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豪放とらいらく、繊細とちみつを生きた人 小出義雄さん 2

満薗文博のPenぺん草紙 満薗文博

この記事は弊誌月刊ゴルフ用品界(GEW)2020年1月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。
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竹林のひょうたん池とナマズ

年号が令和に代わった2019年も、日本は災害列島になった。ここ数年、地球の温暖化は進み、毎年、列島のどこかで水害が起きている。

10月25日は、関東が豪雨に見舞われた。特に、千葉県のあちらこちらで川が氾濫したとメディアが伝え、しばらくすると、NHKのテレビが空中からの映像を流し始めた。

「1級河川、鹿島川が氾濫しています」
という音声と共に、現れたのは、本来なら美しいはずの田園地帯が、水浸しになっている風景だった。

翌日もまた、映像が流れた。どうも「鹿島川」が引っ掛かって佐倉市の小出啓子さんに電話する。6カ月前の4月24日、80歳で亡くなった長距離・マラソン界の名指導者、小出義雄監督の奥さんである。
「経験したことのない、すごい雨でした。家は大丈夫でしたが、高崎川があふれて大変でした」

小出監督は、生まれ故郷の佐倉の地に指導の拠点を構え、有森裕子、高橋尚子らを始め、幾多の名選手を育てた。監督と僕の交流は30数年にわたって続いた。電車で、年に最低でも10数回は足を運んだから、おそらく300回以上は佐倉の空気を吸った。

高崎川。小出家に一番近い川で、これも1級河川。それほど離れていない鹿島川と合流し、印旛沼へと流れ込む。僕の知る2つの川の流れは穏やかである。生前の小出さんは、よく、この川や沼の話をした。
「魚獲りが好きだからさ、今でもよく行くんだよ。面白いから夢中になってしまうよ」

1人でも出掛けたが、コーチ連中が帯同することもあった。川魚獲りは近年始まったものではなかった。まだ幼い頃、祖父の由之助さんや、父・由松さんに教わり、生涯、続けた。由松さんは、まさに、この高崎川で魚獲り中に、投げ網が身体に絡まって溺死したという。

「それでも、おじいさん、親父が愛した川だから」
と、川通いは続けていた。ただ、この魚獲りは、指導者の道に入ると、趣味の域にとどまらなくなっていた。

「川や印旛沼で、気持ちや心の洗濯をするのさ」
と言って、小出さんはよく笑ったものである。教え子たちへの惜しみない全力指導は、心身を疲れさせる。指導の現場から、身も心も解放させ、新たな原動力を生み出してくれるのが魚獲りだったのである。有森や高橋尚子のオリンピックメダルは、これらの川や沼でする休息が、遠からず影響をもたらしていたと、僕は思う。

内臓を壊し、70歳を境に完全に酒を断ってからは、川通いは増えた。酒で「心の洗濯」をすることが出来なくなった分、それは当然だったのだろう。「酒飲みで豪放・磊落」の生き様から「酒飲み」の部分がなくなった。その分、川通いが増えたのである。

これらの川や沼では、コイやフナ、ウナギ、小魚が獲れる。それに、各地でどんどん姿が見られなくなっているナマズだ。

手作りの池でナマズはジッとしていた

コイやウナギは食料にもなったが、小出さんの場合は観賞用にもなった。獲るだけでは飽き足らず、川や沼に行くことが叶わない時、餌やりや眺めることが、全力指導の合間の「心の洗濯」になった。

小出家は、佐倉でも知られた大きな農家だった。今も、広い敷地の中には竹山がある。裏山を伝う小さな流れの途中にあるのが「竹林の池」である。もともと、母屋の近くに小さな池はあるが、竹山にある池は15年ほど前に、新たに作られたものである。
「私と2人でツルハシやスコップで掘って手作りしたものです。大変だったけど、監督が本気になって頼むから、やるしかなかったね。でも、いま思えば楽しかったなあ」

と、笑いながら偲ぶのは、今も隣に住む、同姓の小出昇さんである。監督が村のガキ大将のころ「子分」だった。かつて、東京で料理人をやっていたことから、監督の運営する「佐倉アスリート俱楽部」で賄いの仕事を任されていた。大将と子分がこしらえた池は、縦横6メートルほどのひょうたん形である。

この池には、小出さんが捕まえたコイやフナ、ウナギ、小魚たちが元気に泳いでいた。これらに餌をやることで心を癒やし、教え子たちへの指導プランを練っていたという。竹林に池を作る豪放と大胆さは、緻密と繊細の裏返しだったのだ。名指導者、小出義雄さんにとって、それは大事な池だった。教え子のコーチたちも、餌やりを頼まれることがあった。晩年になって、入退院を繰り返すようになると、その数も増えた。重篤な事態を迎えたある日、ヘッドコーチの深山文夫さんが病室をたずね、池の様子を話したことがある。

「びっくりしました。それまで意識がないように見えたのに、監督は突然目を開け『そうか!』と、元気な声を出したんです」
 小出さんは話したことがある。

「指導者というのはねえ、いいときはいいが、大体は我慢の連続だね。自分も夢を持ち、教え子たちにも夢を持たせて耐えることが大事だよ」
2000年シドニー五輪の高橋尚子が女子マラソンで金メダルを獲得して以来、五輪のメダルから遠ざかっていた。それでも、夢を捨てなかった人である。

豪雨から数日。ともに「竹林の池」を作った昇さんが言った。
「ナマズは賢いねえ。池の底の砂に潜って、あふれる水に耐えていたんだ。みんな流されなかったんだよ」

苦しいときは耐え忍ぶ。そしてまた、善き日がやって来るのをナマズは待っていたのだ。豪雨に見舞われた佐倉に、小出さんを思った。小出さんはナマズに似ていた。


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ライター紹介 ライター一覧

満薗文博

満薗文博

1950年2月6日、鹿児島県いちき串木野市生まれ。鹿児島大学卒業。中日新聞東京本社(東京中日スポーツ)では88年ソウル、92年アルベールビル、同年バルセロナ、96年アトランタなどオリンピックを現地取材したほか、各種大会を取材。報道部長、編集委員を経て、現在スポーツジャーナリスト。大学講師。

著書に「オリンピック・トリビア」(新潮社)、「オリンピック面白雑学」(心交社)、「オリンピック雑学150連発」(文芸春秋社)、「小出義雄夢に駈ける」(小学館)、「ゴールへ駆けたガキ大将」(東京新聞)、「羽生結弦あくなき挑戦の軌跡」(汐文社)など。執筆協力作品に「見つける 育てる 生かす」(中村清著、二見書房)、「小出義雄監督の人育て術」(同)など。

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