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  • 豪放とらいらく、繊細とちみつを生きた人 小出義雄さん 3

    満薗文博
    1950年、鹿児島県いちき串木野市生まれ。鹿児島大学卒業。中日新聞東京本社(東京中日スポーツ)では88年ソウル、92年アルベールビル、同年バルセロナ、96年アトランタなどオリンピックを現地取材したほか、各種大会...
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    この記事は弊誌月刊ゴルフ用品界(GEW)2020年2月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ用品界についてはこちら

    教え子はわが子です

    四季がある。睦月〔むつき〕に始まって師走まで、それぞれの月に別称がある。日本人は、いつの間にか律義に「区切り」というものを身にまとってきた。年の暮れには、過ぎた一年をしみじみと振り返り、年が明けたら前を向く。春が来て、夏が来て、晩秋ともなると、また、どこかもの悲しく一年を振り返る時が近づく。 喜怒哀楽―。2019年、哀の最たるものは、親交が30数年に及んだ小出義雄さんとの永遠〔とわ〕の別れだった。長距離・マラソンの名指導者だった小出さんは、4月24日、80歳で逝った。 ひとしきり、小出さんをメディアに書き、語ると、平穏を取り戻し、静かに故人をしのびながら時の流れに身を任せるつもりだった。それが、師走に入ると、胸が高鳴ることになった。 12月16日。都心の一流ホテルで、日本陸連の「アスレティックス・アワード2019」が催された。この年、内外で活躍した陸上選手を表彰するビッグイベントで、関係者数百人が広い会場を埋めた。「リレー侍」と呼ばれる400メートルリレー日本代表を始め、優秀な選手たちが正面ステージに呼ばれ、表彰される。だがこの日は、特別な表彰も用意されていた。小出さんへの特別表彰である。 多くを語る必要もないだろう。小出さんは、有森裕子を、1992年バルセロナ五輪で銀、96年アトランタ五輪で銅メダルに輝かせた。続く2000年シドニー五輪では、高橋尚子(Qちゃん)を悲願の金メダルに導いた。さらに書くなら、同じ女子マラソンで、97年アテネの世界選手権で鈴木博美に金、03年パリの世界選手権で千葉真子に銅メダルをつかませた人である。トラックも含め、育てた幾多の選手が日の丸をつけて世界で活躍した。この伯楽をねぎらい、特別表彰しようというものだった。 しかし、さらっと終わるであろうと思われたこの「番外劇」がそうはいかなかった。少なくとも、涙もろいこの老記者には、表彰された優秀な現役選手らには失礼だが、この日のメーンイベントに映ったのである。年末に、私が連載する東京新聞・中日新聞のコラムでもあらましは紹介したが、限られた文字数では書き切れなかった。だから、この場を借りて書く。

    涙を分け合ったわが子と実の娘の物語

    「それでは、ここで特別賞の贈呈です」 司会者が告げると、場内の明かりが落とされた。ステージだけが明るく照らされる。賞を贈る側に1人の女性。受ける側にも1人の女性。 大きなスクリーンに、懐かしい映像が流れる。小出さんが、Qちゃんを指導する、そう、生涯大事にした「ほめて育てる」シーンだった。アップされたひげ面の小出さんが言う。「教え子はわが子と同じだよ」。 司会者が泣かせた。 「きょうは、そのわが子から、実の娘さんに記念品が贈られます」 右から、楯を持った高橋尚子さんが歩み出る。左から進み出たのは高橋正子さんだった。旧姓小出、小出さんの次女である。一瞬、目と目が合って、記念の楯が渡る。 もう、いけなかった。はっきり言おう。老記者は泣いてしまった。後悔したことがある。黒いスーツを着ていたが、シャツはピンクのストライプ。以前、このコラムでも書いたが、小出さんの遺族から戴いた形見のシャツだった。小出さんをまとっている感覚がしたのである。思わず、胸に手を置くと、期せずして涙がこぼれた。小出さんが表彰を受ける特別な日に、僕はそのシャツを選んでいたのだ。場内が暗くてよかった。周囲に涙を悟られなくてよかった。年甲斐もない。 まだ若かった、20代の頃の2人を知っている。時を経て、Qちゃんは47歳になっていた。正子さんは、学年で言えば一級下。同じ小出義雄門下生である。あの頃、正子さんは「Q先輩」と呼び、Qちゃんは「正子ちゃん」と、お互いを呼び合っていた。Qちゃんがシドニー五輪で金メダルを獲得、翌2001年、女子マラソンに世界で最初に2時間20分切りを果たしたその年、正子さんは、ロッテルダムマラソンに、2時間28分28秒の好タイムで2位になっている。明らかにQちゃんの活躍が目立つが、2人はともに同じ時期を駆け抜けた仲だった。 後日談だが、正子さんからSNSが届いた。「Qちゃんとは最近になって、ようやく気を遣わない仲になれたような気がします。監督がいた頃は、Qちゃんもかなり私に気を遣っていたのですよ!多分」。 さて、表彰を終えると、Qちゃんが私に言った。「こんな演出をしてくれて・・・。正子ちゃん、泣くかと思いましたよ」。そう言いながら、Qちゃんの目も潤んでいた。 正子さんは言った。「ピンクのシャツ、お似合いでしたよ。区切りの時に、表彰していただき、父も喜んでくれていると思います」。それからわずか、12月31日をもって、小出さんが2001年に創立した「佐倉アスリート俱楽部」は正式に消滅した。 私事だが、同じ暮れの24日、愛犬さくらがあの世に旅だった。さくらは、故郷鹿児島の桜島と、佐倉アスリート俱楽部から名付けたものだった。正子さんは言った。「さくらちゃんも、監督と同じように引き際のタイミングを決めていたのかも知れませんね。来年に引きずらないように!」 日本人は、いつの間にか律義に「区切り」というものを身にまとってきた。師走の終わりに描かれた「父と2人の娘の物語」を、僕は生涯、忘れることがない。