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  • 片山晋呉バッシングを招いた危機対応のまずさ

    小川朗
    山梨県甲府市生まれ。甲府一高→日大芸術卒。82年東スポ入社。「世界一速いゴルフ速報」の海外特派員として男女のメジャー大会など通算300試合以上を取材。同社で運動部長、文化部長、広告局長を歴任後独立。フリージャー...
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    月刊ゴルフ用品界2018年7月号掲載
    結局、今回も危機管理のセオリーとまったく逆の事態が起こってしまった。ツアー選手権のプロアマ大会で同じ組で一緒にラウンドしていたゲストが、片山晋呉の言動を不快に感じ、途中でプレー続行を断念した事件は大論争に発展。 片山に批判が集中したが、JGTO(日本ゴルフツアー機構)が迅速に動いていれば、ここまでの騒動には至らなかったハズなのだ。

    後回しにされたトップの会見

    6月19日現在、JGTOは片山晋呉に対する処分を発表していない。この号がお手元に届くころには結論が出ているはずだ。 だがいずれにせよ、遅きに失した感は否めない。5月30日に起きた事件に対する事実関係を明かしたのは6月6日。この時点での対応は1週間後の発表ということで理解は得られている。一部には「日大アメフト問題の轍を踏まないため、迅速に事態を公表したのでは」と好意的な見方もあるほどで、ここまでは良かった。 問題はこのあとだ。この時点で出ているのは、プロアマでトラブルが起き、ゲストが帰ったという事実のみ。結論が2週間も先延ばしにされ、情報量が少ない中で、片山に対するバッシングが始まった。 当事者や責任者が出て来ないまま時が過ぎていく間、片山に対する批判ばかりが集中した。さらに一部ではプレー続行を断念したゲストを批判する記事まで出てきた。 これでは日大のアメフト問題と五十歩百歩だ。本来は事実が発覚した時点で数日以内に当事者2人に事情を聴取。一緒に回っていたゲストやキャディーなどからも事情を聴き、事実関係を確認したうえで懲戒・制裁委員長を兼務する青木功会長かその代理がJGTOとしての対応を発表する。これができていればここまでの片山バッシングは起こらなかったはずだ。 結果、男子ツアーのイメージはバッシングを受ける片山とともに、大きくダウンする結果となった。 日大の場合もトップが出て納得のいく説明をし、処分を発表していれば、こんな騒動にはならなかった。ところが「反則をした選手→監督とコーチ→学長」という真逆の順序で会見が開かれたために、反則の映像が再三流され、日大全体のイメージダウンを招いた。  

    プロアマは生命線

    「プロアマ戦は、ツアーにとってのライフブラッド(生命線)だ」。 特派員として通算7年半、米ツアーを旅していた頃、PGAツアーの上層部が事あるごとに繰り返していた言葉だ。 ゴルフトーナメントはプロアマ戦によって成り立っている、という運営側の本音が透けて見えた。当時、プロアマの出場枠はゴールド、シルバー、ブロンズなどにカテゴリーが分かれており、金額によって待遇が違っていた。 大会が開催される地元企業のスポンサーたちは、協賛金と引き換えに、プロアマ戦の出場枠を得る。 最高額のゴールドは3組の出場枠とゲストラウンジなどのパビリオンに入場し、飲食のサービスが受けられるパスが人数分与えられる。シルバーは2組、ブロンズは1組分というパターンが多かった。 日ごろテレビで見ているスター選手と一緒にラウンドできるだけでなく、時には技術指導も受けられる。アマチュアにとってはうれしい機会だ。 一方、ツアーにとっては大会を開催するための重要な財源であり、選手にとっても、順位賞金の原資となるのだからプロアマ戦に出てくるゲストは最も大事なお客様、ということになる。 ジャック・ニクラウスもトム・ワトソンも、リー・トレビノもレイ・フロイドも、プロアマのゲストには丁寧に接していた。米ツアーの選手たちは、すでにプロアマが自分の仕事を支える重要な生命線であることを、しっかり自覚し、それが浸透していたように思えた。 当時、米ツアーには日本企業が続々とスポンサーについていた。ロサンゼルスオープンにニッサンが付き、ハートフォードオープンにキヤノン、ワールドシリーズにNEC...。ホンダやソニーもついたため、プロアマでも青木、尾崎、中嶋などの組には日本企業の駐在員や現地スタッフ、商社マンが入ることも多かった。 成熟したプロアマトーナメントを日本選手の多くが経験していたわけだ。だが、せっかくそうした貴重な体験をしながら、それを日本のプロアマに浸透させることはできなかった。今回の事件がそれを証明した形になった。  

    悪しき伝統

    そもそも片山晋呉の先輩である選手たちの行動だって、そうそう胸を張れたものではない。 日本の試合数が最も多かったのは1990年。ツアー競技は44試合に達したが、右肩上がりだったのはここまで。これを境に減少へと転じた。95年には37試合、ツアーが独立した1999年には32試合、2007年には29試合に落ち込んだ。 賞金に目を移せば4年遅れの94年に41億5000万円だった総額が2005年には33億8000万円。実に7億7000万円も減っている。 現実的な話をしよう。景気の低迷が起きても、トーナメントの開催に魅力があればここまでの落ち込みはなかったはずだ。プロアマにおける選手たちの態度がもう少しマシなら、ここまで落ち込んではいない。 むしろ前々から開催の打ち切りを検討していて、1999年のクーデターにより撤退の口実が見つかり、我も我もと飛び出していったというのが本当のところだ。 1970年代の後半。尾崎将司がプロ野球から転向し、彗星のようなデビューを飾った。各スポーツ紙はエース級の記者を投入し、プロゴルフは人気スポーツの仲間入りを果たした。 その後青木功がヨーロッパで活躍し、さらにはハワイアンオープンで奇跡的なイーグルで米ツアー初優勝を飾る。 AO時代に中島常幸が入り世界のAONと呼ばれるようになる。ここに倉本昌弘、尾崎健夫・直道がからみ、ゴルフツアーは毎週のように高視聴率をマーク。日本の企業も海外進出を続け、車、カメラなどのジャパニーズ・プロダクツが評価を得る時代だった。 それからわずか10年の間にバブルの時期から、冬の時代への転落。振り返ると、明らかな因果関係に気づく。こうした男子ツアーの選手たちが、プロアマを軽視していた現実だ。 いくら青木功会長が「強い態度で臨む」といったところで先輩プロたちの一部が、若い頃にプロアマの現場でどんな対応をしていたかを誰もが知っている。現状を造ったのは、実を言えば今、ベテランと言われる先輩たちなのである。この問題、実は根が深い。 だからこそ、今回の問題を真摯に受け止め、迅速にトップが処分を発表するのが得策だった。結論まで1か月近くを要した対応の遅さが、片山バッシングを招いた。

    小川朗の目

    6月15日、片山は当面の間ツアー出場の自粛を発表。実はその1週間ほど前から果たして片山だけが本当に悪いのか、という声が出ていた。 怒って帰ったとされる当該のゲストが取材に応じていないからだ。実は筆者も、そのゲストが社長を務める池袋の会社に取材を申し込んだが、女子社員を通じて断られてしまった。 当事者への取材は原則で、さらにそこに居合わせ第三者から話を聞くことも重要になる。しかしこれにはかなり高いハードルがある。アマチュアへの取材が、基本的に難しくなっているのだ。 以前はプロアマトーナメントの組み合わせ表にゲストの所属企業や名前、ハンディキャップなども明記されていた。だが個人情報保護法が施行されたあたりから入手が難しくなった。 もう、なくなってしまったトーナメントだが、プロアマの組み合わせ表が門外不出となっている試合があった。関係者からは「表に出すと大問題になる人物がいるから」と聞かされた。プロアマのゲスト自体に問題があった時代を、知る人は少なくなった。
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