しながら原はフッと遠くを見るような目をした。

そして「万引常習者」へ

京セラ時代に味わった管理、取り分け体重管理は厳しく、原が患ったのは摂食障害である。体重が増えると、心肺機能や筋肉に負担が掛かって、マラソンはまともに走れない。体重計に乗るのが恐かった。指導者の要求通りに行かないと叱責が待っている。隠れてものを食べる、その後で吐くという生活が続く。

摂食障害がむしばむのは身体だけではない。実は、場合によっては精神面にも合併症を引き起こす。原裕美子を苦しみのどん底に突き落としたのは「クレプトマニア=窃盗症」だった。得体の知れない衝動に駆られて、やがて彼女は万引の常習者になったのである。17年11月には最初の裁判で「懲役1年、執行猶予3年」が言い渡された。その年の夏に、地元のコンビニエンスストアで盗んだのは化粧水、菓子パンなど、およそ2600円相当だった。

2度目の裁判は昨年12月3日。執行猶予中の再犯には概ね、実刑判決が下されることが多い。だが、前橋地裁太田支部で開かれた公判で、奥山雅哉裁判官が原に下した判決は、少しおもむきの異なるものだったのである。

「懲役1年と言われ、そのまま刑務所に連れて行かれると思いました。その後で裁判官が『長くなるので座ってください』と・・・。最後に裁判官の声が明るくなりました」と原は言う。

実刑ではなく、またも執行猶予4年が付されたのである。裁判官は、いわゆる説諭で何を話したのか。少し長くなるが、とてもいい奥山裁判官の言葉を書き留めておきたい。

「摂食障害を理解し、窃盗を繰り返す障害にかかっているが、こういう障害がある他の人を救っていきたいと言っていましたよね。原則、実刑が相当だけど・・・あなたがしっかり更生することで、いい影響を与えます。他方で再犯防止が出来ないと(その人たちに)勇気を与えない結果になります」。そして、味な言葉が続く。「私も市民ランナーとして走っています。世界陸上で入賞するなど、あなたには並外れた才能、努力の才能もあります。二度と犯罪を犯さないことを期待しています。あなたの努力の才能を使って再犯しないことを実現してください」――。

あの素晴らしい判決から5カ月、佐倉時代の恩師、小出さんは80歳で逝った。その通夜・告別式に原はやって来た。私を見つけると「やっと、心の中から笑えるようになりました。元気に働いています」と話した。

いま、原裕美子は千葉市内の会社に勤め、経理の仕事を任されている。「私のことをすべて分かった上で採用してくれました。とてもアットホームな会社です」と言う。

さらに、ランナー原も復活の度合を強めている。例えば5月には、原の姿は伊豆大島にあった。かつて、世界選手権のマラソンを走った故郷足利市の先輩、西田隆維さんが企画した「ジオパークマラソン」のスタッフ兼ゲストランナーとして「声を掛けていただきました。平日は会社員、休日は陸上の現場。私の居場所は陸上競技ですから」

原裕美子は、クレプトマニアと戦うための講演会にも呼ばれるようになった。彼女は、同じ病気に苦しむ人たちに呼び掛ける。「勇気を出して、悩みを打ち明けてください。必ず助けてくれる人たちがいます」。

佐倉の恩師、故小出義雄さんの名言の一つを紹介しておこう。「出口のないトンネルはない。中で立ち止まっていたら、いつまで経っても暗闇だ」。

出口を目指して懸命に歩く原と飲んだ下町の酒は、うまかった。


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ライター紹介 ライター一覧

満薗文博

満薗文博

1950年2月6日、鹿児島県いちき串木野市生まれ。鹿児島大学卒業。中日新聞東京本社(東京中日スポーツ)では88年ソウル、92年アルベールビル、同年バルセロナ、96年アトランタなどオリンピックを現地取材したほか、各種大会を取材。報道部長、編集委員を経て、現在スポーツジャーナリスト。大学講師。

著書に「オリンピック・トリビア」(新潮社)、「オリンピック面白雑学」(心交社)、「オリンピック雑学150連発」(文芸春秋社)、「小出義雄夢に駈ける」(小学館)、「ゴールへ駆けたガキ大将」(東京新聞)、「羽生結弦あくなき挑戦の軌跡」(汐文社)など。執筆協力作品に「見つける 育てる 生かす」(中村清著、二見書房)、「小出義雄監督の人育て術」(同)など。

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